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2017年12月25日 (月)

1Q84のその後

沖縄からの帰りに飛行機の中で、村上春樹の「1Q84」を読んでみたということは、このブログに書いたことがある。
先日、図書館に行ったとき、べつに読みたい本もなかったので、文庫のこの本を取り上げてみた。
ちらりと目を通してびっくり仰天。
以前読んだものとまったく内容が異なっていたのだ。
これはいったいどうしたことか。
なにかのまちがいなら、以前の、あまり好意的でなかった書評を書き直さなければならないかもしれない。

調べてみたら原因がわかった。
わたしはこの本が、文庫本にしてせいぜい2冊ていどの本かと思っていたけど、じつは全部で6冊あり、それが2冊ずつペアで1部、2部、3部に分かれ、それぞれに前編後編があったのだ。
つまり前編だけで3冊あるわけで、そそっかしいわたしが借りてみたのは2部の前編、沖縄の帰りに読んだのは1部の前編だったというわけだ。

だからべつに書評を書き直す必要もなく、好意的に思えないのは以前のまま。
ちらりと目を通して思ったのは、場所や時間などの具体的な固有名詞が出てこないのが現代小説なのかなということ。
こういう点では時代小説というのはエライ。
文化文政の江戸小伝馬町というように、具体的な名詞が出てこない時代小説があるはずがなく、そのへんでいいかげんなことを書けば、歴史マニアからすぐにつっこまれる。
三谷幸喜クンの歴史ドラマでは、坂本龍馬と新撰組の近藤勇が、同時に黒船を見物するという場面があって、そんなバカな設定があるかと物議をかもしていたけど、彼のドラマはSFみたいなものと覚悟していれば腹も立たない。

「1Q84」にはつっこみどころがない。
ほめているわけではなく、現実に存在する固有名詞がほとんど出てこないのだから、つっこみようがないのである。
こういう点では三谷幸喜クンのほうが、不真面目であっても、いちおう歴史に立脚しているということで、作家としては大変な仕事をしているといえる。

森鴎外の歴史小説を読んでみよ(金がないならネット上の青空文庫で読め)。
「阿部一族」にしても「護持院原の敵討」や「堺事件」などにしても、冒頭に当時の歴史的背景、登場人物の官職名、屋敷の配置などが不必要なくらい詳細に書き込まれ、それだけで小説の立体感をぐんと増している。
当代の作家にそれを望むのはムリだけど、いつのどこだか曖昧な場所で、生まれも育ちも知れない人物が活躍する話なんて、SF小説よりひどい。
これをもって清閑なリリシズムとか、奇妙なユーモア感覚などと屁理屈をつけるのは勝手だけど、やっぱりわたしは村上春樹を読む気がしない。

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