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2019年1月13日 (日)

カトー君

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幼なじみのカトー君の版画展に行ってきた。
1枚目の画像は、彼(わたしにとっても)の芸術に対する志向の原点といっていいビートルズに囲まれた彼だ。
ビートルズはわたしたちがものごころつく、ちょうどそのころに登場し、わたしたちの精神の推移とともに変化していったグループなのである。

カトー君はわたしたちの共通の郷里からほど近い町に住んでいるけど、今回はできたばかりの大きな町の公民館が開催場所だ。
わたしは絵を買える身分ではないから、画家の経済までには立ち入らなかったけど、画廊で個展なんかすると、額までみんな画家の持ち出しである。
彼のように作品を売って蔵を建てようという気持ちのない画家には、これはしんどいので、公共の施設を作品発表の場にするというのはいいアイディアだ。
彼は国際的な版画展でも入賞しているくらいだから、そのあたりでは名士といっていい人なので、わりあい無理も聞いてもらえるらしい。
今回は帰省するわたしの都合をみはからって、会期を1週間延長した。

そんなことはどうでもいいけど、ついでにいろいろ版画について教わってきた。
たとえば浮世絵は版画ではないという、わたしの知識をくつがえすような話など。
いわれてみればそうだけど、江戸時代の浮世絵には彫師や刷師という専門家たちがいた。
北斎も広重も写楽も、やるのはもと絵を描くところまでで、それを板に彫り、紙に印刷するのは彫師や刷師たちの仕事だったのである。
版画家を名乗るなら、彫る、刷るところまで自分でやらなければいけないと、これは山本鼎という明治・大正期の版画家の意見だそうだ。

カトー君はもちろん彫りから刷るまで自分でやる。
板を彫るには力がいる。
だから指が固まってしまうと、彼はタコのできた人差し指を見せてくれた。

K002

今回の作品は女性をテーマにしたものが多く、きみは官能で勝負すべきだという、わたしのかねてよりの主張に沿ったものになっていた。
できればあと一歩踏み込んで、ヌードや春画まで取り上げてくれるともっといいんだけど、田舎生活は不自由なものらしい。
東京であれば、絵画にしろ写真にしろ、小説等の文学作品にしてみても、およそ芸術作品であるなら、イヤラシイほど、破天荒であるほど、尊重される傾向があるけど、田舎ではそうはいかない。
女房や娘のいる芸術家が官能的なものを追求すると、いろいろ差しさわりがあるんだよという。

それ以外にもカトー君の悩みはつきない。
若い女の子が作品を観にやってくる。
そして、作者であるカトー君、国際的大版画家であるカトー君に向かって、これ、どなたが作った作品ですかなんて質問するのだそうだ。
いやになっちゃうよな、オレって芸術家にふさわしい顔してないもんな。
そうカトー君がぼやくのを聞いて、わたしは芸術家らしい顔をした芸術家なんていやしないよとなぐさめる。
だいたいどんな顔なら芸術家らしい顔なんだと聞いてみたら、棟方志功みたいなのいいんだそうだ。
棟方志功は青森出身の、丸いメガネに鉢巻という、土方の大将みたいな版画家で、わだばゴッホになる、と気宇壮大な芸術家宣言で有名だ。

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3番目の写真が棟方志功さんだ。
志功さんにはわるいが、これならカトー君のほうがいい男だ。
カトー君の秘密というのは、こういう奇想天外な画家にあこがれているということだけど、やっぱり芸術家の心理は理解しにくい。

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コメント

あたいは棟方志功にはこれっぽちも憧れていません。という事だけは言っておきます。
それと、版画にはもう一つ、最後の段階で「刷り」という工程がある、という事も付け加えておきます。
蛇足:欧米では、版画も印刷もみんなPRINTです。
追伸:今度銀座かどっかで苺ショート食べながらコーヒーを飲んでにらめっこしましょう。

投稿: 女音恋音 | 2019年1月13日 (日) 18時12分

文章、修正しておいたぞ。
棟方志功がいいっていわなかったっけ?
もっとイケメンの作家のほうがいいとしたら、これもアンタの秘密ということで、それほど文章に違和感がないからいいか。

投稿: 酔いどれ李白 | 2019年1月14日 (月) 00時34分

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