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2019年7月

2019年7月31日 (水)

ロミオとジュリエット

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先日録画したロイヤル・バレエの「ロミオとジュリエット」を観てみた。
日本向けサービスなのか、たまたまの偶然なのか知らないけど、主役の2人がふたりとも日本人なので、ちょっとこちらのイメージとちがうのが残念というか。
英国まで行って東京バレエ団の舞台を観せられているよう。

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ロミオを演じているのは、そのまえに放映された「フランケンシュタイン」で、主役の怪物を演じていた平野亮一クン。
彼はロイヤル・バレエのプリンシパルであり、背の高さであちらのダンサーにひけをとらない偉丈夫ぶりだ。
ただし顔つきは池田理代子さん描くところあまい王子さまとは異なり、わたしの見立てでは、ボリショイ・バレエのスパルタクス役なんかが似合いそう。
ロシアからオファーが来ないかしら。

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ヒロインのジュリエットを演じているのは高田茜ちゃんで、アップで見るとお人形さんみたいだけど、いかんせんタッパが足りない。
彼女にふさわしいのは、たとえば「くるみ割り人形」のクララや、「不思議の国のアリス」あたりだ。
子役のつとまるバレリーナは貴重だと思うんだけど、あっちこっちからオファーが来ないもんかね。

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だれがどんなバレエを踊ろうと、踊りさえ素晴らしければ文句がないはずだけど、あいにくわたしのロミオとジュリエットには、最初からある程度のイメージが確立している。
わたしは自分のそういうイメージを大切にする人間である。
だからロミオはレナード・ホワイティングのようであってほしいし、ジュリエットはオリヴィア・ハッセーのようで・・・・

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「ロミオと」は映画「ウエストサイド物語」の原作でもある。
しかし「ウエストサイド」のほうは、ニューヨークが舞台の現代ドラマに作り変えられているから、登場人物がリーゼントであったり、不良のロカビリー少女であっても文句はいわない。
平野クンと茜ちゃんの舞台も、設定を現代に変え、バルコニーではなく、納屋で愛をささやいたほうがよかったと思う。

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ものの本によると、「ロミオとジュリエット」は、ロシアが生んだバレエとしては「スパルタクス」と双璧とある。
ただしここでいう「ロミオと」は、ユーリ・グリゴローヴィチの振り付けによるボリショイ・バレエのもので、それと今回の英国版を比較してみると(ボリショイ版はYouTube で観られる)、差はかなり歴然。
ちなみにボリショイ版でジュリエットを演じているのは、わたしのイメージにまったく不足のないアンナ・ニクーリナさん。

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どちらもまず街の中で、ふたつに分かれた若者たちのいがみあいから始まるけど、ボリショイ版では男組みたいなバレエが勇壮で、最初から様式美がきわだつ、いかにもバレエらしい華麗なる振り付けだ。
英国版では出だしから大勢の男女がうろちょろして、これはまあ、当時の市井を忠実に再現しようとしたのかもしれないけど、バレエを観ているというより西洋のチャンバラ映画を観ているよう。
バレエらしからぬ雑多な印象は、英国版の最後までつきまとう。

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有名なバルコニーの場面も、ボリショイ版のほうがロマンチックだし、ジュリエットが薬を飲んで仮死状態になったあと、さまざまな思いが走馬灯のようにめぐるというのもボリショイ版で、このあたり幻想的でひじょうに美しい。
ただしこの映像では、オーバーラップという手法がかいま見られるから、舞台をそのまま捉えたものではない。
美しいと思う理由はカメラワークや編集に負うところもあるかも。

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ついでにもうひとつのロシア版「ロミオと」を観てみた(YouTubeで)。
こちらはマリインスキー劇場のもので、ヒロインはわたしにロボットみたいといわれたディアナ・ヴィシニョーワさんだけど、今回は
YouTube 経由だから、表情はあまり気にならない。
同じロシア版でも、こちらの振り付けはグリゴローヴィチではない。

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出だしだけを観ると英国版と同じような雰囲気だけど、バルコニーの場面や、主人公ふたりが相次いで死ぬ場面は、ボリショイ版にひけをとらない美しさ。
ロシアのダンサーは、わたしのイメージから大きく逸脱することがないのが大きいようで、わたしみたいな素人のおじさんでさえ美しいと思うのだから、これでは英国版は太刀打ちできないだろう。
「スパルタクス」と「ロミオとジュリエット」が、ロシア・バレエの至宝といわれる理由もよくわかった。
やっぱりバレエはロシアである。

ここに載せた写真は、最初の5枚以外はすべてロシアのもの。

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2019年7月29日 (月)

広瀬サン

日本の有名作家が韓国の肩をもつ発言をしたって、ネットで話題になっている。
この人は広瀬隆サンというそうだけど、有名作家にそんな人がいたっけか。
そういえばSF作家に広瀬なんとかいう人がいたような。

で、調べてみたらSF作家のほうは広瀬正さんで、ひと文字ちがっていた。
今回話題になっている広瀬サンは、写真で見ると白髪痩身の、いかにも左翼の闘士といったふうな人である。

彼にいわせると、朝鮮人の強制徴用はナチスのホロコーストに匹敵する蛮行だそうだ。
いくらなんでも意見が極端で、どうやらこの人も渾身の日本ギライ、日本をおとしめることならどんな話にでも飛びつき、ねつ造も辞さないという人なのだろう。
まあいいか。
だれも信じないことをがなりたてているのなら、罪はないし、だいたいいまの韓国では、こんな自分の国に反抗的な意見はおくびにも出せまい。
広瀬サンこそは、日本がいかに表現の自由を保障された国家であるかという生き証人ではないか。
うん、頑張ってとエールを送ってしまう。

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松方コレクションの2

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昨日は上野まで「松方コレクション展」を観に行ってきた。
「松方コレ」のいわれについては7月24日に、このブログでさらりと触れたので、もう書かない。
会場である国立西洋美術館でのドキュメントだけを書く。

今回の展示の最大の売り物はモネの、まるで壁画のように巨大な睡蓮の絵だった。
残酷なことに松方幸次郎が購入した絵の多くが、その後悲惨な運命をたどり、この絵も保存状態の不備から、損傷が激しかった。
じっさいに絵の表面の塗料が、全体の半分ちかく剥落して、これではもはや絵とはいえない。
ということで、一時は日本、フランス両政府から、返還交渉の対象にもならなかったという。

しかし現在はデジタルの時代だ。
さいわいなことにオリジナルのモノクロ写真が残っており、全体像は把握できた。
あとはコンピュータに画家の筆跡や彩色のクセを覚えさせ、絵を完成させるだけ。
会場の大きなモニターで、この修復された「睡蓮」が見られるようになっていた(最初の画像がそれで、ゆがんでいるのは正面から撮らなかったから)。

まあ技術大国日本で、こういうことをするのはわるくない。
わたしはむかし、ロシアのウスペンスキー大聖堂の屋内壁画を、高性能のデジタルカメラで撮影した映像を見たことがあり、その精緻でリアルな映像に喫驚したことがある。

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松方コレクションの中では、ゴッホの「アルルの寝室」という絵が有名だ。
この絵は松方が日本に持ち帰るまえに世界大戦が始まってしまい、保管していたフランス政府が、戦後、これだけはどうしても必要だといって返してくれなかったのだそうだ。
いろいろと問題の多い絵で、今回も奪還を怖れた仏政府が貸してくれなかったのではないかと思ったら、ちゃんと展示されていた。
さすがは文明国同士で、韓国だったらいい機会だということで、きっと返してくれなかっただろう。

人混みにもまれて美術館を一周するとけっこう疲れる。
いいかげん帰りたかったけど、いっしょに行った知り合いは経済観念の発達したオンナの人だから、タダで観られる常設展も観ていこうという。
そっちでは「モダン・ウーマン」なる催しをしていた。
ウーマンというのが気になってのぞいてみた。

これはフィンランドという、あまり絵画の歴史に縁のない国の、女流画家の絵を中心にすえた絵画展だった。
なんとなく暗いイメージの自画像がいくつか目についたので、いっしょに並べてある画家本人の写真と比べてみた。
女性の自画像には、こういうささやかな楽しみがある。
白夜の国で、しかもロシアの影響が強かった国では、暗いイメージになるのも仕方ないかと思う。

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さすがにもう帰ろうと思ったら、奥のほうにPrinting Drewing という看板を掲げた一室があった。
Printing
といったら版画のことではないか。
わたしはリトグラフが好きなので、またついでにのぞいてみた。
ここに載せた3枚目の画像は、ヘレン・シャルフベックという女性画家の作品で、若い娘が靴をはく場面をとらえた、その軽妙さがなんともいえず素敵。

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2019年7月28日 (日)

NHK

ネットにはマスコミを非難するコメントがあふれているけど、NHKは偏向している、あんなものはぶっつぶしてしまえという意見には賛同できない。
視聴料を強引に取り立てるという点だけは気に入らないけど、もしもNHKがなかったらなにを観ればいいのか。
民放の、あまりにアホらしいバラエティー番組に衝撃を受けて、いまのわたしは徹底的にNHKしか観ない人間なのだ。

だいたい世間には、自分の思い通りの内容でないと、偏向してるだの、右傾だ、左傾だ、保守的だと文句をいう人が多すぎる。
NHKが朝日新聞ほど偏向がひどいとは思わないし、だれがどっちから観ても公平な番組なんてあるのか。

平昌オリピックのとき、NHKのニュースを見ていたら、南北合同チームの噛み合わない選手同士の発言をまえにして、こんな調子で大丈夫なんですかねえと、キャスターが揶揄する調子で話していた。
また北朝鮮で外国の賓客を迎えるニュースで、沿道に歓迎の人だかりができているのを見て、動員された人々なんてことをどうどうと発言してもいた。
そのたんびにわたしはアハハと笑ったもんだ。

こんなことは些細なことかもしれないけど、NHKの偏向なんて可愛いものだし、女子アナも民放に比べればおしとやかなほうだし、とにかくNHKがなかったら、民放に観るべき番組はひとつもないというのが、わたしの意見だ。

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2019年7月27日 (土)

沈壽官さん

今日の夕刊には訃報欄がある。
いちばん大きく取り上げられていたのは陶芸家の沈壽官さん。
ふつうならあまりこころあたりのない人だけど、この人のことは司馬遼太郎の「街道をゆく」の中に、いくつものエピソードが出ているので知っていた。

こういうときに「街道」シリーズをまた読んでみたくなるのだけど、残念ながら全巻がそろっていたこの文庫本は、いま一冊も残ってない。
終活中だというので、ぜんぶゴミに出してしまったのだ。
部屋になければ図書館にあるさってわけで、べつに痛痒を感じることはないんだけど、やはり思い立ってその場で読めないというのはツライね。

日韓関係がバタバタしているので、最近のウチの新聞には、日本と韓国に関連のある人が取り上げられることが多いようだ。
そういう朝日新聞のおもわくは別にして、日本と韓国はもともと親しい国なのだという見本のために沈壽官さんを取り上げたのはいいことだ。
彼は秀吉の朝鮮侵略のさいに日本に拉致され、日本に来てみたら、こっちのほうが朝鮮にいるよりよっぽど待遇がいいというので、そのまま日本に居ついた陶芸家の子孫なのである。
もって銘すべし、あ、これはすべての韓国人に。

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2019年7月26日 (金)

今朝の新聞

今日のウチの新聞にはおどろいた。
社説で日韓の対立を取り上げ、日本政府は貿易をめぐる一連の措置を取り下げるべきだとはっきり言い切っている。
そりゃひとつぐらい韓国の味方をする新聞があってもいいけど、ここまではっきりいわれると、朝日新聞のためにも大丈夫かいと尋ねたくなってしまう。
社説のタイトルは『舌戦より理性の外交を』だって。

わたしは日本人だから日本の側から見ているのかもしれないけど、ひいき目にみても韓国の言い分にどこか理があるだろうか。
細かいことは無視しても、いまやまえの大戦のことで文句をいってるのは、世界中で韓国だけ。
しかもその後に起こった朝鮮戦争の加害者である北朝鮮や中国には、なにひとつ文句をいうわけじゃない。

わたし個人的には、現在の輸出管理を規制と解釈されてもかまわんけど、それを科せられて以後の韓国のドタバタをみれば、これまでどれだけ日本が韓国を優遇してきたかがわかるだろう。
そんな上からの目線が気にくわないのなら、お互いウィンウィンの関係で歩んできた同盟国と言い換えてもいい。
日本としてはこれまで通りでなにも文句はないし、こちらからケンカをふっかける理由もない。
それでもイヤだというなら関係を断つしかないではないか。

今日のネット情報によると、領空侵犯なんてやってない、むしろ韓国が威嚇飛行をしたと、ロシアが完全否定だそうだ。
どこかで聞いたような話で、なんだかレーダー照射のかたきを、日本に代わってロシアがやってくれているみたい。
もちろんロシアが日本の肩をもつ理由はないけど、韓国は中露から完全になめられている。
朝日新聞は韓国の代弁をするより、このままじゃまずいですよと、親切に忠告してあげるべきではないか。

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2019年7月25日 (木)

今日の新聞

韓国では、とうとう朝鮮日報まで親日新聞だってことで、攻撃されているらしい。
この新聞は、たとえば日本の嫌韓サイトNews U.S. あたりからは、韓国政府の御用新聞だとしょっちゅうボロくそにいわれているから、踏んだり蹴ったりというところ。
事実をそのまま報道するのはなかなかむずかしいものだ。

なんにせよ、ある国で発行されている新聞が、その国の国民にとって都合のいいものだけになるというのはオソロシイことである。
ウチの新聞(朝日)にも、そういう点では存在価値がある。
日本が報道の自由を遵守している国だという証明のためにも、朝日新聞には存続してもらわなくちゃ。

その朝日新聞の今日の紙面だけど、必死になって韓国の肩を持とうという姿勢は涙ぐましいほどだ。
オピニオン面にジャーナリストの津田大介という人が書いているけど、よく見たら、これすべて他人の文章を引き合いにして、自分は最初と最後にもっともらしいことをつけ加えただけ。

他人の文章というのは、長期的にはブーメラン効果で日本企業に痛みを強いる愚策とか、日韓以外の第三国からどう見られるかが問題だとか、自国の利益を即興的に追求するトランプ流外交だとか、日本の対韓政策に反対する意見ばかり。
よく読むと、その大半はこれからも日韓が親密な関係であるべきだということを前提にしている。
あまりいじめるとあとの修復が大変ですよってことらしい。

しかしこれはもう交渉ごとではないような気がする。
謝ればすむとか、大統領がやめれば勘弁するというわけではなく、日本はもう未来永劫に、特別待遇をやめて、韓国をふつうの国として扱うことを決意したってことじゃないか。
そうだとすればなにも、ことさら日韓の未来を憂うる必要はないわけだ。

おりしもまた北朝鮮がミサイルをぶっ放したとか。
こんなことが繰り返されるたびに、世界は、朝鮮人というのは声ばかり大きくて、理性的な判断のできない民族だと認識を新たにし、こういう人たちに食いつかれた日本に同情するだろう。
日本に都合のいい結果を導き出す正恩クンて、ほんとうは最強の親日家なのかもしれない。

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2019年7月24日 (水)

松方コレクション

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本を読みながら風呂に入るつもりで、一瞬うろたえた。
部屋にあった本のほとんどを、終活中ということで可燃ゴミに出してしまったから、読む本がない。
仕方がないから、風呂場で読むにはふさわしくない大きめの美術書、朝日新聞出版の「世界名画の旅」というのをかかえて入浴する。

この本はありきたりの美術批評ではなく、古今の絵画にまつわる裏話や、おもしろいエピソードを取り上げたもので、1巻から5巻まである。
それが全部そろっているから、古本屋に持っていけばいい値がつくんじゃないかと、いままでゴミとして処分してなかったものである。

たまたま風呂場に持ち込んだのはその4巻で、そのなかに松方コレクションにふれた文章があった。
松方コレクションというのは、本物の欧米の絵画を日本人に知らしめようと、私財を投げ打ってゴッホやゴーギャン、モネなどを収集した造船王松方幸次郎の絵画コレクションのことである。
このコレクションが、やがては上野の国立西洋美術館設立につながっていくというから、むかしの金持ちはスケールが大きかった。
もっとも金持ちというのは一攫千金のバクチみたいなところがあって、彼によって収集された絵画は、その後造船業界の経営危機や、大戦の影響などで多くの災難に見舞われることになる。
しかしそれは松方本人に責任があるわけじゃない。

現在、たまたま西洋美術館で「松方コレクション展」をしているから、ひとつ出かけてみるか。
オレは絵のことなどわからないと豪語していた、いかにも日本的なこの資産家の偉業を偲びつつ。

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2019年7月23日 (火)

考えて

以前にも書いたけど、人口が減ればそれだけ食料や住宅事情にゆとりが出て、人々の暮らしはよくなるはずだというのが、30~40年まえごろのSF作家アイザック・アシモフの考え。
現実はともかく、理論的にはこの考えはいまでも通用すると思えるのに、今日のウチの新聞を読むと、ぜんぜん生活がよくならないと不満をこぼす人が多いようだ。
それはいったいどうしてなのか、ということを、ウチの新聞は政治が悪いで一刀両断だけど、諸外国と比べても日本は経済は好調だし、格差も少ないほうだ。
それなのになんで暮らしがよくならないのか、庶民のみなさんに尋ねてもわかるわけがない。
こういうことは新聞社のような高度な知性の集合体に考えてもらわなくちゃねえ。

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2019年7月22日 (月)

改憲

自民党は勝ったけど、改憲が可能になる勢力にはあと一歩およばずらしい。
でもと、これは自民党の立場でいうんだけど、べつに問題はないだろう。
いまは平和な時期だから改憲なんか必要がないという人が多いだけで、たとえば韓国が首尾よく北と統一して核兵器を持ち、米国がほかのことに手一杯でこれを阻止できないなんて状況に、もしもなれば、アッという間に改憲が多数になるに決まっている。
自衛隊を合法化しろ、こっちも核を持て、戦争のできる国にしろという声がちまたに満ち満ちて、こうなったらいくらウチの新聞が絶叫しても止めるすべはない。
平和な時代に賛成だ反対だと騒いでいるのが滑稽に思えてしまうくらい。
ここんところの隣国との関係をながめると、文在寅サンは日本の改憲の最大の功労者になるかもしれない。

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2019年7月20日 (土)

宝くじ

街へぶらぶらと出る。
デパートのわきに宝くじ売り場があって、並んでいる人が数人。
それを見てぼんやりとむかしのことを思い出す。

まえの職場にいたころ、よく宝くじのグループ買いということをしていた。
20人ぐらいのメンバーが集まって、連番で宝くじを買ったほうが当たる確率が高くなるというので、わたしにもメンバーに加わらないかという。
わたし「そんなもの当たるわけがない」
メンバー「買わなきゃ当たらない」
わたし「買ったって当たるわけがない」

どうしてそんなにはっきりいいきれるかというと、メンバーの顔をながめればわかる。
みんな持って生まれた貧乏づらばかりで、とつぜん棚からぼた餅で金持ちになれそうな人間がひとりもいない。
こういう連中とグループを組んでもムダである。
グループ買いで大金をせしめようと思うなら、金持ちになれそうな人と組まないとダメなのだ。

あれから20年以上経ったけど、金持ちになったというメンバーはひとりもいないようだ。
もちろん宝くじを最初から買わないわたしもそのひとりだけど。

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2019年7月19日 (金)

ご用心

恥ずかしながら日本のアニメにぜんぜん興味のない当方、それでも一夜明けて惨事の大きさに愕然。
日本のアホもここまで来たかってところ。

韓国で産経新聞の支社が放火されたってのなら考えられなくもないけど、アニメ会社に恨まれる理由があるのか。
理由がなくても、いまの時代、自分だけの理由で勝手に恨む人間はいるからねえ。
どちらさんも戸締りにご用心。
ジブリも避難口の確保と点検が必須だ。

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2019年7月18日 (木)

またまた2001

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夕刊の1面に「2001年宇宙の旅」の大きな文字。
またあの映画についてなにか新事実かいと思ったら、よく見ると
2001年ではなく2019年になっていて、現在の宇宙旅行の進捗度がどのへんまで来たかという話題だった。

そんなことはどうでもいいことだ。
民間のシャトルが宇宙ステーションまで往復する時代がもうすぐ現実のものになるとしても、わたしがそれを見ることができないのはほぼ確実。
わたしはスペースチャイルドになって、あの世から地球と宇宙船をながめよう。

終活中のわたしのこと、そろそろ生涯最高の映画を1本選んでもいいかもしれない。
となれば「
2001年宇宙の旅」が真っ先の候補であることは間違いがない。
現代の映画事情では、これをしのぐ映画が出てくるとは思えないし、わたしの感受性もだいぶ乾いてカサカサになってきてしまったので。

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2019年7月17日 (水)

登山日誌

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もっか終活まっ最中ということで、整理中の部屋の中からとっくに忘れていたものが出てくる、ということはこのブログに書いたけど、今度は古い日記が出てきた。
高校生活から自衛隊時代までのもので、わたしが有名人にでもなれば、若いころのわたしの思想を知るための、貴重な資料になるところだ。
ところが読み返してみたら、だれそれを好きになったとか、ふられたとかいう恋の悩みばかりで、まあ、目的そのものがそういうフラストレーション発散のためだったんだろうけど、当時のわたしがいかに世間知らずの妄想家であったかを証明するような記述ばかりだ。

で、あわててページを細かく引きちぎり、徹底的に引きちぎり、可燃ゴミとして出した。
わたしの過去の思い出は、ひとすじの煙とともに、いまごろ風にのって時空のかなただ。
ひと安心。

ほかにも、わたしの所属する団体の登山クラブから預かった、かなりの分量の登山日誌が出てきた。
まだパソコンのない時代に、ガリ版で摺られたものだけど、目的地や行程、参加者の名前などを丹念に記した労作だ。
どうしてこんなものがわたしの部屋にあるかというと、いまの団体に所属したばかりのころ、登山クラブの先輩たちと懇談し、たまたまわたしが以前に所属していた登山クラブの日誌をパソコンで整理しているという話をしたら、それじゃうちのもやってくれないかと、ひょんないきさつで押し付けられてしまったものである。

山登りに凝ると、日誌のようなものをつけて、記録を保存しようというのは、たいていの登山クラブがやっている。
クラブの会員にとってはなつかしい思い出だけど、時間が経過して、会員がどんどん物故するようになると、せっかくの労作をどうしょうかという問題に行き当たる。
現在なら日誌から写真まで、すべてを1枚のディスクに保存できるから、そんなに邪魔者にはならないけど、パソコンがない時代のそれは、古びた書籍と同じ扱いにされるしかない。

じつはわたしはそういう仕事が好きなほうで、これ以前に所属していた登山クラブの日誌も、デジタル・データに変換して、ディスクに焼くという仕事をやってのけた。
ここに載せた画像はその一部。

だからヒマなときにやっておこうと、気安く引き受けたんだけど、ほかの仕事にまぎれているうち、いつのまにかわたしも終活を考える歳になった。
いまのわたしにはかなりの分量の日誌を、すべてデジタルに変換して(つまりワープロで打ち直して)いられるほど時間も根性もない。
ましてわたしが参加したわけでもない登山の記録だ。
それなら日誌は持ち主に返してしまえばいいかというと、残念ながらもうそのクラブや持ち主とは縁がなく、メンバーの大半はすでにお亡くなりになっちゃってる可能性もある。
生きていたとしても、そんなものを返してもらっても迷惑するだけだろう。

というわけで、貴重な(当人たちにとっては)日誌も、ひとすじの煙とともにお陀仏だ。
なんか重荷を下ろした気分。

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2019年7月16日 (火)

おとなの対応を

以前はアメリカと北朝鮮がチキンゲームだったけど、ここんところそれが影をひそめ、日本と韓国のゲームに衣替えしたみたい。
とうとう韓国の方では、戦争も辞さないと発言するところまで来た。
こういうときはどうしたらいいだろう。

朝鮮半島ではケンカは声の大きいほうが勝つと信じられているようで、韓国までがそれを踏襲し始めたようだ。
とにかくでかい声で恫喝しておいて、恐れ入った相手から妥協を引き出すという手法だ。
しかし、ここ1、2年の北朝鮮と韓国のやることを見て、世界は朝鮮人の異常さに気がついている。
北がアメリカと戦争をして勝てるわけがないことをだれもが知っているように、韓国が日本と経済戦争をして勝てると思っている国はどこにもあるまい。

日本としては馬耳東風で、粛々と計画を遂行すればよい。
最近のネットニュースに出ていたけど、日本の若いタレントで、ハーフの女の子が韓国の肩をもつような発言をしたら、罵詈雑言が雨あられだそうだ。
これでは韓国がやっていることと変わらないではないか。
子供だから仕方ない、でなぜ済ませない。
こちらが徹底的におとなの対応を取っていれば、世界は日本の味方だ。

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2019年7月15日 (月)

チューブラーベル

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「あれ、なんという楽器だい」 とわたし。
いっしょに行った知り合い 「キンコンカンでしょ」。
「ほんとかい」 と疑念のまなざしのわたし。
「のど自慢で合格者に鳴らすでしょ」。
そりゃそうだけど、なんかふざけた名前だから、もっと本格的な名前があるだろうと、その場でタブレットを使って調べてみた。

昨日は近くの大学で開催された吹奏楽コンサートに行ってきた。
去年も行って、派手なアンコール曲に感心した催しだけど、今年はお子さま向けコンサートらしく、プログラムをみると、ウルトラマン、トトロ、千と千尋の神隠しなんて曲ばかりだ。
ジブリのアニメに関心のない当方としては、いささか困惑ぎみ。
でも日ごろ、こういうコンサートに縁がないから、つまらないところに興味を持つ。

見なれない、いや日曜日正午のNHKで見かけないこともない楽器の正体は「チューブラーベル」。
そんなら知っていた。
わたしの世代なら映画「エクソシスト」の主題曲として使われていた曲名にピンとくるはず。
べつにいい曲だと思わなかったし、映画も見た記憶がないんだけど、曲名だけはわたしの脳内フラッシュメモリに記録されていたのだ。

今年もプログラムにはないアンコール曲で、派手なジャズナンバーがふたつばかり。
これが聴きたくて常連という人もいるらしい。

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2019年7月14日 (日)

令和の時代

毎日が涼しくてよく寝られるねえ。
気がついたらもう7月も半ばじゃないか。
わたしの知っているかぎり、何年かまえに曇りばかりの夏があって、涼しくていいかわり作物の不作なんてことがあったな。
やっぱりこちらで妙薬は、あちらで劇薬ってことだ。

どうも期待に反して“冷和”は問題の多い時代になりそうな予感。
トランプさんの手法はますます世界を対立に導くだけだし、こういうときこそ米国以外の先進国が団結しなくちゃいけないのに、欧州もロシアも中国も、自分ところの問題をかかえすぎて、それどころじゃない。
アメリカにほっぽり出された日本は、憲法改正やむなしという状況に追いつめられていく。
個人やマスコミの力では、時代の奔流になすすべがないという、歴史の非情さを見せつけられているようだ。

原因をつらつら考えると、日本がまえの戦争の贖罪意識をかなぐり捨てて、国家としてどうどうと発言し、体現するようになったせいもあるだろう。

たとえばクジラの問題。
日本としてはなにもクジラを絶滅させるつもりはないし、殺すにしても特定の種類のクジラを、国際捕鯨委員会の規則を遵守したうえで捕獲するといってるのに、カルト宗教のような頑迷さで、なにがなんでもダメといわれたら、もうそんなものの相手をしていても仕方がない。
獲るといったら獲りますと強引に出た。
日本がこれまでにない強硬姿勢を見せたので、捕鯨に反対する人たちは面食らって、いま作戦を練り直しているところかもネ。

しかしわたしははっきりいう。
クジラの肉は旨い。
生姜をすりおろして薬味にし、クジラの刺身につけて食べると、マグロよりおいしいと思うことさえある。
若いころ東中野に住んでいたころは、よく新宿のションベン横丁まで、クジラカツを食べに自転車を走らせたものだ。
クジラ肉にはわたしの青春の思い出がこめられているのだ。

韓国の問題にしてもそうだ。
もうこれまでの日本じゃありません。
これからはいいたいこと、やりたいことは誰にも反対させませんと宣言する。
もちろん向こうはプッツンするだろうけど、同時にいままで偏向教育で、自分の国が日本に匹敵する先進国だと信じていた韓国民に、じつは日本がいなければなにもできないという、確かな現実を直視させることになったのではないか。

それは仕方がない。
戦争が終わって
70年以上経過し、人間も歴史もひとまわりしたというのに、ドイツや日本がいつまでも日陰の身分でいろというほうがおかしいのだ。
植民地主義や覇権主義は遠いものになり、地球上には人類が経験したことのない新しい問題が山積みだ。
いま問題になっている温暖化やプラ問題にしたって、科学技術の発達した日本が、先頭をきって取り組まないでどうするのか。

というわけで、令和になって日本はますますでかい顔をするようになる。
これが気にくわないという国は、よってたかってボコボコにされる。
新時代の到来だなあ。

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2019年7月13日 (土)

お休みなさい

あ、もうダメだよ。
眠くて眠くて。
いまから寝ると、2、3時間後には目がさめるかもしれないけど、そのときはもう深夜の0時が目前だろう。
ということは今日のブログ更新はこれだけということだ。
夜も寝ないで金儲けに精をだせる人がうらやましい。
お休みさい・・・・・グウ!

 

・・・・!
ほれみろ、いま目がさめた。
寝ていたのは2時間ぐらい。
まだ0時まで1時間あるけど、できないよ、これっぽっちの時間で、人生の大命題をときほぐすような文章は書けません。
これからまた夜を徹して、むなしい妄想にふけるだけ。
わたしの人生はムダなことばかりだ。

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2019年7月12日 (金)

妙薬と劇薬

小惑星探査機「はやぶさ」がむずかしそうなミッションを実行中。
こういう話題だと、いまゴタゴタしている隣国との問題より、平和的でいい。
と思ったけど、じつはそうでもない。
考えてみれば、2.4億キロ彼方の星にいる探査機を、地球からコントロールして動作させるほどの技術だ。
これほどの技術を持つ国は、いまの地球にほんのひと握りしかない。
これでは日本は、その気になればいつでも、ピンポイントで目標を狙えるミサイルを作れるぞといってるようなものだ。
日本を仮想敵国とみなすどこかの大統領や首領さまには、恐怖でしかないだろう。
こちらには妙薬でもあちらには劇薬ということは珍しくない。

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2019年7月11日 (木)

病院

病院に行ってきた。
前回行ったのは、5月7日で、そのとき1カ月分の薬をもらったのだから、計算があわない。
あわない理由はだんだんルーズになってきて、毎日飲めといわれた薬を2日、3日に一度しか飲まないからだ。
これでは血圧が下がりようがない。
でもいいのだ。
病院に行き始めた理由が、血圧が200を超える日が多くて、所属する団体からぶつぶついわれたことで、けっして本心から悔い改めたわけではなかったのだ。
薬なんざ、あくまで気休めなのである。

でもそんなことをずけずけいったら、医師が傷つくだろう。
わたしもトシですからねえ。
なにも世間の標準まで下がらなくても、
160平均ぐらいなら上々だと思ってるんですよといってみた。
しかし医師は強固な意志と鉄壁の信念を持った人だった。
今度はもっと強力な薬にしようだって。オイオイ。

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2019年7月10日 (水)

韓国人

制裁が始まってからようやく文在寅サンが出てきたけど、言い分はともかくとして、テレビで観ると、親と子供に同時に死なれたみたいな顔をしていたな。
例によって、有名になったA4用紙を持って。

彼を見ていて思うんだけど、嫌韓サイトのNews U.S.がいうように、彼は自分の意思ではなく、裏にいる人形使いたちに思うがままに操られているみたいだ。
文サンを大統領にするために強力な支持基盤を総動員し、政権をにぎるやいなや、それまでの官僚たちを積弊とかなんとかいって排除して、官職にむらがった連中に。
大統領というのは絶大な権力をにぎっているそうだけど、いまの韓国を見ていると、たったひとりというより、反日思想をもった複数の人間の意思で動いているように思える。

彼らの反日思想は絶対的で、自らはおもてに出ないから無責任だ。
国民や企業がどんなに困ろうとおかまいなし、日本に負けるな、とことんまでやれえって具合。
そんなバカなことはないだろう、国が傾けば自分たちも困るはずだ。
というのは正常な神経をもった国民の場合で、韓国がそうでないことは世界一凶暴とされる労働組合をみればわかる。
いまさえよければ会社の将来なんてクソくらえ、給料を上げろ、休みを増やせとストを繰り返し、言い分が通らなければ鉄パイプを持って社長室に押しかける連中だ。

そういう連中が執務室の背後にいて、大統領をあごで使う。
裁判官だとかマスコミなど、世間を動かす役職は、彼らが大統領を差し置いて勝手に任命する。
大統領のためというより、すべて自分たちの特権を守るためなのだ。
つぎの選挙で政権を失えば、仕様がねえな、またそのつぎを狙おうということで、責任は大統領個人に押しつけて、あきらめはいい。
こういうのが朝鮮人の性格だということを、なにかで読んだことがある。

だから文サンはかわいそうな操り人形なのだ。
そんなふうに彼に同情的なことを書くのは、いまの日本ではこのブログが唯一かもしれない。

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2019年7月 9日 (火)

夏の夜の夢

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すこしまえに録画した「夏の夜の夢」というバレエは、以前このブログに書いた「ル・ソンジュ」と同じシェイクスピアの原作をもとにしている。
ただ前者がパリ・オペラ座の作品で、きわめてオーソドックス、内容は「コッペリア」のようにご家族向けの楽しいバレエであるのに対し、後者はモンテカルロ・バレエによる現代解釈版で、18歳未満はお断りなくらい過激な作品であることがちがう。

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うまい具合に対照的なふたつの「夏の夢」が揃ったから、ここで両者のスタイルを比較してみよう。

モンテカルロ版を観たとき、このバレエってどんな物語なのかとウィキペディアを調べてみて、なんだかややこしくてよくわからないと書いた。
今回はもうすこし気合を入れてその解説を読んでみた。

森のなかに妖精の王さまと女王さまが住んでいて、この夫婦はけん怠期でケンカばかりしている。
将来を案じた王さまは、仲直りをするために、パックという男の妖精に命じて、ひとめ惚れの花を取ってこさせる。
この花の匂いをかぐと、だれでも目のまえにいた人間を好きにならずにいられなくなるのだそうだ。
この花を使ってよりをもどそうというのが王様の魂胆だ。

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ところがパックは手違いをして、森のなかに迷い込んできた人間にそれを使い、2組の恋人同士のそれぞれの相手を取り替えてしまう。
おまけに女王さまは、たまたま目のまえにいたロバを好きになってしまう。
パリ版ではほぼ原作通りのドタバタ喜劇だけど、モンテカルロ版では、なにがどうしてこうなるのという、イヤラシイ物語になっていた。

わたしが「パリ・オペラ座350年ガラ」というバレエ団のお祭りを観て、出演していたエレオノア・アバニャートというバレリーナの演技に感心したことはすでに書いた。
パリ・オペラ版の「夏の夜の夢」は、そのアバニャートさんが主演だから、おおいに期待したんだけど、うーん、もうひとつだったねえ。

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エトワールに任ぜられるようなバレリーナは、それなり年功をつんだ人が多い。
長年の研磨の果てにようやくその地位を得るのだから、はつらつとした若い乙女を演じるには、いささかトウの立ちすぎた人が多いのもやむを得ない。
アバニャートさんが「
350年ガラ」で演じたのはカルメンで、男を手玉にとるすれっからしのあばずれ女(すぐ上の写真)。
こういう役だと若いとか清純であるとかいう必要はないし、本領発揮なのか?じつに魅力的だった。
「ジゼル」でわたしにロボットみたいと書かれた、マリインスキーのディアナ・ヴィシニョーワさんもカルメンを演じているけど、まるで別人のようだったから、しおらしい娘役よりあばずれ女のほうが魅力的というバレリーナはいるのである。
 

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欠点がもうひとつ。
アバニャートさんの役は、妖精たちの女王だ。
若くなくてもいい役だとしても、せめてその他大勢の妖精たちとは異なる衣装にしてほしかった。
このバレエにはアマゾンの女王という、狆がくしゃみしたようなバレリーナ(すぐ上の写真)が出てくるけど、衣装はこっちのほうがカッコよかったから、最初はこれが女王かと思ったくらい。
アバニャートさんの衣装は、他の妖精たちと同じ、ピンク色のすねまである衣装で、ややもすると妖精たちに埋没してしまう。
なにもモンテカルロのベルニス・コピエテルスさんみたいに、骨盤まで見える衣装にしろとはいわないけど、女王は女王らしく他に差をつけなければいけない。

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ちなみにこのバレエの王さま役はユーゴ・マルシャンといって、頭が小さく、ハンサムで、プロポーション抜群のダンサーだ。
こういうのを専門用語で、王子さま役を張れるという意味のダンスール・ノーブルというらしい。
男のわたしが見てもほれぼれするし、それだけ見せ場が引き立つというもんだ。
こんなふうにダンサーの容姿や衣装にこだわるわたしって、観客としては邪道だろうか。

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2019年7月 8日 (月)

北京ビキニ

今朝の新聞に “北京ビキニ” という話題が載っていた。
昨夜は
YouTube で米国の釣りの映像を観ていて、あちらで釣りをするにも若い女性がビキニであることに感心していたところだから、これもそういうものかと思ったら、そうではなかった。
わたしも何度も見たことがあるけど、暑い日には、中国の男性はすぐにシャツのまえをオープンにして、お腹を出す習性がある。
それがみっともないというので、当局が取り締まりに乗り出したのだそうだ。
日本でもかっては暑い日に、すぐステテコのまま徘徊するおっさんがいて、世間がグローバル化するにつれ、国際的恥さらしだというので禁止になった経緯がある。
中国の場合、シャツというのがたいてい薄汚れたものだから、よけいみっともないのかもしれない。

当局の取り締まりに対する反論が、地球に優しい冷却方法だというもので、これはけっこう説得力がある。
日本だってみんながエアコンを使い、排気熱で大気を温める結果になって、さらにエアコンを使う悪循環だ。
これではプラスチック公害に続く、新しい環境問題といって過言じゃない。
だからいちがいに取り締まればいいというものでもないような気がするけど、いっそのこと女性だけはビキニに寛容という政策はどうだろう。

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国際宇宙ステーション

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「アースウォッチャー」というテレビ番組を観た。
国際宇宙ステーションから見た地球と、船内で生活する飛行士たちのようすをとらえた8Kの番組だ(わたしの部屋のテレビは2Kだけど)。
これを観て「
2001年宇宙の旅」はまだまだ遠いなあと思った。

というのは船内のあまりの乱雑ぶり。
せまい船内の壁に機器類がところ狭しと配置され、配線コードがだらしなく交差し、足もと(なのか天井なのか)に、地上から持ち込まれた荷物が積まれている。
持ち込まれた荷物なんか、勝手に浮遊しないようにヒモでしばりつけてあって、未来的というより清掃工場のゴミ置場みたい。

こんな乱雑な船内で、飛行士が空中遊泳をしてみせる。
大丈夫かい、間違えてそのへんの機器を蹴っ飛ばしたり、コードを足にからめたりしないかい。
せまいところだから、そういうことがあっても不思議じゃないし、蹴っ飛ばしたものが緊急脱出装置のレバーだったりしたらえらいことになりそう。

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心配はさておいて、宇宙船内の生活はなかなか興味がある。
食事をする場面があって、これでも宇宙食なのか、せんべいをパリンと折ると、破片がふわふわと空中をただよう。
それを飛行士がちょいとすくい取って口にはこぶ。
子供のころSF小説で読んだとおりだ。

球形のロボットに、あっち向け、こっち向けと口頭で命令する場面があり、これなんかHAL9000にあと一歩というところ。
この未来を見てみたいけど、船内のインテリアが
2001のディスカバリー号ほどすっきりするまで、生きてられないだろうなあ、こちとら。

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人間さまのエゴやメンツをさておいて、宇宙空間からながめた、ゆっくりと動いていく地球のすがた。
無限の宇宙空間にいざなわれるようで、わたしは「
2001年宇宙の旅」を始めて観たときの感動を思い出した。
またひとつ、わたしの世代が体験した冥土へのみやげ。

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2019年7月 7日 (日)

恐竜の時代

Goji

NHKで恐竜の番組をやっていた。
かっては日本にも恐竜がわさわさと棲んでいたのだそうだ。
番組ではCGを使って、そのころの風景を視覚化していたけど、なんとかいう恐竜が、水鳥みたいにうじゃうじゃいるのには驚かされた。
化石が見つかったくらいで大騒ぎするくらいだから、恐竜って希少動物じゃなかったのか。

いや、もちろんそんなことはない。
ようするにそのころの世界には、現在のアフリカと同じような景色が広がっていたはずだ。
たとえばアフリカにはゾウやサイ、キリン、ヌー、イボイノシシ、などの大小さまざまな草食動物がいる。
これを食べようというライオンやヒョウ、ハイエナ、チーターなどの肉食動物が徘徊している。

恐竜社会はそんなアフリカの縮図、いや拡大図と思えばよい。
ちょっとサイズがちがうだけで、そこにあったのは現在のアフリカとほとんど変わらない景色だったろう。
キリンみたいな首長竜もいたし、サイのような奇妙なかたちの草食恐竜もいた。
ライオンに相当するのはあの有名なティラノサウルスで、その餌となるヌーの大群のような恐竜もきっといたにちがいないのだ。

そう考えると、恐竜の生きた時代といっても、そんなに現在とちがうわけではない。
番組には水に潜って魚をとらえる小さな恐竜が出てきた。
あれなんか井の頭公園にいるカイツブリと思えばよろしい。
そうやってほとんどの恐竜が、現在の野生動物に当てはめられるはずだから、あれはコレ、これはアレと考えるのも楽しいことである。

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2019年7月 6日 (土)

ノカンゾウ

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天気はあいかわらずわるい。
なんでももう2週間ぐらい天気予報に晴れマークがないそうだ。
それでも洗濯はしなけりゃならん。
洗濯しなけりゃ着るものがなくなってしまう。

というわけでベランダの洗濯機をまわしていたら、庭の一隅になにやら黄色い花が点々と咲いているのに気がついた。
なんだろう。
近くまで行って写真を撮ってきた。
どうやらノカンゾウらしい。

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となりの農家のおじさんが死んで、跡地がサラ地になり、草がぼうぼうと茂る庭に、今年もむなしく咲いた花。
来年があるとは思わない。
もうすぐ庭で住宅建設が始まるはず。
そうなったら、わたしにとって恋しい恋しいこの庭とも、庭のかたすみに咲く花たちともお別れだ。

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2019年7月 5日 (金)

寄付

金髪の外人娘からメールがきた。
そんな知り合いはいるはずないんだけど、なにかと思ったらまたウィキペディアから寄付のお願いだった。

ウィキペディアを知らない人はいないだろう。
善意の協力者により、スポンサーをつけずに運営されているネット上の百科事典である。
スポンサーをつけないというところが肝心なところで、おかげで公平な記述が保たれるわけだ。
最近は手を替え品を替えの広告が花盛りだから、うっかりスポンサーなんかつけた日には、内容も事実よりスポンサーの都合のいいものになりかねない。
これでは、わたしみたいにしょっちゅう調べものをしている人間には、はなはだ困ったことになってしまうのだ。

ということで、彼女からお願いがあるたびに300円寄付しているんだけどね。
なんだ、たった
300円かというなかれ。
相手は世界規模のミッションだ。
塵も積もれば山となる。
300
円の寄付が100万口集まれば、それだけでわたしの生涯賃金より多くなってしまうワ。

今年もみみっちく300円寄付しようと思ったら、寄付額があらかじめいくつかのコースに設定されていて、150015000円までだって。
生活に余裕のないわたしは、「一度だけ」限定ボタンを押し、その他のワク内に
300円と書いて送信した。

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2019年7月 4日 (木)

今朝の川柳

今朝の新聞の川柳欄を見たら、7つばかり入選句が載っていた。
最近の世相を反映した、機知に富んだおもしろい句ばかりだ。

たとえば 『嫌なこと見ない聞かない民主主義』 という句がある。
これは韓国の文在寅サンのことをいっているのだろう。
ネット掲示板には、彼が難問をまえにするとだんまりを決め込むという書き込みがあふれている。

前回の公約も見せてくれないか
公約に明るい未来キラッキラ』 という句もある。
これも文サンにあてはまりそう。
大統領になったとき、わたしの胸は見たことのない国を作るという情熱で熱くなっていますと抱負を語って、いまでもしょっちゅうネットでからかわれている大統領だ。

ひとの口借りて釈明ずるい人』 という句もある。
わるいことはなんでも他人のせいにし、対応策は部下や企業に丸投げというのは文サンの常套手段である。
なかなかイタイところをついているなと感心してしまう。

理不尽を強いて隣人失う愚
決定的なのはコレだな。
外交部長官の康おばさんが、不合理で常識に反する報復措置だ、日本は最小限の礼儀も尽くしてない、両国の長く続く産業関係も失われたと金切り声を上げているけど、この句の重さをかみしめてみればよい。
朝日新聞もすみに置けないねえ。

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2019年7月 3日 (水)

また粛清

今朝はまた、部屋にあった本をヒモでくくって、ゴミとして出した。
皮肉なものでその中に、紀田順一郎さんの「蔵書一代」という本があった。
まだ2年くらいまえに買ったハードカバーの新刊本である。
最近のわたしは本を整理しているくらいだから、あまり新しい本は買わないようにしてるんだけど、これは例外だった。

内容は歳をとって、それまでの家からもっと手狭な部屋に越すことになった著者が、部屋にあった3万冊もの本を処分せざるを得なくなった、その顛末を書いたものである。
ひとくちに3万冊というけど、これは一般的なスチール製本棚にして何個分という記述などを読むと、部屋がミリミリと音を立ててきしむような気がする。

おもしろいから一読をお薦めするけど、ここでは手垢のついた本と別れねばならない、愛書家に共通した悲哀を感じてもらえればいい。

それにしてもゴミとして出したなんていったんでは、著者に失礼だ。
せめて古本屋に出したというほうが気がきいている。
でもわたしってそんなにマメじゃないし、冊数も多くないから、へたすりゃ古本屋に持っていくだけで足が出てしまうだろう。
出した本の中には、高価ではないけど、東洋文庫のように人によっては価値のあるものもあった。
おそらくゴミ収集業者が小躍りして、わたしの代わりに古本屋に持っていったに違いない。
紀田さん、ご安心を。

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今朝の新聞

今朝の新聞にまたおかしな社説が載っているんだけど、ウチの新聞(朝日)がおかしなことを書くと、たちどころにネット上に非難の声があふれる。
だから今回はどんな反応があるか楽しみだ。 日本の韓国に対する輸出管理、ネトウヨの中には大喜びしている手合いもいるようだけど、わたしはあんまり喜んでいない。
人間同士でも国家間でも仲がいいのがいちばんだ。
このまま両者の対立がエスカレートしていったら、いったいぜんたいどうなっちゃうのか。
という点では、わたしの気持ちもウチの新聞と共通するところがある。 しかしわからんのは韓国という国。
同じ民主主義を標榜する先進国グループの一員なのだから、仲良くしてなにか具合のわるいことがあるだろうか。
仲わるくしたほうが具合のいいことってあるんだろうか。
お互いに助け合って、いろいろと難問の予想される未来に向かったほうがいいと思うんだけどね。 やっぱりわからん。

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2019年7月 2日 (火)

窮鼠?

前項でいまの朝鮮半島には、もうなにが起こっても驚かないと書いたのは、日本のフッ化水素の輸出管理のことをいっている。
日本としては伝家の宝刀を抜いたようなものだけど、なにしろ相手は日本に降参するくらいなら、餓死者数万でもあとにひかないという韓国だ(北朝鮮を見よ)。

この先、韓国は対抗措置をひねり出してくるかもしれない。
ネットには、韓国も半導体製造に必要なフッ化水素を開発すればいいという意見がある。
それには3年はかかるだろうという。
3年もあったら、ひたひたと後ろに迫る中国にさえ追い越されてしまわないか。

いずれにしても韓国には、もう対抗する時間さえないのだ。
この先、なにがどうなるか、さっぱりわからんけど、相手をみくびってやりたい放題のことをいっていれば、いつかこうなることは目に見えていた。
窮鼠猫を噛む。
こちらの立場を理解せず、そんなことをされ続けていれは、けっきょくは損得を無視した対抗策をとらざるを得ない。
窮鼠というにはあまりに大きすぎる相手に、韓国は無謀なケンカを吹っかけすぎたのだ。
この半島の行く末を見てみたいけど、わたしにはもうあまり時間がない。

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ドジった

まったく、何をしに行ったのかわからんのトランプさん。
国家間の話し合いを、なんの下準備もなく、1日まえに決めるなんて。
不意をつかれた日本政府も、正恩クンや文在寅サンもびっくりし、世界中がおどろいて、ウチの新聞もなにを書いたらいいのかスタンスを決めかねて、むふふとほくそ笑んだのは、してやったりのアメリカ大統領だけ。
この人って注目されるのが、ホント好きなのね。

これはつぎの大統領選挙をにらんだ、トランプさんの人気取りパフォーマンスだという声もあり、おそらくそっちのほうが正解だろう。
彼が高関税をかけるというので、日本のメーカーのトヨタなんか、いかに自分たちが米国の税収や雇用に貢献しているか、図やグラフを作って説明しているそうだ。
これでは関税方面のパフォーマンスでは、ヘタすりゃ自分の無知をさらけ出すだけ。
ほかになんか人気取りに使えそうなものはと、まわりを見まわした彼が目をつけたのが、北朝鮮だったというわけだ。

しかし今回の板門店訪問では、彼は完全に打つ手をまちがえた。
おそらくまともなアメリカ人なら、正恩クンのことを、身内でさえ殺しまくる残忍な指導者であると認識しており、すこしまえに米国人のオットー・ワームビアを、拷問の末に死にいたらしめた国家であることをおぼえているだろう。
そんな暴君を米国に招待しようというトランプさんの脳ミソを、こいつはなにを考えているんだと疑問を持つに決まっている。

もうつぎの選挙でトランプさんが勝つためには、ブッシュがイラクを攻めたときのように、強引に北朝鮮に軍を進め、正恩クンを恐怖の底に叩き込んで、彼を亡命させるしか、いや、彼を引き受ける国はどこにもないだろうから、開き直って破れかぶれの反撃をこころみるかもしれないけど、そうなるまえに北の軍隊は自動的に崩壊するだろう、ということに望みをかけるしかない。
殷の紂王の故事がようやく再現されるわけだ。
問題は、平和主義者のトランプさんにその勇気があるかどうかだけなんだけどねえ。

最近の朝鮮半島情勢をながめると、もうなにが起こっても驚かないです、あたくしは。

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