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2017年12月

2017年12月31日 (日)

今年も終わり

外国のオンナの人がフェイスブックでわたしの友達承認を待っているそうだ。
んなこといわれたって。
顔写真でもあって、絶世の美人でもあれば考えないこともないけど、その部分にサクラの花の写真が貼ってあるだけ。
友達になっても外国まで会いに行けるわけもなし、ただ友達の数さえ増えればいいってもんじゃないよ、ったく。
わたしは友達300人以上なんて人には、原則として返事をしません。

ツィッターやフェイスブックのような、いわゆるSNSの人気について、以前このブログで苦言を呈したことがある。
こういうもので友達が増えたなんて喜んでいる人間は、なにしろ気の合う仲間たちだけのサークルだから、たまに輪からはずれた人間がいると、もうそれだけで対応ができない。

最近わたしの知り合いのフェイスブックに、まだ生きてんのかなんて冗談を書き込んだら、他人の書き込みにすぐ返事をしていた彼女が、今回は沈黙したままだ。
どうも冗談の通じない人が増えて困るねえ。
わたしみたいに冗談好きも困るけど。
そりゃ親が死んだときに冗談というのは非常識でしょう。
でもSNSなんて、もともと友人同士の会話でしょ。
のぞいてみると、たいていが日常の、べつに書いても書かなくてもいようなつまらない挨拶とか、お世辞を並べているだけだ。
そんなものにつきあっちゃいられません、こちとら。

他人に関わりを持たないまま、あ、今年も無事に暮れていきます。
あいかわらずちっともアクセスがのびないまま、ボケ防止にブログを書き続けるわたし。

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2017年12月30日 (土)

飛行機雲

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わが家の上空は成田空港からヨーロッパ方面への飛行機の航路になっていて、空気の澄んだこの季節はたくさんの飛行機雲が見られる。
今日は年末のせいか、行く飛行機、帰ってきた飛行機の航跡が、無数に交差して〇〇流星群みたい。
ああ、と思う。
わたしもかってはこの路線でロシアやマルタ、トルコに行ったものを。
雪におおわれた冬のシベリアを、神のごとくの高みから見下ろしたものを。

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2017年12月29日 (金)

来年は

来年のことをいうと鬼が笑うってことだけど、2018年は新生朝日の記念すべき誕生の年になるかも。
今朝の新聞のあまり目立たないところに「社説余滴」というコラムがあって、国際社説担当という人が、韓国に対して辛口の意見を書いていた。
嫌韓家やネトウヨが読んでも、異論はないと思える文章で、まるで産経の記事を読んでいるよう。
来年からはこの路線でいくことにすれば、わたしもイラつかなくてすむんだけど。

ま、来年もこのブログのネタ提供のために、ウチの新聞には頑張ってもらわなくちゃ。

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ブラック

トヨタの営業から電話がかかってきた。
もうすぐ車が車検だから、その連絡かと思ったら、車両保険に入ってくれませんかだって。
いつからトヨタの営業は車ではなく、保険の外交員になったのだ。
会社が社員をそそのかしてやらせているとしたら、天下のトヨタもブラック企業だな。
社員が出世したくて自らすすんでやっているとしても、そんな本来の仕事以外の成績がポイントになるということ自体、ブラック企業の証明だ。

今日の新聞に三菱マテリアルのデータ改ざんのことが出ていた。
車だけではなく、保険も売ってこいなんていってると、せっつかれる立場の社員はきっと不祥事に手を染めるから、トヨタもそのうちニッサンやスバルの二の舞だぞ。
売上だの、仕事ぶりだのにこだわらない経営はできないもんかねえ。
わたしみたいに怠け者でも平和に暮らせる社会であれば、日本はもっと住みやすくなる。
企業が不正をすることもなくなる。
天下のトヨタには率先してそうしてほしい。

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2017年12月28日 (木)

気分は正月

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仕事は昨日で終わり。
今夜のわたしはスーパーで下仁田ネギと、丸々としたシイタケを見つけてきて、これからそれをアルミホイルでくるんで焼いて食べるところ。
さらに本物のユズを刻んで入れたポン酢でもって、湯ドーフも食べるつもり。
ベジタリアンだけど、気分はもう、正月よ、いつでも来いってなもん。
こういう食生活を続けていれば、来年は悲願の血圧降下も実現するかもしれない。

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2017年12月27日 (水)

ああ、堂々の

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日本も航空母艦を持つって、またウチの新聞(朝日)が騒ぎそう。
時代がどんなに変わろうと、近所に刃物を持った異常者が現れようと、憲法9条に書いてあるからぜったいイカンということらしい。
まあ、だれかがいちゃもんをいわないと、上の方にやりたい放題をやられても困るもんねえ。
最近はウチの新聞にかってのご威光なし、だれも本気で記事を信用しないみたいだから、まあどしどしいちゃもんをつけてもらいましょ。

アメリカがいまのていたらくじゃ、将来も頼りにするのは危険すぎる。
日本の国土は日本が守る。
というのが日本政府の基本方針。
守りたくないならどうでもいいんだけど、もし守るとしたら日本の国ってけっこう大きいんだよね。
日本海のほうはロシアや韓国と接しているから、日本ばかりがわがままをいうわけにいかないけど、沖縄の石垣島から、南鳥島、沖ノ鳥島を含めれば、そして領海ばかりでなく、排他的経済水域なんてものも含めれば、日本の領土は海面に顔を出している現在の国土の、ゆうに3倍はあるな。
どこかの国が、領海のはじっこのほうの小さい島にちょっかいを出してきた場合も、日本はすぐさま対処しなければいけないのだ。
そんな海洋国家で先進国の日本に、いままで空母がなかったのが不思議。

せっかく北朝鮮の正恩クンが、脅威を発生させて協力してくれてるのに、この機会を逃してたまるかと、安倍クンも加賀、赤城、蒼龍、飛龍なんて往年の空母大国の復活に前向きだ。
ただし、そこはそれ、いきなりルーズベルトやレーガン級なんていうと世間の反発がコワイんで、いまある護衛艦いずもを改造して間に合わせようという、日本政府の遠慮深いこと。
それでも先行して、ウチの新聞が騒ぐ。
歴代の首相のだれも空母を作るなんていわなかったそうだけど、護衛艦がそんなかんたんに空母に改造できるなら、むかしの首相もこうなることを見越していたんじゃないの。

添付したのは、ああ、堂々のなんとかやらで、安倍クンの夢みるものかも。

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2017年12月26日 (火)

魚釣り

ふだんでも仕事のキライなわたしが、正月が近づくと、ますますやる気がなくなる。
仕事をしないと家でごろごろしているばかりである。
ヒマつぶしに困るから、今日は図書館で本を借りてきた。
とはいっても、いまさら人生の肥やしにしようってわけでもないし、読みたい本があるわけでもない。
なんとなくおもしろそうってことで、引っこ抜いてきたのが開高健さんのエッセイ集。

開高健といえば「オーパ!」である。釣り紀行である。
さらに酒とグルメもあるんだけど、考えてみたら、わたしに縁のないものばかりではないか。
わたしは釣りはしないし、好き嫌いが激しいので、とても食べ物にうんちくを述べるほどの知識も資格もない。
釣りなんかわたしの性格に合いそうな気がするんだけど、いったいどうしてこれまで無縁だったのだろう。

つまり、なんだな。
釣りをすれば、とうぜん釣った魚を見ることになる。
それがバケツの中なんかでアップアップしているのを見ると、もうダメ。
でも、可哀想で見てられないといったら偽善になってしまう。
わたしくらい、解体されてお皿に盛りつけられた、そういうものが好きな人間はいないのである。

人間に釣られなくても、魚なんていつ天敵に頭からがぶりとやられない保証はないのだと、わかりすぎるくらいわかっちゃいるけど、どうも人間には釣りをする人間としない人間の二種類があるようだ。
ひじょうに高雅で、哲学的でもあって、知識人の趣味にふさわしい道楽であるにもかかわらず、たとえば吉行淳之介や司馬遼太郎、村上春樹が釣りをしている光景は想像しにくい。

残念ながら、わたしもどっちかというと、しない人間のひとりのようだ。
せめておか釣りのほうで才能を発揮できればよかったのだが。

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2017年12月25日 (月)

1Q84のその後

沖縄からの帰りに飛行機の中で、村上春樹の「1Q84」を読んでみたということは、このブログに書いたことがある。
先日、図書館に行ったとき、べつに読みたい本もなかったので、文庫のこの本を取り上げてみた。
ちらりと目を通してびっくり仰天。
以前読んだものとまったく内容が異なっていたのだ。
これはいったいどうしたことか。
なにかのまちがいなら、以前の、あまり好意的でなかった書評を書き直さなければならないかもしれない。

調べてみたら原因がわかった。
わたしはこの本が、文庫本にしてせいぜい2冊ていどの本かと思っていたけど、じつは全部で6冊あり、それが2冊ずつペアで1部、2部、3部に分かれ、それぞれに前編後編があったのだ。
つまり前編だけで3冊あるわけで、そそっかしいわたしが借りてみたのは2部の前編、沖縄の帰りに読んだのは1部の前編だったというわけだ。

だからべつに書評を書き直す必要もなく、好意的に思えないのは以前のまま。
ちらりと目を通して思ったのは、場所や時間などの具体的な固有名詞が出てこないのが現代小説なのかなということ。
こういう点では時代小説というのはエライ。
文化文政の江戸小伝馬町というように、具体的な名詞が出てこない時代小説があるはずがなく、そのへんでいいかげんなことを書けば、歴史マニアからすぐにつっこまれる。
三谷幸喜クンの歴史ドラマでは、坂本龍馬と新撰組の近藤勇が、同時に黒船を見物するという場面があって、そんなバカな設定があるかと物議をかもしていたけど、彼のドラマはSFみたいなものと覚悟していれば腹も立たない。

「1Q84」にはつっこみどころがない。
ほめているわけではなく、現実に存在する固有名詞がほとんど出てこないのだから、つっこみようがないのである。
こういう点では三谷幸喜クンのほうが、不真面目であっても、いちおう歴史に立脚しているということで、作家としては大変な仕事をしているといえる。

森鴎外の歴史小説を読んでみよ(金がないならネット上の青空文庫で読め)。
「阿部一族」にしても「護持院原の敵討」や「堺事件」などにしても、冒頭に当時の歴史的背景、登場人物の官職名、屋敷の配置などが不必要なくらい詳細に書き込まれ、それだけで小説の立体感をぐんと増している。
当代の作家にそれを望むのはムリだけど、いつのどこだか曖昧な場所で、生まれも育ちも知れない人物が活躍する話なんて、SF小説よりひどい。
これをもって清閑なリリシズムとか、奇妙なユーモア感覚などと屁理屈をつけるのは勝手だけど、やっぱりわたしは村上春樹を読む気がしない。

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2017年12月24日 (日)

おごられる

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今夜は知り合いに誘われて、高そうな飲み屋でイッパイやってきた。
いい機嫌で帰宅して(帰ってきたのが20時だから健全すぎる気がするけど、わたしたちはもう夜遊びできる若者ではないのだ)、これからベッドにばったりとなるところ。
寝るまえに大急ぎでブログを更新する。
吉祥寺ではわりあい口コミ評判のいい店だったけど、料金からすれば、わたしにはちょっと不満。
どこが気に入らないのか、きちんと説明すればいいんだけど、わたしのブログは原則として口コミには加担しない主義だから、飲み食いしてきたという証拠の写真を1枚だけ。

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2017年12月23日 (土)

謎の飛行機

のっけからぼやけた写真でもうしわけないけど、わたしは望遠レンズを持ってないから、これは遠方からiPhoneで撮影して思い切り拡大したもの。

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先日、調布の飛行場のまわりを散歩していたら、変わったかたちの小型飛行機を見た。
この飛行場でよく見るのは、伊豆諸島を定時に往復している新中央航空の、20人ぐらいが乗れるドルニエ228、そのほかは大小さまざまな、いわゆるセスナ型の飛行機が多い。
だからふだんはあまり注意してなかったんだけど、この日はたまたま滑走路をながめて、まっ白なボディのこの飛行機に気がついた。

鼻がジェット機のようにとがっていて、それだけでいかにもモダーンな最新型という感じ。
全体の大きさはセスナとたいして変わらず、小さな胴体からすれば長めの両翼に1機づつのエンジンがついていて、いかにも敏捷そうである。
座席は前後にせいぜい2列だから、乗れたとしても4人ぐらいで、あまり使い道はなさそう。
外国のセレブの中には自家用飛行機を持っている者もたくさんいるって話だから、そういう金持ちが本場の和食を味わってやろうと、調布飛行場に舞い降りたのかもしれない。

わたしは飛行機のマニアではないから、機種名がわからないけど、こんな飛行機ばかりだと散歩も楽しくなる。
これからはもっと注意して、これがふたたび飛来するようなら、今度は展望ロビーからもっと鮮明な写真を撮ってみたいものだ。

その後、いろいろ調べてみて、この飛行機は Diamond Twin Star という機種名であることがわかった。

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2017年12月22日 (金)

ゴムカタパルト

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昨日もまた飛行場を一周していたら、公園の一角にある広い芝地で、年金暮らしみたいなおじさんたちが集まってなにかしていた。
みんなでいっせいに空を見上げているから、ドローンでも飛ばしているのかと思って近づいてみたら、じつはこれって紙飛行機を飛ばしているのだった。

最近はいいトシこいたおじさんもそういうことをするのかと愕然としたけど、そばで観察しておどろいた。
たかが紙飛行機とバカにするなかれ。
20センチほどの飛行機が、うまく気流にのると、1分ちかくも上がったり下がったりして、なかなか落ちてこないのだ。
調べてみたら「ゴムカタパルト」という遊びらしく、おじさんたちは持ち寄った飛行機の滞空時間や飛距離を競っていたのである。

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なかなか落ちてこないのは、けっして飛行機自体に動力がついているわけではなく、動力源は発射するさいのゴムの反発力だけである。
ようするに、わたしたちが子供のころよくやったゴムで小石を飛ばすパチンコ、あれで小石の代わりに紙飛行機を飛ばしているようなものだ。
飛行機の材料は、牛乳の紙パックを利用したりしているから、べつに凝ったものではない。
しかし長時間飛ばすためには、形状の工夫や、空力学的計算が必要だろうから、けっこう知的なおとなの遊びといえる。

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なにも知らないのはわたしだけ。
この11月に葛西臨海公園に行ったときには、「スポーツカイト」という新しい凧揚げを発見したし、ひきこもりの知らないうちに世間はますます進化しちゃってんなと思う。
でもほんとうに問題なのは、そういうものを見ても、自分もやってみたという意欲がせんぜん湧かないことだ。
若いころは好奇心のかたまりだったのに。

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2017年12月21日 (木)

疑う

アメリカと中国の動きにちょっと変わった動きが見られるとネットニュースに。
いよいよ両国とも北朝鮮への侵攻がやむなしということに傾いてきたのか、いや、またこれまで何度も繰り返されてきたガセネタの類か。
そんなとき韓国の文在寅大統領は、オリンピックが終わるまで米韓合同訓練を中止してくれないかと米軍に持ちかけて、アホいってんなと一蹴されたという。
あいかわらずナニ考えているのかねといいたくなる人だけど、疑い深いわたしの脳裏にちらりとひらめいたことが。

北との融和政策をとる文サンて、ひょっとすると寝ぼけたようなことをいって、北を安心させているだけかもしれない。
彼の頭の中には韓国のダメージをできるだけ少なくして、いっきに北を壊滅させるシナリオができており、米軍もそれを承知で話を合わせているだけかもしれない。
オリンピックの最中には攻めて来ないだろうと安心している正恩クンの寝首をかくには、そのくらいの謀略が必要だ。
これが功を奏すれば文サンも、日本の安倍クンに勝るとも劣らない名宰相ってことになるのだが。

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2017年12月20日 (水)

もの思い

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メールがじゃんじゃん来るねえ。
でも愛してますとか、逢いたいですという女性からのものはぜんぜんなくて、今日も旅行会社からのものばかり。
わたしのことをお得意さんと思ってるのか、それともネギを背負ったカモと思ってるのか、たぶん後者だろうなあ。
庭につもったケヤキの枯葉をながめてもの思いにふける今日このごろ。

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2017年12月19日 (火)

訃報

所属している団体に顔を出してみたら、訃報ですという。
団体に所属している人間は多いから、へえ、だれですか、知ってる人ですかと聞いてみた。
わたしのトシになると、わたしも含めて棺桶に片足を突っ込んでいる人間が多いから、ぽっくりいきそうもない人間のほうが珍しいくらいなのだ。

聞いてみたら、かって五日市の山小屋でキャンプをやるから来ないかと誘ってくれた人で、つまり同じ釜の飯を食った仲間のひとりだった。
入院していたことは聞いていたけど、亡くなったのは昨日の夜だったらしい。

うーむと思うけど、それ以上どうしようもない。
付き合いのいい人なら告別式にでも顔を出して、線香の1本でもたむけてくるんだろうけど、わたしはなんといっても世捨て人のような人間なのだ。
そういう儀礼的なことは大嫌いで、部屋でひとり静かに故人を偲ぶだけなのだ。
ちょっと早口で、頭がひくくて、わたしのような人間にもいたって愛想のいい人だった。
その笑顔を、思い出せというなら、わたしはいつでも思い出すことができる。

しかしわたしは悲しまないゾ。
人の生死をわたしがどうにかできるわけじゃない。
あの世に知り合いがどんどん増えてくれれば、三途の川のほとりで、また大勢でキャンプができるではないか。

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2017年12月18日 (月)

散歩

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独居老人は健康のために飛行場を一周する。
調布飛行場はローカル色いっぱいの飛行場だけど、生意気に展望ロビーがある。
ついでにスターバックでもあればいうことなしだけど、あいにく飲み物の自販機があるだけだ。
それでもうちの近所の穴場スポットである。

今日のようないい天気の日に、ここで離着陸する飛行機をながめながらブログの更新をするのはいい気持ちだ。
目の前に、伊豆七島あたりから帰ってきたばかりの飛行機が駐機して、乗客を降ろしている。
飛び立つ飛行機もある。
機影が雲のかなたに消えていくのを見送ると、底知れないノスタルジーを感じてしまう。
この冬はどこか伊豆の島にでも行ってみるか。

最初の写真で離陸中の飛行機の後方に見える四角い建物が展望ロビー。
つぎと最後はロビーの内側からの景色。

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2017年12月17日 (日)

文サンの訪中

ウチの新聞(朝日)が偏向していることは、わたしか説明する必要もない事実だけど、今日のそれに中国を訪問した韓国の文在寅大統領のことが出ていた。
真実をありのままに書くと、ウチの新聞に反感をもつ人々を嬉しがらせるだけだから、そのへんはまた訪中が成功だったみたいな書き方がしてある。
つまり、文サンは歴史問題を前面に押し出すことによって、韓国と中国の連帯を強固にした、といいたいらしい。

じっさいにはとてもそんな調子のよい訪問でなかったことは、ネット記事をいくつか読めばわかる。
わたしなんかにはちょっと想像もできないけど、文サンは中国から徹底的に軽く見られていたというのが、本当のところらしいのだ。
そりゃ嫌韓サイトを見たんだろうという人がいるかもしれないけど、わたしだってダテに歳はとってない。
そういうことはウチの新聞をじいっと読み解くだけでもわかるのだ。

ウチの新聞から目についたポイントをいくつか拾ってみると、文サンが中国との距離を縮めるためにすがったのが歴史問題うんぬんと書いてある。
すがったなんて書くと、相手にされずに必死な韓国の事情が伝わってくるではないか。
習主席との昼食会が拒否された文サンは、代行の重慶市書記に、重慶と韓国は対日戦争のさいに浅からぬ交流があったとか、また行く先々で南京事件にふれて、韓国人は中国人に共感の念を持っていると主張し続けた。
ところがウチの新聞でさえ、中国側の反応がない。
鼻を棒でくくったような通りいっぺんの対応があっただけなのである。
さすがの朝日新聞も、ぜんぜん歓待されてないものを歓待されたとは書けなかったのだろう。

必死で同調をねがう韓国に対し、中国は南京事件の追悼式で、主席の習サンはとくに日本に対して発言をしなかった。
中国は韓国のおもわくを無視して、むしろ日中関係の改善を図っているようなのだ。
現在の中国は日本に一目おくことはあっても、韓国に対してはまるでむかしの宗主国のような態度をとる。

これはウチの新聞が触れてないけど、今回の文サンの訪中では、随行の記者たちが中国側の警備員に暴行を受けてケガをするという事件まであった。
わたしの知り合いで日本に住んでいる中国人が、自分のフェイスブックに、記者がなぐられている映像をあげているくらいだから、それはもうれっきとした事実で、へたすれば国際問題に発展しかねない事件である。
はたして文サンはどんな顔をして帰国したのだろう。

わたしは韓国の立ち位置にも同情するけど、まえの大統領のクネちゃんもあっちに擦り寄り、こっちになびきして、けっきょくボロくそにいわれ、とどのつまりに罷免された。
文サンもどっちにもいい顔をするのではなく、どっちにもきびしい顔をしたほうがいいような気がするけど。

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2017年12月16日 (土)

共産党に提言する

その存在が日本の政治に与える影響ゼロの日本共産党が、これではイカンと、印象アップ作戦だそうだ。
具体的にはインターネットやSNSの活用、「しんぶん赤旗」というネット新聞を発行と、まあいろいろやるつもりらしい。
今日の新聞によると、支持者を集めていろいろ意見を聞いていたそうだ。

そんな意見の中に、共産党というとソ連や中国のような抑圧的、一党独裁のイメージがあるという意見があり、それに対して志位クンは、うちはけっしてロシアや中国と同じ道は歩みませんといっている。
でもそれじゃ、無理して印象アップなんかやらずに、いまのままでいいんじゃない。
いまでもちゃんと共産党だって候補を立てて、選挙をして、その結果が気のドクな現在の支持率なんですから。

こういう共産党の窮状をみかねて、わたしから提言だ。
支持者の意見の中にも、共産党という名前がよくないという声があったそうだから、ここはひとつ、カタカナを使ったキョウサントウにするか、KYOSANTOのような横文字政党にしたらどうだろう。
若者を取り込むには効果がありそう。

いや、うちの名前には理念や歴史が詰まっている、こればっかりは変更しませんと志位クンは頑固だけど、まあ、このへんはコロコロ名前を変えるどこかの政党よりはマシ。
自民党もなかなか名前を変えそうもないから、アメリカみたいに保守頑迷の二大政党ということを強調して闘う方法もあるかも。
ムリか。

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2017年12月15日 (金)

年賀状の季節

今年もぼちぼち独創的な年賀状のアイディアを考えなければいけない時期になった。
わたしの場合、来た年賀状に返事を書くだけだから、大騒ぎすることもないんだけど、そのかわりこちらから投函するのがどうしても一歩遅れる。
なにげなしにネットニュースを読んでいたら、そういう場合に注意が必要なんだと。

今年ははがきの値上げがあったので、年賀状も本来なら値上げされているはずが、特例として来年の1月7日までに投函したものは旧料金でいいそうだ。
わたしのところには、毎年ほんのちらほら、三が日を過ぎてから舞い込んでくる年賀状があるんだけど、これでは大急ぎで返事を書かないと7日までに間に合わない。
そのころには今年の年賀状が足りなくなって、あわててコンビニに走ることもあり、そういうときにかぎってもう売り切れですなんていわれる。
遅れてくる年賀状は、相手がわるいのだから、受取人に請求するよう書いておくか。
どうも春から縁起がいくないね。

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2017年12月14日 (木)

光ありき

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外出して、暗くなったころ部屋にもどったら、やややっ!
庭の方角になにやら怪しい光が。
目の前のグランドで設置工事をしていた照明灯が完成して、そのテストらしい。
グランドからわたしの部屋まで、光をさえぎるものは何もないのだ。
防犯にはいいかもしれないけど、これでまた味の素スタジアムでやかましいコンサートでもやられた日には。
ああ、もう、静かで瞑想にふさわしいモグラ的生活とは永遠にお別れだ。

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2017年12月13日 (水)

権威主義

新聞の訃報欄に小さな記事。
サンフランシスコ市長のあの方が亡くなったそうだ。
あまりのグッドタイミングに、ネット上には殺られたんじゃないかという意見まで飛び交っているけど、わたし的にはどうでもエエ。

夕刊に権威主義についてなんたらかんたらと。
権威主義ってなんのことだろうと記事を読む。
民主主義の対極にあるものらしいけど、全体主義やファシズムとどこが違うんだべさ。
ウチの新聞が書くことだから、気をつけて読まなくてはいけない。

意味は記事の中に説明があって、上からの権威に服従させる考え方だそうで、たとえばトランプさんのアメリカ、そしてプーチンのロシア、習さんの中国みたいなものらしい。
最近そうした考えに寛容な人が増えてきたと、外国の専門家もその流れに警告を発している。
原因はどこにあるのだろう。

わたし個人的にいわせてもらえば、ここ何年かの日本の政治を見つめてきて、民主主義にいささか失望していることも事実。
ウチの新聞(朝日)ばかり読んでいるからよけいそう感じるのかもしれないけど、政策論争などあっちに置いて、ただもう政治家の足を引っ張ればいい、評判をおとしめればいいという記事ばかり。
みんながみんな勝手なことばかり言い張って、いつになっても何も決められないのが民主主義なのか。
えい、いっそのことクーデターでも起こしてもらって、しばらく自衛隊に政治を担ってもらおうかと考えたくなってしまう。

わたしが健康診断に行くと、血圧を測った医者は、かならず薬を飲め、病院へ行けという。
これが権威主義でなくてなんなのか。
個人に自由があるごとく、病気にも例外があるかもしれないのに、あたまからこうしなさいの一点張りだ。
いわれ続けてもう10年以上、医師のいいつけを無視して、薬も飲まず、塩分もフツーに摂取しているわたしこそ、権威主義に対する最前線の活動家ではないか。
あした脳梗塞で倒れたらみんなに笑われそうだけど、ほんらいの抵抗運動というのはキビしいものなのだ。

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2017年12月12日 (火)

今朝の新聞

新聞の読者投稿欄に、あいも変わらぬアホなたてまえ論が載っているから、ヒトコトなんか書いてやろうと思ったけど、そのとなりのオピニオン面の下のほうの記事に目をひかれた。
ロシアであったアホなできごと。

旧ソ連時代からスパイの養成所として有名な連邦保安局ってところで、学生たちが卒業祝いのパーティをして、ベンツを連ねてパレードをしたのだそうだ。
よせばいいのに、なにしろSNSの好きな最近の若者だから、そのようすを自撮りしてネットにばらまいた。

スパイというのは、ほんらい顔をあきらかにしないのが鉄則である。
顔認証なんてものさえある時代だから、これではいつどこで正体がバレないともかぎらない。
ウクライナでは、ロシアの正規軍は参戦していないがたてまえだったはずなのに、兵隊たちがうれしがってSNSに自撮りした写真をばらまいたもんだから、ロシアのいってることがみんなウソだとわかってしまった。

プーチンは怒り狂っているそうだけど、うん、いいねえ。このおおらかさ。
ますますロシアが好きになってしまいそう。

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またカレー

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またカレーだ。
考えてみると、食パン2枚ですませた朝食や、外食のラーメンを別にすれば、自分で作った食事はもう4回ぐらい連続してカレーばかりじゃないか。
おまえもカレーが好きなんだなといわれてしまいそうだけど、じつはそこには独身男の悲しい事情が存在するのだ。

カレーの中には肉も入れる。
わたしは肉が苦手だからできるだけ少量のパックを買ってくるんだけど、それでもいちどに食べるには荷が重いので、どうしても2回に分けて食べることになる。
ジャガイモやニンジンなら、冷蔵庫に入れておけば、あるていど日持ちするけど、肉はそうはいかない。

わたしがカレーを作るときは、おおむねジャガイモ2ケ、ニンジン1/2を目安にするんだけど、どういうわけか、これだけで3回の食事をまかなえる分量になってしまう。
つまり朝、昼、晩の食事が、カレーを1回作るだけで間に合ってしまうのだ。

1日にきちんと3回の食事をとるような規則正しい生活をしてないから、2日ぐらいかけて、ようやくカレーを片付ける。
ようやく片付いたころ、残りの肉の処理に頭を痛め、カレー用の肉はステーキになりそうもないから、けっきょくまたカレーということになるのである。
すると連続6回はカレーだ。
それでも2回目のカレーの1/3はいま片付けた。
あと2食だ、頑張ろう。

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2017年12月11日 (月)

2045年問題

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ネットに2045年問題という言葉が出ていた。
それまで生きているはずのないわたしが関心を持っても仕方がないんだけど、いったいなんのことだ。
つまり、人工知能が人間を超えるターニングポイントのことらしい。

ご存知のとおり人間の体は、水やタンパク質やアミノ酸などのさまざまな分子、それを構成する酸素、炭素、水素などのありふれた原子でできている。
人間の構成要素をこのへんまで細分化すると、ひとつひとつが生きている物体であるとはとても思えない。
思えないくせに、それが天文学的な数で集まって、複雑に組み合わさると、見たり聞いたり話したり、笑ったり怒ったり、さらに思考するという、これ以上ない複雑な反応をするようになる。

こういう反応は、すべてコンピューター内部の、切ったり流れたりする電気の変化と変わらない、分子間を流れる極微小な電気信号のせいだという。
そうか。
それだけのものがこれほど複雑な反応を示すのか。

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ここに掲げたのはロシアの美術館にあるヴァシリー・ポレノフという画家の絵だ。
それを見て、酸素、炭素、水素などの化合物(わたしのことです)が、なにかを感じとる。
それは静謐さであることは間違いないけど、さらに加えて、うまく説明するのがむずかしい寂しさや孤独のようなものである。
しかも後世の人間であるわたしにとって、画家が描いたつもりのない、過ぎ去りし時代への郷愁のようなものまで。
つまりそんなふうな曖昧模糊としたものを感じるわけだ。

ありふれた原子がそんなことをと、信じられないあなた。
信じなければ、あなたは自分自身と、この世界の基本的原理を否定することになってしまうのである(じつはわたしにも信じられない部分があるんだけど、それをいうとオカルトになってしまうので、青少年に与える影響を考慮して、わたしという化合物はこれ以上いわないのだ)。

囲碁将棋の世界では、すでにコンピューターは人間を超えた、あるいは超えようとしている。
しかし曖昧模糊とした部分に関しては、はたしてあと30年足らずで超えられるだろうか。
ウイン95がパソコン元年とすれば、それから現在まで22年。
この期間のパソコンの進化をじっとにらんで、この先の30年でどのへん までいくかと考えると・・・・
うーん、将来はパソコンのことを考えるパソコンが登場して、進化が複利計算方式で加速するかもしれないから、ちょっと微妙なところだな。
やっぱりそれまでに死んじまうわたしにはどうでもいい問題か。

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2017年12月10日 (日)

健康診断

今日、わたしの所属する団体の年にいちどの健康診断があった。
お医者さんがわたしの検査結果を見てぶつぶつ。
これは異常な数値だよ、わかってるのかね。

はあとわたし。

あいかわらず高止まりの血圧のことである。
医者:これじゃ生活習慣をあらためなくちゃいけないな 。

わたし:でもわたし、タバコは吸わないし、酒はほどほど、肉がキライで野菜ばかり食べていて、たまに散歩もしてまして、改善すべき点が見つからないんですが。

医者:それじゃ遺伝かなあ、家族に高血圧の人はいないかい。

わたし:親父が血圧が高かったです。

医者:それだよ、キミ、原因は。

わたし:でも親父は80ちかくまで生きて、老衰で死にました。

医者:キミはずいぶんさからうねえ。

ここまで読んで、どっかで見たことのある文章だと思ったお方。
これはじつは去年の健康診断のおりに書いたブログ記事だ。
今回も去年とほぼ同じようなもの、つまり1年経ってもぜんぜん状況に変化がないということである。
健康に問題があるとすれば、あいかわらず血圧が高いということで、お医者さんの病院に行けというセリフも同じ。
高血圧については2011年にも書いたことがあるし、そのときが最初というわけでもないから、10年ぐらいまえからずっと変わらないんじゃないか。

去年はヤバイから酒を断つことにしたけど、効果があらわれないから、いまはまた飲んでいる(酒量はいくらか減った)。
塩分取り過ぎも注意されたから、漬けものにも注意することにしたけど、そのときだけで、またいつのまにか元の木阿弥だ。
これで1年間なにもなければ、来年もまた今年の文章をコピーして載せることになるんじゃないのか。

診断をすれば、やがて結果が出る。
去年は健康診断の結果を見て、こんな結論を出したおぼえがある。
いちいち病院のお知らせなんかに一喜一憂しないで、駘蕩と生きるのがいちばんなんだな、きっと。
100歳まで生きて、医学会の常識をくつがえしてくんず。
そうは思ったものの、じっさい、1年後にもまだ無事でいられるとは思わなんだ。
記録の途切れる日はいつのことやら。

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2017年12月 9日 (土)

初冬の日

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カレーが食べたくなった。
幸いというか、部屋にだいぶ以前に買ったカレールーがあった。
ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎ、牛肉に、ミニトマトを数個ぶちこんで、トマトカレー風味。
これを夜の8時に食べて、あとは明日の朝までなにも飲み食いできない。
明日は所属する団体の健康診断だ。
また血圧についてぶつくさいわれそうだけど、わたしはもう20年ちかくこんな調子で、医者にも薬にも世話になっていないのだ。
人間、死ぬときはなにをしたって死ぬさ。
死なないときは、わたしみたいになにもしなくても死なない。
困ったモン。

添付した画像は散歩コースにあるエノキの古木。
神の祟りによって息子を奪われ、両腕を天にさしのべて悲しむ、ギリシア神話の中の母親像を想像してしまうんだけど。

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2017年12月 8日 (金)

飢える国

驚異の2枚腰。いや、3枚腰か。
いまの北朝鮮のこと。
ICBMの成功を祝って平壌でパレードが行われたというんだけど、いまの北にそんな余裕があるのかしら。
経済制裁のおかげで電力もカツカツで、パレードの行われている通り以外はまっ暗だったそうだ。
あいかわらず自国民の困窮なんか一顧だにしない正恩クンである。

電力だけじゃなく虫下しも不足しているようで、先日非武装地帯から脱走した兵士なんて、お腹の中が回虫でいっぱいだったという。
おそらく人糞まみれの野草でもなんでも、食わずにいられない生活なのだろう。
たまに虫下しが支給されると、わずかな金銭を得るために、それをみんな市場で横流ししてしまうので、兵士のふところ、いや、腹には入らないらしい。

最近日本海側に北朝鮮の木造船が相次いで漂着しているけど、これも食糧事情がひっ迫した北が、かわいそうな下級兵士を、遊んでいるなら漁師でもやって食い扶持を稼いでこいと、冬の日本海に送り出しているにちがいない。
十分な装備も、ろくな漁師の経験もなしに送り出された兵士たちが、遭難するのは当然といえば当然。
冷たい海の中で、最後の瞬間に母親の名前を呼んだ兵士のことを思えば、とても彼らを責める気にはなれない。

これではもはや国家の体をなしていない。
ほかの国、たとえば中国でさえ、易姓革命で政権が倒されても不思議じゃないのに、ほんと、正恩クンの土俵際のねばり強さ。
こういう国もめずらしい。
ここまで落ちぶれて、政権打倒の声が出てこないとは、いったいどういう国なんだ。

それでもやっぱり真綿で首をしめる経済制裁は効果がある。
こういう国に武力で制裁なんか加えると、窮鼠猫を噛むで、ヤケッパチになってなにをするかわからないけど、中国、ロシアを巻き込んで、とことん干しあげれば、命の惜しい正恩クンは自らが先に核ミサイルを使うわけにもいかず、ジリ貧が確実だ。
少々の人道支援なんかしても、それが一般庶民の手に渡るはずはないのだから、あの国の国民には、もうすこしだ、頑張ってほしいというしかない。

しばらくまえにテレビで、民衆の反乱にあって崩壊した中国の王朝の、ごみ捨て場から発見された女性の遺体を見たことがある。
もちろん発見されたのは人骨で、その彼女の下半身、つまりアソコには牛の角が差し込んであった。
彼女が虐殺されたことはまちがいがない。
いまの北朝鮮のような抑圧的な独裁王国で、国民の怨嗟の的になるほど、彼女は無慈悲で驕慢な女王だったのだろう。
あるいは暴君の旦那のまきぞえをくらっただけかもしれないけど、正恩クンの美人の奥さんがそうなるまであとどのくらいか。
民衆の怒りはもうそこまで迫っているはずだし、亡命を引き受けてくれる国はどこにもないぞ。

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2017年12月 7日 (木)

NHKと受信料

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今朝のウチの新聞のトップは「NHK受信料、実質義務」だって。
解説があって、“NHKは政治との距離や中立性など、公共放送としてのあり方を問う声につねに向き合わねば” なんて、アンタにいわれたくないっていいたくなる文章が。
いうのを忘れたけど、ウチの新聞はリベラルとされる朝日だかんね。

ネットには、NHKは偏向しているとか、最高裁は国の味方だからなんていちゃもんが飛び交っているけど、つぎの選挙で自民党が勝つと決まっているわけじゃあるまいし、わたし的にはどうでもエエ。
だいたいテレ朝を見るまでもなく、テレビ局には大なり小なり偏向がつきものだ。
自分の信条どおりにやってくれないと、すぐに偏向してると騒ぐのは止めましょうよ、え、みなさん。

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わたしだってNHKにいいたいことはゴマンとあるのだ。
たとえば、ひとつだけ例を挙げると、これは相当にむかしのことなんだけど、イタリア語講座という教育番組に、胸を思いきり開いた衣装の娘(イタリア人)が、アシスタントとして登場したことがある。
なんという過剰なサービス精神かと感動したけれど、テレビに出るというので、彼女は自分がハリウッドスターになったとカン違いしたのかもしれない。
これはおカタい年寄り委員さんたちには気にいらなかったらしく、すぐにチクられて、2回目からは地味な衣装になってしまった。
わたしのイタリア語が頓挫したのはあれからじゃないか。
わたしはNHKにうらみがある。

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じつはわたしには受信料について文句をいう資格がないのだ。
なんとなれば、わたしが観るテレビ番組は、その95%がNHKなのである。
そんなわたしでも払わないを実践していたことがあるけど、テレビがデジタルになり、画面に目ざわりな文字が表示されるようになり、それを除去するためにとうとう敵の軍門に下らざるを得なかった。
でも文句はいうまい。
今夜は「世界入りにくい居酒屋」というBSの番組があって、わたし、これのファンなのよ。

添付した画像は今日の午後1時に、野川公園自然観察園にて。

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2017年12月 6日 (水)

センダン

今朝のウチの新聞のトップは「郵便局網維持へ負担金」というもの。
わたしに関係ないみたいなので無視。
べつのところには 「年収800万円以上の会社員に増税」 だって。
これもわたしに関係ないので無視。
文句のある人は北朝鮮の住人の過酷な現状でも思えばいい。
親分の都合のためにありとあらゆるところからお金をむしり取られて、生きるのがやっと、しかも国外脱出もままならない。
日本の負担なんて大騒ぎするようなものか。

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話はとつぜんノーテンキに変わりますが、散歩コースである飛行場のわきで、今年の初夏に、むらさき色の小さな花をいっぱいつけた樹木を見た。
葉がやわらかそうで、わたしが害虫だったら喜びそう。
それほど珍しい木ではないようだけど、なんという木か。

そのときはわからず、帰宅してからググってみたけど、なかなかヒットせず、仕方がないから宿題にしておいた。
そのうちなにかのきっかけで、ぽんと名前がわかることがあるんじゃないか。

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案の定、最近べつのところで名札を下げたこの木を発見。
半年ぶりにわかったこいつの名前は “センダン”。
栴檀は双葉よりかぐわしいのセンダンである。
と思ったら、かぐわしいセンダンは白檀 (ビャクダン) のことだそうだ。
時期はずれだけど、名前が判明したのでいまごろ紹介だ。
上は5月の写真で、下は今日の写真。

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2017年12月 5日 (火)

盲目物語

昨夜は青空文庫で、谷崎潤一郎の「盲目物語」を読んでみた。
ひらがな多用で、ひじょうに読みにくい文章だ。
新人類のわたしにはちとまだるっこしいけど、ひらがなが多いというのは、平安時代の女流作家の文章みたいである。
そういえば全体的に女性的な文章で、作者の意図もそのへんにあったのかも。

内容は戦国時代のお話で、織田信長の妹で、そのころ絶世の美女とうたわれたお市の方に仕えたあんまのひとり語りである。
お市の方は最初は備前の浅井長政に嫁ぎ、彼が信長に滅ぼされると、つぎに越前の柴田勝家のもとに嫁ぎ、最後は豊臣秀吉に攻められて亭主とともに死んだ、ということはこのブログに書いたことがある。
歴史小説として読むとおもしろいけど、ここでは視点を変えて、失恋した男の悲哀ということに的をしぼってみよう。
わたしも恋愛戦線に屍累々というタイプなので、その男の気持ちがよくわかるのだ。

男というのは、若いころ木下藤吉郎といった豊臣秀吉のことで、彼は織田信長の部下だったから、とうぜんお市の方のことを知っていた。
しかし彼は自分がイイ男でないことを自覚していたから、信長が生きているあいだは、とても主君に向かってその妹を嫁にくれとはいえなかった。
信長が本能寺で殺されると、なにしろ殿の仇討ちにいちばん功績のあった部下ということで、ようやく彼の出番が来る。
彼にも未亡人になっていたお市の方に求婚する権利ができたわけだけど、ここで秀吉の前に立ちふさがったのが、やはり信長旗下の猛将柴田勝家。
こうなるとどっちを選ぶかという権利は未亡人のほうにある。
イケメンでなかったことはどっちもどっちだったようだけど、それまでのいきさつもあり、お市の方は勝家のほうを選ぶ。
秀吉はお市の方の亭主だった浅井長政を滅ぼすのに功があり、なおかつ信長の命令で彼女の幼い息子を誅殺しているのだ。

いかに主君の命令とはいえ、自分が愛している女性の息子を手にかけるなんて。
いや、そればっかりは誰かほかの人間におおせくだされと、秀吉もいちどは命令を拒否するんだけど、しかし相手は北朝鮮の正恩クンにひけをとらない短気な暴君の信長だ。
そうか、そうか、おまえもエラくなったもんだなと信長にへそを曲げられ、とうとう彼はお市の方の恨みをかうのを承知の上で、泣く泣く子供を処分する。
あまり世間から同情されない秀吉であるけど、この部分にかぎってはわたしは彼に同情してしまう。

秀吉はジャパニーズ・ドリームを体現したひじょうに優秀な男である。
そんな男が、上記の理由で、自分が好きでたまらない相手をほかの男にとられる。
ああ、いまこの瞬間に、彼女はあの男に抱かれているのかと妄想する苦しみ。
わたしにとっては、このあたりが小説のハイライトだ。

それでも秀吉はじっと耐えた。
見ていろ、オレはあいつを滅ぼして、いつかかならずお市の方を手に入れてやる。
その言葉どおり、まもなく彼は勝家を攻め滅ぼしてしまう。
もっともお市の方までいっしょに死んだのは彼の誤算だったけど。

「盲目物語」では、あんまの口を借りて、このあたりの心理描写がねちねちと描かれる。
ご存知のとおり、秀吉は母親と瓜二つのその娘茶々を嫁にして、積年の思いを遂げるのだけど、げに男の執念は恐ろしい。
わたしの場合は、一方的にふられておしまいで、執念を発揮するヒマもなかったワ。

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2017年12月 4日 (月)

ぼけ?

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わたしの部屋のベランダから味の素スタジアムが見える。
どっちかというと目ざわりの部類。
そのとなりにまたひとつ、大きなドームが出来たので、あれはいったいナンダと、昨日は散歩をかねてその偵察に行ってきた。

「武蔵野の森総合スポーツプラザ」というものだそうで、2020年の東京オリンピックを見据えて新設された運動施設らしい。
プールは一般でもいつでも利用できるというので、見学をしてみた。
ガラス張りでピカピカの観覧席から見下ろしてみたら、50メートルプールだった。
25メートルプールというのはよく見るけど、50メートルというのはあまり見たことがない。
オープンして間がないので、日曜日なのに利用者はほんのわずかしかいなかった。
年寄りの冷や水だけど、そのうちわたしも利用するかも。

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帰りは最寄りの京王線の駅からもどることにした。
このときいっしょに行った知り合いは、もう付き合ってかなり長いオンナの人である。
なんという駅なのと聞くから、紅葉台だよといいかげんに答える。
駅に着くと飛田給と書いてある。
紅葉台じゃないわねと、相手は皮肉な言い方で、たぶんわたしのボケが始まったと思っただろう。
でもこれはわたしのせいじゃない。

誰でもそうだと思うけど、古女房に対してつねに真剣な会話をしようという男はあまりいないものだ。
わたしだって相手が初対面の女子大生でもあれば、きっとまだまだスルドい会話ができたと思う。

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2017年12月 3日 (日)

新しいHD

メインに使っているパソコンの外付けハードディスクがおかしくなってきた。
保存してあるデータを修正して上書き保存しようとすると、ときどきそれを拒否されることがある。
ヤバイ。
壊れかかっているのかもしれない。
壊れてからでは手遅れなので、土曜日は吉祥寺まで出かけて、容量が3テラバイトの新しいHDを購入してきた。

帰宅して、昨夜はデータの移動だ。
わたしのデータの量は半端じゃないからね。
優先順序を決めてせっせとやったんだけど、とてもひと晩じゃ終わらない。
すべてのファイルをひとつのフォルダにまとめて、えいっと、あとはパソコンにまかせようと思ったけど、あまりにデータ量が多すぎて、移動量を表示する指針がぜんぜん動かず、ちゃんと移動しているのかどうかさっぱりわからない。
短気なわたしはそれが実感できないと我慢できないのである。

仕方がないからデータを小刻みに分割して、少しづつやっている。
こんなことならUSB3ではなく、もっとスピードの速いThunderboltにしておけばよかったと思うけど、形あるものは壊れる。
どうせいつか壊れるものに大金は払えない。
ましてわたしの場合、終活中で、そんな先のことにまで出費は避けたい。
というわけで、すべての移動が終わるのはいつになるやら。
ほかの仕事が手につかず、困ってマス。

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2017年12月 2日 (土)

焼きイカ屋の娘

おどろいたことにその店がまだあった。
屋台よりいくらか立派な店になっていたけど、海を見下ろす街道沿いということで、まちがいがない。
おばあさんはとっくに亡くなっただろうけど、あのときの娘はどうなっただろうと、今回の旅でゆいいつ感動らしいものがあったのはココだけ。

これは今年10月の青森の旅のとき書いたブログ記事の一部で、鯵ヶ沢という町へ行ったとき、むかしの思い出に触れた箇所である。

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わたしは若いころ仕事でこの町に行ったことがあり、そのとき街道沿いにならぶ屋台で焼きイカを食ったんだけど、見ると片方の店には若い娘、もう一方の店ではおばあさんがイカを売っていた。
はにかみ屋のわたしはおばあさんの店に入ったというのがその顛末で、あのときの娘はどうなっただろうと、一瞬だけ思った。
ところが今日のネットニュースにその消息が。

鯵ヶ沢でブサかわ(不細工でカワイイ)秋田犬のわさおクンを飼っていたおばあさんが、73歳で亡くなったそうだ。
ニュースによるとこのおばあさんは、海沿いで焼きイカを売っていたとある。
これってあのときの娘じゃないか。
思い出のほうは40数年前の話だから、年令的に合わないような気もするけど、モテなかったわたしには、30くらいの女性もまぶしい娘に見えたかもしれない。
焼きイカ屋なんて、当時もいまも2軒しかなかったし。

もちろんその後、この娘に会ったことは一度もない。
あのときの娘だとしたら、人生の終わりごろにその消息を聞くなんて、奇しき因縁としかいいようがないな。
まあ、あの世で会いましょうと、こういうときはわたしもしっかり来世を信じておくのだ。

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2017年12月 1日 (金)

日本その日その日

昨夜は風呂の中でSFを読んでいた。
本のタイトルは「日本その日その日」である。
これは明治時代に異惑星に上陸した、ある博物学者の冒険をつづったものでというと、ふざけるな、このバカといわれてしまいそう。

じつはこれは、明治10年に新政府に招かれて来日し、東京大学で教鞭をとったエドワード・S・モース博士の、はじめて見た日本の見聞記である。
なにしろ明治の初期だ。
そこに見られる風物、特異な文化は、現代の日本人が見たって異質なものだっただろうから、猿の惑星なんかよりずっとおもしろい。
この本のすべてのページがおもしろいけど、とりあえず冒頭あたりを重点にしたブログのネタ。

夜間に横浜港に上陸して宿屋に入ったモースは、夜が明けるのをじりじりして待った。
この新しい土地でいったいどんなめずらしいものが見られるかという期待感からで、わたしが初めて大陸中国へ乗り込んだときといっしょ。
あのころはまだ中国の改革開放政策が始まったばかりで、日本と中国との格差は、ひょっとするとモースのころのアメリカと日本と同じようなものだったかもしれない。

朝になって付近を散策したモースは、さっそく人間杭打ち機を発見した。
わたしも子供のころ見たおぼえがあるけど、大勢の人間が輪になって、真ん中にある重りを引っ張り、歌をうたいながらドーンとそれを落とす。
“おっとちゃんのためならエーンヤコラ、おっかちゃんのためならエーンヤコラ” というのがその歌の歌詞で、美輪(旧姓丸山)明宏さんの「ヨイトマケの歌」に出てくる。

この機械を見てモースは、なんて不経済なことよとつぶやいている。
歌をうたっている時間ばかり長く、じっさいに重りが落下するのはその1/10にすぎないというのである。
でも日本にはむかしから、こういう悠長な仕事はたくさんあった。
日本に住んでいる外国人が植木屋を頼むと、お茶ばかり飲んでいてぜんぜん仕事をしているように見えないので、金を払わないと揉めることもあるそうだけど、これはまだまだ日本人が、時間や効率だけを労働の目標にしてなかった時代の習慣が残っているのだ。
ART的仕事には思索が欠かせないし、仕事をしているのは人間であって、仕事が人間を使っているわけではないということを、植木屋さんでも知っているのである。

こんなことを書いたのは、今朝のウチの新聞のオピニオン面にインスパイアされた部分もある。
そこで佐伯京都大学名誉教授さんが、社会主義のぼっ興と凋落について書いてるけど、現代ではそれが崩壊して、個人も企業も国家も、果てしない競争にのめり込んでしまったという。
わたしは古い社会の敗残兵なので、そういう社会は苦手だ。
まだ競争なんてなかった時代、日本はロシアや欧米とはまったく異なるアプローチで、人間中心の社会民主主義を実践していたんじゃないか。
そんないい時代を食い逃げするようで申し訳ないけど、老兵は消え去るのみ、グローバルな競争社会はつぎの世代におまかせする。

のんびりした社会だったけど、モースの本によると、ペリー提督がまた5カ月後に来るからなと日本を恫喝して去ったあと、日本人はそのあいだに大急ぎでお台場を構築し、大砲を備えた要塞を作ってしまったそうだ。
うん、やる気さえあればできるんだね。

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