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2019年1月13日 (日)

カトー君の2

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最初の2枚の絵のように、今回のカトー君の版画は女性を描いたものが多かった。
そうこなくちゃというのはわたしのセリフで、郷里の保守的な人たちからはひんしゅくをくらいそう。
でもまだまだ過激性という点では満足しているわけではない。
なにもヌードや、そのものズバリを描けといってるわけではないのだ。
官能の意味をはき違えている人もいるかもしれないから、あらためて説明しよう。

カトー君の作品にはカトー流というべき個性がある。
多くの場合、それは魚や植物や幾何学的なオブジェなどで、空いている空間にやたらにつめこまれている。
これがあるおかげで、ひと目で彼の作品であることがわかる。
ピカソのように個性を変化させていった画家もいなくはないが、ほとんどの画家は、確立したあとの自己の個性を大切にする。
いわば偉大なるマンネリとでもいうべきか。

これからわたしは彼に、わたしの好みを押しつけようとするけれど、それはあくまでわたしの好みだから、みなさんが真剣に考える必要はない。
例によってわたしのだぼらと思ってもらって結構だ。

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3枚目の絵は、今回の個展で、わたしがいちばん気に入った作品だ。
薄い夏物のドレスの娘が、しどけなく座っており、服の下の裸体がありありと想像できてしまう。
わたしはずけずけいってみた。
まわりのごちゃごちゃが目ざわりだな。
ここは純粋に女性だけにしぼったほうがいいんでないかい。
そのほうが官能的であると思うよ。

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想像力の欠如した人たちのために、じっさいにやってみた。
最後の絵はデジタルの特徴を利用して、まわりのごちゃごちゃを消してみたもの。
オリジナルは遊び心があふれた動きのある作品だけど、あとの絵は静謐なイヤラシサに満たされている(でしょ)。
ベッドのわきに置くならこっちのほうがいい。
とくにすばらしいのが、女性の顔がほとんど見えないことだ。
そのためにわたしのような男は、その部分に好きな女性の顔をはめ込むことができて、これでは腎虚にならないほうが不思議である。
官能というのはこういうことをいうのだ。

問題は個性を埋没させてしまうことで、知らない人が見たら、カトー君の作品かどうかわからなくなってしまう。
うーんと悩むのはわたしで、カトー君が悩むかどうかは知らない。
芸術は人間の欲望を解き放つ。
田舎のしきたりやたてまえ、そして奥さんや娘の存在に縛られて、作家が自分の仕事に制約を課しているとしたら、それはやっぱりマズイと思う。

追伸/オリジナル作品の改変は重大問題だけど、版画とデジタル・コピーしたものはぜんぜん別種の作品で、あらかじめカトー君にことわってあるから、ま、いいんでないか。

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コメント

デジタル処理した作品、サボテン(フェロカクタス属、金冠玉)を残したのは,さすが酔いどれ君。「真珠採りのタンゴ」を聞こうか、「夏の日の恋」を聞こうか、迷ってしまう。今日はモーツアルトの「クラリネット五重奏曲」にしよう。

投稿: 女音恋音 | 2019年1月13日 (日) 21時02分

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