またまた法廷劇
法廷劇の3弾だ。
録画するまえは、まさか法廷劇だとは思ってなかったんだけど、意外だったその映画のタイトルは 「ゾラの生涯」。
ゾラというのはフランスの文豪エミール・ゾラのことで、印象派の絵画と同時代を生きた人だから、ゴッホやゴーギャンと同じくらい古い人である。
映画も負けずおとらず古くて、戦前の1937年製だ (それでももうサイレントではないぞ)。
作家の生涯なんていうと、もう焼き冷ましの餅みたいに硬そうなイメージだけど、なんでそんなものを録画しようという気になったのか。
じつは主人公を演じているのが、ギャング映画の名作 「暗黒街の顔役」 で、主役をつとめたポール・ム二という人なのだ。
この人が生きているうちに、一度もこの人の映画を観たことがなかったくせに、わたしは彼のファンなのである。
作品ではなく、それを書いた作家の映画だから、もちろんぜんぜんおもしろそうではない。
でも観てみたら、まずのっけから若いころのゾラが、どこかひょうきんな若者として描かれ、全体に軽いユーモアがあって、予想とは違っていた。
雨の中、彼がボロ傘をさして出版社に前借りに行くとちゅう、傘売りから新しい傘をすすめられると、古い友人と別れろっていうのかと、断るセリフがおもしろい。
このほか、画家のセザンヌとぼろアパートに同居していて、まだ未完の大器であるふたりのやりとりも興味深い。
まだ国民健康保険も失業保険もない時代だ。
売れない作家だったゾラが、セーヌに入水する娼婦や、落盤事故に遭う炭鉱労働者の悲惨な境遇を目の当たりにして、しだいに社会主義にめざめていくようすが要領よく語られる。
やがて彼は 「ナナ」 という、娼婦を描いた小説でベストセラー作家になるのである。
映画はゾラの生涯ということになっているけど、大部分を占めるのは、当時フランスをゆるがした、ドレフュス事件という冤罪事件の裁判がメインだ。
これは隊内にスパイをかかえたフランス軍が、その不名誉を隠匿しようと、ドレフュスという軍人に罪をかぶせた事件のことである。
作家のゾラは被告の無実を立証しようと、これは本当にあった話。
それにしてもこの映画のフランス軍の姑息なこと。
大戦中の日本軍の悪口ばかりいう人もいるけど、組織が大事、組織を守るためならインチキもでっちあげもアリだなんて、軍隊の本質なんて、どこの国でも変わらないじゃん。
まえに書いた 「私は死にたくない」 のように、この映画の裁判長も、ゾラ側の証人や証拠はかたっぱしから却下して、一方的にフランス軍の肩をもつ。
しかしこちらはもともと、裁判所が軍と結託してゾラの訴えを却下しようとした、不条理な社会情勢を描いているのだから、映画がわるいわけではない。
そういうわけで法廷シーンもなかなかおもしろいんだけど、ただ、なにぶんにも古い映画だから欠点もある。
軍の密命を受けたほんの数人のために群衆が扇動されたり、逆に英国に亡命したゾラの記事で、こんどは反対方向に扇動される民衆を見ていると、現代のアメリカを見るよう。
陸軍大臣が代わって、隠匿を続けた軍隊が処断されるあたりの事情がはしょってあって、これじゃまるで中・高校生むけの伝記映画ではないかと思える部分もある。
そんなわけで傑作なのかそうでないのか、わたしにはにわかに判断のできない映画なんだけど、この映画はこの年のアカデミー賞を総なめにしているから、おそらく傑作なんだろう。
すばらしいと思ったのは、主役のP・ムニの演技で、裁判のとちゅうで自分の意見をとうとうと述べるあたりでは、もう完全に文豪になりきっており、ギャング・スターのイメージはさらさらない。
マシンガンをぶっ放していたときはスリムでイケメンだったのに、この映画では開高健さんみたいな、ずんぐりむっくりの老作家になっていた。
全体に軽いユーモアを感じるというのは、このどこか憎めない文豪の演技によるところ大だ。
ムニはおなじ年にパール・バックの 「大地」 の映画化でも主役をつとめているから、ギャングと中国の農民と文豪という、まったく異なるタイプの人間を演じわけたことになる(写真)。
ほんと、名優といっていい人なのだ。
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