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2017年12月 1日 (金)

日本その日その日

昨夜は風呂の中でSFを読んでいた。
本のタイトルは「日本その日その日」である。
これは明治時代に異惑星に上陸した、ある博物学者の冒険をつづったものでというと、ふざけるな、このバカといわれてしまいそう。

じつはこれは、明治10年に新政府に招かれて来日し、東京大学で教鞭をとったエドワード・S・モース博士の、はじめて見た日本の見聞記である。
なにしろ明治の初期だ。
そこに見られる風物、特異な文化は、現代の日本人が見たって異質なものだっただろうから、猿の惑星なんかよりずっとおもしろい。
この本のすべてのページがおもしろいけど、とりあえず冒頭あたりを重点にしたブログのネタ。

夜間に横浜港に上陸して宿屋に入ったモースは、夜が明けるのをじりじりして待った。
この新しい土地でいったいどんなめずらしいものが見られるかという期待感からで、わたしが初めて大陸中国へ乗り込んだときといっしょ。
あのころはまだ中国の改革開放政策が始まったばかりで、日本と中国との格差は、ひょっとするとモースのころのアメリカと日本と同じようなものだったかもしれない。

朝になって付近を散策したモースは、さっそく人間杭打ち機を発見した。
わたしも子供のころ見たおぼえがあるけど、大勢の人間が輪になって、真ん中にある重りを引っ張り、歌をうたいながらドーンとそれを落とす。
“おっとちゃんのためならエーンヤコラ、おっかちゃんのためならエーンヤコラ” というのがその歌の歌詞で、美輪(旧姓丸山)明宏さんの「ヨイトマケの歌」に出てくる。

この機械を見てモースは、なんて不経済なことよとつぶやいている。
歌をうたっている時間ばかり長く、じっさいに重りが落下するのはその1/10にすぎないというのである。
でも日本にはむかしから、こういう悠長な仕事はたくさんあった。
日本に住んでいる外国人が植木屋を頼むと、お茶ばかり飲んでいてぜんぜん仕事をしているように見えないので、金を払わないと揉めることもあるそうだけど、これはまだまだ日本人が、時間や効率だけを労働の目標にしてなかった時代の習慣が残っているのだ。
ART的仕事には思索が欠かせないし、仕事をしているのは人間であって、仕事が人間を使っているわけではないということを、植木屋さんでも知っているのである。

こんなことを書いたのは、今朝のウチの新聞のオピニオン面にインスパイアされた部分もある。
そこで佐伯京都大学名誉教授さんが、社会主義のぼっ興と凋落について書いてるけど、現代ではそれが崩壊して、個人も企業も国家も、果てしない競争にのめり込んでしまったという。
わたしは古い社会の敗残兵なので、そういう社会は苦手だ。
まだ競争なんてなかった時代、日本はロシアや欧米とはまったく異なるアプローチで、人間中心の社会民主主義を実践していたんじゃないか。
そんないい時代を食い逃げするようで申し訳ないけど、老兵は消え去るのみ、グローバルな競争社会はつぎの世代におまかせする。

のんびりした社会だったけど、モースの本によると、ペリー提督がまた5カ月後に来るからなと日本を恫喝して去ったあと、日本人はそのあいだに大急ぎでお台場を構築し、大砲を備えた要塞を作ってしまったそうだ。
うん、やる気さえあればできるんだね。

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