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2019年6月11日 (火)

天安門事件

2、3日まえに天安門事件の30周年ということで、NHKがドキュメンタリー番組を放映していた。
この放送中、わたしはパソコンでべつの仕事をしていたので、とりあえず録画しておいて、今日になってじっくり観てみた。
この事件についてはわたしなりの結論が出ているので、いったいNHKはどう見ているのだろうという興味もあった。

結果を先にいうと、どうにもはっきりしない、ぬるま湯みたいな番組だった。
NHKとしては、民主主義こそ至高のものであり、民衆を戦車で押しつぶすような政府は許されるべきではないという結論にしたかったんだろうけど、現在の中国の発展ぶりをみれば、当時の指導者たちが間違っていたともいいにくい。
うーんと悩んだあげく、中国政府と国民の、どっちにもいい顔をする無難な番組になってしまったようだ。

そもそも30年まえの事件で、しかも人々の立場や政府の考え、国家間のいろんなおもわくがからんだ事件だ。
わたしみたいに疑いぶかい人間には、亡命した学生運動のリーダーや、鎮圧に動員された軍人、事実を把握しようとした英国大使館の書記官など、インタビューに答える人のなかに、ほんとうに客観的立場で発言している人がどれだけいるのか。
あるいはこれって、中国政府もあるていど公認のドキュメンタリーじゃないのかと、まずそっちのほうが気になった。

だからゴタゴタいわずに、わたしの考えをストレートにいう。
中国の国民、とくに若者たちは焦りすぎたのだ。
当時は鄧小平が改革開放政策に着手したころで、これならなにをやっても許されるんじゃないか、ひょっとするとアメリカのような自由な国になれるかもと、彼らが甘い幻想を抱いたとしても無理はない。

しかし鄧小平は(わたしはこの政治家をおおいに買っているので、いくらか割り引いてもらっても結構だけど)、彼は改革開放を急ぎすぎれば、中国も崩壊したソ連の二の舞になりかねないと危惧していた。
その結果が戒厳令であり、武力鎮圧だったと思う。
独裁といわれようとなんといわれようと、国家のなかには強権的な政権が、きっちり手綱をとらなければいけないところもあるのだ。

番組のなかに、悲劇の政治家とよばれた趙紫陽総書記が出てきた。
彼はこの事件がきっかけで失脚する。
はたして学生たちに同情的だった彼と、あくまで開放政策を死守しようとした鄧小平のカードのうち、どっちが中国の未来にとっていい手が出ただろうか。

もちろんそんなことは当時の誰にもわからない。
しかしずっと後世に生きるわたしたちは、結果がそれ以前より悪くなければ、やむを得なかったと認めなければいけない場合もあるのではないか。

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