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2018年1月

2018年1月31日 (水)

まちがい電話

コスモポリタンにかかってくるまちがい電話はスケールがでっかいのだ。
昨夜スマホに電話がかかってきた。
若い(かどうかわからない)女の声で、日本語でない言葉をべらべら。
いったい誰だろう。
最初に北京語らしい言葉が聞こえたような気がしたから、ひょっとするとわたしに、微信(中国のSNS)に入れと勧めてきた中国人の知り合いかもしれない。
微信に加入するときこちらの電話番号を登録したから、それはおおいにありうることだ。
で、あなたは中国人かと訊いてみた。
返事はなく、相手は英語でべらべら。

中国人ではないようだ。
それじゃいまでもときどき舞い込んでくるロシア人の結婚相談所関連か、あるいはフェィスブックで友達になりたいというロシア娘がひとりいて、メンドくさいからほっぽらかしにしてあるんだけど、彼女が業を煮やして直接電話してきたのかもしれない。
ロシア人だって日本に電話するときは英語を使うかもしれないし。

あなたはアメリカ人かと質問してみた。
ロシア人かとも訊いてみた。
返事のかわりにもうわけのわからない英語をべらべら。
英語であることだけはわかったけど、あとは何がなんだかさっぱり。
ほかにわたしの電話番号を知っていそうな相手、英語を話しそうな知り合いがいたっけかと、いろいろ頭をしぼってみる。
相手が女であるだけにこちらも必死だ。

そんな相手はいそうもないので、ついにわけがわからないまま電話を切ったけど、あとで受信記録を確認したら、非通知になっていて、どこからかけてきたのかわからなかった。
たぶんニューヨークかロンドンからのまちがい電話であろうと、勝手に納得しているところ。

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2018年1月30日 (火)

イタイ

洗濯機がイカレたようだ。
調べてみたら、買ってから13年以上経っていた。
これでは修理するより新しいものを買ったほうがいかも。
でも終活中のわたしにはイタイ。
イタイけど、洗濯機がないと困る。
買ってから20年目の冷蔵庫も買い換えないと、ゴムのパッキンがバタバタするようになった。
自分の寿命が、よくってあとせいぜい5~6年だろうと考えているわたしには、イタイことの連続だ。

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2018年1月29日 (月)

腕時計

わたしの腕時計は、それまでせいぜい1万円ていどの製品で満足していたわたしとしては、清水から飛び降りるつもりで買った某メーカー(国産の二雄のひとつ)製である。
買ってから2年半ほど経つ。

今日、某所に行くためにバスに乗ろうとしたら、目の前でバスが出ていった。
え、おかしいじゃないか。
わたしはあらかじめバスの時間を調べ、まだ時間があるので図書館でヒマをつぶし、そろそろいいだろうと、5分まえにバス停に行ったのである。
気になって駅の時計を見たら、わたしの腕時計は5分遅れていることがわかった。
おかしいじゃないかと、まだおかしいじゃないかは続く。

清水から飛び降りたつもりの時計を買ってから、まだ2年半だ。
2年半で5分。
カシオだってそんなに遅れないぞ。
ふつうの人ならメーカーに怒鳴りこむところだ。
しかし、わたしは時計が遅れる時代を知っている男なのである。

わたしが初めて腕時計をしたのは、高校の進学祝いに親戚が贈ってくれたもので、いまからン十年もむかしの時計だけど、あれも定期的にネジを巻いたよなあ。
べつに時間に追われる仕事をしているわけじゃあるまいし、いまどき遅れる時計なんて人間的でいいんじゃないか。
あいかわらずのんびりしてるな、わたしって。

わたしだって時計に興味がないわけじゃない。
いかにも男の道具って感じの時計にあこがれることはある。
香港でブルガリのカッコいい腕時計を買ったことはあるんだけど、もちろん本物はわたしに手が出るわけがない(それでも帰国後1カ月ぐらいは動いた)。

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2018年1月28日 (日)

心象のケヤキ

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主人が亡くなって取り壊されたとなりの農家。
家の周囲をかこんでいた樹木もほとんど消滅してしまった。
添付した写真は、伐採されつつあるケヤキの今日の姿で、庭にまだ数本のケヤキが残っているけど、それも順次切られる運命だ。
これを悲劇だといってもだれも同情してくれない。

わたしはここに越してきてから、このケヤキのおかげでいったいどれだけの楽しみを得ただろう。
もちろん楽しみばかりじゃない。
この木が葉を茂らせているおかげで、衛星放送のパラポラアンテナ設置をあきらめたこともある。
でもアンテナは代用がきくから、やはり楽しみのほうがずっと大きい。
たとえばということで、この家で見た小鳥の種類を思い出すままに挙げてみよう。

毎日朝と夕方にこのへんを周回コースにしていたオナガの群れ、わたしがベランダで餌付けしていた可愛らしいメジロ夫婦、木のあいだを飛びまわっていたシジュウカラ、集団でやってくるカワラヒワ、冬鳥であるツグミ、ジョウビタキ、アオジ、めったに見ないけど日本で最小のキツツキであるコゲラなど。
ケヤキのこずえの高いところで子育てをしていたハシボソガラスのつがいは、亡くなった主人の悩みのタネで、わざわざ登っていって巣を叩き落とすと、さらに上の方に巣を作り直すといういたちごっこを目撃したこともある。
このほかぜんぜんめずらしくないスズメ、ヒヨドリ、ムクドリが、いつでもどこにでもいて、この家でひきこもっているあいだに見られた小鳥はひじょうに多い。
わたしはつねに双眼鏡を窓辺に置いているのだ。

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それなのに、ああ、それなのに。
老後は部屋でのんびり、バードウォッチングでもして過ごすかという生活設計があえなくパーになった。
ひとりの農民が死んだだけで、周辺にあたえる影響はとてつもなく大きいといわざるを得ない。
ええ、死ねばいいんでしょ、わたしみたいな年寄りは、さっさと。
こんちくしょう。

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2018年1月27日 (土)

仮想通貨

仮想通貨が大量に流出したって事件。
仮想というんだから、実体のないお金のようで、ようするに投機家がパソコン上で熱中するゲームみたいなもんじゃない?
流出させられたNEMって会社も平然としているし、いまんところこれで大損して首を吊ったっていう人もいないみたいだし。
わたしみたいなゲームに興味のない時代遅れには、なんだなんだ、これって感じで、さっぱりわからない。
そもそも被害がじっさいにあったのかも、こちとらピンと来ませんわ。
世界には仮想通貨の種類がやたらに多いそうだから、損害を補償しろとせまる顧客には、うちが作った仮想通貨で弁償しますといっとけば。

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2018年1月26日 (金)

生きとし生けるもの

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わが屋の庭で、ただいま無慈悲な殺戮が進行中。
庭のケヤキの古木が、情け容赦なく伐採されているところなのだ。
電動ノコギリの音がわたしの脳髄を切り裂くようだけど、地権者でもないわたしは、悲しい気持ちで傍観するのみ。

いったい植物というのは痛みを感じないのだろうか。
彼らに感情はないのだろうか。
べつに神経も脳みそもあるようには見えないから、そういうものはないんだろうという人が多いと思われる。
そんな心配をしていたら、お米もバナナもリンゴもナシも食えないではないか。

でも彼らもわたしたちと同じ地球型の、つまり炭素生物だ。
人間とは伝達速度やスタイルが異なるから、意志の疎通ができないだけで、とにかく彼らも呼吸をし、養分を吸収し、子孫を残すために努力をしていることはまちがいない。
痛みは知らないかもしれないけど、樹木も切られれば、自分がまもなく死んでいくことぐらいは察知しているだろう。

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ずっとむかし、建材屋さんと話をしたときは、天然建材ってのは生きているんだよと、人工建材と天然建材のちがいを教えられたことがある。
生きるということはいったいナンダ。
たんに繁殖する、子孫を残すということではなく、その人生を通して、喜びや悲しみを知るってことじゃないか。
建材の生きるスピードはわたしたちより極端に遅いから、彼らが愛を知るスピードは何千年もかかるかもしれないけど、植物の生きるスピードはもっと人間に近い。
わたしたちはもうすこしで彼らと会話できたかもしれないのに。

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このケヤキがなくなったら、あとに新しいマンションか、建売住宅ができるらしい。
最近の地主は金儲け第一主義って人が多いから、植木なんか要らん、土地を目いっぱい使おうと考えるかもしれない。
よそ様の計画にいちゃもんをつけるわけじゃないけど、おかげでわたしの部屋から、手をのばせばとどく場所に生えていた樹木がみんななくなってしまった。
ここへ越してきたときは、その豊かな緑こそが魅力だったんだけどねえ。

こうやってわたしの生存できる範囲はますますせばまる。
ええ、死ねばいいんでしょ、年寄りは、さっさと。

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2018年1月25日 (木)

校正係

わっ、またごますりかいと、おせじが多すぎるきらいのある三谷幸喜クンの夕刊連載エッセイ。
でも今日のそれはなかなかうらやましい。
彼はプロの作家、脚本家なので、あちこちにいろんな文章を書いているけど、新聞にせよNHKにせよ、かならず校正係という人がいて、まちがいがあると指摘してくれる。
たとえば “一巻の終わり” という言葉、これは映画が発明されてからの言葉なので、江戸時代の侍が使ったらアウト。
映画に詳しい三谷クンが「ペーパームーン」という映画について、登場する詐欺師親子と書いたら、親子かどうかは映画を見ているだけではわかりませんと指摘があったそうだ(そう書いてからわたしも気になって調べてみたら、「ペーパームーン」ではなく、中点を入れて「ペーパー・ムーン」が正しいことがわかった)。

どうも物知りにはかなわんと三谷クンもぼやいていたけど、わたしのブログだって専門の校正係に見せれば赤マルだらけに違いない。
でもわたしってしろうとだからね。
しろうとが1円ももらわず、自分のうさばらしに書いているんだという証明になっているじゃないか。
そう思ってね、まちがいを見つけるたびに。

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解決方法

日本はいま少子高齢化に悩んでいる。
だったら移民をどんどん受け入れろというのは、政治に責任を持たない野党の主張で、安倍クンはこれにいい返事をしない。
まあ、そうだよな。
だからこそ日本はいまロボットの開発に力を入れてるんで、そのうち人手の足りない部署はみんなロボットがやってくれることになる。
先日、飲んでいる最中に運送業の未来について話が出たけど、そのうち車の運転に人間なんかいらなくなる。
タクシーを呼ぶと、無人の車がやってくるし、パソコンを注文すると、ドローンが庭に荷物を落っことしていく。
人間なら3人がかりのところを、ロボットなら1台でやってくれるわけだから、これでは無理に移民を増やす必要がない。

しかも今朝の新聞の1面に、さらに有効な少子高齢化対策の手段が。
霊長類初のクローンが誕生したって。
これでは人間なんざタイ焼きのように、型を押した大量生産が可能になる。
生産されたくないという自由はクローンにはないのだ。
あんなのは大量生産の安物だからなんていって、企業の経営者は彼らを安く使おうとする。
とうぜん奴隷労働がまかり通ることになり、クローンの人権を守れって運動が起きる。
人間の横暴が目にあまれば、これは小説「山椒魚戦争」の現実化だ。
人間は大量生産がきかないけど、クローンはいくらでも補充が効くから、けっきょく攻守ところが代わって、敗れた人間はクローンに奉仕することになるかもね。

そのころにはわたしはもちろん、現在やりあっている野党も与党の議員さんも、みんな死に絶えているんだろうなあ。
ああ、またアホらしいことを考えちゃった。
ほんと、ヒマね、わたしって。

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気狂いピエロ

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とっくに書いたことがあると思っていたけど、調べてみたらまだいちども書いてなかった。
生きているうちに書いておかないと後悔するから、ジャン・リャック・ゴダール監督の「気狂いピエロ」について書いておこう。

ゴダール監督といえば、「勝手にしやがれ」で、女のヒモとして生きるチンピラやくざ(ジャン・ポール・ベルモンドが彼以外にないくらい適役)の、アナーキーな青春を描いて世界中の若者の共感を得た映画監督だ。
この映画では、警官に銃で撃たれ、それでもパリの街を走り続ける主人公が、最後にタバコをくわえたまま車道に倒れこみ、最低だなとぼやきつつ息絶えるシーンが評判になった。
こういう若者がいまもむかしもいるってことは、テロに身を投じて、自らも他人も吹き飛ばすことをためらわない若者がいることでわかる。

しかしゴダール監督の最高傑作は、まちがいなく「気狂いピエロ」である(とわたしは思う)。

この映画のストーリーは、とあるパーティで若い娘にひかれた男(ベルモンド)が、じつは犯罪者の仲間であったこの娘に誘われるまま、ギャングの金を奪って逃避行を続けるというもので、内容は 「勝手に」と同じ虚無とヤケッパチの延長線上にある。
原作はたいして有名でもない犯罪小説らしいけど、映画の大半は犯罪をおかす無軌道な男女の、べつにスリルやサスペンスがあるわけでもない、意味がありそうでなさそうな、詩や文学についての屁理屈がならぶ。
つまり左翼の文学青年に好まれそうな映画なんだけど、「勝手に」になくてこの映画にあるものは、ヒロインを演じたアンナ・カリーナの小悪魔的魅力だ。
彼女のこの魅力があるからこそ、ラストシーンの衝撃も大きい。

アンナ・カリーナという女優さんは、いちじゴダール監督の女房だった人で、彼女にふられたあと、まだ未練たっぷりな監督が、精いっぱい彼女の魅力を引き出したのが「気狂いピエロ」であるそうだ。
そのせいか、逃避行中の彼と彼女の映像がきわめて美しく、けっしてベタベタしてるわけじゃないけど、好きな女とふたりきりでいる男の幸せが画面からあふれてくる。

だがしかし現実と同様に、やがて映画の中のヒロインは主人公をふって、新しい恋人と逃げてしまうのだ。
怒り狂った主人公は拳銃片手にふたりのあとを追い、怒りに任せて彼らを射殺する。
そのあとで彼は、海を見下ろす岬のてっぺんで、顔にペンキを塗りたくり、ダイナマイトを巻きつけて爆死するのである。
自分は馬鹿だった、自分の人生は徒労だった、自分のような人間は生きている資格がない。
この場面はクラゲなすただよえる青春を送っていたわたしの述懐でもある。

爆発の煙が風にのって流れたあと、恋人たちのささやきが聞こえる。
  見えた
  なにが?
  永遠が
  海にとけこむ太陽が・・・・・
これはランボーの詩の一節だそうだけど、そんなものよりわたしには、本人が木っ端微塵になった直後の、すうっと全身の力が抜けるような虚脱感がたまらない。
わたしはこの最後の場面だけで、この映画を永遠の名作にしてしまうのだ。

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2018年1月24日 (水)

一喝

安倍クンが平昌オリンピックの開会式に参加の方針だそうだ。
またゴタゴタいう人が出そうだけど、べつに参加することがそのまま相手のいいなりになることじゃない。
首相はいいたいことをぶちまけてくるといってるのだから、ここはすんなり行ってもらって、わたしは文句がない。
だいたいいまの韓国大統領の文サンは、北朝鮮以外に頼れるところがないので、北と二人だけで会わせると、なにつまらない約束をさせられるかわからない。
安倍クンに、韓国は慰安婦問題の日韓合意をちゃんと履行しろと苦情をいってもらい、あわせて北の代表にも、ふざけんじゃねえ、このバカチョロキューめと、つまらない小細工を弄する相手を一喝してもらいたい。
それが原因で北が田舎楽団を引き上げさせたとしても、日本が参加すれば文サンのメンツも立つわけだから、彼も北にばかりペコペコしなくなるのではないか。

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突破

今日中にカウンターが30万突破と思い、その瞬間を見届けようと思っていたら、あっという間に、夜中の2時にもうそれを突破していた。
くそ、今日は仕事を休んでやる!
ぜんぜん関係ないけど、わたしっていつもなんか理由を見つけて、仕事を休む算段ばかりだもんね。

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2018年1月23日 (火)

雪景色

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またひとつ、見納めになるかもしれない景色を見ちゃったよー。
冬になると雪景色を見るために雪国へ行きたいなんてほざいていたわたしだけど、わたしの部屋からはベッドに転がったままでさえ、庭の雪景色が見えてしまうのだ。
納言や、香炉峰の雪やいかにって感じだな。
樹木の多かったわたしのアパートだけど、最近の情勢をながめると、庭のケヤキも来年までわたしとともにあるかどうか定かじゃない。
今年の雪景色はひときわ胸に沁む。

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最近わたしのブログが、死ぬだの訃報だのと、縁起でもない記事が多すぎるという人がいるかもしれない。
しかしわたしのトシでは、美しい雪景色を来年も見られる保証はないんだよね。
サクラの花だってあと何回見られることか。
今年で最後になるかもしれない雪の写真を載せておこう。

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やらせ

インドネシアのどこかの町で、イスラム教徒に酒を売った罪で、鞭打ち刑に処されているおじさんの映像を見た。
これが厳格なイランやサウジあたりなら命がいくつあっても足りないけど、東南アジアのイスラム国はどこかのんびりしている。
これはみせしめだからな、うんと痛そうな顔をするんだぞと、初めからやらせの傾向があるみたいだった。
ピシリと鞭が背中に当たると、おじさんは苦痛に顔をしかめる。
でも鞭打ち人に力が入っているようにはぜんぜん見えないし、ほんとに痛いとしたら、何度も打たれているうちに、白い囚人服に血でもにじみそうなもんだけど。

見ていたらこの処刑の背後にドローンが飛んでいた。
みせしめだから、この光景を撮影してYouTubeに上げて、全国民に見せようってつもりかもしれない。
夕食の合間に、家族がそろってこの映像をながめている平和な光景が、つい目に浮かんでしまうんだけど。

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2018年1月22日 (月)

この世界

今夜の大雪が早くも「海外の万国反応記」で話題になっている。
ことわっておくけど、これは日本国内限定の掲示板ではない。
日本の現在のようすがあっという間に世界に拡散しているということだ。
わたしたちは机のまえでぼんやりしているだけで、世界のようすをたちどころに知ることができる世界に住んでるのである。
この世界をもうすこし先まで見たい気持ちはあるけど、この世界を作ったのはわたしたちなのだという自己満足で納得しておこう。

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モスルと湯ドーフ

今朝の新聞の一面トップに「モスル、ISの墓標」というカッコいい見出しがあって、IS最後の激戦地となったモスルから記者の報告。
イラク軍に奪還されたモスルには、いまでもそこかしこにIS戦闘員の死体が横たわっているそうだ。
それは事実だろうし、書いた本人は自覚していないのかもしれないけど、最後にひとこと、モスルにはスンニ派の住民が多かったから、シーア派主体のイラク軍によるみせしめじゃないかと。

写真を見ると破壊された建物の残骸は東日本大震災なみで、これじゃまだ遺体を収容する余裕がないのは事実だろう。
みせしめの意味もあって不思議じゃないけど、日本の新聞はわざわざ憎しみをあおるようなことを書く。
え、ほかでウソや捏造をする新聞が、どうして(ウソでもいいから)対立する勢力の和解をはかるような記事を書かんのか。

いまわたしは湯ドーフを肴に、イッパイやりながらこの文章を書いている。
紙面のべつの場所に、間食のカロリーは200Calに抑えましょうって記事もあった。
とつぜん湯ドーフってカロリーがどのくらいあるのか気になってきた。
わたしはいつも絹ドーフ1個を丸ごと食べて、それだけでお腹いっぱいになって気持ちよく寝るのだ。

調べてみたら丸ごとの豆腐は200Cal以上あるらしい。
つまり今日はもう間食の余裕がないということだ。
親戚からもらったどら焼きがあるけど、あれはべつの日に食べよう。

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2018年1月21日 (日)

ジンクス

その頑固で古風なところが、博物館の化石標本なみだったわたしの兄貴が、去年の暮れに亡くなっていたそうだ。
ずっと疎遠になっていたから、いまさら感慨があるわけもない。
娘夫婦や孫にめぐまれて、食事をすませたあと、ぽっくり逝ったというから、死に方としては最高だったみたいだし。

わたしの家は伝統的に生まれた順番で死ぬらしく、うちの親父は9人兄弟の末っ子だったけど、戦争中に満州で行方不明になった兄をのぞけば、トリを飾ったのはやはりうちの親父だった。
だから兄貴より先にわたしが死ぬはずはないと、あまり明確な根拠もなく思っていたけど、この兄貴が死んでしまったから、もうわたしの番がいつ来てもおかしくないわけだ。

わたしは3人兄弟のまん中で、弟もひとりいるんだけど、そっちのほうは世間並みに順調に老化しちゃっている。
ひとり元気なのはわたしだけ。
わたしが我が家のジンクスを破ることになるのか、もうすこしでわかるだろう。

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2018年1月20日 (土)

死ねばいいんでしょ

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わたしのアパートのとなりは、都内ではいまどきめずらしい専業農家だったけど、ずっと独身だった主人が去年の5月に亡くなって、いま土建屋がその家を取り壊し、更地にしているところ。
家のまわりに生えていたカキ、ミカン、ユズ、ブドウなどもみんな容赦なく刈られた。
 
それはやむを得ないとしても、わが家と隣家の境界にあるケヤキの木、かなりの巨木で、これってわたしがここに越してきてからずっとわたしの人生を見守ってきたもので、じつはこの木の根もとに、ロシア人の飼っていたロングーヘアのネコの死骸も埋まっているという木なんだけど、ベランダで洗濯物を干していたら、大家さんが土建屋と話をしているのが聞こえた。
「それも切ってしまうのかい」
オイオイオイ。
 
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グランドに照明塔が立って、富士山の展望をジャマするようになったのに続き、さらにアパートの資産価値を落とす出来事だ。
都会の人間は、とかく落葉が積もるからと樹木のある環境を毛ギライするけど、わたしはこの部屋で豊かな自然と、思索に満ちた(つまりニートな)生活を満喫してきたのだ。
こういう幸せが踏みにじられるのもグローバル化というのだろうか。
更地になった隣家の跡地に風が吹き抜ける。
ええ、死ねばいいんでしょ、年寄りは、さっさと。

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2018年1月19日 (金)

勉学

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わたしが愛読しているネット掲示板の「海外の万国反応記」に、日本のセンター試験で満点をとった高校生の参考書の写真が出ていた。
ご覧の写真がそうだけど、すごい徹底的に勉強したことが見て取れる。
ネット住人というのはあまり勉強するのが好きでないらしく、これを見てクレージーだと感心したり、役に立たない知識をつめこんだ小学校教師になりそうなどと揶揄する反応が多い。

わたしの学生時代をふりかえってみた。
わたしの教科書も汚かったけど、それは勉強のせいではなく、マンガが好きで、余白に落書きばかりするせいだった。
もちろん勉強は大キライで、いつもぼんやり空想にふけるのが好きという少年だった。
いくら熱心に勉強したって、その一方ですいすいと忘れるバランスのいい脳みそを持っていたから、こんな子供が勉学でよその子に勝てるわけがない。
やはりスタートの時点でわたしはハンディを背負わされていたのだと自覚し、その後の人生は努力や勤勉という言葉を放棄して生きてきたから、いまのわたしがこういう状態であっても文句はいわないのだ。

どうも自分について書くと、たいていは自虐的なことになってしまう。
もっと自慢話でも書けばいいんだろうけど、わたしの過去には、ほんと、ロクな記憶がない。
ほかの人はどうなんだろうと気になる。

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2018年1月18日 (木)

怪電話

英国から電話がかかってきた。
以前にも似たようなことがあって、パソコンのトラブルでサービスセンターに電話したら、スペインにつながっちゃって、あとで請求書が11万円もきた。
しかもこのときは相手のほうからかけ直してもらったのに、である。
ふざけやがってということで、電話局と交渉して、なんとか支払いはまぬがれたけど、どうも今回もそんな感じ。
ちなみにわたしには英国に知り合いも親戚もいないし、目下旅行中という知り合いもいないはず。
そういうわけで、留守電に入っていたので、こちらからかけ直すこともしていない。

かかってきた電話番号をさらしておくから興味のある人はかけてみて。
あ、くれぐれも自己責任で。
+44 1235 33006◎ イギリス イングランド アビンドン
いちばん最後の数字だけは隠しておくけど、その熱意があるなら10回試してみればいいわけだ。

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2018年1月17日 (水)

4回目

今日のネット掲示板を読んで、韓国のなさけなさにため息が出た(すこし違うけど、この書き出しは4回目)。

わたしの愛読するカイカイ反応通信によると、韓国の国旗である太極旗をさしおいて、平昌オリンピックで使われる予定の統一旗を、半島全体にひろげようという動きがあるそうだ。
朝日も産経も取り上げてないし、カイカイ反応通信はよく知られた嫌韓サイトだから、これは韓国でもほんの一部の人が騒いでいるフェイクニュースだと思うけど、なに考えているのかねえ。

どうも韓国内にはいまでも北朝鮮の指導者に忠誠をちかう勢力が存在するらしい。
国民の大半が飢えに苦しむ、その元凶である正恩クンの体制に組み込まれたほうがいいというんだろうか。
韓国人は中国を見下しているけど、北と統一するくらいなら、中国の植民地になるほうがよっぽどいい(とわたしは思う)。
こういう人たちは、統一後は新しい政権の中で取り立ててもらえると思っているんじゃないか。
しかし、そういう功労者がまっ先に粛清されるということは、過去の歴史が証明しているのに。

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3回目

今朝の新聞を読んで、韓国のなさけなさにため息が出た(この書き出しは3回目だ)。
平昌オリンピックに中国の習近平サンの出席を要請していたけど、いまのところ出席するのは序列7位の、だいぶ格が下がる常務委員になるらしい。
日本ではまだ安倍クンが煮え切らない態度だけど、これは最大限に韓国に貸しをつくる状況を見極めているところ。

いわんこっちゃない。
韓国がコウモリみたいにあっちに擦り寄り、こっちにゴマをするからいけないのだ。
すべての国に対して、韓国はこう行きますをつらぬいたらどうだろう。
韓国が日米韓の同盟を断固つらぬき、政治は政治家がやるもんだと国民に有無をいわせなければ(それができれば)、日米の首脳は平昌に出席し、そうなればメンツもあるし、対抗上中国も序列トップが参加せざるを得なかったんじゃないか。

蛇足だけど、今年はイヌ年なので、韓国のカレンダーもイヌの絵を使ったものが多いらしい。
ところがそれが韓国の珍島犬ではなく、日本の柴犬ばっかりなんだそうだ。
やっぱりなさけない。

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2018年1月16日 (火)

嬉しがる

今朝の新聞を読んで、韓国のなさけなさにため息が出た。
北朝鮮がオリンピックに楽団を派遣すると決めただけで、もうウレしがっちゃう韓国のアホらしさ。
これがたんなる時間かせぎのゴマすりであることは三つ子にもわかる。
たとえていえば、AKBの女の子を送られて、軍事演習や非核化問題で譲歩してしまうようなもの。
身内を殺しまくる正恩クンて、利口じゃないと思っていたけど、文サンのほうが輪をかけたバカだったのね。
マスコミの中には、これをもってして南北融和のきざしなんて。
いちばんバカなのはそっちのほうか。
オリンピックの競技の結果より、政治の結果のほうがおもしろい。

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またシマアジ

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また近所にシマアジが来ている。
去年の3月にも、このブログで紹介した渡り鳥だ。
去年とほとんど同じ場所に1羽だけでいるから、たぶん同じ個体だと思う。
写真はそれをバズーカ砲みたいなカメラでねらうカメラマン。
わたしはそんなレンズを持ってないから、鳥の写真はムリ。

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2018年1月15日 (月)

今朝の新聞

今朝の新聞を読んで、韓国のなさけなさにため息が出た。
北朝鮮に一方的に、米韓軍事演習や戦略兵器の半島展開をヤメロとか、共同報道文にこれこれの文言を入れな、離散家族の再会なんてまだ早え、こっちの非核化なんてとんでもねえ、え、まだうちが平昌オリンピックに参加するとはいってねえぜと、身勝手な条件を提示されっぱなし。
文大統領にしてみれば、日本、米国、中国のいずれともうまくいかず、オリンピックも危ういという状況では、北にすがるしか方法がないんだろうけど、これでも北と同格であるべきまともな国家といえるだろうか。
そもそも、たかが体育大会と政治問題を同列に置こうなんて、北もそうとうに図々しい。
ぺこぺこと頭を下げっぱなしの大統領なんて、韓国民だって見たくないに決まっている。

1面トップに中国が潜水艦の輸出を始めたって。
これじゃ日本も武器輸出三原則なんていっちゃいられないなといいだす人がいるかも。
日本の潜水艦なら欲しがる国がゴマンといそうだけど、これって世界でも最高水準の性能をもった戦略兵器だからな。
日本の場合はそうやすやすと他国には売れんよ。

新聞にも出ていたけど、潜水艦の運用にはさまざまな海中のデータが必要だ。
たとえば、わたしも海上自衛隊にいたので知っているんだけど、航海に出るたびに、海の中の水温の変化のデータはしょっちゅう採っていた。
ソナーの音は水温によって方向性が変わるので、あらゆる場所でデータを採って、それを蓄積しておく必要がある。
わたしが自衛隊にいたのはン十年まえだから、日本(と、もちろん米国)にはそれだけの蓄積があるわけだ。
ま、まだ当分はあわてる必要なし。

そんな今朝の新聞の広告に、五木寛之さんの「孤独のすすめ」という本のものがあって、あなたは孤独な老人ですかと問いかけている。
うん、孤独ですとわたしなら答えるところだけど、それならあなたの人生は豊かになりますだって。
ほんとかよ。
つまらなく生きているわたしだけど、がぜん希望がわいてきたな。

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夜中の歯みがき

夜中に歯をみがこうと思い立つ。
なんで夜中なのかといわれても困るけど、なにしろわたしは夜中まで起きていることが多いのだ。

歯ブラシをくわえたまま、前のめりになって洗面台におおいかぶさる。
そして歯をゴシゴシ・・・・
こういう瞬間に目のまえがまっ暗になり、そのままお陀仏になる人も多いって話だから、ちと気になる。
いまのわたしは緩慢なる自殺者のようなものだ。
夢もチボウも、やる気もなく、ただその日暮らし。
健康に留意したことなんて一度もないぞ。

台所でぼんやりと、わたしの人生はなんだったのかと考えてみる。
べつにあなたも考えろとはいわない。
たいていの人は、そんなアホなことを考える余裕もなく、そのときが来れば木の葉が落ちるように自然に死んでいくものだ。

生きるために、家族を養うために、不断の努力をして死んでいく人は、歴史に残らなくても、それなり人間としての本分を尽くして死んだことになる。
わたしはどうか。
わかっちゃいるけど、こんなデタラメな人生ってないよね。
わたしは若いころから、他人と競争しようとか、人より抜きん出ようなんて努力をしたことが一度もないのだ。
しかもこの歳になると、いまさら努力もむなしいだろうと、ますます怠惰な生活に溺れっぱなし。

ただ不思議なことに、こんなわたしなのに、なぜか健康で、あいかわらず恋する対象の女性もいる。
相手のほうはぜんぜんこちらに関心がないみたいだけど、わたしが絶望して首でも吊ろうかという気にならないのは、こういう女性がつぎからつぎへとあらわれるせいだな。
あれを食べるまではぜったいに死なんぞと、わたしは目のまえにぶら下げられたニンジンを追いかける馬みたい。

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2018年1月14日 (日)

H&M

H&Mにデモ隊突入。
黒人の子供に 「ジャングルでいちばんカッコいい猿」 というロゴ入りのパーカーを着せて、広告に使ったのが人種差別だそうだ。
そりゃそうだよな。
これじゃだれだって怒るぞと考えて、H&Mってまさか日本のアパレルじゃないだろうなとググッてみたら、スウェーデンのメーカーだった。
安心してわたしも非難の先鋒に加わってしまう。
え、なんでサル (monky) ではなく、サル (ape) を使わなかったのか。
尻尾がないだけで、だいぶイメージが違ったのに。

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大台

わたしのブログのアクセスカウンターが、いま299188(今日の午前4時の時点で)だから、30万の大台まであと800くらい。
1日平均のカウンターが80ぐらいなので、10日後ぐらいには大台に乗るかも。
10年もやってりゃ誰でも到達可能ってことで、ぜんぜん感慨なんてないけどね。
そのときは部屋でひとりで乾杯をしよう。
これほど内容が充実かつヒトのわるいブログはないのに、まだ新聞社が取材に来るってハナシはないな。

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2018年1月13日 (土)

プロの作家

今月号のナショナル・ジオグラフィックに、朝日新聞でよくその名を見る池澤夏樹サンが記事を書いていた。
朝日でよく見るというのは、わたしが新聞はそれしか読まないからやむを得ないところもあるんだけど、さすがはナショジオで、ここには左翼の主張は微塵もない。

つまり池澤サンはプロの作家であるということだ。
彼は注文主の要求に応じてどんな文章でも書けるにちがいない。
もちろん基本的なイデオロギーは押さえておかないとコウモリ作家と呼ばれてしまうけど、左翼の顔を立て、右翼のご機嫌をとる、そのていどのことはお茶の子さいさいなのだろう。
以前、やはり朝日によく寄稿している高橋源一郎サンが、傾向の正反対のSAPIOにも文章を書いているのにたまげたことがある。
朝日新聞に書いているからといって、いちがいに左翼作家と決めつけるのは危険なようだ。

もっとも本心から左翼のイデオロギーに染まっている作家もたまにいて、左翼が衰退している現在、なんとかつじつまの合う文章を書こうとする
彼らの努力をながめるのはおもしろい。
無理して書いた文章だから、いちゃもんをつけるのも容易で、性格のわるいわたしのいい楽しみになっている。

ところで池澤サンがナショジオに書いていたのは、農業とはなにかという文章で、いかにもこの雑誌が取り上げそうなこと。
狩猟と採集とで食をまかなっていたヒトという動物が、飼育や栽培をおぼえ、確実かつ安定した食料確保を手にすると同時に、格差拡大の種をまいたという意見である。
わたしも日ごろからそう思っていて、このブログにも似たような内容を書いたことがあるから、思想的にはおどろくようなものではない。
池澤サンほどの文才があれば、わたしも左の朝日新聞や、右のSAPIOに文章を書きなぐって、作家・評論家のはしくれに連なり、銀座でカワイ子ちゃんをはべらせてロマネコンティでも飲むのだが。

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2018年1月12日 (金)

ひねもす

今日もいい天気だった。
それなのに散歩にも行かず、部屋でごろごろ。
新潟県のほうでは雪で列車が15時間もストップだそうだ。
いいなあ、なんていうと不謹慎だけど、この季節になると雪を観にどこかへ出かけたくなっちゃうんだよね。
もう自分で歩くのはツライから、バスか列車の車窓から、しみじみと雪景色をながめたい。
いいんだろうか、生産的な仕事をなにもせず、こんなことばかり考えていて。
でも、それがケシカランと文句をいう人もいないしな。

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2018年1月11日 (木)

またセクハラ

Act

このブログでも書いたことのあるハリウッドのセクハラ問題について、フランス女優のカトリーヌ・ドヌーブおばさんが発言しているぞ。
いまの若いもんはこの人を知らないだろうけど、たとえば「反撥」なんて映画の彼女はステキだったねえ。

おばさんの話を要約すると、そんなもんでゴタゴタ騒ぐなってこと。
そりゃそうだよな。
セクハラなんて相手の横っ面を張り飛ばしてやればチョン、そのかわり新人女優ならそのまんま映画界から永久放逐ってことになるだろうけど。

わたしはときどき思うんだけど、アメリカやブラジル、フィリピンなどにはスラムというものがある。
貧しい環境で、暴力、犯罪が蔓延しているところだそうだ。
それでもそういうところで暮らさなければならない人たちがいる。
そういうところで生まれ育つ子供たちがいる。

スラムで生まれた女の子がいたとしよう。
彼女はとても可愛らしかった(じっさいブラジルの女の子は可愛いぞ)。
貧しい境遇であっても、たいていの子供たちは日本のガキよりよっぽど健康的で、不幸そうには見えない(場合が多い)。

しかしスラムで生まれた美人の女の子が、18まで無傷でいられるだろうか。
きみはビリー・ホリディの伝記を読んだことはないか。
わたしは映画「ブリキの太鼓」についてブログに書いたばかりだ。
この映画のなかに、貧しいジプシーの子供たちが出てくる。
そのなかにとても可愛らしい女の子がいた。
彼女にしてもそうだけど、こういう娘の将来に待っている運命はどんなものだろう。

踏みにじられた雑草は強いということわざがあるから、一時的にひどい目にあっても、彼女らがけっきょくは幸せを手にすることもあるかもしれない。
しかしハリウッドのセクハラなんて、勇気を出して告発したなんて騒ぐほどの問題じゃないと思うし、少なくてもわたしが興味をもつ問題じゃない。

添付した画像は内容と関係ありません、わたしの好みってだけで。

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2018年1月10日 (水)

ブリキの太鼓

Bd

なんとなく思い出した映画のこと。
フォルカー・シュレンドルフ監督の「ブリキの太鼓」である。
もとはノーベル賞作家ギュンター・グラスの小説で、わたしは原作を読んでないからそっちについてはなんともいえないけど、文芸作品の映画化としては成功したもののひとつだと思う。

物語の中心をなすのは第二次世界大戦の前夜に生まれた、悪魔的能力をもつ少年オスカル。
映画は彼の成長を軸として進んでいく、といいたいところだけど、じつは彼は成長を自分の意思でストップさせていて、成長はしないのである。
なんだ、それというなかれ。
この映画は子供のままのオスカルの目を通し、ナチスが登場する前後のドイツの世相を、寓意やグロテスクなユーモアをこめて描いた傑作なのだ。
ただ作品の意味や思想なんてことをいいだすと、プロの作家でもないし、書いても一文にもならないわたしには時間の無駄だ。
だからここでは、映画の中で、とくにわたしの印象に残った部分について書いてみよう。

この映画のなかに、オスカルの母親が浮気をする場面がある。
彼女の浮気相手は従兄弟のヤンで、映画の中で、じつはオスカルの父親はこの浮気相手であることが暗示される。
母親は幼いオスカルを連れて外出するよう見せかけ、彼を懇意のおもちゃ屋に預けて、そのあいだにヤンとの逢瀬を楽しむのである。
このおもちゃ屋を演じたのが、シャンソン歌手として有名なシャルル・アズナブール。
じつは彼も母親が好きなのだが、彼女の浮気に目をつぶって協力しているのだ。

自分の好きな女性が、べつの男に逢いに行くのを見送らなければならないとしたら、男はどういう顔をすればいいだろう。
わたしは以前このブログの「盲目物語」という項で、自分の好きな女性に相手にされない豊臣秀吉について書いたことがある。
どうもこういうもてない男には、すぐ感情移入してしまうのがわたしのわるいクセだ。

母親が愛人と密会をしているはずの建物を、おもちゃ屋はじっと見上げる。
この場面で当て馬にされた男を演じるアズナブールの切ない表情がじつにいい。
その後ナチスの台頭とともに、おもちゃ屋は迫害されて自殺するのだけど、まじめで気弱な小市民を演じたアズナブールが、わたしには映画の中でいちばんこころに残った。

この映画には、へたなポルノ顔負けのひわいな場面も出てきて、もちろんわたしはそういうところもキライじゃないけど、ほかにも印象的な場面がある。

第二次世界対戦の発端となった、ポーランドにおける抵抗運動のひとつにライツィヒの郵便局事件というものがあるそうだけど、オスカルのほんとうの父親ヤンは、ここでドイツ軍を相手の戦闘にまきこまれてしまう。
敗戦濃厚で、仲間とやけっぱちのトランプをしているところを逮捕された彼は、いい手がきていたんだけどなと、ハートのクィーンをオスカルに示したあと銃殺されるのである。

映画も傑作だけど、わたしはこういう場面について書きたかった。
悲しいこころをまぎらわすには、わたしは他人の悲しみを見つめるのだ。

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2018年1月 9日 (火)

健康診断の結果

なんだか韓国のほうがすったもんだしてるみたいだけと、日本としては国際常識の範囲内でじっとしてればいいみたい。
安倍クンもそういう方針らしいので、わたしもいちゃもんのつけどころがない。
 
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そんな世間一般のことより健康診断の結果がきた。
見ると前回とほとんど変わらず、あいかわらずわたしは健康そのもの、というと語弊があるけど。
要注意マークは肝機能、血圧、ピロリ菌、そして脂質が消えたかわり、便潜血という項目が増えた。
便潜血ってナンダと思ってそのへんをよく読んでみたら、大腸の出血性病変の可能性がありますだって。
これって大腸ガンのことか。
痔なら30年まえに手術して、最近はずっと快調だったし、くわばら、くわばら。
ウチの職場はピロリ菌ごときでも治療証明書をもらってこいとうるさいところだから、ピロリ菌の治療ついでに内視鏡でも入れてくるか。
 
でも思うんだけど、わたしはまだ仕事をしているからいい。
リタイヤしたら、もう健康診断なんかメンドくさいってんで、墓穴に入るまで病魔の餌なんだろうなあ。

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2018年1月 8日 (月)

狡猾な国

東京23区で、成人式に参加した外国人が8人に1人だそうだ。
わたしは過去に何度か言及しているけど、日本だっておもてに出てこないだけで、どんどん移住してくる外国人が増えているんだよね。
ドイツや欧米のようにいきなり移民を受け入れて混乱を招くより、アメリカみたいにそんなもん受け入れないと極端な姿勢を見せるより、やっぱり日本のやり方は狡猾だ(狡猾という言葉が気に入らなければ別の言葉で置き換え可)。
文句をいう人もいるけど、相手をけっして傷つけない、こっちをぜったいにけなさせない、海外旅行にしょっちゅう出かける人は、こういう政府の姿勢に感謝することが多いだろう。

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2018年1月 7日 (日)

蔵の街

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今日はいい天気なので、蔵の街といわれる川越まで散歩の足をのばした。
連休でもあったので、いや、すげえ混雑。
成人式の晴れ着の女の子が混じっているのはいいとして、中国語や韓国語も飛び交い、わたしは釣られてバケツに放り込まれた鮒みたいにアップアップ。

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腹がへったからウナギでも食べるかと思ったけど、いっしょに行った俗物の見本みたいな知り合いが、女の子が喜びそうなカラーのMAPを取り出して、ここに鰻屋があるという。
しかしこういう観光地に来る人間は、みんなそういう案内をアテにして、みんなそういう店で同じようなものを食うに決まっているのだ。
案の定、お目当ての店は、わたしにはとうていガマンできないくらい行列ができていた。

あきらめて駅から近い蕎麦屋に入ったけど、高くてまずい、観光地の尻尾にぶら下がってなんとか脈動を保っているような店だった。
おまけにわたしの足はますます衰えたようだ。
よろよろと帰宅し、さっきまでひと眠りしたトコ。
死にたい。

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2018年1月 6日 (土)

寂しい季節

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暖かくていい天気だ。
ただいま自然観察園のまえだけど、花を見るには最悪の季節かもしれない。
咲いているのは、例年まっ先に咲くロウバイと、水仙がちらほらのみ。
そして例によって自然観察センターのまえのベンチに座り、タブレットでいま撮ってきたばかりのロウバイを鑑賞中。

わたしにはぜんぜん関心のない人だけど、星野仙一サンが亡くなったんだってね。
歳が70だそうだ。
こんな話を聞くたび、わたしもいよいよ最後の周回にさしかかったなって気がする。
あるいは最後の周のバックストレッチにさしかかってるのかも。

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またまた2001

2001

正月に放映された「2001年宇宙の旅」を観て。
この映画については、いくら褒めても褒め足りないのわたしだけど、あらためて監督のスタンリー・キューブリックの先見性に感心した。

この映画は1968年の公開なので、パソコン元年とされる1995年(ウイン95の発売年度)よりずっと古い。
したがってパソコンもインターネットも、それ以前にあったワープロでさえ出てこない。
これでは時代遅れという人がいるかもしれない。
しかしアメリカの批評家がいっていたように、キューブリックはテクノロジーを描こうとしたわけではない。
彼が描こうとしたのは、もっと哲学的なものだけど、あまりむずかしいことをいうと、解釈は個人の勝手でしょという迷路にはまり込むので、わかりやすいところをひとつ。

最近、2045年問題というのが話題になっていると、去年の12月にこのブログに書いたばかりだ。
これはどういうことかというと、つまりいま囲碁将棋の世界で、ITの知能が人間を超えようとしてしているように、コンピューターがもっとあたりまえの思考の世界で、人間に追いつき、並ぶのが2045年ごろじゃないかといわれているのだ。

コンピューターが人間を超えるというのは、じつはSFの世界ではかなり古くからあるテーマである。
キューブリックがやったのは、その古くからあるテーマを、荒唐無稽なフィクションを排し、現実の科学に立脚したうえで、シネラマの壮麗な映像美で描き出すことだった。
そして半世紀が経過した。
わたしたちはいままさに、HAL9000が現実になるのではないかと怖れているところじゃないか。

現実がちょうど映画に追いついたということで、わたしのいうキューブリックの先見性とはこのことだ。
もちろんこればかりが映画の主要テーマじゃない。
人間が生み出したものが人間を裏切るという問題以外に、わたしたちは何者か、どこから来てどこへ行くのかという、ゴーギャンのノアノア時代からの哲学的な意味も含んでいるんだけど、わたしはいまそこまでは踏み込まない。

添付したのは、ネットで見つけたディスカバリー号の詳細な内部構造。
この映画のマニアックなファンが、図説入り学術論文を書いたらしい。

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2018年1月 5日 (金)

酢ダコ

わたしの愛読するネット掲示板「海外の万国反応記」に、スウェーデンでは正月に酒を買うためには、酒屋に行列しなければならないなんて記事が出ていた。
なんでもあの国では、度数3%以上の酒は、政府が管轄する店以外では買えないのだそうだ。
行列しなくてもすむように、前年のうちに買いだめしておけばよさそうなものだけど、そうするとせっかくの酒が正月まえになくなってしまうのが普通なんだと。
気のドクだな、北欧の国ってのはよっぽど飲んべえが多いんだなという書き込みのあとに、アメリカでは酒の買えるドライブスルーがあるって書き込みがあって、ワロタ。

車で出かけたわけじゃないけど、わたしは昨日、酒の肴にするつもりで酢ダコを買ってきた。
この季節になるとその高いのに唖然とする正月食品である。
このブログでも取り上げたことのあるモーリタニアのタコも高い。
で、ナマコに続いて今年は酢ダコの経済学だ。

高いと思った酢ダコのとなりに、1/3ぐらいの値段の酢ダコがあった。
どうも世間には、酢ダコというと足にばかり目が行ってしまう人が多いらしいけど、安いのはタコの頭(ほんとは胴)の部分を使った酢ダコだった。
なんで頭は安いのか。
タコの足なんて、切ってもまた生えてくるんだから、資源が枯渇することもないけれど、頭はそうはいかない。
ふつうに考えれば頭のほうが高くてアタリマエではないか。

安いということは人気がないということで、人気がないのはマズイからかもしれない。
そのへんが心配だったけど、帰宅して食べてみたらけっしてそんなことはなかった。
吸盤がないのがもの足りないだけで、味は足と比べてもぜんぜん遜色がない。
わはは、これはいい、来年からは頭をねらい目にしようと思う。
これを読んだ人が、来年から頭、もとい胴に殺到しなけりゃいいが。

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2018年1月 4日 (木)

また2001

そんな大量の年賀状が来たわけでもないのに、やっぱり返信用の年賀状が足りなくなった。
昨日、あわてて郵便局(本局)へ行ってみたら長蛇の列だ。
あきらめて帰ってきたから、出したのに返事が来ないとお怒りのアナタ、このブログを読んでいるなら、忘れたころにはきっと届くといっておく。

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今日は部屋でぼんやりしていたら、ああ、また2001だよ。
わたしにとって生涯最高の映画というべき「2001年宇宙の旅」が、またテレビ放映されている。
わたしは市販されたDVDも持っているし、アナログ時代、デジタル時代に放映されたものも録画した。
さすがにもういらんと思っていたけど、念のため録画してみたら、これって時代時代にあわせて進化してんのね。
今日の放映ではブルーレイ時代にふさわしいように画像処理がしてあるみたいで、またいちだんとキレイ。
キレイにしすぎて、ものの輪郭線がくっきりしすぎる難点はあるものの、でっかいテレビでくり返し観るためには、やっぱりまたディスクに焼くことになりそう。

わたしはすでに2001年を通過した。
残念ながら、スタンリー・キューブリックが予想した未来はまだまだ遠く、わたしはおそらく、人類が木星圏に到達するのを見届けることはできないだろう。
それでも最近のアホらしいSFしか知らない子供たちに比べれば、たとえフィクションとはいえ、これほどすばらしい夢を見ることができた青春に感謝している。
わたしの残り少ない人生では、これをしのぐ映画はあらわれそうにないから、2001はあの世にまで持っていく永遠不滅の映画なのだ。

添付したのは、過去に作ったわたし御謹製による2001のディスク。

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2018年1月 3日 (水)

書斎派グルメ

夏目漱石は正月が苦手だったそうである。
正月になると頼みもしないのに年始の客がくる。
そういう客の酒の相手をしなければいけないのが苦痛だったそうだ。
その点、わたしみたいな偏屈は、年始に来ようっていう客もいないから気が楽だ。
好きなときにメシを食い、酒を飲み、あとは平和に読書三昧。
正月まえに図書館で借りてきた開高健の「眼(まなこ)ある花々」というエッセイ集を読んでいるんだけど、おもしろいし、いろいろ示唆される本である。

この本のなかに越前岬にある古い旅館のことが出てくる。
なんでも作者が『旅』という雑誌に、観光ズレしていない旅館を紹介してくれと頼んだら、教えてくれたところだそうで、座敷わらしでも出そうな雰囲気が、ひと目で気に入ってしまった宿だそうだ。
最初のエッセイでは宿の名前が出てないけど、時代をこえて作家のいろんな時代のエッセイを集めた本なので、あとのほうのエッセイに、たぶん同じ宿であろうという旅館が、こちらはちゃんと名前入りで出てくる。

なにしろグルメで有名な作家だから、宿のご馳走の描写がハンパない。
思わず生つばゴックンというくらい、越前ガニやらツブ貝やら北の海の幸のてんこ盛りだ。

それにしても、わたしは少食かつ偏食なので、山盛りの珍味を出されても困ってしまう人間なのに、グルメ紀行がおもしろいというのはなぜだろう。
でもよく書かれた本なら、むかし読んだ邱永漢さんの本もおもしろかったし、こういうのを書斎派グルメというんだろうな。
「日本百名山」を書いた深田久弥が、書斎で山に関する文献をあさっている人も立派に山男の資格があるといってるけど、わたしの場合、食べものも釣りもみんな部屋の読書ですませてしまう。
安上がりでいいいかもしれない。

でも、こういう本を読むと、ひとつ出かけてみようかと、費用のことは考えもしないで、すぐその気になるのがわたしのわるいクセだ。
旅館の名前はわかっているのだから、ググッてみた。
残念ながら、作家がこのエッセイを書いたのは、いまでは遠くなりにけりの昭和のことなので、その旅館はとっくに今ふうに改築されていた。
でも越前ガニの味が昭和と平成で変わるわけもあるまい。
ひとつ強靭な胃をもっている人間を誘ってみるか。
でもねえ。
わたしの知り合いには、胃袋だけは相撲取りなみの人間もいるけど、あいつ、糖尿の薬飲んでるもんな。
やっぱりひとりで行くしかないか。

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2018年1月 2日 (火)

初詣の写真

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ちょっと遅くなったけど、今年の初もうで(31日の深夜)の写真を貼っておこう。
場所はうちから徒歩30分の深大寺。
 
今年は偶然に賭けるぞってわけで、スローシャッターの写真を目指したんだけど、バシャバシャ撮って、なんとかモノになったのはこれくらい。
プロとアマの違いは、プロはこういう写真を撮るぞと出かけていって、そのとおりの写真を撮ってくること。
アマはこういう写真を撮るぞと出かけていっても、そのとおりの写真が撮れないこと。
ま、偶然に賭けたんだから、こういうこともあるさとウソぶくのもアマの特徴だ。

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2018年1月 1日 (月)

2018

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あけましておめでとうと、人なみな挨拶をしておいて、さあ、またいちゃもんブログのこと始め。
この富士山の画像は、今日の朝わが家のベランダから撮ったものだけど、何回見ても腹がたつ。
余計なところに照明灯なんか建てやがって。

怒りをぐっと押し殺して、いま雑煮を食べているところ。
吹けば飛ぶようなブログだけど、今年はアクセスが30万の大台に乗りそう。
そう考えながらモチをあんぐり。
とっとっと。
気をつけないと、正月はモチをのどにつまらせて死ぬじいさんが多いからな。

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