モロー展
昨日は汐留までギュスターブ・モローの絵を観に行ってきた。
モローの名前も作品も知っていたけど、行くまえに、いつごろの人だっけかと迷った。
そんなに古い人じゃなかったよな。
でも印象派よりまえの人か、あとの人か。
こんなアホなことを考えたのは、古い人ではないと思う反面、彼の絵がとても印象派以降の作品とは思えなかったから。
彼の作品というと、「サロメ」や「オイディプスとスフィンクス」など、聖書や神話の一場面を描いた絵が思い浮かぶ。
こういうテーマは印象派以降の画家からあまり歓迎されなかったみたいだから、ダ・ヴィンチまでは遡らなくても、ついレンブラントやグレコと同時代の画家かなと思ってしまったのだ。
そういうことで、行くまえにググッてみた。
わかったことはモローは印象派と同時代の画家だということ。
これは意外だった。
印象派といえばジャポニズムとすぐ関連づけたくなるけど、モローは日本の浮世絵にまったく影響されなかった画家として、その偏屈ぶりがかえって美術史に名を残すことになっているのかもしれない。
場所はパナソニック美術館というところで、日ごろ営利をむさぼっている企業が、罪滅ぼしに運営しているような美術館だった。
これなら上野より混雑していないだろうと予想していたのに、入口には行列ができていた。
腹を立てながら、ブログに載せるつもりで行列の写真を撮っていたら、ガードマンが撮影禁止だという。
作品を撮るにはいろいろ問題があるのはわかる。
しかし、え、なんで並んでいる人間を撮っちゃいけないのと文句をいう勇気は、もちろんわたしにはない。
しかしこれでいくぶんか気分を害したことは事実。
これが原因かどうか、絵のほうはあまり感銘を受けたとはいえない。
わざわざ汐留まで出かけた目的は、代表作の「サロメ」にあったけど、同じ絵は習作を含めると、ゴッホの「ひまわり」のようにたくさんあるようだった。
今回展示されていた絵には、モローが晩年になってから描き加えたエッチングのような文様が背景を埋めていて、どうも画家にとって未完の作品だったような気がする。
理想の作品を追求して何度も何度も同じ絵を描く、この偏執狂ぶりも、モローの名をゴッホ、ゴーギャンと同列に置いているのかもしれない。
ほかにも顔が省略された絵がいくつもあり、そんなものに心理描写がどうのこうのという説明がついているのをみると困惑してしまう。
のっぺらぼうに感情があってたまるか。
イヌやネコだって、顔がなかったら、うれしいのか悲しいのかわかりっこない(イヌの場合は尻尾があるからわかるけど)。
民営の美術館にあまり期待をするのもナンだし、今回は動物園でパンダを観てきたという程度の感想でお茶をにごしておこう。
涼しい日だったので、帰りは汐留から東京駅まで歩いて、バテなかったのはよかった。
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