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2018年6月18日 (月)

万引き家族

Man

「万引き家族」はつまらない映画だった。
と書くと、わたしの頭のほうが疑われそう。
たんに成功した映画に嫉妬する意見じゃないかと思われてしまいそう。

ネタバレにならないように、なんでつまらなかったのか説明しとこう。
映画自体はとくに欠点があるわけでもないし、演技者も芸たっしゃな人ばかりだから、わるい映画ではない。
しょぼくれたおっさん役のリリー・フランキー、樹木希林のおばあさん演技なんかたいしたものである。

いっしょに行った知り合いにいわせると、これはいじめや虐待が横行する現代に、異色の家族を通して、家族のきずなというのは何かを追求した映画でしょうとのこと。
それはそうかもしれないけど、わたしはこういうまじめなテーマを、正面からふり下ろす映画がニガ手である。

映画が始まってすぐに彼らの住まいの内部が映るけど、生活用品を山積みにして、その中で6人家族がなんとかスペースを確保している部屋のようすには、どこかなつかしい気持ちがした。
考えてみると、むかし(戦後10年目くらいまで)は6畳2間に、夫婦と子供、おばあさんの、5人、6人家族はめずらしくなかった。
団塊の世代というのは、本物の家族のきずなが存在していた時代を知っているのだ。
そしてそろそろこの世からおさらばしようとしているのだ。
家族のいないわたしが、いまさら家族のきずなについて考えても、なんの役にも立たない。

この映画は、現代や、これからの時代を生きる若者が観れば、それなり意義のあるものだろうけど、わたしにはもどってくるはずのない、過去のある時間をながめさせてくれるだけだった。
そこへもってきて、皮肉やユーモアが欠如しているので、退屈するばかりである。
そこにいるだけでしょぼいおっさんだとか、見舞金をありがたく押し頂いたおばあさんが、相手の家を出るなり、封筒の中味を確認してぼやくなどという、おかしい場面はいくつかあったけど、それは創意されたものではなく、日常にありふれた人間の行動のひとコマをそのまま描いたもので、わたしがいうところのユーモアではない。

わたしぐらい年期を重ねると、もうなにがあっても驚かないのだ。
子供が虐待死しても、こういう時代にはこういうバカ親も出てくるんだろうなと、諦観の方が先に立ってしまう。
かわいそうな子供を生んだのは、この社会全体の、流され感、余裕のなさに決まってると無力感におそわれてしまう。
ひょっとすると小津安二郎の映画のように、ほのぼの感でも残るかと思ったら、逆にあと味のわるさのほうが残ってしまった。
「万引き家族」はそういう映画だった。

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