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2019年2月 6日 (水)

マクベス

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あなたが北朝鮮の正恩クンのような独裁者だったとする。
きれいな姉ちゃんを独占できるのはいいが、親分というのは孤独なものだ。
いつクーデターが起きて首をくくられるかも知れないし、そんなことを考えたら不安で不安で、その気持ちをまぎらわすために食いまくり、ブタのように、つまり正恩クンのように太るかもしれない。
心配なので占い師にうらなってもらったら、安心しなさい、女から生まれた人間にはあなたを殺すことはできないという八卦が出た。
人間はすべからく女から生まれるもので、男から生まれた人間なんて聞いたことがない。
安心したあなたは独裁者の地位に汲々とする。

クーデターが勃発した。
あなたは余裕でクーデターのボスを迎え撃つ。
ところが相手のひとことがあなたを打ちのめした。
「おれは母親がおれを産むまえに、帝王切開で取り出された人間だ」

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すこしまえにBSシアターで録画したのは、シェイクスピアの「マクベス」をもとにしたベルリン国立歌劇場のオペラ。
バレエにはまったおかげで、ついついオペラにもはまってしまったんだけど、てっきり豪華絢爛たる歴史絵巻かと思ったら、出てきたのはナチスの軍服みたいな上っぱりを着たプラシド・ドミンゴ。
世界的に有名なテノール歌手で、これを録画したのも、じつは彼が主役だということから。
でもじっさいに観てみたら、わたしはこれまでパヴァロッティをドミンゴだとばかり思っていた。
ま、わたしのオペラへの興味はその程度ということだ。

基本的にわたしはオペラが苦手である。
原因は登場人物が、だいたいにおいてこちらのイメージと違うからだ。
バレエの場合は飛んだり跳ねたりする都合上、どうしたってスリムな美女ということになるけど、オペラの場合は身の軽さより声量がものをいう。
やせっぽっちでは声量はあまり期待できないから、必然的に歩く姿はドラム缶という女性が出てくることが多い。
ああ、ピンカートン様となげく悲恋の蝶々さんが、栄養のよさそうな、でっぷり太った女性だなんて考えられるだろうか。

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しかし「マクベス」の場合は、主役の男女がけん怠期の夫婦であるから、無理にスリムである必要はない。
ドミンゴの相方はアンナ・ネトレプコといって、オペラ歌手としては有名らしいけど、想像どおりのドラム缶だった。
ウィキペディアで彼女について調べると、若いころの清純そうな写真が載っているけど、この舞台の彼女は憎々しい悪女タイプで、これは原作でもそうなっているから仕方がない。

オペラにかぎらないけど、舞台で演じられるものと映画との大きな違いは、物語の奥行きだな。
映画の場合、物語の背景は雄大な中東の砂漠であったり、それこそ地球~木星間の果てしない宇宙空間であったりする。
映画を観るとき思いきり想像をふくらませるわたしは、物語の背景も重要な要素としているから、奥行きというのは大切なのだ。
奥行きの欠点をカバーするために、この舞台では、背後のスクリーンに映像を流すという手法がとられている。
のっけから陥落直後のベルリンみたいに、瓦礫の山に黒い煙が立ち上っているという背景で、舞台で派手に火を燃やすわけにはいくまいから、この映像はべつに作られたものだろう。
現代のオペラならCGであってもおかしくない。

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そもそもオペラの魅力というのはなんだろう。
オペラから派生した舞台劇として、同じようにセリフを音楽にしたミュージカルがあるけど、そちらが「ポーギーとベス」や「雨に唄えば」「サウンド・オブ・ミュージック」「ヘアー」のように、聴く人を魅了する名曲に事欠かないのに、オペラにそんなものがあるとは、すくなくてもわたしには思えない。
映画なら出てくる女優を見ているだけで楽しいものがゴマンとあるけど、オペラにそんな女優さんはいそうにない。
登場する役者は、容姿やスタイルはどうでもよくて、一に声量、二に声量、三四がなくて、五に声量だから、もうちっと役にふさわしい人はいないのかということになってしまう。
たとえばこの舞台でマクベスの友人を演じ、のちに将来の政敵を疑われて殺される役者は、小心な三枚目みたいでミスキャスト。
復讐の念に燃えてマクベスに迫る役者も、ラーメン屋の店長みたいなデブで、わたしはあまりカッコいいと思わない。
演技は歌舞伎のように型にはまったおおげさなものだし、内容が人類に真理や哲学を示唆するとも思えない。
いろいろ考えてみたけど、わたしにはどうしてもオペラの良さがわからない。

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そのうち、ふと思った。
むかし府中の音楽ホールで、パイプオルガンの演奏会を聴いたことがあるんだけど、最後の一曲で度肝を抜かれた。
それまではなんとなくおとなしい演奏だったのが、ここでは荒馬が原野に放たれたよう、音がホールの天井を雷鳴のように駆けまわるといった塩梅で、クラシック音楽における楽器の威力をまざまざと思い知らされた。
わたしはオペラを劇場で観たことがないけど、オペラ歌手の声量は、マイクやスピーカーを使わなくても、人間の生の声だけでクラシックのフル・オーケストラに対抗できるという。
これなら、バレリーナがつまさき立ちでくるくるまわり、動きそのものが人間わざを超えた芸術であるのと同様、ふつうの人には真似のできない高度の芸術といっていい。

つまり生の舞台を劇場で観なけりゃ、オペラの魅力は理解できないのではないか。
でもわざわざ金を払って観にいく予定はありません、いまんとこ。

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