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2018年1月20日 (土)

死ねばいいんでしょ

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わたしのアパートのとなりは、都内ではいまどきめずらしい専業農家だったけど、ずっと独身だった主人が去年の5月に亡くなって、いま土建屋がその家を取り壊し、更地にしているところ。
家のまわりに生えていたカキ、ミカン、ユズ、ブドウなどもみんな容赦なく刈られた。
それはやむを得ないとしても、わが家と隣家の境界にあるケヤキの木、かなりの巨木で、これってわたしがここに越してきてからずっとわたしの人生を見守ってきたもので、じつはこの木の根もとに、ロシア人の飼っていたロングーヘアのネコの死骸も埋まっているという木なんだけど、ベランダで洗濯物を干していたら、大家さんが土建屋と話をしているのが聞こえた。
「それも切ってしまうのかい」
オイオイオイ。
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グランドに照明塔が立って、富士山の展望をジャマするようになったのに続き、さらにアパートの資産価値を落とす出来事だ。
都会の人間は、とかく落葉が積もるからと樹木のある環境を毛ギライするけど、わたしはこの部屋で豊かな自然と、思索に満ちた(つまりニートな)生活を満喫してきたのだ。
こういう幸せが踏みにじられるのもグローバル化というのだろうか。
更地になった隣家の跡地に風が吹き抜ける。
ええ、死ねばいいんでしょ、年寄りは、さっさと。

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コメント

私は一応庭付きの家に住んでます。比較的若い頃は木が植わっていると、潤い等が有るって、これは錯覚みたいな物だったんだろうけど、悦に入っていました。ところが自分が老齢化した結果、剪定をしたり、刈り込みをしたりが大変な作業になってきました。そんな訳で徐々に一本,又一本と木を少なくしています。これは、自分の家だけではなく、近所では、既に庭が更地になっている家は少なくありません。
 実際、緑に囲まれていると癒されるなんてのは、迷信か錯覚であります。(こう決めつけるのはちょっと怖い気がしますので、後で訂正するかも知れません。)
蛇足:昔、家庭のゴミを減らそうとして、生ゴミを堆肥化するコンポスターの利用を推進する運動が活発化した時期がありましたが、今ではその容器は畑や庭の隅で風化にさらされています。

投稿: 女音恋音 | 2018年1月20日 (土) 19時53分

それはもちろん女音恋音クンが、もともと緑の多いわが故郷で暮らしているからです。
わたしはそんな故郷をはなれてン10年も、人間とホコリばかりの都会で暮らしてきました。

投稿: 酔いどれ李白 | 2018年1月20日 (土) 20時25分

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