2017年11月30日 (木)
散歩に行く。 このトシになると注意しなければいけないことがある。 老人はどうしても猫背になりやすい。 背中をまるめてよたよたと歩く姿は、あまりみっともいいもんじゃない。 だからわたしは歩くとき、つねに胸を張るよう気をつかっている。
もうひとつ。 人間トシをとると、どうも足の動きと上半身がシンクロしなくなる。 頭はいままでと同じ速さを要求するのに、足はそれについていけないらしく、体がしぜんと前のめりになる。 足をじっとにらんで、そっちに合わせて歩くと、スピードが遅くなり、女の子にも追い越される。
さらにもうひとつ。 子供を産んだことのあるおばあさんなどにありがちだけど、足がO型に湾曲して、カニのたて歩きみたいになっている年寄りもいる。 これではいけないと、わたしは足がまっすぐになっているか、いつも注意している。 すると足がもつれる。ひざがくだける。 べつにどこか痛いとか、油が切れているという自覚はないのにだ。
そんなふうに自然体でない歩き方をするもんだから、帰宅するころには、ああ、もうぐったり疲れてしまっている。 死にたい。
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2017年11月29日 (水)
昨夜の「1本の道」という番組にモンテネグロが出てきた。 そのまえの「入りにくい居酒屋」にはクロアチアのザグレブだ。 知っている人は知っているだろうけど、これらの地名は、民族浄化という言葉がはじめて使われ、第二次世界大戦以降で最悪といわれた、悲惨な紛争のあったところである。 それがいまでは風光の明媚な観光地になり、わたしが部屋でテレビのまえに転がりながら、行きてえなあとつぶやく国になった。
じっさいあの紛争はひどかった。 毎日のように虐殺されたおびただしい死体の山が報じられる。 わたしはおぼえているけど、異なる民族の恋人同士が、ひとつの橋の上で手に手をとって死んだこともあった。 憎しみが憎しみを生み、その殺戮の連鎖はとどまるところがないように思えた。 それが、ある日、ぴたりと、じっさいにはNATO軍の空爆や、大国の干渉もあったけど、いまから考えるとぴたりというのがふさわしいくらいに、止んだ。 モンテネグロもクロアチアも、いまでは赤い瓦屋根が美しい観光国だ。 テレビで観るかぎり、人々はそんな殺し合いがあったことも知らないようだ(せいぜい20数年まえのことなのに)。
ユーゴ紛争はわたしたちにひとつの希望を与えてくれる。 戦争がぜんぜんあとを引かずにぴたりと止むことが可能なら、いまでも凄惨な殺し合いが続いている中東でも、やがてそれはゆっくりと沈静化し、現地の人々の平和な生活がもどり、わたしたちがピラミッドやペルセポリスのような古代の遺跡を、安全に見てまわる日が来るかもしれない。 それまでわたしは生きていられそうにないけど。
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2017年11月28日 (火)
今朝のウチの新聞のオピニオン面に、「フェイクとどう闘うか」という記事があって、ナチスのホロコーストを否定する者たちと、裁判で闘って勝利を収めたデボラさんという歴史学者が取り上げられていた。
わたしはデボラさんのことをぜんぜん知らなかったけど、フェイク(うそ)ニュースが世界に影響を与えようという時代に、それを見破るということはもちろん大切なことだ。
問題は朝日新聞が、デボラさんがいってる危険な兆候を、そっくりなぞっていることである。
デボラさんは「日本の慰安婦問題や南京大虐殺はなかったという論も同じではないでしょうか」といってるそうだけど、日本でも大勢の人が、朝日新聞のフェイクニュースを論破するために闘った。
慰安婦は朝日新聞が言ってるようなものなのか。
南京大虐殺を否定はしないが、その数字の真実はどこにあるのか。
こうしたことを明らかにするのと、デボラさんの闘いは同一線上にあると思われるのに、朝日新聞は都合のわるいところはボカし、自分たちの都合のよい部分だけを強調して、つまりオピニオン面で注意すべきこととして挙げられていることを、そっくりそのまま自分たちが行っているのである。
こういうことに注意をすること、それがフェイクに惑わされない秘訣だ。
まさか朝日新聞は実例として、自分のところの記事を持ち出したわけじゃないだろうねえ。
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2、3日まえのBSのトレッキング100という番組に、八ヶ岳にある 「しらびそ小屋」 という山小屋が出てきた。
この小屋にはわたしも30年ちかくまえに泊まったことがあるので、ついなつかしい気分で観た。
しらびそ小屋は北八ヶ岳にあって、稲子湯から天狗岳に登る途中の、ミドリ池という池のほとりにある。
このコースには、もう少し山頂寄りに 「黒百合ヒュッテ」 という山小屋があって、そちらは別のコースからも登れるので、人気のあるのは黒百合のほうである。
しかしそのぶんしらびそ小屋は、目立たない、古い素朴な山小屋の雰囲気をよく残していて、わたしがこの山小屋に泊まったのも、30年まえにやはりNHKが特集をしたせいだった。
この小屋では、餌付けされた野生のリスやホシガラスが見られるという。
当時からそういうものの好きだったわたしは、さっそく自撮り用の三脚をかついで、平日にたったひとりで出かけた。
最初の写真はスタート地点から近いカラマツ林の中で。
このときわたしは30代の後半 (若く見えるのは、写真の選択権が本人にあるため)。
最新の映像によると、このとき小屋の主人だった今井行雄さんは、小屋の仕切りこそ息子さんに譲ったものの、80を超えてまだ元気らしい。
わたしが会ったときは、世捨て人みたいに、ひじょうに無口な人という印象で、奥さんらしいきれいな女性がいっしょに働いていた。
この晩は、たまたま同宿した男性と2人で、屋根裏部屋みたいなところに寝かされた。
なんだか童心にかえったみたいで楽しかった。
夜になるとたったひとつの窓から、すぐ外側に大きく枝をひろげたダケカンバ、そして丸いお月さんがよく見えた。
先日の放送でもその木はまだ健在だった。
人間であるわたしにとって、30年は長い。
しかし窓から見えたダケカンバにとっては、そうではない。
しらびそ小屋から天狗岳を目指した登山者を、いったいどれだけこの木は見つめ続けてきただろうか。
わたしももういちどこの山小屋に泊まってみたい。
小屋の古いサイン帳に、ひょっとすると自分の名前が見つかるかもしれない。
最後の写真は、この翌日に登った天狗岳(東天狗) から見た西天狗。
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2017年11月27日 (月)
昨日、ウチの仲間どもは人形劇を観に行ったはず。
わたしも行きたかったけど、あいにく出演者というか、あやつり師というか、人形を操作する知り合いにアルメニア・コニャックを送ったばかりだ。
その直後に行くと、酒1本であたしをくどこうってえのかと、相手が逆上すること必至なので、コワイから行かなかった。
そのかわり昨日はわたしも人形劇を観てきた。
正確にいうと、「KUBO/二本の弦の秘密」というアニメ。
まえにも触れたことがあるけど、これは人形を少しづつ動かすストップモーションという技法で撮影されたアニメなのだ。
オタクと呼ばれそうだけど、わたしはこういう映画が好きである。
しかもこの作品は、アメリカ人が作った日本が舞台の映画なので、そっちのほうにも興味があった。
結論を先にいうと、生身の人間が演じるとどうにもならない失敗作に当たる場合もあるけど、アニメの場合そこまで破綻する映画はめったにない。
まあまあおもしろかったといっておこう。
ストーリーは片目の少年が、サルとクワガタムシの変じた鎧武者を従えて、悪役である祖父や叔母たちと闘いながら、いまは亡き両親の秘密を探る旅に出るというもの。
日本のサルというと、温泉に入ることで世界的に有名だから、これでまた訪日観光客が増えるんじゃないか。
このサルと鎧武者がじつは〇〇だったと、ネタバレだからそこまで書かないけど、そんなにややこしい話にする必要があるのかと思う。
最近のアメリカ映画は、タイムマシンを利用して、未来世界から暗殺者がやってくるとか、まだ結婚前の自分の母親を、息子がどうしたこうしたというような、えらくややこしい話が多い。
単純な話だとそのへんのガキも満足しないようだ。
赤い鳥居や折り紙みなど、日本的なものもたくさん出てくるけど、期待していたほど日本カラーが打ち出されているわけではなく、日本人が見るとおかしなシーンがいくつか。
KUBOというのは主人公の苗字かと思ったら名前だった。
わたしなんか、公方と書いてお公家さんのことかと思ったのに。
父親の名前はハンゾウだというから、こちらは半蔵だろうとすぐわかる。
主人公はようやく見つけ出した剣と鎧、兜という三種の宝器を身につけて、悪の化身の祖父と闘うんだけど、あまり宝器の威力が感じられない。
結局は使いなれた三味線の出番となる。
これでは三種の宝器を苦労して探す意味がないじゃんといたくなる。
三種の宝器にしても、鎧兜はどうみても中国のものに見える。
豊臣秀吉が韓国を征伐したとき、日本の織豊時代の鎧兜の華麗さが、敵国の将兵を驚嘆させたことを思えば、アニメでも鹿の角でも生やした、本格的な日本の鎧兜をそのまま登場させたほうが効果的であったと思う。
しかしこれは日本だけをマーケットにしている映画ではないのだからと、無理に納得しておこう。
悪役の叔母姉妹が登場するシーンは、日本の幽霊が登場するシーンとしてもなかなか秀逸だ。
もっともこの2人には足があり、このあとはカンフー映画みたくなってしまう。
どこかで見たような彼女たちの能面のような顔は印象的で、人形浄瑠璃にでもあった顔かなと悩んでしまった。
技術的な問題では、人形を使ったストップモーションだというんだけど、口もとの動きにちょっと違和感があり、その部分だけは本物のCGかもしれない。
セリフと人形の口もとをシンクロさせるのは、たしかにメンドくさそう。
いずれにしたってどこまで人形で、どこまでCGなのかわからない映画だ。
これがお約束ごとなのか、最後は祖父の化身である巨大なムカデ?と切ったり張ったり。
主人公の片目については、祖父がもう一方の目ん玉を狙っているというややこしい因縁があったはずなのに、映画ではそのへんが曖昧なまま終わってしまう。
どうやらこの映画には続編がありそうだ。
最近の映画では、最後に制作に関わった人々の名前が延々とクレジットされる。
短気なわたしは終いまで観ているのが苦痛で、たいていそれが終わるまえに席を立つけど、最近のアニメでは最後まで座席にしばりつけておこうと、ショートコントや制作秘話のような映像をくっつけたりと、いろいろ苦心している。
この映画ではラスト・クレジットに、三味線にアレンジされた、ビートルズ(ジョージ・ハリソン)の While My Guitar Gently Weep が流れた。
わたしの世代なら知らぬ者のいない名曲だから、とうとうクレジットが完全に終わるまで椅子に座りっぱなし。
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2017年11月26日 (日)
ハリウッドがセクハラに揺れている。 アンジェリーナ・ジョリー、ナタリー・ポートマンみたいな女優さんまでが、あんなことをされた、こんなことをされたと叫んでいる。 新聞には、これまで女性の権利獲得などをうたってきた映画製作者の裏の顔に、リベラルの偽善だという声も。 しかし現実はなかなか建て前どおりにはいかないという意味で、これを書いてみた。
たとえばあなたが太ったオタクっぽい男だったとする。 当然ながら、美しい女性たちからまるで相手にされない。 それでもあなたは必死に努力して、金を儲け、映画を製作できるほどの実力を得た。 世間には映画スターになって有名になりたいという女性がゴマンといるのだ。 しかも女優をこころざすような娘はみんな美人に決まっている。 容姿の秀でたそういう女性たちが、あたしを映画に出してえ、女優にしてえと群がってきた場合、あなたならどうするだろう。
ああ、いいとも、ウヒヒと答えるのがふつうの男で、いや、わたしは演技力とまじめさで選ぶという男も、まあ、たまにはいるかもしれない。 しかしまじめで演技力もそなえた、しかしチャンスにめぐまれない役者の卵もゴマンといるのだ。 これでは選びようがないではないか。
わたしは若いころ、ある著名な劇団にささいなことで関わったことがある。 そこには若くてきれいな女優の卵がたくさんいたけど、その大半は無名のまま、おそらく家庭の主婦にでも収まったと思われる。 わたしが彼女らを世に出すことができるほどの実力者であれば、そうしてあげたかった(もちろんタダじゃない)。
ようするにハリウッドというところはそういうところなのだ。 一方に苦心惨憺してその地位に登りつめた、普通じゃ女に相手にされない醜男のプロデューサーがおり、一方になんとしても有名になりたい絶世の美女たちがいる。 こんな世界にモラルなんか期待するほうがおかしい。
だいたい今回の事件で騒いでいるのは、すでに有名になった女優ばかりじゃないか。 無名の新人がいるかぎりこうした問題はなくなりっこない。 文句があるなら女優なんかになろうとしなければいい。 リベラルの偽善だと騒ぐ人の中に、自分は清廉潔癖で、美人をまえにしてえこひいきすることはないといい切れる人がどれだけいるだろう。 いたとしたらそいつはゲイか男色家で、そういう男に媚びを売る男性でさえ、ハリウッドにはゴマンといるのだ。
添付した画像は内容と関係ありません、わたしの好みってだけで。
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2017年11月25日 (土)
たそがれの指定席 まもなく日がおちる ああ、わたしは行かねばならない
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韓国が観光客の減少に悩んでいるという。 平昌オリンピックに日本人が来なければ、うちも東京オリンピックに韓国人を行かせないと、そんな乱暴なことをいった韓国のお偉いさんがいたけど、なんで韓国に観光客が行かないか、ちょっと考えればわかるのに。
日本人はものごとにそれほどこだわらないので、平将門のような極悪人でも死ねば神様だ。 そういうことで古いものを大切にする。 日本のあちこちに古い神社や仏閣が残っていて、重要な文化遺産であると同時に、貴重な観光資源になっている。
ところが韓国では、これは日帝支配の残滓だなんていって、そういうものをぶっ壊すことをことをためらわない。 まえの政権が作ったものはケシカランというのも伝統で、新しい大統領は、前政権の業績を徹底的に否定するところから始める。 これでは継続した文化や伝統は育ちようがない。
この点ではまだ中国のほうが救いがある。 貧乏で新しいものを建てる余裕がなかったという事情はあるにせよ、かって日本や西欧列強が作った建物が、いまでも中国各地に健在で、それがかえって文化遺産、観光資源になっている例がいくつもある。 中国の東北地方では、(日帝時代の)満鉄のアジア号が博物館に展示してあるというし、それを復元して走らせようという企画まであるそうだ。
明治維新で新しい政府の重鎮になった大久保利道は、前政権である徳川幕府の政治を研究して、それが神社仏閣にまで維持費を支出していたことに感心したという。 なんでもかんでも過去を否定すればいいってもんじゃない。
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2017年11月24日 (金)
サンフランシスコ市と大阪市が姉妹都市を解消したって。 日本が苦情を申し入れると、こっちが決めたことに横から口を出すなと反発するのは人間も都市もいっしょ。 作戦としてはまずかったような気がするけど、これはつまり、中韓と日本の綱引きだ。 相手も日本を貶めるためにやっているのだから、こちらも負けずに徹底的に抗議の意思を示すしかない。 ま、やむを得なかったんじゃないか。
話は変わるけど、我が家のベランダからは富士山が見える。 夏になるとふもとから山頂まで、登山者の光の帯まで見えてしまう。 ずっと以前に漫画家の伊藤理佐さんも、自分のマンションのベランダから富士山が見えるのに気がついて、得をした気分なんていっていたけど、自分専用の富士山を持てるというのはそれなり価値のあることである。
しかるに、いま目の前のグランドで夜間照明設備の工事をしている。 あろうことか、その照明のポールが、まともにわたしの富士山にかかることになった。 どんな具合かという説明のために、以前の健全無比なころの写真と、現在の堕落した写真を並べておく。 わたしは間借り人だから文句をいえないけど、こうやってアパートの資産価値が減少していくのだ。 ええ、年寄りは死ねばいんでしょ、さっさと。
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2017年11月23日 (木)
今朝のウチの新聞はすごい。
森友学園の土地を安く売った動かぬ証拠が出たって、また大地震か、北朝鮮がミサイルをぶっ放したような大きな記事。
これは会計検査院の調査の結果というんだけど、検査院て国家の機関でしょ。
なんで総理の忖度をうけて、政権に有利な結論を出さなかったのか。
検査院が公明正大に調査をしたということは、日本の政治がまじめなものであることの証明だし、総理本人をいつまでも責め続けても、これ以上なにも出てきゃしないだろう。
ようするに総理の威光に群がり集まるごますりやペテン師に、安倍クンがまんまとひっかかったってことじゃないか。
総理にはほかにやることがたくさんある。
群がる人間がいかがわしい人物かどうかを判断するのは総理の仕事じゃないし、責められるとしたら勝手に忖度した役人たちのほうだけど、国家が関わるすべての事業を調査すれば、こういうことはほかにもたくさんあるような気がする。
それを朝日新聞が探索するのは勝手だけど、アンタんところじゃほかにやるべきことがあるでしょ。
サンフランシスコ市が慰安婦像を立てるって、大阪市が姉妹都市を解消すると文句をいったり、政府が抗議したりしてるけど、なんで朝日新聞は黙っているのか。
こういうことがあるたびに、あれはウチの誤報でしたと説明すれば、事態がこんなにこじれることはなかっただろうに。
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2017年11月22日 (水)
北朝鮮兵士が軍事境界線から脱北したそうで、その映像も公開された。
でもふつうのニュース番組では、たいてい映像の一部だけしか見られないのに対し、
わたしがよく観る「カイカイ反応通信 」では、韓国映画「JSA」の高画質版だなんて揶揄してるけど、ほぼすべての映像が観られるようだ。
事情がわかっているだけに、兵士が境界線を突破するところは、映画以上にハラハラさせられる。
銃撃されて重傷を負って、それでもなんとか韓国側に救助された兵士だけど、家族はどうなるだろう。
板門店に派遣されていた兵士ということは、それなり厚遇されていた家族なのではないか。
一家がいつも通り晩飯を食おうとしていると、家のドアがいきなり蹴破られて、武装した警察の部隊が入ってくる。
○○(脱走兵士)の父親はいるか。
はあ、わたしですが。
母親はいるか。家族は揃っているか。
北の住人ならこのへんでもうヤバイと気がつくだろう。
そのころ○○の親戚縁者のところにも警察官が押しかけていた。
ひとりが体制批判につながりかねないことをしたら、その一族郎等まで罪に落とされるのは儒教の国の伝統だ。
このていどのことをいちいち正恩クンに図る必要もない。
マニュアル通り、家族も一族郎等も問答無用で強制収容所行きだ。
そうしなければ兵士の上司も同罪だから、ここはもう血も涙もない。
見せしめのために父親は機関銃の的かもしれない。
北朝鮮に生まれれば、こんなふうに幸せな家族の日常が、ある日とつぜん暗転することもあり得るのだ。
わたしもいま晩飯を食べたばかりだけど、北朝鮮に生まれなくてほんとによかった。
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新聞に「太陽系以外の使者・初観測」という記事。
その想像図も載っているけど、長さ400メートル以上のボールペン型の物体だそうだ。
これって宇宙船じゃないか。
宇宙船だとすれば、地球にはこころあたりがないようだから、よその星から打ち上げられたものに違いない。
よその星からいったいなんの目的でと考えると、たぶん自分たちの星以外に住めそうなところはないかと探索する宇宙人のものだろう。
わたしたちに観測のできない新しい通信方法で、いまごろは地球の情報が母星のところへ送られているのかもしれない。
これじゃそのうち宇宙人が攻めてくる可能性があるから、用心しとくにこしたことはないゾ。
でもこの物体は秒速40キロで地球から遠ざかっているそうだ。
こんなスピードでは、情報が母星のところまで到着して、宇宙人が攻め寄せるまでに何千年、何万年かかるかわからない。
もしかすると地球人が発射したボイジャーや、ニユーホライズンズのほうが先に相手の星に到達して、向こうが侵略者に備えているかも。
どんな宇宙人なのか見たいけど、相手が攻めてくるまで、もちろんわたしは生きていられない。
だいたい相手の星も地球人も、それまで存在しているかどうかもわからない。
それはともかくとして、よその星からやってきた貴重な物体だ。
このていどの大きさなら首に紐つけて引っ張ってくることも可能だろう。
地球まで引っ張ってきて、月といっしょに地球を周回させておけば、将来も安定して研究できるのに、NASAやNASDAはなにをしてるのか。
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2017年11月21日 (火)
トシとったせいか、面倒くさいことは考えるのもイヤだ。 今年の2月にiPhoneを買ったときも、自分がどのくらい通信量を必要としているのかぜんぜんわからないから、とりあえずいちばんデッカいやつをくれと、まるで西瓜かカボチャを買うような調子で契約をした。 ところがその後、このブログにも書いたけど、電話料金のトラブルがあって、それ以来毎月の通話明細を送ってもらっている。 それによると、先月の通信量は約1.8ギガバイトだった。 先月だけがとくべつに多いとか少ないとかいうことはないはずだから、これがわたしの毎月の平均通信量だろう。
電話会社に電話して、わたしが最初に契約したのは何ギガのやつだったのかと聞いてみた。 20ギガまで使い放題というやつだそうだ。 これはちょっと多すぎる。 いくらか余裕をみるにしても、3ギガあれば十分だ。
そういうことで契約を変更して、これで毎月1800円ぐらい電話料金が安くなるのだそうだ。 ひとくちに1800円というけど、1年で2万円以上じゃないか。 もしも電話料金のトラブルがなく、通話明細を送ってもらわなかったら、わたしのことだからこのまま10年ぐらい放っておいたかもしれない。 あいかわらずわたしの人生はのんびりしているな。
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2017年11月20日 (月)
横綱が幕下をぶん殴ったって事件、最初は窮地に追い込まれた横綱が盛り返してきた。
とにかく旧態依然とした体育会系組織のことだから、なにがなんだかよくわからない。
ビール瓶で殴ってないというのも、殴ったのはウイスキー瓶だったかもしれない。
殴ったほうの謝りかたが気にくわないから告訴したのかもしれないし、横綱が廃業なんて事態になっちゃあ組織の存亡にかかわると、まわりが一致団結して抵抗することにしたのかもしれない。
いつのまにか告訴した側が追い込まれる状態のようだけど、出る杭は打たれるという状況のような気もする。
組織ぎらいのわたしとしては、一匹狼の応援をしたいけど、狼はマージャンしか趣味のない横綱の息子なので、はたして大相撲改革を志しているのか、それとも角界の権力争いなのか、その胸のうちもよくわからない。
どうも現時点で部外者がどうこういう問題じゃなさそうだ。
そうそう、いま本場所もやっているんだっけねえ。
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2017年11月19日 (日)
今日は調布に新しい映画館ができたというので、視察に行ってきた。 前売り券はありますかと訊くと、つぎの日曜日の分は2日前にならないと発売しませんという。 がっかりしてもどってきたので、ブログのネタがない。 仕方がないからわたしの秘密でもバラしてお茶をにごす。
わたしのところには旅行会社からたくさんのメールが来る。 中でもいちばん多いのが「じゃらん」で、安い宿があります、お得なツアーがあります、ポイントがこれだけ貯まってますとうるさいくらい。 ほかにも旅行サイトはたくさんあるのに、なんで「じゃらん」なのか。 これがわたしの秘密なのである。
「じゃらん」を英語で書くとJALANだ(違うかも知れないけど、わたしはそう解釈した)。 この最初のアルファベット3文字はJALで、これはひよっとすると日本航空の関連会社ではないか。 そうカン違いしたわたしは、その後何回かこの旅行サイトを利用したことがあり、うちに「じゃらん」からメールがたくさん来るのは、ただそれだけの理由なのだ。
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2017年11月18日 (土)
今日は仲間うちでやっているパソコン同好会の日。 終わるとかならず飲み会になっちゃうから、わたしにとって酒とバラの日々だ。 飲むと眠くなり、帰宅すると頭がぼうっとしちゃって、ヘタすりゃ深夜まで目が覚めない。 だからブログの更新も途切れてしまうかもしれない。 最近のわたしは連続更新という無益な責任感に迫られていて、それはとっても一大事。 だからこの記事は飲み会の始まるまえに書いておいた。 あとは飲み会の写真を貼るだけで、今日の更新は終わりだ。
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2017年11月17日 (金)
ネットを閲覧していると、ときどきニートの独白や体験談のようなものにぶつかることがある。
先日読んだあるニートの1日をみると、わたしとあまり大差がないようだ。
夜のおかしな時間に起きて、ネットにしがみつき、想像していたほどゲームは熱心にやっておらず、朝の半端な時間に就寝するということの繰り返しだ。
ニートになった原因は学校でのいじめなどであった場合が多いようである。
わたしの世代ではそれほど陰湿ないじめはなかったけど、わたしは運動神経がにぶく、ひどい音痴でもあったので、ふつうなら子供たちが楽しめるはずの体育や音楽の時間が好きではなかった。
子供の側からみれば、これは毎日いじめにあっているようなものだ。
つまりわたしは子供のころから、苦痛に満ちた人生を選択するしかなかったわけで、これではニートになってもおかしくなかった。
ただわたしの場合、そういう環境は自分の家に対しても嫌悪感を感じさせ、家にいたくないという独立願望が強かった。
そういうわけで高校を卒業すると同時に家を出ることになったんだけど、家が貧しかったから、食い扶持は自分で稼ぐしかなかった。
いまはニートみたいな生活をしているけど、わたしは人生の大半を、イヤイヤながらも、なんとか外の世界と交わって暮らしてきたのである。
いまでも完全に外の世界を遮断しているわけじゃない。
明日は月にいちどのパソコン同好会の日だし、たまには知り合いと美術館に行ったり、飯能の天覧山に登ったりする。
現在のわたしがニートというのは、無駄な金を使わないようにという、世間をしのぶ仮の姿であるのだ。
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2017年11月16日 (木)
昨夜、たまたま知り合った人から、なにか悩みはありますかと訊かれた。
悩みなんて若いころだけのものでしょう、わたしの歳じゃなにひとつアリマセンと答えてしまったけど、はて、これでよかったんだろうか。
今日は好天気につられて、自然観察園までぶらぶら散歩、いまその門のまえで休憩中。
悩みなんかあるはずのないわたしだけど、この寂しさはなんだろう。
なんとなく理由はわかる。
もう少しだ。
もう少し頑張れば、またみずみずしい木の葉の春を見られるじゃないか。
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2017年11月15日 (水)
朝日新聞の出番だぞーい。
国連人権理事会の対日人権審査が、2012年10月以来5年ぶりに開かれ、日本の報道の自由に懸念が示された。
のだそうだ。
14日の作業部会では、従軍慰安婦問題について韓国、北朝鮮、中国が懸念を表明したんだとか。
これほどマスコミが言いたい放題のことをいえる国もめずらしいのに、報道の自由に懸念だって。
しかも韓国、北朝鮮、中国といったら、報道の自由を、あんたに心配されたくないねという相手ばかりじゃないか。
引き合いに出しては申し訳ないけど、おとなりの韓国なんか、政治家から裁判官までみな同じ方向を向き、日本の肩をもつ発言をしたら、ヘタすれば公園で撲殺されるのに。
従軍慰安婦について、ネット掲示板なんか読むと、韓国内にも多様な意見があることがわかる。
ああ、それなのに、おもてに出てくるのはいつも同じこと。
朝日新聞はどうして、あれはウチの誤報でしたと説明してやらないのか。
朝日新聞がつねにそうすれば、少なくても慰安婦問題がこれほどあとをひくことはなかっただろう。
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2017年11月14日 (火)
冷静に考えると、わたしが将来有名人になることは考えられない。 わたしは自他共に認める変人なので、若いころは常識はずれの行いが多かった。 かりにわたしが過去に泥棒をして捕まったことがあるとしよう。 そんなわたしが有名人になれば、あっ、こいつはあの時の泥棒じゃないかということが、白日のもとにさらけ出される。 それはとっても耐えられないことだ。
泥棒ほどひどくはないけど、わたしにはとても公けにできない恥ずかしい過去がいくつかあるのだ。 そのときは泣き寝入りした女の子も、わたしが有名人になれば、あんときの慰謝料を払ってよと言い出さないともかぎらない。 うん、やっぱり有名人なんかなるべきじゃないな。
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2017年11月13日 (月)
ゲージツの秋だ。
昨日はまた上野に行ってみた。
いま上野では、国立西洋美術館で「北斎とジャポニスム展」、東京都美術館で「ゴッホ展・巡りゆく日本の夢」というふたつの展覧会が開かれている。
このふたつは関連があるので両方観ればいいのだが、どうせ混雑しているだろうから、とりあえずどっちかすいているほうを観るつもり。
まず駅から近い西洋美術館のほうをのぞいてみたら、混雑はそれほどでもなかった(入口に渋滞ができてなかった)。
ゴッホのほうはどうだと行ってみたら、こちらも外から見るかぎりそれほどではない(入口に渋滞ができてないというだけで、館内にはただいま混雑中の張り紙あり)。
それでそのまま東京都美術館に入ることにした。
ゴッホは日本の浮世絵に大きな影響を受けた画家なので、その影響を探ろうと、今回の展覧会では彼の絵と、北斎や広重、国貞の浮世絵も同時に展示してある。
ゴッホも浮世絵も世界的に有名だから、どこかで見たことのある絵が多い。
いっしょに行った知り合いは、アール・ヌーボーの画家アルフォンス・ミュシャを女だと思っていた人である。
こういう相手だと知識をひけらかす絶好の機会だ。
ほれ、この構図、この大胆な省略、デフォルメ、こういうのが印象派の画家たちにとっては衝撃だったんだよと説明する。
ただまわりに大勢の見学者がいるからヘタなことはいえない。
デタラメいうと、注意はされなくても、腹の中でバカにされてしまう。
それにしても展覧会というと、どうしてああ静かなのだろう。
写真を撮ってはいけませんという注意書きはあっても、会話してはいけませんとは書いてないのに、みんな無言の行をしているみたいに押し黙っている。
おそらく無知なやつほど、こういうところでエラそうなことをいいたがると、みんなそう思っているからだろう。
わたしもそう思っているから、あまり専門的なことはいわないようにした。
このあいだカーク・ダグラスの、「炎の人ゴッホ」って映画がテレビで放映されてねと、こういう話題がいい。
アルルの跳ね橋がちゃんと復元されてて、郵便配達夫や医師のそっくりさんが出てきてと、これなら腹の中でバカにされることもないだろう。
最後は芳名録ということで、わざわざフランスまでゴッホの墓参りに行き、画家とゆかりのある医師ガシェの家を訪ねた日本人の記録まで展示されていた。
古い8ミリ映画で撮影された墓参団の映像があって、メンバーの中に和服に日本髪の女性も混じっていたのが興味深かった。
ゴッホが発狂も自殺もしなかったら、日本で墓参りツアーが企画されるほど名声を勝ち得ただろうか。
帰りに上野の森美術館のまえを通ったら、「怖い絵展」をまだやっていて、午後4時だというのに、入口に100メートルもの行列が出来ていた。
これは1カ月前に観に来て、あまりの混雑ぶりに入場を断念したときと変わっていない。
美術史的には斬首されるジェーン・グレイより、浮世絵の影響を受けたゴッホのほうが重要と思えるのに、この混雑はナンダ。
ホラーっていうのはそれだけ人気があるのか。
それともゴッホの絵は有名だからいつでも見られるけど、ジェーンの絵のほうはこの機会にしか観られないということか。
それなら納得できなくもない。
またそのうち来よう。
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2017年11月12日 (日)
あいかわらずロシア人の嫁さん紹介サイトから、メールが、相手の自己紹介つきで迷い込んでくる。
これはひまなときのいいヒマつぶしになるので、今回はそのうちの、とくに美人と思える2人ばかりを選んで、わたしの相手にふさわしいかどうか検討してみよう。
まず最初はロシアのサマラというところに住んでいるOさん。
年令は36だそうだけど、ロシア人がその歳でこんなにスマートかしら。
写真をみると歌手のようであるから、職業がら、つねにダイエットに励んでいるのかもしれない。
髪は金色で、目の色はブルー、身長は160センチ(わたしと釣り合う)、学歴は高卒で、英語は話せる。
外見は魅力的で、チャームポイントは笑顔だって。
なかなかあつかましいけど、外国人にはこうやって自分を積極的に売り込むのがめずらしくないし、写真を見ればたしかにそのとおり。
酒はときどき飲むけどノースモーカー(わたしと合いそう)、離婚していて、1歳未満の子供がひとりいるらしい。
この結婚紹介サイトはワケあり女性がほとんどだから、離婚歴があって子連れというのはやむを得ない。
そのかわりこっちに子供がいてもかまわないという場合がほとんどだ。
胸のカップサイズがBで、バスト、ウエスト、ヒップがこれだけなんていわれても、わたしにはさっぱりわからないけど、ロシア人だから日本人より立派にちがいない。
つぎにサンクトペテルブルクのEさん。
年令は39だそうだ。
これはどうみても若いころの写真を使っているなというところ。
髪は金色で、目の色はブラウン、身長は179センチ(わたしと釣り合わない)、博士号を持っていて、英語は流暢だそうだ(びびる)。
先のOさんはロシア正教会の会員だけど、Eさんの宗教はその他になっていた。
博士号を持っているくらいだから、合理主義者で、神さまを信仰しなくてもやっていく自信があるのかも。
外見はとても魅力的で(ごもっとも)、見えないのが残念だけど、チャームポイントは足だそうだ。
酒はときどき飲むけどノースモーカー、子供は17歳がひとり。
カップサイズがCで、これって大きいほうか、うん、大きいほうなんだろうな。
一軒家に住んでいて、ペットに爬虫類を飼っているらしい。
わたしもトカゲやカエルは嫌いじゃないけど、これは男のほうもそうとう価値ある男でないと扱いきれないぞ。
それ以上に問題なのは、2人とも、希望する相手の年令が50以下ってことだ。
わたしはしばらくまえにその年令をクリアしたからねえ。
だれか彼女らと結婚してやってえ。
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2017年11月11日 (土)
雲のむこうに永遠が見える なんとなく意味のない言葉をつぶやいてみたくなる空 今日の午後2時半ごろ
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BSの「世界入りにくい居酒屋」という番組が好きだけど、最新のそれにクロアチアのザグレブという街が出てきた。 ここは小ウィーンとも称される美しい街で、市内のあちこちにハートのマーク(♡)が見られるそうである。 ハートのマークは人間の心臓がモチーフで、ふつう幸福のシンボルとしてとらえられている(異説もあるけどわたしはそう信じていた)。 このマークを知らない人はまずいないはず。 ところがこの番組を観た瞬間、ちょっと不吉な気分が頭をかすめた。
トランプの模様にも使われているくらいだから、このマークの起源はそうとうに古そうで、解剖学が発達するよりもずっと以前から使われていたんじゃないか。 ひとくちにハートのマークといったって、現物を見なければデザインはできないだろうから、これを最初に考えた人は、じっさいに人間の心臓を見たことがあるということになる。 X線が発見されてないころ、どうやって心臓を見ることができたのか。
こう考えると、不吉な気分がじわじわと。 戦争や内乱の絶えなかった欧州では、首をちょん切られたとか、腹を切り裂かれた死体を見ることはめずらしくなかったと思われる。 罪人の処刑にしたって、現在とは比較にならないくらい残忍な刑罰が多かった。 つまり当時の人たちが、人間の心臓がどんなかたちをしているかを見る機会は、けっして少なくなかったと思えるのである。
わたしがそんなことを考えたのは、クロアチアが、まだほんの20年前まで、民族浄化という言葉がはじめて使われた、血で血を洗う紛争の当事国だったからかもしれない。 幸か不幸か、そんな歴史はあっという間に忘れ去られ、いまではザグレブも風光の明媚な観光都市だ。 わたしがもっと若ければ、いちどは行ってみたいところだから、まあ、これはいいことなのだろう。
でもわたしは想像力が豊富なので、クロアチアなんて国名を聞くと、まだピクピクと動いている人間の心臓をまえに、デザイナーたちがああしようこうしようと頭をひねっている場面を想像してしまう。 食事のまえにこのブログを読んだ人がいたらゴメンナサイ。
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2017年11月10日 (金)
たしかユリコさんの希望の党の、共同代表を選ぶ選挙が今日じゃなかったっけ。 いまのところ玉木サンと大串サンが有力候補らしい。 このうち玉木サンのほうはユリコさん肝いりの議員で、彼が勝てばユリコさん路線を引き継ぐことになり、大串サンのほうは民進党からの転身組だから、彼が勝てば民進路線を引き継ぐことになるだろう。
民進路線を引き継いだのでは、とうぜん民進と同じようにジリ貧になるだけ。 希望の未来としては、玉木サンのほうがいくらかマシのように思えるんだけど、先日の国政選挙で負けてがっくりきたユリコさんが、あとは勝手にしてよと党を投げ出したもんで、将来の予測が不透明だ。 どっちに転んでも不満分子をかかえたままで、分裂の可能性すらあるから、そうなると泡沫政党のまんまであることは確実だし、代表の選挙ごときで騒いでも仕方がないんだけどね。
それではこのまま自民党が我が世の春を謳歌するかっていうと、実績や政策よりも、長くやっているからもう飽きた、辞めさせようという単細胞の国民ばかりでは、こっちの未来も予測不可能。 思い切った話題作り、サプライズをかまさないと、自民党だって勝つことはむずかしいかもしれない。 それでも自民党が有利なのは、総裁候補に聖子チャンや進次郎クン、河野クンを担ぎ出すような、話題づくりのネタに事欠かないからだ。 そ、いまは話題づくり選挙の時代である。
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2017年11月 9日 (木)
意味もなく体調がいいってんで、今日は鼻歌まじりで吉祥寺まで出向く。 ヨドバシカメラで録画保存用のブルーレイ・ディスクを買って、帰りは行きつけの居酒屋でコスパ満点のランチを食う。 どうもここのところ、わたしの気分は秋の天気のようにめまぐるしいけど、今日ノーテンキな理由は、仕事を休むぞと決心したからに違いない。
とにかく若いころから、わたしぐらい仕事のキライな人間はいなかったね。 仕事の好きな人間はいないといわれるかもしれないけど、でもわたしの周辺にも、そんなにお金を儲けてどうするんだというくらい、朝から晩まで家族のために働き続けている人がいる。 そこまで熱心でなくても、たいていの人は社会人の義務だとあきらめて、毎日いやいやながらでも定時におきて職場に向かうものだ。
わたしの人生が暗かった原因は、この仕事ぎらいにある。 ああ、今日も仕事かとおもったら、そのまま布団の中で首でも吊りたかったくらい。 そんなにイヤならほかの仕事を探せばいいようなものだけど、しかしこれまでいろんな仕事をしたくせに、ひとつだってわたしがこころから打ち込めた仕事はなかった。 ようするに仕事うんぬんではなく、時間にしばられるのがイヤだったらしい。 若いころなら、つねに自由にあこがれているんだなんて粋がっていられたけど、これってようするにニートの、つまり怠け者の言い訳だよな。
わたしはそんな苦渋に満ちた人生を、ン十年も続けてきたのだ。 そんな人生にもようやく先が見えてきた。 わたしは残りの人生をおもしろおかしく過ごすことにした。 え、先立つもの? 家族のいない人間は貯金をゼロにしてもいっこうかまわんのだよ。
ああ、また反社会的なことを書いちゃった。 でも死にたいと考える若者たちには、こういう生き方もあるという参考にはなるかも。 キミはひとりじゃない。 死ぬのは貯金をゼロにしてからで遅くはないのだ。
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2017年11月 8日 (水)
夕刊を読む。
トランプさんが悪天候でDMZ(非武装地帯)の訪問を阻まれたとのこと。
これだけで、とくになにかあったという書き方じゃない。
でもアノ朝日新聞が平穏な書き方をしているときは、深読みが必要だ。
自分に都合のよいことなら、針小棒大に書くはずだからである。
そのへんの事情はネットの掲示板を読めばわかる。
韓国の文大統領がDMZに先まわりしているのを知って、トランプさんはイヤ気がさしたんだろうという。
その証拠に、文さんもヘリコプターで行っているのに、米軍の最強ヘリコプターが悪天候ごときで引き返すなんて考えられないという。
なにしろ思っていることがみんな顔に出る正直なトランプさんだ。
朝日がいくら韓国の味方をしようとしても、彼の顔を見るだけで米韓の事情はおおよそわかってしまう。
情報源の多い時代だ。
新聞だけから情報を得ている人は、いまどきいないと思うけど。
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あー、死にたいよーとつぶやいて、ほんとに殺されちゃったうら若き乙女がいたらしいけど、同じことをわたしがつぶやいても、いっしょに死んでくれる乙女はいないだろうな。 もうさんざん生きたくせに、医療費のムダだ、さっさと死んじまえって、最近の若者ならいいかねない。
でもわたしだって、若いころ、しょっちゅう死にたいと思っていた。 安いアパートで売れないマンガを描いていて、そのうち眠くなる。 せんべい布団でひと眠りして目を覚ますと、窓に西日がかんかんとあたって、時刻はもう夕方だ。 その瞬間の恐怖がわかるだろうか。 自分ひとりを置いて、世間はまったくふだん通りに動いている。 手持ちの金は少ないし、頼りになる人もいない。 そんなときしみじみと死にたくなったもんだよね。
それでもわたしはこの歳まで生きてきた。 優柔不断で、だらしなくだらだらと生きてきただけだけど、さて、死ななかったことは正しかったのか。 わたしは無神論者だから、これはキリスト教的道徳観でいってるわけじゃない。 ただ生きることに価値があるなんて、もっともらしいお説教はやめてくれ。
生きながらえても、有意義な人生を送れたわけじゃない。 意味のない人生はいまでもまだ続いているのだ。 だからときどき自殺を、いやこのトシじゃもう老衰死といってもおかしくないけど、考える。 神さまなんてものがいるのなら、なんでわたしみいな人間をこんなに長生きさせておくんですかと聞いてみたい。 無数に生まれる生命の中で、わたしが長生きしているのは、ただの偶然なんだろうか。
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2017年11月 7日 (火)
今朝の新聞に小さなかこみ記事。 作家の佐藤愛子さんのエッセイ集が100万部を突破して、本人もとまどっているそうだ。 愛子さんというと今年94歳で、もう寝たきりになってんじゃないかと思っていたけど、あいかわらず意気軒昂で、毒舌をぶん撒いているらしい。
若いころ彼女の本をよく読んだ。 そのころすでに彼女は離婚して独身で、ひとり娘を育てながら、旦那のこしらえた借金の返済に悪戦苦闘していたはず。 ひとり娘の名前は忘れたけど、まあ、ググればすぐにわかると思うけど、メンドくさいから調べないけど、まだ高校生だったかな、それとも大学生だったか、なかなか可愛い娘で、この親子によるヨーロッパ紀行記がとてもおもしろかった。
そんな娘もとっくにおばさんになって、結婚しているなら、そのへんも調べないけど、すでに孫のいる歳になっているはず。 いちいち調べないのは、愛子さんの娘はどうでもいいからだ。
彼女の本が100万部なら、わたしのブログはもうすぐ30万だ→アクセスが。 わたしだって94歳まで生きてりゃ、10年で30万だし、人間は高齢になるにしたがって、ますます性格がひねくれて、記事も辛辣になり、もの珍しさもあるから、カウンターが急上昇することが期待できるので、100万ぐらい行くと思う。 そんなに長く生きているつもりはないけど、タブレットさえあれば、この記事だって寝ながら更新したくらいだし、しぶとく書き続けられるはず。 それで金が儲かっても、90超のじいさんじゃ使い道がないのが残念だ。
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2017年11月 6日 (月)
3連休なんてものがあると、さすがに出不精のわたしでもずっとひきこもりってわけにはいかない。 昨日は葛西臨海公園まで出かけて、海を見てきた。 家からいちばん近くて、海らしい海を見られるのは、こことお台場くらいである。 海らしいというのは海水浴のできる砂浜があるということ。
天気がよかったので、まあ、えらい人混みだった。 しかしもともと敷地の広いところだから、混雑のキライなわたしにも、あまり気にはならない。 善男善女にまじってぶらぶら散策。
わたしのお目当は水族館だ。 この水族館では、いちじ飼育されていたマグロが謎の全滅をしたってことだけど、昨日見たかぎりではまた以前のように盛大に泳いでいた。 青森県の大間でマグロを食べてきたばかりのわたしには、たまたま昼メシがまだだったせいもあって、つばがゴックン。
海岸では奇妙なものを見た。 凧上げの凧なんだけど、一本の糸で操るのではなく、4、5本の糸を使い、上がったり下りたり旋回したりと、動きを曲芸のようにコントロールできるらしい。 この日は7、8人のグループが、各々の凧を、上下左右にみごとに編隊飛行させていた。 調べてみたら、スポーツカイト (もしくはスタントカイト) というものらしく、外国ではこれをいかにコントロールするかという競技大会まであるそうだ。 これもまたひとつ、外国からやってきたカッコいい遊びらしい。
競技はさておいても、ドローンが欲しいと考えている映像青年たちには、さらに廉価で、免許のいらない俯瞰撮影用の道具になるかもしれない。 たまに外出すると便利なものを発見するものだ。
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2017年11月 5日 (日)
これ、なにをしているところかというと、お医者さんゴッコ。 ちょっとまえに飯能にある天覧山に登ってきたことは、このブログに書いたけど、そのおりに古い知り合いに再会した。 おお、キミも老けたなあといって、親切なわたしが脈をとり、舌の健康ぐあいをチェックしているところ。
知り合いはいいオンナなんだけど、やはりいいいオトコのわたし同様、ひとり者だ。 世の中まちがっとるよ。
最近自分の写真の露出が多いみたいだけど、そろそろわたしもトシですからね。 ブログの原則も無視して、なんといわれようと大きなお世話。 けっしてオンナ狂いの手始めに彼女を選んだわけではありません。
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2017年11月 4日 (土)
三内丸山遺跡を見学したあと、ホテルにもどって考えた。
なんかぜんぜんアドレナリンの放出がない。
旅をしている喜びがない。
このあと北海道へ渡るか、五能線で秋田に移動したっていいんだけど、どこへ行ってもたいしたことはないような気がする。
今回の旅では無計画に飛び出して、日程がちょうど連休に当たっていることに気がつかなかった。
ホテル代が1日だけ、やけに高いなと思ったら連休のせいだった。
翌日は連休の最終日なので、旅を延長するとまた1泊分高いホテル代を払わなければならない。
楽しい旅ならかまわないけど、ぜんぜんそうではないから、わたしはとつぜんお金が惜しくなってしまった。
こうなると新幹線は便利だ。
歩いて5、6分の駅まで行って、明日の東京までの切符はありますかと訊くと、臨時便が空いてますとのこと。
これでさっさと帰京することにした。
いったいなんだなんだ、この旅はといわれてしまいそう。
おもしろくもなんともない。
わかっている。
そんなことはわたしがいちばんよく自覚している。
反省しておくけど、青森駅のすぐそばにワ・ラッセという大きな建物があって、ここでねぶたや棟方志功の作品を見ることもできたのである。
ねぶたは展示されているものをいちおう見たけど、あまりおもしろくなかった。
棟方志功の版画とその評判は知っているくせに、ムシのいどころがわるくて、金を払ってまで見たいと思わなかった。
どうも覇気の感じられない旅だけど、これが老いるということらしい。
最近は旅だけじゃない。
音楽を聴いても、本を読んでも、映画を観ても、街に出て知り合いと酒を呑んでも、楽しいことがぜんぜんない。
はじめて大陸中国へ足を踏み入れたときの感激、ひとりでトルコの空港に降り立ったときの興奮、美少女に案内されたロシアの幸福、近代化されたカリマンタンでさえぞくぞくするような刺激があったのに。
あの新鮮な喜びはどこへ行った。
このままではますます引きこもりに拍車がかかりそうだ。
すると心身ともに調子がわるい。
おかげで旅に出ようという意欲もますます衰える。
これじゃあ不都合の悪循環だ。
芭蕉を見よ。
最晩年まで旅への情熱を失わなかったではないか。
そういう人もいるかもしれないけど、芭蕉のころと現代では地理の目盛りがちがう。
江戸時代に東北へ出かけるということは、現在のわたしたちが外国に出かけるのと同じくらい刺激に満ちていた。
わたしだって外国ならまだまだ出かけたいという気持ちは持ってるんだけど、歳をとって、夢は枯野をかけめぐるになっちゃっただけ。
今回の旅がつまらない原因は、年齢以外に、やはり日本国内にいるかぎり、どこへ行っても目新しいものに出会えないことだ。
風景にしても人々の生活にしても、みんなグローバル化というのか、どこかで見たようなものばかり。
なんか旅以外に人生の目標を考える時期かもしれない。
ひとつオンナ狂いでもするかと、これ本気で考えています。
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昨夜はBSで、「炎の人ゴッホ」 という古い映画が放映されたので、それを観ていた。 画家のファン・ゴッホの生涯を描いた映画で、なにしろアメリカ映画で、監督がヴィンセント・ミネリだから、奇をてらったところがぜんぜんなく、子供でもわかる伝記映画になっていた。 元祖ニートだったゴッホがかっこ良すぎなのが欠点だけど、印象派が早くも壁に突き当たったころの、フランスの世相風俗を知るには役に立ちそう。
ゴッホを演じたのはカーク・ダグラスで、この人はゴッホ自身の自画像をみると、じっさいのゴッホに似たところがあるから適役。 ついでにいわせると、彼と因縁で結ばれた画家のゴーギャン役はアンソニー・クインで、彼が演じると、本物のゴーギャンもこんな感じだったのではないかと思えるから、これも適役。 わざわざセットを組んだらしいアルルの跳ね橋や、郵便配達人ジョゼフ・ルーランや、医師ガシェのそっくりさんのように、ゴッホに詳しい人なら思わずニンマリという風景、人物も出てくるから、注意して観るとおもしろい。
映画の中に、ゴーギャンが日本の浮世絵をほめるシーンもある。 映画は通俗的で、わたしは傑作といわないけど、美術史に興味のある人にとっては参考になるかも。 いま上野で 「ゴッホ巡りゆく日本の夢」 と、「北斎とジャポニスム展」 というふたつの展覧会が開かれている。 わたしはそれを観に行くつもりだけど、まだオープンしたばかりだから、混雑しているんだろうなあと、もうすこし待機中だ。
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2017年11月 3日 (金)
今朝のウチの新聞にはおどろいた。
オピニオン面で佐伯啓思京都大学名誉教授さんが、わたしとどんぴしゃり同じ意見を書いている。
立憲民主が躍進というたって、あんなもの、希望に入れてもらえなかった民進の議員が、苦し紛れにひねり出した政党じゃないか。
もし入れてもらえれば、彼らもうれしがって入党していたに決まっているから始まって、リベラルってのはなんだと。
国際状況の変化を見据え、憲法の改正と社会の変革を実行しようとしているのは自民党のほうじゃないか。
いまや自民のほうが改革勢力で、これまで通りでいいなんていってるのは、反自民の野党と朝日新聞だけだ。
え、どっちが保守なんだと、もういいたい放題。
ひさしぶりに胸がスカッとした。
このぶんでいけば、そのうちウチの新聞も社説でどうどうと改憲を主張し、日本を守るために自衛隊を公認の軍隊にすべしなんてことを書くようになり、煮え切らない野党をぼろくそにして、ほんもののリベラル新聞は朝日だけってことになるかもしれない。
わたしはいま、時代の大きな変換点を目の当たりにしているのだな。
長生きすると、うん、いろんなものが見られるものだ。
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2017年11月 2日 (木)
案の定ダルビッシュがボコボコだ。
腹が立って散歩に出た。
11月だからとうぜん秋景色である。
この歳になると、四季おりおりの風景をあと何回見られるかということも気になる。
また白いハナミズキが満開になるのを見られるだろうか。
高々とおそびえるセイヨウハコヤナギ(ポプラ)を眺めて、来年もまた舞い落ちる綿毛を見られるかなと思う。
去年の春にもこれが最後かと思ったサクラは、運よく、というかしぶとくというか、今年も見ることができた。
じゃ来年はと悲観的になりつつ散歩していたら、ええっ?
あるところにサクラが咲いていた。
いま秋なんですけど・・・・・
でもこれ、以前にも紹介したことのあるジュウガツザクラ(十月桜)。
飛行場のわきでいま咲いている。
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いま米国の野球中継を観ているところ。 ダルビッシュが投げるっていうんだけど、わたしが観ると彼はたいていボコボコにされる。 さてどうなるかねえ。
快刀乱麻ってわけにいかんものか。
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わたしが三内丸山遺跡に寄ったのは、津軽をうろうろしたあげく、岩木山も雨でさっぱり見えず、ほかに行くところもないという消極的な理由だった。
ここは東北縦貫道の青森ICを下りると、すぐ目の前なので、わたしみたいな運転ギライにも都合がいい。
駐車場料金を含めて、入場料は全部タダなのも気に入った。
入口は縄文時遊館という建物で、そのとなりにただいま縄文センターなるものが建設中。
ウィキペディアによると縄文時代というのは、紀元前1万5千年から、紀元前2300年までぐらいと幅が広い。
とはいうものの、東北や北海道では弥生時代になってもまだしばらくは縄文の時代が続いていたというから、三内丸山遺跡がそれほど古いとはかぎらない。
いずれにしても、ヤマトタケルも聖徳太子もまだ生まれてなかったし、そもそも文字というものさえ生まれてなかった時代だから、わたしみたいに通俗的な歴史愛好家にとっては歴史以前の時代ともいえる。
これでなにか書けといわれても困ってしまう。
遺跡の一隅に立っている巨大なやぐらの柱は、人間ふたりで手をつないでやっとかかえられる太さ。
こんな太い柱の建物がなにに使われていたのかわからないというので、そのへんはわたしの興味をひく。
なにかの祭壇にも見えるけど、古代中国やインカみたいに人間を生贄にしていたわけでもなさそうだから、ここに住んでいた人たちは無慈悲ではなかったようだ。
卑弥呼みたいな女王がいるとおもしろいけど、いまのところそういう話もない。
人間というのは集まるとケンカばかりしている生きものだから、集落対抗の合戦でもあればドラマチックだけど、それも、少なくともその痕跡は発見されてないようだ。
こういう穏やかな生活ぶりと、青森の冬の寒さをものともしない生き方を考えると、住人はアイヌのような北方民族であったことが考えられる。
日本人が稲を育てることをおぼえると、やがてこの遺跡に住んでいた人たちの生活も衰退していった。
モンゴル人が中国の農民に北へ北へと追いやられたのといっしょ。
いったい彼らはどこに行ったのだろう。
駆逐されて北海道にでも移動したのか、それとも稲作文明に呑み込まれたのか。
稲作は原始的な採集生活よりも大人口を養えるって話だけど、そのかわり冷害などに遭いやすい。
彼らが稲作に方向転換したとしたら、まほろばといわれるほど豊かな土地に住んでいた人々にとって、割りに合うことだったんだろうか。
確実なのは、三内丸山遺跡ではかなりの数の人間が、雨風をしのぐ住まいを協力してつくり、採取した食べ物を持ち寄り、それを高床式の倉庫に保管し、老人でも子供でも死ねばちゃんと葬ってもらえて、現代のホームレスなんかよりずっと幸福に暮らしていたこと。
わたしはついやぐらをの周辺を、縄文の子供たちが駈けまわっているようすを想像してしまった。
現代の日本人は不平たらたらで生きているけど、この遺跡で自然の恵みに感謝して生きていた人々を思うと、またまた人間の幸せというのはなんだろうと考えてしまう。
わたしもヤキがまわったか。
このへんまで考察すれば、ようやく哲学的命題にぶち当たるんだけど、この先はこのブログに取り上げるには荷が重い。
あとはみんな勝手に考えてチョーダイ。
三内丸山遺跡を見学し終えるころ、ようやく雨は上がった。
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2017年11月 1日 (水)
今日のカイカイ反応通信に涙が出た。
いわゆるユーモア。
中国が地面を100メートル掘って、銅の切れ端を発見した→ 1000年前、すでに電話があったと発表すると、日本が地面を200メートル掘って、ガラスの破片を発見した→ 2000年前、光通信をしていたと発表。
腹が立った韓国が地面を300メートル掘ったが、何も出てこなかった→ 3000年前、無線通信をしていたと発表。
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わたしの旅にはいっしょに持っていく本が欠かせないけど、青森の旅は急に思い立って出かけたので、それを用意する時間がなかった。
もしも時間があれば、とうぜん持っていったと思える本を、帰京してから読み返してみた。
そして持参しなかったことをつくづく後悔した。
司馬遼太郎の「街道をゆく/北のまほろば」である。
この本にわたしが行ってきたばかりの鯵ヶ沢、五所川原、むつ市、大湊、津軽と南部、岩木山などの地名、太宰治や石坂洋次郎、棟方志功、今東光、考古学の専門家、その地にまつわる人々、下北半島に流刑になった会津藩の末裔などの人名がたくさん出てくる。
旅先でこれを読めば、もうすこしはマシな旅ができたのにと思う。
またこの本の中には青森市にある、縄文時代の三内丸山遺跡のことが出てくる。
これこそ東北地方がかってはまほろば(豊かでうるわしいこと)だったという、内容にふさわしい話題だけど、作者は当初、この遺跡のことを書くつもりがなかった。
ところがなんと、週刊朝日に北のまほろばを連載しているまさにその最中に、この遺跡が発見されたのである。
状況証拠だけで犯人を追求していたら、どかんと物的証拠が出てきたようなものだ。
おおむかしの青森はまぎれもなくまほろばだったという証拠が。
東北というと、わたしなんかまず冷害による凶作や飢饉を連想してしまうので、それがまほろばというのはどういうことだろう。
三内丸山遺跡からは木の柱を組んだ巨大なやぐらの跡も見つかっている。
そんなものをいったいなにに使ったのだろう。
盆踊り大会でもしていたんだろうか。
冗談はさておき、専門家ではないわたしでも、これだけ大きな建造物を建てることができたということは、ここにかなり大きな人間集落があったことぐらいわかる。
そうした人たちが定住して暮らせたということは、それだけこの地方が豊かであったこともわかる。
でも考えてみれば、そんなに驚くことではないのかも。
縄文時代というのはまだ作物をみずから育てて収穫する以前の時代で、食べ物の多くはそのへんにいる野生動物や、自然に生えている天然の穀物や果実で間に合っていた。
こうなると雨が多くて自然の豊かな日本は有利である。
海が目の前ということは、漁業をする人にも有利だ。
遺跡からは食料保存用の倉庫まで見つかっているのだ。
ごみ捨て場も見つかっている。
なんだ、ごみ捨て場かとバカにしちゃいけない。
ごみ捨て場ぐらい当時の人々の生活を教えてくれるものはないのである。
三内丸山遺跡のごみ捨て場からは、クジラやタイ、ヒラメの食べ残しも見つかっているそうだから、海鮮の好きなわたしにもここは天国だった可能性があるのだ。
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