因果はめぐる
因果はめぐる。
わたしが明日ぽっくりいったとする。
そのままほうっておくと、ブログの毎月の支払いも止まるから(わたしはこれを維持するために毎月 @nifty にお金を払っているので)、そのうちプロバイダのほうから契約を打ち切られる。
ブログはわたしの自分史みたいなものだから、これを見ればわたしという人間がかなり具体的に把握できるけど、金の切れ目がブログの切れ目だ。
わたしには子供もいないし、かたちのある財産もあるわけじゃないし、お墓でさえいらないと公言しているくらいだから、そうなるとわたしの存在を証明するものは何も残らないということになる。
わたしの二世代か三世代あとの、わたしの親戚の子供が、風変わりなおじさんがいたということでわたしに興味を持ったとする。
わたしの知り合いが生き残っていれば、そういう人からいろんな噂を聞くことは可能だろうけど、あいにくわたしの知り合いってのはわたしより先に行きそうな連中ばかりだ。
おそらく三世代もあとの親戚には、わたしのことを調べるのは不可能だろう。
わたしの骨がどこかの山奥で、粉末になって風に舞っていったとしても、その場所がどこなのか誰も知らないだろう。
そういう死に方がわたしの理想なので、そのこと自体には文句はない。
ただ因果はめぐるものだなと思う。
わたしの母方の祖父はだいぶ波乱の人生を送った人で、将来を嘱望される名家の長男として、医師になるべく勉学に励んでいながら、とちゅうで人生を踏み外し、2度の結婚に敗れたあと、函館に渡ってそこで亡くなった。
わたしはこの祖父に興味をもって、消息を調べてみたことがある。
晩年は3番目の夫人の家で雇われ医師をしていたらしいけど、戦前の混乱期にその消息はようとして伝わらず、けっきょくその墓のあり場所さえわからなかった。
これがわたしの家の伝統なのかもしれない。
現在のわたしの親族はわりあいまともな生き方をしている者ばかりだから、墓がわからないとか、誰にも弔ってもらえないという人間はいそうもない。
わたしが親族を代表して祖父の血を引き継ぐとしたら、それはそれでいいことだ。
わたしは自分の体のなかに祖父の血がとうとうと流れていることを知る。
死んだあとはすべてさっぱり忘れ去られたいという性格は、また萩原朔太郎の詩のごとく、どうも群馬県人の特質かもしれない。
わが草木とならん日に
たれかは知らむ敗亡の
歴史を墓に刻むべき。
われは飢ゑたりとこしへに
過失を人も許せかし。
過失を父も許せかし。
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