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2018年9月18日 (火)

緑の光線

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たまには新しい映画だって観るぞというわけで、4、5日まえに録画しておいた「緑の光線」という映画の感想。
出てくる女の子たちの服装や水着がいま風なので、新しい映画だろうと思ったけど、調べてみたら1985年の公開だったから、もう30年以上もまえの映画だ。
映画には詳しいつもりのわたしがぜんぜん知らなかったフランス映画である。

最初に早送りでざっとながめたら、アスリートみたいなアメリカとは異なる、もっと女らしいきれいな女優さんの水着シーンがあったので、ついつい最後まで観てしまった。
以前に観た「ストレンジャー・ザン・パラダイス」みたいな脱力系の映画だった。
ぽわんとした娘がバカンスを利用して、シェルブールまで海水浴に行くんだけど、べつに刺激的な事件が起こるわけでもなし、ぽわんとしたまま結末を迎えるだけ。
刺激的な映画ばかりの昨今では、そのぬるま湯につかったようなのんびり感がかえって新鮮というやつ。

主演女優はきれいだけど、これにからむ男がどうも頼りないやつらばかりだ。
なんでもほんの少数のスタッフだけで、16ミリカメラで撮影されたゲリラ的な映画だというから、予算をケチって、そのへんの素人に出てもらったんじゃないか。
でも予算をかけるばかりが映画じゃない。
ゴダールだって低予算でいい映画を作ってるし、そういうことでは伝統のあるフランスだ。
そういえば登場人物のさして重要ではない会話や、カレンダーで日にちの推移を表現するところなど、ゴダール的風景が随所にあらわれるのは、この監督もヌーベル・バーグの申し子である証拠なんだろう。

さて、映画のヒロインのこと。
きれいな娘だけど、なぜかひとり旅である。
どうも理屈が先に立っちゃう娘のようで、友人たちと食事をしても、あたしってベジタリアンなのと、食事に水を差すようなことを平気でいってしまう。
アヴァンチュールに興味がないわけじゃないんだけど、いざとなるとなかなか踏ん切れない。
海辺でおっぱい丸出しのスウェーデン娘と出会って、もっと自由に生きなくちゃなどとはっぱをかけられても、やはり煮え切らない態度。
いるねえ、こういうタイプ。
このへんは、ひとり旅を愛するわたしにも理解できる部分がある。

ひとり旅って優雅であるけど、倦怠や疎外感におそわれることもしょっちゅうあるのだ。
素敵な女の子との出会いでもないかと期待して、やたらにあちこち彷徨してみても、現実にはなかなかそういうことはない。
ましてニートの傾向があるし、わたしって。
そんな個人的なことはどうでもいいけど、なにも起こらないってのがおおかたの女性の現実だろうし、監督が描きたかったのは、こういうありふれた女性を通して、現代の孤独を追求することだったのかもしれない。
でも工夫もスリルもあるわけじゃない。
女優さんがアメリカ型で、厚着をした冬のニューヨークが舞台だったら、とても観たいと思う映画じゃないね。

いちゃもん大好き人間のわたしにいわせると、ちと気になる点も。
このヒロインは旅に出るまえに彼氏にふられたらしい。
でも電話での会話や、バカンス先で彼氏の別荘を貸してくれなどと頼んでいるところをみると、それまではけっこう親密な関係だったようである。
つまり彼女がすでに男を知っているとしたら、旅先での行動があまりにも潔癖すぎるのだ。
シナリオ的には、彼女を文学好きで、おくての女子大生にでもしたほうがよかったと思う。

ついに失望したまま彼女はパリに帰ることになる。
ところが駅で話しかけてきた男に、これが最後のチャンスというわけなのか、誘われるままにふたりで夕日を見に行くことにする。
で、ベッドインかと思うと、そういうシーンはぜんぜんなくて、夕日を眺めるだけで映画は終わり。
沈む夕日のなかに緑色の光が見えれば幸福になれるという言い伝えがあるそうで、これが映画のタイトルでもあるんだけど、彼女はじっさいにそれを見るから、このあとふたりは(たぶん)ホテルにもう一泊してシアワセになったんだろうなって、つまらない妄想をかきたてられるのは、わたしが下品すぎるのか。
ファッショナブルでロマンチックな映画だと信じている人たちには、すみません。

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