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2017年4月 3日 (月)

スラブ叙事詩

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昨日は六本木の国立新美術館まで、アルフォンス・ミュシャの「スラブ叙事詩」を観にいってきた。
ミュシャというのは、以前このブログにも書いたことがあるけど、欧州でアール・ヌーボーという芸術運動が盛んだったころ、その中心で活躍した画家(版画作家)である。
「スラブ叙事詩」は彼の晩年の大作で、どのくらい大作かということは、添付した写真を見れば一目瞭然。
いっしょに行った知り合いは、美術館に行くときだけはわりあい絵の勉強をしてくる人だけど、彼女でさえ、えっ、こんなでっかい絵だったのと驚いていた。
そういえばこの人は、以前三鷹の美術館に行ったとき、えっ、ミュシャって男だったのと驚いていた人でもある。

この絵はチェコで冷遇されていた期間が長く、いまでもミュシャの子孫と国のあいだでゴタゴタが続いているらしい。
そんな絵が全部そろって国外で展示されるのは、今回が初めてだそうだ。
金持ち日本の住人で、しかもその中心都市に住んでいると、こういうめずらしい絵をひょいと観られるという僥倖にしばしばめぐり会う。

わたしはミュシャが好きだけど、理由は彼の描く女性が、完璧なプロポーションで、とっても美しいからである。
こんなことを書くと、不真面目な鑑賞方法だということで、これだけでブログを見放されてしまいそう。
でもミュシャのファンで、描かれた女性の美しさ以外の理由で、彼が好きだという人がいるかどうか、はなはだ疑問である。
アール・ヌーボーの有名なポスターだって、花や生きものをちりばめた華麗な装飾のまん中に、ガマガエルみたいな女性がふんぞりかえっていたら、誰がそんなものを観たがるだろう。

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とまあ前置きが長いのは、今回のミュシャ展が絵の大きさ以外に、それほどの感動をもたらしてくれなかったからだ。
わたしは旅行に行くまえに現地について徹底的に調べるけど、「スラブ叙事詩」についても美術館に行くまえによく勉強してみた。
この絵の解説の中には、場所や人の名前に固有名詞がたくさん出てくるけど、知っている名前はほとんどない。

考えてみたら、わたしはスラブ民族についても、ロシアやウクライナあたりに住んでいる人たち、というていどの認識しかなく、チェコ人のミュシャがスラブの末裔であることすら知らなかった。
ウィキペディアを読んでみると、画家本人はスラブ民族の誇りを描こうという大望を持っていたみたいだけど、結果的にはそれはかなわなかったみたいである。
こんなよけいな知識を持ってしまったおかげで、巨大な絵に対する尊敬の念がいくらか消失。

じっさいにながめたミュシャの絵は、絵の具が盛り上がるようなはげしい筆使いではなく、ポスターカラーであっさり描いたようなタッチだった。
人物や背景は写実的にに描かれているけど、神話、伝説がテーマであるだけに、どこか様式的というか装飾的というか、型にはまったところがある。
似たような絵はロシアやイスタンブールでも見たことがあるし、はったり満点のハリウッド映画のポスターでもよく見かける。

それでも巨大な画面に、遠近感のある180度の壮大な世界を描ききってしまうのだから、画家の技術はたいしたものだ、ということぐらいは誉めておこう。
「スラブ叙事詩」が、画家の運命を悲劇的に転換させたこと、そうしたドラマチックな背景は見逃されるべきではないことも、強調しておこう。

でもミュシャらしい、きれいな女の子にスポットの当たった絵はぜんぜんなかった。
いくらか失望してして帰ってきたけど、大枚3200円(知り合いの分も)払ったのが惜しいとは思わない。
ひさしぶりに都心に出て、原宿の駅から美術館まで往復し、いい足の運動になっただけではなく、サクラの季節を目当てに訪日した白人の女の子をたくさん見たもんね。

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