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2017年2月21日 (火)

雪まつり/コショウジ君の1

わたしの知り合いの友人グループの中に、コショウジ君という人がいる。
わたしと歳はあまり変わらないから、やはり生きているのが申し訳ないという団塊の世代の生き残りである。
彼にむかし、手書きの日記のコピーを託されたことがある。

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コショウジ君は若いころ、リヤカーに寝具や自炊道具を積み込んで、東京から北海道まで、徒歩で旅をした豪傑でもある。
北海道ではアイヌの店主に気に入られ、土産物屋でしばらくクマの彫りものを作って生活していたという。
団塊の世代には、まだまだ自由に、明日は明日の風が吹くってな調子の生き方が許されていたころだ。
最近の事情は知らないけど、いまでも若いもんにそんな自由はアリかねえ。

ところで彼に託されたコピーってなんなのか。
これはじつは彼がリヤカーで旅をしていた当時の旅行日誌だった。
そんなものをどうしてわたしに託したのかわからないけど、いろいろ屁理屈をいうわたしに、この男はもしかしたら将来は作家になるかもしれないと、とんでもない妄想を抱いたのかもしれない。
夏目漱石に「坑夫」という作品があるけど、これは他人から持ち込まれたネタをもとに書かれた小説である。
わたしが彼の日記をもとに偉大な小説を書けば、彼の旅も永遠不滅のものになるわけだ。
でもわたしは夏目漱石じゃないんだけどな。

日誌は札幌のラーメン家でバイトをしたあと、店の主人に紹介された深川の宿に向かうあたりから始まっている。
深川からは留萌市に出て、日本海にそって稚内まで北上する。
稚内からは、オホーツク海にそって斜里まで南下、このあとは内陸の層雲峡や大雪山をめざしている。
層雲峡からは富良野に抜け、富良野のつれこみホテルでバイトをしたあと、リヤカーを農家に預け、ヒッチハイクで釧路に出て、フェリーで東京へもどるところで日誌は終わりである。
時期は1968年(昭和43年)の8月15日から10月4日までだ。

H001a

古きよき時代に、北海道をさまよったもうひとつの青春があったことの証明として、今回の雪まつり紀行の合い間に、彼のこの日誌を数回に分けて挿入することにした。
ただし彼の日誌は大雑把すぎるのが欠点だ。
地図と首っぴきでないと現在地の把握もむずかしいし、せっかく北海道を旅していながら、経由した稚内や層雲峡、富良野などの描写がほとんどないのである。
だからこの文章は彼の日誌を参考にして、わたしの体験談やぼやきをつけ加えたものと思ってもらったほうがいい。

日誌の最後に、ずっとあとになってつけ加えられた文章があって、そこに 「いつしかわたしも歳をとった」
「四度夢に見た母親は、旅のある日、他界したと風の便り」
「母のぬくもり知らず他界知らず」
ちょっと意味不明のところがあるけど、ひょっとするとコショウジ君が書きたかったのは、母親を恋しいと思いつつ、世間からうしろ指さされるような生き方をしている自分への自責の念だったかも。
それならば、この15年後に一部重複する旅をしたわたしと、心情的にも重なった部分がある。
人間を旅に駆り立てるのは、冒険心やロマンばかりとはかぎらない。

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コメント

小学一年生の時、アイヌのグループの人が来て、朝礼台の上で踊りを踊ったりした事があったけど、酔いどれ君、憶えてますか?
「僕はセイウチ」に出てくるような掛声を発しながらのパフォーマンスだった気がします。

投稿: 女音恋音 | 2017年2月21日 (火) 17時42分

すこしおぼえてますよ。
全員が不思議な文様の衣装を着て、男は髭を生やし、女性は唇のまわりにも彫りものをしていたような。
子供のころは呑龍様で飼われていたクマと変わらない目で見てましたけど、最近では日本民族のすぐとなりに、アメリカインディアンに通じるような、こういう人たちがいたことを誇らしく思ってしまいます。

投稿: 酔いどれ李白 | 2017年2月22日 (水) 00時36分

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