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2018年6月25日 (月)

アメリカ アメリカの2

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「アメリカ アメリカ」は、苦労してアメリカに渡り、そこで足場を築いたエリア・カザン監督の祖父の人生を映画化したものだという。
時代背景はというと、映画のはじめに1896年のことという説明があるから、日本でいうと明治29年ごろのことである。

映画を観てもわかるとおり、このころのトルコはギリシアやアルメニアなどの少数民族をかかえこみ、各地で民族紛争が勃発して、それをトルコ軍が鎮圧するという状況だった。
それなら少数民族同士は仲がよかったかというと、けっしてそうでもなかったようだから、当時から欧州の民族問題は、幸せな日本人には想像もできないくらい複雑怪奇なものだったのである。

トルコと少数民族の軋轢というと、民族浄化ではないかとされるアルメニア人の大量虐殺が有名だ。
この映画にもトルコ軍による虐殺が出てくる。
しかし虐殺する側にも情け深い軍人はいたとか、少数民族の側にもこすっからい人間はいたというふうに、わりあい客観的で、ナショナリズムを鼓舞するような描き方はされてない。
わたしはこういう映画が好きである。

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映画のなかに、トルコの寒村にある少数民族の部落が出てくるけど、あちらの役者が無精ヒゲを生やすと、ドキュメンタリーではないかと思うくらいリアル。
こういう点、どうも日本や中国の役者はにやけていてダメだな。
余計なことはさておいて、その貧しい境遇、置かれた不安定な立場も描かれていて、これじゃ移民したくなる気持ちもよくわかる。

トルコの圧政に苦しんだ少数民族の若者たちは、こぞって、まだトランプさんのいなかった新天地アメリカをめざした。
映画のなかに、物乞いをしながら徒歩で首都をめざすアルメニア人の若者が出てくるけど、ヒゲぼうぼうで、肺を病んでいるこの若者の、せっぱつまった気持ちもよくわかるのである。
トルコ生まれのギリシア人だったカザン監督の祖父も、けっきょくはこの物乞いのあとを追うのだ。

中国の華僑などもそうだけど、一族のなかの優秀な人間に望みをかけて、親戚の金をかきあつめ、そのひとりを異国へ送り出すということが、外国ではよくあった。
送り出された人間の大半が異国で野たれ死したとしても、ひとりかふたりが成功して故郷に錦を飾れればいいという、一将功なって万骨枯るの精神である。
これもまたノーテンキな日本人には想像しにくいことだ。

主人公の若者も一族の期待をになって、首都のコンスタンチノープル(現イスタンブール)へ向かう。
ここからはアメリカ行きの船が出ているのである。
しかしロバに乗って出発した若者は、途中でゴマの蠅や汚職警察官にあって、たちまち身ぐるみはがれてしまう。
一文なしで首都にたどりついたものの、そのへんのはなたれ小僧でさえ、気楽に外国旅行ができる現代とはちがい、当時の船賃は貧しい青年には手も足も出ないものだった。

ということで、この項はまだ続きます。

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