雪まつり/つまらない
札幌雪まつりはたいしておもしろくなかった。
というと、また天の邪鬼が始まったといわれそう。
でもこれは、ようするにディズニーランドをおもしろいと思うかどうかの違いだな。
大半の人たちはああいうテーマパークに行って喜んでいるけど、わたしはどうもそういうところがニガ手である。
どうしておもしろくなかったのか。
もっとたくさんあるかと思っていた巨大な雪像も、こちらの期待ほどではなかったし、もっと積もっているかと思った雪の量も期待外れだったのだ。
あれなら5年前に見た蔵王の雪のモンスターのほうが、よっぽどおもしろいし、めずらしいし、貴重な体験だった。
ハワイに行ったときもへんてこりんなテーマパークに連れていかれて、そんなものより海岸でダボハゼでも観察しているほうがよっぽどいいと思ったわたしなのである。
つまり、わたしはやっぱりアウトドア派なのだ。
雪まつりは屋外でやるけど、わたしにいわせればインドアの催し物と大差ない。
子供じゃないからソリやすべり台で遊ぶわけにもいかないし、若者じゃないからスノーボードで一回転することもできず、ただもう人工の建造物をぼけっと見て歩くだけ。
そんなものを見て喜んでいる人間が多すぎるのも不愉快だ。
そういうわけで、つい仏頂面して歩くことになる。
気になったのでまわりを見まわしてみた。
ひとり旅をしているらしい客も、欧米人を含めてたくさんいたけど、みんなまじめな顔で、喜色満面という人間はひとりもいなかった。
もっとも、ひとりで歩きながらニタニタしていたら、病院に電話されてしまう。
ところでここからが本題だけど、おもしろくないから意味がないということにはならない。
矛盾に聞こえるかもしれないけど、人は楽しむだけの目的で旅をするとはかぎらないのである。
詩人の宮沢賢治は最愛の妹に死なれ、はげしい悲しみに追い立てられるように、樺太、北海道の旅に出た。
こんな旅のいったいどこに楽しい要素があったのか。
彼のこころを癒やしてくれたのは、結局のところ時間の経過だったようだから、この旅は意味のないものだっただろうか。
わたしはそうは思わない。
孤独、絶望、悲しみといったものを感じたいがために旅をする人もいるのである。
温泉に入り、芸者をあげてどんちゃん騒ぎをするのは楽しいだろうけど、たったひとりで海岸をうろつき、われ泣きぬれてカニとたわむるなんて詩を口ずさんでいるのが楽しいという人間もいるのだ。
古来より多くの詩人、文学者が書き残しているように、おもしろくない旅を求めて旅をする人はけっして少なくないのである。
わたしは34年前のオホーツクの旅を思い出す。
あのときは、たまたま偶然だったけど、紋別と稚内で冬の祭りに出くわした。
紋別では夜中に駅前に行ってみたら、地元の若者がひとりで黙々と氷の彫刻を刻んでいた。
稚内では祭りの最終日に当たり、巨大な雪だるまが地元の子供たちによって引き倒され、無数の風船がいっせいに空に舞い上がった。
このふたつの祭りをよく覚えているのは、そのどちらからも孤独や悲しみが感じられたからだろう。
でも今回の旅も30年後になつかしく思い出すかっていうと、そりゃ無理だな、終活中のわたしには。
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コメント
札幌市民です。感想を読んで残念に思います。ただ今の雪祭りではそういわれても仕方がないかと感じています。
札幌生まれなので雪祭りは数十年前から見ています。ここ数年の雪祭りには私もがっかりしております。食べ物などの出店が増えすぎて、道路の両脇のスペースを占めており、あれでは雪像が主役なのか出店が主役なのかわからないですよね。
昔は雪像ももう少し大きく迫力があり(自分が小さかったため大きく感じたのかもしれませんが)..大通り会場の道路両側には市民雪像などがずらっと並んでおり、雪像の数もはるかに多く、”雪の祭典”という感じでした。食べ物の出店もありましたが、今ほど多くはなく、今のように大通り公園の両側を占めているなんてことはなかったです。
雪祭り運営に係わっているわけではないので、偉そうには言えないのですが...雪国で開催する意味と良さが半減している祭典になってしまっていると感じています。ただ、なにか事情があるのかもしれませんが(例えば雪像を作りたい市民が減っているとか、雪の量そのものが少なくなって確保が難しい等)が...”
雪の多さは年にもよります。今年の札幌市内は雪は少ないです。普通はもう少し雪も多く、もう少し寒いです。ただ、ここ数年間気候が変わってきているのか雪が少なくなっており、暖かくなっている気がするのも確かです。温暖化なのかもしれません。
投稿: Shanko | 2018年2月10日 (土) 22時28分
これも地球温暖化の影響ですかねえ。
でも地球温暖化だとかえって積雪量は増えるという説もあるようですが。
雪祭りがおもしろくないというのは、それをけなすというより、その後の青森旅行の記事を読んでもらえばわかるように、どっちかというとわたしの気力の衰えが原因です。
最近なにを見てもおもしろくないというんで悩んでいます。
若いころなら箸が転がってもおかしかったのに。
投稿: 酔いどれ李白 | 2018年2月10日 (土) 22時55分