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2018年11月

2018年11月30日 (金)

ミステリー

宮さまの発言が1面トップ(ウチの新聞だからあまり信用されても困るけど)で、世間を震撼とさせている。
つまり皇室のお祭りに国費を使うのが妥当かという問題提起だ。
よくぞいってくれたという人もいれば、そのくらい仕方がないんじゃないかという人もいるだろう。
新聞ではでっかい扱いだけど、3、4日後には消えてどこへ行ったのという事件になることはまちがいがないから、そのまえにミステリー・ファンであるわたしは、このニュースの裏を想像してしばし好奇心を満足させることにする。

最初に思ったのは、日本でも北朝鮮のような王位継承問題が勃発したのではないかということ。
病気がちな嫁さんを抱えた兄貴にトップの座は任せられないというので、弟が権力奪取に動き出したのではないか。
今回の発言も皇室に前例のない、いわゆる人気とりのためのパフォーマンスではないか。

いやいや、そうではあるまい。
どこの世界に、こんなたてまえやしきたりにばかり縛られた、不自由なトップになりたがるやつがいるだろう。
これは発言しにくい兄貴の立場をおもんばかって、弟が代わりに発言するという、兄弟しめしあわせてのやらせに決まっている。

いや、ぜんぜんそうではないかもしれない。
弟の家では娘の結婚話がこじれて、女性週刊誌のかっこうのエサだ。
うるさくて仕様がないから、べつの方向に話をそらそう。
という宮さまのカモフラージュ作戦かもしれない。
もちろん弟思いの兄貴も納得の上だ。

どれが正解かわからんけど、このくらい想像を働かせられれば、キミもミステリー・ファンの末席に連なる資格がある。
聞く耳をもたないといわれた長官さんには気のドクだけど、ふだんの役人然とした行いが、こういうときに災害をもたらすのだ。
同情はしませんよ、そっち方面には。

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2018年11月29日 (木)

伊良湖岬/伊勢神宮

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不承不承みんなにくっついていった伊勢神宮だけど、参道まで行ってちょっと奇妙な感じがした。
20年まえに来たはずだけど、あたりの景色に見覚えがない。
参道の両側には古風な造りのみやげもの家やレストランが軒を接しているのに、以前にはそんなものはなかった。
おかしいじゃないかと、帰宅してから調べてみた。

20年まえに来たときは串本に行くつもりが、急遽予定を変更して、たまたまバスを降りたら目の前に見えた伊勢神宮に飛び込んだんだけど、同じお伊勢様でもこれは外宮のほうで、今回わたしたちが参拝したのは本宮だったのだ。
徒然草の “すこしのことにも先達はあらまほしきことなり” を地でゆくわたしのうかつさだ。
でもまあ、生きているうちに真相がわかってよかったと、負けおしみをいっておく。

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参道に参拝者は多かった。
人間ぎらいの当方としては、まず人混みにへきえきしてしまう。
こんなところで家内安全、無病息災を祈ったり、宝くじが当たるようにと念じたって、競争相手も多いのだ。
わたしみたいなバチ当たりは、ご利益の優先順位もずっと後ろのほうに決まっているし、この歳までとくに不満のない人生をおくってきた人間に、いまさらなにを祈願しろというのか。

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それでもなんとか本殿までやってきた。
ここで伊勢神宮についてなにか書かなくてはならない。
しかし外宮が本宮であっても、興味がないのはいっしょだから書きようがない。
そもそも伊勢神宮が日本の神社の総元締めだなんてことも、帰宅してから初めて知ったのだ。
おまえはそれでも日本人かといわれてしまいそう。
仕方がない。
興味のないことには徹底的に興味がないのがわたしの性分なのだ。
ヘビだとかトカゲ、カエル、魚、昆虫なんかには興味があるんだけどね。

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だからまた参道の写真をならべてごまかす。
参道ではなく、肝心の伊勢神宮の本殿の写真はないのかとお怒りのアナタ。
本殿は撮影禁止だし、雨がぱらついていて、とてもそんな余裕はなかったんだよ。
こんな無気力でアホらしい旅の記事はさっさと終えて、ほかに書きたいこともあるし。

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2018年11月28日 (水)

オウムアムア

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手遅れの見本のような出来事。
今日の夕刊に地球の近くを通り過ぎた「オウムアムア」という天体についての記事。
これがエイリアンの観測船じゃなかったかと、いまごろ騒いでいる。
なんでも太陽の重力だけでは説明できないくらい速かったとか、だから太陽光の圧力ですすむソーラーセイルを使った宇宙船だったんじゃないかという説があるらしい。
そんなこと、いまごろいったって手遅れだ。
だからいったでしょう。
このブログにも書いたけど、紐でひっぱってきて、月といっしょに地球を周回させておけば、あとで好きなときにじっくり調べられたものを。

日本でも小惑星探査機なんか打ち上げて、表面のちっぽけな砂つぶを拾ったのどうのと喜んでいるけど、ときどき向こうから地球の近くまでやってくるものがあるんだから、そういう場合に備えて、つねに探査機の二つや三つは用意しておくべきだ。

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2018年11月27日 (火)

移民問題

いやあ、ひどいもんだねえ、困ったもんだねえ。
アメリカの国境に押し寄せる移民の群れ。
テレピで観ていると、みんなで渡ればコワくないって感じで、旗なんか押し立てて、テレビ中継も入って、なんだかピクニックののりだけど、これに対してトランプさんは催涙ガス弾をぶっ放せえだそうだ。

アメリカは移民の国だからということで、かりにここでアメリカが、来るものはこばまずなんて態度を見せたらどうなるだろう。
なんせ南米とは地つづきだ。
それじゃあボクもアタシもって、みんながみんな移民になって、南米なんてからっぽになってしまうんではないか。
やっばりダメよと、ヒラリーさんの手のひら返しも納得せざるを得ない。

いまや移民は世界共通の問題だ。
今日のウチの新聞の国際面では、欧州のそれが記事になっていて、そのおしまいのほうにトルコの苦悩が。
トルコが公式に移民を統合する政策をとれば、難民の定住にはずみがついてしまうジレンマとある。
平和で豊かな国が移民を受け入れる政策をとれば、平和でない国の国民はみんな引っ越してきてしまうということだ。
それを考えると、自国民をかこって、一歩も外に出さない北朝鮮は見上げたもんだ。

いや、正恩クンのことはどうでもよくて、わたしがいいたいのは日本政府の頭のいいこと。
移民をいったいどうしようってのかと迫る野党に、まあそのへんはナアナアでありましてと、はっきりした見解を出さない。
そのくせ移民はひそかに増えているのだ。
来てしまったものはやむを得ないけど、おおっぴらには受け入れないという狡猾さ。
移民が作った国だという歴史的事実にしばられて、この手が使えないアメリカがほんとうに気のドクだ。
ここはやっぱり催涙ガス弾しかないのだろうか。

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2018年11月26日 (月)

伊良湖岬/フェリー

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伊良湖岬に見るところが少ないことを知った旅行の幹事が、ある考えを提案した。
2日目はフェリーに乗って紀伊半島へ押し渡り、伊勢神宮に参拝して行こうという。
余計なことを思いつきやがってと、わたしはひそかに舌打ちをする。

じつは伊良湖岬に先立つこと数週間まえに、わたしが所属する団体の支部旅行があって、わたしも誘われたんだけど、目的地が伊勢神宮と聞いて、興味がないから行きませんとことわったばかりなのだ。
興味がないところへ、ひょんないきさつから連れていかれることになっちゃったわけ。
わたしみたいな無神論者がうっかり行って、祟られなけりゃいいが。

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わたしは伊勢神宮に行ったことがある。
それはいまからもう20年ちかく前のことだ。
会社の同僚とふたりで、紀伊半島の先端にある串本へ行ってみようと、池袋から伊勢行きの高速バスに乗ったのである。
ところが伊勢に着いてみると、そこから串本まで予想以上に距離があって、同僚は路銀が足りないといいだした。
仕方がないですね、それじゃ目的地を変更しましょうということになり、わたしたちは志摩湾にある賢島というところへ行くことにした。

すると時間があまったので、そのときついでに伊勢神宮を見ていくことにしたのである。
なんだかすごくつまらなかったという記憶しかない。
しかしみんなが行くというのを止めるほど、わたしはヘソ曲がりじゃない。
いや、しょっちゅう会っている仲間ならそのくらいのことはいいかねないけど、たまにしか会わない連中にそんな文句をいっても仕方がない。

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そういうわけで、2日目は朝からみんなで車ごとフェリーに乗り込んだ。
伊良湖岬から紀伊半島の伊勢志摩まで、地図を見てもらえばわかるけど、東京湾の久里浜〜木更津と同じていどの距離で、時間はおよそ50分。

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このフェリーには階上に展望デッキつきの特別席があって、通常の料金に330円をプラスするとそちらに座ることができる。
メンバーのなかのいちばん若手が、先輩をさしおいて、ボクそっちに乗りますという。
わたしも負けずに展望デッキのチケットを買ったけど、せっかくの展望が、窓ガラスが汚れていて写真を撮るのに不都合なので、すぐに吹きっさらしの甲板に降りてしまった。

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伊勢参りはともかく、フェリーに乗るのは楽しい。
わたしはかっての海上自衛官なので、船の上から海をながめていると、なつかしい思い出がよみがえってくる。
たまたま若手のひとりがそこにいたから、わたしはむかし海上自衛隊にいてね、よく艦橋見張りに立たされたもんさなどと話す。
春の暖かな日であれば、それはわたしにとって天国みたいな場所だったけど、あいにくこの日は、見張りに立つにはちょっと風の冷たすぎる日だった。

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2018年11月25日 (日)

伊良湖岬/最近の傾向

この晩の部屋割りは喫煙者と非喫煙者でふたつに別れ、夕食をすませたあとの飲み会は喫煙者の部屋ですることになった。
喫煙者と呑んべえはたいていそれ以外の人間に迷惑をかけることになっているから、部屋を分けるのは当然のことだけど、それでわかったのはメンバーの中にタバコを吸わない人間が4人いること。
わたしもそのひとりで、わたしの肺は生まれたときのまま、ニコチンのニの字も知らないのである。

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わたしがこの山登りクラブに熱心に参加していたのは過去の話で、もう20年近くもまえに職場が変わったから、最近では納会や飲み会に誘われたとき以外は、ほとんどメンバーとの交流がない。
今回の参加者のうち、古参メンバー2人はよく知っているけど、若手の4人については、わたしが職場を変わったあとに参加した者ばかりだから、その私生活についてはろくに知らない。
若手といっても、ひとりだけ20代後半がいるだけで、あとは40代ばかりだ。

若手のほうもわたしの私生活はよく知らないはずだから、飲んでいるときいってみた。
肩身がせまいねえ、この中に結婚してないのはわたしだけかい。
すると、えっ、先輩は独身なんですかとおどろきの声。
続いて若手全員が、わたしらもみんな独り者ですという。
そんなことはないだろう。
彼らのうちの、すくなくともひとりには奥さんがいることを知っていた。
逃げられたんだよと古参メンバーのひとりがいう。
やれやれ。

奥さんがいるはずの男がそんなありさまじゃ、若手の全員が独り者というのは本当かもしれない。
ことわっておくけど、彼らのなかにとくべつ容姿がわるいとか、どこか体に異常がある者はひとりもいない。
平均以上のイケメンもいるし、本人にその気があればふつうに結婚できないわけのない男ばかりだ。
世間の女はなにをしてるのかといいたくなってしまう。

これが最近の風潮というやつか。
この若手らは、いい相手がいれば結婚したくないわけでもないけど、そうでなければ積極的に結婚したくないという、最近の煮え切らない風潮に染まっているらしい。
いいトシこいて独身という男女が世間に増えているのは事実で、最近も3人家族のひとりが焼死という火災のニュースがあったけど、死んだのは両親といっしょに住んでいた40歳の息子だった。

いろいろ考えてみる。
若いうちならどうしたって若さゆえの衝動に負けて、女の魔手にからめとられるということも考えられる。
しかしうちの若手らはそこまで若くないし、すでに危険な年齢を通過している。
ずるずるだらだらと、彼らがわたしと同じ運命をたどるのはまちがいないんじゃないか。

そんな若手のひとりがわたしに、ロシアに行ってきたんですってねと聞く。
どうやらわたしは彼らの輝くヒーローになっているらしい。
わたしのことを、独身主義をつらぬいて、海外を飛び歩く、知的で活動的な男と思っているようだ。
ぜんぜんそんなことはないんだけど、わたしの存在が彼らを勇気づけているとしたら罪つくりな話だ。

日本の未来を案じつつ、酔っぱらったわたしは自分の部屋に帰ってさっさと寝た。

今回の記事は旅の報告だけど写真がない。
部屋で浴衣を着てだらしなく飲んでいる写真ならあるけど、そんなものを載せても仕様がない。

ということで写真は貼らないつもりだったけど、その後気が変わった。
ただしここに載せたのは昔の写真で、1998年の上高地・徳澤園。
まだまだメンバー全員が若かったころだけど、わたしはシャッター押し係なので、写っておりません。

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2018年11月24日 (土)

孤独

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いま井の頭公園をひとり散策しているとこ。
知り合いを誘ったら、用事があると断られた。
おかげで今日はマイペースで歩けて、息も切れない。

こんなことを書くと、またあいつは孤独に苦しんでいるんじゃないかとウワサする手合がいるだろう。
そういうキミもたまにはひとりで散策すべきだ。
孤独がすばらしいものであることを実感するだろう、とくに今日のような晩秋の日には。

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伊良湖岬/灯台への道

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今回はもともと山登りクラブの納会ということだから、やっぱり散策ぐらいはしなくちゃまずいだろうと、宿に着いたあと、全員で伊良湖岬灯台を見物に行くことにした。
半島の先にあるフェリー乗り場の駐車場に車を放り込み、目のまえにある樹木の繁茂した小山にとりつく。
山頂に大きな塔のある建物が見えるけど、それがどうやら灯台らしい。
そこまでお粗末な舗装道路が続いている。

道ばたに黄色い花が咲いていた。
アレなんですかと若手のメンバーのひとりが訊く。
ツワブキだよとわたしは答える。
そのくらいはわかるのである。
その先にまた黄色い花が咲いている。
こちらは名前がわからない。
スマホでググれよとわたし。
植物にせよ、魚、昆虫にせよ、もはや分厚い本形式の図鑑なんて要らない世界を生きているのだ、わたしたちって。

山頂の大きな塔の直下まで来た。
先に着いたメンバーが、これは伊勢湾海洋交通センターという施設ですよ、灯台じゃありませんという。
塔の側面には羽根をひろげた鳥(じつは後述するサシバだけど、うかつなわたしは気がつかなかった)の絵が刻まれていて、お子様向きの楽しそうな施設に見えるけど、どっちにしてもこの時間には門が閉まっていて入れなかった。
そういえば写真で見た伊良湖岬灯台は、山の上ではなく波打ちぎわあったっけ。

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ぼやきながらみんなでまた山を下り、とちゅうにあった標識にしたがって海岸に出た。
岬のとったんを一周するように遊歩道ができていて、灯台はその途中にあった。
ごろた石の波打ちぎわにある無人灯台で、ふきんに芭蕉の句碑などがあり、観光客の数は多い。
でもそれっきりで、とくに目的のないわたしたちにはやることがない。

なんでこんなところへ来たのかと聞いてみたら、伊良湖岬というのはサシバの渡りで有名なんだそうだ。
サシバというのは小型の猛禽類で、冬になるまえに集団で南方へ移動することが知られており、伊良湖岬はその通過コースなのである。
それなら自称ナチュラリストのわたしの領分ではないか。
もうすこし早くいってくれれば、双眼鏡でも持参したものを。

あれサシバじゃありませんかというだれかの声に上空を見上げると、黒い鳥がたった一羽だけひょろひょろと高いところを旋回していた。
べつに南の方へ急ぐようすもなかったから、カラスかトンビのようだった。
わたしはホタルイカの身投げを見にいって、みごとに空振りに終わった2年前の富山行きを思い出した。
自然観察というのは運まかせになる場合が多いものだ。

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このあとは恋路ケ浜という、おじさんたちには縁のなくなった名前の海水浴場をだらしなくながめて宿にもどった。

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2018年11月23日 (金)

王様

録画しておいた映画「王様と私」を観た。
いまどきの若いもんには渡辺謙のほうが知られているかもしれないけど、元祖スキンヘッドのユル・ブリンナーが主演しているアレである。

この中にシャム(現在のタイ)の王室が出てくる。
主役の王様のモデルになったのはラーマ四世というから、現在のタイの国王のなん世代かまえの人だ。
映画は進歩した白人社会と、遅れたアジア人社会の出会いという白人目線で描かれていて、そういうところは気に入らないけど、感心したのはこのラーマ四世がひじょうに開明的で、英国から家庭教師を雇って新しい知識を得ようとすることだ。
じっさいにラーマ四世という人はそういう人だったらしい。

これを観てしみじみ考える。
戦前の植民地主義の時代、タイは日本とともに、欧米列強の植民地支配をまぬがれた数少ないアジアの国だった。
理由を考えれば、やっぱり指導者の、欧米から謙虚に学ぼうという姿勢のせいじゃなかったろうか。
明治維新のあとの日本がそうだったのだ。

ひるがえって考えるのは、じつは本当にいいたいのはこっちのほうなんだけど、儒教の国の中国や韓国では外国に学ぼうという意欲に欠けていた。
それでも最近の中国はまだいいほうだ。
中国人というのはもともと自分の政府というものを信じない。
反日教育を受けた世代でも、じっさいに日本人のよさを目の当たりにすれば、自分の国の教育のほうに疑問を持つという柔軟さがある。
コピー商品ばかりじゃねえかとバカにする人もいるけど、かっての日本も欧米からそう非難されていた時代があることを忘れちゃいけない。
これは途上国から先進国への発展のとちゅうに、かならず起こる歴史的事実と思ったほうがいい。

問題は公平客観的な教育を無視して、ただもう反日しか教えようとしない韓国の行き方だ。
「王様と私」のなかにラーマ四世が、欧米列強の植民地主義からシャムを守るにはどうすればいいかと悩むシーンがある。
これを観てわかるとおり、この時代に植民地主義を実践したのは日本だけじゃなかった。
それなのに、どうしていつまでも日本だけを目のかたきにするのか。
という質問に、慰安婦像のまえで反日デモをする韓国の若者のうち、どれだけが論理的に答えられるだろう。

いちおう先進国の体裁はととのえているけど、これじゃ韓国は本質的にタイよりも劣る国じゃないか。
もうすこし長い目でみれば、日本に見放された韓国が、遅れたアジアの途上国に回帰し、そしてどこかの国の植民地におちぶれるのも時間の問題のように思えてしまう。

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2018年11月22日 (木)

伊良湖岬/悲劇的な話

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今回の伊良湖岬行きは8人乗りのレンタカーで、参加者は7人、最年長はまもなく80歳に手のとどくSさんだ。
わたしともうひとりが前期高齢者で、あとの4人は若手である。
これだけ若手がいると、年寄りは運転をしないですむからありがたい。

ただ運ばれるだけだから、どこをどう走っているのかサッパリだけど、東名に乗ったのはまちがいないから、下りたのはおそらく豊川インターだろう。
沿線に車の販売店や郊外型レストランのならぶゴテゴテした市街地をぬけると、どこか漁村のにおいのするおだやかな農村風景がひろがった。
からっとした温暖な土地という予想は的中したようで、渥美半島も先端ちかくまで行くと、なんだか沖縄に似た雰囲気すらある。
しかし伊良湖岬が近づいてきたころ、車のなかでちょっとショッキングな事件が。

車中で最年長のSさんが、オレくらいの年になると免許証の更新時に認知症テストをやらされるよといいだした。
へえ、どんなことをするんですかと訊くと、たいしたことじゃないけどね、たとえば、今日は何日だっけと、これはわたしへの質問。
いきなり聞かれたのでわたしは面食らった。
ええ? 17日でしょと答えると、それみろという。
この日は18日だった。
間髪をいれず、何曜日だっけと質問が続く。
月曜日でしょうと答えると、日曜日だよとの返事。
オイオイ。

最近のわたしはマンネリぎみの、メリハリのない毎日を過ごしてますからね、日にちがわからなくなるなんてしょっちゅうですよと弁解しておいたけど、さすがにわたしも不安になってきた。
いずれも冷静に考えればかんたんにわかる質問だと思うけど、聞かれてとっさに即答できないなんて、これが認知症というものかもしれない。
本人はぜんぜんそうだとは思ってないんだけど、自分で意識できないところが認知症の認知症たる所以かも。

自殺した友人の顔がちらついてきた。
認知症ではなく初期の脳梗塞だったけど、それだけで人生を放り投げ、奥多摩で投身自殺をした友人は、まさにこの日のメンバー、つまり山登りクラブの仲間の一人だったのである。
ひとり者のわたしも、認知症になったら、いや、なるまえに身の振り方を考えなければいけないのである。

そんな憂鬱な気分も、宿に着くころにはなんとか消え失せた。
あらかじめストリートビューで調べておいたとおり、ほんとうにまわりに何もない、畑のなかの一軒家といった宿だった。
添付した画像は宿のまわりの、これはセロリの畑。

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2018年11月21日 (水)

自己責任論

いま伊良湖岬へ行ってるあいだ止めておいた新聞のまとめ読みをしている。
留守中にあったいちばん大きな事件は、日産のゴーンさんの逮捕だけど、それについてはもうブログに書いた。
ただそれとはべつに感心したのは、自動車業界はしょっちゅう不景気だ、赤字だ、競争が激しくて大変だなんていってるくせに、会長に数十億円を払い、海外に別荘まで造ってやるほど儲かるのかということ。
そのぶん車を値下げすれば、そっちのほうが売り上げ向上によっぽど効果があったんじゃあないか。
ま、資本主義には貧乏人のうかがい知れぬカラクリがあるんだろうね。

20日のオピニオン面に「冷たい自己責任論」という記事があって、3人の識者がなんかいっている。
このうち精神科医さんの意見だけは謹聴に値する。
なんとなれば、わたし自身が意志の強い人間ではないし、努力が足りないからだとつまはじきにされかねない人間だからだ。
こういう部分は日本人全員に考えてほしい問題だ。

あとのふたりの意見については、価値がないとはいわないけど、シリアで解放された安田純平サンを引き合いに出したのはまずかった。
カン違いされちゃ困るんだけど、たとえばわたしだって過去には、世界が見たいという理由で、あちこちをだらしなくさまよったことのある人間である。
途上国では、どこへ行っても日本人とわかると尊敬の目で見られることで、つくづく日本政府の(しばしば軟弱だと責められる)全方位外交に感謝したものだ。

しかるに純平サンの場合、どこでなにに影響されたのか知らんけど、出発のさいに日本政府を、罵詈雑言でボロクソにけなして行った。
そこが問題、というより、そこだけが問題なのである。
おそらく自己責任論をいう人の大半が、彼のこういう部分に眉をひそめたのだろう。
海外で邦人が難に遭った場合、日本政府が救出に全力をあげるのは当然のことで、純平サンの場合も政府はよくやったと思う。
彼の一件だけを取り上げて、個人に責任を押しつけるのは問題だとか、日本社会が冷たいというのは言い過ぎだ。

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2018年11月20日 (火)

日本式

ゴーンさんの逮捕、本人の地元のフランスでも、なんで大金持ちのくせに脱税なんてするんだという疑問の声。
それに対して、金持ちほど強欲なんだよという声も。
たしかにお金持ちは、金持ちになりたいという欲望のために努力をして、その地位に登りつめたんだろうから、もともとそういう人間が多くても不思議じゃない。
家族や子孫のために頑張ったのだというなら、むしろおのおのが欲望を制御したほうが、平和で安定した社会のため、とどのつまりは子孫のためにもなると思うんだけどねえ。

この先、ぎゃくにゴーンさんのほうが日産を訴えるかもしれず、事件がどうなるかぜんぜんわからないけど、この事件をみて思うのは、日本では格差社会に反抗する動きが脈々と続いているのではないかということ。
もの言う株主の村上世彰や、ライブドアのホリエモンが早々につぶされたことなどをみると、そう思いたくなる。
とことんひとり勝ちなんて、日本ではけっして許されることではないのだ。
ゴーンさんはそのへんを読みまちがえた。

だから日本は発展できないのだという人もいる。
アメリカのように人間の欲望を解き放ったほうが、国の発展には役立つという人もいる。
そうだろうか。
日本は人間の欲望を制御したままで、ついこのあいだまで、世界第2位の発展を誇っていたではないか。
米国と同じような格差社会の中国が台頭したいまでも、技術開発や安定した民主主義で、この両者にけっしてひけをとるものではない。
一方にアメリカ型の社会があるなら、その対極に日本のような非格差社会があるのだと、そういう見本として存在感を示してほしいというのがわたしの希望だ。

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2018年11月19日 (月)

ふざけやがって

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先日、わたしの同僚たちは伊勢神宮に行ってきた。
わたしも誘われたけど、興味がないから行きませんと断ってしまった。
今回の伊良湖岬行き、あまり何もないところなのに閉口した幹事が、海の向こうに見える紀伊半島に目をつけた。
伊良湖岬から伊勢志摩までフェリーで50分だ。
それで、伊勢湾を押し渡って、伊勢神宮を参拝するという。

いまぐったりつかれて、東名高速の静岡あたり。
添付画像は伊勢神宮境内のニワトリ(烏骨鶏)。

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2018年11月18日 (日)

伊良湖岬にて

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ただいま伊良湖岬の宿でメシまえの退屈。
伊良湖岬の灯台をひとまわりしてもどったところ。
今夜は食べて飲んで、また夜中に起きて飲むかも。
ということは、今日の更新はこれまで。
写真は伊良湖岬灯台のたそがれ。

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2018年11月17日 (土)

明日から

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松本から帰ってきたばかりだけど、明日からは伊良湖岬というところに行く。
むかしの山登り仲間たちが納会をやるぞと誘ってくれたもので、なんだか年末になって急に旅行づいてきたみたい。

ところで伊良湖岬ってどこにあるのだ。
たしか名古屋のほうじゃなかったっけ、知多半島のとっつきじゃなかったっけというのが、わたしのうろおぼえの知識。
ググッてみたら知多半島てはなく、渥美半島のとっつきだった。
地元の人にはもうしわけないけど、あんまり聞いたことのない半島だ。
わたしの部屋にはBSの「新日本風土記」や「にっぽん水紀行」、「日本百名山」、「トレッキング100」などの紀行番組が、日本各地のデータベースになるほどたまっているのに、渥美半島がテーマの番組はひとつもない。
位置的にはなんとなくカラッとした温暖な地方という感じだけど、あまり見るもののない場所のようである。

添付した画像はストリートビューで眺めたわたしらの宿。
海側に長い砂浜と防災林、反対側に農地ぐらいしかない。
先日、お伊勢参りに行ってきた同僚たちは、コンパニオンをあげて盛大に騒いだみたいだけど、こちらはそういうもののかかわりをいっさい拒絶するような、きわめて健全な宿舎だ。
まあ、じいさんばかりだからなんだっていいけど。
農作業でも手伝ってくるか。

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2018年11月16日 (金)

松本城へ/総括

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可哀想なコイをお腹におさめたあと、今度はネコおばさんの知ってるコーヒー店に寄っていくことにした。
彼女が松本に住んでいるころからあるというから、骨董品的店ではないか。
その店は「まるも」といって、調べてみたら開業が昭和31年だというから、ほんとうにおばさんが娘のころからやっている店だった。
これも松本市の文化的偉業かもしれない。

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店はなわて通りを川の対岸からながめる場所にある。
スターバックスのような今ふうの店ではなく、かわいい娘が注文を取りにきて、できたコーヒーをテーブルに持ってきてくれるレトロな店だった。
もちろんわたしはこういう店のほうが好き。
客は年配者が多く、壁ぎわに民芸品や、針つきのレコードプレーヤー、クラシックレコードのジャケットなどが飾ってあって、むかしの名曲喫茶的雰囲気。
おとなしくコーヒーを飲みながら、今回の旅の総括をする。

松本市のまわりは日本アルプスを始めとした、日本でも有数の景勝地なので、見物したのが松本城と旧開智学校だけではもったいないという人がいるかも。
じつはわたしも出発まえに、美術館でものぞいてみるかと考えたことはある。
ところが松本市の美術館の展示作品は、この街出身の草間彌生がメインであると知って、いっぺんで見学する気が失せた。
彼女の作品はわたしの趣味じゃないもんでとネコおばさんに説明する。
駅のちかくで赤い水玉模様のバスを見かけて、へえ、さすがと思ったものの、わたしの彌生サンの興味はそのていど。

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松本市内では、あちこちでなまこ壁を見た。
なまこ壁というのは伊豆の松崎でも見たことがあるけど、外壁の塗り様式のひとつで、街の景観としてはなかなか美しいものである。
市内にやたらに多いということは、新しく壁を作る場合はこれでいきましょうというのが、市民のコンセンサスになっているのではないか。
3枚目以降の写真はグーグルのストリートビューで見つけた松本市内のなまこ壁。
城を見物したあと、わたしはてんでやる気がなくなって、写真も撮ってないのだ。
ここに載せたのは最後のブタをのぞいて、すべてネットで収集したものである。

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やっぱり海外旅行を知ってしまった当方には、よほどのことでもないかぎり、日本の都市には好奇心を満足させられない。
最後の写真は市内で見かけた、ちょっとかわいいペットで、今回の旅でゆいいつ好奇心をかられたもの。
これで1歳だというから、エサはどんなものを与えてるんですかと訊いたら、ブタ缶ですといわれ、世の中にはそういうものもあるのかと感心させられたものである。
そういえば来年はイノシシ年だね。

このあとバスに乗って帰京した。
ネコおばさんはもの足りなくても、このペースがわたしにはちょうどよかった。
これじゃ総括にならないかもしれないけど、松本市がいい街であったかどうかは、1泊2日ていどの旅人にわかるわけがない。
でもこの城下町に美人が多いということだけはわかった。

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撮影車

となりの農家のおじさんが亡くなって、その家が取り壊され、あとが更地になって、もはや在りし日のおもかげを留めるのはわたしのブログだけ。
と書いたのはこの8月だけど、昨夜またストリートビューをのぞいたら、農家の画像がもう更地の画像に変えてあった。
いったいどれだけひんぱんに撮影車を走らせているのか知らないけど、これを世界規模でやってるとしたら、グーグルの事業の偉大さが知れようというものだ。

ただ、その後更地になった近所の資材会社の事務所はまだそのままだから、注意していればそのうち撮影車に出くわすこともあるかもしれない。
サインでももらおうかしら。

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2018年11月15日 (木)

古民家の2

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今月4日のオープンの日に見学に行った三鷹市の古民家、今日はいい天気だったのでまた見学に行ってきた。
そのときのブログ記事の写真を貼り替えたので、興味のある人はこちらから。

今日は平日だし、もうブームが去ったのか、見学者はわたしを含めて3人だけ。
壁に張ってある説明などをじっくり読んできたけど、 わさび田を開墾した古民家の持ち主で、家を三鷹市に寄贈した故箕輪一ニ三氏の苦労話が、小説でも読んでいるようでおもしろかった。

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温度管理や水はけの調整、わさびを採るさいの道具の名称、収穫や出荷の手順などで、冷たい環境を好むわさびは、東京の夏を越せないので、収穫は1年ものを4月から6月に出荷していたということなど。
三鷹のわさびは信州や天城のものに負けないくらい高品質で、戦前の最盛期には、1万本ちかくも築地などに出荷していたそうだ。

箕輪氏の顔写真もあった。
苦労を積み重ねたあげく、人生そのものに大成就したようなゆとりのある顔をしている。
ぜんぜん苦労をしていないわたしをなんぞ忸怩のきわみだけど、仕方がない。
サムセット・モームの言葉にあるとおり、人間はその本分にしたがって生きるしかないのだと、負け惜しみをいう。

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2018年11月14日 (水)

松本城へ/なわて通り

城から下りてきて、ネコおばさんと落ち合ったころにはもう昼になっていた。
メシでも食いますかというと、ワタシの知ってる和風レストランがコイのうま煮を食べさせるからという。
おばさんのいう店というのはわたしの口に合わないところが多いんだけど、フランスやイタリア料理でなければ大丈夫だろう。
なんにせよ、彼女のほうがこの街に詳しいのだからと、おとなしくついていくことにした。

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街を流れる田川のほとりに「なわて通り」という、屋台が軒を接したような観光名所がある。
コイのうま煮はこの通りの先だというので、ぶらぶら歩きながら、ついでにその通りも見物してみた。

通りの入口にでっかいカエルの像が鎮座していたけど、なんでカエルなのか、メンドくさいから質問しない。
こういうことは帰京してから調べればたいていわかるのである。
帰京して調べてみたら、田川にたくさん生息していたカジカガエルを、むかしのように増やそうという願いをこめたんだそうで、ウソかホントかわからない。

なわて通りは、若者や女性たちなら興味を持ちそうだけど、わたしみたいにひねたおじさんには別になんてことがないところだった。
300メートルほどのほそい通りの両側に、甘味から喫茶、食堂、骨董品屋、八百屋までがならんでいる。
骨董品はほじくればなにか出てきそうだけど、終活中のわたしがそんなものを買い込むわけにはいかない。
八百屋ではひねこびたような小さい大根を売っており、ネコおばさんにいわせると、煮て食べると美味しいのだそうだ。

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ようやく見つけた店で、ビールやチューハイを飲みながら、串に刺したおでんを食う。
おでんというからコンニャクかと思ったら、これは豆腐だった。
過去に食べた記憶がないから、珍しいといえば珍しいのかも。

松本市のある長野県は海なし県だから、海鮮は期待できないけど、コイが名物だそうなので、コイの洗いとうま煮も注文した。
うま煮は、ぶっ太いコイを輪切りにしてまっ黒に煮込んだものだった。
ブリ大根みたいですね、ブリなら目ん玉をほじくるのが趣味って人もいますねと、どうでもいい話をする。

どうも、わたしの文章を読んでもせんぜん食欲がわかないかもしれないけど、もともとわたしは健啖家ではないし、味覚にうるさいほうでもないから、この店をけなそうとか褒めようかというつもりではない。
わたしの評価が口コミになっても困るから、店の名前は明かさない。

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2018年11月13日 (火)

松本城へ/城のB

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ネコ大好きおばさんは、自分はもう何度も松本城に来てるから、下で待ってるという。
彼女は元祖山ガールで、若いころは穂高から槍ヶ岳まで縦走したこともある人なんだけど、松本城の階段はひじょうに傾斜が急だというので、年齢的なことを考えて遠慮するってことらしい。
そういうわけで今回はわたしがひとりで天守にまで登ることになった。

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なるほど、階段は急で、わたしにも足もとが不安になる箇所がある。
人間ふたりがすれ違うのもむずかしい箇所もある。
しかし足もとさえ気をつければ、まだ息が切れるほどきついわけではない。
とりあえず天守まで行って写真を撮ってきた。

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城の建築構造については、エラそうなことをいっても始まらないし、パンフレットを引き写すのも気がひける。
詳しいことはまたウィキペディアで勉強してもらうことにして、わたしの思いついたことのを少しだけ。

松本城は天守が国宝に指定された五つの城のひとつだそうである。
ほかの四つは、姫路城、犬山城、彦根城、松江城だ。
コンクリート製の大坂城や小田原城が入ってないのは仕方がないとして、わたしが5年まえに見てきた熊本城、あれもそうとう古そうだし、あまり新建材で改築されてなさそうなのに、なんで入ってないのだろう。
調べてみたら、現在の熊本城の天守は1960年にコンクリートで再建されたものだそうだ。
てっきり木造だと思ったのは、やっぱりわたしの眼が節穴だったらしい。

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この日は晴天だったので、逆光になって、かえって天守から北アルプス方向が見えにくかった。
手前にある山がじゃまをして、ここからは槍も穂高も見えないのが残念。

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最後の写真は市中で見かけた天守閣だ。
じっさいは古本屋なんだけど、こういう古風な書店がいまでも存続しているということが、松本市の文化的偉業といっていいのではないか。

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栄枯盛衰

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栄枯盛衰は世の習いというけど、今日の「海外の万国反応記」にちょっと気になる記事が。
八丈島にある日本最大というホテルの廃墟に潜入してきた人がいて、その写真を公開してるんだけど、このホテル、わたしには記憶がある。

それはいまからもう40年ちかく前のことだ。
わたしは仲間8人と連れ立って八丈島までダイビングに出かけた。
旅行中にきれいな娘ふたりと知り合って、みんなで泳いだり、酒を飲んだりしたもんだ。
まだまだわたしたちも若くて魅力いっぱいのころだったんだよ、え、お若いの。

ある日彼女らもいっしょに、底土海岸というポイントに潜りに行ったんだけどね。
この海岸の目の前に、ロイヤルホテルという4階建てのホテルがそびえていた。
もちろん貧乏なわたしたちに縁のないホテルだったけど、このホテルにはいくつかの石像を配したフランスの王宮のような豪華な庭園があり、きれいなプールもあった。
そこで急遽その日の午後のダイブは取りやめて、みんなでプールで遊ぶことにした。
客がほかにいなかったから、わたしたちの貸し切り状態だ。

話はこれだけなんだけど、青春の日の(数少ない)輝かしい思い出のひとつだ。

そのときのホテルが、その後零落して、いまでは廃墟になっている。
栄枯盛衰という言葉がしみじみ胸にせまるね。
ま、当時からあまりはやってなさそうなホテルだったからなあ。
当時の写真があったはずだけど、探して出てきたのが、ほかの目的のためにイラスト化したこれだけ。
いまではおばあさんになっているはずの彼女が見てもわかんないだろうなあ。

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2018年11月12日 (月)

松本城へ/城のA

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松本には何度も来ているくせに松本城を見学した記憶がない。
堀に赤い橋がかかっているあたりでタクシーを返し、あとは堀づたいにぶらぶら歩いた。
天気は晴天になり、暑くてわたしはセーターをぬいだ。

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城というものはその性格上、天守にいたる通路はくねくねと曲がりくねっているのが普通である。
正門から入ったのではまわり道になるから、観光客は大手門ではなく、黒門と呼ばれる入口から入場するようになっていた。
そのあたりの屋根瓦をながめると、三つ巴の紋がついている。
はて、松本城の城主はだれだったっけと考えてみたけど、この城は何度もあるじが変わっているので、これという大名が思いつかない。
もらったパンフレットによると、代々の藩主は石川、小笠原、戸田、松平、堀田、水野、ふたたび戸田氏だけど、このうちに三つ巴の家紋を持った大名はいない。
ひょっとするとこれは瓦屋さんの家の家紋かもしれない。

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黒門から入ると本丸御殿跡という、芝生の植えられた広場になっていた。
最近の日本ブームのせいか、観光客が多かったけど、その半分くらいは外国人だったのではないか。
広場に鎧武者のいでたちをしたボランティアがいて、欧米の観光客が大喜びで写真を撮っていた。
さいわいというか、松本城が後世の語りぐさになるような合戦の舞台になったことはないようだ。

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そうなると城について書くことはあまりない。
松本城について詳しいことは、アマチュアの歴史ファンにすぎないわたしが書くよりも、またウィキペディアを見てもらったほうが早い。
ここでは写真をずらりとならべてごまかそう。

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2018年11月11日 (日)

松本城へ/旧開智学校

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翌朝は朝食をすませたあと、また路線バスでゆるゆると松本市内に引き返す。
ネコおばさんにまかせると、あれも見たい、ここへも行きたいといい出して、疲れるばかりだから、とりあえず松本城に行きましょうと決める。
松本城を見るだけで昼になるだろう。
その後どこかでコイのうま煮を食べ、おばさんがみやげものでも買うのに付き合っていれば、もう午後の2時か3時だ。
その時間にバスか列車に乗れば、東京に着くのが夕方になる。

わたしの考えたスケジュールはこんなものだ。
おばさんは不満そうだったけど、わたしは疲れるために旅行をするわけではないと押し切った。
さいわいというのか、わたしとおばさんは晴れ男と晴れ女だから、この日の天気はのんびり散歩には絶好のものになった。

まずバスターミナルに行って余分な荷物を貸しロッカーに預け、タクシーをつかまえて松本城に行くことにした。
ところがこのタクシーの運転手がわたしと同じような年寄りで、彼が持ち出した市内の観光パンフレットを見ると、城の近くに旧開智学校という明治時代に造られた洋風の建物がある。
おばさんは、ウチの旦那もここに通っていたのよなんていう。
なんでも1963年まで現役だった学校らしい。

そのへんからおしゃべりが始まって、おばさんがワタシもむかしこの街に住んでいたのよと話すと、運転手は自分はいちじ東京にいたことがあると言い出した。
あらあ、すれ違いだったのねとおばさん。
住むならこっちのほうがステキですねと、わたしもお世辞をいう。
しまいにはなんとかさんちの誰それを知っているかいなんて会話がはずんで、おばさんと運転手はすっかり意気投合した。
おかげで松本城に直行するはずが、旧開智学校に寄り道をして、チップまではずむ始末になってしまった。

旧開智学校は柵の外から眺めただけである。
詳しいことはウィキペディアの受け売りになるから、ここでは触れない。
日本はむかしから教育に熱心だった国なので、わたしが見たことのあるものにかぎっても、伊豆の松崎にも似たような学校があるし、同じ長野県では佐久市にも旧中込学校という洋風学校が残っている。

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旧開智学校をのぞいているとき、すぐとなりにある現在の開智小学校の庭で防火訓練が始まった。
消防車がサイレンを鳴らして集まり、校舎から煙まで出る本格的なものである。
それをドローンが空から撮影していた。
こっちのほうがおもしろいと、ついわき目をしていたので、旧開智学校についてはこれ以上のことはわからない。

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2018年11月10日 (土)

松本城へ/美ヶ原温泉

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今回はわたしとしては珍しいことにアベック旅行である。
といってもイロっぽいことを期待されても困る。
同行するのは18年もまえに旦那に死に別れたネコ大好きおばさんで、彼女はつい間板ヘルニア上がりの年寄りだから、わたしはその用心棒のようなものだ。
もっともわたしも足もとがよろよろだから、どっちが先にこけるかわからない。

おばさんの旦那だった人は松本の人で、彼女も若いころ松本に住んだことがあり、市内には詳しいから案内人としては好適だ。
ただこの案内人は酒とカラオケが大好きで、出たがりでおっちょこちょいで、もうとにかくにぎやかな人だから、ネクラなわたしと根本的に性格が合わないはずだけど、なぜか旦那の生存中から家族ぐるみの付き合いである。
そういうことは抜きにしても、たまには相手のいる旅行もおもしろい。

松本にも駅の近くにバスターミナルが出来ていた。
高速バスだけではなく、市内のたいていのところはここからバスが出ているらしい。
目的地の美ヶ原温泉まで路線バスで20分ぐらいである。
バスは発車してすぐに松本城のわきをかすめる。
もう紅葉の季節は終わったかと思っていたけど、まだ市内はあちこち黄金色だった。

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ネコおばさんの押す宿は古風な宿だそうだ。
建物が古風なのはいいけど、行ってみたら宿のまわりにはなにもなかった。
どうも美ヶ原温泉という、つい期待してしまう名前がいけない。
じっさいは民家が増えて市街地化したふつうの農村といった感じのところで、みやげもの屋もストリップ小屋もあるわけじゃない。
あらかじめネットで、宿の近所にジャズを流す蕎麦屋があるということを調べておいたのに、それもなかった。
おかげで静かなのはよかったけど。

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わたしは7年まえに泊まった熊本のレトロな宿を思い出した。
畳敷きで、障子にふすま、かもいや床の間があり、布団を敷いて寝るところなどは純日本風である。
外国人を泊めたら喜ばれるんではないですかと宿のおかみさんにいうと、うちはやりませんと言下に否定する。
ま、たしかにそうだ。
英語の説明書や担当者を置いたり、食事も欧米ふうのものを用意しなくちゃならないし、田舎でこじんまりと伝統的な宿を営んできた主人には荷が重いだろう。
ただ松本市内でもいたるところで欧米人を見たし、部外者からすると、いまの日本ブームを活用しないのはもったいないような気もする。

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この日はシーズンオフの平日なので、客はわたしたちだけだった。
夕食は創作の懐石料理だそうで、めずらしいキノコや柿を使った料理が出た(写真参照のこと)。
それを食べたあと、わたしはカラオケに行きたいとわめくおばさんを無視して、さっさと寝てしまった。

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News U.S.

まえにも書いた News U.S.というサイト。
どうもよくわからんサイトだ。
相手を罵倒するような書き方はしてないのに、このサイトを攻撃するネットユーザーが、ほかの嫌韓サイトより多いような気がする。
それも明確な根拠も上げずに、信頼性に欠けるとか、ヘイトスピーチが満載された最悪クラスのサイトなんていう悪口が多くて、わたしはアンタのもの言いのほうがよっぽどひどいでしょうといいたくなる。

日本のネット上には嫌韓サイト、韓国のネットには(たぶん)反日サイトが氾濫していて、お互いに相手を攻撃するのに余念がないはずだけど、韓国側にしてみれば、たんなる罵詈雑言でないだけに、こんなに危険なサイトはないだろう。
ということで攻撃も過激になるのだろうか。

わからないというのは、だいたい News U.S.を運営しているのはどんな人物、もしくは会社なんだということ。
取り上げるニュースにしても、新聞やテレビ、ネット等のマスコミから情報を仕入れているわたしより、早くて内容が詳細だ。
これって産経のような右翼系メディアか、日本政府の秘密部門が運営してるんじゃないか。

今日も「日本政府が韓国に経済制裁を開始」なんて記事があって、日本が半導体の製造に必要なフッ化水素の韓国向け輸出を停止と書いてある。
なにやらむかしあった中国のレアアース輸出禁止に似ているけど、あちらがたんなる天然資源の輸出なのに対し、こちらは技術開発の成果で、おいそれと代用の効くものではないらしい。
韓国はサムスンが世界一だと自慢しているけど、フッ化水素を止められたら、一夜にして半導体業界は立ち行かなくなるという。

問題はこれほど重要な事件が、産経にも朝日にも、1行も出ていないということだ。
しかしガセネタにしては専門的だし、デタラメならすぐにばれるはず。
わたしももう少し様子を見るつもりだけど、それにしても News U.S.の運営者は誰なんだろう。

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2018年11月 9日 (金)

松本城へ/旅立ち

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松本城やコイのうま煮の写真を載せるだけで、それにいたる顛末を報告しないのでは、聞きたくてイライラする人がいるだろう。
わたしもなにか書かないと欲求不満になりそうだ。
読んでも参考になることはなにもないけど、いつも朝日新聞のけなし記事ばかり読まされる人も迷惑だろうから、たまには旅の話を書こう。

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先日、わたしの所屬する団体は伊勢神宮に旅行に行ってきた。
わたしは19年前に行ったことがあるし、もともと神様がどうしたこうしたってことに興味がないから、参加しなかった。
考えてみて、調べてみたら、今年のわたしはいちども旅行に出かけてない。
これはわたしとしてはかなり異常なことである。

理由はわかる。
トシをとっちゃって、家でぼんやりぬるま湯のような怠惰におぼれているのがいちばん気楽でいいし、時間の経つのがおっそろしく早いのだ。
どこかへ出かけたいと逡巡しているうちに、あっという間に11月になってしまったのである。

そんなことをべつに気にやむ必要はないんだけど、知り合いのネコ大好きおばさんにぼやいたら、彼女は信州の松本に因縁のある人で、自分の紹介ならぜったいに安くなる旅館があると教えてくれた。
ひょっとすると、おばさんの親戚かなんかが経営しているのかもしれない。

松本ならどんな乗り物で行っても2、3時間だ。
シーズンオフでとくに見たいものがあるわけでもないけど、そのかわりちょいと旅気分を味わってくるのにはいいのではないか。
山好きにとってベースキャンプみたいな街だから、わたしも何度か行ったことがあるけど、たいてい上高地や安曇野、美ヶ原などへのとちゅうに素通りしただけで、だいたい松本城もじっくり見た記憶がないのである。
そういうわけで、1泊2日で、市内だけを見物してくることにした。
足をのばせば見どころの多い街だけど、今回は松本城と、コイのうま煮だけが目的だ。

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写真は、上から初めて利用する新宿南口のバスターミナル。
通路に目的地までの色分けされたラインが引いてあって、最近増えている外国人や、わたしみたいなボケ老人にもわかりやすい。
高速バスで東京を出るときは不穏な天気だったけど、信州に分け入るころには回復のきざし。

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2018年11月 8日 (木)

コイのうま煮

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今度はコイのうま煮を食べるとこ。
たんとうらやましがれ。

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松本城にて

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いま松本城。
晴れオトコのせいですごいいい天気。
この顛末は帰京してから報告(するかも)。

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2018年11月 7日 (水)

古風な宿

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いま松本の古風な宿屋に来ています。
今年最初の旅行ってわけだけど、さてこの端末は、帰京してから報告する(かも)。

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あるサイト

最近みつけたた「News U.S.」というサイト、いわゆる嫌韓サイトのひとつかも知れないけど、経済問題につよい人が運営しているらしく、記事の内容は理論的でなかなか役に立つ。

たとえば以前、韓国が欲している日本とのスワップについて、韓国には無理してそんな契約にこだわらなくても、サムライ債なんていう裏ワザがあるという記事があった。
わたしは経済にくわしくないから、真偽のほどまで保証しかねるけど、世界経済のしくみについて、ひとつ新しい知識を得たような気分になったものだ。

わたしがこのサイトをよく読む理由はもうひとつあって、“韓国人のやつら” とか “朝鮮人ども” なんて書き方をされると、それだけでもう読む気がなくなってしまうんだけど、このサイトはそんな、ただもう相手を罵倒すればいいというものではなく、冷静に状況を分析したうえで、相手を批判したりコケにしたりしているからである。
わたしは本音で話すのが好きだけど、日韓の問題をうさ晴らしのために読みたいわけじゃないのだ。

こういうサイトは、もちろんスポンサーをつけて報酬を得るのが目的だ。
しかし人気のあるサイトであるためには、それこそ「海外の万国反応記」や「カイカイ反応通信」のように、1日に6回も7回も更新しなければならないだろう。
これはなかなか大変だ。
おそらく運営者はろくに休暇も取れないのではないか。
やっぱりわたしみたいに気楽に生きて金を儲ける方法はないようだ。

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2018年11月 5日 (月)

またまた2001

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ああ、またテレビで2001をやってるよ。
わたしの知り合いに4Kで、わたしのよりふたまわりもでっかいテレビを買ったって男がいるけど、それで観るならこういう映画を観てほしいやね。
ウラヤマシイ。

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古民家

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わたしの散歩道のとちゅうにある古民家が、きちんと整備されて、昨日の日曜日から一般公開されていた。
他に予定がないから、昼ごろ、ぶらぶらと見学に行ってみた。

古民家のまえまで行くと、数人の見学者が入口のあたりにたむろし、柵に入場は1時からですと札が下がっていた。
時計を見ると、まさにその1分まえだ。
ものほしそうな顔で内部をのぞきこんでいると、すぐに時間になって、わたしが入場者第1号という栄誉を担うことになってしまった。
タダなんですかと訊くと、係員がこちらにという。
玄関を入ったところに券売機があり、おとなひとり200円だった。
でもきれいなパンフレットをくれるから、印刷代だと思えばよい。

古民家について詳しいことは三鷹市のホームページでも見てもらうことにして、ここではわたしの感想を。

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じつはこの前日にも散歩がてら、この古民家をのぞいたんだけど、そのときひとりの老人に話しかけられた。
彼はなぜか怒っており、自分もむかしはこのあたりの農家だったという。
東八道路(府中の試験場に通じる広い通りで、いまそこに自転車用の車線を増設中)ができて、このあたりも変わったという。
古きよき時代に郷愁を感じる、つまりこの人もわたしと同じ懐古主義者なのかと思った。

ところが彼は道路建設のために、田畑を市役所に買い叩かれてとこぼす。
ご存知のように、農民が農地を農業以外の目的で売り飛ばすには、いろいろとむずかしい制約がある。
世間の相場ではいい値で売れるはずが、けっきょく彼は市役所の言い値で売らざるを得なかった。
と彼の怒りはそういうことらしい。

これは他人が安易に同情すべき問題ではない。
日本の法律は濡れ手にあわで儲けることを禁じているからである。
あまり景気がよさそうでない彼に、でもそれなりのものはもらったんでしょうとは聞けなかった。
もしかするともらった金をみんな酒や賭博に浪費して、あとで文句をいっている人かもしれない。
どっちにしても売るべき寸土も持ってないわたしには関係ない話だ。

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さて、古民家のこと。
もともとは農家だった建物らしいけど、関東地方の農村をよく知っているわたしにいわせると、ちょっと農家として使うには小さすぎるような気がする(この写真は広角レンズで大きく見えるけど)。
わたしの親戚も農家だったけど、寝室などの居住空間に台所、かいこ棚、作業所、農具の物置き、おまけにウシかウマでもいればその居場所まで含めると、もっと広いスペースが必要だったように思う。
わたしがこの民家を見て思ったのは、これでは茶室か、老人の隠居部屋にしか見えないということだった。

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しかしそういう目的のために作られたとしたら、持ち主の風雅が感じられてすばらしい。
庭に面した2方向がガラス戸のある廊下になっていて、小さな池と、その向こうがそのままワサビ田につながっている。
自分が丹念に育ててきたワサビ田を、朝な夕なにながめて暮らす。
この民家の持ち主は箕輪一二三さんという人だったそうだけど、農民の晩年としては完璧だったと思う。

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2018年11月 4日 (日)

変人

「月と六ペンス」は画家のゴーギャンをモデルにした、サムセット・モームの小説である。
このなかに語り手である“わたし”が、人妻から家出をした亭主を家にもどるよう説得してほしいと頼まれる場面がある。
人妻にいわせると、家出の原因は亭主に新しい女ができたらしいとのこと。
他人の色ごとに首をつっこむのは気が進まないんだけど、よんどころない事情があって、彼はこの仕事をひきうける。

パリまで出かけて亭主に会ってみると、べつに女なんかおらず、亭主は画家になりたいから家出をしたんだという。
いささか調子が狂っちゃうけど、“わたし”は亭主が家にもどるよう説得しなければならない。

結婚したんだから、あなたには奥さんや子供を養う義務がありますというと、そんなこと知るかと亭主はにべもない。
あいつらは今まで楽をしてきたんだ、こんどは少しぐらい苦労をしてみりゃいい。
でも子供たちはまだ幼いんですよ、ちょっとひどすぎやしませんか。
世間にはそんな家庭はごまんとあるよ。
なに、親戚が金持ちだから、ほんとうに困ればそっちのほうで面倒をみてくれるさ。
世の中には家庭なんかより大事なものがある。
それは芸術だ、芸術だってわけで、常識的な説得はまるで通用しないのである。

この情け容赦のない亭主というのが、画家ゴーギャンをモデルにした主人公なんだけど、困ったことに、わたし(このブログを書いている本人)はこんな主人公に喝采を叫んでしまう男なのだ。
もっともわたしのほうはここまで非道ではないから、女房子供を悲しませるよりはと、独身をつらぬいたんだけど。
この小説を読んで思ったのは、たぶん天才というのは変人であるということなんだろう、少なくとも常識で測れないような。

こんなことを書く気になったのは、今日の朝刊についてきたGLOBE紙面の、スティーブ・ジョブズの伝記本についての書評を読んだからだ。
ジョブズといえばアップルパソコンの創設者で、伝記を書いたのはその娘である。
本人が死んでしまったあとに書かれた伝記を、たとえそれが肉親によって書かれたものであっても、まるごと信じるほどわたしは素直じゃないけど、ここに描かれているのは、やはり稀代の変人とされるアップル創設者そのもの(らしい)。

とりあえず買って読むほど熱意はないけど、いろいろ思うことがある。
変人でも成功すれば世間から称賛される。
反面、わたしみたいに箸にも棒にもかからない変人は、世間から馬鹿にされる。
同じ変人なのにどうしてと、忸怩たるおもいがあるけど、でも文句はいわないことにしよう。
あちら側の人だって、常識さえ持っていればすべての人が成功するとはかぎらない。
常識をそなえておりながら、運が上向かず、地団駄踏んでいる人も多いのだ。

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2018年11月 3日 (土)

平々凡々

昨日はまじめに仕事をし、今日はひさしぶりに散歩に行ったけど、つまらん季節だねえ。
咲いてる花はリンドウとホトトギスくらいで、もう毎年ながめているから写真を撮ろうという気にもなれない。
ウインドブレーカーをひっかけていったのに、とちゅうから暑くてTシャツひとつになってしまった。
ま、これはわたしの歳ではめずらしいかも。

帰宅してくたびれてベッドにころり。
目をさましたらまだ日が改まってない。
それって大急ぎでブログを更新しようと思ったけど、頼りの朝日新聞に、どうも書きたくなるネタがないね。
ネタがないということは、世間に対して怒りを感じることがなくなったということかもしれない。
人間が丸くなったのなら、けっしていいことではない。
世の中にはまだ不正や不条理があふれているのだから、これも老化現象に決まっている。
夕刊に望みをかけたら、そうか、今日は祭日で夕刊は休刊日だったよ。

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2018年11月 2日 (金)

日常

2日続けて禁断の一手じゃ、ただでさえ少ないこのブログの読者から愛想をつかされそう。
で、今日は日常の報告を。

たったいま近所のコンビニで買い物をしてもどったところだけど、店に清楚な感じのきれいな娘が働いていた。
名札を見ると日本人ではない。
あごのとがったところがなんとなく整形をした韓国娘に見えた。
でも、まさか、あなた整形してるのとは訊けないから、そのまま出てきてしまった。

帰りに大工さんの仕事場で、停められている車の屋根にネコが寝ているのを見た。
この大工さんはネコ好きなので、安心しきったネコは熟睡しているようだった。
写真を撮っておきたかったけど、カメラもスマホも持っていなかったからあきらめた。

家の近くでは、前からやってきた、これは外国人なのか日本人なのかよくわからないおっさんが、わたしと目があうとニヤリと会釈する。
誰だっけと悩んだけど、ぜんぜん心当たりがない。
考えるのもメンドくさいので、そのまま通り過ぎてしまった。
老化現象はこうやって進展していくのだろう。

最近の日常はこんなものだ。
なんて無気力なと、有気力な知り合いのオンナの人から文句をいわれそう。

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2018年11月 1日 (木)

禁断のアノ手

だめだねえ。
今日はブログのネタがないねえ。
ネタというより、なんか書こうという意欲がわかないねえ。
やっぱり認知症の始まりかしら。
ベッドに転がっていると、心地よい怠惰の底にずぶずぶと沈んでいってしまいそう。

ということを書いて更新したことにする。
また禁断の一手だ。

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