サクラの季節
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若いころとちがって、最近は1日ひとつのことをすると、それで仕事をやり終えたことになってしまう。
たとえば病院に行くと、その日はそれで完了、あとは部屋でメシ食って寝るだけ。
街へ買い物に出ると、安心してあとは部屋で食って寝るだけ。
散歩に行くと、あとはってな調子。
1日一善ならぬ1日ひと仕事。
時間をずいぶんロスしているような気がするけど、高齢者の日常なんてこんなものだろう。
朝おきて太極拳の早朝クラブに参加して、そのあと2時間ばかり散歩して、昼をまたいで街へ出て、よそのおじさんと昼食をとりつつ世間話をして、午後から社交ダンスクラブで練習して、夕方になると家に戻ってメシを食い、夜になると近所のカラオケバーでヘタな歌をがなりたてるという、そんな充実した生活をおくるじいさんているのかしら。
今日もいい日だけど、たまには仕事もしなくちゃならない。
ヘタに桜の写真でも撮りに行ったりすると、もうそれだけで仕事をする気がなくなるから、部屋でじっとしています。
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また病院ネタ。
ピロリ菌で胃カメラを飲んで、昨日はその結果を拝聴しに病院へ行ってきた。
毎日を倦怠で苦しんでいるような医師が、ホルモン焼きにしたら美味しそうなわたしの胃写真をまえに説明してくれたところによると、うん、これとこれがピロリだよとのこと。
見ると肉壁に蚊に食われたような赤い湿疹がふたつ。
ガンなんですかと訊くと、いや、そんな深刻なもんじゃないねという。
どうも大騒ぎするようなものではないらしい。
どうしますか、退治したほうがいいですかと訊かれ、まあ、ここまできたら乗りかかった船ですから、お願いしますとわたし。
先日亡くなったわたしの知り合いなんか、おかしいというんで近所の病院へ行ったら、その日のうちに大病院へ転送だ。
こういうのは問題ありだとわかりやすいけど、わたしの場合はまた医療費の無駄遣いで終わるんじゃないか。
でも国民健康保険をせっせと払っているんだから、たまにはお世話にならないと損か。
そういうわけで、今日から1週間薬を飲むことになった。
そのあいだはお酒も禁止だそうだ。トホホ。
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証人喚問てめずらしいことなんだろうか。
わたしみたいに長く生きていると、たとえばずうっとむかしのロッキード事件の、小佐野賢治さんの事例なんかが頭に浮かぶ。
記憶にありません、答えを控えさせていただきますなんて返事は、みんなどこかで聞いたことがある。
今回の喚問でも、佐川もと局長サンが、はい、おっしゃるとおりですと答えると思っていたんだろうか。
そんな素直な証人がいたことが、過去にいちどでもあるだろうか。
今朝のウチの新聞で、かっては自分が証人席に立たされたことのある鈴木宗男さんが発言しているけど、こういうのって追求する側にははじめから結論があって、あとはひたすら相手をその方向に追い込むだけだそうだ。
証人が証言を拒否するのも計算どおりで、いつもの喚問とまったく同じパターン。
それでも佐川サンが証言を拒否する場面がテレビ中継されれば、それを見ている国民はなにか隠してるんじゃないかと思う。
野党にとってそう思わせれば成功なのだ。
そんな田舎芝居につきあわされるのは、ほかの人はともかく、わたしはまっぴらなんですが。
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今日は国際的な話題がふたつ。
北朝鮮から北京へ特別列車。
おお、ついに正恩クンが亡命かって思ったのはわたしだけじゃあるまい。
高いレベルの要人が乗っている可能性があるってことだけど、いまの北朝鮮に特別列車で移動するような幹部は、正恩クン(もしくは実妹の与正サン)以外にはいない。
このふたり以外の三下ならふつうは飛行機や車を使うだろう。
列車で移動というのは、暗殺をおそれる北の歴代トップがやってきたことだ。
とうとう経済制裁でにっちもさっちも行かなくなったのか。
ほかの国に知れたらみっともないから、いくらかでも気脈の通じる中国に慈悲を乞いにいったのか。
いやいや、妊娠しているという与正サンが、出産のおりに入院する病院を予約に行ったのかもしれない。
いろんな妄想をしているうちにもう帰国したってことだけど、病院の予約ぐらいならそんなに時間はかかるまい。
ぜんぜん訪問の理由を公表しないからこっちも無責任だ。
日本はロシアの外交官追放に加担しないって。
うん、それはいいことだ。
わたしはプーチンが好きだから割り引いてもらってもいいけど、今回の事件、ミステリー・ファンには謎がありすぎる。
英国に亡命したもとロシアのスパイが、公園を散歩中に毒殺されそうになったって。
その毒がロシアだけが開発中の化学兵器だから、犯人はロシアだって。
そんな子供でもわかるミステリーはないぜ。
だいたい亡命したスパイを毒殺する理由もわからない。
彼がよっぽどプーチン政権にとって致命的になる秘密をにぎっているなら、散歩なんかしてないで、とっくにそれをバラしているだろう。
中国なんか国内でじゃまになった活動家は、みんな亡命させて、亡命した活動家は影響力ががっくり落ちるから、あとは無視しているくらいだ。
最近はミステリー・ファンをうならせるようなややこしい手を使うと、なにがなんだかわからないという単細胞の人が多いので、ロシアをおとしめようという勢力が仕組んだ、きわめて単純な謀略といってもおかしくない。
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ウチの新聞の投書欄には、ウチの新聞の代弁者じゃないか、あるいはプロパガンダかフェイクじゃないかというような意見が目立つけど、今日のそこになかなかまともな意見がひとつ。
ある投書氏が世間を騒がせている森友学園について、首相夫人が篭池夫妻と写真を撮ったり、名誉校長についたりすれば、官僚はどうしたって便宜を図りたくなる。
そういう軽率な振る舞いが役人の忖度を生むのだから、自分の瑕疵はすなおに認めて、2度と同じことが起きないよう手立てを講じるべきだというのである。
そのとおり。
朝日新聞もたまにはまともな投書を採択する。
とかく政治家のまわりには、便宜を図ってもらおうという詐欺師のような輩が集まる。
そういう連中にだまされるんじゃないぞと首相に意見して、もうこの件はどうでもエエってことにしてもらいたい。
アメリカで銃規制を求める集会が全米や世界各地に広がったって、また北朝鮮に対して強硬派のボルトンさんが決定だなんて、わたしが読みたいのはこういう記事なんだけど。
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中国にお株をうばわれそう。
わたしの愛読するネット掲示板の「海外の万国反応記」に、中国でもこの季節、あちこちで花見をしているという記事が写真つきで載っていた。
日本よりずっと大きい国だから、桜のスケールもでっかい。
すぐとなりにある国の文化をわがものにしようと、本気で乗りだして来られたら、日本じゃ太刀打ちできないくらい。
むかし中国で、花は花でもナノハナが地平を埋め尽くすような光景を見て、その壮大さに感動したものだけど、ナノハナなら中華料理に必要な油が取れるから、人民が一丸となって育てようとするのも理解できるけど、サクラなんてどうしようというのか。
サクランボでも食べようってのか、さくら餅でも輸出しようってのか。
わたしがはじめて中国へ行ったころは、鉄道の沿線に見られる農家の庭に、咲いている花があまりなくて、日本の農家との落差にがっかりしたことがある。
やはり生活にあるていど余裕ができなければ、花を育てよう、鑑賞しようという気にはならないのだろう。
つまり花があるかどうかは、その国の豊かさや、さらに民度まで知ることのできるバロメーターといっていいかも。
見るだけしか役に立たない植物を植えようという気に、中国もいよいよなったかと、一種の感慨があるな。
写真で見るかぎり、ソメイヨシノばかりでなく、他のサクラや、モモやアンズもごたまぜみたいで、これはこれでなかなか美しい。
他人がサクラを植えることにに文句をいっても始まらないから、韓国のイチゴみたいに日本が保護主義にはしることもなさそうだ。
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またしても韓国の悲劇。
もと大統領がまたひとり逮捕だ。
汚職だワイロだって、取り締まるのはいいけど、あの国ではそれは国民性みたいなもんだから、ふつうなら中国の習さんがやっているように、身内からも切られる人間が出そうなものだけど、絶対的に政敵の側しか逮捕者は出ない。
韓国はわかりやすくていいなあ。
ま、代わりばんこに相手を掃除していればいいさ。
ソ連が崩壊したのが1991年。
ソ連に追従していた東欧の国々は、崩壊までみんなソ連に追従することとなった。
ねばっていたキューバも白旗を上げたようだし、中国やベトナムは崩壊こそしなかったものの、もはや共産主義国とはいいがたい。
こういう状態をながめると、国際的にも歴史的にも共産主義が資本主義に敗北したのは間違いのない事実に思える。
ところが浮かんでは消える泡まつ国家はべつとして、いちおう国際的にも名の通った先進国で、ゆいいつ国民が共産主義化を望んでいるのが韓国だ。
これはいったいどうしてだろうと、わたしはよく考えこんじゃうけど、前項で中国の壮大な実験にふれた。
ひょっとすると韓国もそんな実験中なのかもしれない。
でも先進国のまま共産主義化して、それで国や経済がうまくまわるかどうか、いろいろ考えてみるんだけど、SF的発想をしても、わたしにはどうしてもそういう国のモデルを思いつけない。
もしかするとあの国の住人は、なにも考えず、行きあたりばったりで行動しているだけかも。
アメリカのトランプさんのごとく、最近はそういうのが多いしねえ。
うん、長生きして結果を見てみたいわ。
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今朝の新聞の1面にトランプさんが中国に対して、制裁関税のGOを出したという記事。
中国のほうでは、例のパンダと杉山次官を取り違えた華春瑩さん(粛清されたとか亡命したなんてうわさもあったけど、やっぱりフェイクだったな)が出てきて、米国は強力な報復を覚悟せよと、北朝鮮みたいな発言。
中国は北とちがって実行力があるから、すわや貿易戦争の勃発かと思えるのに、ウチの新聞では、国際的にも国内的にもどうでもいいような首相の改憲案がトップ記事だ。
3面に関連記事が出ているけど、そっちではまた森友学園のほうが分量が多い。
わたし的には貿易戦争の行く末のほうがおもしろいんだけど、ほんと、ウチの新聞は読者を裏切る。
こうなると頼りはネットニュースだ。
昨日のヤフーニュースに「信用低い中国国民、飛行機禁止」というものがあった。
これだけではなんのことかわからない。
中国も自家用飛行機をもてるほど豊かになって、それでもあの国の人民は信用できないから、そういうものを勝手に購入したり飛ばしたりは禁止なのかと思った。
内容を読んでみたら、いま中国では自国民のデータベース化が進んでいて、過去に不祥事を起こした人間は、マンションを借りられないとか、飛行機に乗れないとか、さまざまな制約があるのだそうだ。
なーんだ、ようするにブラックリストに載った人間はということか。
それでも国家があげてこんなことをすれば、日本ならすぐに人権問題だという騒ぎになる。
でも中国は一党独裁の国で、国民に文句をいわせない国だ。
14億の人口をかかえる国で、完璧な国民の管理とコントロールができるなら見てみたい。
うん、けなすばかりが能じゃないね。
未来への壮大な実験場だ。
アメリカだって銃を放任したらどうなるかという実験をして、やたらに撃たれる人がいるのといっしょ。
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訃報が続き、おまけに今夜は春の長雨だ。
気が滅入るけど、もう新緑の季節は始まっているのだし、サクラも満を持して開花を待っている状態。
わたしが今年も満開のサクラをながめられるのはほぼ確実。
雨音を聞きながら、先に行った知り合いたちのことを思う。
残された人々のことを思う。
むかし、いちじ熱中した詩人たちのことを思う。
宮沢賢治、中原中也、田中冬二、伊東静雄などなど。
如何にしばしば少年等は
各自の小さい滑板(すべりいた)にのり
彼の島を目指して滑り行つただらう
あゝ わが祖父の物語!
泥海ふかく溺れた児らは
透明に 透明に
無数なしやつぱに化身をしたと
これは「有明海の思ひ出」という伊東静雄の詩(部分)。
粉末になって、やがて土に同化する友人を悲しまない。
あなたは土から生まれたから土に返る。
彼のほうがほんのひと足、わたしより先に行ったというだけの話ではないか。
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前項を書いたあとで、ある人からメールをもらった。
香典についていくらか前項を訂正しなければいけないようだ。
その人は死んだわたしの友人からとくべつの恩義を受けたことがあり、いつかお礼をしなければと考えていたさなかに、友人が急死してしまったので、香典というかたちでしか恩をかえす方法がなかったのだという。
そういう事情があるなら香典についてとやかくいえない。
でもこういう人はほんの少数派で、みんながみんな、おれも世話になったからなんて言い出したら、香典廃止の取り決めもなんにもならないし、その予定がなかったのにお返しを用意する遺族もたまらない。
わたしがいうのは、あくまで義理だ、しきたりだからと、とりたてて恩義を感じてもいないのに香典を出す人たちへのいちゃもんである。
そんな人はいないといわれそうだけど、わたしはそうとうの皮肉屋なので、自分がもらう立場になったとき、しきたり通りにやってくれないと文句をいいそうな人も何人かいたように思う。
わたしのような貧乏人の集まりでは、だれかがその連鎖を断ち切るか、それとも香典という一種の互助システムを、いつまでもだらだらと続けていくかと、考えなくちゃいけないんじゃないか。
死に方を選ぶのが当人なら、その他大勢はできるだけ当人の希望にそえるよう努力すべきだ。
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また葬式のネタ。
友人が死んだことは書いたけど、彼は早くから自分の死後の始末にこころをめぐらせていた人間である。
火葬はやむを得ないけど、そのほかの葬儀はいっさいやらない、骨は(ご丁寧に粉末状にして)あらかじめ下見していた山に散布してほしいというのが彼の希望だった。
わかった、まかせとけと気楽に引き受けるわたしが非人情なのか、そんなこと、おれにはできないよという友人たちがやさしいのか。
わたしも死んだ友人も同じ団体に所属する仲間で、この団体では葬式に香典はつつまない取り決めになっている。
これは個人の負担をできるだけ軽減しようという理由からで、安月給の一般サラリーマンの多い企業では珍しくない取り決めである。
それなのにしきたりやたてまえの呪縛にしばられた人間はどこにでもいるものだ。
やはりわたしの目のまえで香典を持ち出した人間が数名いた。
出すのは本人の勝手だけど、わたしは苦々しい顔でそれを見つめる。
そんなわたしは普段着のジャケットにノーネクタイだ。
しかし参列者のかなりは黒い喪服である。
これでは通常の葬儀とぜんぜん変わらず、できるだけ簡素にやってくれという故人の希望を踏みにじるものではないか。
喪服については、めったに着ないものだから虫干しのつもりで着こんだ人間もいたかもしれないけど、香典のほうは、出せば遺族はそのお返しを用意しなければならない。
そんなものは要らないよという人間が多いだろうけど、わたしはその言い分が信じられない。
なにしろ彼らはしきたりにこだわる人間なのだ。
しきたり通りにお返しをしなかったら、かげで何をいわれるかわかったもんじゃない。
けっきょく故人の希望はめちゃくちゃだ。
で、今回はわたしはどうどうとわたし流をつらぬいた。
先日の親戚の葬儀では、おとなしく喪服に香典まで用意したわたしが、普段着で、びた一文の香典も出さなかったのである。
わたしはしきたりやたてまえにこだわる人間を不思議に思う。
そうやって故人の希望を踏みにじるくせに、遺骨を野山にばら撒いてほしいという希望に応えられる人間がどれだけいるだろう。
わたしはそのうち彼の(粉末になった)遺骨をいだいて、彼が撒いてほしいといった山に行く。
そのころたぶん野山は新緑の季節で、じめじめした墓石の下に葬られるより、ずっと気持ちいい始末になるはずだ。
わたしが死んだ時もそうしてほしいけど、気楽に引き受けてくれる人がいるだろうか。
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先日、親戚に不幸があって帰省するとちゅう、ケータイにさらにひとつの訃報が舞い込んできた。
おいおいおいというところ。
新しい仏さまは、以前から肝臓ガンを患っていた、わたしより歳下の友人である。
おれのガンて治しようがないんだってさと、本人から説明があってものの半年、別れを告げる余裕もないあっという間の死だった。
わたしは彼との約束を守らなければならない。
奥さん思いの彼は、少しでも奥さんに金を残そうと、葬儀や墓などにかける費用をすべて拒絶した。
つまり葬儀行為はいっさいなし、火葬後は野山へ散骨してほしいということである。
そういう簡素化した葬儀はわたしの信念とも通じるので、彼の死後の始末はわたしが引き受けることにしたのだ。
簡単そうだけど、わたし以外にそんなことを気安く引き受ける人間はなかなかいない。
わたしも自分の骨は棒で砕いて、そのへんの川に流してくれといってるのに、親族も友人もみんな尻込みするのである。
わたしは郷里で親戚の葬儀をすませてきたばかりだ。
親戚は地方ではそれなりの名士といっていい人だったから、そちらの葬儀は古式にのっとった荘重なものである。
つまりお坊さんを呼び、戒名をつけてもらい、斎場に花輪をずらりと並べ、大勢の参列者から香典を集めるというもので、派手さがそのまま故人の評価につながっている。
当人もおそらく満足だったんじゃないか。
たまたま好対照なふたつの葬儀が重なったわけで、これはまたわたしにいろいろなことを考えさせる。
以前にも書いたけど、一見無駄と思える田舎の葬儀は、田舎のコミュニティを維持するのに必要という側面を持っている。
だれも彼もが合理的な考えを主張しだしたら、お寺や斎場はやっていけない。
それでは日本の伝統も、いい意味での互助精神もすたれてしまう。
だから田舎の人たちが派手で旧弊な葬式をしようとするのも理解できる。
それでは一般サラリーマンが、家族のために葬式をはしょるというのはどうなのか。
最近の主流になっている家族葬はどうか。
どっちも言い分はあるだろうけど、式場にならべる花輪や来賓の序列に頭をいためる親戚と、妻に財産を残すために葬式を簡素化する友人を比較すれば、わたしは後者のほうにより人間味を感じてしまうのだ。
でもここで優劣つけるのはよそう。
お金持ちが自分のやりたい葬式をするのに、どうして他人がいちゃもんをつけられようか(貧乏人のわたしには辛いけど)。
先週の金曜日に親戚を送ってきたばかりのわたしは、昨日は友人を荼毘に付した。
冷たい雨がようやくいくつかほころびたサクラの花をぬらしていた。
もうすこし、もうすこし頑張れば、気のドクな友人も満ち足りた親戚も、今年の満開のサクラを見られたものを。
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メキシコの地方都市が公共の広場で日本のドラゴンボールを放映して、大勢の観客が熱狂したってことがあったそうだ。
おどろいた。
わたし個人的にはドラゴンボールにも、日本のアニメにも関心はないんだけど、日本のアニメがメキシコで人気ってことに。
しかもこれ、著作権無視の海賊放映だったらしい。
しかも続編をまたそのうち放映するつもりらしい。
アンタ、このことを知ってた?
わたしは知っていたぞ。
ネットに載っていたもんね。
と、このていどの文章ならいくらでも書けるんで、やっぱり昨日ブログを休んだのはたんなる過失。
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これはもはや戦争だ。
ウチの新聞と安倍総理のこと。
連日、ほかのニュースをさておいて、首相をおとしめることに執念を燃やす朝日新聞。
ワイロをもらったわけでもなく、失政をしたわけでもない。
ただ部下に勝手に忖度されたってことが、一面トップにふさわしい記事か。
独裁の顕著な最近の中国やロシア、もと大統領を逮捕し続ける韓国などと比べても、民主主義の王道をいく日本で、こんな新聞が必要かとつくづく思う。
つくづく。
昨日はブログを更新したつもりでいたら、更新されてなかった。
上記ていどの文章なら、昨日だって書けたのに。
ほんと、認知症かしら。
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ゴタゴタにふりまわされて、最近ブログの更新も手抜き。
今日もお休みかと思ったら、ひと眠りして目をさましたところ、まだ日にちが改まってないや。
よしと、なん書こうとしたけど、30分で書けるようなネタがない。
世間に対する不平不満はいっぱいあっても、それを文章にまとめる時間がない。
ということを書いて、今日もブログを更新したことにする、例の姑息な手段。
ええ、べつに読んでもらわなくてもかまいません。
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訃報続きでゴタゴタしてます。
兄貴が死んだあと、親戚で不幸があり、葬儀に参列するため帰省中に、またひとつ知り合いの訃報が飛び込んできた。
しかも田舎に着いてみたら、わたしの弟の嫁さんの兄貴、この人はわたしの中学の同級生だった人だけど、彼も今年の1月に亡くなっていた。
わたしが親戚中のつまはじきで、ふだんから付き合いがわるいせいもあるけど、いやもう、知らないうちにばたばた。
でもなげく必要もない。
今回の葬儀の主役、つまり亡くなった親戚、の孫娘は生まれたばかりの赤ん坊を抱いていたし、わたしの姪のひとりも7月に出産だそうだ。
ヒツジみたいに春は出産ブーム。
古いものと新しいものが交代することに、わたしはなにひとつ文句をいいません。
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やれやれ。
去年の暮れに実兄が亡くなったと思ったら、今度はわたしが子供のころもっともなれ親しんだ親戚の、その家の従姉妹(の旦那)の訃報だ。
両方ともわたしより年上だから、順番からすれば不思議じゃないけど、なんだかわたしの人生がどんどん整理されていくような気がするよ。
となりの農家も樹木はみんな切られて、すっからかんの空き地になっちゃって、ふとまわりを見まわしたら、そこには誰もいなかったって。
というわけで、今日はこれから帰省してお通夜。
火葬のまえに故人の顔をひと目でも見ておきたいんだけど、また田舎の仰々しい葬式につきあわされるのは楽しくないね。
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今日のウチの新聞にはおどろいた。
新聞の1面、2面、3面、4面に、オピニオン面から社会面まで動員して、まるで米軍が北爆でも始めたような騒ぎだ。
朝日新聞にしてみれば、これまでさんざん論争の的になっていた森友学園の問題で、ようやく自分たちの言い分の正しさが証明されたといいたいんだろうけど、眉をひそめたのはわたしだけじゃあるまい。
そんな世間の騒ぎはどうでもよくて、わたしは今日胃カメラを飲んできた。
わたしの所属する団体がピロリ菌の治療証明書をもってこいとうるさいせいで、けっしてそれ以上のものではない。
メンドくせえなあとぼやきつつ、それでもあの病院の検査技師はカワイ子ちゃんだったからなと、過去の体験を思い出す。
行ってみたらカワイ子ちゃんはいなかった。
それでガックリきたのか、わたしが記憶しているのは、管を通すためにプラスチックのマウスピースをくわえさせられたあたりまで。
起きてベッドを移動してくださいといわれて、はじめて我に返ったけど、どうもその最中わたしは寝てしまったらしい。
これは民主主義の根幹にかかわる問題だそうだ。
え、いえ、森友学園のほうのハナシ。
そんな大騒ぎするよりほかにやることないのかねえ、政治家のみなさんは。
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昨日は府中市にある郷土の森公園に行ってきた。
ウメの花を観に行ったんだけど、以前行ったときは満開で雲のなかを行くようどだったのに、今回のそれはそろそろ盛りをすぎていて、そんな気分を味わえなかったのがちと残念。
添付した写真ではまだまだ満開に見えるけど、これは場所によって。
園内をぶらぶら歩くと、いろんなウメの品種があって、白加賀という名前がやけに多かった。
いっしょに行った知り合いが、群馬県あたりのウメじゃなかったっけという。
いや、加賀というから石川県じゃないか。
群馬県なら白上州か白上野(こうずけ)だなといいかげんに答えておく。
だけどスーパーで売っている梅酒用のウメがなんとかかんとかと、知り合いは納得しない。
そういうときはネットで調べろと、スマホでググってみた。
なるほど。
白加賀は関東地方、なかんずく群馬あたりが主要生産地と書いてある。
わたしも群馬の出身だけど、梅酒を漬けたことがないからわからなかった。
この知り合いはむかしロシアの空港でみやげに買ったチョコレートを、どこかべつの国のチョコと看破した人でもある。
どうも飲食関係では、わたしは彼女の知識に勝てそうもない。
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新しいカメラを買った。
前期高齢者としては、そんな非生産的なものに大金をつぎこむわけにはいかないから、コンパクト・デジカメである。
機種はこれまで使っていたオリンパス・タフの次期シリーズで、べつにこれまでのカメラが壊れたわけじゃない。
つまりわたしの部屋には新旧2台のタフがあることになるけど、オモチャとして使うにはこんな楽しいカメラはないのだ。
とくにわたしみたいな自然観察大好き人間には、顕微鏡モードという、ようするにマクロ撮影のことだけど、使いやすいそれがついていることが大きい。
めんどうな装置も必要としないで、ふらりと原っぱに出かけ、ありふれた植物の細部をのぞけるというのは、じつにおもしろい体験である。
その威力はこれまでのタフでも十分に発揮され、このブログにもたくさんのマクロ写真が載せてあるけど、新しいタフにはさらにWi-Fiがついた。
マクロ撮影は楽しいけど、歳をとると手がふるえて、ピントを合わせるのがむずかしくなる。
むかしなら長いレリーズや、セルフタイマーを使ったりしたけど、これからはスマホとWi-Fiカメラのコンビで、レリーズ要らずの遠隔操作も可能になるのだ。
ということで、部屋のヒヤシンスをアップでねらってみた。
楽しい。
自然観察園に行くと、でっかいカメラで花の写真を撮っているじいさんがいるけど、彼らは同じ写真をわたしの小さなカメラでも撮れることを知らないのだ。
ま、これ以上はおいおいと。
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野郎、とうとうネを上げやがったか。
どこかの新聞は両者が歩み寄ったなんて書いてるそうだけど、オレのほうはぜんぜん歩み寄ってないぞ。
相手のほうから白旗をかかげてきたんで、話ぐらい聞いてやろうってんだ。
なんだ、てめえから直接来りゃいいものを、メンツにこだわって他人に仲裁を頼みやがって。
某国の大統領のひとりごと。
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パソコンの電源を入れたら、どこかでウィーンという音がする。
はてね、庭の樹木の伐採は終わったはずだけど、まだ電気ノコを使うやつがいるのかなと耳をすましてみた。
ところがわたしは片方の耳が難聴で、音源がどこなのかよくわからない。
あっちこっちに耳をかたむけて、ようやくわかったのは、どうやら音を出しているのは目の前のパソコンであるらしいこと。
うーむである。
そろそろこのパソコンも替えどきかもしれない。
買ってから4年と10カ月ではすこし早いかもしれないけど、過去の例からしても、わたしのパソコンでこの程度は、けっして早すぎるわけでもない。
そのつもりで最近は安いパソコンしか買わないのだ(目の前に高価なマックもあるけど、これだってアップルパソコンの中ではそんなにレベルの高い製品ではない)。
安いからすぐ故障するんだという人がいるかもしれないけど、パソコンは家電とは違うのだ。
いつかかならず壊れる、調子がわるくなる、そうでなくても時代遅れになる。
後生大事に一生ものだと考えて、法外な製品を買うのではなく、消耗品と考えるべきなのである
というのがパソコンを酷使するわたしの人生訓だ。
異音を発するこのパソコンもレノボの7万円ぐらいのデスクトップだもんな。
30分ほどすると、落ちついたのか、音は止んだけど、そろそろ新しいパソコンの目星をつけておいたほうがいいかも。
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韓国の特使が朗報をかかえて帰国したって大喜びだ。
だれが?
文大統領か、韓国の国民か、それとも特使の自画自賛か、まさか日本人じゃあるまい、アメリカ人ではもっとあるまい。
北朝鮮が南北の首脳会談に前向き、虚心坦懐に米朝会談にも応じるつもりだってことだけど、そんなオイシイ話、過去にもあったウソっぱち話、だれが信じるか。
今朝のウチの新聞はこの件を1面のトップにかかげて、ほんとうに成果があったように書いているけど、朝日新聞を含めたすべての新聞マスコミは、どうせ報じるなら、ついに制裁が功を奏して、北朝鮮がネを上げ始めたと報じなければいけない。
そっちのほうが1面トップにふさわしいよう思えるんだけどね、わたしには。
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エレキギターの老舗、ギブソンが斜陽だそうだ。
団塊の世代というやつは、たいていがロック好きで、そうでないやつはソウルが好きだ。
どっちのジャンルが好きでも、当時はエレキギターが花形楽器だったから、みんなギブソンのレスポールや、フェンダーのテレキャスター、ストラスキャスターなどの音を聴いて育ったことはまちがいがない。
ところが最近ではヒップホップなんて、お経みたいな音楽が流行り、あまりギターがどうしたこうしたという話を聞かない。
こういう風潮がギブソンのような有名メーカーも直撃しているらしい。
わたしは音楽が好きだけど、理屈やテクニックにはまるで無知。
ギターの世界にもそれほど詳しいわけじゃないので、音を聴いただけで銘柄を当てられるわけじゃない。
だから雑誌や映像などで、演奏者がかかえているギターをたくさんながめて、このプレーヤーはこの楽器を使うことが多いようだと推測するくらいしかできない。
たとえばジャズの世界では、ジム・ホールがよくレスポールを使っていた。
だからこのギターはとてつもなく甘い音を出すと信じている。
フェンダーのストラトキャスターについては、ものすごく暴力的な音、というのはジミ・ヘンドリックスのせいである。
ただ彼の場合、エレキの効果を最大限に発揮させて、わざわざ音を歪ませるようなことをするから、これがジミヘンの音だということは明確だけど、これがストラスキャスター本来の音であるかどうかはなかなかわからない。
そんなわたしが愛聴したロックの英雄たちも、ほとんどが死んだか引退したかで、最近はあまり消息を聞かない。
レスポール社がつぶれようが、その製品がなくなろうが、わたしの知ったことではない。
この問題を引き継ぐべき若い世代がギターに関心がないというんじゃ、わたしの出番なんかあるはずがないのだ。
まあ、いい時代だったよな。
少なくともわたしはそれを堪能したし、自分の人生をそれのおかげで十分に楽しんだのだから。
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この映画、どう観ても図式が単純すぎる。
真面目で優秀な息子を愛し、いささかグレている息子を邪険にする親父が登場するんだけど、いくら優秀でも、アメリカってところは、こういう融通のきかないアホ息子のほうが見込みがあると思われているんだろうか。
こういう親父のもとじゃ、ナィーブなせがれが不良になるのも当然という気がする。
日本じゃまじめすぎる息子の将来を案じて、不良友達に吉原へ誘ってやってくれと頼む親父が、江戸のむかしからいたくらいなのに(落語/明烏)。
モルモン教徒じゃあるまいし、こういう話のわかる親父のほうが人情味があっていいじゃん。
それでも映画の中でゆいいつ感動したのが、事業に失敗した親父の損害をカバーするために、不良息子が穀物の投機で儲けた金を差し出すシーン。
ところがこのカタブツ親父は、戦争で儲けた金なんかいらんとつっかえしてしまう。
相手に喜んでもらいたいと思ってしたことなのにと、息子は泣いて親父にしがみつく。
この場面だけはこたえた。
わたしの両親は、生前に、はたしてわたしのことを理解してくれていただろうか。
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文在寅大統領の北朝鮮への傾斜はますますひどくなる。
今朝の新聞では、国境で北への悪口をがなりたてていたスピーカーが、これまで金正恩と呼び捨てにしていたものを、最高指導者と改めたそうだ。
そのうち領袖さまとか、ご尊厳さまなんて言い方をするようになるかもしれない。
いったいどうして文サンは、奴隷帝国とまで称される北朝鮮が好きなのだろう。
あいつは北のスパイだ、北による赤化統一をめざしているんだとか、韓国でもいろんな噂が飛び交っているようだけど、それにしたってまともな神経の持ち主が、あんな飢餓と貧困と時代おくれのポンコツ国家と統一したがるだろうか。
なぜだろう、なぜだろうと疑問は増すばかりなので、ヒマな独居老人のわたしはそのへんを熟考してみた。
そしてわたしなりの答えを導き出してみた。
ことわっておくけど、これはわたしが勝手に捏造した答えで、文サンがこの通りのことを考えているとはかぎらない。
韓国にしてみれば、もはや通常兵器での戦争なら、単独でも北に負けるはずがないという自信がある。
コワイのは核やミサイルだけど、これは究極の防御兵器であって、北が先に使うことは考えられない。
ましてこちらが手をさしのべ、ゴマをすっていれば、そんなものを使うはずがない。
ヘタに米国や日本にその気になられちゃ迷惑だ。
そうやってつかずはなれずの平和統一をめざす。
それじゃ正恩クンの思うつぼ、やがて北に統一されて、韓国は一党独裁の社会主義国、いや、いまどき珍しい王朝制度の国になる。
そういう意見が大勢だけど、それはムリだ。
国力の差は歴然としているし、いまいったように、いうことを聞かなければぶっ放すぞと、韓国相手に核やミサイルを持ち出すわけにもいかない。
正恩クンにすれば延命のための資金を出させて、あとはひたすら貝の殻のなかにとじこもり、内側からカラ威張りすることぐらいしかできっこない。
統一が実現するとすれば、韓国が主導してやるほかはないだろう。
かっての東西ドイツが西側の主導で統一したように、北朝鮮が韓国に飲み込まれることはまちがいない。
文サンはこんな長期的戦略を考えているのではないか。
だとしたら彼もなかなかの策士だけど、たんなるずる賢いコウモリにしか見えないのが彼の欠点だ。
それに問題は、ICBMや核を持ったままの正恩クンを、アメリカがどこまで放置しておくかってことだな。
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昨日の3月1日は、日本から独立をしたことを祝う韓国の祝日だそうで、ソウルの光化門のあたりには大勢のデモ隊が集まったそうだ。
わたしは現場に立ち会ったわけじゃないから、正確な数はわからないけど、写真を見るかぎり、主催者側の発表によれば300万人とされてもおかしくない。
日本の朝日新聞の発表によると1万人だなんてことはどうでもエエ。
問題はべつのところにあって、カイカイ(わたしの愛読する嫌韓サイト)によると、韓国の大手マスコミはこのデモのことをいっさい取り上げず、新聞記事は文大統領の演説ばかりだったそうだ。
あの国ではマスコミから法曹界まで一体となって、ときの権力者に媚びるらしい。
懲役30年を求刑されたクネちゃんが、当然というか、気のドクというか。
いまの韓国に必要なのは、朝日新聞のようなリベラル系のマスコミだから、これからは朝日新聞はもっぱら韓国の政治を批判するほうに変わったらどうか。
あ、それはもう産経がやってるか。
日本では保守とされる産経が、韓国ではリベラルを担うって、ちょっと気になる図式だね。
そして大統領の演説では対日批判がまた始まった。
さすがに朝日新聞もあきれているようだ。
落ち目の韓国大統領にとって、日本叩きはいちぱん無難で効果のある手段として、これまでも何度となく繰り返されてきたことだから、わたしはべつに驚かないけど、ホント、わからない国だよな。
ロクなもんではないとわかっているアメリカだって、自由という御旗を掲げているかぎり、そこにあこがれる若者は多い。
それなのに、いったいなにがよくて、米国に反旗をひるがえしてまでして、奴隷制度の北朝鮮にすり寄るのか。
アメリカがいなかったら、韓国はとっくに北朝鮮に統一されていた。
と書こうとして、ふと思ったんだけど、いまの韓国なら、通常兵器による戦争ではもう北に負けない自信がある。
ということは北が武力侵攻してくる可能性はひくい。
アメリカ主導による統一ではあとが面倒だけど、このまま平和裡に統一できれば、その後の主導権は韓国がにぎれるだろう。
そうすれば北のミサイルや核兵器も棚ぼた式に韓国のもので、研究開発ではどうしても遅れをとる韓国が、いっきに宿敵(と韓国が勝手に考える隣国)の日本を挽回できる。
そういう文サンの遠謀だとしても、あまりにも先の話で、そのあいだにどんな突発事件が起きて、彼が失脚しているかもわからない。
だいたいわたしはそれを確認するまで生きてられないしなあ。
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先日のウチの新聞には抑圧される中国の現状が報告されていた。
わりあい中国政府の方針に理解を示すわたしにも、自由の象徴だった上海の本屋が閉鎖されたなんて記事を読まされると、ちょっと行き過ぎじゃないかと思ってしまう。
このへんがむずかしいところだ。
今月のナショナル・ジオグラフィックに、中国の雲南省にある農地の俯瞰写真が出ていて、大地を埋めつくすようなビニールハウス群が写っていた。
このあたりは年間を通して暖かいので、市場で高値で取り引きできる野菜や果物が一年中穫れる。
おかげでビニールハウスのわきには、新築の農家がずらりと並ぶ。
農家が豊かになったおかげで、その恩恵は周辺の商店や輸送会社にもおよぶ。
毛沢東の時代には考えられない変化だ。
こうなるとまた嫌中主義者からは、漢族による収奪だという声がきこえてきそう。
しかしこれは、先にやった者や、目先のきく者の勝ちという資本主義の論理に忠実なだけで、これに文句をいうなら、格差社会のアメリカにも文句をいわないとおかしいのである。
でも日本を飛び越えてそんなアメリカ型社会になりつつある中国で、自由主義が抑圧される、これっておかしくないか。
中国政府にいわせれば、政治家が一生懸命やっているから、国全体が豊かになってるんだ。
政治家が太っていることも事実だろうけど、それでも全体が豊かになっていることも間違いがない。
その豊かさをコントロールするために、ある程度の抑圧は必要なんだということになる。
むずかしい。
中国は豊かになっており、ロシアもかってよりは豊かになっている。
もちろんどんな好景気でも文句をいう日本みたいな国もあるけど、なんだか後発で豊かになる国ってのは、みんな開発独裁の国ばかりじゃないかと思えてしまう。
そうなると、中国の好景気をみならって、東南アジアだとか中央アジアの小国群もみんな独裁を目指すようになる。
独裁者にとっては独裁をするいい口実ができたわけだ。
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