今朝のイヌ
わが愛しのワンちゃんは、電信柱を見つけると片足をあげてオシッコをするくせがあるんだけど、ややもすると残りの足で体をささえられず、腰くだけになってしまうことがある。
やっこさん、もう後ろ足がへなへなになっているのだ。
その点ではわたしもイヌのことをいえない。
よそから見ると人間がイヌを散歩させているようにみえるかもしれないけど、イヌとヒトという外側のかたちをとっぱずせば、ふたりの老人がよたよたと歩いているみたいである。
日曜日の「ダーウィンが来た!」って番組に、アフリカのナミブ砂漠に生きる、めずらしい砂漠ライオンが取り上げられていた。
野生の世界というものはどこでも過酷なものだけど、この番組の中に年老いてケガをして、骨と皮になったまま飢え死するライオンが出てきた。
ライオンというのはわりあい互助精神のある動物だけど、それでも足がおとろえたら、同情してくれる仲間はいないのである。
ずっとむかし、このブログに、草食動物の末路はかならず肉食動物のエサであり、肉食動物の最後はかならず飢え死にであると書いたことがある。
わたしの散歩相手は犬缶しか食わないけど、いちおう肉食動物の範疇に入る生きものなので、たまたま人間に飼われて飢え死はまぬがれているものの、ぼちぼち死を覚悟しているかもしれない。
イヌにはそんな複雑な思考はないって?
しかし、これは思考ではなく本能である。
むかし競馬場で足を折ったウマが、その瞬間絶望的ないななきを上げて、解説者が、競争馬というのは骨折したら、それだけでもう自分の運命がきわまったことを察知するんですよといっていた。
わたしのワンちゃんは、そういうことを真剣に悩んでいるようすがないけれど、足のおとろえたイヌはもうあまり長く生きられないと聞いたこともある。
わたしと散歩しているさいちゅう、あるいは帰宅した直後に、やっこさんが心筋梗塞かなんかでポックリいったら迷惑だ。
そうなってもわたしの責任ではありませんよと、昨日は飼い主にダメを押しておいた。
トランプさんの失脚か、北のぼんぼんの成人病か、わたしの寿命かってところに、さらにもう1匹が加わって、混沌とした四つ巴なのだ。
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