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2019年2月

2019年2月28日 (木)

気のドクな朝日新聞

ウチの新聞が気のドクだ。
新聞というものは事実を伝えるものである。
じっさいにあったことを、そのまま書くのはむずかしくない。
しかしウチの新聞には大命題があって、自民党の、いまなら安倍クンのよろこぶ記事はゼッタイに書いてはいけないことになっている。
しかし今回の米朝会談をみると、北朝鮮や韓国はもとより、トランプさんにもうれしい結果とはいえない。
どこがといわれれば、満足したのは日本だけじゃないか。
こうなると、事実をそのまま書くわけにはいかない。
なんでもいいからとにかく日本をけなせという命令が上からくる。
あからさまに事実と異なることも書けないし、だれにもわかる誹謗中傷もまずいし、こういう作為のこもった文章はむずかしいものだ。
そんなものを書かされるウチの新聞(朝日)の記者さんたちは大変だ。
明日の朝刊が楽しみだな。

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奈良のシカ

気分が滅入ったときには YouTube で奈良のシカの映像を見る。
ご存知のように東大寺、興福寺のまわりには、たくさんの放し飼いのシカがいる。
シカを鉄砲で撃って、その肉を食べることしか頭にない国(そういう国が圧倒的に多いんだけど)の住人からすると、シカと人間が平和に交わっている日本の景色は、奇跡のように見えるらしい。
肉食の欧米人にはシカはどんなイメージなのだろう。
むかしそんなことを考えたことがあるけど、「バンビ」という子鹿を主役にしたアニメがあったことからわかるように、アメリカ人でさえシカを見れば、やはり可愛い、さわってみたいと思うようだ。

というわけで、来日して奈良のシカの存在におどろいた観光客が、YouTube にたくさんの映像をアップしている。
それを見て、自分も行きたい、さわってみたいという観光客がまた増える。
観光立国にかじを切った日本にとって、観光客を誘致するのに、ゆるキャラなんかよりシカのほうがずっと貢献してるようだ。

いったい野生動物に気安くさわれる国が、日本以外にもあるだろうか。
むかしテレビを観ていたら、英国で観光客の手からじかにエサを食べるスズメが出てきて、感心したことがある。
でもスズメとシカでは勝負になるまい。
オーストラリアではクオッカという、ネズミの親分みたいな動物が人気があるけど、ネズミごときでは、とてもシカと勝負になりそうもない。
シカだけじゃない。
日本には放し飼いのウサギの島や、野良ネコの島、さわれるキツネ園、温泉に入るサルなどもいる。
動物好きの外国人にとって、やっぱり日本は奇跡の国なのだ。
わたし?
イヌでもネコでも好きだけど、動物には動物の分際というものあると信じているので、過度にあまやかさない主義。

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2019年2月27日 (水)

今朝の新聞

今朝の朝刊に「岐路の1919」という特大の特集があって、それをみると、ウチの新聞てヤケになってんじゃないかと心配になる。
とくにその中の韓国に関する記事。
1919年に独立運動の火の手が上がったようなことを書いていて、ソウル市内で数十万人が街路を埋めたとある。
日本だって過去に何万人もの人間が国会を取り巻いたことがあるけど、これだけの人数がそろうのはよっぽどのことだ。

この年は第一次世界大戦が終了したころで、日本はすでに中国とロシアとの戦争に勝ち、アジアでゆいいつ欧米列強に対抗できる国として名をあげていた。
日本が韓国を併合して8年後とあるけど、そのころの韓国はどんな国だっただろう。
当時は日本の軍人になることが、韓国人にとって一種のステイタスだった時代で、朴正煕もと大統領や多くの韓国人が、日本が建てた学校で学び、日本の軍人になるべく勉学に励んでいたころじゃないか。
そのころに数十万人の韓国人が反日のために声を上げたなんて信じられない。

このあとに、来日した韓国の活動家のことや、軍国主義をきらった日本の知識人の文章が引用されているけど、そういう人がいたこと自体は不思議じゃない。
しかしやっぱり、自分たちに都合のいい文書をつなぎあわせただけの記事という疑念は払拭できない。

問題はこの特集の内容よりも、それからうける全体の印象だ。
このところ韓国は国際社会からつまはじきなので、ウチの新聞はこれではマズイと、韓国を側面支援するつもりで無理やり記事をでっち上げたようにみえる。
朝日新聞の内部に、韓国と呼応する勢力がいるとまでは思いたくないけど、なにがなんでも韓国の主張を肯定しようという姿勢が鮮明で、ちょっとなりふりかまわずという感じがしすぎる。
バカバカしいくらい単純なウソをつくところは、いまの韓国といっしょだ。

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2019年2月26日 (火)

三大バカ賞

沖縄の民意がどうしたとか、米朝会談の準備がこうしたとかで、あまり話題になってないけど、日本映画の「万引き家族」や、なんとかいうアニメがアカデミー賞をもらえなかったそうだ。
べつに残念とも思わないのは、ずっと以前に観た、そしてアホらしいと思った「おくりびと」という日本映画が、なんと、その年のアカデミー賞を受賞したことがあるからだ。
あれでわたしのアカデミー賞に対する信頼が、がらがらと音をたてて崩れた。
是枝監督には、がっかりするこたァないですよといっておく。
いまではアカデミー賞、ノーベル平和賞、芥川賞、これ三大バカ賞なのだ。

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2019年2月25日 (月)

今朝の新聞

今朝のウチの新聞に、辺野古移設に「反対」が72%という大きな見出し。
でも注意しなくちゃいけないのは、投票率は52%しかなかったということで、ということは半分ぐらいしか投票に行かなかったことになり、反対したのはそのうちの72%の人だけだったということ。
これはどう解釈したらいいだろう。

投票に行かなかった人は、はっきり意思表示をするのがイヤだったからと考えると、結果は大幅に変わってきそうである。
もちろん投票に行かなかった人を、ぜんぶ賛成派と決めつけるわけにはいかない。
特段の事情でもないかぎり、ふつうなら行かなかった人たちの賛成反対の割合は、行った人たちのそれを当てはめるのがルールだろう。

しかし気になるのは、今回の投票の場合、反対派は今度こそと意気込んでいたのに対し、賛成派は隣人と気まずくなってもなあというていどの認識の人が多かったような気がする。
だからと屁理屈をいうけど、投票に行かなかった人の中には、本心では賛成のほうが多かったのではないか。
とすれば、どっちが勝ったかはともかく、やはりこの問題はウチの新聞が書いているように、民意がはっきり示されたとはいえないのではないか。
つまり辺野古の問題は沖縄の人たちにさえ、なかなか結論の出せない問題なのではないか。

ウチの新聞は明確なNOが示されたなんていってるけど、明確でないのは、それじゃ辺野古に移設しないなら何をどうしたいのかということだ。
ほかに代案があるのか、それとも米国との安保条約を廃止して、沖縄の基地をぜんぶ取っ払えというのか。
いやいや、政治家に頼めばなんでもすべて解決すると思っているのか。
そのへんをはっきりさせてくれないと、先のことを考えず、ただもう駄々をこねている韓国と同じです。

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2019年2月24日 (日)

バレエについて

凝りだすと止まらないのがわたしのクセで、いっぱしのバレエ評論家になるべく、今日は街の図書館で関連図書を漁ってきた。
もちろんこれがだいそれた望みであることは、このブログを読んでいる人ならとっくにご存知だろうけど。

わたしが棚から取り上げたのは、「これがロシア・バレエだ!」という350ページあまりもある本。
つまらないとすぐに放り出すくせに、おもしろいと一気呵成に読み進むのもわたしの習性だ。
内容がかなり専門的で、文章は「スターリンの全体主義政権に翻弄された時代の憂囚だった」というような表現でわかるとおり、格調が高いけど、しろうとにはとっつきにくい本である。
それでも自分の興味のあることがらについては、たいていの本をおもしろいと思ってしまうわたしのことだ。
少なくても最初の50ページを読んだかぎりではおもしろかった。

全部読み終えるのがいつになるかわからないけど、はたしてそのころにはわたしはいっぱしのバレエ評論家になれているだろうか。

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2019年2月23日 (土)

無責任

最近はグローバル化が進んで、中国人にも責任について先進国の理念が浸透してきたようだけど、わたしが中国大陸をうろうろしていたころは、まだ共産党時代の無責任体質が横行していた。

ホテルで翌日の列車のチケットを予約する。
翌朝になってそれを受け取りにいってみたら、お金はまだそっくりフロントの机の中に残っていた。
ぜんぜん予約してなかったのだ。
文句をいうと、いまから駅に行けばまだ間に合いますだって。
それ以上文句をいってる時間がなかったので、あわてて荷物をまとめてタクシーを飛ばし、けっきょく自分で駅に並んだ。

べつのホテルではシャツをクリーニングに出した。
まかせておいて下さいと、服務員(女の子)の返事はよかったけど、出発の前夜になってもそれがもどって来ない。
明日の早朝には出発するんだけどと文句をいうと、大丈夫間に合いますと調子だけはいい返事。
朝になって、タクシーが迎えに来るぎりぎりになって、ようやく届いたシャツはいくらか湿っぽかった。
クリーニングに出すのを忘れて、服務員が夜中に自分で洗濯してアイロンをかけたらしい。

万事がこんな調子だけど、そのうちわたしも慣れて、早め早めに確認や念押しをするようになった。
日本よりのんびりしていていいかもしれないと思うようにもなった。
こんなことを書いたのは、新しいパソコンか届かないせいだ。
組み立ては中国でやっているという説明だったけと、書類がどこかへ迷い込んで、わたしの注文なんかころりと忘れているのかもしれない。

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2019年2月22日 (金)

ハッド

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昨日はテレビで映画「ハッド」を観た。
いい映画だとは聞いていたけど、観るのはなぜか初めて。
やはり生きている観られてよかったという映画だったねえ。

まだ理想主義が生きていたころのアメリカで、その見本のような生き方をする牧場主の親父と、それに反旗をひるがえす息子、両者のあいだに立って右往左往する孫。
この3人にきれいな家政婦がからむ物語なんだけど、苦心して育ててきた家畜を、親父がすべて口蹄疫で失うと、家族はばらばらになっていく。
うん、これはいいと、ブログ記事にまとめようとしたけど、わたしの頭のなかには観終わったあとの茫然自失のようなものが、まだ渦巻いているのだ。
なにか書くのはまたそのうちに。

ここはとうぜん、ネットから見つけた「ハッド」の写真を添付すべきところ、新しいパソコンがまだ届かないので困っている(その後ようやく来た)。
来週になったら、こっちから問い合わせなくちゃ。

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2019年2月21日 (木)

見舞い

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自分がかりに胃ガンを宣告されたとする。
わたしの場合、もう終活中だし、もう十分と言えるくらい生きたし、最近ではオンナの人を見てもムラムラしないし、これでは生きていてもつまらないから、そのまま無駄な抵抗はやめて、おとなしくお迎えが来るのを待つかもしれない。

わたしの知り合いにも胃ガンになっちゃった人がいて、今日はその見舞いに行ってきたんだけどね。
彼はわたしより、わたしだって前期高齢者なんだけど、そんなわたしよりずっと年上のくせして、軒昂、ますます意気軒昂。
手術を終えてベッドでおとなしくしてろというのに、ヒマだからそのあいだにスマホをマスターするんだといって、部屋に市販されている攻略本を持ち込んでいた。
こういう患者だよな、看護婦さんのお尻をなでたりするのは。
どうでもいいけど、訴えられないようにご注意。

添付したのは、点滴あとも生々しい彼の腕と、その攻略本だ。

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2019年2月20日 (水)

今日の夕刊

今日の夕刊の時事小言というコラムで、国際政治学者という肩書きの人が、また寝言のようなことを書いている。
最近の日韓の軋轢について、長々とした前段は飛ばして、いったいなにがいいたいのか、その主旨を汲み取ってみた。

韓国で語られる歴史が正しいわけではない、とある。
これだけみると、ウチの新聞としては珍しく公平な書き方のように思えてしまう。
しかし続けて、植民地支配と徴用工問題について、日本ではどこまで知られているかということだ、とある。
このふたつについて、最近では知らない日本人はいそうもないけど、新聞記事がいってるのは、問題の本質についてということだろう。
こういうことは、ひっくり返せば韓国の側にもいえる。
問題の本質が、韓国ではどこまで知らされているのかということだ。

わたしのような市井のつまらぬ独居老人でも、その気があれば、さまざまな資料を自分でさがして、真実について勉強できるのが日本だ。
韓国では、この新聞記事にもあったけど、「帝国の慰安婦」のように、日本の主張ばかりを尊重しているわけではない本でさえ、難癖をつけられて著者が処罰される。
いったいどちらが真実を、国民に公平に公開しているといえるのか。
わたしは韓国人に日本の主張を受け入れろといってるわけではなく、ただもう、だれがどんな意見を出しても、それだけが理由で処罰なんかされない国であってほしいといっているだけである。

70年、80年まえの事件を問題にしているのは、アジア全域をながめても、いまや韓国だけになった。
ウチの新聞は、そんな奇妙な国の肩を持つ、じつに奇妙な新聞である。

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テリーザ・メイ

Teresamay2

あたしのせいじゃないでしょ、そんなもん。
とメイ首相がいいそう。
ホンダの英国撤退と、それにともなう雇用の消失。

そりゃそうだ。
メイ首相は英国がEU離脱を決めたあとで、その後の混乱の収拾や、EUとの交渉をまかされた不運な宰相なのだ。
わるいのはみんな、手前勝手な自己主張ばかりしたがる政治家と、EU離脱に賛成したあとで、あわてて離脱ってどういうことなのとググッた英国国民だ・・・・・

今日の更新はこれっきり。
ボコボコにされているメイ首相が可哀想なのと、ネットで見つけた、いまにもプッツンしそうな彼女の写真をボツにしたくないもんで、ついこんなことを書いた。
あいかわらずヒトの悪いわたしだけど、ネット上には彼女の写真を悪意でもっていじくりまわすマニアも多いぞ。

まだパソコンが来ないので、写真はネットで見つけたそのまんま。

その後ようやくパソコンが来たので、画像を一部手直しした。白いふちどり写真はわたしが撮った写真でないことの証明。

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2019年2月19日 (火)

今朝の新聞

ウチの新聞が社説で、そんなにアメリカにゴマをすりたいかと、非難がましいことを書いていたな。
トランプさんが俺をノーベル賞に推薦してくれといったのを、ハイハイと聞いてあげたことをいっているらしい。
それは事実かも知れないけど、そんな大騒ぎするような問題か。
ノーベル賞委員会がトランプさんに上げないと決めたら、安倍クンの推薦ぐらいじゃどうにもならないだろうし、だいたいトランプさんがいつ失墜するか、世界中が固唾を飲んで見守っている最中だ。
安倍クンだってバカじゃない。
適当にお世辞をふりまきながら、相手がいつコケてもいいように、微妙に間あいをとっていることがわからんかね。

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2019年2月18日 (月)

本命

わっ、今夜のBSシアターは、本命の「白鳥の湖」だ。
バレエにはまっているわたしが、もっとも観たいと思っていたのが、これなのだ。
いや、じつは有名すぎるバレエなので、過去にも録画したことがあるし、2012年の2月には本物の舞台を上野まで観にいったことさえある。
しかし今回はテレビがデジタル放送になり、しかも大きなテレビを買ったあとだから、もういちど放送してくれないかなと、ひそかに念じていたものなのだ。

そういうわけで、NHK様々ってところだけど、今夜ただちに素人の鑑賞記を書くには荷が重い。
いまドロ縄で「白鳥の湖」を勉強しているから、本格的な記事はもっとあとにしよう。
おおざっばに観たかぎりでは、オデット姫がわたしの期待よりおばさんぽいけど、なんというバレリーナかしら。

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2019年2月17日 (日)

高価なオモチャ

わたしは10万円のパソコンを買ったばかりだけど(品物はまだ来ない)、ひさしぶりに財閥のせがれのO君に会ったら、彼は20万円の iPad を買ったといばっていた。
電子ペンも使えるんだぜと得意そう。
でも電子ペンだけで、1万数千円もするそうだ。
あいかわらず儲けられるうちに儲けておけというアップルの姿勢に嫌悪感をおぼえてしまう。
せいぜいご用心しなはれ。
もうひとりの知り合いは、電子ペンつきのタブレットを買ったけど、最初の旅行でもうそれをどこかに落っことしてきた。
やれやれ。

いまどきパソコンなんて日常品で、安ければ安いほうがいいと、わたしは率先してその見本を示しているのに、世間には高価なオモチャを愛する金持ちが多いよな。
わたしと同じくらいパソコンを、いろんな方面で、実用的に活用している知り合いはいそうもないんだけどね。

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2019年2月16日 (土)

今夜

今日はブログ更新を休むところ。
原因はまた飲み会で呑んだくれているせい。
飲み会の惨状を載せて、かろうじて更新を継続する。

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2019年2月15日 (金)

しみじみ

別府マラソンで通訳をつとめた女性が、担当したアフリカ選手をチンパンジーと表現して、ブログが炎上しているそうだ。
新聞記事を読んでみると、彼女は黒人選手たちといっしょの写真をブログに載せ、「かわいいチンパンジーたち」と書いていたそうだから、どうも彼女の中では、チンパンジーも、ペットのイヌやネコと同じかわいい動物だったようだ。
だからべつに軽蔑するつもりではなく、親しみをこめてこんな表現をしてしまったのだろう。
しかしいくら自分でかわいいと思っていても、相手がどう思うかということをまず考えなくちゃいけない。
そうした気配りができない人が、安易にブログの記事を書くというのは、バイトテロの阿呆なテロリストと同じ、最近の困った傾向だ。

わたしも口がわるいから、ブログのなかで、しょっちゅう他人の悪口と取られかねない発言をしているけど、このへんは微妙に注意しているんだよね。
わたしならチンパンジーではなく、黒ネコちゃんとでもしただろう。
この違いがわかる人いる?
もう10年以上続けているのにいちども炎上してないってのは、たまたまわたしのブログの読者が、ユーモアを解する精神的に成熟した人たちばかりなのか、それとも泡まつブログで、世間から相手にされてないだけなのか。
うむ、しみじみ。

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2019年2月14日 (木)

バイトテロ

オチのない文章を書いて、ホッとしてメシを食っていたら、テレビで「バイトテロ」について、視聴者も参加して討論会をやっていた。
いま問題になっている寿司屋のアルバイトが、マグロの切り身をゴミ箱に投げ入れ、それをまたまな板にもどしたという事件だ。
しかもそれをSNSに上げるという非常識なわるふざけ。

たまんないよな。
わたしらの世代には想定もできない事件で、想定できないものをあらかじめ注意もできまい。
ハッシュタグを利用して、被害者の寿司屋の寿司をみんなで食べましょうという支援運動を起こすしかないか。

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オチのない文章

自然界をつき動かすのは、子孫を残したいということと、もうひとつは子孫を残すためのエネルギーを確保する、つまり空腹を満たそうというふたつの衝動だ。
子孫のほうは、とりあえずヒマなときに励めばいいが、食べなければ死んでしまうから、すべての生きものが、つねに食べものを追い求めている。
この地球上では、大半の動物が、食うものと食われるものの関係であり、そういうわけで、YouTube 上には捕食者と被捕食者の、ありとあらゆる関係が見られる。

ライオンがカモシカを食べる、サメがオットセイを襲う、ヘビがカエルを呑む、カマキリがバッタをかじるなんてのは常識的なほうで、中には信じられない組み合わせもある。
両生類のカエルが哺乳類のネズミを呑み込んだり、クモが小鳥を捕まえたり、ムカデがヘビの首ねっこにかじりついたり、小さなカマキリが水槽の小魚を襲ったり、これすべて YouTube に映像があるのだ。

地獄というものがあるならこういうものではないかと思えるくらい、生存のための競争は情け容赦がない。
イノシシは多産といわれるけど、それは天敵が多いからだ。
タラは何万個もの卵を産むけど、そのほとんどが親になるまえにほかの生き物に食べられてしまう。
イノシシもタラも、せっせと他人の餌を生産しているようなものだ。
・・・・・・・

ここまで書いてみたけど、あとがバッタリ。
認知症が心配だけど、うん、たまにはオチのない文章だなんて、しりあがり寿さんの真似をしちゃったりして。

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2019年2月13日 (水)

病院に行く

高血圧の薬をもらうために病院に行ってきた。
こんなことを書くと、これを読んでいる人のなかには、わたしがいつ脳梗塞で倒れてもおかしくない肥満男性と思うかもしれない。
いや、わたしは肥満というほど太っちゃいないぞ。
血圧が高いのは事実だけど、もう10数年も気にせずに生きてきて、同じ年ごろの知り合いよりずっと健康だ。
今回の病院も所属する団体からうるさくいわれて、イヤイヤながら行ったものだ。

病院なんかめったに行かないから、そっち方面ではベテランの知り合いに電話してみた。
医療費ってのは税金の還付があるんでしよ、あれって現金で返してくれんのか。

これまではたまに病院に行くことがあっても、なにしろ国民皆保険の国の住人であるだけに、費用はたいてい千円以下で済んでいた。
それっぽっち請求したって、手間を考えるとメンドくさい。
それより健康なんだから、長生きして、年金をできるだけ長くもらってモトを取ろうという魂胆。

その方針が変わったのは、高血圧のせいだ。
今回の費用は診察代と薬代で2千円くらいかかった。
そしてこれからも月にいちどは、薬をもらうためだけに、病院に通わなければいけないという。
すると年間で2万4千円の費用がかかることになってしまう。
これではやっぱり還付してもらわないことにはたまらん。

医師はわたしがご丁寧につけている血圧手帳をにらんで、うん、もうすこし下げなくちゃいけないなと、前回、前々回よりさらに強力な薬を処方してくれた。
こうやって、本人はそんな必要を感じてないのに、わたしもじわじわと薬漬け人間にさせられていくのだ。

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2019年2月12日 (火)

ハーレー

ハーレーダビッドソンから展示会のお知らせがきた。
むかし、うちの近所の味の素スタジアムで開かれた展示会に行って、いいなあ、乗りてえなあなんてほざいていたら、アンケートに協力させられちゃって、それ以来たまにお知らせがくるのだ。
ハーレーというと、わたしらの世代ならイージーライダーだ。
でも映画公開から半世紀だぞ。
わたしみたいな前期高齢者が乗ってもいいのか、あのバイク。

お知らせをスキャンして添付しようと思ったけど、意味がないのでやめた。
まだ新しいパソコン来ないので、載せたくても載せられない。

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2019年2月11日 (月)

またバレエ

寒いもんで部屋に縮こまって録画したバレエを観ている。
昨夜のBSシアターは、オペラの「ヴァネッサ」とバレエの「ラヴェル」。
「ヴァネッサ」のほうは、オペラの意表をつくようなスリムな女優さんが出ていたけど、内容はむずかしい心理劇らしいので、とりあえず鑑賞は氷河期でも来て、もっと部屋に閉じ込められたときにすることにする。

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「ラヴェル」のほうは、ロイヤル・フランダース・バレエ団というところの舞台で、ストーリーなんかなく、音楽が最初にあって、それにダンスを振り付けたという、コンテンポラリーダンスの部類。
薄ものをまとった美男美女が入り乱れるというものだから、頭をからっぽにして観てもなかなか楽しい。

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ところで冒頭に説明があって、ラヴェルが作曲した「展覧会の絵」に、だれそれが振り付けをしたとある。
あれ、「展覧会の絵」ってムソルグスキーじゃなかったっけと思い、調べてみたら原曲はたしかにムソルグスキー、それをラヴェルが管弦楽に編曲したものがべつにあるそうで、このバレエはそっちに振り付けをしたものらしい。
ふつうなら作曲者なんか知らないんだけど、むかしロック畑でELP(エマーソン、レイク&パーマー)がこれをロックに編曲し、そのアルバムがけっこう話題になったことがあるから、わたしも知っていたのだ。
もっともぜんぜん熱心に聴いたわけじゃないけど。

熱心に聴いてないからメロディも頭になく、このバレエも音楽に興味があって観ているわけじゃない。
またストリップと間違えているんだろうと、ま、なんとでもいっとくれ。
後半の「マ・メール・ロワ」という踊りに出ていたダンサーなんか、見とれてしまうくらいの巨乳で、踊りのじゃまにならないかと、これは本気で心配しているのだ。

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添付すべき画像はすでにネットから収集してあるんだけど、目下パソコンが故障中で、貼り付けることができまへん(この写真は、パソコンが到着してから貼り付けたもの)。

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2019年2月10日 (日)

その後のヒヤシンス

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去年の3月3日に、花が咲いたという記事を書いた鉢植えのヒヤシンス。
年間を通して面倒を見られないから、球根を庭に埋めて、あとは自力で生きるんだよと言い聞かせておいたら、今日、それがまた開花しているのに気がついた。
だいぶいじけているけど、けなげなやつ。
いじけ具合を見ると、こんないいかげんな男に買われたのが不運と、ヤケになってないか心配だ。

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2019年2月 9日 (土)

ヤドリギ

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2、3日まえ、野川公園を散歩していたら、売店のすぐ横のサクラのこずえに、その部分だけ異様に葉が密集して、球状になった部分があるのに気がついた。
これはヤドリギ(宿り木)だ。
自分で根っこから養分を吸うのがメンドくさいってんで、ほかの木に寄生して養分を吸う吸血鬼みたいな植物である。
わが家の近所ではめずらしいような気がする。
その後、樹木の多い自然観察園あたりを、上を見ながら歩いてみたけど、ほかにひとつも見つけられなかった。

しかしヤドリギは田舎に行けばそれほどめずらしいものではない。
むかし日光の奥にある湯西川温泉に行ったとき、雪のなかにこいつがオレンジ色の小さな実をつけているのを見て、彩りの乏しい季節にはなかなかきれいだなと思った記憶がある。

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2019年2月 8日 (金)

韓のくに紀行

司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのうち、“韓のくに紀行” を初めて読んだのは、これが文庫版になってすぐだから1978年のことだ。
ということはいまから40年まえということになる。
そのころのわたしはまだ韓国の反日なんてものもよく知らず、ただおもしろい紀行記であると思っただけだった。

しかしあとになってから考えると、すでにあちこちに韓国の反日思想、韓国人の特異な精神構造が描かれていることがわかる。
もちろん有名な作家で、韓国人の知り合いも多いこの作家が、そんなことをあからさまに書いているはずはないから、そのへんは深読みが必要だ。

たとえばこの旅に韓国人ガイドのきれいなお嬢さんが登場するけど、彼女は作家との会話の中で、 「つまり(日本は韓国を)もういちど併合したいとおっしゃるのですか」と訊く。
誤解されたと思った作家は、あわてて「あんなウルサイ国民をまた併合したいと考える日本人はいませんよ」と答えてしまう。
これでは火に油をそそぐようなものだけど、意外や、彼女はむしろ嬉しそうな態度を示す。
韓国ではウルサイというのは褒め言葉らしい。

また日本が韓国に創氏改名を強いたといって、いまでもこれを非難する韓国人が多いけど、韓国は日帝時代よりはるかむかしに、自らすすんで創氏改名をしたことも書いてある。
もともと朝鮮人というのは、テムジンとかヌルハチというようなモンゴルふうの名前をもつ民族だったそうだけど、中国が強大になるにつれ、これにゴマをするために、わざわざ金や朴、文というような中国ふうの名前をつけたんだそうだ。
本人がそうしたいというならご随意にといいたいところだけど、相手が日本の場合は、もちろん創氏改名ケシカランということになるのが困るのである。

作家はすでに韓国人が、日本に対してだけはうるさくて、理解しにくい民族であることを知っていたわけだ。
もちろん司馬遼太郎という人は、もと新聞記者だし、各方面に友人知己も多いから、知らないのはわたしだけだったのだろう。

でも「韓のくに紀行」は、韓国人を怒らせるために書かれた本ではない。
この本の中には、日露戦争のおり、外国の近代軍隊と戦ったことのない日本人は、東洋が生んだ海の名将として、韓国人の李舜臣に勝利を祈願をしたことも書いてある。
李舜臣は豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、日本軍をこてんぱんにやっつけた韓国の英雄だ。
これは作家が、日本人は韓国人でも平等に見ることを知っていたということを証明するために書いたんじゃないか。
作家はなんとかしてこりかたまった韓国人の反日感情を解きほぐそうとしたのだろう。

作家がこのときじっさいに見た光景として、韓国の田舎には電気が通ってなくて、夜になるとまっ暗だという記述がある。
似たような景色をわたしは中国で見たことがある。
はじめて上海から西安に向かったときのこと、西安近郊の田舎では、夜行列車から見ると、夜になるとほとんど明かりがなく、月明かりのなかにモノクロの農家がひっそりと寝静まっていた。
それはそれでとてもこころの落ちつく景色だった。

「韓のくに紀行」が書かれたのは1971年ごろだ。
これは朴正煕大統領の時代で、彼が漢江の奇跡と呼ばれる、韓国の近代化に邁進していたさなかのころである。
おそらくその奇跡の恩恵はまだ田舎には到達してなかったのだろう。
問題は、その後近代化に成功した韓国で、朴大統領の偉業が完全に忘れ去られていることだ。
中国でさえ、井戸を掘った人の恩は忘れないという言葉があるくらいなのに、これはいったいどうしたわけだろう。

じつは韓国人の異常さはこういうところにある。
政権が変わると、まえの権力者が徹底的に叩かれることになるんだけど、これはなぜなのか。
それについてもこの本を読めばわかる。
韓国というのは高句麗、新羅、百済の時代から国内勢力の仲が悪く、百済なんか新羅と犬猿の仲で、最後にはその相手に滅ぼされてしまう。
百済なんていうと聖徳太子の時代で、1400年もまえの話だぞ。
そんなむかしから仲が悪かったわけで、それがいまでも韓国国内に対立の火種になっているという。
日本だって維新の恨みを今にひきずる会津と薩長の関係があるけど、こちらはまだ150年だし、福島から総理が出たからといって、長州の安倍クンを刑務所に叩っこんだりしないだろう。

そうやって深読みしていると、ガイド嬢を美しいとかやさしいと書いているのも、これって皮肉なのかなと思いたくなる。
わたしは彼女を見たことがないからわからないけど、まだ整形なんてものがブームになってなかったころの話だし。

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2019年2月 7日 (木)

フェイク

すこしまえに見つけた「News U.S.」というサイト。
いわゆる嫌韓サイトのひとつだけど、国際情勢や経済問題がやけに詳しいので、いったいどんな人が運営してるのかと気になっていたものだ。
しかし最近いささか暴論じゃないかと思える記事が目立つ。

たとえば、北朝鮮は南進を企てているというんだけど、わたしにはいまの北朝鮮に、韓国に攻め入る力があるとはとても思えない。
むしろ韓国のほうが北進するか、あるいは経済的に圧倒して統一をするほうが、よっぽど可能性があるような気がする。
正恩クンが核やミサイルにこだわるのは、それだけ韓国や米国の北進におびえていることの証明じゃないか。
文在寅サンはしきりに北にゴマをすっているけど、だいたい北の主導で統一することに、韓国の軍部が黙って従うかどうか。

もうひとつは、韓国が日本へ侵攻するんじゃないか、対馬あたりは要注意だとしきりに煽ることだけど、そうなればとうぜん日本は反撃するということを、サイトの運営者はぜんぜん考慮していないようだ。
もちろん戦争はやってみなけりゃわからない。
しかし日韓戦争はひじょうに危険な賭けだし、いまの世界は現状の国境を武力で変更しようという動きをすごく嫌う。
日本が核武装してよろこぶ国はないから、中国もアメリカも韓国の無謀なこころみを止めようとするだろう。

つまり「News U.S.」のその部分はフェイクであるということだ。
なに考えてるんだろうねえ。

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2019年2月 6日 (水)

マクベス

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あなたが北朝鮮の正恩クンのような独裁者だったとする。
きれいな姉ちゃんを独占できるのはいいが、親分というのは孤独なものだ。
いつクーデターが起きて首をくくられるかも知れないし、そんなことを考えたら不安で不安で、その気持ちをまぎらわすために食いまくり、ブタのように、つまり正恩クンのように太るかもしれない。
心配なので占い師にうらなってもらったら、安心しなさい、女から生まれた人間にはあなたを殺すことはできないという八卦が出た。
人間はすべからく女から生まれるもので、男から生まれた人間なんて聞いたことがない。
安心したあなたは独裁者の地位に汲々とする。

クーデターが勃発した。
あなたは余裕でクーデターのボスを迎え撃つ。
ところが相手のひとことがあなたを打ちのめした。
「おれは母親がおれを産むまえに、帝王切開で取り出された人間だ」

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すこしまえにBSシアターで録画したのは、シェイクスピアの「マクベス」をもとにしたベルリン国立歌劇場のオペラ。
バレエにはまったおかげで、ついついオペラにもはまってしまったんだけど、てっきり豪華絢爛たる歴史絵巻かと思ったら、出てきたのはナチスの軍服みたいな上っぱりを着たプラシド・ドミンゴ。
世界的に有名なテノール歌手で、これを録画したのも、じつは彼が主役だということから。
でもじっさいに観てみたら、わたしはこれまでパヴァロッティをドミンゴだとばかり思っていた。
ま、わたしのオペラへの興味はその程度ということだ。

基本的にわたしはオペラが苦手である。
原因は登場人物が、だいたいにおいてこちらのイメージと違うからだ。
バレエの場合は飛んだり跳ねたりする都合上、どうしたってスリムな美女ということになるけど、オペラの場合は身の軽さより声量がものをいう。
やせっぽっちでは声量はあまり期待できないから、必然的に歩く姿はドラム缶という女性が出てくることが多い。
ああ、ピンカートン様となげく悲恋の蝶々さんが、栄養のよさそうな、でっぷり太った女性だなんて考えられるだろうか。

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しかし「マクベス」の場合は、主役の男女がけん怠期の夫婦であるから、無理にスリムである必要はない。
ドミンゴの相方はアンナ・ネトレプコといって、オペラ歌手としては有名らしいけど、想像どおりのドラム缶だった。
ウィキペディアで彼女について調べると、若いころの清純そうな写真が載っているけど、この舞台の彼女は憎々しい悪女タイプで、これは原作でもそうなっているから仕方がない。

オペラにかぎらないけど、舞台で演じられるものと映画との大きな違いは、物語の奥行きだな。
映画の場合、物語の背景は雄大な中東の砂漠であったり、それこそ地球~木星間の果てしない宇宙空間であったりする。
映画を観るとき思いきり想像をふくらませるわたしは、物語の背景も重要な要素としているから、奥行きというのは大切なのだ。
奥行きの欠点をカバーするために、この舞台では、背後のスクリーンに映像を流すという手法がとられている。
のっけから陥落直後のベルリンみたいに、瓦礫の山に黒い煙が立ち上っているという背景で、舞台で派手に火を燃やすわけにはいくまいから、この映像はべつに作られたものだろう。
現代のオペラならCGであってもおかしくない。

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そもそもオペラの魅力というのはなんだろう。
オペラから派生した舞台劇として、同じようにセリフを音楽にしたミュージカルがあるけど、そちらが「ポーギーとベス」や「雨に唄えば」「サウンド・オブ・ミュージック」「ヘアー」のように、聴く人を魅了する名曲に事欠かないのに、オペラにそんなものがあるとは、すくなくてもわたしには思えない。
映画なら出てくる女優を見ているだけで楽しいものがゴマンとあるけど、オペラにそんな女優さんはいそうにない。
登場する役者は、容姿やスタイルはどうでもよくて、一に声量、二に声量、三四がなくて、五に声量だから、もうちっと役にふさわしい人はいないのかということになってしまう。
たとえばこの舞台でマクベスの友人を演じ、のちに将来の政敵を疑われて殺される役者は、小心な三枚目みたいでミスキャスト。
復讐の念に燃えてマクベスに迫る役者も、ラーメン屋の店長みたいなデブで、わたしはあまりカッコいいと思わない。
演技は歌舞伎のように型にはまったおおげさなものだし、内容が人類に真理や哲学を示唆するとも思えない。
いろいろ考えてみたけど、わたしにはどうしてもオペラの良さがわからない。

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そのうち、ふと思った。
むかし府中の音楽ホールで、パイプオルガンの演奏会を聴いたことがあるんだけど、最後の一曲で度肝を抜かれた。
それまではなんとなくおとなしい演奏だったのが、ここでは荒馬が原野に放たれたよう、音がホールの天井を雷鳴のように駆けまわるといった塩梅で、クラシック音楽における楽器の威力をまざまざと思い知らされた。
わたしはオペラを劇場で観たことがないけど、オペラ歌手の声量は、マイクやスピーカーを使わなくても、人間の生の声だけでクラシックのフル・オーケストラに対抗できるという。
これなら、バレリーナがつまさき立ちでくるくるまわり、動きそのものが人間わざを超えた芸術であるのと同様、ふつうの人には真似のできない高度の芸術といっていい。

つまり生の舞台を劇場で観なけりゃ、オペラの魅力は理解できないのではないか。
でもわざわざ金を払って観にいく予定はありません、いまんとこ。

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2019年2月 5日 (火)

悲愴

わたしはクラシック音楽も聴くけど、どっちかというと協奏曲が多くて、フルオーケストラによる交響曲が苦手である。
若いころに、なんでも聴いてみようという意欲で、古今の大作曲家の交響曲をかたっぱしから聴いてみたことがある。
あまり楽しくなかったねえ。
ベートーベンやマーラーなんかいまでも聴く気がしない。

でも思うんだけど、どんな音楽でもひとくくりにして、それはキライとか好きとかいうのは間違っている。
探せばどんな音楽の中にも、きっと気にいるものがあるものだ。
これは逆の意味でもいえる。
おれはジャズが好きだという人でも、ジャズならなんでもいいわけじゃあるまい。

だから苦手なクラシック(の交響曲)の中にも、わたしの好きな曲はある。
だれそれの交響曲◯◯番なんて無味乾燥なタイトルを並べてもピンと来ないので、バッハ、シベリウス、シューベルト、ベルリオーズ、ドヴォルザークなどの、世間にもよく知られた交響曲の中には好きなものがあるとだけいっておこう。

ここにひとつ、チャイコフスキーの「悲愴」という交響曲がある。
20代の後半のころ、人生になんの希望も持てずボロ・アパートでくすぶっていたころ、わたしは初めてこの曲を聴いた。
感動したとか、励まされたとか、人生が変わったなんてオーバーな表現はつつしむにしても、この曲はわたしの脳髄に響いた。
とくに第2楽章の、もういやなんだよう、もういやなんだようというセリフを反復しているように聴こえる箇所で、わたしはなみだをポロポロ流した。
なにがいやだって、当時のわたしは生きるのがイヤでイヤで仕方なかったのだ。

どん底にある若いもんがこんな曲を聴くことが、いいことかどうか知らない。
でもわたしはもう充分だといえる歳まで生きながらえた。
いまでもときおりこの曲を聴くことがあるけど、自分が越えてきた山河を思って、胸がしめつけられるような気分になってしまう。

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2019年2月 4日 (月)

パソコンを買う

昨日の日曜日はウチの新聞にGLOBEという別冊がついてくる日だった。
特集がシルクロードということだけど、それ意外にも読みどころは多い。
これを見てしみじみ思うのは、どうして朝日新聞は最初からこういう硬派の新聞を目指してくれなかったのかということ。
もっとも読み手の能力がそれなりのものでないと、読者の獲得はむずかしかったかも。

シルクロードについては、わたしにはいろいろ思うところがあり、この記事について書きたいことがたくさんあったけど、いざ文章を書こうとすると、観梅のあい間にほいほいと仕上げられるほど簡単ではない。
今日は今日とてパソコンを買いに吉祥寺まで出かけてしまった。
やむを得ずシルクロードは宿題にして、今日は新しいパソコンについて書く。

いまはネット通販が花盛りだけど、なんで吉祥寺まで出かけるのか。
いろいろ手続きがメンドくさいからだ。
じっさいにはそれほどメンドくさくないけど、やはり店頭でじっさいに品物を見て、その場で契約してしまうのがいちばん簡単だ。
わたしはカードで買い物をするのに、まだどこか抵抗のある年寄りなのである。

そして買うならデスクトップに決めていた。
持ち運びできるノートのほうがよさそうだけど、外でパソコンを使うならタブレットがある。
だいたいわたしの部屋には外付けのモニターがあり、これがけっこう高性能で、いつになっても壊れないから、モニターこみのノートを買うのは無駄なのである。

でもいまどきデスクトップを買う人はめずらしいらしく、店頭にそれの選択肢は多くなかった。
それでも数少ないデスクトップのうち、レノボのデザインが、いちばん小さくて、すっきりしていて好感が持てた。
値段は7万6千円くらい。
これにメモリを増設して、ほかに最新のオフィスをつけて、なんだかんだとやったら10万円ぐらいになってしまった。
トホホだけど、いまどきのパソコンで、しかもわたしみたいにパソコンの酷使を当然とこころえる男には、これでも安いほうだろう。

問題は、中国で組み立てるので、発送到着まで2週間ぐらいかるということ。
いまは春節(中国の正月)なので、もっとかかる可能性もありますだって。
そうなんだよねえ。
中国や東南アジアで組み立てるという事情は、たいていのパソコンメーカーに共通していて、壊れてから新しいパソコンを買うのは、だいぶ手遅れなのだ。

というわけで、しばらくブログの更新もマック頼み。

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2019年2月 3日 (日)

観梅

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あー、くたびれた。
今日はいい天気だし、知り合いが府中へウメを観に行きたいという。
ウメなんかまだ咲いてないだろうとわたし。
ロウバイが咲いてるはずだと知り合い。
ロウバイはもう終わっているだろうとわたし。
それでも部屋にひきこもってばかりもいられないので、足の運動のためにつきあうことにした。

府中の「郷土の森公園」に行ってみたら、咲いていたのはほとんどロウバイで、ふつうのウメは来週以降になりそう。
それでもテコテコ歩いておおいに疲れた。
帰宅して近所のラーメン屋で味噌ラーメンを食ってきて、ベッドにコロリ。
このまま明日の朝まで、なんなら永遠に、目が覚めなければいいのにと思う。

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2019年2月 2日 (土)

お陀仏

ウインドウズ・マシーンのレノボが成仏しちゃったようだ。
買って5年と半年ぐらいだから、わたしとしてはお陀仏になられても文句をいえないパソコンだけど、これがないとブログの更新にさしさわりがある。
わたしがネットに載せる写真には、多かれ少なかれ、かならずなんらかの画像処理がしてあるんだけど、そのために使う「フォトショップ」は、そうとうむかしに買ったウインドウズ用しか持ってないのだ。

もう1台のマックに「フォトショップ」を入れればいいではないかといわれそうだけど、年金頼りの前期高齢者にアドビのソフトは荷が重い。
そっちには映画編集ソフトの「プレミア」が入れてあるけど、これだって清水の舞台から飛び降りるつもりで購入したものだ。

マックで現在の仕事をすべてまかなおうとしたら、ほかにも「オフィス」や各種フォントを、マック用に新たに揃えなければならない。
いまのわたしはパソコンに徹底的に金をかけないつもりなので、いまあるソフトはできるだけそのまま使いたいのだ。
しかしパソコン本体だけはどうにもならん。
明日は日曜日、また安いパソコンの下見でもしてこよう。

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2019年2月 1日 (金)

今朝の新聞

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今日のウチの朝刊の1面に、スカイツリーの背後に輝く月と金星の姿。
わたしもゴミ出しのために部屋の外に出て、ただならぬ輝きに気がついた。
それであわててカメラにおさめたんだけど、なんせわたしのカメラはコンパクト・デジカメだ。
目いっぱいズームでひっぱってもこのていどが限界(月の上が金星で、下は街灯のあかり)。
あのキラキラ感をとても表現できないことはわかっているけど、いちおうわたしも見たという証明のために。

朝日新聞にはめずらしく、わたしと同意見も出ていた。
わたしは先日の「似顔絵」というブログ記事で、大阪なおみさんとセリーナの似顔絵をならべて、色が白すぎるだのと、つまんないことをあげつらってやがるな。
そんなことより、優れた風刺画はいかなる兵器よりも雄弁に語る、ということを書いたつもりだったけど、今日の「社説余滴」というコラムも似たような内容。
このコラムにはときどき朝日新聞の権化みたいな女性記者も書いているけど、今日の女性記者はわりあいまじめ。

これは朝日新聞に関係ないけど、今日のBSシネマは「マッキントッシュの男」。
ポール・ニューマンがジョン・ヒューストン監督と組んだハードボイルドの傑作だ。
でも、映画DBの中には芳しくない批評もある。
わたしは最後のオチが見事だと思うし、ニューマン演じる諜報員がアイルランドの荒野を逃げまわる場面、その背後で焼け落ちる屋敷と、それにかぶさる悲しみを感じさせる音楽がなんともいえず好きだけどねえ。

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