松本城へ/旧開智学校
翌朝は朝食をすませたあと、また路線バスでゆるゆると松本市内に引き返す。
ネコおばさんにまかせると、あれも見たい、ここへも行きたいといい出して、疲れるばかりだから、とりあえず松本城に行きましょうと決める。
松本城を見るだけで昼になるだろう。
その後どこかでコイのうま煮を食べ、おばさんがみやげものでも買うのに付き合っていれば、もう午後の2時か3時だ。
その時間にバスか列車に乗れば、東京に着くのが夕方になる。
わたしの考えたスケジュールはこんなものだ。
おばさんは不満そうだったけど、わたしは疲れるために旅行をするわけではないと押し切った。
さいわいというのか、わたしとおばさんは晴れ男と晴れ女だから、この日の天気はのんびり散歩には絶好のものになった。
まずバスターミナルに行って余分な荷物を貸しロッカーに預け、タクシーをつかまえて松本城に行くことにした。
ところがこのタクシーの運転手がわたしと同じような年寄りで、彼が持ち出した市内の観光パンフレットを見ると、城の近くに旧開智学校という明治時代に造られた洋風の建物がある。
おばさんは、ウチの旦那もここに通っていたのよなんていう。
なんでも1963年まで現役だった学校らしい。
そのへんからおしゃべりが始まって、おばさんがワタシもむかしこの街に住んでいたのよと話すと、運転手は自分はいちじ東京にいたことがあると言い出した。
あらあ、すれ違いだったのねとおばさん。
住むならこっちのほうがステキですねと、わたしもお世辞をいう。
しまいにはなんとかさんちの誰それを知っているかいなんて会話がはずんで、おばさんと運転手はすっかり意気投合した。
おかげで松本城に直行するはずが、旧開智学校に寄り道をして、チップまではずむ始末になってしまった。
旧開智学校は柵の外から眺めただけである。
詳しいことはウィキペディアの受け売りになるから、ここでは触れない。
日本はむかしから教育に熱心だった国なので、わたしが見たことのあるものにかぎっても、伊豆の松崎にも似たような学校があるし、同じ長野県では佐久市にも旧中込学校という洋風学校が残っている。
旧開智学校をのぞいているとき、すぐとなりにある現在の開智小学校の庭で防火訓練が始まった。
消防車がサイレンを鳴らして集まり、校舎から煙まで出る本格的なものである。
それをドローンが空から撮影していた。
こっちのほうがおもしろいと、ついわき目をしていたので、旧開智学校についてはこれ以上のことはわからない。
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