« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »

2018年2月

2018年2月28日 (水)

胃カメラの予約

わたしが病院に行かないのは、どこもわるいところがないからだ。
歳相応にあちこちガタが来ているけど、べつにすぐに病院に行かねばならない理由もない。
しいていえば高血圧なんて、即入院のレベルで、わたしでなかったらあわてて病院に行ってもおかしくないかもしれない。
お医者さんは患者の命を守るのが商売だから、少しでも変調のある患者には薬をすすめるし、入院しなさいという。
そんなことをいわれても、どこも痛くもカユくもないわたしは、医療費を浪費しようって気にもなれないのである。

そういうわけでほうっておいたけど、わたしの所属する団体はピロリ菌の治療証明書をもらってこいとうるさいのだ。
仕方ないから先日、三鷹市にある総合病院で胃カメラの予約をしてきた。
このブログを読んでいる人は、わたしが過去にも胃カメラを飲んだことがあるのを知っているだろう。
そのときは胃ガンの恐れありってことだったけど、けっきょくガセネタだった。
今回もそんな気がするけど、あの病院の検査技師は美人のカワイ子ちゃんだったからな。
彼女がまだあの病院にいるなら楽しみだ。

こんな私的で下らないことを書いて、え、いや、けっしてアクセス向上につながると思ってません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月27日 (火)

今日の花

Image
Image_2

わたしは鼻があまりよくない。
いつだったか、イヌのように嗅覚のいい友人がやってきて、あいつの目的は酒だったようだけど、勝手に冷蔵庫を開けて、変な臭いがするといいだした。
調べてみたら、奥のほうに賞味期限のとっくに切れた豚肉が入っていた。
万事がそんな調子だけど、そんなわたしでもこの季節に散歩をすると、ウメの甘い香りに気がつく。

今日はまた散歩。
自然観察園ではキクザキイチゲやミスミソウ、マンサクなどが咲き始めた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月26日 (月)

真実

ひとつのニュースでも別々の方角から見ることで、真実(でないこと)がわかることがあるものだ。
今朝のウチの新聞には、平昌オリンピックの閉会式で韓国と北朝鮮の選手がいっしょに入場したと、わりあいあっさりと書いてある。
これを読むと南北合同チームは成功だったと、つい思ってしまう。
しかしネットニュースの中には、南北が不協和音をかなでたまま、韓国は自国の太極旗をかかげ、北朝鮮は合同チームの象徴である統一旗をかかげ、前後に分かれたまま入場したと書いたものもある。
わたしは閉会式を見なかったから、どっちが正しいのかわからないけど、これは映像を見た人には一目瞭然だ。

わたしはたしかに閉会式を見てないけど、それ以前に、聖火を点灯台の下まで運んだ南北のオリンピック選手が、そのあとでインタビューに応えている映像を見たことがある。
北の選手が、意義のあることで感動したと模範的回答なのに比べ、韓国の選手は、べつになんてことありませんと素っ気ない。
これで大丈夫なんですかねえというのは、民放より公平とされるNHKのニュース・キャスター。

一緒に入場したのかしなかったのか、すぐにわかってしまうことまで、いいかげんなことを書くなよ。
え、朝日新聞、アンタんところのことだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月25日 (日)

不安

今日も世界に提言するような、高尚なブログネタがないや。
昼間、まえにいた会社の山登りクラブの同窓会みたいなものがあり、さすがにわたしの同年輩では、もう山に登れる者はほとんどいないから、百草園から高幡不動のあたりをうろうろして、あとはお定まりの飲み会。
年寄りの同窓会では、故人になった者の名前が話題になるのがフツー。
でなければ、心臓がおかしいとか、血圧が高いとか、糖尿になっちゃったとか、おたがいの健康についての情報交換。

中のひとりが、ちょいとまえに軽い脳梗塞をしたそうだ。
どんなふうになるの? イタイのカユイの?と、いろいろ話を聞いてみた。
いや、ある日とつぜん文字が書けなくなっちゃってねという。
字が乱れて、知っているはずの漢字が出てこないんだよとのこと。
そういわれると、わたしも乱筆で、漢字が出てこないことがしょっちゅうある。
もっともわたしの場合、乱筆は子供のころからで、漢字忘れがひどくなったのはワープロやパソコンを使い始めてからだ。

舌がもつれるんだよともいう。
わたしも言語障害みたいな吃音の持ち主だけど、これもそうとうのむかしからだもんな。
足ももつれるという。
わたしも足がもつれるけど、これもむかしから平衡感覚がわるく、上を向いたまますんなり階段を降りられたためしがない。

こういう調子で、すくなくともわたしの場合、本格的な脳障害が始まったのか、生まれついてのものなのか、結論を出すにいたらなかった。
どうにでもなれと思っているるくせに、旧友たちの話を聞いていると、やっぱり病院に行ったほうがいいかしらと、いくらか不安になる。
いや、もちろん酒はそうかんたんにやめられません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月24日 (土)

また姑息

ああ、もうブログを更新する時間がないよ。
今日はパソコンでビデオ映画を作りたいという知り合いの相談に乗っていたんだけど、古いパソコンに最新の編集ソフトを詰め込んで、スムースな編集ができるはずがないという事実を確認しただけ。
これで終わりだから、また姑息なブログ更新といわれて返す言葉がアリマセン。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月23日 (金)

先見性

今朝のウチの新聞にわりあいでっかく、護衛艦いずもの空母化、建造前から想定なんて記事が出ていた。
これを読んでわたしのブログの先見性におどろいた。
わたしは去年の12月27日に、この件について、むかしの首相もそんなことは想定済みだったろうと書いている。
やっぱりというところ。

でも、考えてみると、いずもの基本設計が考えられたのは、06〜08年ごろだというから、民主党政権時代と重なるところがある。
よくあの政権が反対しなかったなと思うと同時に、あのころから自衛隊は役にたたない政治家をわきにして、シビリアン・コントロールもなんのその、日本を守るために独自の行動をとっていたんだねえと感心する。
観艦式でも見に行くか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月22日 (木)

管理社会

ちょっとまえにこのブログについたコメントについて、前項で触れたけど、都会人のものの考え方がいかに自分と乖離しているかを思い知った。
わたしは自然が豊かであればあるほどいいと考える人間だけど、都会の人は、あるいは現代人というものは、あらゆるものがきちんと芽をつまれ、頭を刈りそろえられた管理社会でないと生きられなくなっているらしい。
自然を愛するということは誰でもいうくせに、ただしそれが自分の家のまわりにないことという但し書きがつく。
総論賛成、各論反対ってやつね。

以前は世田谷区あたりでも、場違いなくらい樹木にかこまれた家があちこちにあって、たまたま通りかかったわたしは、おお、ここにも同好の士が住んでいるなと思わせられたものだった。
でもわたしにとっては好ましい家でも、住んでいる当人にとっては、さぞかし周囲の目は冷たかったにちがいない。
となりの農家のおじさん、去年の5月に亡くなったけど、彼もさぞかし肩身の狭い生き方を強いられていたんじゃないか。
カヤぶきとまではいわないけど、なにしろ古い農家だ。
建物もうす汚く見えるし、物置きにホコリにまみれた農機具が積まれているさまを見れば、都会人にとってはゴミ屋敷と変わらないように見えただろう。
こんな家がとなりにあったんじゃ迷惑だ、という声なき非難を、亡くなったご主人はわたしなんかよりずっと切実に感じていたんじゃないか。

うちの近所には園芸農家に転身して、大規模に植木や花の栽培をしている農家もあるけど、花の栽培なら近所で文句を言う人もいない。
しかしそんなあざやかな転身は、誰にでもできるものじゃない。
さっさと農業をやめて、アパート経営でもすればよかったという人もいるかもしれない。
それだって農業ひとすじに生きてきた農民に、おいそれと決断できるものじゃないし、じっさい、最近はアパートやマンション経営も曲がり角だ。
農民やわたしのような変人を締めつける輪は、ますます狭くなっているのだ。

でも考えてみればば、となりの農家が更地になったって嘆いているのはわたしだけだな。
わたしの場合、まだまだ農地がたくさん残り、しかも急速にそれがすたれゆく大沢村に住んだことで、よけいそういう思いが強いのかもしれない。
あるいはわたしが感傷的すぎるのがイケナイのかもかもしれない。
植物だって生きているんですなんていっても、アホかと一蹴されてしまうだろう。
現実に、農業をしているわたしの親戚に、野草の花っていいもんですねと吹聴したら、あんな迷惑なもののどこがいいのかと逆襲されたことがある。
やっぱりおかしいのはわたしのほうか。

あるがままの自然を無理に整頓させようという管理社会の未来ってそんなにいいものか。
いまに見ていろ、天変地異か、核戦争か、コンピューターの反乱か、きっと天罰が下るから。
なんていちゃもんをほざこうと思ったけど、ミミズのたわごとみたい。
天罰はわたしだけを避けてくれるわけでもなさそうだし、いえばいうほど、書けば書くほど負け惜しみになってしまう。

つまり、なにもかもわたし自身のほうに責任があるわけだ。
そう認めれば万事まるく収まるのだ。
心配するな、わたしはこれを読んでいるたいていの人よりは先に死ぬ。
となりの家を更地にしたのは農協や三鷹市が主導したことだそうだ。
彼らも汚らしい農家を撤去して、跡地をうるわしい更地にするために、家の主人が亡くなるのを千秋の思いで待っていたにちがいない。
わたしの郷里にも、拡張される道路がすぐ近くまで完成しているのに、わたしの親戚が死ぬのを待って、工事をストップさせている市役所がある。
それでも市民の税金をムダに使いしたくないのだといわれたら、わたしには反論できそうもない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月21日 (水)

都会の人

0770

むかし、いまとは別のアパートに住んでいたころ、玄関のわきにそれほど大きくないケヤキの木が生えていた。
建物のボロかくしになるし、都会の人間にとっては一服の清涼ということで、山奥の仙人にでもなったつもりでほうっておいた。
木はだんだん大きくなる。

大家さんは遠方に住んでいたから、近所のおばさんたちが、いちばん人のよさそうってことなのか、そのうちわたしに苦情をいうようになった。
木の葉が落ちて困るんだけどと。
なるほど、ケヤキだから秋になると落葉する。
わたしはもともと田舎者だから、樹木が落葉するのは当然と思っていた。
しかし都会の人にとって、落ち葉というのは迷惑そのものらしい。
おかげで何度か枝を剪定させられるはめになった。

こんなことを書いたのは前々項にコメントがついたせい。
コメンターはどうやら近所の住人のようだけど、わたしが環境の激変を悲しむのが気に入らないらしい。
やはりケヤキの葉っぱが、自分の家のまわりに降りつもるのがケシカランという都会人なのだろう。
そういう点じゃ、わたしのアパートくらい近所迷惑はなかったもんな。

でもこのコメンターのおかげで、吹けば飛ぶようなこのブログにも、友人以外の読者がいることがわかった。
ええ、時代錯誤の老害で悪うござんした。
今度こそブログが炎上して、アクセス数万になるんじゃないかと期待しておりますよ。

この記事では 「コメンター」 という言葉を使っているけど、あとで 「コメンティーター」 が正しいのではないかと思った。
で、調べてみたら、新しい言葉で 「コメンター」 というのもあるらしい(ウィキペディア)。
ここではコメンターのほうがふさわしい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月20日 (火)

ひねくれ

今朝のウチの新聞にビル・ゲイツのインタビューが載っていた。
およそパソコンをやっている人間なら知らぬ人のない有名人・・・・と書こうとしたけど、最近のようにスマホやタブレットが主流になると、そろそろ彼の名前を知らない若者も出てくるかもしれない。
わからなければグーグルでも当たってみればよい。
わたしがそんな世間の常識を、いちいち説明すると思ったら大間違いだ。

わたしはどっちかというと、アップルの創始者のスティーブ・ジョブズのほうが好きだけど、ゲイツ君のこともけっしてきらいではない。
それは彼がアメリカの金持ちにありがちな、うさんくさい方法で金を儲けたわけではなく、新しいテクノロジーの開発競争で勝利を収めるという、しごくまっとうな方法でミリオネアになったからである。
しかも儲けたお金を、慈善事業や貧困撲滅のために使っているのをみれば、吝嗇というなんくせをつけるわけにもいかない。

ここで問題になるのが、ゲイツ君の場合、金があるからできるんだというひねくれ者の存在である。
世間には他人の成功を嫉妬したり、軽蔑したりするひねくれた人間がどこにでもいるものだ。
そういう人はS・ジョブズに代表されるような変人というより、ただこころがせまいだけである。
たとえば、政治家がどんなに努力しても、どんなに景気を押し上げても、ただもう相手の欠点ばかりをあげつらうウチの新聞(朝日)みたいなものだ。

その朝日新聞のインタビューで、ゲイツ君は、世界がよくなればアメリカのためにもなるんだと、トランプ政権のやり方に異をとなえている。
まともすぎて、勝ち組の大金持ちだからいえるんだというべきか。
なんとでもいえと、このへんはゲイツ君にかわって。
彼が開発したウインドウズが、国境を飛び越えて地球を縮小し、人類の交友関係を広げ、生活を便利にしたことはまちがいない事実だ(悪用する人もいるけど)。
彼は人類に貢献することによって儲けた金を、もういちど人類に還元しているといえる。
いちゃもんをつける余地はないのである。

こんなことを書くと、おまえは変人じゃない、至極まっとうな人間だと言われてしまいそう。
わたしもいつもそう思ってんだけど、世間はなかなかそう思ってくれないみたいで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月19日 (月)

絶望

0790b0790c

やれやれ。
わが家の周囲に数本だけ残っていたケヤキやカエデが、凶悪な宇宙人にばっさり切り倒されているところ。
わたしはなすすべもなくそれを見守っているところ。
神も仏もないものか。
緑にかこまれていると癒されるなんてのは錯覚だといっていた女音恋音クンだって、砂漠のまん中に住みたいとは思わないだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年2月18日 (日)

姑息

ああ、とうとうブログの連続更新が途切れちゃったよ。
昨日はまた仲間たちとパソコン同好会。
終わると飲み会になっちゃうのもいつも通り。
終わって帰宅したのが夜の10時ごろで、もうろうとした頭でそれから文章をひねくり出す余裕がなかった。
こういうときは、「今日は眠くてブログを更新できません」という文章を一行だけ載せて、それで更新したことにする手もあったんだけど、まえにも使った姑息な手段だからねえ。
いくら熱心にやったって一文にもなるわけじゃないし、ほめてもらえるわけでもない。
ま、たまには休んだほうが素人ブログらしくていいだろうと。

今日はカラオケ愛好会からビデオの撮影を頼まれているから、ヘタするとまた更新できないかも。
ってなことを書いて、少なくとも今日の更新はやっつけたことになる。
やっぱし姑息。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月16日 (金)

鑑定

知り合いから壺の鑑定を頼まれた。
添付した写真がそれだけど、なんでも知り合いの知り合いが、ヨーロッパから送ってきた写真だそうだ。
こういう問題だと、いかに自分が博識であるかを実証しようと、わたしは必要以上に張り切ってしまう傾向がある。
そのへんをいましめつつ、わたしの感想を述べてみる。

T01

まず写真を詳細に観察してみた。
最初の写真を見て直感的に思ったのは、描かれた人間の顔が、東洋の仙人というより西洋人の顔に見えたこと。
なんの作為もなしに人の顔を描かせると、自然に描いた本人に似るらしいから、これって西洋人が描いたもんじゃないか。

拡大して細部をながめると、かなり表現は雑である。
これと似たような焼き物というと、日本には有田焼や九谷焼があるけど、そっちのほうが絵柄ははるかに精緻で、しかもそっちは磁器だぞお。
この壺は陶器に見える。
そして707ポンドの値札がついていた。
英国の貨幣で707ポンドということは、現在の相場は108,000円ほど。
本物の有田や九谷を外国で売るなら、そのくらいしてもおかしくないかもしれないけど、さて、はて。

T02

2番目の写真は1番の壺の底に書かれていた落款だけど、漢字を知らない人間がむりに真似したようだし、わざわざJAPANと書かれているところから、これは日本からの輸入品なんですよを強調しているように見える。

T03

3番目の写真は同じ店で扱われている他の商品らしいけど、描かれた子供の顔を見ると中国っぽい。
最初の壺にしても、落款で日本を強調しているくせに、モチーフは中国であることなどを考えると、どうも日本産をうたったインチキ商品じゃないか。

もちろんひねくれた日本の陶芸家が、中国を題材にした前衛作品を焼いたということも、例外として考えられる。
でも、わたしは例外を尊重せずに、これってなにもわからない東洋の焼き物マニアに売りつけようと、ヘタするとヨーロッパのどこかの国で焼かれた壺らしいっすよと返事をしておいた。
なんか異論がございましょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月15日 (木)

ひまわり

Sf

BSで放映されたデ・シーカの「ひまわり」って映画。
もう何度も放映されているのに、まともに観終えたことがいちどもないし、音楽以外はあまり気にしてなかった映画なので、批評はさしひかえる。
ただストーリーは知っているので、そのへんから思ったことを。

これは第二次大戦中にロシアに派兵されて行方不明になったイタリア兵と、生き別れになった奥さん(ソフィア・ローレン)の悲恋の物語。
どうも悲恋をまっ正面からとらえたといわれると、それだけでひいてしまうのがわたしの悪いクセだ。
イタリア映画なら、ましてデ・シーカの映画なら、もっと庶民的ユーモアを前面に押し出した映画にしてほしかったね。

戦争が終わったのに帰国しない旦那を探して奥さんが右往左往。
けっきょくわかったのは、旦那はロシアで知りあった娘と再婚し、いまは家族をもって幸せに暮らしていて、奥さんは泣く泣くあきらめるという物語だそうだ。
日本でも太平洋戦争が終わったとき、こんな話は山ほどあった。

これはなにかで読んだ話だけど、戦争中捕虜になって抑留されているあいだに、ロシア娘と恋仲になった日本人がいた。
現在の北朝鮮や、かっての日本なら、周囲から白い目で見られるところ、ロシア人というのはヒトがいいのか、日本人は多産系だと聞いている、ロシア娘と結婚してじゃんじゃん子供をつくってほしいといったとか。
多民族国家というのはそういうものらしいけど、人類愛がどうのこうのと屁理屈をいうよりずっといい話ではないか。

「ひまわり」では、マルチェロ・マストロヤンニのイタリア兵がそういうロシアに取り込まれちゃったわけだ。
イタリア人が多産系かどうか知らないけど、男は多情で、女を見ればすぐにくどくことぐらいは知っている。
そういう血が入れば、人間が陽気になるので、これはわるい話ではない。
え? いえ、これはコメディではありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月14日 (水)

北朝鮮の運命

北朝鮮の正恩クンの異母兄である正男クンが、弟の放った刺客に毒殺されてから1年。
昨夜のNHKニュースによると、その真実があきらかになったという。
とはいうものの、なんでこの時期に?といちどは疑うことも必要だ。
いままさに北と韓国vs日米とのあいだで、オリンピックを舞台に、目に見えない情報戦争が火花を散らしている最中だからだ。

毒殺事件の真相は、中国とも関係のよかった正恩クンの叔父である張成沢サンが、中国の胡錦濤サンと会談したのがきっかけだそうだ。
この席で成沢サンは、短気で乱暴者の正恩クンではなく、おだやかな性格の正男クンを、北の独裁者の後継に押したのだそうである。
しかし壁に耳あり障子になんとか。
中国国内にも北のシンパ、また胡錦濤サンに反感をもつ者もいるだろうし、だれがだれにチクるかわからないのだ。

どうやら成沢サンは密告されたらしい。
これが正恩クンにばれれば粛清確実だし、いくら残忍でも自分の叔父まで殺さないだろうという疑問も、これなら納得できる。
それまでにも海外を飛びまわっていて、その気があればいつでも暗殺できそうだった正男クンを、やっぱり消すしかないと決断させた理由もわかる。
その後の展開を見れば、成沢サンの処刑から正男クンの毒殺にいたる流れは、この情報が正しかったことを証明している。
逮捕された張成沢サンが、あきらめきったように淡々とした姿勢でいたことが印象的だ。

彼の処刑方法について、始皇帝時代もかくやというような残酷な方法が取り沙汰されているけど、それには触れない。
どっちにしたって成沢サンは、正恩よ、おまえが来るのをあの世で待ってるぞと、処刑場でつぶやいたにちがいない。
積もり積もった人々のうらみを満載したまま、難破船北朝鮮丸はどこへさまよっていくのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月13日 (火)

殺戮と希望

0789a

わが家のベランダから見下ろした隣家のあったあたり。
完璧に更地になって、ケヤキの古木も完全に根っこまで引き抜かれた。
そこに生えていた植物のジェノサイドは完了したようだ。
今年はもう、毎年隣家との境に咲いたヒメリュウキンカも見られまい。
庭におびただしく積もった枯葉ももう見られないし、その枯葉を養分にしていた小さな昆虫も行き場を失い、小さな昆虫を食べていた大きな昆虫も、大きな昆虫を捕食していた小鳥たちも、そんな小鳥を捕まえていたドラ猫も、みんなみんな困ってしまうわけだ。
人間よ、いったいいつまで地球の主のような顔をしているのか。
と、ぼやこうとしたけど、さしあたって天罰がくだりそうな気配はないから、こっちの分が悪いよな。

0789c0789cc

自然観察園ではいまセツブンソウ(節分草)が花盛りだけど、これは白い小さな花なのであまりおもしろくない。
その近くではフクジュソウ(福寿草)も顔を出した。
こちらは黄色くて、花の少ないこの季節にはよく目立つきれいな花だ。
で、フクジュソウの写真を撮ってきてブログに載せようと思ったけど、この構図はどこかで見たおぼえがある。
調べてみたら3年前にもこの季節に、同じ場所で撮った同じような写真を載せていた(上が3年前、下が今年)。
ということは、これは3年前と同じ株から生じた花にちがいない。
植生の豊富な隣家を失ったわたしだけど、まだまだしぶとく咲く花もあるわけだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月12日 (月)

文サンの今朝

前々項で平昌オリンピックが、開幕を観るかぎり、まあまあの出来じゃないかと書いた。
でも今日の新聞にその悲惨な状況の報告があって、やっぱりというところ。
ジャンプ競技が厳寒のなかで行われ、競技自体はなかなかおもしろかったのに、あまりの寒さに観衆はみんな逃げ出してしまったそうだ。
ガラガラの席で盛り上がりに欠ける競技になったのは、最大のスポンサーである米国のテレビ局の都合に合わせたIOCに原因がとかなんとか。
IOCの欺瞞にいまごろ気がついたのかっていいたいけど、やはり寒すぎる土地にオリンピックを誘致した韓国にも責任がありそう。

文在寅大統領が必死だ。
平昌オリンピックで北朝鮮との合同チームなんてサプライズを演出して、さらに人気を高めるつもりが、なんだか雲行きが怪しくなってきた。
昨日のテレビを観ると、売りものの女子アイスホッケーの韓国選手と北朝鮮選手(聖火を持って聖火台の階段を登ったペア)の、記者会見で息の合わない態度がありあり。
これで最下位にでもなった日には、もともと勝ち目のなかったチームだったとしても、負けたのは大統領のせいだといわれるに決まっている。

オリンピックが凋落の始まりになりかねないとしたら、文サンがあせるのも当然だ。
韓国ではいったんその地位をおわれた大統領は、刑務所に入るか自殺するしかないのだ。
かりに文サンも弾劾、罷免なんてことになると、逮捕も必然のなりゆきだから、先に拘留されてまだ裁判継続中のクネちゃんと、拘置所で鉢合わせなんてこともあり得るかもしれない。
あら、あんたも来たのって、これはマンガだな。

オリンピックのニュースは、終了後にNHKが総集編を出すことになってるんだけど、今回はどんな映像になるのか楽しみだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月11日 (日)

労働組合

今朝の新聞に現在の労働組合についての記事が。
明日がどうなるかわからない時代にあって、企業も労働組合もさま変わりした。
こんな時代にあっちゃ非正規会社員の運命なんて、風に吹かれるアシ・・・・よりひどい。
組合も非正規の肩なんか持つより、自分の首がかわいいと。

わたしの労働組合歴を考えてみよう。
社会に出て、自分の協調性のなさ、無能ぶりをしみじみ実感したわたしは、さっさと大企業への就職をあきらめた。
マンガ家修行時代(というと聞こえがいいけど、じつはたんなる現実逃避時代)にはいろんなアルバイトをした。
そういうところの多くは、組合なんて最初からないのが普通だった。
ただ景気のいい時代だったから、いまでいうブラック企業というものはあまりなく、あったとしても、辞めてさっさとべつの仕事を探すことができたから、労働組合の必要性を感じなかった。

そんな生活に終止符をうって、ちっとは知られた企業に就職したのは、30代なかばだったけど、職種は運転手だったから、アルバイト時代とあまり変わらない。
この会社にはふたつの労働組合があった。
ひとつは共産党系の、かなり強引なことを会社に要求する組合、もうひとつはその組合に対抗させるために会社が誕生させた御用組合とよばれる組合だ。
わたしはここではじめて労働組合というものの実態を知った。

わたしが所属したのは共産党系の組合だったけど、はっきりいってわたしは、組合というものにうさんくさいものを感じていた。
うちの組合はなにかというと、会社は◯◯億円も儲けている、それを社員に還元しろというのが口ぐせで、組合員もそれを素直に信じ、やたらにピケを張って、ガンバロウを連呼するのだった。

疑り深いわたしは、その◯◯億円をすべて社員に還元したら、給料がひとりいくら増えるのか計算してみたことがある。
全社員で割ると、なんだ、これっぽっちかというていどの金額にしかならなかった。
しかもこの儲けは一年を通してのものだから、金額をさらに12で割らなければならない。
企業だって税金や設備投資に金がかかるのだ。
それはちょっと無理な要求でしょう、というわたしの主張はてんで相手にされなかった。
そのうち組合の幹部が組合の金を使い込んだ。

労働組合というのはこういうところだ。
というのは、たまたまわたしの所属した組合がワルかったんだろうけど、あまり組合に幻想を抱かないほうがいい。
組合が威勢がいいのは、景気のいい時代だけである。
矛盾しているけど、景気が不安定になって組合員の生活も不安定になり、切実に組合が必要とされる時代になると、労働組合はだらしなくなる。
かっては賃上げだとか待遇改善だといきまいていた組合が、どうか馘にだけはしないで下さいと、会社に哀願するようになる。
けっきょく労働組合は正社員クラブというものになって、非正規のことなどかまっちゃいられないということになる。

ここまで書いて眠くなった。
連続更新を途切れさせないように、なんとなく不満足のまま終わらせてしまう。
続きはこれを読んだ人が、それぞれ考えればよい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月10日 (土)

平昌五輪

いま録画してあった平昌オリンピックの開会式を観たけど、べつに会場の床が抜けたとか、寒さで倒れる人が続出ってわけでもなさそう。
懸念されていた客の入りはどうなんだと、目を凝らしてみたけど、ボランティアを動員したにせよ、無料券を乱発したにせよ、ぼろくそにいうほどのことはない。
セレモニーも破綻なく終了したし、さぞかしネトウヨ諸君は落胆しているだろう。
いったいここ数ヶ月続いていた平昌五輪こきおろし大会はなんだったのだ。
わたしもどっちかといえば嫌韓家のひとりだけど、こういうものを笑うなら、失敗してからのほうがいい。
犯罪都市だとか第三世界だと嘲笑されていたリオ・オリンピックも、少なくとも開催自体は成功だった。
国家の踏ん張りはあなどるべきではない。
平昌が問題なく終了すれば、今度は日本に過大なプレッシャーがかかることになる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

引導を渡す

韓国だか北朝鮮のオリンピックだかよくわからないけど、そんなことはどうでもエエ。
北からは正恩クンの妹と、最高人民会議常任委員長の金永南サンという人が、オリンピック観戦のために訪韓している。
この永南サン、肩書きだけはものすごいけど、まったくのお飾りで、なんの実権も持ってない人だそうだ。
それでもあの国で3代の独裁者に仕え、粛清もされずに生き延びてきたと昨日の新聞に書いてあった。
ようするにゴマすりが得意で、自分の意見をぜったいに言わない人なのだろう。
訪韓した安倍クンに言っとくけど、そろそろ彼に引導を渡してやったらどうか。

いやあ、あなたに会えて光栄です。あなたみたいなエラい人に会えるとは。最高権力者の矜持とゆとりが体からにじみ出ておりますなあ。せっかくだから韓国民の税金を使った料理を腹いっぱい食べていってください。お国の娘さんたちの美しいこと、ゲージツ的センスのいいこと、やはりあなたの指導のたまものでしょう。2年後にはぜひ日本にも来てください。まえにオバマ君と同席した権八の焼き鳥をおごりますよ。あなた、寿司食ったことありますか、刺身はどうですか。朝鮮半島の融和と世界の平和はあなたひとりの双肩にかかってるのです。あなたは月だ、星だ、太陽だ。
こうやってめちゃくちゃ持ち上げて、彼が一瞬でもニッコリしたら、帰国後に彼も今度こそ機関銃の標的だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 9日 (金)

今朝の新聞

わたしは以前の会社にいたとき、◯◯の椎名誠と呼ばれていたことがある。
鏡を見てもべつに似ているような気はしなかったけど、立山へ行ったとき、見知らぬ人から椎名誠さんですかと聞かれたことがあるから、すこしは似ていたのかもしれない。
そんな椎名さんが今日の新聞でぼやいているけど、その心境は現在のわたしの心境に近い。
そろそろ終活と、そのさいのこころの準備とでもいうか。
彼はわたしより年上で、若いころは世界中を旅してまわるような活発な人だったのに、最近では生きる意欲もどうでもよくなって、面倒な用事のある日などは、このまま目が覚めなくてもいいと思うことがあるそうだ。
御同感。

漫画家の伊藤理佐さんのエッセイもおもしろい。
彼女の旦那は、やはり漫画家の吉田戦車だけど、この旦那の性格はわたしに似ているようだ。
奥さんが洗濯して引き出しにしまっておいたパンツを、彼はいつも同じ場所から引っ張り出してはく。
わたしも洗濯したパンツを、同じ引き出しの中に積み上げ、それを上から順番に引っ張り出す。
おかげで下のほうにしまったパンツはいつになっても使われない。
これでは同じパンツばかりが早くイタむと奥さんは心配しているんだけど、漫画家なんてそんなものよ。
わたしも洗濯してくれて、稼ぎもいい奥さんがいれば、もっぱら台所を引き受けるのに。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 8日 (木)

宗教と開祖

今日の夕刊に映画「空海」のでっかい宣伝。
映画にはぜんぜん期待してないけど、わたしは中国の西安にある空海の記念碑も、空海のゆかりの青龍寺も見たことがあるので、まあ、なじみがないわけじゃない。
でもそういうものを見ているからといって、けっして宗教に興味があるわけじゃないぞ。
日本人が西安に行くと、もう観光コースに入ってしまっていて、無理やり見せられるのだ。

日本では有名なお寺にはたいてい開祖という坊さんがいる。
これを知らないと、おまえはそれでも日本人かといわれてしまいそう。
空海って、どこの何寺の開祖だっけ?
常識知らずとののしられるかもしれないけど、わたしって無神論者だからね。
有名なお坊さんの名前も、有名な宗派も知ってるけど、これを線でつなげといわれるとちょっと不安。
いい機会だから、日本の代表的な仏教の宗派と、その開祖もしくは縁の深い坊さんの名前を調べてみよう。

人名でぱっと思い浮かぶのは、前述の空海、最澄、道元、法然、親鸞、日蓮など、宗派のほうでは、真言宗、天台宗、曹洞宗、浄土宗、浄土真宗、臨済宗、日蓮宗など。
宗派はまだまだたくさんあるけど、もともと興味のないものを、そんなにしつこく調べたって仕方がない。
このていどの宗派の開祖サマを知っていれば、日本人として通用するんじゃないか。

空海の弘法大師が開いたのが真言宗で、本山は高野山にある。
最澄は天台宗で、比叡山延暦寺が本拠。
平安時代に、加茂の流れとサイコロの目、そして叡山の坊主は自由にならないと、白河法皇をなげかせたのも彼ら。
法然の浄土宗。
道元ゆかりの曹洞宗は福井の永平寺。
親鸞の浄土真宗。
夏目漱石の「猫」の中で、真宗は仏壇に身分不相応な金をかけると揶揄されていた。
日蓮宗の開祖が日蓮であることはよく知っている。
うちの母親がオルグされちゃって、反逆児だったわたしにも、集会に出席しなさいなんて声がよくかかってきたから。
あ、これは創価学会のほうか。

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2018年2月 7日 (水)

朝日年鑑

0788a

田舎の親戚が入院したというので、見舞いのために帰省してきた。
親戚というのは、田舎ではそれなり名家だった農家で、子供のころのわたしにとって、わが家のつぎに想い出のある家である。
むかしの農家というのは部屋数も多く、開かずの間なんてのもあって、座敷わらしでも出そうといったらいいか。

そういう家だったから先祖代々の宝物が多かった。
当時としてはちょっとモダーンな離れの二階に日本刀があり、悪ガキだったわたしや従兄弟たちが、それを勝手に持ち出して、一階の屋根に張り出した篠竹をばっさりばさりと切り落としたこともある。
その日本刀は、その後研磨したり、拵えを白鞘に変えたりして、けっきょくは警察に届け出ちゃったようだ。

そんな家なので、離れの二階には古書、掛け軸のようなものもたくさんあった。
死んだわたしの母親の記憶によると、掛け軸の中に江戸時代の絵師、谷文晁の作品もあったという。
ただしご多分にもれず、日本中の農家をおそっている時代の変化と後継者不足で、かっての名家もいまは見る影もない。
わたしはしょっちゅう帰省するわけではないから、こうした宝物の現状について知るところがないのである。

入院した主人を見舞ったあと、 わたしの従兄弟にあたる家刀自が、本好きなわたしを見込んだのか、古い本があるんだけどねと言い出した。
マンガもあるよといわれてわたしは聞き耳をたてた。
鉄腕アトムの掲載された「少年」でもあれば、これはオークションでいい値がつきそう。
でも残念ながらそれは、この家の孫娘が愛読したマンガで、それほど古いものではなかった。

とりあえず古本の一部を見せてもらったけど、大部分は木箱の中に乱雑に押し込められていたせいで、表紙がはがれたり、湿気でページが貼りついたりと、とてもオークションに出せる状態じゃない。
その中でわたしがおもしろいと思ったのは、色刷りの地図がたくさん折り込まれた「満州国全図」という本。
文庫本ていどの小さな本だけど、わりあい状態もよかったし、これなら欲しいと思ったのは、あー、わたしだけか。

0788b

もうひとつ、これは大判の「朝日年鑑」。
惜しいことに、出てきたのは1953年度版だけで、せめて10年分ぐらい揃っていれば価値があるんだけど。
わたしは歴史が好きだから、この年鑑をもらってきた。
1953年といえばわたしがまだ小学校にも上がってない年じゃないか。
その年にいったいどんな事件があっただろう。

1953年に発行された本であるけど、前書きを読むと、内容は1951年(昭和26年)の9月から翌年の9月まで、1年間の記録とある。
大判書籍に、眼鏡がないと読めないくらい小さな活字で、582ページもあるから内容はじつに細かい。
このころの人って眼がよかったんだなと思ってしまう。

この年鑑に出てくる事件で、目についたものを拾ってみると
米国ネヴァダ州で原爆実験、チャーチルとトルーマンが握手、高良とみが日本女性としてはじめて国際経済会議で発言、アルゼンチン大統領夫人のペロン死去、日本の社会党が分裂、破防法の可決とデモ激化、日航もく星号の三原山墜落事故、映画「羅生門」がヴェニス映画祭で大賞受賞、イソニコチン酸ヒドラジッドの販売が許可、白井義男が日本人最初の世界チャンピオン、ヘルシンキ・オリンピック開催など。
政治欄に警察予備隊の強化なんて記事があるから、まだ自衛隊は発足してなかったようだ(発足はこの翌年)。
東京都の人口はこのころまだ700万台で、全国の交通事故による死亡者数は7015人、床屋の値段が昭和8年を100とした場合、36倍になっていることもわかる。
そして、この大判の朝日年鑑が430円。

0788c10788c2

添付した3枚目と4枚目の写真は、冒頭にあったおそまつなグラビア写真で、日比谷の血のメーデー事件と、きれいな女性はこの年に即位した現在のイギリスのエリザベス女王。
まだEUもなく、離脱だなんだという騒動もないころで、彼女も元気いっぱいだ。

ほじくればまだまだおもしろい事件があるかもしれないけど、いまは細かい文字を精査しているヒマがない。
なにか見つけたら、またおいおい書くことにする。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年2月 6日 (火)

友達リクエスト

Mnb_edited1

フェイスブックにロシアから友達リクエストがひとつ。
もちろん無視。
と思ったけど、写真を見るとまだあどけない顔をした少年だ。
むみやたらに友達を増やして喜んでいる、あまり感心しない手合いのひとりだろうと思ったら、彼の友達はまだ4人しか登録されていなかった。
察するに、フェイスブックを始めたばかりで、おずおずと友達を増やしたがっている純情な青少年なのではないか。
気のドクだからリクエストに応じておいた。
彼がみさかいなく友達を増やしたがっているなら、わたしなんぞ、そのうちその他大勢のなかに埋もれてしまうだろうし、真摯に極東アジアの友人を求めているなら、文通しないでもない。
ロシア語はわからないけど、ネット翻訳という手があるのだ。

ところで彼がわたしにリクエストを求めてきたのは、わたしのアパートに住んでいた金髪クンのつてをたどってである。
金髪クンが新境地と新天地を求めて、アパートを出ていってからだいぶ日にちが経つ。
いったいどうしているのやら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 5日 (月)

どこのはなし?

わたしの愛読するネット掲示板 「海外の万国反応記」 は、ときどきアニメの話題が出てくるのが欠点だ。
つい最近も、アメリカ各州でもっとも人気のある今期アニメなんて話題が出ていた。
ぜんぶ日本のアニメらしいけど、下に載せたのがそのランク。
  オーバーロードII
  デスマーチから始まる異世界狂想曲
  ダーリンインザフランキス
  グランクレスト戦記
  Citrus
  カードキャプターさくら
  ポプテピピック
  ラーメン大好き小泉さん
わたしはこんな作品、見たことも聞いたこともない。
だいたいどこのチャンネルで放映されているのかも知らない。
これにかぎらず、話題になっているアニメというのは、そのほとんどがわたしの知らない異次元の国の作品みたいだ。
アニメ大国日本て、どこの惑星の話なのさ。

Dog

すこし前には 「海外の万国反応記」 に、動物病院に連れていかれたことに気がついたイヌの画像を貼ろうという話題が出ていて、こういうのはおもしろいんだけど。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年2月 4日 (日)

万葉集

今朝の新聞の35面に万葉集が取り上げられていて、いくつかの歌とともに、その解説がされていた。
それを読んでふと思ったこと。
 
万葉集ができた飛鳥、奈良時代には、まだ日本語をどう表記するか決まってなかった。
つまりそれまであった日本の言葉を、中国から渡来した漢字で表現するために、当て字やこじつけまでしていろいろ苦心したんだそうだ。
たとえばこんな感じ。
 宇都曽見乃人尓有吾哉従明日者ニ上山乎弟世登吾将見
ことわっておくけど、基本的に音を漢字にあてただけだから、"吾" は自分のこと、"弟" は弟のことだと思ってはいけないのである。
そう考えるとさっぱり意味がわからない。
 
その後いろんな学者が研究し、ロゼッタ・ストーンのシャンポリオンみたいに、苦心さんたんして歌の意味をときほぐした。
日本人が見ればもっともらしい解釈がされているけど、これは正しいのだろうか。
という疑問をもった韓国の女性学者が、万葉集は韓国語で解釈することができるなんて言いだして、日本の学者からつるしあげをくらったこともある。
わたしも今朝の新聞を読んで疑問を感じた。
 
額田王というオンナの人の有名な
 あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(原文はもちろんぜんぶ漢字)
という歌が引用されているけど、これは 「草むらを行ったり来たりして袖をふっていると、番人に見られますよ」 という恋の歌だそうだ。
感心した。
“紫野(むらさきの)行き標野(しめの)行き”なんて、現代の小説にもなかなかない表現だぜ。
これってほんとに万葉時代の人がつくった歌なのかい。
これを最初に解釈した人が、自分の心情で勝手にこじつけた解釈と違うか。
 
とはいえ、わたしに自説があるわけでもなく、こういう解釈はだれのものであろうとロマンがあっていい。
ちょいと疑問を感じたってだけ、べつに反対やいちゃもんをつけようって気はないので、みなさんは世間に流布しているとおりに解釈してもかまいません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 3日 (土)

サトイモ

あ、もうすぐ日にちが改まってしまう。
なんか書かなくちゃと気ばかりあせって何も出て来ないや。
べつに無理して書く必要のないブログのくせして、ここ数カ月連続更新が続いているから、その記録を途切れさせないようにと、不必要な義務感にかられているのだ。

0787

仕方がないから、晩メシに食べたサトイモのことを書く。
べつに煮たり焼いたりしたわけじゃない。
泥つきのままふかし、まだ熱いやつの皮の一部をむいて、あとは手でしごくと、つるんと中身が飛び出してくる。
これに塩胡椒をふって食べるのだ。
シンプルだけど、これがなかなか美味しいというので、いまの季節の独居老人の楽しみなのよ。
どんどん料理のレパートリーが増えるな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 2日 (金)

雪のなかの墓標

0786a

前回ほどの大雪ではなかったけど、それでもいちおう写真を撮っておいた。
庭に向けてストロボを光らせただけの写真で、まだ切られていない樹木が写っている。
伐採される予定のこの木にとっては、今年は見納めの雪になるかも。
“月見る月はこの月の月” なんて語呂合わせみたいな歌にならえば、“雪見る月はこの月の雪”ってところだな。
口のきけない庭の樹木に成り代わりまして。

0786b

2枚目の写真は朝になってから撮ったもので、根のまわりを掘り起こされて撤去を待つばかりの古ケヤキ。
自らの体を張った墓標に見えないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年2月 1日 (木)

女性報道官

韓国はともかくとして、わたしは中国にはそれほど悪印象を持っていない。
理由は、かってわたし自身が中国の辺境を何度も旅して、いわゆるネトウヨや嫌中派と呼ばれる人たちとはちがった見方ができることだ。
ひとつ例を挙げると、イスラム教徒の多い新疆ウイグル自治区に行くと、小さな村にもモスクがあって、ウイグル人たちは、すこしは中国語の勉強をしたわたしにわからない言語で話をしていた。
とても大弾圧をされている雰囲気じゃない。
新疆のシルクロードを旅する日本人は多いから、わたしのいってることがウソだと思うなら、そういう人に訊いてみればよい。

もう旧聞になるけど、中国がマスコミ向けの会見をするときテレビに出てくる、日本でもおなじみの中国外務省の華春瑩さんという女性がいる。
彼女が記者会見で日本のパンダのシャンシャンについて聞かれ
「日本が中国とともに4点の共通認識と共同文書に照らして、関連する問題を適切に処理するよう希望する」
と返事をした。
いえ、パンダのシャンシャンのことですがといわれると
あらあ、そうなの? 間違えちゃったーと照れ笑い。
なんでも日本の外務省の杉山事務次官と、パンダのシャンシャンの発音が同じことによる間違いだったそうだ。
その笑った顔が日ごろの華春瑩さんとちがって可愛いと、マスコミやネットでひとしきり評判。

わたしが感心したのは、中国の報道官て原稿を読むだけではなく、あるていど自己の裁量で応答できるんだなってこと。
ともかくこれでタガがはずれちゃったのか、先日中国を訪問した河野外相ともツーショットでにっこり。
北朝鮮にもことあるごとにテレビに出てくる有名なおばさんがいるけど、そっちで同じことをしたら機関銃の標的だぞ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2018年1月 | トップページ | 2018年3月 »