2018年5月31日 (木)
昨夜のテレビでは党首討論のようすが繰り返し放送されていた。
立憲民主の枝野クンが口舌するどく首相に迫る。
というと聞こえがいいけど、まるでコントみたいだった。
枝野クンにいわせると、◯◯を証明する義務は首相の側にあるというんだけど、こういうのってふつうは、いちゃもんをつけるほうに証明する義務があるのとちがうか。
NHKもヒトがわるいから、このようすをニュースのたんびに放送する。
しまいにはアホらしくなって、笑うこともできなくなったけど、今朝のウチの新聞では、やはりマズいと思ったのか、この部分にはぜんぜん触れてない。
さらに枝野クンは、首相が前言をひるがえしたのがケシカランという。
前言というのは、首相や昭恵サンが森友学園に関与していたら辞任するといったことらしいけど、関与していたらというだけでは範囲が漠然としすぎる。
これでは、いいんじゃないかとつぶやいただけでも関与ということになりかねない。
網をひろげてなにがんでも首相をおとしめようという魂胆が見え見えだ。
野党は質問時間がみじかすぎると文句をいってるけど、こんなコントみたいな討論を聞きたいという人がどれだけいるだろう。
でもウチの新聞はそうは書かない。
都合のわるいところは省略し、都合のいい部分は、なければ誇張捏造してまで記事を書く。
新聞だけを読んでテレビは観ないという人は多くないと思うけど、そういう人がいたら、ウチの新聞はまだまだ正しいことを書いていると信じてしまうのではないか。
コントをまっとうな討論に思わせるのって、やっぱりフェイクにならないんだろうか。
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2018年5月30日 (水)
今朝の新聞の一面に、改革をめざす金正恩クンが、それがうまくいかないので涙を流したって。
こちらもついもらい泣き。
するかっていうと、とんでもない。
正恩クンはよほど権力を手放すのがイヤらしい。
そりゃまあ、国の財政はすべて自分優先で使え、気に入らない人間は問答無用で合法殺人、きれいな姉ちゃんは腎虚になるまで床にはぺらすことができる。
こんなオイシイ仕事をみずから放棄する男はいないだろうな。
どうして彼は涙を流したのだろう。
対外的なものではなく、国内向けになにか極端な政策変更をねらっていて、そのために同情を買おうってことらしいけど、とうとうアメリカに抵抗する手段はないと観念したのか。
もう我慢できん、戦争だと机をひっくり返したって、アメリカは微動だにせず、粛々と制裁を続けるだけ。
今朝の新聞を読んでも、それだけで北が干上がることは確実。
もはや戦車の燃料もなく、腹ペコの兵士ばかりで、正恩クンには開き直る力すらないのだ。
正恩クンの涙は、どうしてオレだけが、オレばっかりがいじめられるという怨嗟の涙かもしれない。
しかし身から出たサビ、カダフィやチャウシェスクのようになりたくなければ、亡命がゆいいつの手段だけど、いまの彼じゃ中国でさえ引き受けに難色を示すだろう。
気のドクだから奥さんだけは引き受けるって、そして奥さんはまた歌手にもどって日本公演で人気を得るとか、ああ、また脱線してしまう、このブログ。
核やミサイル廃棄だけではなく、トランプさんが一歩進んで、しいたげられた北の民衆の解放にスタンスを移したとすれば、まあ、ノーベル平和賞をあげてもいいかなと、わたしは思っているのだ。
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2018年5月29日 (火)
親戚からもらってきた古い本、「支那事変・戦跡の栞(しおり)」というものだけど、虫メガネを使って少しだけ読んでみたら、歴史好きのわたしにはなかなかおもしろそう。
ただ、やたら小さな本に漢字ばかりの古風な文章が、320ページも押し込んであるので、老眼のわたしには、メガネをかけた上にさらに虫メガネを使わないと、とても読むことができない。
これはとっても目が疲れることである。
どうしたらいいだろうと考えて、思い切って “自炊” することにした。
“自炊” というのはパソコン用語で、つまり紙の本の電子化を自分でやることである。
むずかしくはない。
スキャナーさえあればだれにでもできる。
“自炊” するためにはページを切り取って、本をばらばらにしなければならない。
ちょっともったいないかなと思い、この本を古書としてオークションに出したら、どのくらいするものか調べてみた。
この本はもともと、上、中、下巻の3部作だったらしく、全巻そろってもいいとこ3千円ぐらいの値しかついてなかった。
わたしがもらってきたのは上巻だけだから、売ってもたかがしれているだろう。
それで “自炊” を始めたんだけど、いやもう手間がかかって。
全ページのスキャンが終わるまで生きていられるのかと心配になってきた。
そうやって苦労して電子本にしても、一文にもならないし、おそらくわたしひとりが満足するだけで、世間に対してなにか貢献することもないだろう。
でもいいか。
スキャンした部分を読みながらスキャンを続けているんだけど、新しいページを読むたびに、日本軍とともに、当時の中国大陸を転戦しているような気分になる。
時空を超えた世界、ありえない異次元の世界、部屋にいながらそういう世界を彷徨できるのは本好きの特権だ。
ひきこもりぎみで、徹底的に地味な性格のわたしが、人生の終わりまでなんとか退屈しないで済みそうだから。
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2018年5月28日 (月)
今回の一連の騒動を見て思うんだけど、韓国の政治家ってバカなのか、あるいはよっぽどの楽天家なのか。
もうすこし空気をよむ能力があれば、自分たちがアメリカに嫌われていることぐらいわかりそうなものだ。
添付した写真はアメリカに乗り込んだ文在寅サンの随行員たちで、北朝鮮とまったく同じ、トランプ大統領はノーベル賞が欲しい、だからこっちの言い分を聞くだろうという余裕が見て取れる。
ところがこの直後、米国は北との会談中止を発表する。
さあ、文サン以下、この連中は右往左往だ。
この写真はカイカイ反応通信からのものだけど、そこでも韓国政治家のアホらしさが自虐的に取り上げられていた。
韓国にも、国民の中にはまっとうな考えの人はいるのにね。
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昼メシを食いながら、今朝のウチの新聞の社説を読んでいる。
まったくムチャというか、アホらしいというか、ただもう相手にケチをつければいいという社説だから、論理に矛盾が出る見本みたいな文章だ。
理由をきちんと説明しよう。
日ロ首脳会談についての文章である。
要約すると、ときに秩序を乱すロシアの対外姿勢には毅然と対応しつつ、地域の平和と安定という文脈の中、領土問題を位置づけるべきだということらしいけど、これこそいま安倍首相が取り組んでいる姿勢そのものではないか。
同じ社説の上のほうに、日本政府はロシアのクリミア半島併合について、主要7カ国とともに制裁を課してきたと書いてある。
同時に、安倍政権は昨年、経済担当協力省を新設して、ロシアとの交渉にあたるとも書いてある。
これは安倍政権がウチの新聞の主張どおりのことを実践していることの証明ではないか。
毅然としているかどうかはべつにして、あっちの顔も立てる、こっちの顔も立てる、こういう日本の行き方が気に入らないなら、なにをどうすべきかという対案を示せばいいものを、当然ながら、そういうことは無視していちゃもんに終始するのだ。
秋田犬をもらってうれしそうなザギトワちゃんの顔を見るたび、日本の対ロ独自戦略は十分だと、わたしは思う。
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核実験場廃棄の取材のために北朝鮮に入国していた記者たちは、無事に離北したようで、ご同慶のいたり。
ただいま北は指揮系統が混乱しているところで、米国の記者を捕虜にするとこまで頭がまわらなかったんだろう。
ところでアンチ自民党のウチの新聞だけど。
安倍クンはアメリカと仲がいい。
そのアメリカと北朝鮮はかたき同士だ。
安倍クンを目のかたきのウチの新聞にとって、敵の敵は味方というわけで、世間の常識から逸脱した非人道的国家に好意的な記事がめだつ。
こんな北朝鮮が、米国と首脳会談をめぐってつばぜりあいだとか。
バカいってんじゃない。
つばぜりあいというのは実力の同じ程度のものが競い合うということで、じっさいはぜんぜんぶれもしないアメリカに、北(韓国も)が右往左往しているだけじゃないか。
昨日の1面には、「南北首脳 再会談」というでっかい見出し。
アメリカの会談中止発表の直後ということは、青くなった正恩クンが、どうしたらよかんべさと、韓国大統領に相談に行ったんだろうということはシロートにもわかる。
相談された文サンも困るよな。
北朝鮮にアメリカと対等に話し合う資格なんかあるはずがないのだ。
核だ、ミサイルだなんて、それが張り子の虎であることは、とっくにアメリカに見透かされているだろうし。
やっぱり核の完全廃棄しかないですかねえ。
ばかやろう、オレはどうなるんだ、オレはと、話はかなり深刻なものだったはず。
このあと北朝鮮が米朝首脳会談を受け入れるとしたら、それだけで北には打つ手がないってことの証明になる。
勝ち誇ったトランプさんがどう出るか楽しみだ。
この期におよんでまだ北の肩を持とうというウチの新聞。
国民が飢えているのに自分だけは肥え太っている指導者がいたら、嫌悪感を持つのが当然だし、そんな正恩クンを排除することは、圧政に苦しむ北朝鮮の民衆を救済することでもある。
政治の世界には個人がケシカランと思っても、どうにもならないことが多いけど、わたしは北朝鮮の現政権をぶっつぶすことに諸手を上げて賛成の立場だ。
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2018年5月27日 (日)
昨日は仲間うちでやっているパソコン同好会というのがあって、終わると飲み会になっちゃうから、帰宅するとベッドにばったりというのはいつものパターン。 で、ブログの更新を休んでしまったけど、その気になれば簡単に書けるネタがあったのに残念なことをした。
昨日はじつはでっかい事件があったのだ。 パソコン同好会に出かけるまえに焼肉を食べた。 朝から焼肉なんて非常識というなかれ、わたしの人生そのものが非常識なのだから。 スーパーで買ってきたパック入りのプルコギで、賞味期限が切れるまえに賞味しなければならない事情もあったし。
事件というのは焼肉そのものではない。 わたしのアパートの庭にはハーブのミントが生い茂っているので、それを摘んできて、プルコギにトッピングしようとした。 ところが行ってみたら、ない! 2、3日まえに市から作業員が来て、電動草刈り機をウァンウァンいわせていたのは知っていたけど、そのときにきれいさっぱりと刈られてしまっていた。
事件というのはこのことだ。 ミントはひじょうにしぶとい植物だそうだから、写真に撮ってその繁殖ぶりを観察しようと思ったのに、1枚撮っただけで計画は頓挫した。 でもまあ、作業員も親切でやってくれたことだから、苦情をいうわけにもいかない。 書く気になれば1時間もかからずにまとめられたブログネタだったのにねえ。
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2018年5月25日 (金)
日大のアメフト部の体育会系思考がキライと書こうと思っていたら、それよりでっかいニュースが飛び込んできた。
トランプさんらしいよな。
相手が対等のつもりでつべこべいうのがケシカラン。
やめた、やめた、首脳会談はやめたって、このふんぎりのよさ。
なにがなんでも対等のつもりで話したい北朝鮮も、まさかこんなにあっさりトランプさんが、ノーベル賞をあきらめるとは思ってなかっただろう。
韓国の文サンも、首脳会談が終わったとたんにこんな発表をされたんでは、面目丸つぶれ。
メンツの張り合いはまだ続きそうで、野次馬日本としてもまだしばらくショーを楽しめそう。
でもこうなると、いま核実験場廃棄の取材のために北に入っているジャーナリストたちが心配だな。
こっちも予測不能の正恩クンのことだから、アメリカ人記者だけは返さないと言いだしそう。
記者こそいい迷惑だけど、日本人は取材に招待されてないんだから、やっぱり外から野次馬でいいのか。
これがなかったら、またいつものモリカケ新聞になりそうだったウチの新聞も、ひさびさにニュースペイパーらしい新聞だ。
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2018年5月24日 (木)
今朝のウチのモリカケ新聞は、あいかわらず世間のおもしろそうなニュースをわきにおいて、学園問題で首相にぜんぶ責任があるような書き方だ。
首相がなにげなくいったことを、まわりが忖度しただけだろうと、そんなものに興味のないわたしにすれば、これに関連したニュースをのぞくと、新聞の読みどころが3割は減る。
新聞代を3割ねぎりたいわ、ったく。
モリカケ新聞が手抜きをするから、国際ニュースはネット頼りになる。
韓国の文在寅大統領がトランプさんと対談したってニュースは、カイカイ反応通信 の分析がするどい。
お愛想、お追しょうをふりまく文サンに対して、トランプさんがむっつり不機嫌な顔をしていることは一目瞭然。
韓国人からもさんざん揶揄されている文サンが、どうして支持率70パーセントもあるのか、モリカケ新聞もたまにはそのへんを追求してくれないか。
でも韓国政府への立ち入り禁止は解除されたのかしら、ウチの新聞。
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2018年5月23日 (水)
また一文にもならないことを始めてと、わたしに女房がいたら家庭争議になっていたかも。 先日、田舎の親戚で古い本をもらってきたばかりだけど、そのときついでに古いアルバムも預かってきた。 セピア色に変色した写真を、パソコンで修復して、あわせて自分の子供のころ、あるいはそれ以前の風景をよみがえらそうという試み。 そんなことをしたって、感心してくれるのはわたしより年上の親戚の未亡人だけで、その下の世代になると、もうそんな古い先祖に興味もないというのがほとんどだから、これは純粋にわたしの好奇心がなせるわざ。
ここに載せたのはその1枚だけど、親戚総出の田植えのようす。 場所は特定できないけど、わたしの郷里に決まっている(正面奥に見えるかやぶき屋根の農家が、戦前からある親戚の家らしい)。 まだ江戸時代あたりから連綿と続く田園風景が健在だ。
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2018年5月22日 (火)
わたしの親戚で3月に訃報があったことはこのブログに書いたけど、先日の日曜日は、その親戚からお宝を見せるから帰ってこいといわれて、郷里までとんぼ返りをしてきた。 わたしの田舎ではそれなりの名家だった親戚なので、先祖伝来の書画骨董の類が多いと聞いていたから、好奇心がわたしをつき動かしたのである。 亡くなったわたしの母親によると、じっさいに江戸時代の絵師・谷文晁の掛け軸なんかがあったというし、探せばもっとめずらしいものが出てくるかもしれない。
なるほど。 大きな円筒形の金属容器にぐるぐると丸められた掛け軸が10数本。 1本1本を確認してみたけど、わたしのアテにならない審美眼でしても、あまり傑作とよべるものはなかった。 聞いてみると過去に他人に贈呈したものもあるそうで、めぼしいものはそのときに散逸したのかもしれない。 おまけに大切に扱われていたわけではないから、ほとんどの作品にシミや汚れが目立って、ちょっと売り物にはなりそうもない。
べつの場所から糸で綴じられた和本がたくさん出てきた。 漢文の本が多かったけど、読み書きの教科書として使われたものらしく、「十八史略」や「大日本史」など、奇書とはいえないものばかりだった。 むかしの人はこんなに勉強したのかと感心したものの、こちらも商品にするには粗末に扱われたものばかり。
それでもカビくさい本の中からわたしが拾い出したのは、まずポケット版サイズの「満州国全図」という本で、広げると大きくなる8枚の地図が折り込まれていた。 本の状態はまずまず。 ここに載せた画像は地図の一部を拡大したものだけど、佳木斯(ジャムス)という街が中心になっているのは、そこが亡くなったわたしの母親にゆかりのある地だから。 わたくしごとはさておいて、戦前の満州国に興味のある人には貴重なものではないか。 出版は昭和14年で、東京の伊林書店というところから発行されていた。
もうひとつは、これも文庫本より小さな本で、「支那事変・戦跡の栞(しおり)」という本。 内容は、支那事変のさいの日本軍の進軍ぶりと、あわせて途中で見た支那の風物を描写した、と前書きにある。 昭和13年の本にしては、生意気にも写真やイラスト、地図などが挿入されている。 本が小さいから活字も小さく、虫メガネでちらりと検分したかぎりでは、戦闘部分の記述は詳細で血なまぐさいけど、風物の部分もかなりくわしいから、紀行記として読んでもおもしろそう。
ほかにも表紙のとれた文芸誌などがあり、おさめられた有名作家の作品の中には、ヘタすると未発表の作品が眠っているかもしれない。 ということで、これからときどき、これらの本について書くことにする。 うん、いいヒマつぶしができた。
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もう1年以上やってるんだよ。
それでもまた今日の新聞の1面、2面を占領してモリカケだ。
そのあいだに総理のあきらかな不正行為でも見つかったならともかく、あいかわらずAが首相と会った、ではなく、Aが首相と会ったとBが報告していたことをCが記録していた、と判じ物みたいな書き方だ。
なんじゃなんじゃ、これは。
今治市が獣医大を作りたい。
ああ、そうか。
いちゃもんばかりつけないで、ちっとは協力してやりなさい。
わかりましたって、そのていどのことが、1年以上も新聞の1面を飾るニュースか。
それで首相がワイロでももらったなら別だけど、どうしてそういうことがぜんぜん出てこないのよ。
いくらなんでも異常だと国民も気がついて、この事件にしがみつく野党の支持率も下がりっぱなし。
たぶんウチの新聞もわかっているんだろうけどね。
野党を煽れば煽るほど、野党もウチの新聞も評判が落ちるだけだってことが。
うん、川柳がわいた。 乗りかけて下船もできないリベラル紙
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2018年5月21日 (月)
今日の新聞には笑ってしまう。
1面トップが、是枝裕和監督がカンヌでパルムドール賞をもらったというもの。
わたしも映画は好きだけど、こんなニュースは社会面か芸能欄におまかせでいい。
なんでまたそんなものを1面のトップにもってきたのかと思ったら、世論調査で内閣の支持率が上がっちゃったかららしい。
そういう結果を死んでも報道したくないウチの新聞は、ごまかすために、いかにも大事件という感じで、どうでもいい映画祭のニュースを押し込んだのだ。
そんなことはないというかもしれないけどけど、アノ朝日新聞がやるとどうしても痛くもない腹を勘ぐられる。
腹を勘ぐってしまうわたしにも問題があるのかしら。
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2018年5月19日 (土)
今朝の新聞のオピニオン面の下のほうに、早稲田の教授さんというオバハンが長い文章を書いていた。
長いので意味をくみ取るのに苦労するけど、要は「忖度されるような指導者は辞めるべきだ」といいたいらしい。
朝日新聞の代弁みたいな意見だけど、この結論を導き出すために、ヒトラーとアイヒマンまで持ち出すのだから大変だ。
このオバハンにいわせると、あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき、彼はもはや国家と社会、社会と個人にとって危険な存在であるという。
だから安倍クンは辞めろというんだけど、この言葉に納得できるのは、ヒトラーや、現代の北朝鮮の正恩クンのような抑圧的な暴君の場合である。
北朝鮮なんか忖度に加えて、誹謗や中傷、他人の足の引っ張り合いまで加わるから、国家や個人ばかりか、よその国にまで及ぼす危険は甚大なものになる。
しかしまじめに政治に取り組んでいる政治家に、これをあてはめるというのはどんなものだろう。
まともな政策論争では欠点が見つからない、勝ち目がない。
そこでなんとかほじくり出したのが、本人が知らないところで役人が忖度したという瑕疵だ。
こんな問題で本人が辞めさせられていたらたまらない。
世間にはわたしみたいに出世欲のない人間ばかりじゃないし、権力者の周辺にゴマスリみたいな人間が集まるのは当然だから、これじゃ忖度されるほうはうっかりモノもいえないということになってしまう。
権力者に注文をつけるのはいい。
でも相手の立場でものを考えられない、こういう反体制オバハンまでかき集めて、もっともらしいことをいわせるのは止めてほしい。
彼女の立場が気になったので、肩書きをみたら、大学教授であることは間違いないけど、専門は政治学とあった。
政治学者というのは、これほどはっきりシロクロをつけられるものなのか。
わたしは、たとえば韓国政府から朝日新聞が出入り禁止をくったというような、えっ、どうしてアノ親韓新聞がという事件の真相が知りたいのに、そういうことは一行も触れてないじゃないか。
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2018年5月18日 (金)
今朝の新聞を読んで感心した。 北朝鮮のアタマのいいこと。 相手を最大限に持ち上げる、3人の人質も返す。 そうやって相手が、どうだ、オレさまの力はとふんぞりかえったところで、はしごをはずす。 得意満面の相手は、予定が予定どおりにいかないと困る。 ノーベル平和賞もフイになるかもしれない。
そうやって相手の妥協を引き出すとしたら、こりゃ策士だな。 正恩クンひとりで考えつくことじゃないから、そうとうに優秀なブレーンがついているにちがいない。 まあ、綱渡りを誤ったら地獄が待っているだけだからねえ、彼らには。 あ、これはウチの新聞(朝日)の記事を読んだうえでの感想だから、ほんとうはそうでないかも知れないけど。
今日の新聞を読んで感心したことの2
麻生財務相サンが、北朝鮮の飛行機が途中で落ちたら話にならんなとか、以前の総裁選で、暗いやつを選ぶか、頭のわるいのを選ぶか、だったらお腹のわるいのでちょうどいいんじゃないかと発言したそうだ。 ちなみにこのときの候補は、石破、石原(伸)、安倍クンの3人。 あいかわらずこの人の毒舌はおもしろい。 プーチンのように黒帯は必要ないけど、国の指導者に必要なのはこういう皮肉のきいたユーモアだ。 チャーチルもドゴールもそういうことが得意だった。
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2018年5月17日 (木)
なんか体力のおとろえを感じるねえ。 昼間部屋にいるとすぐにベッドに横になってしまう。 重力にさからわなくていいから、このほうが楽だ。 おかげで足がどんどんヘナヘナになる。 たまに街に出ると杖が欲しくなる。
これではいけない。 もっと散歩でもしなくちゃいけないと思うんだけど、なにしろ規則正しいこと、とくに運動と名のつく行為の大キライなわたしのことだ。 それじゃ不健康で病床に伏しているのではないかと思う人がいるかもしれないけど、あいかわらずニクラシイくらいに健康だ。 つくづく呪われてんな、わたしって。
目下の運動といえば散歩ぐらいだけど、ただの散歩ではすぐに飽きる。 さいわいなことにカメラと自然観察が好きなもんだから、なにかめずらしい花でも咲いてないかと、そういうことを励みにして、これまではわりあい熱心に出かけていた。 しかし現在地に住んでもう20年ちかく、家の近所は歩きつくした感があり、もはや人為的に植えられた園芸種でもないかぎり、めずらしい花なんてありようがない。
そんなことをぼやいているうち、今日は近所で見かけない花をみた。 こんな花が勝手に咲くはずはないから、例によって、最初は園芸種の花の種が乙女の手からこぼれたというものらしいけど、それっきり人間が面倒をみなくても毎年咲く花は、わたしは野生種とみなしてしまうのだ。 そう思わなければ、わたしがこれまでこのブログで紹介してきた花の多くが、野生でないということになってしまう。
買い物に行く途中に見た花なので、カメラを持ってなかったから写真がない。 帰宅してから、記憶を頼りに名前を調べてみた。 名前だけはわかったけど、紹介するのはそのうち写真を撮ってから。 認知症みたいだから、来年になる可能性もある。
約束どおり1日おくれでその花を紹介する。 名前は ヒメヒオウギ 。 ヒオウギに似ているけど、サイズはもっと小さい。 名前がわかれば、ナーンダという花で、園芸に興味のある人にはけっしてめずらしい花ではなさそうだ。
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2018年5月16日 (水)
ひさしぶりにワンちゃんの話題。 もうトシだから、わたしが散歩させているとき、ポックリ逝かれても困るんで、しばらく近づかなかったんだけどね。 昨夜飼い主の部屋へ飲みにいって、ついでにワンちゃんのご機嫌を伺ってきた。 かわいそうに、白内障で目が見えなくなっているらしい。 イヌだから鼻さえ利けば人間ほどには不自由してないみたいだけど、わたしが抱きあげようとするとキャンキャンなく。 なんでも関節の病気もあって、持ち上げるとき注意しないと痛むんだそうだ。 もうぼろぼろだな。
今年はほんとうに訃報が多かった。 ワンちゃんの場合、飼い主に恵まれるかどうかで、その運命はがらりと変わる。 彼の人生、いえ、犬生は、幸せだったかいと聞いてみたい。
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2018年5月15日 (火)
オーストラリアのラクダのことが、今日の新聞に出ていた。 もともとオーストラリアにはカンガルーやコアラはいたけど、ラクダはいなかった。 まだ車の発達していなかった時代に、内陸部へ物資を運ぶためにアフガニスタンあたりから輸入されたラクダが、逃げ出して増えたのだそうだ。
狡兎死して走狗烹らる、増えすぎたラクダを駆除するためにオーストラリア政府は機関銃を持ち出した。 向こうから頼んで移住したわけでもないのに、オーストラリア政府もひどいよな。 これはエミュー戦争 の再来だ。
もちろんエミューにも勝てなかったオーストラリア軍が、ラクダに勝てるわけもなく、いま30万頭のラクダは、食肉用として、あるいは乳がチーズやスキンケア用品として、平和的に活用されているらしい。 うん、最後はほのぼのした話題だ。 よかった、よかった。
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2018年5月14日 (月)
やっぱりというか、わたしの知り合いのひとりが亡くなっていたそうだ。 最近訃報が多いけど、彼のことはまだこのブログで触れてないから、わたしの点鬼簿に追加された新しい仏さまというわけだ。 彼とわたしは、今の仕事につくまえからのくされ縁だから、気になっていた。
ああ、死ね、死ね、みんな死んじまえ。 と叫びたくなるのは、もう終わりに近いわたしの周辺が、どんどん一掃されて、わたしが死ぬころには、きれいサッパリという按配になっているような気がするからだ。 父も母も兄弟も友人たちも、みんな死に絶えているとしたら、この世になんの未練があるものか。 わたしが心おきなくあの世に行けるようにと、その準備はちゃくちゃくと整えられているのだ。
でも、こんなことを書くと、なにしろわたしも敵の多い男だから、わたしの発言の一部分だけを強調して、あいつはみんな死んじまえっていってましたよと、告げ口する人間がいそうで心配。
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2018年5月13日 (日)
今朝の新聞にギャンブル依存症の問題について、もと関脇の貴闘力が語っている。
彼はプロの?ギャンブル依存症だったらしいから、日本政府の、カジノを含む総合リゾート開設に警鐘を鳴らすにはふさわしい人だ。
ただ政府のやることにはなんでも反対するウチの新聞のことだから、ほんとうに国民のための記事なのか、そのへんがちと微妙だけど。
貴闘力さんはいう。
カジノなんか作れば、儲かるのはカジノの側だけだと。
まあ、それは賭博の常識だ。
いちばん儲かるのはバクチの胴元ということは誰でも知っている。
しかしもともと税収の一助になればと始めることなら、それはいいことではないか。
カジノを作ったのに大赤字ではなんのために作るのかわからないし、せいぜい儲けた金を、貧しい学生たちを支援する基金にでもつぎ込んでほしい。
と、バクチをぜんぜんやらないわたしは無責任に考えてしまう。
でも以前このブログにも書いたけど、カジノは健全な遊びですなんて寝ぼけたことをいっている、あまっちょろい日本政府がやることだ。
世界中のプロのギャンブラーが押し寄せてきて、徹底的に日本をむしることになるんじゃないかと、いまから余計な心配しています。
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2018年5月12日 (土)
市という行政単位は、階層的には県という行政単位のひとつ下だ。 つまり県が親分とすれば、市はその子分といえる。 子分が獣医大学を誘致したくて政治家に働きかけ、ようやく実現のめどがたった。 ところが無理なお願いをしたものだから、そのへんを新聞社にかぎつかれ、いまごたごたしていることはご存知のとおり。 すると親分は手のひらを返したように、オレはそんなことは知らん、政治家はケシカランと言い出す。
愛媛県の知事さんが首相の足を引っぱっているのは、たぶんそんなことだと思うけど、県という行政単位は国という行政単位の下にあたる。 つまり県が親分なら、国は大親分というわけだ。 親分が大親分にさからうなんて、なかなかいい度胸をしているなと思い、親分の出自を調べてみたら、うん、やっぱり大親分に刃向かうだけの因縁をもった人のようだ。 これはもう仁義なき抗争だな。
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2018年5月11日 (金)
アメリカ人の女の子が卒業パーティにチャイナドレスを着たら、文化の盗用だなんて騒ぐバカがいて、論争になっているということが、ネット掲示板「海外の万国反応記 」に出ていた。
おおかたの人がそんなことは問題にならないと、冷静な判断だけど、これも最近の非寛容の時代を象徴する事件かもしれない。
非寛容なら日本のほうがもっとひどいぞ。
あいかわらずどうでもいいこと、本人がゆったりかまえて、あははと笑い飛ばせば終わりなのにという事件が多すぎる。
とくに寛容であってほしい政治の場で、こんな子供のケンカのようなセコイ事件が多いよな。
朝日新聞をとっているから、余計そう感じるのかも。
チャイナドレスを着た問題の娘はなかなか可愛いし、このドレスはひじょうにイロっぽいことで有名だから、最近のおとこ女みたいなアメリカ女子にはもっともっと着てほしい(わたし個人的には)。
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ずっと以前にネット掲示板「海外の万国反応記」に、「日本より隣国に恵まれてない国ってあるの」というスレッドが立ったことがある。 これに対する世界中からの反応が、島国のくせに贅沢いうなよというもの。 考えてみればイスラエルやポーランド、トルコ、インドもパキスタンも、ロシア、中国だってまわりは敵対国ばかりといえるし、韓国なんかそうとうに悲惨だよな。 となり同士の国の場合、仲が悪いというほうがフツーらしく、これに関しては地続きの国のほうが深刻なようだ。 じっさいに同じ万国反応記に「近くに友好国がないという気持ちを外国人はわかるだろうか」という韓国人からのスレッドが立ったこともある。
ネット上の嫌韓サイトでは、韓国をあげつらう記事が多いんだけど、ここは韓国の立場でものを考えてみよう。 韓国の隣国というと、日本、中国、ロシア、そしてあの北朝鮮だ。 日本人の中には、中国は韓国と仲がいいではないかという人がいるかも知れないけど、中国が力をつけたいまでは、韓国のほうが必死で媚びを売ってるだけで、とても日本と中国のような対等の関係とはいえない。 だいたい韓国人は中国が大きらいである。
韓国はまわり中を非友好国でかこまれているけど、日本は太平洋側には気をつかう必要がない。 日本とアメリカは友好国であると断言していいかどうかわからないけど、少なくとも韓国と中国の関係よりはいい。 だから現在の北の正恩クンの悩みは韓国の悩みでもある。 いつどこから侵略されるかわからないという恐怖は、とても日本の比ではないはずだ。
そんならどうして日本と手を組もうとしないのか。 しかし日本はいちばん最近まで、じっさいに韓国を侵略併合していた国であり、ずっと仮想敵国として、国民にもそう教育してきた相手である。 かりに手を組んだとしても、最近の日本をみると韓国に対してはっきりものをいう右翼政権が続きそうだ。 これではいつ豹変するかわかったものではない。 やはり韓国のまわりには、ほんとうにこころを許せる友好国はひとつもないということになる。
こうなると同じ民族として、頼りにしていいのはむしろ北朝鮮だけということになってしまう。 日本と同じように核兵器やミサイル開発に制約のある韓国としては、北が代理でそういうものを開発してくれているようなものだ。 さいわい通常兵器による戦争では、もう北に負けるはずがない。 ここはひとつ、他国に口を出させず、いつか北が崩壊したら、その技術をまるごといただいたほうが得策だ。 そうすればもう敵対国の谷間にあっても、だれにも文句はいわせないし、核やミサイル技術で負ける日本だって一気に追い越すことができる。
そう考えているんじゃないか。 文在寅大統領があの非人道国家の北朝鮮と仲良くしようというのは。 中国に媚を売りまくるのも、また北朝鮮の応援をして38度線を越えられては困るということかもしれない。 でも歴史の明日はだれにもわからない。 文さんが明日を見るまえに、弾劾されていないという保証はぜんぜんないのだ。
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2018年5月10日 (木)
韓国の大統領っていいよな。 安倍クンはそう思っているかもしれない。 なにせ向こうは挙国一致内閣で、森友だ、加計だって、重箱のすみをつつくような野党もマスコミもいない。 文大統領が日本のマスコミからインタビューを受けたとき、それについて韓国のマスコミは、韓国の拉致被害者について質問された部分を、まるっきりふせたまま報道したそうだ。 日本だったらいつまでもしつこく追及されるぞ。 どうも忖度について、韓国は日本にひけをとらないようだ。
でも待てしばし。
そうやってマスコミの攻撃を免れている韓国の大統領は、一朝ことあれば、たちまち刑務所入りか、ヘタすれば自殺に追い込まれるのだ。 やっぱり日本の首相をしているほうがよござんすよ、安倍クン。
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2018年5月 9日 (水)
今日の夕刊の文芸・批評コーナーに社会学者という人が、「いきわたる『国家の手』」という文章を書いている。
わたしたちはフェイスブックやツィッターで、知らず知らずのうちに自分のプライバシーを公開し、それがまとめてどこかに売り飛ばされるとある。
ようは国家はケシカランといいたいらしい。
国家がケシカランのではなく、インターネットやスマホのような、便利な道具を発明したほうがワルイと思うんだけど、これを読んでむかしのことを思い出した。
わたしが仲間たちとパソコン同好会なるものを結成したとき、連絡用に作った仲間うちの掲示板では、各自が好きなハンドルネームを考え、ぜったいに本名を使わないこととした。
わたしはフェイスブックも、いちおうはやっているけど、そこでもハンドルネームで押し通している。
これはかた苦しい規則がキライで、かつユーモアを愛するわたしの信念がさせたことで、べつに国家にプライバシーを公開しないという、そんなだいそれた考えじゃなかった。
そもそも各種カードの取得だとか、海外旅行の申し込みなど、プライバシーを非公開にしたままでは世渡りのできない社会だから、プライバシーがどうのこうという問題はほとんど意味がない。
でも、今日の夕刊を読むと、国家や世間の常識に対して、ささやかな一矢を報いたような快感があるな。
たまにあっちこっちから個人情報が漏れた、女の子がだまされたなんて話が伝わってくるけど、本名をぼかしておけば被害を軽減できる場合もあるわけだ。
わたしの個人的信念でいえば、ネット上では可能なかぎり偽名を使うべきである。
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2018年5月 8日 (火)
いや、オソロシイもんだねえ。 タフな植物だとは聞いていたけど、庭のハーブのミント、庭から摘んできてお茶碗に挿しておいたら、とちゅうから根っこが生じて、おまえは宇宙人か、アメーバかってところ。 これじゃいつまでも元気なはずだよ。
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いや、ひどいもんだねえ。
先日放映された「十戒」って映画。
そうとうに古い映画だから、ひさしぶりに観返してみたけど、これってカルト映画だよな。
悪魔が乗り移った指導者モーゼが、いうことを聞かないエジプトの王様にいやがらせをする。
最初は杖をぽんと投げると、それがヘビに変わる。
なんだ、そんなヘボ手品かとエジプト王に看破されると、つぎにナイルの水を血に変える。
民衆がのどの渇きに苦しんでもエジプト王がへこたれないとみると、今度は疫病を流行らして民衆を苦しめる。
こんなふざけた神様がいてたまるか。
奇跡を起こせるなら、どうして宝くじを当てるとか、ナイルの水をアルコールに変えるとか、末期ガンの患者をその場で完治させるとか、もっとマシなことをやらないのか。
これでは疫病でわが子を奪われて苦悩するエジプト王のほうがよっぽど人間的ではないか。
こんな神様を信じているアメリカ人が、いまでも人口の半分ぐらいはいるというからオドロキ。
なんてことを真剣に考えているわけじゃない。
このていどの映画に感動していた古きよき時代もあったんだなってコト。
最後の紅海がまっぷたつに割れるスペクタクル・シーンだって、アナログの合成映画からデジタル合成に変貌する、そんな映画の歴史を見つめ続けてきたわたしには、時代の移り変わりの方がずっと身にしみるわ。
ところでこの映画のウラをとろうと、映画DBに “じゅっかい” と打ち込んだアナタ。
これはじつは “じっかい” と読むんだからね(わたしも3回目ぐらいにようやく気がついた)。
ホント、宗教用語ってひねくれているよな。
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2018年5月 7日 (月)
なんか書こうとして、いくつか下書きしてみたけど、ボケきった頭じゃなかなかまとめきらんね。 新聞でも読んでなにかネタをひねくり出そうと思ったら、今日は新聞休刊日じゃないか。 ならば夕刊はというと、いま熊本のKさんが上京中で、今夜は歓迎会だ。 飲んで帰ってくるとたいていはベッドにころりだから、今日のブログ更新はこんな調子で終わると思う。
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2018年5月 6日 (日)
連休ボケなのか、認知症なのか、さっぱりブログを更新しようという意欲がわかないねえ。
ウチの新聞の日曜版に、月に1度か2度の頻度で織り込まれてくるGLOBEという特別紙面。
本紙に比べると頭に血がのぼる割合が少ないので、わたしもファンなんだけど、今朝のそれは「ロシアの流儀」という特集だ。
わたしもロシアには因縁浅からぬところがあるし(本気で受け取るなよ)、朝日新聞のスタンスでは、はたしてロシアをけなすのか、ほめるのか、そのへんに興味があってじっくりと読んでみた。
慰安婦問題みたいに、しろうとでもオカシイと思えるような書き方がしてないから、どうもスタンスがわかりにくい。
最初にいまモスクワで騒がれているゴミの放置問題が、プーチンの鶴のひと声で動いたと書いてある。
これはプーチンをほめる記事なのか。
しかし権力者こそが、地方行政や議会から権力を奪って、問題を生み出した張本人ではないか。
なぜ自分たちで運動を起こしたり、政治に参加したりしないのかと、GLOBEは訊く。
訊かれた人間は、議会や政治家は信用できないからと答える。
こういう国は少なくない。
アジア、アフリカ、東欧、中東、いや、世界中の大半の国で、政治家はロクなもんではないと理解するべきだ。
まわりを知れば知るほど、日本ほどまじめで不正の少ない政治家をかかえた国はないといえるくらいなのだ。
ロシアの役人の腐敗怠慢ぶりはプーチンの時代に始まったわけじゃない。
動かない官僚や役人を動かすために、プーチンは自らテレビに出て、彼らをどなりつける必要があった。
するとしぶしぶながら役人たちが動く。
万事がこんな調子で、プーチンに早く辞めてもらいたいと考える立場の人間も多いことだろう。
日本のように、権力者が命令するまえに、忖度して仕事を進めるような気の利いた(利きすぎた)役人のいる国は少ないのだ。
つづいて、世界を敵にまわしていいのかという主旨の記事がある。
ロシアによるクリミア半島の併合が問題視されているけど、このGLOBEの記事を読むだけでも、そのへんの事情はわかる。
相思相愛の夫婦の一方が裏切った。
それなら結納金あるいは持参金を返せといったところ。
夫婦以外の他人が口をはさむ問題ではないような気がする。
クリミヤ半島にかぎらないけど、ロシアをかってのソ連と同列にみなし、警戒する人が多すぎる。
でも彼らが覇権主義時代と同じ動機で他国を侵略できるものか、そういう時代がもういちど来るのなら見てみたいや。
この記事の終わりのほうに、ロシアに自由はありますかという質問がある。
そして、自由はある、ただし政治や社会に関わろうとしないかぎりはというオチがつく。
ウチの新聞のいいたいことはこれに集約されているのかもしれないけど、つまりプーチンの政権を非難したいのかもしれないけど、政治の足をひっぱるばかりのどこかの新聞を見つめてきたわたしは、またへそまがり的考えにとらわれてしまう。
やかましい、ゴタゴタいわずにおれについて来いという大統領がいたからこそ、ロシアは自由を得られたってこともあるんじゃないか。
こういう大統領がいなかったら、なにも決まらない、決められない、新興財閥に牛耳られて国内は混乱し、ブラジルやメキシコのような麻薬社会になっていた可能性もあると、わたしは考えている。
権力者が贅沢や身内のひいきばかりするような人間でないかぎり、できるだけ長く権力の座にあることはわるいことではない。
今日のニュースでも、プーチンの長期政権にイヤ気がさしたデモ隊が暴れているようだけど、プーチンをやめさせて彼らはいったい誰を後釜に据えようってのか。
せっかくマシな手が来ているのに、カードを替えれば、世界の政治家の現状からして、いまより悪い手が来る可能性のほうが高いだろう。
いちばん大切なのは、彼の登場するまえとあとでは、どっちが国民が幸せかということだ。
GLOBEの記事の最後は論説委員の、自由と安定は二律背反しないはずだという文章でしめくくられる。
アンタにいわれたくないと思ってしまう。
しないはずだというのは、仮定の理想論で、政策とは無縁の自由勝手な発言のおかげで、いつまでもすったもんだしている日本という国がじっさいにあるではないか。
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2018年5月 4日 (金)
先日、法事のために田舎に帰省したけど、そのおり親戚の娘に、これからは地球はますます狭くなるんだから、広い視野をもって生きなさいとおじさん風を吹かせた。 ところがどうも反応がイマイチ。 なぜかと考えて、思い当たったこと。
わたしの郷里は、とりたててへんてつのない日本の地方都市としては、意外なことに、居住している外国人の数が多いところである。 バブルはなやかなりしころ、地元企業の人出不足をおぎなうために、政府が音頭をとって日系移民たちの子孫をたくさん受け入れた。 そうやって南米あたりからやってきた人々が居つき、いまではそれなりのコロニーを形成している。 日系移民の子孫といっても、言葉は通じないし、外見は外国人そのまんまという人が多い。
その後の景気の後退で、彼らは仕事を失うこととなった。 それでも日本の快適な生活になれ、家族も呼び寄せた彼らは、日本に居続ける。 そして言葉の問題で、なかなか新しい仕事が見つからないから(いちばん最近はまた事情が変わったかもしれないけど)生活保護を受ける。 べつに彼らに罪があるわけじゃない。
まずいことにわたしの郷里というのは、日本でも有数の保守の牙城だ。 若い人はそうでなくても、年寄りの中には、ライフスタイルの異なる、こういう外国人に対して抵抗のある人が多いんじゃないか。 そんなことはないといわれるかもしれないけど、田舎の人の心理は理解しにくいところがある。 ああいう連中とは付き合うんじゃないよと、親戚の娘もいわれているのかもしれない。 べつに無理に外国人と付き合えといってるわけじゃないけど、美人で健康的な彼女を、そんな理由で田舎に埋もれさせるとしたら、そりゃ罪である。
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2018年5月 3日 (木)
今朝の新聞に、自分の作った俳句が公民館だよりに載らないのがケシカランという女性の記事。
なんでも彼女の作った 「梅雨空に 『9条守れ』 の女性デモ 」 という句が、政治的なプロパガンダの恐れアリということで、掲載してもらえなかったんだそうだ。
作者は1940年生まれのおばあさんで、空襲の惨劇をいまでもおぼえており、平和への素朴な思いを句にこめたとある。
しかし 「9条守れ」 なんて言葉を二重のカギカッコつきで入れたら、どうみてもウチの新聞の代弁者みたくなってしまうと考えなかったのだろうか。
だいたい 「守れ」 を 「変えろ」 と、ほんのわずかの変更で、まったく意味が変わってしまう句のどこがいいのか。
この句が秀作に選ばれたそうだけど、どうも20人ばかりの互選方式の句会だったようである。
互選というのは、集まったメンバーたちがお互いの作った作品を批評しあうもので、特別な講師でも招いたのならともかく、ふつうは大騒ぎするほど箔がつくものではない。
そのていどの句を載せろ載せないと裁判沙汰にしていたら、そっちのほうがよっぽど異常である。
五七五のかぎられた言葉だけで、いかに巧みに情景を表現するかが俳句の妙だ。
ここはひとつ、わたしならこうするという見本を示すことにしよう。
まずゆううつな梅雨空と、はなやかな女性デモを対比させるなら 梅雨空に黄色い声の女性デモ 梅雨空にそこだけ華やか女性デモ 梅雨空に揃いのファッション女性デモ 梅雨空におばさんばかりの女性デモ 梅雨空にしゃもじのめだつ女性デモ 梅雨空にエプロン姿の女性デモ
いや、米よこせのデモじゃないんだから、しゃもじやエプロン姿は古いか。
ひょっとすると赤旗あたりに扇動された女性たちかもしれないから、その場合は 梅雨空に動員された女性デモ 梅雨空に首相やめろと女性デモ 梅雨空に改憲反対女性デモ 梅雨空になにがなんでも女性デモ
この最後の句なんか、信じこんだらとまらない女性の性格をよくあらわしていると自画自賛。
もうすこし最近のデモならば 梅雨空にセクハラ叫ぶ女性デモ
というふうになりそう。
こんな調子でいくらでも作れてしまうけど、いくら連休中のヒマつぶしだとしても、キリがないからもうやめる。
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2018年5月 2日 (水)
今日の夕刊は読みどころが多い。
社会面に「戦時下の上海 幻の雑誌」だって。
執筆者に井伏鱒二や壺井栄、武田泰淳、佐藤春夫らの名のある、大戦中の日本語雑誌が発見されたのだそうだ。
わたしは上海というノスタルジーを感じさせる街が好きで、都合14回も行った人間だから、戦争中の雰囲気を知るためにも、これは読んでみたい。
となりのほうに奈良時代の借金事情という記事もある。
おどろくのはこの時代にも、480日で100%を超えてはならないという、金利の上限を定める法令があったこと。
当時の中国や韓国では(その他のアジア各国でも)法律などあってなきごとしだったのに、やっぱり日本はむかしから法治国家だったのねと感心してしまう。
文芸欄では、本物はジブリの宮崎駿みたいだった池澤夏樹さんが、沖縄の地位協定について、沖縄では米軍がやりたい放題だけど、ドイツやイタリアでは違うと、かっての三国同盟の仲間のその後について書いている。
どうして違うとかとわたしも興味を持ったけど、ドイツはすでに海外派遣もできる自前の軍隊を持ち、しかもヨーロッパにはNATOという強力な同盟軍がある。
まわりに味方が少なく、武力が禁止では、頼れるものはアメリカしかいない日本とはだいぶ状況が違うということぐらい、わたしでも思いついた。
そのほかギターの老舗のギブソンが破綻したとか、104歳の豪州の科学者が安楽死を決断したとか、米国の首席補佐官が大統領のことをバカ呼ばわりしたとか、世相をクールに読み解くわたしには興味深い記事ばかりだ。
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今日のウチの新聞の見出しは「安倍政権で改憲 反対が58パーセント」というもの。
またウチの新聞お得意の世論調査らしいけど、ウチの新聞の場合、いつも数字をいくらか割り引かなくてはいけないのが、ま、気のドクといえば気のドク。
朝日が58%というなら、ほんとうのところは50%ぐらいだろう。
しかも普通なら無作為に選んだ相手にアンケートとなるはずが、今回は郵送による調査だそうだ。
これでは朝日新聞の読者ばかりにハガキを送ったってことはないのだろうか。
朝日の読者であれば、わたしみたいなへそまがりは別格として、たいていは朝日と同じような思考の持ち主が多いはずだし、無作為に送ったというなら、個人の住所のような秘密情報をどうやって知ったのだろう。
天下の大新聞がそんな姑息なことをするはずがないと思うけど、いや、あの新聞ならあり得るかもしれないと思ってしまうところが、ほんとうに気のドクだ。
だいたい安倍政権で改憲に反対ってなんなのさ。
安倍政権以外だったらいいのか。
どっちにしても自民党政治がとうぶん続くに決まっているから、後継の政権がやることだったら認めるのかと突っ込みを入れたくなる。
とにかく現政権を不倶戴天のかたきとみなし、足さえ引っ張ればいいという姿勢が見え見えだ。
質問のトップに、安倍内閣を支持しますか、しませんかという設問があって、支持が36、不支持が56とあるけど、これはわたしの体感とはだいぶ異なる。
ネットなどをみるかぎり、現政権を支持する人はもっと多いように感じるのである。
世界のどの国にも、経済失速や不平等の増長、政治家の違法行為で不平不満が荒れ狂っている時代に、日本の政治に不満を持っている人がそれほど多いだろうか。
北海道大学の名誉教授さんは、首相の改憲に反対する人は政治意識が高いといっているけど、どんな国にも不満分子はいるものだから、そういう人はマスコミの扇動に乗せられやすい人というべきではないか。
そうでないとすれば、最近のマスコミは低俗だという意識が、どうしてこんな大きなうねりになるのか。
本来ならウチの新聞を支持するはずの小熊英二サンも、このたびはわりあい控えめだ。
6、7面のアンケート詳細をながめても、軍事(戦争をイメージさせる言葉)と、景気対策や福祉などの現実的な経済問題をならべて、どっちがいいですかという事例が多くて、不公平というか、結論を誘導しようという作為が読み取れてしまう。
うまい具合に朝鮮半島は融和ムードだ、いま軍事が必要ですかというアンケートをすれば、そんな必要はないという結果が出るだろうという策謀も読み取れる。
そんなことはないと思うけど、いや、あの新聞だからあり得るかもと思ってしまうところが、やっぱり気のドクといえば気のドクだ。
わたしは改憲をとくに必要としているわけじゃないけど、今日の新聞から感じられるのは、いささかヤケッパチになっている、気のドクな朝日新聞の現状でしかないのだ。
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2018年5月 1日 (火)
わたしのフェイスブックにサクラソウの写真を貼っておいたら、ロシア人からコメントがついた。 Здравствуй рихаку я люблю японию! というんだけど、訳してみたら、これは 「こんにちは、わたしは日本が大好きです」 ということだった。
わたしは彼のことをぜんぜん知らないんだけど、どうも日本に住んでいるロシア人らしく、もしかすると以前会ったことのある人かもしれない。 そこで彼のフェイスブックに、わたしが撮ったクレムリンの写真をそえて、「Здравствуй Я также люблю в Россию(こんにちは、わたしもロシアが大好きです)」 と書いてやった。
こんなことを書くとわたしってロシア語に堪能なんだなと誤解する人がいるかもしれないけど、この程度ならネット翻訳でもなんとかなるのである。
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