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2017年4月

2017年4月24日 (月)

オオツルボ

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家の近所の駐車場のわきにグロテスクな花が咲いていた。
つねに近所を徘徊して、なにか変わった花が咲いてないかと鵜の目鷹の目のわたしだけど、こんな花を見たのははじめてだ。

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だいぶ苦労して調べてみたら、オオツルボ(シラーペルビアナ)という球根植物だった。
だからどうしたっていわれても困るけど、こういう役に立たない知識を増やすのは、バードウォッチングのあと屋敷にもどって、野鳥の名前を調べる英国の貴族の趣味みたいでカッコいいでしょ。

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2017年4月23日 (日)

今朝の新聞

今朝の新聞の1面トップはフランスの大統領選について。
これはまあ、外国の話だから、わたしがじたばたしてもどうにもならない。
ルペンさんが勝つと桶屋が儲かるで、円が高騰するらしいから、外国旅行が安くすむかしらと、つまんないことに期待感。

「日曜に想う」という大きなコラムで、編集委員さんが長い文章を書いていた。
リベラル系新聞としては、学校で教育勅語がおおっぴらになると、たちまち軍国主義が復活するのではないかと、時代錯誤的な心配をせずにはいられないらしい。

いろいろ並べてあるゴタクの中に、「勅語の徳目はいわば空箱だ」という文言がある。
安倍クンの意をすぐ忖度しちゃう議員がいるのは困ったことだけど、わたしも勅語に実質的な強制力はなにもなく、ただむかしの人の道徳教育はこんなものだったという、歴史の勉強の参考ぐらいにはなるんじゃないかという考え。
そんな空箱ていどのものに、長々とおかしな理屈をふりまわし、まるで危険思想みたいなことを書くのは、よっぽどヒマなんだなとしか思わない。

外国の政治学者の主張にもとずいて、4拍子のワルツなんてものをでっち上げているけど、これは編集委員さんとまったく正反対の内容にすることもできる。
たとえばこんな調子。
1拍目は「 挑発」。教育勅語はケシカランといって耳目を集める。
2拍目は「釈明」。批判をあびると、べつに教育の理念として復活させてはイケナイといってるわけじゃないと、日曜版でゴタクをならべる。
3拍目は「犠牲者のふり」。ウチはまっとうなことをいっているのに、いつも捏造よばわりされる。
4拍目は「勝利」。勅語にかかわらず、なんでもかんでも反対して、リベラル系の真髄はここにありとイバる。

「世のためになるといっても、どんな世の中になるかによる」という文言もあった。
どんな世の中になるかは、だれにも、この編集委員さんにも、わからないのだから、そんなものについて危険だと書くなんて、ほんと、ウチの新聞は日曜の朝に、いい頭の運動をさせてくれる。

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2017年4月22日 (土)

またレッドタートル

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以前にこのブログでも取り上げたことのある「レッドタートル」というアニメを観た。
それ以前に予告編を観たことがあって、ディズニーの3Dや、ジブリアニメとも異なる、あっさりした水彩画ふうの背景や、いたって簡略化された人物などが気になっていたアレである。

水彩画ふうなんて説明をすると、ジブリの「かぐや姫の物語」を思い出す人がいるかもしれない。
ここから先はわたしの個人的主観になるので、同調してもらわなくてもいっこうにかまわないけど、かぐや姫のほうが登場人物のキャラや動きにしても、どうしてもジブリの呪縛から逃れられないのに対し、レッドタートルのほうは完全に日本アニメから脱却した個性的な作品になっている。
日本公開にはジブリも関わっているらしいけど、実質的な監督はマイケル・デュドク・ドウ・ヴィットというオランダ出身のアニメ作家で、ジブリ嫌いのわたしでも受け入れやすい映画なのだ。

じっさいに見てみると、最近のアニメにはめずらしいくらいシンプルな作品で、逆説的に聞こえるかもしれないけど、シンプルすぎて意味がよくわからないくらい。
ストーリーそのものは単純である。
難破して絶海の孤島に打ち上げられた若者が、島で出会ったウミガメの化身である女性とひととおりの人生を経験したあと、年老いて死んでしまい、女性はふたたびウミガメにもどって海に帰っていく、それだけの話である。
音楽と波や風のような自然音以外に、セリフはひとつもなく、あとは観る人が勝手に考えなさいという映画なのだ。

最初は浦島太郎みたいにカメの恩返しかと思ったけど、映画を観るかぎり、若者には復讐されることはあっても、恩返しをされるいわれはない。
これはいったい何を象徴しているのか、なんの寓意なのか。
意味がわからないとはそういうことだ。

理屈はつけようと思えばいくらでもつく。
いくらでも理屈をこねられるものに、あえて自説が正しいといっても始まらないから、ここではあくまで参考意見として、わたしの見解を。

随所にあらわれる満点の星空や、カニや小動物たち、そして若者が海の中でウミガメといっしょに泳ぐシーンなどは、天然のままの大自然を賛歌しているように思えるけど、よく観ると弱肉強食のひじょうに残忍な部分も描かれている。
どうもたんなる自然賛歌ではなさそうだ。

若者は文明社会にもどろうと、筏を作って何度も海に出る。
ところがそのたびにウミガメに妨害されてしまう。
怒った若者は海岸でこのウミガメをひっくり返して殺そうとする。
しかしとちゅうで気が変わって同情心を起こし、今度はなんとかウミガメを助けようとする。
助けられたウミガメはその後美女に変身して、彼の伴侶になるんだけど、いちどは殺されかかった相手を愛するなんて、いくら寓話だとしてもつじつまが合わないのではないか。

つまんないことにこだわってやがるなといわれるかもしれないけど、わたしだって細部にこだわるつもりはない。
ただ、全体としてみても、これはストーリーをうんぬんする映画ではないんじゃないかということだ。

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この映画を観たついでに、同じアニメ作家が作った短編アニメをいくつか観たけど、その中に「父と娘」という作品があった。
これは幼いころ父親と別れ別れになった娘が、老婆になったある日、ふたたび娘に返って父親と再会するまでを描いた8分程度の短編である。
「ドナウ川のさざなみ」の音楽にのって、単純な線と水彩で描かれた物語が、物語そのものまで一筆書きのように簡略化して描かれており、なぜ父親と別れることになったのか、どうしてまた再会したのかという説明はいっさいない。
それでいて観ていてじつに切ない感傷におそわれる。

中国に黄粱の一炊ということわざがある。
ひとりの人間の一生におよぶような長い夢を見たあと、目を覚ましてみたら、まだ寝るまえに火にかけた鍋のアワが煮えてなかったというもので、人生のはかなさを意味しているんだそうだ。
意味がちがうけど、「レッドタートル」も、無人島に打ち上げられた若者が、死ぬ寸前に見た長い長い幸福な夢だったといえないだろうか。

夢だと考えれば矛盾のあるストーリーも、みんな納得できてしまう。
そんないいかげんなというなかれ、最後の最後になって、正義の味方が都合よく勝利をおさめる最近の米国映画よりよっぽどマシだ。
人生の終わりのほんのひとときでもいい、いっさいを投げ打って、画家のゴーギャンのように、絶海の孤島で癒されたいと願う人はきっといるはず。
だからこの映画は、人生に疲れ果てた現代人の夢ともいえるのだ。
癒されたいと願うこころに、かならずしもストーリーは必要ないのである。

ところでわたしもまた西表島に行きたくなってきた。
わたしもだれもいない海岸でまどろんで、この映画の主人公のように、長い幸福な夢を見たいと思う。
「レッドタートル」は、ホント、わたしのために作られた映画といってよい。

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2017年4月21日 (金)

ジグソーパズル

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わたしはときどき思うんだけど、人生はジグソーパズルみたいなものではないか。
と書くと歌の歌詞みたいだけど、自分がこのパズルの断片のひとつだとして、そのはめ込まれる場所によって、運命が左右されることは確かのように思える。

たとえばわたしがいまよりもうすこし上の位置にはめ込まれていれば、東京大空襲で焼死していたかもしれない。
もうすこし下にはめ込まれたら、ヤケッパチになった北朝鮮の正恩クンの核ミサイルでぶっとばされるのかも。
もうちっと横にずれてたら、韓国に生まれて反日に精を出していたかもしれないし、もっともっと横なら中東あたりの戦乱に巻き込まれていたかもしれない。
横で、なおかつもっと上か下だったらと考えると、これはもうロクなものではなさそうだ。

そんなふうに考えると、わたしが日本という、こんな民主的で、豊かな国で、食べ物も美味しい国の、いちばん平和な時期にはめ込まれたのは、きわめて幸運なことだったとしか思えないのである。
なんでわたしはこんな強運に生まれついたのか。

そんなことをいうと、それはおまえだけじゃない。
おまえと同じ位置にはめ込まれた人が無数にいるはずで、その全員がおまえと同じ幸運を共有しているではないかという人がいるだろう。
いや、わたしよりもっと幸運な人もいるはずだ。
たとえば結婚して幸せな家庭を持ち、順当に出世して家を持ち、老後は子供たちに面倒をみてもらって平穏に暮らす人、こういう人がわたしと同じ場所にはめ込まれたら、彼はわたしよりずっと幸せなはずだ。

しかしと、ここでまた逆らうんだけど、そういう人なら多少上下左右にズレたとしても、やはり努力してそれなり幸運をつかむのではないか。
わたしの場合は、どうしようもない無能の人で、しかもきわめつけの怠け者だ。
こういう人間が感じる幸運は重みがちがう。
どうしてわたしみたいなクズ人間が、こんな、奇跡とも思える場所にはめ込まれたのか。

ああ、わからない。
わからないけど、幸運のまんまでもう人生の終盤だ。
死ぬというのはいったいどういうことなのか。
実体があるものなのか、とりとめのないものなのか。
死んだあとにはじめてわかるものなのか。

宗教や死後の世界を信じないわたしだけど、人間の幸福を左右する運命の力みたいなものは無視してるわけじゃないから、これはちっとも矛盾していない。

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2017年4月20日 (木)

さんディー

これは韓国の話だけど、国会議員が3Dを“さんディー”と読んで、日本のネトウヨあたりから嘲笑されていた。
そういえばわたしも3D映画を観にいくとき、いつも“さんディー”と読んで、知り合いから“スリーディー”でしょうと注意される。
こういう新しい外来語の読み方って、なにか厳密な決まりごとがあるのか。
本人が読みやすいように読んでかまわないんじゃないか。
わたし的にはさんディーのほうがスリーディーより読みやすいけどね。
不動産屋が3LDKの間取りのことをなんと呼ぶか、最近の新しいテレビにしたって、あれ、4Kを“フォーケー”なんて読んでるのか。
たぶん、しいて考えれば、外国でスリーディーとして正式に認証されている言葉はそのとおりに読み、外国では一般的でない3LDKや4Kのような言葉はなんでもいいってことじゃないかと思うけど、それを平民にまで強制するってのは、なんか個人の自由な意思を大勢に従わせようとするファシズム的なものを感じてしまうよな。
そう思うのはわたしだけか。
ん、わたしだけだろうな。
世間の人はたいていしきたりや慣習に従順だ。

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2017年4月19日 (水)

シリアと北朝鮮

今日の夕刊を読んだら、「時事小言」というコラムで、フジワラさんという、見た感じは頭脳明晰そうな人が長い文章を書いていた。
頭脳明晰そうと揶揄する調子になったのは、書いている内容が、もっといくらでもべつの視点で考えられそうなものなのに、やけに一方的なことしか書いてないからだ。

彼はシリアのアサド政権と北朝鮮のぼんぼんを同列にならべて、トランプさんがこれを転覆させるのはむずかしいだろうと書いている。
その理由がごたごたと書いてあるんだけど(長いから引用しない)、この両者はほんとうに条件がいっしょだろうか。

いちばん大きな違いは、アサド政権にはロシアやイランという巨大な支援国家がいることで、これが絶え間なく最新兵器を補充し、制裁に対して拒否権を発動してきたこと。
しかもシリアを取り巻く環境は複雑怪奇で、反体制組織に加え、ISのような第三の勢力まで加わって、それぞれに言い分があり、なにが正義なのかだれにもわからない状態だ。

ここまでいえばわかると思うけど、北朝鮮のほうはどうか。
なんだかわけのわからない理由で、中国と信頼関係を築いていた身内まで粛清して、最大の支援国になり得た中国にまで愛想をつかされる始末。
極東に軍拡競争を望まないロシアも傍観という立場だし、ぼんぼんの味方をしようという勢力が、いま周囲にひとつでもあるだろうか。
きつい制裁をくらって、燃料や新兵器の輸入もままならず、孤立無援のまま世界最強の軍隊を敵にまわさなければならないのだ。
だからこそミサイルや核兵器にこだわるんだろうけど、そんなものを持たせたらキチガイに刃物だ!

だいたい北の国民が本心から、ぼんぼんの体制維持を願っているんだろうか。
口先だけは勇ましいけど、いや、勇しければ勇ましいほどカラ元気で、内部は意外ともろく、戦争になれば内側からかんたんに崩壊するかもしれない。
でもまあ、そういうことはさておいて

わたしみたいなしろうとでさえ、シリアと北朝鮮を同列には置かないのに、フジワラさんの見立ては、朝日新聞の気持ちを、いまはやりの “忖度” したものだろうか。
どこへ飛ぶのかわからないミサイルも怖いけど、なぜか北を擁護する朝日新聞の考えもコワイ。

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メイさんの魂胆

よくわからんな。
あ、英国の話。
首相のメイさんが選挙をして、EU離脱について、国民の信を問うだって。
なんか1年前にも同じようなことやってなかった?

いろいろ調べみたら、彼女はEU離脱に反対していたキャメロンさんが、国民投票で離脱が支持されたためにガックリきて、辞職したあと、自動的にあとがまに座った首相で、選挙で国民からちょくせつ選ばれた首相ではないそうである。
おかげで、そんな首相がEUと離脱交渉をするのはケシカランと、野党から責められていたらしい。

うるさいわね、外野がと思ったかどうか知らないけど、彼女が世論調査をうかがってみると、いまのところ彼女の人気はダントツだ。
これなら選挙やっても楽勝だってことで、もういちどEU離脱について国民の信を問い、今度こそ確実な信任のもとに離脱交渉を進めようというハラらしい。

じつはよくわからんのはここから先。
1年前の国民投票では、離脱を支持する国民と、支持しない国民は僅差の勝負だった。
しかも結果が判明したあとになって、EU離脱ってどういうことなのと、ググッた国民がたくさんいたという。
こういう頼りない国民が、いちおう頭を冷やして冷静に考えたあとでは、やっぱりEUに残留しないとオレたちの将来まっクラだと考え直して、また結果がひっくり返る可能性はないのだろうか。

ひょっとするとメイさんも同じことを考えていて、本心では今度こそ国民の支持のもとにEUに復帰しようという魂胆かもしれない。
EUもいいとこ取りは許さないなんていってるし、移民を拒否して日本の企業に逃げられては、この先政治をやっていけないわくらいのことは彼女も理解したと思うんだけど。

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2017年4月18日 (火)

また実況中継

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ただいま飛行場のそばで風に吹かれてます。
まるで初夏みたいな天気で、じつにいい気持ち。
この世の憂さがすべて体からすうすう抜けていく感じだ。
ソメイヨシノはおわったけど、わたしの好きな海堂も咲き始めたし、飛行機のまわりでは、なんと、花の色が緑色のサクラが、それもたくさん。
これはウコンという名前のサクラらしい。

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このサクラの名前については、最初ギョイコウ(御衣黄)と書いたけど、その後知り合いからウコンではないかと指摘があった。
調べてみるとウコンのほうが一般的らしいので、訂正しておいたけど、わたしは専門家ではないから、自信を持って断定はしない。

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2017年4月17日 (月)

ちと残念

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このブログでも、プロが作ったような本格的な作品だとほめたことのある、YouTubeのオンリー・イン・ジャパン(Only in Japan)というチャンネル。
この4月からなにやら異変が起きているよう。
主役はあいかわらずジョン・ドーブ君だけど、最近の映像を見ると、他のしろうとが作ったのと同じような安っぽい映像になっているのだ。
スタッフとケンカでもしたんだろうか。
それまでは内容も、しろうとが作った映像とちがって、ユニークなものが多かったから定期的に視聴していたのに残念である。

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恒例の

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2017年4月16日 (日)

権力者の資質

北朝鮮ではキム主席の生誕105年の祝賀行事だったそうだ。
北朝鮮にすれば、ここが踏ん張りどころ、はらはらドキドキのサーカスの綱渡りみたいなもの。
アメリカに恐喝されているいまの時期に、核実験やミサイル発射はできないし、それでも口だけは達者で、ポーズだけはぜったいに米国に負けないという姿勢をつらぬく。
祝賀行事にはぼんぼんも同席したそうだけど、それがアメリカに知れれば、稀代の独裁者を抹殺する絶好のチャンスということで、会場にミサイルをぶちこまれないともかぎらない。
それはヤバイというので、この行事に招待された60社200人というマスコミ関係者が、人間の盾であることはまず確実。
しかもテレビで見るとぼんぼんは、どこか影武者みたいな気もする。
このくらい裏側まで見抜かないと、生き馬の目を抜く当節は乗り切れないのだ。

今朝の新聞の国際面はトルコの国民投票がメイン。
エルドアン首相の権限強化について、与党と野党の意見を聞いているけど、結果は聞かなくてもわかるでしょ。
与党は賛成で、野党は反対に決まっている。
部外者のわたしがあれこれいうのはさしひかえるけど、思うのは現代トルコの父と呼ばれるケマル・アタチュルク。
彼もそうとうに独裁的傾向を持った大統領だったようだ。
それでも彼は進歩的で、なにがトルコをグローバル化させ、国民を幸せにするかを知っていた。
権力者が強権を発揮するのイケナイかどうかは、権力者の資質によるところが大きいようだ。
エルドアンさんがエジプトのムルシーさんみたいに、権力を握ったとたんに世俗主義を放棄するとは思えないんだけど。
一介の旅行者であるわたしの希望はそのへんにかかっているんだけどね。

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2017年4月14日 (金)

似た者同士

寝ながら朝刊を読んでいたら、国際面は北朝鮮のぼんぼんと、アメリカのトランプさんの二大巨頭(二大虚頭?)の揃い踏みだ。
このふたり、似たもの同士で、ぼんぼんが身内だろうとなんだろうと、気にくわないという理由だけで粛清するならば、いっぽうのトランプさんは、娘婿と対立したってだけで腹心を更迭だ。

ウチの新聞はヒトのわるいところがあるから、意識して記事を並べたのか、たぶん偶然だろうけど、こういう乱暴なふたりがいま一触即発だ。
おたがいに後にひけない者同士だから、みんな固唾を飲んで見守っているところ。
でもトランプさんて朝令暮改の常習犯だからなあ。
そのうちぼんぼんとはひじょうに相性が合うなんて言い出さないともかぎらない。
相性が合うのは事実だろうから、世間があまりつまはじきにすると、いじけたトランプさんはぼんぼんと手を組んで、自分をいじめる世論に反旗をひるがえすかもしれない。
こんなトランプさんが早く失墜しないかと願う反面、ドンパチになったらおもしろいと、世間の大半の人たちが本音じゃそう思っているんじゃないか。

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バカバカしい話

その番組を視たわけじゃないから、どういう様子だったのかわからないけど、NHKのニュースの中で、日本の国旗が中国より下にあったのがケシカランと、自民党のなんとかいう議員が文句をいっている。
こういうのを「忖度」というんだけど、右翼が好きな安倍総理にゴマをすろうっていう魂胆が見え見え。
うまくいったら稲田サンみたいに防衛大臣に取り立ててもらおうって考えかもしれない。

たかが旗の上下ぐらいで騒ぐやつがいるか。
バカバカしいにもほどがある。
近所の小学校の運動会の万国旗でも、そのうちあそこが気にくわん、ここがけしからんと、アホなことを言いだす議員が出てきて、国会ってよっぽどやることがないのねと思われてしまうぞ。
わたしは現時点では自民党政治を支持する立場だけど、議員がこんなアホばかりかと思ったら、やはり秘密保護法なんかの将来に不安を感じてしまう。
ネタのルーツは産経だったから、おどろくことはないのかもしれないけど、あまり調子にのりすぎなさんな。

ああ、ほんとうに最近の世の中めちゃくちゃだ。
なんでこんなセコイ社会になってしまったのか。
トランプさんと北のぼんぼんのチキンレースもどうなるかわからないし、ひょっとすると幸運だったわたしの人生も先が見えた、つまりわたしの寿命ももうすこしで終わりってことかもしれない。

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2017年4月13日 (木)

実況中継

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ただいま自然観察園の近く。
風がちょっと冷たいけど気持ちがいい。
この写真に写ってないけど、すぐまえの緑地でどこかのおじさんが昼寝中。

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2017年4月12日 (水)

ピュリッツァー賞

今朝のウチの新聞がウレしがっていた。
ピュリッツァー賞の片棒を担いだってことらしい。

今回ピュリッツァー賞を受賞したのは「国際調査報道ジャーナリスト連合(ICIJ)」というところのチームで、受賞理由は例の「パナマ文書」ってやつだ。
世界中の金持ちたちが租税回避のために、いかに不断の努力をしているかをあばいたアレである。
こういう仕事はその国の権力者を告発する場合が多いから、産経や読売ではまずいというので、日本からのメンバーにはリベラルの朝日(と共同通信)が選ばれて参加している。
ウチの新聞の役割がいまひとつ見えないのは残念だけど、権力者の犯罪行為をあばくのはジャーナリストとして当然のことだから、ひさしぶりに朝日新聞がいい気分になっても、ここはまあ褒めてあげよう。
冬の時代といっても、やっぱりリベラル新聞の存在価値もすこしは残っているのだ。
がんばってチョーダイ。

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2017年4月11日 (火)

ユナイテッド機

日本の飛行機会社では考えられないこと。
ユナイテッド機で降りろといわれた客が、それを拒否したら、治安当局の係員にぶんなぐられてひきずり降ろされたってニュース。
わたしは昨夜の時点でもうこの映像を観たけど、いきなりケシカランとは思わなかった。
これは客のほうにも問題があったのではないか。
航空会社がそこまで手荒なことをしたくなるような原因を、客のほうがつくったのではないか。

こんなことを考えたのは、わたしが、飛行機会社がゼッタイにそんなことをするはずのない日本という国の住人であったこと。
おかげで最近はモンスターと呼ばれる手のつけられない迷惑客が、デパートや鉄道駅に出没して、困ったもんだと憂いている最中であったこと。
さらに、これはちょいとまえだけど、韓国のどこかの社長のドラ息子が、酔っ払って飛行機の中で暴れて、客室乗務員たちからロープで縛られるという事件があったばかりだということもある(ナッツ姫とはべつの事件だ)。

だから客のほうにも落ち度があったのではないかと思ったのだけど、今回はどうもそうではないらしい。
そのへんは世間の常識や司法の裁きにおまかせすることにして、また例によってわたしのくだらない思い出を。

じつはわたしもユナイテッド機を何度か利用したことがある。
西暦2000年6月の上海から帰国するさいのことだ。
どうせ飛行機は予約してあるんだしというわけで、ゆるゆると飛行場に行ってみたら、わたしのチケットを見たユナイテッドの係員がいっしゅんうろたえた(ように見えた)。
でも彼はすぐに落ちついて、もらった搭乗券でわたしが座席に行ってみたら、エコノミーではなく、ビジネスクラスの席だった。
こういうとき不安になるのが小心者のわたしである。
スッチーをつかまえて、いいんですかと聞いてみた。
スッチーはにやりと笑って、ウインクしながら何かいった。
もちろん英語に不如意なわたしのこと、なんていったのかわからなかったけど、あとで考えたら、いいんですよ、得しましたねといったらしい。

チケットさえあれば飛行機に無条件で乗れると思っているあなた。
飛行機はキャンセル客を見越して、座席を余分に発売することがあり、アメリカの飛行機会社ではこれは当たり前になっているという。
オーバーブッキングといって、このせいでたまに座席にあぶれる客もいるらしい。
今回のぶんなぐられた客もこのあたりが原因だったらしいけど、わたしの場合は至福感を味わった。
ビジネスクラスに座ったのは初めてだったので、まわりをよく眺めたら、スッチーも若くて金髪の美人ばかりではないか。
資産家と間違えられてくどかれたら困るなと、わたしは日本に着くまでずっと死んだふりをしていたくらいだ。

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死にぞこない

お風呂で死にかけたぞー。
昨夜は、わたしは熱い湯が好きで、いつもどおり熱めのお湯にどぼりとつかり、いい調子で体を温めたあと、体を洗うつもりで湯船から出たと思いたまえ。
バスチェアに座ったとたん、ぐらぐらっと異様な苦しさにおそわれ、前のめりになってしまった。
なんだなんだなんだ。

タオルに石鹸をぬりたくったものの、目のまえがぼんやりして、吐き気までして、とても体を洗おうって気になれず、荒い息づかいのままふたたび浴槽の中へ転がりこみ、これはひょっとするとひょっとするぞと思う。
まっ裸で発見されるなんて、あまりみっともいいものじゃないな。
いや、死んでしまえばなんだっていいか、などと切れ切れに考える。

いったい原因はなんだ。
とうぜん考えるのは脳梗塞だ。
ためしに腕を伸ばして、左右の人さし指を目の前で何度か接触させてみた。
これはべつだん異常がなさそう。
するとアレか。

必死で湯からはい上がり、キッチンの椅子にへたり込んで、テーブルの上に常設してある血圧計を手首にまきつける。
やっぱりというか、わたしとしては信じられない数値が出た。
平常値を通り越して低すぎる。
もういちど測ってみたらエラー、さらにもういちど測ってみたら、最初と同じ結果だ。

つまりお風呂に入って血圧を急激に下げすぎたらしい。
熱いお湯に入ると血圧が目に見えて下がるので、それがウレシイと、ときどき血圧を下げるために熱い湯に入ることにしていたんだけど、それはあまり体によくないよと知り合いからも忠告されていた。
それをじっさいに体験したのは昨夜が初めてだ。

よろよろとベッドに転がりこみ、ひと眠りしたあと、目をさまして、いまこれを書いている。
朝イチで血圧を測ってみたら、わたしの歳の正常値をほんのすこし下まわる程度。
脳梗塞ではなかったらしい。
まだ生かしておこうなんて、運命の女神はまだわたしに何かやらせようってのか。

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2017年4月10日 (月)

見栄っ張り同士

けしからん、大使を引き上げさせると息巻いて、しかし相手が稀代の見栄っ張りで、ぜったいに降参しない相手だと、泣く子となんとかには勝てんよと矛をおさめる日本。
だらしないというなかれ、わたしはこれでいいと思う。
こんな相手には、怒ってるんですよというポーズを見せるだけでいい。
お互いにどこまでも突っぱりあったらどうなるか。
その結果が近い将来に見られるかもしれない。

北朝鮮の挑発に鉄槌を加えると公言して、空母を日本海に派遣したトランプさんと、やれるものならやってみろの北のぼんぼん。
こちらはいずれ劣らぬ見栄っ張り同士だから、どっちも自分の方から先に白旗を揚げるわけにはいかない。
北朝鮮が核実験をしているのにトランプさんがなにもしなければ、人気は決定的に凋落だし、おどかされてぼんぼんが実験を止めれば、こちらは権威消失で、そのまま体制崩壊、殷の紂王の二の舞にもなりかねない。
これこそまさに究極のチキンレース。

こういう状態だから日本が駐韓大使をもとにもどしたのは正解だ。
それより心配なのは、にらみあう見栄っ張り同士、どちらも自分の言い分が通らないと、ヤケになってなにをするかわからない相手だからねえ。
北朝鮮のミサイルが東京を目標にしても、静岡や埼玉あたりにそれそうな気がするけど、だから安心てわけにはいかないし。

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夜桜

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いまはサクラの季節。
サクラって満開になると木のまわりに妖気がただようってのは、これは文学的修辞ではなく、ホントの話。
信じられない人は、満開になったサクラを、できるだけ枝をいっぱいに広げた古木がいいんだけど、ひと気のない夜に見に行ってごらんなさい。
闇の中の桜の木に、ぼうっとした雲気のようなものがまとわりついているでしょう?
こいつの正体はいったいなんなのか。

サクラというのは花期がみじかいから、短期間のあいだになんとか子孫を残したいという怨念が、こういうかたちであふれ出しちゃうんだろうと思っていることは、このブログでも書いたことがある。

こういう観念的な物質を感じられるのは、詩人か、あるいは古びたネコが猫又になるように、人生経験を積んだ年寄りだけの特権かもしれない。
わたしの場合、詩人というにはおこがましいから、やっぱり経験のほうだろうな。
むかし読んだ梶井基次郎の小説には、「桜の下には死人が埋まっている」というフレーズがあったけど、作家というものは詩人の要素もそなえている場合が多いから、彼は若くしてこういう空気を感じることができたのだろう。

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日本にはサクラの登場する文学作品が数え切れないくらいある。
むかしはウメのほうが多かったらしいけど、最近ではサクラのほうが多いのではないか。
女の子の名前だって、サクラというとモダーンだけど、おウメさんというと田舎のおばあさんになってしまう。
今回はそんなサクラのおぼろさを描いた小説で、わたしの記憶に残っているものを紹介してしまおう。
谷崎潤一郎の「少将滋幹の母」。
滋幹は"しげもと"と読むんだからね、え、お若いの。

さいわいいま谷崎文学は、ネット上の青空文庫でタダで読むことができる。
それを図々しくコピペしてしまうのだ。
ただし、近代文学ではあるものの、原文のままではわたしでも読みにくい部分があるので、すこしだけ、小説の情緒を失わないていどに改変してある。
ぜんぜんおもしろくないという人がいるだろうけど、そりゃ想像力の欠如だな。
文学というものはしょせん、たんなる文字の羅列で、人間を空想の世界にいざなう道しるべにすぎないものなのだから。

ふとむこうを見ると、谷川の岸の崖の上に、一本の大きな桜が、周囲にただよう夕闇をははじき返すようにして、爛漫と咲いているのであった。
あたかもそれは、路より少し高い所に生えているので、その一本だけが、ひとり離れてそびえつつ傘のように枝をひろげ、その立っている周辺を艶麗なほの明るさで照らしているのであった。

土の上はしっとりと湿っていて、空気の肌ざわりはつめたいのだけれども、空は弥生のものらしくうっすらと曇って、朧々とかすんだ月が花の雲をとおして照っているので、その夕桜のほの匂う谷あいの一角が、まぼろしじみた光線の中にあるのであった。

今宵こよいの月はそこらにあるものを、たとえば糸のような清水の流れ、風もないのに散りかかる桜の一片ひとひら二片、山吹の花の黄色などを、あるがままに見せていながら、それらのすべてを幻燈の絵のようにぼうっとした線で縁取っていて、何か現実ばなれのした、蜃気楼のようにほんの一時空中に描き出された、眼をしばだたくと消え失せてしまう世界のように感じさせる・・・・・

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この小説は平安時代が舞台なので、まだソメイヨシノは存在してなかったはずだけど、ここはやっぱりソメイヨシノでなくちゃ話にならないと、強引に主張しておく。
わたしの住む大沢村が、かくれたサクラの名所であることはこのブログで広報ずみで、ここに載せた写真は、いちばん上が基督教大学の校内のもの、あとの2枚はウチの近所のものである。

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2017年4月 9日 (日)

試算

築地の移転問題で、都のプロジェクトチームが、築地を改修するなら734億円の費用ですむという試算を出したそうだ。
もっとも、このプロジェクトチームが公平で客観的なものかというと、座長のもと大学教授さんは、最初から築地改修案を示していた人らしいから、かならずしもそうとはいえないようだ。

もうとにかく、右や左の主義主張をもった人たちが、はたからいろんなことをいうもんで、おかげでまたユリコさんが混乱しそう。
また結論が先送りで、都民の負担が増えてしまいそう。
どっちに転んでもそれで日本が崩壊するってことはない問題だから、わたしはあまりつべこべいわないことにするけれど。

でもひとついいたいのは、こういう試算て、最初の見積もりの範囲内で収まったことがあるのかということ。
オリンピックの競技場にしても、ほかならぬ豊洲の移転費用にしても、あれよあれよという間に費用がふくらむのが当たり前。
予想外の費用がかさんだとか、建設資材が高騰したとか、いつも決まったような言い訳ばかりして、それで見積もりを出した張本人が処分されたって話も聞いたことがない。

やはり試算をした責任者にはきちんと責任をとってほしいやね。
最初の見積もりをオーバーしたら、孫の代まで公民権剥奪なんてのはどうだろう。
わたしたちの税金が億単位で消えていくんだから、このくらい責任はとってもらわなくちゃ。
こうすれば試算をするほうも、孫のためを考えてもっとマジメにやるだろうし、公民権がなくなっちゃ困るから、いきすぎるくらい余分な金額を算出して、見積もりがオーバーするどころか、お釣りがくることは間違いがアリマセン。

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逆効果

トランプさんが会食中に、習近平さんにシリアを爆撃したことを伝えたという。
いいか、オレのいうことを聞かないとこうなるんだ、と元気のいいところを示したつもりだろうけど・・・・いや、そうじゃないという人もいるかもしれないけど、これまでのトランプさんを見ていれば、たぶん恫喝したつもりのほうが正しいと思う。

これって逆効果だよな。
わたしが習さんなら、こいつはそうとうのアホだ、腕っぷしを見せつけるだけで、政策も戦略もあるわけじゃない。
そのうちずっこけることは間違いがないから、てきとうにあしらっておこうと考える。
人間にもいるよ、虚勢ばかりはって頭はカラっぽというのが。
こういうのを相手にするときは、慌てふためいたそぶりをし、おそれいりましたとおべんちゃらをいっておけばいい。
それでご機嫌なところは、北朝鮮のぼんぼんとよく似てる。

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2017年4月 8日 (土)

すねる

最近、保険の勧誘がはげしい。
こんなじいさんになんて奇特なと思ったけど、よく見るとケガをした場合、あるいはケガで死んだ場合の補償のみで、病気や病死の補償はついてないものばかりじゃないか。
なるほど。
わたしの歳じゃいつ死んでもおかしくない。
そんなものに補償はつけられないっていうんだな。
だまされないぞ。
長年加入していた保険も、ある歳をすぎると自動的に契約終了で、新規に入り直すと目ん玉が飛び出るくらい掛け金が高くなる。
そうかそうか。
ますます世間から邪魔者扱いを意識させられる昨今だ。
ふざけるな。
まだまだ元気で、年金をいっぱいもらって、社会に害毒をふりまくのだ。
そのくらいの元気がないと、迫害される側としちゃやっておれんよ。

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2017年4月 7日 (金)

アニメ・オタク

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日本のアニメのファンであるフィギュア・スケーターのエフゲニア・メドベージェワちゃん。
年甲斐もなくわたしは彼女のファンだけど、最近の国際大会で優勝したとき、彼女は自分のツィッターに、どうどうとアニメ・オタクと書いているという新聞記事があった。
こういうことがあると確認したくなるのがファンである。
 
調べてみたら、ほんとうに書いてあった。
ロシア語ではなく、英語である。
画像の赤い楕円で囲ったのがソレだ。
「オタク」という言葉が国際語だってのは本当だったんだね。

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下の写真は彼女のツィッターに載っていたもので、ふだんはこんなロングヘアで過ごしているらしい。
芳紀まさに18歳。
可愛いねえ、楽しい子だねえ。

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銃剣道

最近、中学の学習指導要綱に「銃剣道」が入ったってことが話題になっている。
なんでも反対する人たちからいわせると、これも教育勅語といっしょで、軍国主義に回帰するからケシカランということになるらしい。
いまさら軍国主義にもどったって、わたしみたいな年寄りが軍隊から頼りにされることはないだろうから、どうでもいいや。

自衛隊にいたことのあるわたしは、じっさいに銃剣道をやったことがあるので、今回はその思い出を。

自衛隊に入ったばかりのころ、長井の教育隊で銃剣道の訓練があった。
その第1回目で、教官が銃剣道の手本を見せるという。
おい、おまえ前に出てこいといって、ひとりの新兵(わたしもそのひとりだったけど)が前に呼び出された。
わたしたちは模範演技でも始まるかと思って神妙に聞いていた。

銃剣道は、面や胴、甲手をつけるところは剣道に似ているけど、防具の心臓にあたる部分のプロテクターが剣道より厚くて頑丈になっている。
つまり心臓をねらってポイントを稼ぐわけだ。
最初に銃剣(訓練用の木剣)を交差させて、合図とともに試合が始まるあたりは剣道に順ずる。
しきたりや礼儀についてはなかなかうるさいから、この点だけは学習指導要綱に取り入れられてもおかしくない。

「きええーっ!」
教官の手本は容赦がなかった。
気合いとともに木剣でひと突きされた新兵は、5メートルもうしろにふっ飛んでしまった。
たんなる模範演技と思っていたわたしたちは、教官の本気度に仰天し、これは鬼の教官だということで、だらけていた空気も一変した。

でも人は見かけによらないことがあるものだ。
やってみろといわれて前に出た新兵が、手順をまちがえた。
どやしつけられるとビビった彼が、も、もういちどやりますと口ごもると、教官がぼそっといったひとことが
あったりマ◯コの毛・・・・

緊張していたわたしたちは、吹き出すのをこらえるのにひじょうに苦労した。

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日本の皇室

ネットニュースを閲覧していたら、スペインの国王夫妻が来日中で、その歓迎式典が素晴らしいという記事を見つけた。
世界中に王室の残る国はいくつもあるけど、たいていはふざけている(もとい、くだけている)国が多く、日本のように王室が、ビクトリア朝の英国や、ロマノフ王朝のロシアのような原理原則を維持した国はないから、王室のない国、たとえばアメリカ人なんかはむやみに感動してしまうらしい。
日本人のわたしも日本の皇室がほめられて気分がわるいわけないけど、やっている(もとい、やらされている)皇族の人たちは大変だなと思う。

おりしも今朝の新聞に天皇退位後の皇后について、上皇妃という称号が決まったというニュース。
たちまち思い出すのはむかし読んだ本で、戦前に秩父宮が上高地を訪問したとき、案内をおおせつかった「常さ」という山男の話。
山男というのは世間の常識が通じない、いまでいうニートみたいなのが多くて、彼はこのとき同行していた秩父宮のお妃を、こともあろうに「おかみさん」と呼んで物議をかもしたそうである。

なにしろ戦前のことだから、これは不敬罪にあたる。
周囲がいっしゅん青ざめたとき、でも秩父宮はさばけた人で、まわりのおべんちゃらばかりにいいかげんうんざりしていたらしく、常さはおかみさんでかまわないとのたまったそうだ。
いい話である。

日本人はとかく杓子定規で、融通がきかない。
おかげで外国から尊敬されるのはいいけど、世界の王族のお手本をやらされる本人はたまらないだろうなと同情してしまう。

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2017年4月 6日 (木)

今年のサクラ

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今年のサクラもぼちぼち満開にちかい。
ひとつブログ用の写真でも撮りにいくか。
と思ったものの、あいにく今日はぼんやりした天気で、風も強い。
写真を撮るにはうれしくない天気。
それを逆手にとって、えい、ぼけた写真の特集だ。
でも最後に1枚だけ、ぼけてない写真も。

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2017年4月 5日 (水)

お節介?

ずっとむかし、わたしの友人で身障者の権利獲得のためのサークルに入っている男がいた。
そのこと自体は文句のつけようのない立派な行為である。
いろんな活動をしているそうなので、どんなことをしてるのかと訊いてみたら、身障者を含む数人で、いきなり映画館に押しかけて、バリアフリーや障害者用の椅子を設置しろと抗議するのだそうだ。
映画館も困っちまうよな。
そういうことは映画館でなく、国に対して抗議して、社会全体がそういう方向に進むように努力すべきだと思うんだけど、それじゃまだるっこいんだろうか。

ネットニュースを見ていたら、縁日の露店で、ゲーム機を景品にしたくじを大量購入して、当たりくじがないと抗議をし、そのようすを YouTube に上げたユーチューバーがいるそうだ。
どうも冗談の通じない人間が増えて困るねえ。
テキ屋の味方をしようとは思わないけど、300円のくじの景品は6000円までが上限という法律があるそうで、そんなくじで3万円もするゲーム機が当たると考えるほうがおかしい。

縁日のくじなんて、ウソがあることを、あるていど客も納得してやるべきもので、そんなものを暴露して正義づらするほうが不正義のように思えてしまう。
縁日の見世物小屋に「大イタチ」の看板が出ていたから、絶滅危惧種かと期待して入ってみたら、大きなまな板に血がついているだけだったって、それでもむかしの人はイッパイ食わされたと苦笑いしながら出てきたものだけど。

そんな映像を YouTube に上げるということは、これも最近はやりの、アクセスを稼ぐために手段を選ばない若者のひとりなんだろう。
と思われてしまうから、テキ屋にからむヤクザみたいなことをして、自分をおとしめることはやめたほうがいい。
それともこれも、棺桶に片足つっこんだ前期高齢者のよけいなお節介か。

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新しい門

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昨日の昼間、いつものコースに散歩に行ってみたら、自然観察園の門がリニューアルされていた。
だからなんだいといわれても困るけど、まあ、すこしはモダーンになりましたと。
園内ではいよいよ花の爆発が始まって、写真を撮るのも楽しい季節だ。
ちょっと肌寒い日だったので、サクラはまだ全開じゃないけれど。

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2017年4月 4日 (火)

まる呑み

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先日、インドネシアで人間をまる呑みして、おかげで腹を裂かれちゃった気のドクなニシキヘビがいたけど、ネット版のナショナル・ジオグラフィックに、その開腹手術の映像が載っていたよ。
閲覧注意だって。
やだねえ。

星の王子さまを思い出した。
主人公が、こわいでしょ、ときいてまわる。
「どうして、ぼうしがこわいんだ」
「ちがわい、これ、ぼうしなんかじゃないよ」
じつはヘビがゾウをおなかのなかでとかしている絵だったって、アレ。

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2017年4月 3日 (月)

スラブ叙事詩

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昨日は六本木の国立新美術館まで、アルフォンス・ミュシャの「スラブ叙事詩」を観にいってきた。
ミュシャというのは、以前このブログにも書いたことがあるけど、欧州でアール・ヌーボーという芸術運動が盛んだったころ、その中心で活躍した画家(版画作家)である。
「スラブ叙事詩」は彼の晩年の大作で、どのくらい大作かということは、添付した写真を見れば一目瞭然。
いっしょに行った知り合いは、美術館に行くときだけはわりあい絵の勉強をしてくる人だけど、彼女でさえ、えっ、こんなでっかい絵だったのと驚いていた。
そういえばこの人は、以前三鷹の美術館に行ったとき、えっ、ミュシャって男だったのと驚いていた人でもある。

この絵はチェコで冷遇されていた期間が長く、いまでもミュシャの子孫と国のあいだでゴタゴタが続いているらしい。
そんな絵が全部そろって国外で展示されるのは、今回が初めてだそうだ。
金持ち日本の住人で、しかもその中心都市に住んでいると、こういうめずらしい絵をひょいと観られるという僥倖にしばしばめぐり会う。

わたしはミュシャが好きだけど、理由は彼の描く女性が、完璧なプロポーションで、とっても美しいからである。
こんなことを書くと、不真面目な鑑賞方法だということで、これだけでブログを見放されてしまいそう。
でもミュシャのファンで、描かれた女性の美しさ以外の理由で、彼が好きだという人がいるかどうか、はなはだ疑問である。
アール・ヌーボーの有名なポスターだって、花や生きものをちりばめた華麗な装飾のまん中に、ガマガエルみたいな女性がふんぞりかえっていたら、誰がそんなものを観たがるだろう。

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とまあ前置きが長いのは、今回のミュシャ展が絵の大きさ以外に、それほどの感動をもたらしてくれなかったからだ。
わたしは旅行に行くまえに現地について徹底的に調べるけど、「スラブ叙事詩」についても美術館に行くまえによく勉強してみた。
この絵の解説の中には、場所や人の名前に固有名詞がたくさん出てくるけど、知っている名前はほとんどない。

考えてみたら、わたしはスラブ民族についても、ロシアやウクライナあたりに住んでいる人たち、というていどの認識しかなく、チェコ人のミュシャがスラブの末裔であることすら知らなかった。
ウィキペディアを読んでみると、画家本人はスラブ民族の誇りを描こうという大望を持っていたみたいだけど、結果的にはそれはかなわなかったみたいである。
こんなよけいな知識を持ってしまったおかげで、巨大な絵に対する尊敬の念がいくらか消失。

じっさいにながめたミュシャの絵は、絵の具が盛り上がるようなはげしい筆使いではなく、ポスターカラーであっさり描いたようなタッチだった。
人物や背景は写実的にに描かれているけど、神話、伝説がテーマであるだけに、どこか様式的というか装飾的というか、型にはまったところがある。
似たような絵はロシアやイスタンブールでも見たことがあるし、はったり満点のハリウッド映画のポスターでもよく見かける。

それでも巨大な画面に、遠近感のある180度の壮大な世界を描ききってしまうのだから、画家の技術はたいしたものだ、ということぐらいは誉めておこう。
「スラブ叙事詩」が、画家の運命を悲劇的に転換させたこと、そうしたドラマチックな背景は見逃されるべきではないことも、強調しておこう。

でもミュシャらしい、きれいな女の子にスポットの当たった絵はぜんぜんなかった。
いくらか失望してして帰ってきたけど、大枚3200円(知り合いの分も)払ったのが惜しいとは思わない。
ひさしぶりに都心に出て、原宿の駅から美術館まで往復し、いい足の運動になっただけではなく、サクラの季節を目当てに訪日した白人の女の子をたくさん見たもんね。

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2017年4月 2日 (日)

今朝のGLOBE

今朝の新聞のわりあい目立つところに、少女像、ニューヨークで人気者にという記事があった。
また例の少女像のことかと思ったら、こちらは牛に立ち向かう少女の像で、女性の地位向上を象徴するものだそうだ。
それでもアノ朝日新聞が載せると、だから慰安婦像も立てて問題はないんだといってるように思えてしまうのが気のドクなのか、本音なのか。

今日のGLOBE面は、時宜を得たというか、最近の韓国の事情が取り上げられていた。
でも反日候補ばかりが大統領選に立候補しているなんてことにはひとことも触れず、進学難、就職難や財閥の弊害などの国内問題がメインで、これだけでは韓国を冷静にながめているのか、非難をしてるのか、あるいは暗に肩を持っているのかわかりにくい。

これらのほかに、韓国人は新しモノ好きだとか、韓流が中東で人気だとかいうささやかな記事がある。
このふたつは無理にでっち上げた太鼓持ち記事のようである。
内容はよくにも悪くにもとれることなのに、結論は、だから韓国の未来は明るいということになっているからだ。

韓流が中東で人気があるといっても、それがどのくらいなのか、いちばんいいのは日本と比較してくれるとわかりやすいのに、ぜんぜん日本の数値が出てこない。
中東で韓国の化粧品が大人気で、輸出額が30億円だというんだけど、化粧品というとわたしには、日本の製品が途上国ではいちばん人気という認識があるから、日本の輸出額も知りたくなってしまう。
そういう誰でも知りたいことに触れないのだから、やっぱり朝日はということになってしまう。

でももっと大局的にながめてみよう。
今日のGLOBEを読むと、韓国がいろいろな問題をかかえているにもかかわらず、大統領選の候補者が、あいも変わらず日本叩きばかりをスローガンにかかげていることにへきえきしているとも受け取れる。
正義の味方、韓国の味方であるはずの日本の大新聞に愛想をつかされるなんて、韓国もいよいよ困った状況だ。
ほんと、朝日新聞は読み解くのがおもしろい。

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2017年4月 1日 (土)

またまたトロロ汁

ここ数日、寒い日が続いて、サクラもひっこんじゃったようだ。
現在の日本は、世界でもめずらしいくらい平和で、文化的にも見どころのある国だというわけで、昨夜も渋谷あたりは訪日外国人があふれていた。
サクラのかくれた名所である大沢村の住人としては、せっかく遠路はるばるやってきた外国人たちが、今週の日曜日を花見のピークと考えていたなら、ちょっと気のドクだ。
果報は寝て待てのわたしのほうは、たぶん来週中に、今年のサクラの写真をご披露できるだろう。

トロロ汁を作りすぎて、あいだに1回コンビニ弁当がはさまってはいるけど、今夜は連続4回目のトロロご飯だ。
トロロがあるとあまり食欲がないときでも食事がすすむので、ベジタリアンぎみのわたしには都合がいい。
しかしというか、やっぱりというか、弊害もあるみたいだ。
ここんところ目がしょぼしょぼして、潤滑剤が欠乏しているようである。
たまには肉も食べないとダメかねえ。
歳をとって、ますます肉がキライになってんだけど。

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