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2019年7月17日 (水)

登山日誌

Kyo001c

もっか終活まっ最中ということで、整理中の部屋の中からとっくに忘れていたものが出てくる、ということはこのブログに書いたけど、今度は古い日記が出てきた。
高校生活から自衛隊時代までのもので、わたしが有名人にでもなれば、若いころのわたしの思想を知るための、貴重な資料になるところだ。
ところが読み返してみたら、だれそれを好きになったとか、ふられたとかいう恋の悩みばかりで、まあ、目的そのものがそういうフラストレーション発散のためだったんだろうけど、当時のわたしがいかに世間知らずの妄想家であったかを証明するような記述ばかりだ。

で、あわててページを細かく引きちぎり、徹底的に引きちぎり、可燃ゴミとして出した。
わたしの過去の思い出は、ひとすじの煙とともに、いまごろ風にのって時空のかなただ。
ひと安心。

ほかにも、わたしの所属する団体の登山クラブから預かった、かなりの分量の登山日誌が出てきた。
まだパソコンのない時代に、ガリ版で摺られたものだけど、目的地や行程、参加者の名前などを丹念に記した労作だ。
どうしてこんなものがわたしの部屋にあるかというと、いまの団体に所属したばかりのころ、登山クラブの先輩たちと懇談し、たまたまわたしが以前に所属していた登山クラブの日誌をパソコンで整理しているという話をしたら、それじゃうちのもやってくれないかと、ひょんないきさつで押し付けられてしまったものである。

山登りに凝ると、日誌のようなものをつけて、記録を保存しようというのは、たいていの登山クラブがやっている。
クラブの会員にとってはなつかしい思い出だけど、時間が経過して、会員がどんどん物故するようになると、せっかくの労作をどうしょうかという問題に行き当たる。
現在なら日誌から写真まで、すべてを1枚のディスクに保存できるから、そんなに邪魔者にはならないけど、パソコンがない時代のそれは、古びた書籍と同じ扱いにされるしかない。

じつはわたしはそういう仕事が好きなほうで、これ以前に所属していた登山クラブの日誌も、デジタル・データに変換して、ディスクに焼くという仕事をやってのけた。
ここに載せた画像はその一部。

だからヒマなときにやっておこうと、気安く引き受けたんだけど、ほかの仕事にまぎれているうち、いつのまにかわたしも終活を考える歳になった。
いまのわたしにはかなりの分量の日誌を、すべてデジタルに変換して(つまりワープロで打ち直して)いられるほど時間も根性もない。
ましてわたしが参加したわけでもない登山の記録だ。
それなら日誌は持ち主に返してしまえばいいかというと、残念ながらもうそのクラブや持ち主とは縁がなく、メンバーの大半はすでにお亡くなりになっちゃってる可能性もある。
生きていたとしても、そんなものを返してもらっても迷惑するだけだろう。

というわけで、貴重な(当人たちにとっては)日誌も、ひとすじの煙とともにお陀仏だ。
なんか重荷を下ろした気分。

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