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2019年4月 5日 (金)

還るべきところ

今朝の新聞にペットのイヌやネコといっしょにお墓に入りたいという人のなげき記事。
お寺のほうでダメっていうんですよとのことだけど、わたしにはあまり関係のない話だな。
とかく人間は自分のことしか考えない。
あの世でまでペット扱いされたくないというイヌやネコだっているかもしれないではないか。
わたしは動物が好きだし、その思い出を大事にするけど、ペットにはペットの分際があるという考えだから、そんなことを考える人間の存在をうたがう。

1年ほどまえ、わたしの知り合いのひとりが亡くなった。
彼は用心のいい男で、自分の死後に奥さんに無用の負担をかけないようにと、自分が死んだあとのことを徹底的に計画を立て、葬式や墓に金をかけないように、骨は散骨がしやすいように、焼いたあとパウダー状にしておくことまで、すべて段取りを整えてから逝った。
しかし問題は、彼が死んだあと、それをじっさいに野山に撒いてくれる人間だ。
わたしにも経験があるけど、骨をそのへんの山や川に撒いてくれというと、たいていの人がいやな顔をする。
粉末にしてあるのだからなにも問題はないと思えるのに、わたしなんか自分の親族からさえいやがられている始末だ。

わたしは無責任というか、焼却したあとの骨になんのありがたみも感じてない人間だから、死んだ知り合いは幸運だった。
わたしにまかせておけば、あとになんの心配もいらないわけだ。
じっさいわたしにとって、彼の信念は尊敬に値する。
ペットでも人間でも、死ねばあとは土に還るだけで、なんで墓石の下のじめじめした場所に閉じ込められなくちゃいけないのか。
わたしも死んだあとは、骨はそのへんにぶん撒いて、植物の肥やしにしてくれればいいと考えているので、だからこそ彼の散骨を引き受けたのである。

で、どうなったのか。
じつは1年経ったいまも、まだ散骨は実施していない。
世間にはやはり散骨に疑問を感じる人が多いとみえて、奥さんは煮え切らないし、まわりの知り合いたちもいろいろ口を出す。
そんなわけで、わたしも無理に実施しないことにした。
パウダー状にした骨はわずかな分量になってしまうので、その気になれば奥さんひとりでも散骨は可能だし、故人の思い出をじっくり噛みしめようと思うなら、風薫るこの季節、旦那の希望した山野へ、彼女はひとりで行くべきである。
心配なのは、わたしをアテにした彼のたましいが、どこかで迷ってないかということだけだ。

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