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2018年11月12日 (月)

松本城へ/城のA

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松本には何度も来ているくせに松本城を見学した記憶がない。
堀に赤い橋がかかっているあたりでタクシーを返し、あとは堀づたいにぶらぶら歩いた。
天気は晴天になり、暑くてわたしはセーターをぬいだ。

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城というものはその性格上、天守にいたる通路はくねくねと曲がりくねっているのが普通である。
正門から入ったのではまわり道になるから、観光客は大手門ではなく、黒門と呼ばれる入口から入場するようになっていた。
そのあたりの屋根瓦をながめると、三つ巴の紋がついている。
はて、松本城の城主はだれだったっけと考えてみたけど、この城は何度もあるじが変わっているので、これという大名が思いつかない。
もらったパンフレットによると、代々の藩主は石川、小笠原、戸田、松平、堀田、水野、ふたたび戸田氏だけど、このうちに三つ巴の家紋を持った大名はいない。
ひょっとするとこれは瓦屋さんの家の家紋かもしれない。

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黒門から入ると本丸御殿跡という、芝生の植えられた広場になっていた。
最近の日本ブームのせいか、観光客が多かったけど、その半分くらいは外国人だったのではないか。
広場に鎧武者のいでたちをしたボランティアがいて、欧米の観光客が大喜びで写真を撮っていた。
さいわいというか、松本城が後世の語りぐさになるような合戦の舞台になったことはないようだ。

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そうなると城について書くことはあまりない。
松本城について詳しいことは、アマチュアの歴史ファンにすぎないわたしが書くよりも、またウィキペディアを見てもらったほうが早い。
ここでは写真をずらりとならべてごまかそう。

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