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2019年6月

2019年6月30日 (日)

認知症

健康診断の帰り、雨に降られて、ほうほうの体でバス停にたどりついた。
あいにくバス停に屋根がなかったから、近くにあった日曜休業の商店の軒先を借りて雨宿り。
遠くにバスが見えたら、急いでバス停に駆けつけようという魂胆である。

ずっと遠方ばかり注意していて、ふと目のまえのバス停を見たら、1台のバスが停まっていて、発車するとき後部の行き先表示板をながめたら、わたしの乗るべきバスではないか。
えっ、おい、どこから湧いてきたんだと思ったけど、バスはわたしを置いたままさっさと発車していった。

背筋に冷たいものが走る。
やっぱり認知症じゃないか、ぼけが始まったようだ。
注意していたくせに、目のまえのバス停に停車するバスに気がつかないなんて。

がっくり来ているところへ、すぐにまたバスがやってきた。
おかしいな、いまの時間、バスは1時間に4本だ。
つまり15分に1本だ。
なんでそんなに気前よく来るんだよ。

いつもわたしが乗るのは、武蔵境発の狛江行きバスである。
今日はとちゅうのバス停から乗ったんだけど、つらつら考えてみると、これまでわたしは知らなかっただけで、別系統の狛江行きという路線があるらしい。
それが遠方からではなく、すぐそこの十字路から左折してあらわれたのだろう。
灯台もと暗しとはこういうことだ。

安心して部屋にもどってテレビを観たら、トランプさんが板門店で北の正恩クンと対面中。
一瞬、やっぱり認知症になったと思ってしまったワ。

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G20

新聞の記事というものは、その新聞社のおもわくがからんでくるので、あまりすなおに受けとるべきじゃない。
とくに朝日や産経は。
いま朝日新聞の読者がどのくらいいるのか知らないけど、熱心に読むのはなにがなんでも日本政府がキライという人か、わたしみたいに認知症予防のためにアラ探しをして、頭に刺激を与えようというヒトぐらいしかいないのではないか。
まともな読者がいないのだからなにを書いてもかまわねえやと、最近の朝日はタガがはずれちゃったようにみえる。

今回のG20も新聞だけでは事実は伝わらない。
テレビやネットを駆使して、情報は自分で集めるべきだ。
ウチの新聞は抱きつき外交だなんて日本政府をけなすけど、テレビを観ていたわたしはちがう感想をもった。

トランプさんて、自分の国にいるときや、まわりにとりまきを従えた場面ではやけに元気がいい。
しかし、じっさいにはそれほど胆っ玉のでかい人ではないようだ(こういう点は北朝鮮の正恩クンとどっこいどっこい)。
サミットとなると、現在の彼は世界中を敵にまわしてるようなものだから、会議場ではゆいいつの味方といっていい安倍クンに寄り添いっぱなし。
こうなるとどっちが抱きついているのかわからない。

20が終わったばかりだから、今朝のウチの新聞のいたるところに結果を非難する論調があって、トランプさんの日米安保は変えるべきだという発言に、日本は抗議も質問もしなかったという。
そりゃ駄々っ子のぼやきにいちいち付き合っちゃいられない。

ロシアとは平和条約が暗礁に乗り上げたという。
相手がロシアじゃだれがやったって乗り上げるワ。
そのうち世界が混乱したら、どさくさにまぎれて島を占領すりゃいいだけのこと。
この瞬間にも、日本に占領されることを夢見るロシア人が多いんだろうなあ。

日韓首脳、立ち話もせずという記事もあった。
この記事には重要な隣国である韓国をおろそかにしたとあるけど、ほかならぬ朝日新聞が当初は、国と国との約束を反故にするのかと騒いで、え、あの親韓のはずの朝日がと驚かれていたのに。
それはともかく、日本は忙しいんだから、駄々っ子と長っ話をしている時間はなかったのだ。

社説には安倍外交の限界が見えただって。
なんかG
20を履き違えていやしないかい。
これってノーベル賞やアカデミー賞みたいな、エライさんの顔見世興行でしょ。
テレビで見てると、G
20以外のメンバーも呼ばれていて、招待された各国のトップの晴れがましそうなコト。
こんなふうに世界の首脳が一堂に会するところで、トランプさんを吊るし上げたり、香港やチベット、ウイグル問題で中国を叱責したり、島を返せとプーチンに詰め寄ったり、サウジのムハンマド皇太子を人殺し呼ばわりするような、そんな話ができると思ってんのか。
そういう話はあとで個別に、当事国同士でやればいいだけのことだ。

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2019年6月29日 (土)

問題なし

明日は所属する団体の健康診断の日だ。
なにか問題があるとすれば高止まりの血圧だけど、最近は医者からもらった薬を飲んでいるから大丈夫。
ただルーズなわたしは、最近は1日1コという規則を守るのがおっくうになって、2日、3日に1コになってきた。
この歳になって、なにも常人の平均まで下げる必要はないのだ。
平均よりいくらか高いていどなら十分。
薬を飲んでいるおかげで、お新香はバクバク食べるのに、血圧が200を上まわることはなくなったから。

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2019年6月28日 (金)

サミット

今回のサミットでいちばん興味があったのは、安倍クンが韓国の文サンをどんな顔して迎えるかってこと。
でもまあ、さすがに横っつらを張るようなことはしてなかったな。
屏風のかげで取っ組み合いを始める首脳もいなかったようだし、これがおとなの対応というものだろう。

雨が降っているのに、飛行機のタラップに屋根がなかった、冷遇だと文句をいってる人もいるようだけど、あのトランプさんでさえ、自分で傘さしてどたどたと降りてきた。
青瓦台のほうではあわてて冷遇でないなんていってるらしい。

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2019年6月27日 (木)

ミニノート

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部屋の整理をしていると、とっくに存在すら忘れていた珍品が出てくるわが家。
今回出てきたのはソニーのミニ・ノートパソコン。
旅に出ると、見聞きしたことを残らず記録しておこうというわたしにとって、筆記用具は不可欠の道具だ。
そのくせ乱筆で、紙とペンによる筆記能力欠如のわたしには、小型の電子筆記用具はぜったい必要なものだったのだ。

というわけで、購入直後はなかなか便利に愛用したおぼえがある。
ところがその後、タブレットなるものが勃興してくると、こっちのほうがエエということで、次第に日陰の存在になり、ついには存在すら忘れていた。
それが整理中の棚の暗い部分から、ゾンビのように出てきた。

調べてみたら、買ったのは2009年だったから、10年前の品ということになる。
オーディオや冷蔵庫ならまだ使えるかもしれないけど、変化の激しい電子機器だ。
さて動くかどうかとバッテリーを充電してみたら、おお、ちゃんと動くではないか。

しかし、もう使う予定のないものを持っていても仕方がない。
オークションにでも出してみるかと、ヤフオクを参照してみたら、同型のミニが1万円ぐらいで出品されていた。
もっとも残り日数1日で、買い手がひとりもついてなかったけど。
あかん。
やっぱりいくらでもいいからヨドバシに持ち込むか。

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2019年6月26日 (水)

大粛清

大粛清の第2弾。
なぜか不用品が溜まるいっぽうのわが家。
いいトシこいたおじさんの当方としては、いつぽっくり逝ってもいいように、ときどき部屋を整理しているんだけど、昨夜はまた書物の処分だ。

本というものは、ほとんど読まなくなっても、ときどき思い出したように中身が気になることがある。
愛読書になるほどそういうことが多いから、いつになっても捨てられない。
とにかくこころを鬼にしないかぎり、いつになっても部屋がかたづかない。
わたしも悩みつつ、すでに部屋にあった書物の大半を処分した。

いま残っていたのは、なかなか踏ん切りのつかない本ばかりだったから、心苦しさはますますつのる。
救いがあるとすれば、紀田順一郎さんのような、奇書や高価な本はぜんぜんないということ。
どうせ古本屋に持っていっても二束三文に決まっているから、手間を考えると、ゴミにするのがいちばん簡単で手取り早いということになる。

さっきゴミ置場をのぞいてみたら、わたしが出した本はもうなくなっていた。
ゴミ収集掃業者にはいい小遣い稼ぎかも。
まあいいさ、せいぜいビール代にでもしておくれ。

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2019年6月25日 (火)

リタイヤしたい

トランプさんのわがままが止まらない。
自分からケンカをふっかけておいて、ホムルズ海峡、もといホルムズ海峡の安全をアメリカだけにまかせておくのは不公平だ。
中国も日本も金を負担しろだって。
平和を維持して、イラン、ならびに周辺諸国を怒らせないようにして、そうやって負担をせずにすむように努力しているのに、まったく勝手なお方。

という文章をむりやりでっちあげたけど、どうもわたしの脳みそは疲弊しているみたいだ。
終日ぼんやりしちゃって、眠いこと、眠いこと。
わたしの同世代で、とっくに隠居しちゃった人もいるけど、彼らはどうなったか。
わたしがつきあいがよくないせいもあって、彼らのその後はあまり伝わってこない。
ああ、わたしも早くリタイヤしたいねえ。
というわたしはもう半分はリタイア状態なんだけど。

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クリムト

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観てきたばかりのクリムトについて、えらそうなことを書こうと思ったけど、なーんにも文章が湧いてこないね。
そもそも彼が独身をつらぬいたということも、そのくせ大勢の女と付き合って、子供が15人もいたなんてことも(ホントかよ)、今回はじめて知った。
経歴をながめると、そうとうにひねくれたところもあったみたいで、そういう点を追求したらおもしろそうな画家だけど、わたしって絵はともかく、これまでクリムト本人には興味がなかったのよね。

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このブログは芸術論をぶちかまそうというものではなく、わたしがまだ生きてますという証拠のためにやっているのだから、へんにムズカシイ批評を書いてもしようがない。
さらっと流しておこう、さらっと。

「ユディトI」や「裸の真実」など、まばゆいばかりの金箔を多用した絵は、おお、これがうわさのというていどには感心した。
しかしわたしがはじめて観て、わおっと感心したのは「ベートーベン・フリーズ」という、部屋の3面の壁を飾るでっかい絵。
展示されていたのは実物大のレプリカで、彼らしい豪華絢爛たる装飾壁画だった。

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その簡略化された様式美のなかにはゴリラまで出てきて、どこかマンガみたいといったら怒られるか。
そういえば彼の作品は縦長で、ブログに載せにくいものが多かったけど(仕方ないからここでは縦長の絵と、絵の一部を組み合わせて載せてある)、後半では正方形のものが多くなった。
そうかそうか。
クリムトは21世紀に人気を得ることになるアニメや、インスタグラムの先駆者でもあったのだと、アホらしいことこいて、この項終わり。

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2019年6月24日 (月)

上野駅の僥倖

昨日は上野までクリムトの絵を観に行ってきた。
彼の絵については、いま文章をひねくっているけど、えらそうな屁理屈をまとめるのはむずかしいものだ。
で、べつの事件でお茶をにごす。

絵を観終えて駅までもどってきたら、東京文化会館のわきの通用門のところになにやら人混みができていた。
普通ならこういうものは無視することにしているんだけど、この日は文化会館で英国ロイヤル・バレエ団の公演が行われていることを知っていたから、うしろからのぞいてみた。
公演が終了したあとのバレエ団のサイン会だった。
じっさいのバレエの公演に立ち会うことはめったにないから、これが恒例になっているのかどうか知らないけど、きれいなバレリーナが数人、愛想よく人々のサインの求めに応じていた。
生のバレリーナというものを見たのは生まれて初めてだ。
でも、ついやせ我慢をしてサインをもらいそこねた。

ロイヤル・バレエといったら無条件で英国のそれをさすくらい、国際的に知られたバレエ団で、わたしの録画ビデオのなかに登場するマリアネラ・ヌニェスとワディム・ムンタギロフも来日中だというから、クリムトよりそっちを観に行きたかったけど、年金暮らしのじいさんにはしきいが高い。
昨夜はまたテレビで、ロイヤル・バレエの「フランケンシュタイン」を放映していたから、こういうもので我慢するしかない。

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2019年6月22日 (土)

ギフト

所属する団体からギフトブックをもらってきた。
勤続××年の祝いに、その本のなかの品物から、好きなものを選んでいただけるというやつだ。
必要でもない品物を勝手に送られるよりは気が利いているけど、でもねえ。
文化勲章とか紫綬褒章とかいうものなら、だれでももらえるものじゃない。
しかし勤続
××年なんて、わたしのトシになれば該当しない人のほうがめずらしいから、あまりありがたみを感じない。

でもタダでくれるというのを無下にするほど、わたしは裕福ではないのだ。
で、どんな品物を選べるのか、中身をざっと一瞥してみた。
思わず目がくらくらするほど、一見豪華そうな品物が並んでいる。
でもそのほとんどが安物であることを、わたしはちゃんと知っているのだ。
それに、若いときならいざ知らず、いまのわたしに選択肢は多くない。
終活中で、部屋をすこしづつ整理しているわたしが、家具や食器、つまりかたちある物をもらうわけにはいかないのである。

というわけで、お腹に収めればそれっきりという品物を重点的に眺めて、ワインを注文することにした。
これも写真から銘柄がわかるし、銘柄がわかれば値段も調べられる。
わたしがいただくことになったワインは、いいとこ1300〜1500円くらいのものらしい。
これが2本だから、わたしの永年勤続の価値はそのくらいってことになる。
このあいだわたしが知り合いの写真展に、お祝いのつもりであげた洋酒だって
5000円はしたぞ。

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2019年6月21日 (金)

反骨の精神

今日の新聞の読者投稿欄に段勲という人が投稿していた。
なんでも若いころから著述業を選択したおかげで、ボーナス、退職金、貯蓄などと無縁の生活を送ってきた、年金などはじめからアテにしてないが、老後は暗澹たるものと書いている。
貧乏な子供たちに頼るわけにはいかないとか、いざとなったら住みなれたわが家を売って安アパートに越すしかないとか、いさぎよさも感じられるものの、いろいろと考えさせられる文章だ。
国の政策は弱者切り捨てだというのが文章の趣旨らしいけど、そういう国家が他国と比較すれば、世界でもまれなくらい格差の少ない社会であることを、わたしはしょっちゅう感じているので。

気になってこの人の名前を調べてみたら、どうやら創価学会を攻撃することで名をあげた反骨の著述家らしい。
やれやれ。
社会の常識に杭を打ち、権力に歯向かう生き方はむずかしいものだ。

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2019年6月20日 (木)

名演技

わたしは映画ファンなので、素晴らしい演技というのをいくつも知っている。
たとえば「ゾラの生涯」のポール・ムニ、「欲望という名の電車」のM・ブランド、「傷だらけの栄光」のポール・ニューマン、「アパートの鍵貸します」のジャック・レモン、「ニュールンベルグ裁判」のマクシミリアン・シェル、「博士の異常な愛情」のスターリング・ヘイドン、「黒部の太陽」の滝沢修と辰巳柳太郎などなど。
女優の場合は美人でありさえすれば点があまくなるので除外したけど、ここではわたしの記憶に残るもので、とくに演技についてインパクトのあった作品を挙げた(ついでにDVDを持っているものを)。
ま、歴史に残るような名画に出演している役者の演技は、たいていが素晴らしいものだ。

ところで、バレエダンサーと映画俳優の演技を比べれば、こりゃ映画のほうが素晴らしいのは当然だろう。
ダンサーは踊りが売り物であるのに対し、俳優は演技が売り物なのだから。

そういうわけでバレエの分野で、だれそれの演技が素晴らしいなんて文章を見つけると、ホントかよという気持ちがあったことも事実。

Ab

そんなわたしが、以前録画した「パリ・オペラ座350年ガラ」というバレエを観てみた。
ガラというのは全幕バレエのさわりの部分だけを集めて観せる、バレエ団のお祭りみたいなものだ。
なんだ、ダイジェスト版かと馬鹿にしていたけど、スター・ダンサーの踊りを要領よくながめるには、なかなか便利なものである。

この「350年ガラ」の中に、エレオノア・アバニャートというバレリーナさんが出てきて、「カルメン」と「椿姫」のさわりの部分を、ほとんど連続して踊っていた。
それを観てびっくりした。
「カルメン」では下着姿で、アタシと遊びたいの?
ほれ、ほれ、鬼さんこちらって具合のあばずれ女、「椿姫」では、ああ、アルマンさま、どうしてわたしをお捨てになるのという淑女を演じ分けていて、これって別人じゃないかと勘違いしたくらい。
バレエ・ダンサーの演技もあなどれないなと感心した。

てなことを書いたのは、じつは次回のBSプレミアム・シアターで放映されるバレエ「夏の夜の夢」に主演しているのが、そのアバニャートさんだから。
これはシェイクスピア原作のバレエらしいから、以前このブログに書いた、モンテカルロ・バレエ団の同作品と比較できるかもしれない。

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2019年6月19日 (水)

とかく世間は

あいかわらずつまらないことで他人を中傷することが流行っているなあ。
たとえばわたしが、女なんぞみんなアホばっかりだといったとしても、それはわたしの個人的考えで、女性に対する不穏当な発言だと、マスコミまで含めた世間から糾弾されるようなことか。
おまえみたいな無名のじいさんがいうのはかまわないが、有名人がおおやけの席でどうどうといっちゃまずいでしょってか?
無名のじいさんがというところにすでに差別を感じるけど、たとえわたしが有名人だったとしても、どこの席で何をいおうと大きなお世話だ。

もうせまい日本のあらゆる場所で、誰それがこんなことをいったというニュースが飛び交う昨今だ。
相手が政治家でも芸能人でもあっても、個人がいうことにいちいち反応すんなよ。
そうか、あいつはそういう信条の持ち主かと、つぎの選挙で落っことすか、無視すればいいだけのこと。
みんなで寄ってたかって中傷合戦だなんて、これではすこしでも世間の常識からはずれたことは、いっさいいえなくなってしまう。
え、個人の権利を保証する日本国憲法を、みずから放棄しようってのか。
「戦争をして取り戻せばよかないですか」とか、「手首切ったブスみたいなもん」とか、こういうことをずけずけいえる社会がなつかしいや。
ホント、世間はアホばっかりだ(わたしの個人的信条です)。

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2019年6月18日 (火)

ウェルテル

べつにムリして強くなる必要もないんだけど、なんとかオペラに強くなろうと、ちょいとまえにBSで放映されたウィーン国立歌劇場の「ランメルモールのルチア」と、チューリヒ歌劇場の「ウェルテル」を録画しておいた。

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オペラ歌手は太っている人が多く、それが悲恋の主人公などを演じるのはどうもねえと、このブログにも書いたことがあるくらいだから、わたしはオペラが好きではない。
しかし文化人を自称する当方としては、バレエだけではなく、オペラについてもさりげなく知識をひけらかしたい。
欧州では、伝統的にオペラのほうがバレエより人気があるという。
理由はわからないけど、たくさんのオペラの舞台を観ておれば、その謎も解明できるかもしれない。
ちなみに、わたしは音痴なのでカラオケもきらいなんだけど、ジャズやロックなら筋金入のファンだ。

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録画した「ウェルテル」を観てみた。
これはゲーテの小説「若きウェルテルの悩み」をもとにしたオペラだそうで、原作の舞台は18世紀のヨーロッパである。
しかし録画したものは現在という設定になっていて、これはバレエでもそうだけど、流行りのアバンギャルド化。
伝統的なオペラというのは、まず歌があって、それにあとから劇をくっつけたものだから、マクベスやアッティラがナチスの将校という解釈もある。
演じる女性がミニスカートでもノーブラでもいいわけだ。

話はそれるけど、わたしはゲーテの原作を読んだことがない。
なくて正解だった。
高校生の時分にこんなものを読んでいたら、わたしもとっくに自殺していたにちがいない。
若いころのわたしは、自分が詩人か映画スターであるという、手のつけられない自己肥大症だったもんで。

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初めてのオペラを観る場合、あらかじめの予習が欠かせない。
オペラの「ウェルテル」の見どころはどのへんにあるのか、ウィキペディアやネット情報に目を配ってみた。
劇中歌では「手紙の歌」や「オシアンの歌」というのが有名らしい。
それでこの歌から聴いてみた。
「オシアンの歌」はたしかにいい歌だったけど、歌っているのはラグビー部の猛者みたいな男性だったし、このためにムリして舞台を観たくなるようなものじゃない。

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最近、わたしは自分のフェイスブックに、なつかしのロックグループ、ドアーズの「ロードハウス・ブルース」を貼りつけた。
これは大音響で聴くにふさわしいハードロックで、わたしのことを老いぼれたじいさんと侮る若いモンに、ひと泡吹かせようという魂胆だ。
ロックやジャズならいまでもしょっちゅう聴くのである。

そもそも喉をびりびりさせた、オペラ特有の歌い方からしてわたしは好きではない。
へんにむずかしい歌い方をされるより、わたしはやっぱりジム・モリソンやミック・ジャガーの、しろうとでも歌える歌い方のほうが好きだ。
ま、生きているうちにオペラの真髄に到達できるかどうか、またそのうちに他の舞台を観てみよう。
現時点で、録画したオペラは11個もあるのだ。

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4Kテレビ

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知り合いが4Kテレビのでっかいのを買ったという。
そりゃすごい。
わたしが録画した華麗なバレエの映像や、大自然の驚異的な映像をそれで観るとどうなるのか、確認するために、昨夜はディスクを持って彼の家に行ってみた。
夜の8時に行って、なにしろおたがいにニート状態で、ふだん話す相手に飢えているところだから、つい長っ話になって、夜中の3時まで居座ってしまった。
おかげでブログの更新もさぼった。

彼のテレビは55インチだそうだ。
ひとくちに
55インチといってもわかりにくいけど、横幅が124センチだ。
映りも素晴らしく、家電商品店でよくデモンストレーションのために展示してあるテレビみたい。
わたしが録画したバレエも、まるで生の舞台を観ているような迫力だし、「白神山地の四季」なんてドキュメントも、小さな蝶の体毛までくっきりとわかる。

添付した画像は、レンズのせいで小さく見えるけど、でっかいテレビのまえに座り込む知り合いだ。

うーむ、わたしもいまのテレビが壊れたら・・・・
と考えてしまったけど、あんまりほめると、このブログもメーカーのたいこ持ち記事になってしまうから、このくらいにしておこう。
でっかい4Kテレビに問題があるとすれば、むしろコンテンツのほうだ。
人々の知識がますますアホらしい番組に傾斜している時代に、華麗なるバレエの舞台や、
BBCの自然番組のような上質の作品を、どれだけ公開できるかだな。

ところでわたしのテレビは、わたしが生きているあいだに壊れるだろうか。

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2019年6月16日 (日)

納豆オムレツ

今日は所用があって外出して、かろうじて最終バスに間に合って、帰宅したのが夜の10時すぎ。
ちょっといい心持ちになっているから、このままベッドにばったり倒れようかと思ったけど、まだブログの更新をする時間がある。
で、大急ぎで更新をすませ、写真はその所用中に撮影した納豆オムレツというものですませることにした。
納豆は好きだけど、あまり手をかけず、納豆は醤油、カラシ、それに刻みネギを載せるていどの、ほんらいの食べ方がいい。

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所用といっても、ようするに呑んできたということだ。

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2019年6月15日 (土)

インドの方法

ヒマなときは、あまり最近は使われない言葉だけど、ネットサーフィンをして、つまり掲示板や他人のブログ、YouTube の映像などを見てまわる。
とくに
YouTube を見ていると、自分の趣味にあった映像を自分で探し出す楽しみがあって、ふつうのテレビ放送が陳腐に思えるくらいおもしろい。

そうやってたまたま見つけた映像に、「インドの◯◯の方法」というシリーズがあった。
これはしろうとが撮影した、インドのようすを報告する紀行映像だけど、わたしはこういう辺境といっていい国の旅に興味があるのだ。
たとえばインドの「卵300個を使ったスクランブルエッグの作り方」だとか、「サッポロ一番みそラーメンの作り方」なんてのがあって、いやもう、おおらかというか雑というか豪快というか、目も当てられないくらい不潔なキッチンで作られる、大衆食堂の料理の数々。

でもそれを見てなんとなく安堵してしまうわたしがいる。
わたしの前世はインドの牛だったのかもしれない。

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2019年6月14日 (金)

思い出

ほんとうは昨日ブログに載せようと思っていた記事なんだけど。

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最近NHKのBSで、ドローンを使った空撮番組が多い。
12日のそれは「玄奘の冒険」ということで、冒頭ににごった大河の流れる大都市が出てきた。
高層ビルがやたらに増えた印象だったけど、ひと目見ただけで、わたしにはそこが中国の蘭州であることがわかった。
ときどきメールをよこす知り合いが住んでいる街で、わたしはこの街にことさらの思い出があるのだ。

最初の写真は20年ちかくまえのの蘭州で、このころから高層ビルが乱立ぎみ。

玄奘というのは西遊記でおなじみの、孫悟空をお供にして、唐の都長安から天竺(インド)まで、仏教の経典を求めに行った三蔵法師のことである。
孫悟空についてはワカランけど、三蔵法師は実在の人物だ。
そして、ひとくちに天竺というけど、飛行機はもちろん、汽車もバスもないころだから大変だ。
長安(現在の西安市)からインドに行くなら、蘭州から青海湖を経て、チベット経由のほうが近そうだけど、当時はチベットが国内問題でゴタついていたので、三蔵はやむなくタクラマカン砂漠を大迂回するコースをとっている。

蘭州では黄河を渡らなければならない。
番組ではここで羊皮筏子(ヤンピーファーズ)というものが出てきた。
ヒツジの皮に空気を入れてふくらませたものをいくつも並べて、その上に筏を組んだもので、大昔からこのあたりで使われている軽便な渡し舟だ。
いまでも観光用に運行されているので、わたしも乗ってみたことがある。
とくにおもしろいものでもなく、これで人馬もろとも黄河を横断したとしたら、三蔵法師もかなり大胆だったはず。

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蘭州から黄土高原のみごとな棚田絶景を経て、ドローンは烏鞘峠を越える。
このあたりもわたしには忘れられない場所だ。
第1回目のシルクロード訪問のとき、列車の中からながめて、シルクロードにあるモンゴルふうの高原と記憶し、つぎの訪問のさいには列車をおりて、わざわざ路線バスで訪ねたところなのである。
ここには天祝という小さな街があって、わたしは蘭州に住む知り合いといっしょに訪ねたこともある。

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万里の長城はこのあたりまでも続いていて、列車の車窓から崩れかかった土壁や烽火台を目にすることも多い。
かっては匈奴の騎馬軍団を効果的にさえぎった長城だけど、現在では歯の欠けた櫛みたいにあちこち崩壊して、あるいは風雨に浸食されてたんなる土手にすぎなくなっており、ドローンで上空から見ると、ヒツジの群れがこっちからあっちへ自由に移動していた。
まだこのあたりにはヒツジ飼いという職業が残っているんだなと、すこし安心。

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列車で烏鞘峠を越えると、やがて砂漠のかなたに万年雪をいただいた祁連山脈が見えてくる。
前夜に蘭州を発って、翌朝初めてこの山脈を見たとき、わたしはむやみに感動した。
むかし、やはり初めてこの山脈をながめた旅人は、いったいどんな感慨を持っただろうと思ったのだけど、そのときわたしの頭の中には三蔵法師のことがあったのだ。

あとの3枚の写真は車中から撮影したもので、いくらかピンボケ。

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2019年6月13日 (木)

矛盾

今朝の新聞にちょっと意味のわからない記事。
日本と韓国で相手国への印象という世論調査があって、相手によい印象を抱く割合が、日本では過去最低と、これはまあわかる。
ところが韓国では、日本の印象はよいが過去最高だったそうだ。
ごちゃごちゃいう割には、訪日韓国人はダントツだそうだから、そんなものかなと思う。
韓国人だって、本音は日本のことが好きなんだよと、これはネットでよく目にする意見だ。

韓国についてはちょっと矛盾しているので、ほかにも理由がないかと考えてみた。
いちゃもんつけられた側が相手にいい印象を持たないのは当然だけど、いちゃもんをつける側はそれほどでもない。
そういうことかと考えたけど、それぞれの理由を尋ねると、日本では、韓国が歴史問題などで批判ばかりするからキライというのが52パーセント。
ところが韓国では、侵略の歴史を反省しないからという理由で、日本をキライという割合が76
パーセントだそうだ。
日本の場合は印象がよくないとキライがほぼ一致しているのに、韓国では印象はいいと答えながら、キライの数は日本よりずっと多いのである。

なんだかさっぱりわからないけど、韓国では文大統領の支持がいまだに40パーセントもあるっていうから、調査をした機関が信用できないのか、それとも韓国人の屈折した心理のあらわれか、あるいはウチの新聞が捏造しようとして誤植でもしたのか。

ほんとは昨夜のBS放送「玄奘の冒険」について書きたかったんだけど。

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2019年6月12日 (水)

スナモグリ

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オオスナモグリという動物が話題になってたな。
エビなのかシャコなのかよくわからん形をしていて、むかしから日本にいるスナモグリよりひとまわり大きく、ま、詳しいことは図を参照。
ちなみにこの図は、わたしがお絵かきアプリで描いたものだ。
まだ慣れていないから、足が1本足りないとか、はさみの形がちがうなんていわれても困る。

なんでも何万年かまえに絶滅したと思われていたのが、つい最近日本で発見されたのだそうだ。
ほんとかよ。
と、あいかわらずなんにでもいちゃもんをつけるわたし。
こんなの台湾やフィリピンの干潟をほじくれば、いくらでも見つかるのとちがうか。
それが温暖化の影響で、日本にまで生息域を拡大してきたってことはないんかしら。

そういえば沖縄にはオキナワアナジャコという、これに似たのがいたっけが。
オキナワアナジャコもオオスナモグリも大きさは同じくらいで、両方とも穴を掘って暮らしているから、親戚かもしれない。
本物のシャコなら、カニでも貝でも必殺パンチで粉々にしてしまう武器を備えているんだけど、アナジャコにはそんなものがついてないから、この両者は別種であることがわかる。
まあ、最近は遺伝子分析も発達しているし、そういう間違いはないだろう。

とにかく海にはまだわたしたちの知らない秘密がいっぱいだから、自称ナチュラリストのわたしは、もっと外国の干潟の実態を知りたい。

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2019年6月11日 (火)

天安門事件

2、3日まえに天安門事件の30周年ということで、NHKがドキュメンタリー番組を放映していた。
この放送中、わたしはパソコンでべつの仕事をしていたので、とりあえず録画しておいて、今日になってじっくり観てみた。
この事件についてはわたしなりの結論が出ているので、いったいNHKはどう見ているのだろうという興味もあった。

結果を先にいうと、どうにもはっきりしない、ぬるま湯みたいな番組だった。
NHKとしては、民主主義こそ至高のものであり、民衆を戦車で押しつぶすような政府は許されるべきではないという結論にしたかったんだろうけど、現在の中国の発展ぶりをみれば、当時の指導者たちが間違っていたともいいにくい。
うーんと悩んだあげく、中国政府と国民の、どっちにもいい顔をする無難な番組になってしまったようだ。

そもそも30年まえの事件で、しかも人々の立場や政府の考え、国家間のいろんなおもわくがからんだ事件だ。
わたしみたいに疑いぶかい人間には、亡命した学生運動のリーダーや、鎮圧に動員された軍人、事実を把握しようとした英国大使館の書記官など、インタビューに答える人のなかに、ほんとうに客観的立場で発言している人がどれだけいるのか。
あるいはこれって、中国政府もあるていど公認のドキュメンタリーじゃないのかと、まずそっちのほうが気になった。

だからゴタゴタいわずに、わたしの考えをストレートにいう。
中国の国民、とくに若者たちは焦りすぎたのだ。
当時は鄧小平が改革開放政策に着手したころで、これならなにをやっても許されるんじゃないか、ひょっとするとアメリカのような自由な国になれるかもと、彼らが甘い幻想を抱いたとしても無理はない。

しかし鄧小平は(わたしはこの政治家をおおいに買っているので、いくらか割り引いてもらっても結構だけど)、彼は改革開放を急ぎすぎれば、中国も崩壊したソ連の二の舞になりかねないと危惧していた。
その結果が戒厳令であり、武力鎮圧だったと思う。
独裁といわれようとなんといわれようと、国家のなかには強権的な政権が、きっちり手綱をとらなければいけないところもあるのだ。

番組のなかに、悲劇の政治家とよばれた趙紫陽総書記が出てきた。
彼はこの事件がきっかけで失脚する。
はたして学生たちに同情的だった彼と、あくまで開放政策を死守しようとした鄧小平のカードのうち、どっちが中国の未来にとっていい手が出ただろうか。

もちろんそんなことは当時の誰にもわからない。
しかしずっと後世に生きるわたしたちは、結果がそれ以前より悪くなければ、やむを得なかったと認めなければいけない場合もあるのではないか。

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2019年6月10日 (月)

だらける

あいかわらずブログのアクセスがちっとも伸びないね。
なぜだろうと考えて思い当たったのは、わたしの顔写真を横にどうどうと載せているからではないか。
しかもわりあい男前の写真で、こういう男が上からの目線で、聞いたふうなことをほざくのだから、これでは反感を持たれて当然だ。
反感を持ちそうな人にいっておくけど、これって、むかしの写真の中からいちばん良さそうなものを選んだのであって、現在のわたしは作家の池澤夏樹さんか、アニメの宮崎駿そっくりのじいさんなのだ。
うん、安心していいよ。

・・・・こういう態度じゃ見込みはないか。
今日はなんとなくだらけて、仕事は休み。

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2019年6月 9日 (日)

馬鹿者

Em01

ネットニュースを読んでいたら、メドべに中傷の手紙という記事が目についた。
メドべというのはセーラームーンのコスチュームで踊ったことのあるフィギュアスケートのエフゲニア・メドベージェワ選手のこと。
最近はザギトワにお株を奪われているけど、そのザキトワもさらに後輩にお株を奪われているけど、メドべちゃん(なんか呼び方がイヤらしいね)はアニメ・オタクを公言しており、このブログにも登場したことがあって、じつはわたしもファンのひとりなのだ。

この中傷の手紙には「日本人はみんながお前を嫌っている。ロシアに帰れ!」なんて書いてあるらしいけど、この“みんな”の中にわたしも数えられているなら、迷惑な話だ。
え、日本を代表しているようなことを書きやがって、どこのどいつだ。
どうせ仮名なんだろうけど、手紙の投稿者の名前が明らかにされれば、そいつのほうが徹底的に世間から糾弾されるに決まっている。

その後の報道によると、この中傷文には日本人にはあまり縁のなさそうな省略形が使われており、書いたのは日本人じゃないだろうという意見もあるらしい。

有名人になれば中傷のひとつやふたつは聞こえてくるだろうし、メドべちゃんも、こんな馬鹿者が日本を代表しているとは思うまい。
わたしは日本を代表していってしまうけど、日本人はみんなあなたのこと好きだよ。
個人的には、日本に永住してもかまわないと思ってイマス。

ということで添付した画像は2度目のお出ましのメドベちゃん。

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2019年6月 8日 (土)

化けもの

すこしまえにこのブログで、マリインスキー版の「ジゼル」に出演していたディアナ・ヴィシニョーワというダンサーのことを、顔がロボットみたいでキライと書いたことがある。
わたしの個人的偏見に満ちたブログだし、テレビて見るとじっさいにロボットみたいだったから、これは仕方がない。

ところが YouTube で映像を集めるのにはまっているせいで、彼女の出ているほかのバレエを観てみたら、もっと人間らしい美人に見えるものもあった。
人間を長くやっているわたしが、いまさらそんな事実に驚くのもナンだけど、女性というのはお化粧ひとつでぜんぜん別の人間に変わってしまうものらしい。

最近の「海外の万国反応記」というネット掲示板に、その典型的な、そして極端な例が載っていた。
これじゃ美人と結婚して、ひと晩ベッドを共にした旦那が、朝になってすっぴんの彼女を発見したら、驚きのあまり悶絶してしまいそう。

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2019年6月 7日 (金)

ムービーメーカー

今年の3月に買ったパソコン、最近になって気がついたけど、「ムービーメーカー」というソフトが入ってないね。
これはウインドウズに付属しているはずの無料のビデオ編集ソフトで、仕事をやらせたらアドビの「プレミア」なんてソフトにかなわないけど、YouTube にのせる程度の簡単な編集や、映像の必要なところだけを切り取って集めたりするには、けっこう使える便利なソフトだ。

これまではウインドウズ・パソコンにはじめからくっついてきたものだけど、ひさしぶりに使おうとしたら、ない!ない!
新しいパソコンのどこにも見当たらない。
でもあわてる必要はない。
どうせタダで提供されているはずだから、それをインストールすればいいのだ。

MM(メンドくさいから省略形で)はMS(マイクロソフトも省略だ)のホームページからすぐに見つかった。
もちろんこんなものにお金をだすつもりはないから、無料というやつをダウンする。
でもMSもお金を稼ぐのに必死だ。
どこを間違えたのか、あるいは巧妙に誘導されたのか、わたしがダウンしたのは有料のMMで、画面には、一見アドビのプレミアに似た画面が広がってしまい、これで仕事をするにはお金を払えという。
最近プレミアに似たソフトが多くて困るよな。
わたしの友人でもプレミアもどきを使っている輩がいるけど、アドビもたまんないよね。

アドビのソフトに畏敬の念を抱いているわたしは、もちろんそんなものは使わず、以前から使っている無料のMMをダウンしなおした。
いまこれで、
YouTube から日本旅行をした欧米人(カワイ子ちゃん優先だ)の映像を集めて、その中から奈良の鹿のシーンだけを抜粋したショートフィルムを作っているところ。
公開したいけど、また文句をいわれそうだから、わたしひとりで楽しむのだ。

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2019年6月 6日 (木)

遠大な謀略

日本と韓国の局長会談がもの分かれだって。
そんなことは初めからわかっていた。
これはどちらにとっても、たんなるセレモニーみたいなものだ。
考えてもみよ。
韓国は大統領制の国であり、トランプさんを見てもわかるとおり、その権限は絶大である。
一介の局長ていどが大統領の意向に反することは、たとえ本人が日本と仲良くしたいと思っていたとしても、口に出せるわけがない。
つまり北朝鮮といっしょで、親分が結論を出さないかぎり、まわりは何ひとつ決められないのだ。

だからこそ日本は、なんとかして親分の大統領を対話の場にひっぱり出そうとする。
しかし当の大統領サンは、ここんところ蓋をとじたサザエみたいに閉じこもって、どうしてもおもてに出てこようとしない。
権限が絶大であるからこそ、政策や主張をかんたんに変更すれば、まえの大統領のように弾劾の憂き目にあう可能性もあるからだろう。
日本叩きを至上命題として当選した大統領は、ひたすらひきこもりを続けて、ハンガリーの遭難事故に息のかかった外交部長官を派遣し、こんな案件でのみ指導力を発揮するぐらいしか出来ないのである。

そんなおり、米軍が韓国から撤退するのではないかという情報がある。
子供相手のケンカにおとなが出ていくことはないってことだろうけど、ひょっとすると別のおもわくかも。

経済制裁を続けていれば内部から崩壊するだろうと思われた北朝鮮が、予想以上にしぶとい。
それで米国はオトリ作戦を考えた。
米軍はいなくなるけど、制裁はそのまま続ける。
いくら正恩クンが我慢には限界があると公言してみても、アメリカはどこ吹く風だ。
こうなると正恩クンに打つ手があるだろうか。
米軍がいなくなったのを幸い、ヤケクソで韓国に侵攻でもしてくれたら、米国の思うツボ、世界の平和、北の住民の圧政からの解放だ。

制裁をふりまわすアメリカのおかげで、いまは中国もロシアも他国のことにかまっている余裕がない。
現在の世界秩序を武力で変えるのはケシカランという大義のもと、今度こそ正義の鉄槌で、どうどうと北を、おそらく3日で制圧してくんず。
そう考えると、米軍の韓国撤退というのは、ずうっと先を見据えたアメリカの謀略かもしれない。
こんなことをバラしちゃって、わたしがそのうち謎の死をとげたら、それはCIAのミッションだと思ってもらってかまわない。

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2019年6月 5日 (水)

今朝の新聞

今朝の新聞に池澤夏樹さんの意見が載っている。
やっぱり出てきた「令和」へのいちゃもん。
識者のいうことだから納得できる部分もあるけど、いまでもまだ令和、令和って騒いでいる人が、わたしのまわりにひとりもいないのがちょっとピントはずれ。
たぶん来年の年賀状のときまで、「令和」の出番はないのとちがうか。
それでも、ま、おもしろい読み物だって感心して読んでいた。
ところで池澤さんの顔写真、いつまで若いころのものを使っているんだ。
彼がジブリの宮崎駿に似た、ということはわたしにも似たじいさんだってことは、わたしはとっくに知っているのに。

天安門事件の30周年だってことで、ここんところ中国の記事が多いけど、民主主義を至上のものと考えるから疑問がわく。
ロシアにしても中国にしても、あのアメリカにしても、ここんところ独裁としか思えない国が世にはばかっている。
日本みたいに足の引っ張り合いばかりの政治ではなく、強いリーダーがぐんぐんものごとを進めていくほうがいい国もあるようだ。
中国を責める人たちに聞いてみたい。
いまの中国が天安門のころより悪くなったか、人々の生活が貧しくなったか。
天安門で暴徒と化した民衆を押しつぶさなくても、中国がソ連と同じ轍を踏むわけがなかったと保証できるのか。

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2019年6月 4日 (火)

楽園の最近

この季節になると、ベランダ側の窓を開け放したまま寝てしまう。
すると蚊にとって絶好の獲物でしかないことになり、蚊取り線香がなかったらとても生きていられない。
それがどうだ。
今年はずいぶん蚊が少ないような気がする。
原因はわかっている。
隣りの農家のおじさんが死んで、家の跡地がサラ地になり、おびただしく繁茂していた草木が一掃されたからだ。
これではヤブ蚊も生存権、発生権をおびやかされる。
たぶん、声には出さなくても、近所の住人たちも農家の消滅を喜んでいるにちがいない。

でも、でもわたしはちがう。
わたしがこの家に越してきたのは、隣りの農家の存在が大きかった。
日本の農家の例にもれず、おじさんの家のまわりには、季節の花が咲き、さまざまな果実が実った。
自分がそういうものを栽培するのは大変だけど、他人がやってくれるのだから、ここは居ながらにしてのパラダイスだったわけだ。
そのぶん蚊取り線香がよけいに必要だったけど、精神的充実度を考えれば、そのていどの出費がなんだってえのさ。

しかし時代は変わる。
便利になるかわり、わたしたちが失うものも多い。
蚊がいなくなるかわり、のんびり窓を開けたまま寝ることもできなくなる。
というのは、この秋口からサラ地でいよいよ住宅建設が始まるようで、すぐ目のまえを大工や左官屋が右往左往していたのでは、昼間から裸で寝ているわけにもいくまい。
くそ、そのまえに心筋梗塞かなんかでぽっくり逝くわけにいかんものか。

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2019年6月 3日 (月)

モロー展

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昨日は汐留までギュスターブ・モローの絵を観に行ってきた。
モローの名前も作品も知っていたけど、行くまえに、いつごろの人だっけかと迷った。
そんなに古い人じゃなかったよな。
でも印象派よりまえの人か、あとの人か。

こんなアホなことを考えたのは、古い人ではないと思う反面、彼の絵がとても印象派以降の作品とは思えなかったから。
彼の作品というと、「サロメ」や「オイディプスとスフィンクス」など、聖書や神話の一場面を描いた絵が思い浮かぶ。
こういうテーマは印象派以降の画家からあまり歓迎されなかったみたいだから、ダ・ヴィンチまでは遡らなくても、ついレンブラントやグレコと同時代の画家かなと思ってしまったのだ。

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そういうことで、行くまえにググッてみた。
わかったことはモローは印象派と同時代の画家だということ。
これは意外だった。
印象派といえばジャポニズムとすぐ関連づけたくなるけど、モローは日本の浮世絵にまったく影響されなかった画家として、その偏屈ぶりがかえって美術史に名を残すことになっているのかもしれない。

場所はパナソニック美術館というところで、日ごろ営利をむさぼっている企業が、罪滅ぼしに運営しているような美術館だった。
これなら上野より混雑していないだろうと予想していたのに、入口には行列ができていた。
腹を立てながら、ブログに載せるつもりで行列の写真を撮っていたら、ガードマンが撮影禁止だという。
作品を撮るにはいろいろ問題があるのはわかる。
しかし、え、なんで並んでいる人間を撮っちゃいけないのと文句をいう勇気は、もちろんわたしにはない。
しかしこれでいくぶんか気分を害したことは事実。

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これが原因かどうか、絵のほうはあまり感銘を受けたとはいえない。
わざわざ汐留まで出かけた目的は、代表作の「サロメ」にあったけど、同じ絵は習作を含めると、ゴッホの「ひまわり」のようにたくさんあるようだった。
今回展示されていた絵には、モローが晩年になってから描き加えたエッチングのような文様が背景を埋めていて、どうも画家にとって未完の作品だったような気がする。
理想の作品を追求して何度も何度も同じ絵を描く、この偏執狂ぶりも、モローの名をゴッホ、ゴーギャンと同列に置いているのかもしれない。

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ほかにも顔が省略された絵がいくつもあり、そんなものに心理描写がどうのこうのという説明がついているのをみると困惑してしまう。
のっぺらぼうに感情があってたまるか。
イヌやネコだって、顔がなかったら、うれしいのか悲しいのかわかりっこない(イヌの場合は尻尾があるからわかるけど)。
民営の美術館にあまり期待をするのもナンだし、今回は動物園でパンダを観てきたという程度の感想でお茶をにごしておこう。

涼しい日だったので、帰りは汐留から東京駅まで歩いて、バテなかったのはよかった。

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2019年6月 1日 (土)

スィート・チャリティ

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じつはわたしのバレエに対する興味は、昨日今日に始まったわけじゃない。
若いころ「スィート・チャリティ」という映画が封切られて、たまたまテレビでその予告編を見たことがある。
これはシャーリー・マクレーン主演の、よく出来たミュージカルで、この映画の中に劇中劇のようなかたちで、一風変わったダンス場面が出てきた。

当時はまだ田舎者のおもかげを色濃く残した青少年だったから、なにも知らなかったけど、これはこの映画の監督でもあったボブ・フォッシーが振り付けた、コンテンポラリー・ダンスだったのだ。
このころすでに隆盛を極めていたMGMのミュージカルについては、若いころのわたしはそういうものが苦手で、映画のダンスシーンというと、せいぜいアン・マーグレットやプレスリーの映画を観たくらい。
そういう奥手の少年にとって「スィート・チャリティ」のダンス・シーンは衝撃的で、あわてて劇場まで本番を観に行ったくらいだ。
このダンスシーンはいま観てもまったく古びてない(YouTubeに上がっているから興味のあるお方はこちらから)。

ひとつ不思議なのは、ボブ・フォッシーという振付師、ほかにも「キャバレー」「シカゴ」などの振り付けを担当していて、その方面ではかなり有名な人であるのに、わたしが集中して読んだバレエに関する本にほとんど名前が出てこないこと。
分野が違うのかもしれないけど、「ウエストサイド物語」のジェローム・ロビンスの名前は何度か目にしたことがあるのだ。

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