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2018年9月29日 (土)

ライフ・イズ・ミラクル

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「パルタザールどこへ行く」に続いて、もうひとつ、ロバが主要な役割をになう映画を紹介しよう。
だいぶむかしにテレビから録画した 「ライフ・イズ・ミラクル」 という映画。
わたしが録画したものでさえ 154分もある長尺モノだけど、これは部分的にカットされた短縮版で、ネットで見つけたオリジナル版は 270分(4時間半)近くある大作だった。

オリジナル版には字幕がついてないばかりか、セリフはすべてセルビア語?、つまりキリル文字を使う言語だから、さっぱり意味がわからない。
しかし短縮版とはいえ、わたしはすでに字幕つきのほうを見たあとだから、ストーリーはわかる。
というわけでこの両者を比較しながら、わたしの感想を書いてみよう。

これは 2004年のセルビア映画で、あの悪名高きボスニア紛争が終結して10年ほどあとに、その紛争を主題にして、その当事国で作られた映画である。
あらすじをひとことでいうと、戦争のさなかに知り合った男と女の、恋と別れの物語。
なんてことを書いたら、めちゃくちゃ湿っぽい映画と思われてしまいそう。
とんでもない、これは深刻な内容をユーモアでくるんだ、わたしの理想といっていいスタイルの映画だった。

まだクマやオオカミが出るようなボスニアの農村に、セルビア人の鉄道技師が、オペラ歌手の女房と、サッカー選手の息子の3人で暮らしている。
でっかい息子がいるわりには、この鉄道技師は、まだまだ中年になった西城秀樹か草刈正雄みたいで若々しい。
そして彼らをとりかこむイヌ、ネコ、ウマ、ヒツジ、ニワトリ、ガチョウなどのペットや家畜が、自然なままに演技していて楽しい。
中でも秀逸なのが、失恋して自殺願望を持ってしまったロバだ。
彼は轢死しようとして、しょっちゅう線路に立ちつくし、そのたびに列車をストップさせて人間を困らせる。

この映画を観て、わたしはまっ先にフェデリコ・フェリーニの 「アマルコルド」 を思い出した。
アマルコルドはフェリーニ監督の幼いころの思い出を映画化したものだそうだけど、さまざまな事件をユーモアとペーソスをまじえ、牧歌的ともいえる映像でつづったものである。
牧歌的というと、美しい田園地帯でのんびりと思う人がいるかもしれないけど、「ライフ・イズ・ミラクル」 の中には、サッカー場の大乱闘や、式典でのわい雑などんちゃん騒ぎもある。
これらも含めて牧歌的と、わたしはいうのである。
そういえばサッカー場でキーパーにおしっこをかけるなんていたずらは、アマルコルドにも似たような場面があったよな。

ネット上にこの映画の感想・批評があるけど、大半は短縮版を観たあとのものらしい。
4時間半の映画を2時間半に短縮したのだから、カットされた部分にも重要な場面がたくさん含まれているので残念だ。
たとえば軍隊に行く鉄道技師の息子の壮行会に、太った双子の兄弟が出てくるけど、彼らが何者なのかということは、短縮版を観ただけではわからない。
フェリーニの映画には唐突にサーカスの芸人が登場したりするから、そういうものかと思っていた。
この兄弟のことはカットされたシーンを見るとわかるのである。

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このほかにも、オリジナルからカットされた部分は多い。
まず新しいトンネルが開通して、その中を主人公夫婦と市長夫婦が、足こぎ式の軌道車で走りぞめをするシーン。
このシーンは、映画の予告編や、宣伝用のスチール写真に使われるくらい有名なのに、短縮版ではそのほとんどがカットされていた。

続いて新型機関車のお披露目式における列車内のどんちゃん騒ぎ。
登場人物のほとんど全員が参加したこの式典は、オーケストラも乗り込んでミュージカル仕立てになっており、本筋には関係なくとも、まちがいなくこの映画のハイライトのひとつである。
理性と欲望がうずまくこのシーン、観終わったあと、しみじみと、おもしろうてやがて悲しき◯◯かなという気分になるのにもったいない。

そのほか出征した鉄道技師の息子が戦場で戦う場面や、奥さんが庭で歌の練習をしているとき、息子の蹴ったサッカーボールの直撃をくらうところや、IT機器に不慣れなヒツジ飼いの女性が衛星アンテナに翻弄されるシーン、市長のふしだらな奥さんがはだかのまま駅で列車を見送るところなど、貴重な場面、抱腹絶倒なシーンが、短縮版ではみんなカットされていた。
このために映画の文学的味わいが、だいぶ抜け落ちたような気さえする。

やがて戦争が始まり、軍隊に行った息子は敵の捕虜になってしまう。
精神的に不安定だった女房はほかの男と駆け落ちしてしまう。
この奥さん、行動が極端でいろいろもめ事を起こすけど、美人だし、おっちょこちょいに描かれていて憎めない人である。

ショックのダブルパンチでしょげている鉄道技師のところへ、息子と交換するために、敵方の若い娘が捕虜として預けられる。
彼女の面倒をみているうちに恋がめばえ、というとずいぶん調子がよすぎるけど、これはそもそもおとなの(男の)ためのおとぎ話である。
若い娘を家に預かるなんて、男なら誰でももっているひそかな願望ではないか。

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しかし相思相愛になったとはいえ、しょせん娘は交換要員だ。
いつか息子と交換するために別れなければならないことはわかっていた。
駆け落ちした女房も帰ってきた、息子も無事に取り返した。
おとぎ話の世界から、たちまち現実にひきもどされてしまう。
恋があまりに甘美であったがゆえに、傷心の鉄道技師は発作的に線路に身を横たえる。
しかし間一髪のところで列車を止めたのは、そう、あの自殺願望のロバだった。

というのがこの映画のオチなんだけど、どうせ日本人のなかには、ふざけた映画だという人が多いんだろうな。
わたしにいわせれば、爆発でふっとんでも絶対に死なない「M:I」のトム・クルーズのほうがよっぽどふざけてるけど。

不幸な結末でありながら、見終わったあとほのぼのとした幸福感を感じる映画、「ライフ・イズ・ミラクル」も、やはり生きているうちに観られてよかった映画だった(ついでにニーノ・ロータを思わせるテーマ・ミュージックも聴けてよかった)。
このネタの最後がちょっと駆け足になったのは、ブログに載せるために5ページ分の原稿を3ページに短縮したせいである。
わたしがカットした部分は、特に意味があるわけではないから詮索は無用だ。

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