またまた2001
正月に放映された「2001年宇宙の旅」を観て。
この映画については、いくら褒めても褒め足りないのわたしだけど、あらためて監督のスタンリー・キューブリックの先見性に感心した。
この映画は1968年の公開なので、パソコン元年とされる1995年(ウイン95の発売年度)よりずっと古い。
したがってパソコンもインターネットも、それ以前にあったワープロでさえ出てこない。
これでは時代遅れという人がいるかもしれない。
しかしアメリカの批評家がいっていたように、キューブリックはテクノロジーを描こうとしたわけではない。
彼が描こうとしたのは、もっと哲学的なものだけど、あまりむずかしいことをいうと、解釈は個人の勝手でしょという迷路にはまり込むので、わかりやすいところをひとつ。
最近、2045年問題というのが話題になっていると、去年の12月にこのブログに書いたばかりだ。
これはどういうことかというと、つまりいま囲碁将棋の世界で、ITの知能が人間を超えようとしてしているように、コンピューターがもっとあたりまえの思考の世界で、人間に追いつき、並ぶのが2045年ごろじゃないかといわれているのだ。
コンピューターが人間を超えるというのは、じつはSFの世界ではかなり古くからあるテーマである。
キューブリックがやったのは、その古くからあるテーマを、荒唐無稽なフィクションを排し、現実の科学に立脚したうえで、シネラマの壮麗な映像美で描き出すことだった。
そして半世紀が経過した。
わたしたちはいままさに、HAL9000が現実になるのではないかと怖れているところじゃないか。
現実がちょうど映画に追いついたということで、わたしのいうキューブリックの先見性とはこのことだ。
もちろんこればかりが映画の主要テーマじゃない。
人間が生み出したものが人間を裏切るという問題以外に、わたしたちは何者か、どこから来てどこへ行くのかという、ゴーギャンのノアノア時代からの哲学的な意味も含んでいるんだけど、わたしはいまそこまでは踏み込まない。
添付したのは、ネットで見つけたディスカバリー号の詳細な内部構造。
この映画のマニアックなファンが、図説入り学術論文を書いたらしい。
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