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2018年8月25日 (土)

人間の運命

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ずっとむかしのことだけど、わたしが見た大戦中のドキュメンタリー映像の中に、戦犯としてトラックで処刑場に運ばれるふたりの日本軍兵士のものがあった。
大勢の中国人の怒声の中を、ふたりが胸をはって毅然とした態度でいるのが印象的だった。

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その後、このふたりのことは忘れていたけど、つい最近になって彼らの名前がわかった。
このふたりは中国侵略の責任をとらされて、上海の軍事裁判所で死刑の判決をいいわたされた米村春喜憲兵隊長と、下田次郎憲兵軍曹である。
風貌が性格をあらわすものなら、このふたりは現代の日本の政治家なんぞよりは、よっぽど職務に厳格で気骨ある人間に見える。

ところで憲兵隊というのはなにをするところなのか。
これは軍隊内部の警察の役割を担うもので、戦争を立案したり、その遂行に責任を持つものではなく、情報収集、要人警護、敵対する抗日分子を取り締まったり、兵士の規律の乱れを正したりするのが本来の仕事だ。
彼らはほんとうに死刑に値する犯罪行為をしたのだろうか。
もちろん憲兵隊が止めなかったから、南京虐殺のようなことが起こったという理屈も成り立つけど、彼らは、たとえば南京でも最前線にいたわけではない。
虐殺があったとしても、ふたりがそれを止められる場所にいたとは思えないのである。

わたしは知らないんだけど、憲兵という職務は、戦犯の裁判をするさい、罪の軽重にどのくらい影響したのだろうか。
戦犯のなかに憲兵の割合はどのくらいあったのだろう。
戦争を指導した軍人や政治家はさておいて、もっと末端で女性をレイプしたとか、なぐさみで一般市民を虐殺した兵士もたしかにいただろうけど、そんなひとりひとりの兵士の罪まで問うていたらきりがない。
しかし、あれだけの戦争を引き起こしたのだから、だれかがスケイブゴートにならなければ収まらない。
ふたりはそのために選ばれたということはなかったのだろうか。

この先はわたしの想像だけど、裁判でいくら抗弁したって、けっきょくだれかが死ななければ収まらないなら、日本を代表して責任をとろうと、ふたりは覚悟を決めたのではないか。
日本の軍人として、大勢の中国民衆のまえで、みっともない態度だけは見せないようにしよう。
これがふたりの毅然とした態度にあらわれているように思う。

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もういちどふたりの風貌をながめてみよう。
米村憲兵隊長のほうが年上で、すでに相応に人生の山河を越えてきて、まあ仕方がないな、責任をとりましょというゆとりが感じられるのに対し、下田軍曹のほうはまだ若く、死を覚悟するまえにいろいろかっとうがあったんじゃないかと想像できる。
こんな対照的なふたりに加え、時代背景や家族のこと、ふたりを処刑するにしのびないと苦悶する中国側の将校や、ずるがしこくたちまわった他の戦犯などをからませれば、いい小説や映画のネタになるのに、まだだれもやってないなんて。

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