« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »

2019年4月

2019年4月30日 (火)

また「石の花」

001a

3月2日のこのブログで、「石の花」というバレエの、これは制作裏話みたいなドキュメンタリーだったけど、それをYouTubeで観て、興味があるのにロシア語なので意味がわからないというようなことを書いた。
ところがその後、ツァールスカヤ・ロージャと名付けられれたこのドキュメントには、正確な日本語の解説文がついていることがわかった。
ふだんは折りたたまれていて見えないけど、画面右下の小さな
v 記号をクリックすると、ずらずらっと文章が表示されるのである。

おかげでこの映像の中に出てくるおじいさんが、「石の花」の振付師であるユーリ・グリゴローヴィチであることがわかってしまった。
かなり古くからのバレエの歴史に登場する人なので、わたしはてっきり故人かと思っていたのである。
しかしウィキペディアには死亡日時が書いてないから、まだ現在でも生きているらしい(いまなら
92歳ぐらい)。
上記のドキュメンタリーの中には、若いころの彼の写真も出てくるけど、さすがにロシアのバレエダンサーで、現在の本人とは似ても似つかぬハンサムな人だった。

001c

このドキュメントを観たおかげで、わたしはこのバレエをじっさいに観たくて仕方がない。
わたしが魅了されたのは、ヒロインの銅山の女王役を、ヴィクトリア・テリョーシキナというバレリーナが演じているもので、彼女はアスリートみたいな、ちょっときつめの美人だけど、初恋が忘れられないみたいに、初めて観た彼女の踊りが目に焼き付いてしまったのである。

001b

このバレエを観たかったらまたロシアまで行かなくちゃいけないか。
でも考えた。
テリョーシキナさんの舞台は、グリゴローヴィチの生誕
70周年を記念する特別公演だったようで、つまり現在ではロシアでも、それほどひんぱんに上演される作品ではないようだ。
おまけにロシアの専売特許みたいなバレエで、他の国のバレエ団で上演されることもないみたい。
これじゃわたしが、もういちどロシアまで出かけられるほど若くても、いつでも気安く観られるわけではない。
あこがれは永遠にあこがれで終わるのか。

そう観念したけど、でも考えると、グリゴローヴィチさんはもうよたよただ。
彼は世界的に有名な振付師だから、亡くなったら大きな話題になるだろうし、また記念の特別公演が行われるかもしれない。
すると彼の代表作として、演目は「スパルタクス」か「石の花」が候補だろう。
「スパルタクス」のほうはいまでもしょっちゅう演じられているから、ここはやっぱり「石の花」だな。
そのときモスクワまで観に行けばいいではないか。
と考えたけど、いまやわたしもよたよただ。
グリゴローヴィチさんか、わたしが先か、どうも縁起でもないことばかり頭にちらついちゃって。

| | | コメント (0)

2019年4月29日 (月)

亀戸天神の今日

0857a 0857b

今日はフジの花を見るために亀戸まで行ってきた。
くたびれて帰ってきて、ベッドにころりで、夜中の12時ちかくになってあわてて更新。
連休中ということで、天神さまの境内は外国のひとも含めて大混雑だった。
天気がよくなかったのでろくな写真はないけど、アツアツのタコヤキがおいしかった。

0857c 0857d 0857e

| | | コメント (0)

2019年4月27日 (土)

iPad電話

ロシアも頼りにならないことを知った正恩クン。
いまごろは国に帰って、子分を集めて、これからのことを思案中だ。
どうしたらよかんべさ。
こうなったら、唯一の味方といっていい韓国の文サンを味方にするしかありませんですよ。
ばかやろう、あそこはまだちょっとまえに、仲裁者ぶるなと文句をいったばかりだ。
日本にすり寄るってのはどうでしょう。
あそこはいつも、どうにもならない無理難題ばかりふっかけてくるからなあ。

寝っ転がって新しい iPad でこんなことを書いていたら、電話がかかってきた。
うん?
目の前にあるのは 
iPad だけで、iPhone は台所だ。
iPad
の画面に着信画面が表示されているから、試しに応答してみたらちゃんと会話できるではないか。
iPad
って電話にも使えるのねと、またひとつ新事実を発見。
もう正恩クンのことはどうでもよくなった。

| | | コメント (0)

2019年4月26日 (金)

結果は?

いったいロシアと北朝鮮の会談はどうなったんだいと、わたしも興味を持っているんだけど、ネットにはあまり情報が入ってこない。
ということはどうせロクな成果がなかったのだろう。
にもかかわらず、今朝のウチの新聞は、1面、2面、社説などでこの会談の特集だ。

気になったのはウチの新聞にあった、約束の時間に遅れることの多いプーチンが、今回は先に来て正恩クンを待ったという記事。
これは産経の記事と正反対だ。
産経の記事ではプーチンが相手を待たせたということになっていて、わたしもそれを引用して前項の記事を書いてしまったのだ。
これではどっちかの記事がウソということになるけど、こうなると東シベリアで発生した山火事の対策会議のために、会談開始が3時からにずれこんだと、具体的に書いている産経のほうが信用できそうだ。
大統領は遅れますからいったん宿舎にもどって下さいと要請され、その後到着しましたという知らせを聞いて、ふたたび会談場所に行ったのが、正恩クンのほうがあとだったと、その程度のことじゃないか。

ニュース映像を見たかぎりでは、プーチンは笑顔で迎えたというより、ニヤニヤしながらというほうがふさわしかった。
おそらく腹のなかでは、この野郎、にっちもさっちも行かなくなってからうちに泣きついて来やがってと考えていたのだろう。

いったい今回の会談で正恩クンになにか成果があったのか。
プーチンは北朝鮮の立場を後押しする考えを示したというだけで、具体的にはなにも約束していない。
リップサービスで、いちおうは制裁緩和のために努力するとなんとかいうけど、ロシアの存在感を示せればそれだけでいいやという感じ。
北の石炭をこれだけ引き受けましょうとか、韓国に変わって瀬取りはウチの船でとか、北の労働者を◯◯人受け入れましょうなんて、具体的な約束はなにもしてないのである。
これでは正恩クンは手ぶらで帰るのといっしょではないか。

新聞は事実を書いてさえいればいいのに、あいかわらず北の暴君を必要以上に大きく見せるという、無理な解釈をせざるを得ない朝日新聞の記者に同情すべきだろうか。

| | | コメント (0)

2019年4月25日 (木)

失意

正恩クンとプーチン大統領の会談はどうなったのかいと、夜の7時のニュースに注目していたけど、ほとんど外交辞令で終わったようだ。
産経のニュースでは、プーチンは正恩クンを待たせたまま、べつの用事に寄り道していたという。
あまり軽く扱われるので、正恩クンは不機嫌ともあった。
産経のニュースを全面的に信用するのもナンだけど、こういうことを朝日新聞がぜんぜん取り上げなかったところをみると、やっぱり北のおもわく通りにはいかなかったとみるべきだろう。
会談の映像をプーチン・ファンのわたしが観ると、おー、こいつがいまどきめずらしい皇帝サマかいと、プーチンが人のわるい笑みを浮かべているように見えた。

なにひとつ成果らしいものを手にすることが出来ず、けっきょく米朝会談に続いて、またしても正恩クンは失意のうちに北へもどることになるんじゃないか。

| | | コメント (0)

2019年4月24日 (水)

露朝会談

北朝鮮の正恩クンがプーチン大統領と会うという。
会ってなにをしようというのか。

わたしがロシアの親切な大統領なら、アドバイスできることはひとつしかない。
核兵器やミサイルの開発をぜんぶやめ、それらをすべて廃棄し、制裁を解除して、外国からの支援を受けて国内の経済を立て直しなさい。
あとの舵取りはむずかしいかもしれないけど、手綱さえまちがえなければ、北朝鮮はいまのベトナムやカンボジアのように発展できるはずだ。  

考えてみると、これがいちばん簡単だし、まちがいのない方法なのだ。
東西冷戦のころのように、大国がさまざまなおもわくで、ほかの国を利用しようと考えている時代ならいざしらず、いまのプーチンにできる助言はこれしかない。

しかし正恩クンにはその簡単なことができない。
暗殺が怖くて飛行機にも乗れず、どこに行くにも専用列車でという指導者だ。
こんな意気地なしの指導者に、核兵器を保持したままでいてほしいと考える国が、いまの世界にひとつでもあるだろうか(ひとつだけあるけどね)。

プーチンは武術家だ。
これまでロシアを立て直すためにさんざん苦労してきた大統領だ。
そういう人間にとって、不安をかくすために、食って太るしかない指導者ぐらい軽蔑に値するものはないだろう。
露朝会談の結果はわかりきっているとしか、わたしには思えない。

| | | コメント (0)

アルジェの2

Ar00Ar01

先日録画した「アルジェのイタリア女」というオペラ。
これはザルツブルク音楽祭で上演されたもののビデオだけど、ぜんぜんオペラに縁のない当方だから、最初はちょっと面食らった。

オリジナルは倦怠期のアルジェの太守が、部下に古女房に代わる新しい女を調達してこいと命令し、首尾よくかっさらってきたイタリア女が、これはなかなか肝のすわった相手で、ぎゃくに手くだを弄して太守をギャフンといわせる物語。
ロッシーニの有名なオペラらしいけど、登場人物がジーンズをはいていたり、ジャージー姿だったり、サッカーチームまで出てくる始末で、これって時代設定はいつなのよと疑問符つき。

Ar02

つまり、これはナンセンス・コメディなんだなと理解するのがいちばんいい。
映画でたとえれば、えーと、たとえば「ビートルズのヘルプ!」には、バハマ諸島の海岸にドーバー海峡横断中の水泳選手があらわれる。
キューブリックの「博士の異常な愛情」では、コング少佐は水爆にまたがったまま目標めがけて突入する。
そんなバカなと文句をいわずに、だまってアハハとおかしがってればいいのである。
世の中にはそういうユーモアもあるのだ。

 イタリア女の魅力を説明するために、背景にフェリーニの「甘い生活」の映像が流れるシーンがある。
でもアニタ・エクバーグはイタリア人じゃないし、イタリア人という設定にもなってないぞと、こういうところではツッコミを入れたくなる映画好きのわたし。

Ar03

「アルジェの」でヒロインのイタリア女に扮したのは、チェチーリア・バルトリといって、1966年生まれだからおばさんといっていい歌手だ。
当然ながら柳腰の美女を期待するわけにはいかないけど、不条理な喜劇であることを思えば、笑わせるためのデフォルメとみなすこともできる。
太守を演じた歌手も、目をぎらつかせてヒロインにせまる演技は、誇張されているとはいえ、映画なら「第17捕虜収容所」や「7年目の浮気」に出演していたロバート・ストラウスみたいで、アカデミー賞ものだ(ノミネートで終わるかもしれないけど)。  

しかしこれは映画ではない。
ヒロインが恋人とアルジェ脱出のための謀議をこらす場面がある。
謀議だからひそひそ話である。
たとえひそひそ話でも、これはオペラだからセリフはすべて歌であり、歌声は劇場のすみずみまで聞こえなければいけないのだ。
これはむずかしそう。
ひそひそとすみずみまでという相反する行為を両立させるなんて、こんな器用な真似は、そんじょそこいらの映画俳優にはできそうもない。
オペラはやっぱり、凡人には真似のできない芸術である。

Ar04Ar05

わたしはこのブログで、オペラにはミュージカルとちがって、世間に流布するような名曲がないと書いたことがあるけど、けっしてそんなことはなさそうだ。
1幕の終わりは嵐のなかの船の上という設定で、コーラス陣まで含めた登場人物全員が、横になったり逆さになったり、あっちへよたよた、こっちへふらふら、歌でもってかけあい漫才をやっているようなはちゃめちゃなシーンになり、もうおかしくておかしくて。
この場面での音楽はポピュラー・ナンバーになってもおかしくないワ。  

Ar07

オペラについて調べてみたら、かってはバレエよりオペラのほうが人気があったということを知って、女性のプロポーションばかりに目のいくわたしはちょっと意外だった。
でも考えてみると、バレエはどんなに素晴らしくても、しろうとがいきなり真似をするわけにはいかないが、オペラのほうは体をゆすったり手拍子を打ったり、初めての観衆も舞台と一体になって楽しさをわかちあうことができる。
バレエの真似はできなくても、歌ならオレにもと錯覚する人が多いのは、カラオケに行ってみればよくわかる。
これじゃオペラのほうが人気があっても当然かもしれない。
底抜けに楽しい「アルジェの」を観てそう思った。
こんなオペラばかりなら、わたしのオペラに対する偏見もなくなるかもしれないのに。

| | | コメント (0)

2019年4月23日 (火)

花の季節は

2fcd7b98aa874222b85e024040f94bbb

花がいっぱいのわたしの散歩道を、わたしひとりで独占するのはワルイから、たまには散歩に来なさいよと、知り合いを誘ってみたけど、今のところだれひとり来ないね。
花の季節は短いし、わたしたちの春があと何回あると思っているのか。
いまひとりでぼんやり草原のベンチに座っているけど、わたしと同じようにズミの花の下で、ひとりでぼんやりしている女性がいる。

| | | コメント (0)

2019年4月22日 (月)

わたしらの運命

わたしの知り合いに、ガンが転移しちゃったよという人がいた。
そうですか。
散骨は引き受けますよ、美しい珊瑚礁の海でも、手近なところで自然のゆたかな奥多摩の山でも、希望をいってもらえれば場所はどこでもとわたし。
もっとも北アルプスの槍ヶ岳がいいといわれても、いまのわたしには応じられない。

こんな冗談をいってるあいだは、まあ、問題はないだろう。
当人は先日まで胃ガンだとさわいでいて、手術して小さな腫瘍をとりのぞいたら、完治しちゃったよとイバっていた人である。
ま、人間なんていつどうなるかわからないし、ましてわたしらの年齢ではむやみに心配しても仕方がない。
わたしも脳腫瘍ではないかと気になることがあるので、そのうち病院に行ってみるつもりだ。

おさななじみのカトー君に聞いたところでは、わたしのもうひとりのおさななじみ(女のひと)で、やはりブログを運営している人がいた。
あまり他人と接触を好まないニートのわたしは、コメントを書き込んだり、やたらに 「いいね」 を押したりしないけど、ときどきのぞかせていただいていた。
彼女のブログ名は 「アヤメの花信風」 といって、園芸や料理の話題が多く、平凡ではあっても、とくに不満のないらしい主婦生活をつづったものだった。

ところが最近またのぞいてみたら、ブログが閉鎖されていた。
えっ、おいと、こうなるといちばん先に気になるのは、つまり、その、寿命が来たんじゃないか、天国に召されちゃったんじゃないかということ。
女は男より長生きというから、心配が杞憂であればいいんだけど。

| | | コメント (0)

2019年4月21日 (日)

友、遠方より

0856a

トシのせいか、ニートの傾向がますますひどくなる。
どこかへ出かけようと思っても、まずおっくうが先に立ってしまう。
なにがいちばん楽しいかといわれると、部屋でごろごろしているのがと答えたくなってしまう。
わたしの歳になればだれだってそうさと、まわりをみて弁解ばかりする。
これでは肉体的にも精神的にも、ますます内向化するばかりだ。

0856e

いま熊本の知り合いが、仕事で関東地方を巡業中だ。
いやいや、大相撲じゃない。
各地で開かれるクラフトフェアなる催し物に参加しているのだ。
彼に会うために、みずからの精神にムチを当て、無理やり出かけることにした。
高速道路を車でとばすこと2時間ぐらい。
目的地は北関東の、わたしの郷里からも近い地方都市。

0856b

3番目の写真が彼だ。
わたしは彼を子どものころから知っているけど、ひさしぶりに会ったら、彼もわたしと同じようなおじさんになっていた。
おい、元気かと声をかけても、返事するさえおっくうそうだ。
お腹をなでてやっても、あまりうれしそうな反応をみせない。
昼間はいろんな人になでられるので、夜間は寝てばかりだそうだ。
ホント、わたしに似てんな。

0856d0856c

でもひさしぶりに会えてよかった。
クラフトフェアもおもしろかった。
いまの日本には、地位や財産に縁はなくても、好きなことをやって生計を立てるのが最高という工芸家のいかに多いことか。

| | | コメント (1)

2019年4月20日 (土)

英哲サン

いったいどこへ消えたんだと、わたしにすら疑問を持たれていた北朝鮮の最高幹部金英哲サン。
米朝会談のころまでは、正恩クンがどこへ行くのにも影のようにつきそっていたから、その顔を知らない人はいないだろうけど、決裂した会談以降さっぱり表舞台にすがたを見せなくなってしまった。
そういうことがあると、あの国では“粛清”のふた文字がすぐに頭に浮かぶ。
しかし米国との交渉での陣頭指揮ぶりや、最高尊厳に対する忠誠ぶりからすると、彼も正恩クンの叔父貴や兄貴の二の舞、という状況は考えにくい。

ネットニュースにひさしぶりに英哲サンの話題が見つかった。
とはいっても彼の健在が証明されたというわけじゃない。
そのニュースによると、つい最近も幹部連中が集まった集合写真で、彼が重要なポジションに収まっていたというから、失脚や粛清ってわけではなさそうだ。
しかしいま何をしているのか、そのニュース元にもさっぱりわからないらしい。
病気で寝込んでいるんじゃなかろうかという憶測もあるらしいけど、米国との会談準備に飛びまわっていた、あのタフなネゴシエーターが?
うーん。
ひょっとすると地下に潜り込んで、南朝鮮侵攻のためのトンネルを掘るという、モグラ作戦の指揮でもとっているのかも。

| | | コメント (0)

2019年4月19日 (金)

兄弟?

0854

この季節になると、ついのぞきたくなる石垣の水抜き穴。
このブログに定期的に登場しているから、あんまりめずらしいものでもないけど、今日は2匹そろってというのが変わっている。
にいちゃん、ボクらの写真撮ってるよ。
しっ、シカト、シカトとでもいってるんだろうか。

| | | コメント (0)

急げ!

いまテレビのニュースを観ていたら、北朝鮮が、こんどはポンペオ長官は交渉相手にふさわしくないから代えろと言い出したらしい。
あいかわらず米国と対等の立場のつもりでいるみたいだけど、分をわきまえない発言をいくら発したって、お、効いてる、効いてると思われるだけなのに。

正恩クンは中国が頼りにならないので、こんどはロシアに頼るつもりみたいだ。
しかし北の暴君から、その国民を救おうというばかりが国連の目標じゃない。
政治はそんなにこころやさしいものじゃない。
これ以上核保有国を増やしたくないというのが、先進国共通の本音なのだ。
おそらくロシアも国連の制裁決議違反をしてまで、正恩クンの味方はしないだろう。
つまりなにがなんでも核兵器にしがみつく正恩クンは、完全に手詰まりなのだ。

わたしも心配している。
時代錯誤の皇帝国家で、現代ではめずらしい易姓革命が見られるかどうか、早くしてくれないと、わたしのほうが先にお陀仏になってしまうではないか。

| | | コメント (0)

2019年4月18日 (木)

アジサイ

0853

花屋をのぞいてみたら、鉢植えのアジサイを500円で売っていた。
おお、こんなでっかいのがこの値段ならと、買うことに決めて、店内でお金を払おうとしたら1500円ですという。
わたしのカン違いだったようだけど、いまさら文句もいえないからその値段で買ってきた。

くやしいから翌日また確認に行ってみたら、やっぱり1500円だった。
認知症かねえ。

それは仕方ないけれど、家を出るまえにそのアジサイにたっぷり水をやって、日当たりのいいベランダに出しておいたら、帰宅して見ると、シダレザクラみたいにげんなりとへたれているではないか。
アジサイってのは日照に弱いのか。
あわてて屋内に取り込んで、また水をやったら、現金なもので1、2時間でしゃっきりした。
それ以来屋内栽培にしてるんだけど、ちょっと油断すると、すぐにげんなり、水をやるとたちまちしゃっきりの繰り返しだ。
こんな男に衝動買いされた花も不憫だけど、ほんと、イヌを飼うより手間がかかるよ。

| | | コメント (0)

2019年4月17日 (水)

日本の文化

0852

4月になると日本の花見を目的に、訪日外国人の数がどっと増えるのだそうだ。
日本人には花見なんて珍しくないし、わたしみたいにどこが楽しいのかという偏屈もいれば、世の中にたえて花見(サクラ)のなかりせばと歌った有名歌人もいる。
それで、どうでもいいことだけど、花見について考察してみた。

いったい外国の人は花見をしないのだろうか。
わたしの階下に住むロシア人なんか、奥さんの誕生日になると旦那が花を買っていて、奥さんもうれしがっているようだから、単に花を愛するだけなら彼らも日本人にひけをとるものではない。
いや、それ以上にあちらさんのほうが、花とともにある生活が身についているようだ。
日本の旦那で、奥さんの誕生日に花を買う人がいるだろうか。

外国にもフラワー・フェスティバルのようなものはあちこちにある。
タイにはお釈迦さまの花祭りがあるけど、これは神さまのもので、自分たちのためのものではない。
ベルギーには街の広場を花でカーペットにしてしまう祭りがある。
しかしこれは摘んできた花、つまり死んだ花で街を飾ろうというのだから、生きた花を愛するという日本とはちがう。

4月に大挙して訪日するほどの花見の魅力というのはなんだろう。
屋外でバーベキューをするのはロシア人も好きだし、バスケットに食べものを詰めてピクニックという文化はアメリカにもある。
でもこれも個人的な集まりの要素が大きく、みんながみんな、花の季節になると浮き足立つというものではない。

やっぱりなんだな。
これはつまり、花の下で、飲んでどんちゃん騒ぎをするってことだな。
そういう点では日本の花見は独特だ。
まだ観光客なんかひとりもいない時代から、八っあん、熊さんが自主的に野山に繰り出して、あるがままの自然を愛でるなんて祭りは外国にはないぞ。
日本人が自然を愛している証拠はほかにもゴマンとあるけど、とりあえず花見は日本のほこる伝統文化ってことで、それが結果的に外国人を引き寄せているならごちゃごちゃいうこともない。
わたしはひとりでぼんやり見てまわるほうが好きだけど。

| | | コメント (0)

2019年4月16日 (火)

この季節

0851a 0851c

今日はいい天気だし、車を整備に出してどこにも出かけられないから、例によって散歩。
近所で撮った写真をずらっと並べる。

0851b

名も知れない草の葉が陽光を受けてきらきらと輝いている。
声には出さねど、わたしの胸中から第9の歓喜の歌があふれ出すといったところ。

0851d

わが家の近くには国分寺崖線という、斜面になった地形が続いている箇所があるんだけど、樹木の茂ったそのあいだの小道を歩いていると、奥多摩あたりの山の中みたい。
芭蕉の句をもじって
  山路きてなにやらゆかしシャガの花

0851e

芝生にまるい影を落とすイヌザクラの木。
この季節によろこびを感じる人なら、写真の被写体はどこにでもころがっているものだ。

0851f 0851g 0851h 0851i 0851j

このあいだまで枯れ木だった木の枝から、命の泉のように若葉が萌える。
若葉、若葉、どっちを見ても若葉。
そんないまの季節を、これらの写真から感じてもらえれば幸いだ。

| | | コメント (0)

2019年4月15日 (月)

アルジェのイタリア女

001

昨夜のBSプレミアムシアターはオペラの「アルジェのイタリア女」。
もちろんわたしはそんなオペラのことはなにも知らない。
ちらりとのぞいてみたら、太ったおばさんが熱唱中。
あ、やっぱりというわけで、オペラの苦手なわたしは目をそらそうとした。
でもなんとなく滑稽感があったので、もうすこし観ていたら、あまりモテそうにないおばさんがしきりに男にくどかれる。
ベット・シーンがあったり、下着すがたのおっさんが女房に迫られたり、なんかお下劣な艶笑劇を観ているようで、あははと笑ってしまった。
いまでこそオペラは高尚な芸術と思われているようだけど、もともとはこんな具合の、浅草ロック座や大阪なんばの新喜劇で上演されているような大衆芸能じゃなかったのかと思わせる舞台だった。

わたしのオペラ嫌いには、ほんのすこしだけ、きどった観方をする人々への反感も含まれているので、こういうぶっちゃけた舞台を観ると、我が意を得たような気がする。
録画しておいたからあとでじっくり観よう。

002

話は変わるけど、最近わたしは YouTube を利用して音楽を聴いたり、バレエやオペラを観る機会が多い。
ところがパソコンやタブレットに内蔵されているスピーカーは、どうも音がもの足りない。
これまでは外付けスピーカーをコードでつないでいたけど、最近パソコンを買い換えたら、音質がますますひどくなった。

それで今日は Bluetooth 方式の新しいスピーカーを買ってきて、これからはそれを使うことにした。
安物だけど、もともと完璧とはいえない音質の 
YouTube を聴くていどなら、これで十分。
わたしの世代には神スピーカーといっていいJBLの製品だし、しかもこれからはそれをどこへでも持ち運べるのだ。
わたしの老後はいよいよ充実。

| | | コメント (0)

2019年4月14日 (日)

羊飼いの文明化

0850a

BSでまたシルクロードを扱った番組が放映され、わたしにはなつかしい敦煌や張掖といった街が出てきた。
4Kカメラによる撮影だというから、シルクロードの最新報告といっていい。
このあたりは20年以上まえにわたしがうろついた場所でもあるので、興味をもって観たけど、莫高窟のあたりの風景はそれほど変わっていないようだ。
これはまあ、世界遺産をかってにいじくり、改変するわけにはいかないということだろう。
それよりも崩壊しやすい砂漠の奇景、景勝地には、尾瀬みたいにちゃんと遊歩道が作ってあって、共産党は軍備以外にもお金を使っているんだねえと思ってしまった。

おもしろかったのは砂漠で放牧をするモンゴル族の生活で、孤独なパオ(天幕)暮らしは変わらないものの、パオのまえに太陽光パネルが設置してあったこと。
砂漠では太陽は最良かつ無限のエネルギー源だから、おおいに利用すべきだけど、時代も変わったものである。
何年かまえにテレビを観ていたら、アフリカでやはり放牧生活をしているマサイ族が、携帯電話でモシモシとやっている場面が出てきた。
孤独な職業の典型だった羊飼いも、最近では放牧中にYouTubeでロシアのバレエでも鑑賞しているのかもしれない。
わたしも負けちゃおられん。

添付したのは、張掖郊外の砂漠で、正真正銘わたしが撮ったもの。
おもしろくもおかしくもない写真でありますが。

| | | コメント (0)

2019年4月13日 (土)

食品輸入問題

日本産の食品輸入問題で韓国の逆転勝訴という結果になり、さぞかし嫌韓サイトが煮えくり返ってかといるんじゃないかと思われるけど、ここは理論的というのでユーメイな「News U.S」を見てみよう。
なんの、負けてよかったのさ、日本は試合で負けたけど勝負で勝った、という理屈。
これが理屈かヘ理屈かはわからんけど、この件でむかっ腹の立っている人が読めば、溜飲が下がること請け合いだ。

わたしもむかっ腹が立っているから、今夜はホヤ刺でイッパイやろうと思う。
こんなおいしい珍味が輸入禁止だなんて、韓国の人が気のドクだ。

| | | コメント (1)

2019年4月12日 (金)

北の事情

北朝鮮の市民を悲惨な境遇から救うというのは、先進国共通の目標になっていて(ひとつだけ同調しない国もあるけど)、いろいろ考えたあげく、経済制裁がいちばんいいだろうという結論になった。
なにしろ刃物をもった〇〇〇〇が相手だから、むやみに追いつめると、プッツンしてなにをするかわからない。
そういう情勢に追い込まないように注意しながら、相手の経済をマヒさせれば、たまりかねた国民が政権打倒の革命でも起こすだろうというのが先進国の期待。

ところが相手もしぶとい。
なかなか革命なんか起きそうもない。
おりしもスーダンではまたクーデターだ。
アフリカでは、ちょっとでも気に入らないことがあると、あっという間に政権打倒だ。
どっちがいいという問題じゃないけど、このくらい単純だとハナシが早い。
これをみただけでも、朝鮮人というのは先進国が考えるフツーの生きものじゃないようだ。
これまでじっと権力にひれ伏してきた被抑圧者としての伝統が、強力な遺伝子となって国民の性格にすりこまれているのかもしれない。

この点では同じような被抑圧の伝統のある中国のほうがマシ。
中国のことわざに、『上に政策あれば、下に対策がある』というものがある。
したたかというか、機をみて敏なるというか、中国人のほうが時節にあわせた融通がきく。
北の国民の春はまだまだ遠い。

| | | コメント (0)

2019年4月11日 (木)

iPad

かたちあるものは壊れる。
わたしの iPad がとうとうイカれた。
2014年の暮れに知り合いのO君(例の財閥)からゆずってもらったものだから、わたしのところへ来てから4年半ぐらい。
O君のところにあった期間を含めれば、5年か6年は経っているはずの Mini のほうである。

イカれたといってもネットにはちゃんとつながるし、他の機能もほとんど使える。
問題はメモ機能が使えなくなったことで、これはベッドでブログを書こうという横着者のわたしには致命的な問題だ。
故障なら修理をするという手がある。
しかし購入して5、6年というIT機器を修理しよういう人がいるだろうか。
ましてアップル製品では修理代も高くつきそう。

この iPad はいささか酷使しすぎた。
ロシアからカリマンタン、タイのチェンマイ、富山や青森まで、わたしの行くところつねに影のようについてまわり、わたしに斬新な新しい世界の扉を開かせ、そのあいだ床に落っことすこと数回、ベッドの中までお供していたのだから、わたしの女房みたいなものだ。

そんな熟愛の女房とも別れるときが来たようだ。
わたしはいたずらに新製品に飛びつく人間じゃないつもりだけど、じつは iPad の最新機種では電子ペンが使えるようになって、わたしの浮気癖がむずむず。
とうとう新しい iPadMini を購入することにしたのである。
最近やけにIT機器の買い換えが多いけど、そのぶん冷蔵庫も洗濯機もボロいものを使っているから、いいのだ。
ここんところ旅行にも行ってないし。

| | | コメント (0)

2019年4月 9日 (火)

また忖度

またぞろ、ウチの新聞が“忖度”をかぎつけたようだ。
どこかのバカ大臣が、これは総理の意向ですと口走ったとか。
それでじっさいになにかが動いたかどうか知らないけど、こういうのも忖度になるらしい。
総理たる者、うかつなことはいえないね。

まあ、こうやってリベラル紙が監視してないと、政治がどこに暴走するかわからないから、いちゃもんをつけることもないけど、いまはネットでほかの国と比較することを、国民の大半が知ってる時代だ。
たとえば韓国、この国の忖度なんて日本の比じゃないぞ。
あの国では大統領の意向は、最高裁判所まで忖度する始末だ。それもどうどうと。
前大統領のクネちゃんのときももちろん忖度したし、いまの文在寅さんが過去にないくらい反日だとみれば、裁判所から大臣、官僚、軍人まで、もうこれ以上ないくらい忖度のてんこ盛りだ。
大統領の威光ににかげりがみえたと判断すれば、たちまち逆方向に忖度されるのは困ったもんだけど。

| | | コメント (0)

2019年4月 8日 (月)

いまの季節の花

0849a

かってはすぐとなりが東京ではめずらしい専業農家だったわがアパート。
農家のおじさんが亡くなって、家のまわりの樹木もほとんど刈られてのっぺらぼうになったけど、春になるとナズナやナノハナ、ムラサキハナナなどがしぶとく咲きほこる。
先日は通りかかったどこかのおばさんが、うちの大家さんに、あの花もらっていいですかと訊いていた。
それを見ていて、わたしも思いついた。
去年の夏は庭にはびこったハーブのミントを摘んでグラスに挿しておいたけど、今年のいまの季節はナノハナで行こうと。
いまでは空き地になった他人の庭に、かってに咲いている花だから、タダである。
というわけでキッチンの窓辺に挿したナノハナ。
なかなか風雅でしょ。

0849b 0849c

ほかに、これは過去のストックからではなく、純粋に昨日近所で見た景色をふたつほど。

| | | コメント (0)

2019年4月 7日 (日)

ゴビの横須賀基地

うわあとおどろいた、今朝のウチの新聞。
1面トップに「砂漠に『仮想横須賀基地』」だって。
なんのこっちゃと思ったら、中国がゴビ砂漠のまん中に、日本の横須賀基地を模した標的を作って、ミサイル訓練をしてるんだそうだ。
ご丁寧に砂の上に軍艦の絵まで描いてあるらしい。
おどろいたのはこの絵のことじゃない。
ウチの新聞は改憲に反対で、自衛隊の正規軍昇格にも反対していたはず。
こんな新聞記事を見たらだれだって不安になる。
これじゃ改憲やむなし、中国の脅威に備えよって、安倍クンの政策のあと押しをすることになってしまわないか。
朝日新聞もいよいよ方針転換か。

でも本来ならオピニオン面に相当する11面が「米ソ冷戦/歴史からの教訓」という記事になっていて、あっちで煽っておいて、こっちで水をかけるという、いつものウチの新聞のダブルスタンダードにもどった。
軍拡路線はまずいですよ。
でも相手が軍備を増強しているのに、こっちが何もしないのもまずいしねえ。
と思っているのは中国もいっしょ。
とくに中国は、日本と米国、ロシアとインド、東南アジアでもベトナムなんかずっと中国ギライだし、あの韓国からさえバカにされて、気のドクなくらいまわり中からよく思われてない。
頼れるのは自分だけと思ったら、軍備を増強しておこうという気にならないほうがおかしい。

しかし、だから中国が好戦的であるとみなすのもおかしい。
昨日はBSで万里の長城をドローンで撮影したという番組をやっていた。
現在の中国は軍備だけではなく、古い遺跡や自然景観の保全、パンダの保護にも金をつぎこんでいるし、今朝のGLOBE紙面によると、国民の知的水準を高めるために、本屋の開店にまで補助金を出しているそうだ。
その記事のなかにあった『インターネットはせいぜい50年、文字はおおよそ5千年』という言葉には感心した。
つまり中国は日本や米国と同じグローバル国家になろうと努力しているのだ。
イスラムが脅威なのは、いまだに教育をないがしろにする傾向があるからで、わたしは中国の横須賀基地に、いたずらにおびえる必要はないと思う。

| | | コメント (0)

2019年4月 6日 (土)

じいさんの事情

0848a

暖かくなった。
同時にわたしのパソコンにわらわらと押しかけるメールの数々。
いい季節になったので、あいつも旅のムシがうずいてくるだろうと、旅行会社が旅好きのわたしに集中攻撃をかけているのだ。

しかし温度計の目盛りと反比例して、わたしのお出かけ意欲はますます減退する。
だいたい最近の傾向は、なにをするにもあらかじめ予約だ。
旅行に行くのに、飛行機を予約しろ、ホテルを予約しろだなんて。
飛行機の切符をようやく予約したら、その日はホテルが満杯だった。
で、先にホテルを予約したら、今度は飛行機がとれなかった。
そういうことを考えると、うんざりして、ますます足が遠のく。

0848b 0848c

最近は近所の散歩もおっくうだ。
春になったといっても、この家に住んで20年にもなるわたしには、観られる景色は毎年同じようなものだし。
だからブログで紹介する写真も、過去のストックを探せば間に合ってしまうのだ。
ここに載せた写真は3年まえのちょうどいまの季節のもの。

こんないいかげんなことを続けていると苦情がくるかもしれないから(どこから?)、明日はやっぱりリアルタイムのサクラを見に行ってくるつもり。

| | | コメント (0)

2019年4月 5日 (金)

還るべきところ

今朝の新聞にペットのイヌやネコといっしょにお墓に入りたいという人のなげき記事。
お寺のほうでダメっていうんですよとのことだけど、わたしにはあまり関係のない話だな。
とかく人間は自分のことしか考えない。
あの世でまでペット扱いされたくないというイヌやネコだっているかもしれないではないか。
わたしは動物が好きだし、その思い出を大事にするけど、ペットにはペットの分際があるという考えだから、そんなことを考える人間の存在をうたがう。

1年ほどまえ、わたしの知り合いのひとりが亡くなった。
彼は用心のいい男で、自分の死後に奥さんに無用の負担をかけないようにと、自分が死んだあとのことを徹底的に計画を立て、葬式や墓に金をかけないように、骨は散骨がしやすいように、焼いたあとパウダー状にしておくことまで、すべて段取りを整えてから逝った。
しかし問題は、彼が死んだあと、それをじっさいに野山に撒いてくれる人間だ。
わたしにも経験があるけど、骨をそのへんの山や川に撒いてくれというと、たいていの人がいやな顔をする。
粉末にしてあるのだからなにも問題はないと思えるのに、わたしなんか自分の親族からさえいやがられている始末だ。

わたしは無責任というか、焼却したあとの骨になんのありがたみも感じてない人間だから、死んだ知り合いは幸運だった。
わたしにまかせておけば、あとになんの心配もいらないわけだ。
じっさいわたしにとって、彼の信念は尊敬に値する。
ペットでも人間でも、死ねばあとは土に還るだけで、なんで墓石の下のじめじめした場所に閉じ込められなくちゃいけないのか。
わたしも死んだあとは、骨はそのへんにぶん撒いて、植物の肥やしにしてくれればいいと考えているので、だからこそ彼の散骨を引き受けたのである。

で、どうなったのか。
じつは1年経ったいまも、まだ散骨は実施していない。
世間にはやはり散骨に疑問を感じる人が多いとみえて、奥さんは煮え切らないし、まわりの知り合いたちもいろいろ口を出す。
そんなわけで、わたしも無理に実施しないことにした。
パウダー状にした骨はわずかな分量になってしまうので、その気になれば奥さんひとりでも散骨は可能だし、故人の思い出をじっくり噛みしめようと思うなら、風薫るこの季節、旦那の希望した山野へ、彼女はひとりで行くべきである。
心配なのは、わたしをアテにした彼のたましいが、どこかで迷ってないかということだけだ。

| | | コメント (0)

2019年4月 4日 (木)

英哲さん

北朝鮮に金英哲さんという軍人がいる。
正恩クンの使者として訪米したり、例のハノイでの米朝会談などで正恩クンのかたわらによりそっていたから、北では正恩クンの実妹の与正さんをのぞけば、実質的なナンバーツーといっていい人だろう。
彼の動向が気になる。
というのは、決裂したハノイでの米朝会談以降、彼の名が権力者名簿から消えたというニュースを、ネットでちらりと見たことがあるからだ。

あの国では序列がやかましく、名前がおおやけの場から消えた場合、たいていは粛清されたと思ったほうがいい。
ただ、彼がそれまで座っていた地位の重要さからすると、いきなり粛清というのも考えにくい。
そうかといって、これまでも実の親族でさえ容赦なく殺害してきた暴君が、そんなことはゼッタイにしないという保証もない。
儒教の国では権力争いが激しく、つねに高位の地位をねらって、後継者たちの嫉妬半目が渦巻いているそうだから、彼がそういう連中に会談失敗の責任をとらされて失脚した可能性も否定しきれない。

いろいろ考えるけど、彼がおおやけに姿をあらわせば、そうした疑念もいっきょに払拭される。
いったい彼はいまどこに。

| | | コメント (0)

2019年4月 3日 (水)

バレエ/シルヴィア

バレエにもミス・キャストというのがあるようで、たとえばこのあいだ録画した「シルヴィア」というバレエ。
これはギリシア神話を題材にしたウィーン国立バレエ団の舞台で、わたしの好きな古典バレエらしいから期待して観たんだけどね。

Sy01Sy02

ストーリーは羊飼いの若者と妖精の恋物語、という古典バレエにありがちなもので、ヒロインの妖精というのは月の女神ダイアナに仕える妖精ということになっていた。
でも月の女神もそれに仕える妖精たちも、みんな手に弓を持っているから、ダイアナはギリシア神話のなかの、狩猟の神でもあるアルテミスと同一神といっていいだろう。
彼女はコワイ神さまで、このバレエにも登場する狩人のオリオンが、天上の星にされたのも彼女の怒りにふれたせいだ。
わたしはギリシア神話にも傾注したことがあるから、こういうことはよく知っているのだ。
という余計なことはさておいて

Sy04

主役の女の子はニキーシャ・フォゴといって、まだ去年の11月、この舞台終了とともにプリマに昇格したダンサーらしい。
1995年生まれというから、年期の必要なプリマ・バレリーナとしては若いほうだろう。
カーテンコールのさいのはしゃぎぶりからすると、まだまだミーハーの女の子みたいである。
彼女がミス・キャストだなんていうと、若い娘のことだし、傷ついてしまうかもしれないから、たくさんいる妖精のなかにはアフリカ系がいてもおかしくないとだけいっておこう。
そして、たまたま脇役で出ていたナターシャ・マイヤーって子が魅力的すぎて、どうしてもそっちに気をとられたぐらいにいっておく。

Sy03

ここに載せたのは、左が今回の主役のフォゴさんで、右がマイヤーさんだ。

Sy05

このバレエでは、月の女神と猟師のオリオン、ニジンスキーの再来みたいな牧神と、マイヤーさん扮する美しい妖精など、まあ、ほとんどのダンサーは適役なんだけど、ふたりばかり(わたしが見ると)役柄にふさわしくないダンサーが混じっていた。

Sy09

ヒロインの恋人である羊飼い(すぐ上の写真)は、ヌーボーとした若者で、あまりモテそうでない。
春先に大学のキャンパス内を歩くと、ひとりやふたりはこういう顔をした若者に出会うものだ。

Sy07

最悪のミス・キャストは、愛の神エロスを演じていた、風呂屋の三助みたいなダンサー。
エロスというのは別名キューピッドのことで、その手にした弓で射られると、だれでも目のまえの異性を好きにならずにはいられないという、いたずら好きな神さまのことだ。
絵画などではふつう、裸のかわいらしい男の子として描かれることが多い。
それがどうだ。
ひげそり跡も生々しい、胸毛もじゃもじゃのごっついおっさんで、それが小学生の学芸会のように、背中にちゃらちゃらと羽根をつけてあらわれるのだ。
わたしは彼を見て軽いショックを受けた。

Sy08

ま、バレエ団にもいろいろ都合があって、団員にまわり持ちで役をあてがわなければいけない場合もあるのだろう。
たまたまテレビ放映された舞台の役者が、ミス・キャストだったとあきらめるしかない。
でもやっぱり、わたし的にはナターシャ・マイヤーさんの「シルヴィア」が観たかったねえ。

| | | コメント (0)

2019年4月 2日 (火)

あいつ

日曜日にむかしの山登り仲間に誘われて花見に行ってきたけど、メンバーのなかに、ふつうならいるはずの知り合いの顔がなかった。
わたしと同い年で、郷里も近いという男である。
あいつはどうして来ないのと訊いてみたら、奥さんが去年亡くなったばかりでね、がっくり落ち込んでるよとのこと。
このへんは口のわるい仲間にことかかないから、みんなずけずけいう。
男ってのはダメさ、奥さんに先立たれると、たいてい1年以内に死んじゃうよ。
女のほうは亭主に死なれると、さあ、これから第二の人生だって張り切るのにねえ。

・・・・・・・
そういえばあいつは、奥さんがいないとメシの支度もできないやつだったなあと思う。
そういう人間は少なくない。
リタイヤして年金生活になった体育会系の先輩は、ヒマなもんだから、遊びに来いと知り合いにやたらに電話しまくっているそうだ。
こうなると先に逝った奥さんも罪だねえ。
若い娘が飛び跳ねるバレエを観て、今夜も退屈しないのはわたしぐらいのもん。

| | | コメント (0)

2019年4月 1日 (月)

前項の続き

そんなことをいったって、中国にはもう天皇や皇帝がいないんだから、「紅衛」のあとの元号はどうやって決めるんだよといわれてしまいそう。
なに、14億人もいるんだから、探せばひとりやふたりは皇帝の血をひく人間は見つかるでしょ。
直前の清王朝は漢族じゃないからとゴタゴタいわれそうだけど、それ以前の皇帝の血だっていいし、多民族の公平を期するなら抽選で決めたっていい。
どっちにしたって実権を持たないカッコづけの皇帝なんだから、一種のタレントみたいなものだ。
そりゃ社会主義とは相容れないなという意見には、「立憲君主制社会主義」という言葉をでっち上げればいい。
過去には「社会主義市場経済」なんて言葉をでっち上げた国じゃないか。
そういうことは得意でしょ。
いくらか払え。

| | | コメント (0)

中国の悲願

中国が可哀想だ。
人間ゆとりができると、ついどうでもいいことにもいろいろと関心が向くものだ。
新元号が話題になっている日本がうらやましい。
紀元前から脈々と続いてきた本家本元の元号を、もういちど復活させることはできないだろうか。
しかしいったん途切れたものを復活させるのはむずかしい。
そこで提案だけど、それならば清王朝が崩壊して、孫文や毛沢東が歴史を途絶させた時代を、一括して元号で呼んだらどうだろう。
その元号は「紅衛」で決まりだ。
これで中国の元号はまた続くわけだ。
いくらか払え、このアイディアに。

| | | コメント (0)

新元号

テレビをつけたら、ちょうど菅長官が新元号を発表していた。
今回ばかりはモチヅキイソコさんのいちゃもんもなく、長官も楽しそう。

新元号は「令和」だそうだ。
由来についてわたしが知ってるはずはないから、べつにどうだっていいけど、マスコミやネット上の予想はことごとくはずれたようだ。
なぜかというと、これには“和”という文字が使われており、新元号には「明治」「大正」「昭和」「平成」に使われた文字は使われないだろうというのが、おおかたの予想だったからだ。

元号の話題もネットに乗って、あっという間に世界に拡散するだろう。
中国人なんかうらやましがっているんだろうなあ。
あの国では毛沢東が歴史をチャラにして、伝統的なものをほとんど破壊してしまった。
わたしは大陸をさまよっていたころ、あちこちで廃仏毀釈に遭った寺院を修復しているのを見たことがある。
歴史ある建物が重要な観光資源になることを悟って、あわてて修理していたんだけど、歴史や伝統は見かけだけ飾っても仕方がない。
奈良の法隆寺は○○の時代の建物なんですよ、そしてそういう伝統はいまでも続いているんですよと、歴史のみじかいアメリカ人や、本家のはずの中国人に自慢できるんだから、わたしにもいちゃもんをつける理由はないよ。

| | | コメント (0)

« 2019年3月 | トップページ | 2019年5月 »