雪まつり/コショウジ君の2
札幌市狸小路6丁目。
コショウジ君はここのラーメン屋で数日間アルバイトをしたあと、店主からつぎの訪問地の深川にある宿屋の紹介状をもらって出発をする。
とちゅうにある滝川あたりは道路の幅がせまく、大型トラックが2台交差するのがやっとだったとある。
リヤカーだからパックパッカーなどより多くの荷物を運べるのはいいけど、こんなところで、とんだ交通障害になって彼もこころ苦しかっただろう。
紹介状を書いてもらっていた深川の宿では、タダで泊めてもらえるはずが、予想していたより冷たいあしらいで、他人の情にすがる旅のみじめさをなげいている。
もっともこれはどちらかというと例外で、彼の場合、旅のようすが地元の新聞で紹介されたこともあって、いく先々で歓待されることが多かった。
北海道の人は親切なのか、このあと彼はテント泊をしているとき地元の人から差し入れを頂いたり、民家に招かれて、寝るところや食事をふるまわれたりして、えらく感激する場面も多いのである。
浜鬼志別というところでテントを張っていると、おーい、兄ちゃん、今日はテント張らんでいい、オレんち泊まれやという親切な人があらわれた。
彼はここで親切な夫婦から、食事、寝る場所の提供を受け、翌日出発するときには弁当までこしらえてもらって、おおいに感動している。
でもとくに不思議だとは思わない。
この夫婦も新聞に載ったコショウジ君の写真を見たかもしれないし、そうでなくても北海道という土地柄からして、こういう人情味のある人が多かっただろうという気がする。
コショウジ君はこのあと、べつの場所でも同じような歓待を受けているのである。
こうしたふれあいは地元民ばかりとはかぎらない。
8月の北海道には、彼のように冒険じみた放浪の旅をする若者が多かった。
コショウジ君もあちこちで旅の道づれに出会っている。
ある場所ではリヤカーと自転車とヒッチハイクの若者が、顔を突き合わせて同じ場所で野宿するはめになった。
コショウジ君はみんなでメシを分けあって食べる。
タイ旅行でヒッピーたちの連帯感について書いたことがあるけど、これも輝かしき昭和の記憶、まだまだ社会が寛容だった時代の、自由きままな青春群像を見るような気がする。
コショウジ君の旅は原則として野宿である。
学校の庭や神社の境内、バスの停留所などにテントや寝袋を利用して寝込んでしまう。
食事は鍋釜を持参しているので、麦6米4のご飯を炊き、とちゅうで仕入れたタマネギを刻んで味噌汁を作ったりする。
省エネの見本みたいな貧乏旅行である。
ただこの年の北海道は天候が不順だったらしく、あちこちで雨にたたられ、帰京したら今度は雨漏りのしないテントを作ろうという記述もあったくらいだから、けっして順調な旅ではなかったようだ。
野宿ばかりじゃ体がもたない。
ときどき保養をかねてユースホステル(YH)に泊まることもある。
稚内でYHに泊まったコショウジ君は、昼間ゆっくり寝ていようと思ったのに、雨の日以外は昼間から部屋にいられませんといわれて、YHを追い出されてしまう。
むかしのYHにはこういうつまらない規則が多かった。
YHというのは旅を愛する心身ともに健全な若者のための施設で、健全な若者は昼間から部屋でごろごろしてないというたて前らしい(米国ではゲイのたまり場って説もある)。
最近では健全な若者にもゼイタクをいう輩が増えて、むかしみたいに堅苦しくては泊まる人間がいなくなり、おかげでうるさい規則もだいぶ緩和されたようだ。
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