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2018年3月21日 (水)

アンチしきたり

また葬式のネタ。
友人が死んだことは書いたけど、彼は早くから自分の死後の始末にこころをめぐらせていた人間である。
火葬はやむを得ないけど、そのほかの葬儀はいっさいやらない、骨は(ご丁寧に粉末状にして)あらかじめ下見していた山に散布してほしいというのが彼の希望だった。
わかった、まかせとけと気楽に引き受けるわたしが非人情なのか、そんなこと、おれにはできないよという友人たちがやさしいのか。

わたしも死んだ友人も同じ団体に所属する仲間で、この団体では葬式に香典はつつまない取り決めになっている。
これは個人の負担をできるだけ軽減しようという理由からで、安月給の一般サラリーマンの多い企業では珍しくない取り決めである。

それなのにしきたりやたてまえの呪縛にしばられた人間はどこにでもいるものだ。
やはりわたしの目のまえで香典を持ち出した人間が数名いた。
出すのは本人の勝手だけど、わたしは苦々しい顔でそれを見つめる。
そんなわたしは普段着のジャケットにノーネクタイだ。
しかし参列者のかなりは黒い喪服である。
これでは通常の葬儀とぜんぜん変わらず、できるだけ簡素にやってくれという故人の希望を踏みにじるものではないか。

喪服については、めったに着ないものだから虫干しのつもりで着こんだ人間もいたかもしれないけど、香典のほうは、出せば遺族はそのお返しを用意しなければならない。
そんなものは要らないよという人間が多いだろうけど、わたしはその言い分が信じられない。
なにしろ彼らはしきたりにこだわる人間なのだ。
しきたり通りにお返しをしなかったら、かげで何をいわれるかわかったもんじゃない。
けっきょく故人の希望はめちゃくちゃだ。

で、今回はわたしはどうどうとわたし流をつらぬいた。
先日の親戚の葬儀では、おとなしく喪服に香典まで用意したわたしが、普段着で、びた一文の香典も出さなかったのである。
わたしはしきたりやたてまえにこだわる人間を不思議に思う。
そうやって故人の希望を踏みにじるくせに、遺骨を野山にばら撒いてほしいという希望に応えられる人間がどれだけいるだろう。

わたしはそのうち彼の(粉末になった)遺骨をいだいて、彼が撒いてほしいといった山に行く。
そのころたぶん野山は新緑の季節で、じめじめした墓石の下に葬られるより、ずっと気持ちいい始末になるはずだ。
わたしが死んだ時もそうしてほしいけど、気楽に引き受けてくれる人がいるだろうか。

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