この時代
もう故人だけど、作家の江國滋さんに「俳句とあそぶ法」という、俳句について書いたとても愉快な本がある。
今日は風呂に入りながらこれを読んでいた。
ある箇所に、「月落ち烏啼いて霜天に満つ」という漢詩の一部が引用され、えーと、作者はだれだったかなと、もの忘れをなげいている江國さんがいた。
有名な漢詩だから作家の江國さんが知らないはずはないけど、ド忘れというのはだれにでもある。
わたしもいちじ中国に凝ったことがあるから、この詩のことは知っていた。
しかしずいぶん前のことだから、作者はと訊かれると、やっぱりうーんと考えてしまう。
答えはこの本に書いてあるけど、作者の名前を調べるのに江國さんはいくらか苦労したらしい。
日本の作家なら書斎に漢詩の辞典ぐらい置いてあるだろうけど、詩の全文をおぼえていたとしても、さて、どうやって作者名を調べたらいいだろう。
ことわっておくけど、この本が出版されたのは87年で、まだウイン95が発売されるまえ、ネットも普及しておらず、もちろんグーグルもウィキペディアもなかったころである。
いちばんかんたんなのは、作家仲間に電話して聞いてみることだ。
しかしそれは作家の矜持が許さない。
とりあえず李白や杜甫あたりから始めて、たぶんこのころと思われる詩に、かたっぱしから当たってみるか。
漢詩にかぎらないけど、言葉の断片を使って、それを書いた人を突き止めるのは少々手間がかかる。
そういう時代だったのである。
しかし現在のわたしはぜんぜん苦労しない。
わたしは上記の漢詩に使われている言葉をいくつかおぼえていた。
ちなみにグーグルで、「故蘇城外」「寒山寺」を検索してみよ。
これだけでこの漢詩の作者は「張継」 で、タイトルは「楓橋夜泊」であることがたちどころにわかってしまう。
調べるのに5分とかからない(ものをいうのはキーボードを打つ速さだけだ)。
しかもわたしはベッドにだらしなく寝転んだままこれを調べたので、書斎や図書館に出向いたわけじゃない。
ほんとうにわたしはいい時代に生まれたものだ。
インターネットがなかったら、わたしがほとんど10年もブログを書き続けられたはずはないし、自己陶酔にひたることもなかったはず。
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