秘匿
今日の夕刊の文芸・批評コーナーに社会学者という人が、「いきわたる『国家の手』」という文章を書いている。
わたしたちはフェイスブックやツィッターで、知らず知らずのうちに自分のプライバシーを公開し、それがまとめてどこかに売り飛ばされるとある。
ようは国家はケシカランといいたいらしい。
国家がケシカランのではなく、インターネットやスマホのような、便利な道具を発明したほうがワルイと思うんだけど、これを読んでむかしのことを思い出した。
わたしが仲間たちとパソコン同好会なるものを結成したとき、連絡用に作った仲間うちの掲示板では、各自が好きなハンドルネームを考え、ぜったいに本名を使わないこととした。
わたしはフェイスブックも、いちおうはやっているけど、そこでもハンドルネームで押し通している。
これはかた苦しい規則がキライで、かつユーモアを愛するわたしの信念がさせたことで、べつに国家にプライバシーを公開しないという、そんなだいそれた考えじゃなかった。
そもそも各種カードの取得だとか、海外旅行の申し込みなど、プライバシーを非公開にしたままでは世渡りのできない社会だから、プライバシーがどうのこうという問題はほとんど意味がない。
でも、今日の夕刊を読むと、国家や世間の常識に対して、ささやかな一矢を報いたような快感があるな。
たまにあっちこっちから個人情報が漏れた、女の子がだまされたなんて話が伝わってくるけど、本名をぼかしておけば被害を軽減できる場合もあるわけだ。
わたしの個人的信念でいえば、ネット上では可能なかぎり偽名を使うべきである。
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