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2019年1月 7日 (月)

皇室談義

昨日、書きかけた文章というのがこれだ。
どこが輝いているのかという不満はごもっともだけど、期待するほうもイケナイよな、わたしごときの文章に。

昨日のGLOBEの特集は世界の王族ということで、これは今年皇室の継承をひかえた日本にとって、時宜を得た記事といえるだろう。
はばかりながら、わたしも皇室の存在について考えてみる。

現代は専制君主の時代ではないから、王族や皇室のある国というのは、たいてい立憲君主制のところが多い。
つまり政治は政治家にまかせて、国王はあくまで象徴的存在であるということだ。
象徴的存在にもいろいろあって、英国のようにロック・スターの扱いを受けたり、デンマークのようにいてもいなくてもいっしょという国もある。

日本の皇室はイデオロギーに関係なく、左右のどちらからも尊敬される立場である(左から異論があるかもしれないけど)。
たとえば原発事故があったとする。
政府はあれやこれやと事故後の対応をする。
するとリベラルを称する勢力がいちゃもんをつける。
この両者の意見が一致するわけがないので、ここに国民をまきこんで対立が起きる。
皇室はどちらにも属さずに、被災地の見舞いなどに精を出して、両者からそれなりの支持や尊敬を得る。
つまり日本で皇室は中庸をいく第三の勢力というわけだ。

アジアで王室のある数少ない国のタイでは、故プミポン国王がこういう第三勢力の典型だった。
軍部と民間政党が対立してにっちもさっちも行かなくなったとき、国王が両方の代表を呼んで一喝したら、揉め事はいっぺんでおさまったということがある。
国内で異なる勢力が対立したとき、両方から尊敬を集める仲介者としての存在が必要なのだ。

ただプミポン国王が亡くなって、あとを継いだ現国王は、皇太子時代の奇行からすると、いっぽうの勢力の傀儡になりかねない怖れもある。
王室が客観的立場を維持するのはむずかしい。
フランスのルイ王朝、ロシアのロマノフ王朝、中国の歴代の王朝などに比べれば、現代の日本の皇室のいき方は、公平にみても理想的といえる。
世襲だとバカがあとを継ぐおそれがあるけど、選挙で民主的に選ばれた政治家のほうがよりバカの可能性がたかい。
これは君主制を廃止したルーマニアのもと大臣の発言だけど、警句といっていいんじゃないか。

ことわっておくけど無神論者のわたしが、日本の皇室は天照大神の子孫であるなんてことを、まじめに信じているわけじゃない。
わたしが皇室に対して敬意をはらっているのは、日本の皇室が源氏物語や平家物語の時代を彷彿とさせる、つまり、おかしな言い方かもしれないけど、歴史コスプレの演技者だからだ。
外国人が日本に来て感心する寺院や生活様式など、さまざまな伝統の裏づけになっているのが日本の皇室なのだ。

国民の期待をになって、つねに衆人注目のもとでコスプレをするのが、楽な仕事とは思わない。
そういうきゅうくつな仕事を黙々とこなす皇室であるのに、オレは皇室に反対だという人がかならずいる。
ま、そういう人は、自分が日本を代表していないという事実を嚙みしめるべきだな。

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