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2019年4月24日 (水)

アルジェの2

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先日録画した「アルジェのイタリア女」というオペラ。
これはザルツブルク音楽祭で上演されたもののビデオだけど、ぜんぜんオペラに縁のない当方だから、最初はちょっと面食らった。

オリジナルは倦怠期のアルジェの太守が、部下に古女房に代わる新しい女を調達してこいと命令し、首尾よくかっさらってきたイタリア女が、これはなかなか肝のすわった相手で、ぎゃくに手くだを弄して太守をギャフンといわせる物語。
ロッシーニの有名なオペラらしいけど、登場人物がジーンズをはいていたり、ジャージー姿だったり、サッカーチームまで出てくる始末で、これって時代設定はいつなのよと疑問符つき。

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つまり、これはナンセンス・コメディなんだなと理解するのがいちばんいい。
映画でたとえれば、えーと、たとえば「ビートルズのヘルプ!」には、バハマ諸島の海岸にドーバー海峡横断中の水泳選手があらわれる。
キューブリックの「博士の異常な愛情」では、コング少佐は水爆にまたがったまま目標めがけて突入する。
そんなバカなと文句をいわずに、だまってアハハとおかしがってればいいのである。
世の中にはそういうユーモアもあるのだ。

 イタリア女の魅力を説明するために、背景にフェリーニの「甘い生活」の映像が流れるシーンがある。
でもアニタ・エクバーグはイタリア人じゃないし、イタリア人という設定にもなってないぞと、こういうところではツッコミを入れたくなる映画好きのわたし。

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「アルジェの」でヒロインのイタリア女に扮したのは、チェチーリア・バルトリといって、1966年生まれだからおばさんといっていい歌手だ。
当然ながら柳腰の美女を期待するわけにはいかないけど、不条理な喜劇であることを思えば、笑わせるためのデフォルメとみなすこともできる。
太守を演じた歌手も、目をぎらつかせてヒロインにせまる演技は、誇張されているとはいえ、映画なら「第17捕虜収容所」や「7年目の浮気」に出演していたロバート・ストラウスみたいで、アカデミー賞ものだ(ノミネートで終わるかもしれないけど)。  

しかしこれは映画ではない。
ヒロインが恋人とアルジェ脱出のための謀議をこらす場面がある。
謀議だからひそひそ話である。
たとえひそひそ話でも、これはオペラだからセリフはすべて歌であり、歌声は劇場のすみずみまで聞こえなければいけないのだ。
これはむずかしそう。
ひそひそとすみずみまでという相反する行為を両立させるなんて、こんな器用な真似は、そんじょそこいらの映画俳優にはできそうもない。
オペラはやっぱり、凡人には真似のできない芸術である。

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わたしはこのブログで、オペラにはミュージカルとちがって、世間に流布するような名曲がないと書いたことがあるけど、けっしてそんなことはなさそうだ。
1幕の終わりは嵐のなかの船の上という設定で、コーラス陣まで含めた登場人物全員が、横になったり逆さになったり、あっちへよたよた、こっちへふらふら、歌でもってかけあい漫才をやっているようなはちゃめちゃなシーンになり、もうおかしくておかしくて。
この場面での音楽はポピュラー・ナンバーになってもおかしくないワ。  

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オペラについて調べてみたら、かってはバレエよりオペラのほうが人気があったということを知って、女性のプロポーションばかりに目のいくわたしはちょっと意外だった。
でも考えてみると、バレエはどんなに素晴らしくても、しろうとがいきなり真似をするわけにはいかないが、オペラのほうは体をゆすったり手拍子を打ったり、初めての観衆も舞台と一体になって楽しさをわかちあうことができる。
バレエの真似はできなくても、歌ならオレにもと錯覚する人が多いのは、カラオケに行ってみればよくわかる。
これじゃオペラのほうが人気があっても当然かもしれない。
底抜けに楽しい「アルジェの」を観てそう思った。
こんなオペラばかりなら、わたしのオペラに対する偏見もなくなるかもしれないのに。

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