青森/大湊
また順不同だけど、下北半島を巡っていたときのこと。
この半島にむつ市という街があり、むつ市の先に大湊 (おおみなと)という港町がある。
大湊と聞くとまたわたしの胸中になつかしい思い出がわきあがる。
といっても過去にこの町に住んだとか、この町出身の彼女がいたというわけじゃない。
むかし海上自衛隊にいたころ、横須賀 (じっさいには相模湾に面した長井)の教育隊課程を終了したとき、同期の仲間たちのあいだで、それぞれどこへ赴任するかが話題になった。
横須賀、呉、佐世保、舞鶴なんかは人気のあるところで、人気のないのが下北半島の大湊。
おまえは成績が悪いから大湊だなんて冗談をいう教官もいて、新兵だったわたしたちは一喜一憂したものだった。
さいわいわたしの赴任先は横須賀だったからよかったものの、大湊という地名はこのときに頭のどこかに刻まれた。
今回はいい機会、というより、とくにアテはないのだから、この町を見ていくことにした。
大湊はとくに変哲のない明るい町だった。
冬に来ればもっと陰鬱なところかもしれないけど、まだ雪のかけらもない季節に来ると、伊豆や房総のどこかといわれてもわからない。
しいて特徴を挙げると、町の背後に、てっぺんに白いレーダーサイトのある釜臥山という山がそびえている。
わたしの赴任先が大湊であれば、朝な夕なにあの山を眺めていたわけだ。
ほかに変わったところはない。
いまの日本はどこへ行っても代わり映えのしない町ばかりになってしまった。
これがグローバル化というものかも知れないけど、好奇心を満たすために旅行をするわたしみたいな人間にはもの足りない。
海ぞいに埋立地のようなだだっ広い空き地があり、ドーム型のユニークな建物が建っていたけど、そんな景色が大湊を象徴するわけでもない。
それにしても遠くまで来たものだ。
これは東京から大湊までの距離ではなく、わたしが自衛隊にいたときからここまでの時間のこと。
そこにはすでに半世紀という時間が横たわっているのだ。
50年前の大湊ならどうだっただろう、そのころのわたしはどんな若者だったろうと、いくらか感傷的になって、わたしはレーダーサイトのある山を見上げた。
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