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2017年10月

2017年10月31日 (火)

今朝の新聞(スポーツ欄)

今朝の新聞のスポーツ面で、ジャーナリストの池上彰さんが、韓国の若者のおかれたシビアな状況について書いている。
ウチの新聞がいくらぼろくそに書いても、過当な就職競争、進学競争に揉まれる韓国の若者に比べたら、日本のほうがすっとマシ。
日本では若者の多くが自民党を支持しているというのもうなづける。

韓国ではどうしてそんなに競争がきびしいのかという理由も書いてあった。
ひとにぎりの財閥が富を独占し、財閥系企業に入れなければ人にあらず、みじめな未来が待っているだけ。
財閥に入れなかった若者は、安定した公務員をめざすから、こっちも狭き門だ。

日本なら大企業がダメなら中小企業に入ったって、そんなにひどい格差が生じるわけじゃない。
わたしみたいな絶望的な負け犬だって、ちゃんと食っていけるのに(いまだ家なしの独身というのはべつの要因です)、韓国の若者にはそういう選択肢はないのだろうか。
どうして韓国の財閥って、そんなに自分さえよければいいと考えるのか。

ここで財閥の言い分を。
韓国では労働組合の力が強く、財閥系企業で働く労働者はみんな高給取りだ。
それでもまだ給料が安い、休みが少ないとしょっちゅうブウたれる。
こういう社員を養う財閥も大変だ。
上から下まで高給をもらおうと思ったら、いくら儲けても足りるわけがない。

そういうわけで、韓国の財閥は天井知らずで儲ける。
それを政府は黙認する。
もちろん黙認には上納金も必要だ。
中小企業は見捨てられたも同然で、これじゃ健全な資本主義とはいえない。
どこかいびつだよな。
これは財閥の責任というより、たとえば北朝鮮のぼんぼんにいつまでものさばられる、朝鮮人全体の意識の問題かもしれない。

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2017年10月30日 (月)

内陸水路での小さな出会い

ずっとむかしにテレビを点けたら、たまたま日本人と欧米人がなにか対談をしていた。
ふたりともどこかで見た顔だけど思い出せない。
ただ、ひじょうに知的な顔をした欧米人に比べると、日本人のほうはどうしても貧弱である。
そのうちこの日本人は大江健三郎であることを思い出した。
ノーベル賞作家を貧弱といっちゃ申し訳ないけど、もう30年も前のことで、当時はまだ健三郎サンも若く、いまほど貫禄がついていなかったのだ。

健三郎サンのことはいい。
このときの対談相手がアメリカの作家カート・ヴォネガットで、知的で魅力的な風貌の人だったことを記憶している。
こんなのと対談させられた健三郎サンのほうが気のドクである。

風貌のこともいい。
先日、ヴォネガット原作の「スローターハウス5」という映画が放映されたので録画しておいた。
映画はざっと早送りで観たけど、難解で、つまりわけのわからないものだったので、これもいい。

わたしはヴォネガットのファンである。
といっても彼の小説はほとんど読んだことがない。
読んだのはサンリオ(現在はハヤカワに移ったようだ)から発売された「ヴォネガット大いに語る」というエッセイ集だけ。
こころもとない読書歴だけど、これを読んだだけで作者がそうとうの皮肉屋、諦観主義者であることがわかった。
ヴォネガットは大戦中にドレスデンで捕虜生活を送り、そこで連合軍の爆撃で街が壊滅するのを目撃した。
すぐれた知性が悲惨なものを目撃すると、皮肉屋になるのは当然の帰結らしい。

エッセイ集のなかでいちばんおもしろかったのが、「内陸水路での小さな出会い」という、文庫本で16ページほどの短編だった。
知り合いのクルーザーの回送を手伝って、米国の東海岸にある水路を航海したときの紀行記だけど、ちょっとした海洋小説のおもむきがある。
わたしはこれに匹敵する海洋小説を、メルヴィルの「白鯨」や、ジャンルは異なるけどダーウィンの「ビーグル号航海記」、さらに別ジャンルで開高健の「オーパ!」ぐらいしか思いつかない。

小説の感想文に頭を使っても一文にもならないから、これ以上説明しないけど、おもしろい海洋小説を読みたかったら「内陸水路での」を読んでみたらいい。
分量をパーセントにしたらほんのわずかなので、新品の本を買ってまで読めとはいわない。
図書館か、オークションで古本を探すこと。

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2017年10月29日 (日)

青森/鯵ヶ沢

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津軽平野をうろうろしたあと、思い出のある鯵ヶ沢というところへ行ってみることにした。
その思い出というのが、若いころ、仕事でこのあたりに来たことがあるというだけ。
そのときおぼえているのは、海を見下ろす街道沿いに焼きイカを売る屋台が並んでいて、純情青年だったわたしは、若いきれいな娘のいる店に入れず、そのとなりにあったおばあさんのやってる店でそれを食ったということ。
なにしろ40年以上前の話で、はにかみ屋だったんだよね、当時のわたしって。

おどろいたことにその店がまだあった。
屋台よりいくらか立派な店になっていたけど、海を見下ろす街道沿いということで、まちがいがない。
おばあさんはとっくに亡くなっただろうけど、あのときの娘はどうなっただろうと、今回の旅でゆいいつ感動らしいものがあったのはココだけ。

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その後、鯵ヶ沢にある「海の駅」に立ち寄ってみた。
こういうところで地元産の海産物を見るのは楽しい。
むかし来たころはもっとひなびた漁港だったと思うけど、いまではこのあたりにも新建材の住宅が増え、地元の奥さんまでが料理の材料を買いに来ていた。

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時間をもてあまして、港の岸壁に行ってみた。
雨はまだぽつりぽつりと降っていて、空も海もどんよりとしている。
イカ釣り用の集魚灯がならんだ漁船のかたわらで、釣りをしている人たちがいた。
イワシのような小魚が入れ食いで、カモメや野良猫がおこぼれを待っているのがおもしろかった。

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さて、つぎはどこに行こう。
むかしの訪問では、弘前から鯵ヶ沢に向かう街道ぞいにリンゴ畑が多かった。
リンゴ畑のあいだに番小屋のような建物が建っていて、それが欧州のどこかのような変わった景色だと思った記憶がある。
それをもういちど確認しようと、弘前方面に向かって走ってみたけど、どうも雰囲気がちがう。
景色というものは天候によって劇的に変わるものである。
わたしたちが想像するスペインや南仏の風景は、雨の日にはけっして見られないものなのだ。
あの日あのとき見た景色の再現は不可能だろうと考えて、とちゅうで引き返した。

この間、わたしは岩木山のちかくを走っていたはずなのに、それはとうとう一度も姿を現さなかった。

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2017年10月28日 (土)

青森/津軽平野

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大間のマグロの翌日は雨になってしまった。
それでもレンタカーは2日間借りてあったから、この日は津軽をうろうろしてみることにした。

津軽に思い出なんかほとんどないんだけど、知識としては作家・太宰治のふるさとであることぐらい知っている。
そうかといってべつに太宰に興味があるわけでもない。
このへんが自分でもよくワカランだけど、よっぽど入れこんだ有名人でないかぎり、わたしはその生家だとか記念館なんてものを無理に見たいと思わない人間である。
人々が有名観光地や名所旧跡に押し寄せる心理もわからない。

それじゃなんのために旅行をするのだといわれそう。
具体的な物件に興味はないくせに、ばくぜんとそのあたりを徘徊して、全体の雰囲気を感じ取るようなことは好きだ。
だから外国に行ったときも徹底的に歩きまわる。
それこそ路地裏や汚い市場にまで首を突っ込んで、現地の生活を肌で感じるということはする。
わたしの旅はたいていそういうものである。

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というわけで、青森市内から田舎道、山の中の道をひた走って、右が金木町という標識にぶつかったときも、それじゃあ右に行こうかとは思わなかった。
太宰のファンにはもったいない話だけど、そのへんで車を停めて自動販売機で缶コーヒーを買っただけである。
場所はちょうど津軽平野のへりにあたる農村で、背後に小高い山並みが続き、目のまえは秋の取り入れ直前の、目路はるかに広がる稲田だった。

ちょっとなつかしい気持ちがした。
というのはこのあたりの景色が、わたしの生まれ育った北関東の農村風景によく似ていたからである。
わたしの郷里では、東京に近いせいもあって、もうむかしの風景なんてほとんど残ってないけど、この津軽ではまだ古い景色がそのまま残ってるようだった。
あの雨にぬれた稲のあいだを、子供のころのわたしが走っていないだろうか。
そんな詩人のこころもちになる気分のほうが、太宰治記念館を見るよりずっと価値があった。

津軽平野は広い。
雨のおかげで遠方がかすんでいたせいかもしれない。
道祖神のある一本松のたたずまいなんて、日本の原風景といっていいんじゃないか。
この日、太宰の思い出のなかによく出てくる岩木山はぜんぜん見えなかった。

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2017年10月27日 (金)

昨日と今日

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昨日はめずらしくグループで山登りに行ってきた。
山というのが飯能にある標高195メートルの天覧山と、271メートルの多峯主山(とうのすやま)。
ひと桁まちがえているわけじゃない。
わはは、これなら楽勝だと、怠惰な生活におぼれている高齢者が6人ばかり参加。
それで腰が抜けたとはいわないけど、日本アルプスに登ったこともあるわたしも、けっこうくたびれた。

添付した写真は、帰りに入間川にかかる堰堤の上で。
傘のようにおおいかぶさっているのはレンズのハレーションで、撮られたのはくたびれたメンバーのひとり。

ところで今日の夕刊で慰安婦の資料が、ユネスコの「世界の記録」への登録が見送られたとか。
べつの箇所には韓国の大学教授が書いた「帝国の慰安婦」という本が、名誉毀損で有罪だそうだ。
同じ夕刊にはまたしつこくモリカケ問題が載っているけど、それほど執拗な朝日新聞が、どうしてこういう問題が起きた場合、慰安婦はうちの誤報でしたと説明しないのだろう。
彼らにはその義務があるはずだ。

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2017年10月26日 (木)

青森/大間

もう帰ってきてから2週間以上にもなるのに、ぽつりぽつりと続きますよ、わたしの青森の旅。

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けっきょくのところ、わたしが青森くんだりまで出かけた理由は、本州最北端の大間で、あのマグロの大間で、マグロ丼を食ってくることだったかもしれない。
わたしは海鮮料理が大好物だから、それはそれでいいんだけど、味覚なんてものに繊細な神経を持っているわけではないから、味についてはエラそうなことをいえない。
値段が高かった、量が多かったというようなことならいえる。

大間のマグロ丼は3000円だった。
ウチの近所にあって、わたしが愛用している居酒屋なら750円だ(ランチタイム)。
でもそれは本場の現地で名物を食べるという、付加価値税がついているのだから文句はいわない。
たっぷりした厚みのマグロの切り身が、どんぶりの中に、ニ重三重に重ねられていて、ひさしぶりに豪快に堪能したっけが。

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YouTubeでわたしが贔屓にしている「Only in Japan」のジョン・ドーブ君が、まさにわたしが行った店でマグロを食べてる映像がある。
大間のマグロについては彼の映像を見たほうが早い。
店の壁にベタベタとマグロのブランドステッカーが貼られていて、ドーブ君はそれを背中にしてマグロを食べているけど、わたしそれを正面に見ながら食べた。
時間差を無視すれば、わたしと彼は同じテーブルに向かい合って、マグロに舌鼓を打ったわけだ。

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満腹して店の外に出ると、海をのぞむ岸壁上にレストハウスがあり、本州最北端の碑と、過去に築地で最高値をつけたマグロの実物大のモニュメントが置かれていた。
目の前は津軽海峡で、その向こうには北海道の函館がもう目睫の間だ。
ここにはやはりま冬に来るべきだったと思う。
おまえはいったい何をしているのかと、またしてもわたしに問う何者かがいる。

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2017年10月25日 (水)

ビートルズ世代

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また銀座の画廊で、幼なじみのカトー君の版画作品が見られるというので、急に思い立って出かけてきた。
31日までやっているそうだけど、この週末は用事があって行けそうもないから、急に思い立ったのである(場所はINOAC銀座並木通りギャラリー)。
ここに載せたのは彼の作品で、描かれた(彫られた)のはだれでも知ってるあのふたり。
カトー君は時代を超越したビートルズ・フリークなのである。

ビートルズの絵というと、わたしはエアブラシを使ったイラストで知られるアラン・オルドリッチという画家の「The Beatles Illustrated Lyrics」という画集を思い出す。
これはビートルズの歌の歌詞に、オルドリッチや他の画家のイラストをそえたもので、1969年の発売当時は世界的な話題になったものだった。

評判を聞いてわたしもさっそく銀座の洋書店イエナに駆け込んだ。
ありますかと訊くと、あるにはありますがという返事である。
煮え切らない理由は、入荷した本はすべて売り切れ、たまたま残っていたのが、見本として置いてあった、垢だらけのすり切れた本だったせいだった。
つぎの入荷を待てばいいのに、早く見たいという頑是ない事情から、わたしはそれを正規の値段で購入してしまった(2枚目の画像は、左が本の表紙で、右がオルドリッチ)。

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あれからン十年、その本もとっくに処分した。
まだパソコンも普及する以前の話で、いまならすべてのページをスキャンしておく手もあったものを。

調べてみたら、この画家は今年の2月に亡くなっていた。
ビートルズの主要メンバーもすでに2人が亡くなっているし、昭和は遠くなりにけりである。
いったいわたしたちの世代にとって、ビートルズとはなんだったのだろう。

ラジオからビートルズの歌が聴こえ始めたのが、60年代の初めごろで、これはわたしが中学生のころだから、わたしのこころの形成期におそろしいほどぴったりと一致している。
人間が食べたり走ったりという生きるすべを覚え、つぎの段階で精神的な成長に必要なものを吸収し始めるのが、小学生の後半から中学生にかけてだと思うからである。
そんなときにビートルズが登場するなんて、これは偶然だったのかと、わたしはいまでもときどき考えてしまうことがある。

現実のビートルズのメンバーはさておいて、観念的な意味での彼らが、さまざまな芸術を愛するこころを育て、人生をこのうえなく豊かなものにしてくれたことを、わたしは疑わない。
わたしは挫折し、カトー君は大成したけど、わたしたちの遺伝子には、まちがいなくビートルズのDNAが組み込まれているのだ。

Hello, Goodbye
こんにちは、さようなら。

わたしは自分と同じ年代の人に、そろそろ終活をしておいたほうがいいよといつも勧める。
首くくりの足を引っ張るようで、非常識といわれかねないけど、まだまだ元気だ、100歳まで生きなさいなんて、相手を励ますようなことはいわない。
人間だれしも身のまわりを整理して、やりたいことはすべてやり終えて、こころおきなくあの世に旅立つほうがいいに決まっている。
すでに功なり名を遂げたカトー君が、ビートルズを彫ろうと思い立ったのは、それが彼にとってやり残した最後の仕事だったからかもしれない。

A day in the life.
長い人生のなかの1日、それは明日かも知れないけど、お互いにその日を大切にしよう。

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2017年10月24日 (火)

ムチャな願望

ネットニュースを見ていたら「野党一本化なら63選挙区で勝敗逆転、得票合算の試算」だって。
こういうアホな記事を書くのは、と思ってソースを見たら、やっぱり朝日新聞だった。
各野党候補の得票を単純合算したと書いてあるけど、そもそも前提からしておかしい。

野党一本化ということは、まず前原クンの希望の党への移動工作がぜんぜんなくて、民進党が分裂せずに野党に加わったと考えなければいけない。
移動工作がなければとうぜん排除発言もなくて、希望があれほど人気失墜することもなかったはず。
ジリ貧の民進はそのまますなおにジリ貧になって、同情票を集めることとなった立憲民主という党も存在しなかった。

こう考えれば結果はぜんぜん違っていたはずである。
なにがなんでも野党を勝たせたいというムチャな願望が、優秀な朝日新聞をして往々にこんな間違いを書かせる。
リベラルだからなにを書いてもいいわけじゃない。
もうすこし国民に冷静な判断をもたらすような記事を書くべきじゃないか。

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2017年10月23日 (月)

青森/恐山

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さて、下北半島の代表的な観光スポットなら恐山がある。
しかし無神論者のわたしはこういうところがキライである。
似たような場所は箱根の大涌谷や、草津温泉にもあり、むかし南アルプスの地蔵岳に登ったときには、山頂にお地蔵さんが並んでいる不気味な景色を見たおぼえがある。
いくら不気味といったって、地獄も三途の川も信じてないわたしが、そんなものに感動するはずがないのだ。

でもレンタカーのナビを見たら、恐山はむつ市から大間へ行くちょうど途中じゃないか。
これじゃ寄らないわけにいくまいと、観念して車を走らせた。
平日だからか、あるいはいつもそうなのか、この道は車にめったに出会わないひっそりとした山道で、有名な霊地としてはちと意外。

山道を走ること30分ぐらいで、恐山のすぐ近くにある宇曽利山湖のほとりに着いた。
車を停めて車外に出てみると、ぷーんと硫黄の臭いが鼻をつく。
遠方に寺院らしい建物と駐車場が見える。
また大湊で見たレーダーサイトのある山が、ここからはそれを裏側から見ることになる。

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恐山菩提寺まで行ってみた。
期待せずに立ち寄ったくらいだから、もちろんおもしろいとは思わない。
風ぐるまの写真に象徴されるよう、この寺は水子を多く祀ってあるらしいけど、男のわたしにはそんなものを流したという罪の意識もないし、誰かの菩提をとむらうといったって、そもそもあの世を信じていないのだから話にならない。

入場料を払って境内に入ってみると、わたしと前後して、欧米人の太った娘が歩いていた。
え、カノジョー、どこから来たのと声をかけようかと思ったけど、わたしは還暦をすぎたじいさんであることを思い出して、やめておいた。
あいかわらず煩悩の鬼を断ち切れてないわたし。

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境内に木造の温泉小屋があり、のぞいてみたら男性がひとり入浴していた。
熱いですかと訊くと、ちょうどいいですという返事。
ちょうどというのはどのくらいなのか、靴下をぬぐのがメンドくさくて確認してみなかった。
女性用の湯屋はべつにあるけど、欧米人の娘も確認しなかったようだ。

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ここにはイタコというものが存在している。
死者のたましいを呼び出して、いろいろお話をさせてくれるもので、かってはマリリン・モンローを呼び出したこともあるという。
ウィキペディアによると、選択無形民族文化財というものになっているそうだから、あまりひやかすようなことを書くのは止めておこう。
境内に長屋のような建物があって、のぞいてみたら巫女の上っぱりを着たきれいなおばさんが、どこかの年寄りをまえにしてなにか語っていた。
あれがイタコらしいけど、べつに関心もないし、写真なんか撮って死者の降臨のジャマをしてもわるいから、さっさとその場をはなれた。

恐山については、ほかにとくに書くことともないので、興味のある人はグーグルかウィキペディアを参照のこと。
行ったという証明のために、写真だけは載せておく。

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選挙の結果

選挙の結果をみると、国民はきわめて質実に政党を選んだようで、さすがの朝日新聞も今度だけはポピュリスト選挙だったとはいえないだろう。
例によっていかにもインテリがいいそうな負け惜しみを並べているけど、そんなものは無視して考えてみよう。

たとえば民進党をごっそり希望の党に移そうとした前原クン。
野党を分断させ、結果的に自民党を利した張本人なんていわれているけど、彼にとってほかに方法があっただろうか。
最近の趨勢をながめると、民進党のままではジリ貧になることは目に見えていた。
そこでいまいちばん人気のある希望の党にまぎれこんで、とりあえず当選を確実にし、その後は数の論理で希望を牛耳ればいいというのは、生き残りが至上命題の党や議員としては、まあ、まともな戦略といえる。

希望のほうではユリコさんが、排除なんて言葉を使ったのがいけなかったと責められている。
しかしユリコさんにもほかの方法があっただろうか。
排除をせずに民進党出身議員を全員受け入れていたら、前原クンのおもわく通りで、その先はまた議論百出、なにも決められない政党になっていたことは確実だ。

今回の選挙で失敗した人たちに、あとからゴタゴタいうのは誰にでもできる。
しかし前原クン、ユリコさんにほかの方法はあったのだろうか。

仮定でものをいうのは危険だけど、しいていえばユリコさんには、他党の議員をいっさい受け入れず、希望の党の議員だけでこじんまりとまとまっている手があったかもしれない。
そうすれば都議会選挙に続いて希望の党の躍進で、野党第一党の座はまちがいなく、若狭勝サンの落選もなかっただろう。
そのうえで彼女は、もともと肌のあわない民進党が瓦解していくのを、ひややかに眺めていればよかったかもしれない。
さあ、どうだ。
勢力拡大の絶好の機会を逃すことが彼女にできただろうか。
オレならこうしたといえる人がいたら、ぜひそれを聞かせてほしいものだ。

希望に入れてもらえず、ヤケになった議員たちが新党を結成したら、これがなにがなんでも自民党がキライという人たちの受け皿になって、予想外の躍進をしたってことだけど、そもそも前原クンが奇手を繰り出さなかったら、立憲民主党の躍進もなかったのだ。
そう考えると、今回の選挙はきわめて平穏で、なるようになった選挙としかいいようがない。

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2017年10月22日 (日)

青森/青森港

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青森というと本州の最北端ということで、たとえば演歌の舞台として切なく歌われそう。
しかし冬ならまだしも、それ以外の季節に行ったら、青森市内にはぜんぜんそんな気配はない。
高層ビルが少ないから、空が広いなと感じただけで、たとえばわたしが2年前に行ってきた富山市ともたいして変わらない小規模な地方都市といったところ。

駅のすぐそばに海があり、湾を横切ってでっかい自動車用の橋がかかっている。
この橋の必要性があまり感じられないんだけど、これは日本の政治が津々浦々まで予算を配分していることの証明ではないか。
せっかく地方交付税をもらえるんだから、なくても困らないけど、あればいくらか便利になるから作っとけてなもん。
搾取と還付がバランスよく調和していて、いくらかいびつなところがあっても、日本の政治は文句をいうほどひどいものとは思えない。
ちなみにこの橋はベイブリッジというそうだ。

駅が海から近いのも当然で、かっては終点の青森までやってきた列車は、そのまま引き込み線で、青函連絡船に車両ごと乗せられて北海道に渡っていたのだ。
現在では連絡船は完全に廃止だけど、青森駅には当時の引き込み線の痕跡が残っている。

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わたしは到着した日にぶらぶらと港に出かけてみた。
港の周辺は公園になっていて、頭上をまたぐようにベイブリッジがかかっている。
橋の下に帆船の甲板を模したような木造の遊歩道が作られていて、散歩やジョギングをしている人たちがいた。
桟橋には青函連絡船だった八甲田丸が、ホテルになって係留されていた。
これは氷川丸がつながれた横浜港みたいでもあるけど、人影はこっちのほうがはるかに少ない。

ほかに、べつに感心するようなものもなく、漫然とぶらついてホテルにもどることにした。
帰りに駅の立ち食いそば屋に立ち寄って、フノリそばなるものを食べた。
東京でもよくあるワカメそばみたいなもので、立ち食いそばの中では、いちばん安い部類。

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2017年10月21日 (土)

恥を知れ

寄らば大樹の陰で、希望の党になだれ込んだ議員たちが、アテがはずれて、選挙後はまた立憲民主党に合流すべきだなんてほざいているらしい。
もともとユリコさん頼みだったくせして、集団指導体制にすべきだなんてこともいっている。
恥を知れ、クソどもが。
立憲民主党というのは、希望に入れてもらえなかったはみ出し議員たちが、苦し紛れに結党したもんじゃないか。
ユリコさんが排除をせずに、枝野クンまで受け入れていたら、彼も嬉々として希望に入党して、選挙後はまた民進党のゴタゴタが無限ループ・・・・・・

投票直前にこんなことを書きたくないけど、そういう事情を国民がちゃんと理解しているかどうか、もうすぐ結果がわかる。

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2017年10月20日 (金)

1枚の写真

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ちょとまえにネットの掲示板で一枚の写真を見つけた。
外国人が撮影したもので、日本の田舎景色がいかにこころを慰めるかというもの。
この左の写真がそうだけど、なるほどと感心したくなるいい写真である(写真の上でクリックすると大きくなります)。

ただ、日本は電信柱が多すぎるという非難もよく聞く。
それで電信柱をとりのぞいたらどうなるか。
デジタル写真の利点を活用してそれを消去してみた(右の写真)。
さあ、どうだろう。
日本に生まれてン十年のわたしには、電信柱がないとなんか間の抜けた景色に見えてしまうけど。

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きれいでしょ

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きれいでしょ。可愛いでしょ。
彼女たち。

あちらさんにも迷惑だろうから、登録を解除したはずなのに、いまでもときどきロシア人の嫁さん紹介しますって、写真つきのメールが迷い込んでくる。
こっちの写真を送ったおぼえはないのに、くっついてくるメッセージには、素敵な写真ですねとか、あなたはキュートですとか、なんだかやけにわたしの評判はいいようだ。
どうもその結婚紹介所のサイトはフェイスブックと連動していて、FBに貼ってあるわたしの若いころの写真が勝手に相手に流れているらしい。
責任はとりませんからね。
それだけロシア人は剛腕のプーチンに愛想をつかし、食べものの美味しい日本にあこがれを持っているわけか。

中にはわたしがもうすこし若けりゃりゃなといいたくなる美人もいるんだけど、相手の希望するこちらの年令が、わたしよりずっと下ばかりだ。
おまけにわたしって、ロシア語も英語もダメの無能力者。
失望させたくないから、いまのところすべて無視。

わたしのブログって政治問題にするどく切り込むブログなんだけど、ときどきこういうアホな話題をはさむから、誰にも信頼されないんだよな。

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2017年10月19日 (木)

青森/アパ・ホテル

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ホテルといえばアパ・ホテル。
中国や韓国では総スカンされているらしいけど、わたしの場合、とくにうるさいこともいわずにホテルを決めたら、たまたま当たったのがこのホテルだ。
事情を知らなければ、わたしみたいなひとり旅には、とりたてて問題のないホテルである。

事情というのは、このホテルのオーナーが極右主義者で、部屋に聖書やコーランの代わりに、南京虐殺はなかったとか、慰安婦は売春婦だったなんて書いた本をどうどうと置いていること。
でも、どうせふつうの中国人、韓国人に読めるわけがないし、安けりゃなんだっていいという極東アジアの客も多いようだった(最近のネットニュースによると、中国ではアパ・ホテルもまた予約できるようになったらしい)。

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夜中に風呂(小さなバスタブだ)に入って、ヒマだから置いてあった「理論・近現代史学」という本を読んでみた。
べつに、わたしにとって目新しいことが書いてあるわけじゃない。
誤解されちゃ困るけど、わたしは右の文書も左の文書も読んだことがあるということである。
世間にはこういう意見もあるのかと参考にしておけばよい。
こういう極端な意見でもどうどうと発言できる平和な日本に感謝しておけばよい。
逆説的に聞こえるかもしれないけど、こんな本がホテルに置いてあるかぎり、日本の表現の自由はまだまだ保障されていると思えばいい。

どうもホテルのオーナーは自分を売り込むのに熱心な人らしく、自分がいかに立志伝中の人物であるかを強調した本(マンガ)もあった。
他人の自慢話を聞かされるくらい不愉快なことはないけど、無理して目を通したわたしがわるいだけで、読む読まないはあなたの勝手。

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2017年10月18日 (水)

謀略

今朝のウチの新聞、もうなかばヤケっぱちで、政府をおとしめる記事をかき集めたみたい。
そのひとつひとつを指摘し、反論しても、こっちもヤケになりそうなので、あまり目下の政局には関係ないところを一席。

ロシアでニコライ2世を描いた映画が、ロシア正教会をまきこんだ騒動になっているそうだ。
ニコライ2世といえばロシア最後の皇帝で、革命によって家族もろとも銃殺されたのに、その後なぜか聖人に列せられた人物である。
そのニコライと若い踊り子の恋を描いた映画らしいけど、聖人を馬鹿にするなと正教会で言い出したのがことの発端だそうだ。
イスラム国や大量移民やロヒャンギのミャンマーに続いて、またしても宗教がらみの問題だ。
どうして最近の国民というのは宗教にこんなに敏感なのだろう。

だいたいロシア皇帝といったら、国民を搾取して豪華絢爛たる王宮を建設し、世界ではじめて社会主義革命をまねいた張本人じゃないか。
スタイルや髪型は異なるけど、北朝鮮の正恩クンとたいして変わらない専制君主なのだ。
それを人間くさく美化してあげるのがどうしていけないのか。
こんなことを書くとこのブログまで筆禍をまねくかも知れないけど、そういうことでもどうどうと書ける日本が、どうして表現の自由を侵害されている国なのか。
え、朝日新聞に聞いてみたいやというと、朝日もいいメイワクだろうけど、たかが映画である。
わたしはここになにか壮大な陰謀が隠されているような気がしてならない。

◎映画製作者/こんどの映画じゃアカデミー賞を狙いたいが、ロシアの映画じゃいまいち評判がよろしくない。
ここはひとつ、どかんと話題をかます方法はないか。
◎宣伝部/そうすな。どうです。
製作費を空前絶後にふっかけて、大作であることを強調するなんてのは。
◎映画製作者/それはアメリカの常套手段だ。ドルとルーブルじゃ対抗できんだろ。
◎宣伝部/それじゃあヒロイン役の不倫をでっち上げるなんてのは。
◎映画製作者/それは日本あたりがよく使う手だ。おもしろくもなんともない。
◎宣伝部/ロシア政府や正教会をまきこんで、いかにも映画をけなすように見せかけるなんてのは。
◎映画製作者/おお、そいつはいい。
その手も過去になんどか使われているけど、いまは宗教がらみがなんといっても世界の潮流だからなあ。
◎宣伝部/まかしといてくんなさい。
ロシア人というのはイスラムに負けないくらい宗教に熱心で、わたしの女房も部屋にイコンを飾って、メシのたんびにお祈りしているくらいですからね。

という宣伝工作の可能性もある。
でも、なにしろあのロシアだ。
おおらかな人が多いからね。
一部に過激な人がいても、国全体ではうちの新聞が大げさに取り上げるほどの問題になっていないような気がする。
これって映画を西側に売り込むためのプロパガンダじゃないか。
それよりもわたしんところへ、いまだに結婚したいというメールが舞い込むんで困ってマス。

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2017年10月17日 (火)

青森/つまらん

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今回の青森行きは急に思い立ったので、とくに目的があったわけではない。
目的のない旅というのはつらいものだ。
いったいわたしは青森まで何をしにいったのだろう。
いちおう出発まえに、「青森」「観光スポット」という言葉をキーワードにしてググッてみた。
まあ、青森にも他県なみにいろんな観光スポットがあることはわかった。

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でも桜の季節じゃないから弘前には行かない。
八戸の朝市はおもしろそうだけど、日曜日にうまく日程をあわせられるかどうか。
ねぶたが青森では有名だ。
しかし祭りはとっくに終わったし、混雑のキライなわたしが、祭りをやっているときそんなものを観に行くはずがないから、こういうものはぜんぜん期待できない。

青森市内に三内丸山遺跡がある。
これは司馬遼太郎の「街道をゆく/北のまほろば」に出てくる。
縄文時代のこのあたりは、同時代の日本のどこよりも豊かな土地だったというもので、東北というとむかしから冷害による凶作、飢饉という印象しかないわたしには、本のこの部分がつよく印象に残った。
とはいうものの、わたしは考古学にもたいして興味がないのである。
これもあまり期待できない。

山でいえば日本百名山に挙げられている八甲田山、岩木山がある。
八甲田は歩兵5連隊の大量遭難で、岩木山のほうは太宰治の愛読者にはよく知られた山だ。
もう山に登れるほど健脚じゃないけど、このふたつの山は遠くから眺めることぐらいできるだろう。
今回の旅は下北半島を重点的に見てまわるつもりなので、奥入瀬渓谷や白神山地は最初からあきらめた。

これじゃやっぱり大間のマグロしかないか。
大間に行くならとちゅう恐山に寄れるかも。
でもわたしは無神論者で、あの世もこの世も信じてないのだ。
そこへもってきてエセ地獄みたいな景色は、箱根や雲仙、南アルプスの地蔵岳のてっぺんでも見たことがある。
けっして無理に見たい景色じゃない。

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どうしてこんなにつまらないのだろう。
原因はやっぱりわたしがもう若くないってことだろうけど、それ以外にこの旅でしみじみと思ったのは、わたしみたいに好奇心につき動かされた旅人を満足させる場所は、もう日本にはひとつも残ってないんじゃないかということ。
どこへ行っても同じような風景と生活ばかりで、I can't get no satisfaction (オレは満足できない)なんだよ。

もちろん知性と教養にあふれた人なら、どんな場所にでも好奇心の対象を見出すだろうけど、単純なわたしは、不幸なことに海外旅行を知ってしまったのだ。
カリマンタン島やタイに匹敵するほど興味深いところを、わたしは日本ではどうしても見出せないのである。

いちおう到着した翌日からレンタカーを借りる予定で、その日の目的地は下北半島とそのとっつきにある大間、3日目に鯵ヶ沢から岩木山の周辺、4日目以降は現地で考えるということにした。
気がむけば五能線に乗って秋田に出るか、あるいはそのまま北海道に渡ってしまうかもしれないから、ホテルは3泊分しかとってなかった。

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2017年10月16日 (月)

ユリコさんと週刊文春

ひさしぶりに週刊文春を読んだら、ユリコさんが叩かれていた。
だからといって文春は保守ともリベラルともいえない。
この週刊誌は誰が勝とうと関係ない。
ようするに売り上げを伸ばしそうなおもしろいネタがあれば、右でも左でも叩くのだ。
だから相手に持ち上げたり、いったん落ち目になったらおもしろおかしく書いたりする。
朝日新聞のように確信犯でないだけ、罪が軽いかも。

今週号では、希望の党に入党しようという候補者を選別したのが命取りだったと、ユリコさんを揶揄していた。
しかし彼女が選別などせず、来たるものはこばまずで、けっきょく希望を民進党に乗っ取られれば、こんどは選別しなかったのがまずかったと書くだろう。
わたしはユリコさん嫌いだけど、彼女の判断はまちがっていなかったと思う。

いずれにせよ、都議会選挙が彼女のピークで、彼女の賞味期限は切れたのだ。
寄らば大樹の陰という候補をかき集めて、彼女はいったい何をしようとしていたのか。

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2017年10月15日 (日)

怖い絵展

雨の日曜日だ。
こんな日に山や海に行くほど若くはない。
たまには精神修養を積もうと、今日は上野の森美術館へ絵を観に行ってみた。
絵というのは「怖い絵」展というやつだ。
といってもゲゲゲの鬼太郎みたいなのではなく、斬首される英国女王ジェーン・グレイを描いたような、れっきとした名画である。
わたしはピカソよりもこういう想像をふくらませられる絵の方が好きなのだ。

入口まで行って引き返した。
雨の日だからすいているかと思ったら、観衆が長蛇の列だ。
ただいま並ぶと入場まで100分だって。
自慢じゃないけど、わたしは行列に並ぶのが大キライだ。
いっしょに行った相棒もそんなわたしの性格をよく知っているから、ふたりでさっさとあきらめて、帰りはまた回転寿司を食って帰ってきた。
くそ、世間にはなんてヒマなやつらが多いのだ。

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2017年10月14日 (土)

汚い部屋

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今朝の新聞で、アノ北欧の美貌のマンガ家オーサ・イェクストロムが家事代行を体験していた。
家事代行というのは、料金をもらって他人の家の掃除をするのだそうだ。
なんでもオーサの部屋もすっごく汚いのだそうで、プロの掃除の仕方を勉強することになったらしい。
勉強は他人がすることだから、わたしにはどうでもいいようなものだけど、これを読んで心づよく思った。

じつはわたしの部屋もけっしてきれいとはいえないのである。
しかしこれはマンガ家、もしくはそれをこころざす人間に共通した性格ではないのか。
美しいオーサもけっして例外ではないと知って、わたしの信念はますます不動のものとなったのだ。
わたしの部屋が汚いと非難する知り合いにいっておくが、独身男のくせに部屋をきれいにしている男がいたら、そいつはきっと変態だ。
銀行員は勤まるかもしれないけど、マンガ家にはけっしてなれない。
神経質で口うるさい人間に決まっているから、女性諸君は伴侶にしようなんてゆめゆめ思うべからず。

写真はオーサだけど、この顔で部屋が汚いということはなかなか信じられない。

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2017年10月13日 (金)

青森/大湊

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また順不同だけど、下北半島を巡っていたときのこと。
この半島にむつ市という街があり、むつ市の先に大湊 (おおみなと)という港町がある。
大湊と聞くとまたわたしの胸中になつかしい思い出がわきあがる。
といっても過去にこの町に住んだとか、この町出身の彼女がいたというわけじゃない。

むかし海上自衛隊にいたころ、横須賀 (じっさいには相模湾に面した長井)の教育隊課程を終了したとき、同期の仲間たちのあいだで、それぞれどこへ赴任するかが話題になった。
横須賀、呉、佐世保、舞鶴なんかは人気のあるところで、人気のないのが下北半島の大湊。
おまえは成績が悪いから大湊だなんて冗談をいう教官もいて、新兵だったわたしたちは一喜一憂したものだった。
さいわいわたしの赴任先は横須賀だったからよかったものの、大湊という地名はこのときに頭のどこかに刻まれた。

今回はいい機会、というより、とくにアテはないのだから、この町を見ていくことにした。

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大湊はとくに変哲のない明るい町だった。
冬に来ればもっと陰鬱なところかもしれないけど、まだ雪のかけらもない季節に来ると、伊豆や房総のどこかといわれてもわからない。
しいて特徴を挙げると、町の背後に、てっぺんに白いレーダーサイトのある釜臥山という山がそびえている。
わたしの赴任先が大湊であれば、朝な夕なにあの山を眺めていたわけだ。

ほかに変わったところはない。
いまの日本はどこへ行っても代わり映えのしない町ばかりになってしまった。
これがグローバル化というものかも知れないけど、好奇心を満たすために旅行をするわたしみたいな人間にはもの足りない。
海ぞいに埋立地のようなだだっ広い空き地があり、ドーム型のユニークな建物が建っていたけど、そんな景色が大湊を象徴するわけでもない。

それにしても遠くまで来たものだ。
これは東京から大湊までの距離ではなく、わたしが自衛隊にいたときからここまでの時間のこと。
そこにはすでに半世紀という時間が横たわっているのだ。
50年前の大湊ならどうだっただろう、そのころのわたしはどんな若者だったろうと、いくらか感傷的になって、わたしはレーダーサイトのある山を見上げた。

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2017年10月12日 (木)

いつまでも

いつまでもナメクジの写真なんか載せておくと、ますますこのブログの評判が落ちるので、今日3回目の更新だ。

なにがなんでもモリカケ問題で政権をおとしめようというウチの新聞のおもわくも虚しく、国民の方がよくこの問題に理解を示しているようだ。
今度の選挙、世論調査では自民党が有利なようだし、先日の報道ステーションの党首討論会では、45分番組のうち30分が森友・加計だったって、さすがに視聴者もあきれかえっているらしい。
リベラルだかなんだか知らないけど、人の足をひっぱるだけの報道は、とっくに国民からそっぽを向かれているし、それでも共産党が頼りにしているような人たちを頼りにしたいならそうしなせえ。

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ヘビとナメクジ

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散歩の帰りに見かけたもの。
ヘビはそろそろ秋の気配を感じて、わたしにまけないくらい物思いにふけっているようす。
彼かここまで大きく太くなるためには、いったいどれだけの生きものを丸呑みにしてきたのか。
オレってなんでこんな因果な性格にうまれちゃったんだろう。
しみじみと考えていて、みじろぎもしないから、じっと近づいてアップで撮ることができた。
ヘビはそれまで。

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さらに帰りに丸々とした大きなナメクジを見た。
ヘビってナメクジを食べないんだろうか。
と考えて、子供のころ読んだ血わき肉おどる少年向けマンガを思い出した。
ナメクジってヘビの天敵だよな。
ソースはガマの児雷也と、ヘビの大蛇丸(おろちまる)、ナメクジの綱手(つなで)の三すくみ。
少年のころからわたしは、ヘビはガマを追いかけ、ガマはナメクジを、ナメクジはヘビを追いかけるものと信じているのだ。

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またホトトギス

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また散歩。
をしているという証拠に、自然観察園で咲いているホトトギスの花の写真を。
9月10日に紹介したこぶりな花とちがって、これは正統派のホトトギス。
ちょっとむなしい気分があるので、歌でもひねろうかと思ったけど、メンドくさいから他人の歌を拝借して
      ほととぎす咲きつるかたをながむれば
                                    失意のこころに秋風ぞ吹く

むかしに比べると、自然観察園の手入れが行き届いてないような気がする。
今日見たものでまぶしいのは、基督教大学もしくはアメリカン・スクールの女の子たちの、観察園のわきをどたどた走る太ももだけだった。

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2017年10月11日 (水)

変わり身

今度の選挙では希望の党は躍進しない。
“風” はひとつの政党に、原則1回しか吹かない。
もうユリコさんは賞味期限切れだ。

こういったのはわたしじゃない。
愛知県の大村知事。
希望の党を応援して3知事で応援の街頭演説をするはずが、形勢不利とみて、わたしは参加しませんて。
そうだよな。
これが日本の政治家さ。
機をみて敏というか、変わり身の早いこと。

朝日新聞にぼろくそにいわれながらも、やっぱりまじめに政治をしてるのはアノ党だけじゃん。

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あいかわらず

今日のウチの新聞をみると、いたるところに森友だ、加計だと、しつこいくらい。
アベノミクスに効果があらわれれば、それでも庶民はそれを実感できないといちゃもんをつける。
そりゃ現政権をおとしめるのに、ほかに有効な手立てがないんだろうけど、これじゃいくらまじめにやっても報われないみたいで、政治家が気のドク。

消費税の増税凍結だとか、政治家優遇をやめろとか、なんとかしなくちゃいけない問題を先送りして、できそうもないことをあいかわらず公約にあげる政党に比べれば、よっぽどいまの政権の方がマシだと思えるのに、ただもうあいつは長くやっているからケシカランと、そういう新聞と国民をかかえて、はたから見ているわたしのほうがまた血圧200を突破しそう。

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青森/ぼったくり

青森旅行で変わった体験をしたので、順不同になるけど、その話からしよう。

Aomori

最後の晩は豪華にやろうと、駅から近いメインストリートのかどにある寿司屋に入ってみた。
ところが、あとでネットの口コミを見て知ったんだけど、これが青森一の悪評高い店で、わたし以外にも引っかかった客がたくさんいる店だった。
口コミにはちゃんと店の名前も出ているから、同じ轍を踏む人が出ないよう、わたしもはっきり店の名前を出す(画像参照)。
 
悪い点をいちいちあげへつらうのもナンだから、その口コミページにリンクをはって、酷評を一挙公開だ。
ここに書かれていることは、すべてわたしが体験したまんま。
 
こういう店のあり方について考えよう。
飲食店の場合、安い値段で美味しいものを提供すれば、客が殺到するから、忙しいけど店は儲かる。
いくら儲かったって忙しいのはイヤだという怠け者の店主の場合、値段を高くして、少ない客からぼったくるという手がある。
東京ならこの口コミ時代、そんな商売をしていればすぐにつぶれる。
しかし青森のこの店は、立地条件だけはいいところにある。
だからときどきわたしのような粗忽な観光客が迷い込んでくるのだろう。
おかげで青森の旅の最後に不満が残ったことは事実。
 
でもわたしは運命に抵抗しない主義。
この店に入ったのは偶然で、ということはぼったくられることも自然のなりゆきで、そんな自然体でいるかぎり、これをあらかじめ防ぐ手立てはなかったということになる。
これまでわたしの旅は幸運にめぐまれることが多かったけど、どうやらそれにケチがつき始めているらしい。
いいことといったら、旅の始めにおかしかった体調が、また調子よくなったことぐらいだ。
 
わたしは口コミなんてものを信用しないほうだけど、これからはあるていどの下調べはすることにした。

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2017年10月10日 (火)

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用事があって、わたしが所属する団体の支部に行ったら、訃報の連絡が貼ってあった。
あまり会話したことのない人だけど、歳を見たらわたしよりふたつぐらい下の人だった。
やれやれ。
団塊の世代もいよいよ秋到来。
いつでもその日の来るのを覚悟しておかなくちゃ。

でもわたしって。
旅行から帰ったらまた元気になっちゃって。
今日もTシャツ1枚で散歩のとちゅう。
これじゃ、やり残したことがあるなら、いまのうちさっさとやっておかなくちゃとアセる。

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2017年10月 9日 (月)

新聞まとめ読み

いま旅のあいだ止めておいた新聞をまとめ読みしていた。
今回の旅行は4日間だけど、そのあいだにいちゃもんをつけたくなる記事がいっぱいだ。

まず出発した日の夕刊に、国連特別報告者というわけのわからない肩書きのジョセフ・カナタチさんが、日本の政治の抑圧的傾向について発言していた。
わたしのブログを気にしたのか、肩書きについて解説があり、国連から任命される専門家だそうだ。
専門家なら中国とか、検事が全員一致の韓国とか、ほかに建設的な議論をすべき国はたくさんあるでしょ。

旅の2日目はカズオ・イシグロさんのノーベル文学賞が一面トップだ。
でもわたしはこの人の本をひとつも読んでないので、意見はさし控える。
それとはべつにして、以前にも書いたけど、わたしはノーベル賞の欺瞞も知っているので、そんなものにいちいち騒がない。

それより総合面で、あいかわらずウチの新聞の反自民ぶりがおもしろい。
マンガ家の小林よしのりサンもなにか言ってるけど、資本主義の停滞を解決するのに、立憲民主党に期待だって、どこからそういう結論が出てくるのかしら。
オピニオン面では中村文則クンという、この人は作家だそうだけど、まだ若いせいか青臭すぎる意見をご披露していて、その下の佐伯大学教授の意見と好対照。

わたしの留守中に与野党の党首討論会があって、今回のそれはなかなかおもしろかったようだ。
やはりいちばんまともで、まともすぎておもしろくなく、世論を味方にできない自民党って、やっぱり国民のほうがオカシイと思う。

ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞だって、7日の新聞の1面トップだ。
でもこういうのって、じっさいに廃絶に成功してからもらうべきもんじゃないだろうか。
期待は得てして裏切られるというのは、過去のこの賞の受賞者が証明しているのに。

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2017年10月 8日 (日)

青森/From shinkansen again

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あ、また新幹線の中だよ。
なんか壮大な無駄をしているみたい。
いいんだ。
今回は宮脇俊三さんみたく、鉄道に乗るのが目的だと思えば。
東京から新幹線で青森まで行く気分を味わいたかったんだもんね。
という負け惜しみの顛末は帰京してから報告します。

添付したのは福島駅で見た山並みだから吾妻山か、磐梯山か。

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2017年10月 7日 (土)

青森/From Sannaimaruyama

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どうもひねくれたおじさんにロクなことがないね。
昨日は好天気だったのに今日は雨の中、鯵ヶ沢まで足を延ばして、太宰治のふるさとあたりをふらついてみたのに、岩木山なんかほとんど見えず。
三内丸山遺跡の縄文人もわたしのこころを癒してはくれなかった。
ヤケになって明日は東京に帰ることにした。
ホントは1週間ぐらいこちらを彷徨っているつもりだったのに。

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2017年10月 6日 (金)

青森/From Apa hotel

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大急ぎで選んだのでホテルに注文なんかつけていられないんだけど、青森で泊まったのは、経営者の言動がなにかと騒がれているあのホテル。
客室に「理論・近現代史学」なんてコワそうな本が並んでいた。
そんなこと知ってか知らずか、けっこうアジア系外国人みたいなのもたくさん泊まっているようだったけど。

いま深夜の1時ごろ。
これからシャワーを浴びて、また眠れぬ夜を過ごすわけだ。
どこへ行ってもわたしはわたしだな。

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2017年10月 5日 (木)

青森/From shinkansen

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ただいま新幹線の中。
朝起きたときはあまり体調はよくなかったけど、これは最近の傾向で、やっぱりトシかなと思う。
旅に出てもアドレナリンが高まることもなくなった。
もう人生の終点がすぐそばに迫っている感じだ。
無名のまま生まれて無名のままで死ぬのか。
でもいまさら後悔したって仕方がない。
缶ビールを飲みつつ、これまでの人生の幸運に感謝するのみ。

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2017年10月 4日 (水)

青森/ある日突然に

急な話なんですが、明日とつぜん新幹線に乗って、青森に旅立つことになりました。
べつに青森でなければいけない理由もないし、行くならまた南西諸島のほうがよかったんだけど、とにかく思い立ってすぐ翌日に行くには、飛行機よりも新幹線の方が簡単ということで。

そういうわけなので、目的も定かじゃないし、何日間の旅になるのか日程も決まってない。
とにかく無脊椎動物のように波まかせ、風まかせの旅だってこと。
若いころはこんな旅が多かったねえ。
しかし還暦をとっくに過ぎたじいさんになって、ふたたび寄る辺なきホームレスのような旅に出るとは思わなんだ。

考えてみると、旅好きのわたしなのに、こっち方面はあまり行ったおぼえがない。
若いころ仕事で鯵ヶ沢ってところへ行ったのが、ゆいいつの記憶だけど、まだ東北自動車道もなかったし、弘前を通って、岩木山をながめたはずなのに、それもぜんぜん記憶にない。
おぼえているのは、リンゴ畑のあいだに点在する農家が、ちょっと異質な風景に見えたことぐらい。

あまりとつぜんなので、今回は持っていく本を選定するヒマもなかった。
なにが起こるか、最近はなにも起こらないことのほうが多いんだけど、とりあえず目的はタブレットで検索しながら行き先々で考える。
その報告はまたこのブログでお披露いたします。こう、ご期待。

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2017年10月 3日 (火)

今日の夕刊

リベラルの身の置きどころなき総選挙

今日の夕刊に、北海道の飲み屋での談話が載っていた。
客のひとりが、ユリコさんの排除の論理がよくわかないべさとつぶやいている。
この談話には朝日新聞の記者も同席していたらしいけど、どうして言ってやらなかったのか。
わからないことはないですよ、こんなわかりやすいこともないでしょう。
なんでもかんでも受け入れていたら、希望の党は落ち目の民進党の、そのまま鞍替え政党になってしまうべさ。

こうはっきり言えないということは、この記事は朝日新聞の記者が、現地で取材したわけではなく、築地の本社で、机に向かって書いた記事にまちがいがないだべさ。
ユリコさんはしたたかを通り越して、これはもう狡猾な策士というべきだわさ。

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2017年10月 2日 (月)

人体の2

どうもタモリが出てくると、それだけで中身に疑問符がついてしまう。
そうぼやこうとしたけど、ここはやはり絶滅間近の頑固老人が口を出すべきじゃないんだろうねえ。
iPS細胞の山中伸弥教授をのぞけば、なんだかよくわからないタレントがぞろぞろで、科学の番組なのかバラエティーなのかわからんという、NHKの「人体」シリーズ。
腹が立つけど、いまはこういう、わかりやすいのがもてはやされる時代なんだろうなとあきらめる。

番組そのものは、28年前の最初のシリーズと比べても遜色のない、いや、さらに進化した医療機器の成果や、コンピューター・グラフィックがすばらしい。
体の中のいろんな内臓は、脳に支配されているだけではなく、それぞれが互いに連絡しあって生命を維持しているというのが、今シリーズ全体を通したテーマだそうだ。

そしてこのシリーズは、昨夜が第1回の「腎臓」で、これから7話も続くという。
その中にはガン治療の、現時点での最前線からの報告もあるらしい。
ガン治療と聞くと、せつない思いがわき上がる。
いま現在、わたしの知り合いの中に肝臓ガンで苦しんでいる人間がいるのだ。
彼がこの番組を見たら、医学の発達にもうすこし急いでくれないか、それとも自分がガンになるのがもうすこし遅ければと悩むことだろう。

かっては不治の病とされたものの、いまでは治療が可能になった病気はたくさんある。
あと10年後にはガンも治療可能な病気になっているかもしれない。
わたしにはわからない。
生まれた時期によって命拾いした人間もいたということで、これが人間の運、不運というものだろうか。

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2017年10月 1日 (日)

都民の日

ケチで有名な知り合いに、立川の昭和公園へコスモスでも見に行こうかと誘ったら、あそこは国立公園でしょう。
それより多摩動物公園がいいと言い出した。
今日(10月1日)は都民の日で、都立の動物公園は入場料がタダなんだそうだ。
やっぱりケチの真髄をきわめたお方・・・・

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上は多摩動物公園の人気者、下は現代のトリケラトプスというか。
ある檻のまえにはサーバルという名札がかかっていた。
おお、これがアレかいとわたし。
アレというのは「けものフレンズ」というアニメのことで、その主人公がサーバルをモチーフにした女の子なのだ。
化石人間のわたしだけど、そのくらいは知っているのである。

そういえば飼育された最高齢のオランウータンが亡くなったばかりで、祭壇がこしらえてあったな。
わたしも亡くなるんではないかと思うくらいくたびれた。

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