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2019年8月

2019年8月31日 (土)

障害発生

ネット障害発生。

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2019年8月30日 (金)

読書

じつのところ、わたしはもうほとんど仕事をしていない。
目と耳がだいぶくたびれてきたので、そろそろリタイアしようという覚悟である。
前項に書いたように、リタイヤすると毎日がヒマだ。

それで前項に書いたとおり、毎日読書三昧に明け暮れるべく、今日は図書館で本を3冊ばかり借りてきた。
どんな本かというと、むかしいちどは読んだことのある本ばかりである。
読んだことのない本を借りてもいいけど、それがハズレだったら時間の無駄だ。
いまさら新しい流行小説なんぞを追うよりも、わたしはかって感心した本で、もういちどまちがいのない感動を味わいたいのだ。

借りてきたのは井伏鱒二の「荻窪風土記」、永井荷風の「墨東綺譚」、そして中原中也の詩集。
昨今の若いモンには縁のないものばかりだろうけど、わたしにとって人生の終わりごろにもういちど読みたくなる本ばかりだ。

で、今日はこれらの書評でも書くかと思うと、そうはいかない。
わたしは晩メシを食ったり、パソコンをいじったり、ほかにやることがたくさんあって、今日借りた本の感想文を、今日書けるほどヒマじゃないのだ。
ま、そのうちにぽちぽちと、乞うご期待。

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2019年8月29日 (木)

恋愛小説

目がだいぶしょぼしょぼしてきたので、わたしもそろそろ仕事をリタイアするつもり。
リタイアすると毎日がヒマだ。
図書館にでも入りびたって本を読むか。
まごまごしていると老眼が嵩じて、本も読めなくなるかも。

でもねえ、最近の小説って、芥川賞にしても直木賞にしても、およそおもしろくないものばかり。
森鴎外の「雁」や夏目漱石の「草枕」、谷崎潤一郎の「春琴抄」のような、しみじみとこころに残る傑作ってないものねえ。
とくにいつまでも記憶に残る女性を描いた小説がない。
なければ自分で書いてしまえばいい。
どうせ時間はたっぷりあるのだから、来年か、さ来年の芥川賞でも狙ってみるか。

そう考えたけど、まったくゼロの状態からひとりの女性を創造するのはムズカシイものだ。
自分の人生のなかで交差した女性をモデルにするなんてのはどうだろう。
こういうことは有名な作家もやっていることだし。

で、思い出をなぞってみた。
わたしは漱石の三四郎みたいにオク手のほうだったから、過去に交差した女性は多くない。
それでも、たとえば海上自衛隊時代に、横須賀のスナックで知り合った娘なんかどうだろう。

自衛官は外出してもかならず夜の10時か11時には帰艦しなければならない。
艦と陸地をむすぶのは内火艇で、送迎の時間は決まっているから、これに乗り遅れたら大変だ。
慎重なわたしはいつも早めに桟橋まで行って、近くのスナックで時間つぶしをするのが常だった。

そんなことが重なるうちに親しくなったのが、やはりこのスナックに入りびたっていた若い娘。
この娘をモデルにして、こころに残る恋愛小説をでっち上げようか。
そう思ったけど、べつに深い関係になったわけでもなし、ただ夜の公園で二人きりでお話をしたくらいだから、とても小説にはなりそうもない。

それじゃ山登りで知り合った人妻はどうだ。
しみじみとした恋愛なら、むしろ人妻のほうがふさわしいかもしれない。
こちらも大した実績があるわけじゃないけど、彼女とふたりきりで秩父へ寺社参りに行ったことがある。
かなわぬ恋のふたりが、秋色も濃い三十四カ所の札所をめぐるなんて、これほどしみじみとする設定はないだろう。
どうせ小説なんだから、具体的な内容は勝手に想像をふくらませればいいし、最後はふたりとも谷底へ落っことして心中させてしまう手もある。
うまくいけば映画会社に原作として売り込めるかもしれない。

うん、これで行こうと決心したけど、考えてみたらこの人妻はまだ生きていて、あいかわらずにぎやかだし、先日も椎間板ヘルニアで悩んでいるなんていっていた。
そんな状況を想像したら、せっかくのアイディアも雲散霧消したワ。

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2019年8月28日 (水)

独裁

泥棒が捕まらないようにするいちばんの方法は、自分が警察のトップになってしまうことだ。
こんなむちゃなことを実行に移そうとしたのが、いまの韓国である。

文在寅サンは司法のトップを自分の息のかかった者にすげかえることで、将来自分を逮捕するかもしれない検察の芽を摘んだ。
いや、摘むところだった。
彼が検察の上に立つ法相を変えようとしたら、これがとんだスキャンダルまみれの人物で、いま盛大な騒ぎになっているところ。

いくら大統領の権限が絶大だとしても、もし彼が警察や裁判所のトップをすべて自分の身内で固めたらどうなるか。
警察も思いのまま、警察が逮捕した人物を裁くのも思いのままだし、まちがって自分が裁かれる対象になった場合でも、捜査の段階でもみつぶすことが可能だ。
それこそ独裁政治ではないか。

韓国人はあやうくその危険性に気がついた。
まだ予断は許さないし、日本には関係のない話だけど、三権をこれ以上侵されないよう、十二分に注意したほうがいい。
と、これは韓国人のために思う。

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2019年8月27日 (火)

翻訳

わたしぐらい疑り深い人間はいない。
たとえば韓国とのゴタゴタで、いまあちこちのウェブページをながめると、韓国ではこういっている、こんな状況になっているという記事がやたらに多い。
たいていが日本人にとって気持ちのいい記事になっているのはいいんだけど、気持ちよすぎると、コレって本当かいと疑念がわく。
嫌韓サイトが自分たちに都合のいいことだけを選んで載せているんじゃないか。

そういうときは自分でちょくせつ、韓国の新聞を読んでみればいいんだけど、わたしは朝鮮語(ハングル)なんて知らない。

ところが最近、グーグル翻訳を使えば、全部ハングルのウェブページでも、丸ごと翻訳できることがわかった。
試しにやってみたら、完璧とはいえないものの、あとは自分の脳ミソで補完することで、ほぼ完全に意味がわかる。
今日の朝鮮日報に、韓国政界をゆるがすスキャンダルが載っていることも、その内容もイッパツだ。
わはは、これからはフェイクにだまされないぞ。

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2019年8月26日 (月)

同じ人たち

韓国人と朝鮮人は似ているというと、そりゃ同じ民族なんだから当たり前といわれそう。
似ているだけではなく、この両者、現在の置かれた状況までそっくりになってきた。
北朝鮮はなんとかして経済制裁を解こうと必死だ。
自分の非を認めるとか、謝罪するということは頭になく、自分は相手と対等の関係だと強がりをいい、とにかく制裁を解除してもらおうとあの手この手。
北がアメリカと対等であるなんてことを信じる人は、この広い世界にただのひとりもいないのに。

韓国は・・・・これっていわなくてもわかるでしょ。
ぜんぜん相手にされてないのに、強がりはいう、相手と対等であると思いたがる。
広い世界に、いえ、もうこれ以上はいいません。
相手を本気で怒らせたら、両者そろって地獄行きだ。
米国大統領や日本の首相にはほかにやるべきことがたくさんあるので、両方とも目下静観されちゃっている状態。

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2019年8月25日 (日)

最近の食生活

たまにはカレーでも作ろうかと思うけど、どうもねえ。
わたしが作ると、こじんまりやったつもりでも、3日分ぐらいの量になってしまうので、暑い季節には傷みやすいから、作らないほうがいいと、これは知り合いのオンナの人。
カレーって傷むのかと、これはわたし。
高円寺にあるカレー屋なんか、1カ月ぐらい繰り返し煮込んだようなカレーを、大鍋から汲み出していたけどなあ。

なんか最近生活がセコいものになってんね。
年金頼りの独居老人なんてこんなものか。
スーパーに買い物に行っても、以前なら目につくものを片っ端から買い物カゴに放り込んだものだけど、最近ではこれはちと高い、これは贅沢なんて、そのへんの主婦みたいな感覚。

わたしの場合、むかしから食べものの欲望が少なく、凝ったものやめずらしいものを食べたいという気持ちもあまりない。
胃袋が小さいらしくて、すぐに満腹になってしまう。
だからあまり痛痒は感じないんだけど、そうかといって外食ばかりじゃもの足りないから、自分で作る料理はけっこう多いのだ。
料理といっていいか迷うけど。

最近のわたしの冷蔵庫周辺に置いてある料理の材料と傾向。
野菜とブタ肉で野菜炒め、サラダ用のトマトやキュウリやセロリ、アボガドなど、イワシやサンマ、ホッケなどの開き、ときどき買ってくるマグロのぶつ切り、それとヤマイモを使って山かけもよく作るし、豆腐を買っておいて冷奴(冬なら湯豆腐)か、すこし手をかけて麻婆豆腐、野菜が好きだから麻婆ナスも。常時冷蔵庫に入っている玉子や納豆、数種類のインスタントラーメン、自分で茹でるパスタや蕎麦やソーメン、レトルトカレー、レトルトの種類は多くて、チャーハン、餃子も電子レンジでチン!だ。めんどくさいときはコンビニのおにぎりもよく食べるし、食パンに、いまならロシア人からもらった蜂蜜もある。
これらを順繰りにまわすだけで、けっこう飽きのこない、豊富な食事のレパートリーになってしまうではないか。

年寄りは時間がないからな。
本を読んだり、音楽を聴いたり、録画したテレビを観たり、いろいろ勉強したりで、ややこしい料理なんかやってるヒマがないんだよ。

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2019年8月24日 (土)

散歩

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さっきまで散歩をしていて、いま帰ってきたところだ。
いつものコースで、暑さもほんのすこし緩んだかなというところ。
それでも疲労感を感じて、とちゅうで公園のベンチにへたりこんだ。
これはいい傾向だ。
わたしの心臓はある日とつぜんぱったり止まるにちがいない。
そういう死に方こそ、すべての人の理想じゃあるまいか。

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2019年8月23日 (金)

黒パンとキャビア

今日の新聞は、韓国がGSOMIAを破棄したってことが1面トップだ。
そんな大騒ぎをすることか、日本の側が。
大騒ぎするから韓国が喜んでしまい、ますます誤解をするのだ。
不買運動にしたって韓国の方がはるかに被害が大きいはずだし、この件に関しては、わたしのブログは徹底的に無視。

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ロシアから帰ってきたイヌの飼い主が、みやげにロシアの黒パンとキャビアの瓶詰めをくれた。
さっそく黒パンをかじってみたけど、どうやら手作りらしく、見た目も不細工だし、ひと口食べて煮干しみたいな味がした。
魚粉でも入っているのかもしれない。
カルシウムが摂れて、健康にはいいんじゃないか。

日本のパンの美味しさは、日本滞在の欧米人のユーチューバーによって、広く世界に喧伝されている。
日本に感心するというより、そんなにまずいパンを食って喜んでいる外国人がわからない。
あ、いえ、わたしは珍味ということで、むしゃむしゃと食べましたけどね。

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キャビアは以前にももらったことがあるけど、べつに美味しいものだとは思わない。
たぶん外国人がいきなり瓶詰めの塩辛をもらったようなものだろう。
どうもわたしの舌にも困ったものだ。

ところでこれには“イクラ”と書いてある。
しかし瓶のフタに描かれているのはまぎれもないチョウザメの絵だ。
ひょっとするとロシア語を日本に輸入したとき、誤訳をしたのだろうか。
そういうことはたまにあって、中国語の
“柏”は日本の“檜”のことである。

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2019年8月22日 (木)

青春は

今日はひとりでプールに行ってきた。
行きつけのプールまで、ぶらぶら歩くと2キロぐらい。
往復すれば4キロで、これにプールで泳ぐ、もとい歩く距離を含めれば5キロってところか。
まあ、いい運動だな。

着替え所からプールまでのあいだにシャワーがある。
そこに今日は7、8人の、水着のJK(女子高生)らしき女の子たちがきゃあきゃあ。
わたしの顔を見ると、海のなかでゴライアスグルーパー(巨大怪魚)でも出会ったかのように大急ぎで出ていった。
そりゃわたしはもうじいさんだ。
しかしわたしにだって、君らぐらいのトシはあったんだぞ。

それにしても、彼女らはどこかの水泳チームの選手でもあったのか、ピチピチして若鮎のよう。
股のあいだから向こうが見えるようなガリガリはひとりもおらず、足が長くて、お尻がぷんと持ち上がって、顔をかくせば欧米人の婦女子と一歩もひけをとらない健康的な肢体ばかり。
    おそるべき君等の乳房夏来る
ってのは、あれ、西東三鬼だっけか。

それにひきかえわたくしは、けっして肥満というほどじゃないけど、よる年波にお腹のあたりがしまりなくたるんじゃって、もうヤケクソでプールに入る。
いまのわたししか知らない友人たちは意外に思うかもしれないけど、かってはわたしは平泳ぎで5キロを泳いだものである。
ウソじゃない。

わたしは若いころ海上自衛隊にいた。
海上自衛隊では当然のごとく、みっちり水泳を仕込まれる。
広島・江田島の術科学校に10カ月ほどいたときは、全校生の参加する遠泳大会というのがあって、これはスピードを競うものではないけど、朝から昼までかけて、江田島湾の入口から術科学校までを泳ぎきるというものだった。
とちゅう休憩はなし、腹がへったら泳ぎながら乾パンを食べるのだ。

それがいまではどうだ。
平泳ぎのコツを忘れて、それではちっとも進まないからクロールをしたんだけど、25メートル泳いだだけで息も絶え絶え。
ガラスに映った自分の裸体をながめて、しみじみと来しかたを振り返り、青春と残酷なものなりとつぶやく。
死にたい。

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2019年8月21日 (水)

ペット

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映画「東京裁判」のことを書こうと思っているのに、なんせ長い映画だから、じっくり観ていて、ちっとも筆が進まない。
しようがないから、最近お近づきになったネコの話。

イヌかネコが欲しいなあと熱望しているわたしのところへ、1匹のネコが迷い込んできた。
というと語弊がある。
わたしのアパートは大家さんの家と隣接しているんだけど、その大家さんの家の縁の下に、最近1匹の野良猫が住みついた。
ネコは飼いたいけど、お金を出して買ったり、トイレの砂を用意するのは大変だなと思っているわたし。
いちばんの理想は、手間がかからず、ときどき頭やお腹をなでさせてくれること。
そんな横着なわたしにぴったりのネコだ。

そういうわけで餌なんか与えて、すこしづつ騙くらかしているところなんだけどね。
大きさはふつうのネコとしては小柄だから、まだ子供なのかと思っていたけど、昼間見ると寝ていることが多く、ややもするとわたしが近づいても起きないことがある。
動作もだいぶスローモーだから、ひょっとするとわたしとあまり変わらない年寄りネコなのかもしれない。

このあいだお腹をなぜていたら、前足の付け根あたりに大きな怪我をしていることがわかった。
同類とケンカでもしたのか、あるいはこの界隈に出没するハクビシンと縄張り争いでもしたのか。
どっちにしても、医者に連れていくほどわたしは親切ではないし、ケガぐらいでへこたれる相手でもなさそう。
せっせと栄養のあるエサを与えていれば、ケガはそのうち回復するだろう。

というわけでわたしにもペットができたんだけど、問題は大家さんだな。
あまりネコが好きではないらしいから、わたしは夜中にこっそりエサをやるのだ。

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2019年8月20日 (火)

大きな矛盾

あいかわらず後期高齢者の寝言みたいなことをほざいてウレシがっているわたし。
でもこれがボケ防止の良薬だと思うとやめられへんのよと、またいつもの言い訳を繰り返して、さあ、今日のブログに行こう。

ときどきウチの新聞に(よその新聞のことは知らない)、最近は言いたいこともいえない社会になったとぼやく著名人、文化人の発言が載る。
どうしてこんな社会になったのかと、怒りはたいてい政府に向く(ウチの新聞の場合)。
しかしなんでもかんでも日本政府に責任を負わせるのはおかしいと思う。
朝日新聞が未だに存続していることからわかるように、政府が言論統制をしているわけではない。

冷静に考えれば、なにもいえない社会になったのはインターネットの普及が大きい。
自分の気に入らないことはケシカランと思っても、かっては新聞に投書するぐらいしか方法がなかったのに、いまや一億総ネット時代で、誰もが公けに発言できる時代だ。
みんなで寄ってたかって、気にくわない意見や行為を攻撃する。
これでは世間の常識からはずれるような発言は、ぜんぜんできないことになってしまう。
なにもいえない社会というのはこういうことだろう。

だからといって、インターネットを禁止しろとはだれもいわない。
禁止したらなにもいえない社会になってしまう。
便利なようで便利ではない、不便なようで不便ではない。
この大きな矛盾。
わたしたちは行方の定かでない船に乗り、多すぎる航海士にみちびかれて、手探りで未来へ向かって航海しているところなのだ。
座礁したら、航海士を自認していた自分に文句をいえ。

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2019年8月19日 (月)

また病院

今日は月に一度(ていど)の病院行き。
健康診断で高血圧だっていちゃもんをつけられて、止むを得ず薬をもらいに行くのだ。
本人は高血圧より薬漬けのほうがコワイのに、医師はいう。
これから冬場になると、血圧はもっと上がるからな。
そしたら薬の量を倍にしようだって。

オイオイってとこだけど、血圧手帳に不まじめな記載があることまでは気がつかなかったようだ。
冬場になったら、もっと細工しなくちゃいけんな。

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2019年8月18日 (日)

東京裁判

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終戦の日に新聞に「東京裁判」という映画の記事が出た。
監督が小林正樹で、終戦のおりの天皇の玉音放送を、そっくり5分間も流すかどうかで揉めた映画だそうだ。
1983年の映画だけど、わたしはこの作品を観たことがない。

小林正樹というと、「人間の条件」や「上意討ち」などの作品で知られる、まあ、日本の基準では巨匠といっていい人である。
確たる証拠はないものの、わたしはいくぶんか左翼思想をもった人だったと思っていた。
そういう人が作った映画だと、朝日新聞が喜びそうな映画になっているのではないか。

そのあたりに興味があったので調べてみたら、うまいことにこれが YouTube にまるごとアップされていることがわかった。

「東京裁判」と聞くとまっ先に思い浮かぶのが、スタンリー・クレイマー監督の「ニュールンベルグ裁判」だ。
どちらも先の大戦終結後の戦争裁判を描いているけど、決定的に異なるのは、「ニュールンベルグ」のほうは事実をもとにしたドラマであるのに対し、「東京」のほうは記録映像を集めた純然たるドキュメンタリーであることだ。

ほかにも「ニュールンベルグ」のほうで裁かれるのは、戦争当事者ではなく、ナチス・ドイツを背後からささえた法律家たちであり、「東京」のほうは、東條英機を筆頭とするA級戦犯たちであることなどがちがう。
なかなか気骨のある映画らしいので、じっくり観てブログのネタにしようと思ったけど、なにしろこの映画、ぶっ通して観ると4時間半もかかるのだ。

そういうわけで、感想は明日かあさってになりそう。
請う、お楽しみに。

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2019年8月17日 (土)

プール

暑い。
今日はプールで泳いできた。
というより歩いてきた。
2時間のうち、まじめに泳いだのは15分くらい。
あとはひたすら水中ウォーキングだ。
気休めでもやらないよりはマシ。
わたしってまだまだ元気、なんだけど、そろそろリタイヤを考えている。

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2019年8月16日 (金)

勉強をする

ネット掲示板の「海外の万国通信」をみたら、英国BBCが、日本では20世紀前半の歴史をほとんど教えないと書いていたそうだ。
ホントかよと思い、わたしの高校時代はどうだったかと考えてみた。

高校時代の教科書なんてほとんど覚えてないけど、まあ、これはわたしがぼんやりした学生だったせいかもしれない。
わたしの歴史についての知識は、そのほとんどが教科書以外の、たとえば小説や映画から得たものと、それをもっと詳しく知りたいという好奇心のたまものである。

学校で歴史を上っつらしか教えないのは、なにも日本だけではなく、英国も含めて、多くの国でいっしょじゃないか。
大切なのは個人的に勉強したい場合、自由な情報入手が可能で、社会のなかに制約や強制がないかどうかだ。

BBCの記事のコメントのなかには、ナチス・ドイツと日本軍のやったことでは、どっちがひどかったかというものもある。
そういうことをきちんと教えないのは問題だというつもりのようだけど、これだけでこのコメント氏の国もたいしたことを教えてないことがわかる。

国家のなかにはある種の目的のために、特定のイデオロギーは禁止で、一切国民の目に触れさせない国もある。
しかし日本ではさいわいなことに、左翼から右翼まで、ありとあらゆる情報が入手可能だ(朝日と産経が両立しているのを見よ)。

気になる事件があれば自分で徹底的に調べればよい。
日本の本屋、図書館にはありとあらゆる書籍が並んでおり、それを妨害するものはなにもない。
学校で教える授業量が多いか少ないかということは、あまり重要でないと思う。

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2019年8月15日 (木)

うんざり

ああ、また今日の新聞だよ。
重箱のすみを突っついているみたいで、いいかげんこっちもイヤ気がさすけど、ボケ防止にいいことだからやめられないね。

今朝の天声人語にたとえ話が載っている。
戦争中、日本政府が反中、嫌中をあおるために、短歌や造語まで引用したと書いてある。
小さな子供まで 「ぼくは、わるいしなのくにに生まれないでよかったと思いました」 と作文に書いたそうだ。
これではまるで現在の韓国や北朝鮮みたいではないか。

政府が敵対心をあおり、こういう敵対心が戦争の燃料になる。
現在韓国とのあいだで互いに中傷合戦みたくなっているけど、こういうことは危険だからやめましょうだって。
なんだよ、なんだよ。
こないだまで慰安婦だ植民地支配だと、いちばん反日をあおっていた朝日新聞がいうことかい。

恥ずかしくないのか。
ないんだろうな。
恥辱心というものが少しでもあれば、こんなにみごとに自分の意見を棚に上げることはできない。
ウチの新聞を読むたびに、怒りで血わき肉おどる状態だから、ボケるひまもないワ。

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2019年8月14日 (水)

トリエンナーレのその後

今日のウチの新聞(朝日)の文化文芸面に、中止になったあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」について、そんな社会に誰がしたとご意見が載っている。
これは新聞ならではの意見だ。
もはや新聞を読むのはパソコンと縁のないじいさんばっかりで、SNSを駆使するような若者はあまり読まないだろうから、影響力はほとんどないと思われる。
そういうものにいちいち反論しても仕方ないんだけど、ヒマつぶしとボケ予防のために、わたしはまた頭の体操をしてしまうのだ。
迷惑であろうことは重々承知しておりますが。

この記事によると、現代はSNSの時代なので、情報が急速に広まり、時代の閉塞感、不遇感などにつき動かされたそのへんの一般市民による脅迫や非難が殺到する。
ここまではわかる。
SMSを使って物事を拡散させ、自分のうさ晴らしをしているバカはどこにでもいて、わたしも眉をひそめているほうだ。
でもこれってじつは両刃の剣だよな。

自分たちがネットで攻撃されていると思ったら、同じ方法でやり返せばいいではないか。
SNSはリベラル、保守のどちらにも門戸を開いているのだから、新聞にちまちまと意見なんか載せず、美術館から作品が消える社会に誰がしたとハッシュタグをつけて、広く世間に訴えればよい。

しかし今回はなぜか、不自由展ケシカランの声のほうが大きく、不自由展を中止にするのはケシカランというは声は大勢になり得なかった。
こうなると、けっきょくは、日本人全体の意見をどっちか代表しているかという問題ではないか。

そして残念ながら、朝日新聞の読者はじいさんばかりで、ネットを利用する勝負では勝ち目がない。
だからウチの新聞は自分の土俵の上、つまり新聞紙面でうさを晴らすしかないのではないか。
ま、朝日新聞がこういうことをブウたれているかぎり、日本の表現の自由に問題はないと思われるから安心だ。

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2019年8月13日 (火)

つげ義春

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晴耕雨読ならぬ涼耕暑読である。
暑いので昼間はエアコンのある部屋で読書三昧。
こないだ熱中症で死にかけた友人もそんなことをいってた。

図書館で借りてきたつげ義春の「貧困旅行記」という文庫本を読んでいる。
つげ義春といったら、60年代の終わりごろに発表した「ねじ式」という難解な作品で有名になり、わたしの青春にもそれなり影響を与えたマンガ家だ。
もちろん「ねじ式」もよく知っているけど、その解釈をめぐる論争には(しちめんどくさいから)加わらない。
ただわたしがつげフリークであることは、このブログで何度か彼に触れていることから、わかっていただけると思う。

ここに載せたのは、「ぼくはメメクラゲに刺された」というセリフで始まる、あまりに有名な冒頭のカット(の一部)。

「貧困旅行記」は本人がつづった旅の記録だけど、そこに出てくる目的地は、関東近辺の、これといって特徴のない田舎が多く、彼のマンガ作品の原点みたいな無気力な旅ばかりである。
旅する当人も、是枝裕和
監督の「万引き家族」に出てきた、リリー・フランキー扮する頼りないオヤジみたい。
ま、つげのファンであれば、そういうところがおもしろいんだけど。

ところで、作品はよく知っているくせに、つげ義春の家庭環境についてはよく知らなかった。
奥さんがいるらしいことはうすうす知っていたけど、彼の性格からすると、地味でおとなしい女性にちがいないと勝手に信じ込んでいた。
ところが「貧困旅行記」を読んでるうち、その奥さんが只者ではないことを知った。
彼女は状況劇場(アングラ劇団)の女優だったそうである。
女優がなんでこんなネクラなイメージのマンガ家と結婚したのか、つげ義春ってすみに置けないなと思う。
そしてその奥さん、藤原マキって人だけど、彼女もとっくに癌で亡くなっていた。
ヒョーって風が吹き抜けるよう。

わたしの年になれば、自分のも他人のも含めて、人生を大局から俯瞰できるようになる。
人間の春秋になんか虚しいものを感じるけど、それはだれでもいっしょだろうから、ぶつくさいっても仕方がない。

ときおりパソコンのなかに収蔵してある、わたしの古い旅日記を読み返す。
文章を書くのはむかしから好きだし、書いておかないと忘れるのも得意だから、そういう日記の分量は多い。
以前にもやったことがあるけど、ブログのネタがないとき、そんな古い旅日記をそのまま載せてしまったらどうだろう。
読んでなにか役に立つものじゃないけど、わたしの旅は「貧困旅行記」と傾向が似ているのだ。

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2019年8月12日 (月)

蜂蜜とロシア人

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昨日は更新を休んだ。
理由はイヌの飼い主が遊びに、いや、呑みにきたせい。
病院から退院したばかりのくせに、ウイスキーを下げて、呑みましょーだって、さすがロシア人。

彼からはでーんと蜂蜜をもらってしまった。
リンデン(シナノキ)の蜜だそうだ。

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2019年8月10日 (土)

今朝の新聞

今朝の新聞のオピニオン面に、ゴタゴタのあった「あいちトリエンナーレ」について、3人の識者の意見。
芸術に関してはうるさいを自認するわたしなので、じっくりと読んでみた。
どうせ慰安婦像などの展示を中止したのがケシカランという、ウチの新聞の主張にそった内容になっているんだろうと思ったら、意外とそうでもなかった。

まず美術批評家さんの意見。
冒頭に政治家が美術展の開催に口を出すのは論外という文章がある。
なんのために芸術監督がいるんだというんだけど、今回はその芸術監督が大多数の日本人の神経をさかなでるようなことをした。
こうなると政治家の意見もひとつの見解として聞いておくことは大切だ。
現にトリエンナーレをめぐって、県知事と市長の意見は衝突しているではないか。
政治家にもいろんな意見がある。

このあと批評家さんは、騒いでいる人たちは作品のメッセージを理解していないし、しようともしないと書いて、それ以上慰安婦像に踏み込まず、ややこしい芸術論を述べたあと、そのためにはどんな芸術祭にすべきだったのかという常識的な結論に持っていってしまう。
このあとの文章もきわめて常識的なもので、ウチの新聞の期待に添えているとは思えない。

もうひとりの識者、首都大学の教授さんは、トリエンナーレへの反発は3つあるという。
一に市民や政治家による抗議、二に脅迫、三が補助金カットなどをほのめかす権力の恫喝だそうだ。
そのうちの暴力による脅迫は言語道断で、わたしもガソリンで火をつけてもいいなどといったおぼえはないから、まあ、これも常識的な意見だ。
補助金をカットするぞと脅かされて止めるくらいなら、最初からやらなければよい。

ただ今回の問題は、税金が使われて公共の場で展示されるパブリックアートの矛盾ですという。
この教授さんの見解では、歴史的にタブーの連続だったエログロ表現のほうが、慰安婦なんぞより表現の不自由展にふさわしいようである。
このへんは芸術論でわかりにくいけど、この教授さんも慰安婦像を擁護するわけではなく、政治的な文脈を利用するのは間違いであると、むしろ主催者や芸術監督を非難する論調だ。

最後は弁護士さんだけど、この人はあっという間に騒ぎが拡散するネット社会の危険性を説く。
彼は自分の経験にてらしてと、かって自分が弁護を担当した事件を引き合いに出して、最近はそういう付和雷同型のアホが多いと説く。
わたしも同感である。

彼は慰安婦についても、資料に当たり、事実関係をきちんと把握した人がどのくらいいたか疑問だという。
このへんはいただけない。
一部のアホをのぞけば、これだけ話題になっている事件だから、たいていの人はどこに問題があるか、ちゃんと理解していると思う。

全体的にみると、具体的に慰安婦像を取り上げて問題視した意見は少なく、それほど気になる内容ではない。
これは識者たちの自己判断か、朝日新聞がそれに触れないようにと注意したのか知らないけど、いずれにしたって、いま慰安婦を取り上げたのではマズイという判断があったのかも。
朝日新聞がいつもの朝日ではないため、今日のオピニオン面はなにがいいたいのかさっぱりわからないものになった。

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暑い!

暑い! 暑くてやる気がおきない。
今朝の新聞にもいいブログネタがあったんだけど、ぐたっとしているうち、時間切れかも。

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2019年8月 9日 (金)

対応

韓国で日本製品に対して不買運動が起こっているそうである。
そうであると呑気な表現を使うのは、これがあまり日本に対して効果的な圧力になっているとは思えないからだ。
よい品物が売れるという、資本主義のもとでは当たり前の現象が起きているだけで、むしろ選択肢を奪われている韓国人が気のドクなくらい。

相手がそうしたいというのだから、ここはまあ、好きにやっとくれということで、話は変わるけど。

かってトヨタがリコール問題でアメリカから因縁をつけられたことがある。
この問題はアメリカ中に飛び火し、なにしろ相手は最大のお得意さんであるアメリカだから、トヨタとしては社運を賭け、豊田章男社長がみずから米国に乗り込んで、沈静化を図らないわけにはいかなかった。

それに比べればユニクロにせよビール会社にせよ、今回の不買運動は韓国というコップのなかの嵐だ。
このていどでビビっているようでは、このグローバル社会で生き残れない。
どこかの国が不買運動をしかけてくることは、これからも考えられるのだから、そうしたことを想定して、つねに進出先を複数用意しておき、一国の不買くらいで動じない備えが大切だ。
うん、わたしって企業のコンサルタントも務まりそう。

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2019年8月 8日 (木)

いまの季節の花

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ああ、イヌの飼い主がもう退院してきちゃったよ。
最近はどこの病院も、のんびり居座ることを許してくれないもんな。
わたしのワンちゃんとの蜜月は3日間で終わりだ。

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おかげで今日もワンちゃんの話題を書こうと思ったのに、それも頓挫。
暑くて散歩に行く気にもなれないし、いまの季節の花の写真でごまかす。
あ、これって去年の写真だかんね。

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2019年8月 7日 (水)

イヌの世話

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わたしのワンちゃん、まだ冬毛のままである。
散歩はできるだけ涼しい時間帯に行くようにしてんだけど、それでも途中まで行くと、舌をだらりとたらして暑苦しそう。
さいわい飼い主からイヌの世話代としていくばくかの金を頂いた。
わたしの癒しにもなることだから、いらないと固辞したんだけど、無理に押し付けられたものである。

その金でトリミングしてやろうと思い立った。
イヌのトリミングなんてやったことがない。
近所のペットショップで訊いてみたら、ミニチュアシュナウザーは8500円ですという。
おまけに、トシが
13歳ですといったら、そんな年寄りじゃ犬猫病院で、トリミングしていいものか診察も必要ですという。
これでは足が出てしまう。

いくらなんでもそこまで面倒みられないというので、トリミングは中止し、そのかわり昨日は風呂場で全身シャンプーをした。
ペット・ビジネスなんて、値段があってなきがごとしの商売なんだろうと不条理感もしみじみ。
暑いから部屋のエアコンは終日かけっぱなしで、これでは貧乏人がイヌを飼ったら破産してしまう。
だから見栄っ張りほど、イヌを飼いたがるのか。

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2019年8月 6日 (火)

表現の自由

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飼い主の夫婦が、ひとりはロシアに帰国、もうひとりは病気で入院して、またワンちゃんの散歩と食事を仰せつかった。
ウレシイ。

「あいちトリエンナーレ」の展示物が途中で展示中止になったことについて、朝日新聞が総力を挙げて苦情をいっている(今日の朝刊を見ると)。
わたしも表現の自由についてはやかましいつもりだけど、今回の場合は(今回の場合も)とてもウチの新聞の味方はできない。
だいたい国が公開を禁止したりすると、かならず表現の自由をふりまわす個人・団体がいるけど、中身を精査しないで文句をいうのはやめてほしいやね。

なにがそんな騒ぎになっているんだと思ったら、問題の展示物というのが、そもそも朝日新聞が火をつけた慰安婦の像だという。
ほかの新聞はともかく、朝日新聞は“慰安婦”という言葉を禁句と考えて、いっさいこの件には関わらないでもらいたいね。
それが捏造についての真摯な謝罪だと思うし、表現の自由が侵されていないことは、この新聞がいまだに存続しているだけで、立派に証明できるではないか。

わたしは芸術について厳格な人間であると、勝手に自称しているけど、慰安婦像というのは具象化すぎて、しかも手作りではなく、型押しした大量生産品のようだから、ぜんぜん芸術だとは思わない。
それでも、たとえばこれが広い野原に整然と並べられていたら、これはコワイ。
反日国の同じプロパガンダとしてやるなら、そうしてみたらどうだろう、ただし国の補助なんかもらわずに。

もうひとつの問題の展示物というのは、昭和天皇の顔写真に火をつけるものだそうだ。
これはちょっとひどすぎる。
たとえばアメリカの公共施設が、アメリカ国旗に火をつけるパフォーマンスをしても、米国民がだまっているだろうか。
その国の象徴に火をつけるというのは、れっきとした挑発行為であり、とても芸術だのなんのという詭弁でごまかせるものではない。
とにかく朝日新聞が擁護するものは、ハナっから逆の見方をするのが正解だという法則の、みごとな適用例だ。

それでもわたしはかろうじて表現の自由のために発言しようと思う。
やりたければ自分の金で、どこかの広場か、海岸でも借り切ってやればよい。
それならわたしもヒマがあれば観に行くかもしれない。

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2019年8月 5日 (月)

近未来

朝起きてテレビを点けたら、ドーバー海峡をひとり乗りのドローンで飛び越えたフランス人のニュースをやっていた。
お、いよいよさまざなな空中浮遊機が飛び交うSF世界の幕開けかと思う。

SF作家のアーサー・C・クラークは、まだインターネットという言葉すらなかったころに、将来実現する技術と、将来も不可能な技術について自説を述べている。
たとえばタイムマシンや、異次元空間の移動のようなものは、将来もぜったいに不可能だけど、スペースシャトルや宇宙エレベーターなど、つまり現在は無理でも物理的、工学的に可能なものなら、いつかはかならず実現するだろうということだった。

ま、そんなゴタクはどうでもいい。
クラークが犯した最大のミスが、自分が最初に構想を発表した通信衛星について、特許を取ってなかったということ。
原因は、技術の進歩の速さが彼の想像よりも早かったということだから、ひとり乗りの空中スクーターも、わたしの生きているうちに実現してしまうかもしれない。
ちょっと近所のスーパーまで、文字どおりひとっ飛びという時代を見てみたい。

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2019年8月 4日 (日)

ネット掲示板より

わっ、今日のウチの新聞、1面トップが「表現の不自由展、中止」だって。
愛知県まで慰安婦の像を観にいく予定はないから、どうでもいいんだけど、内容はいつもの朝日新聞の論調。
読まなくってもわかってる。

それよりも、いつもはあまり日韓の問題にふれないネット掲示板「海外の万国反応記」が、めずらしくこの問題に積極的にふれている。
いまの時期、いちばん人の関心を引きそうなのがこの問題ということなのだろう。
わたしもあんまり関わりたくないけれど、やっぱりブログのネタとしては強力だ。

不買だ、反日デモだ、交流事業の見直しだなんて、騒ぎが聞こえてくるのは韓国だけで、日本のほうは静観のかまえ。
それだけ韓国には打つ手がないらしいけど、おおかたの日本人が苦笑しているのも事実。

ネット掲示板「カイカイ反応通信」には、日本の自転車メーカー・シマノへの、不買運動に対する皮肉が読み取れる。
このメーカーの自転車部品は世界を席巻しており、不買をしたら韓国には代替え品はほとんどないそうで、こればかりは不買の無風地帯なんだそうだ。
シマノだけじゃない。
ニコンやキャノン等のカメラ、医療機器、部品を含めれば車やテレビ、スマートフォン、ボールペンのような文房具など、日本製品には代替えのきかないものが多く、ほんとうに日本製品ボイコットを徹底したら、韓国では生活が成り立たないという。
ふつうならこれだけで身のほどをわきまえるはずなのに、韓国は頑固な国だ、むちゃくちゃだ。

大慌てで代替え製品を育成するのはけっこうだけど、それ以前にベネズエラになってしまうことがわからないのだろうか。
わからないならいってやるけど、貧乏国家になるのを回避するのはむずかしいことじゃない。
日本を敵対視するのではなく、ウインウインの同盟国と思えばいいだけだ。
いやもう、いまとなっては手遅れか。

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2019年8月 3日 (土)

一夜明けて

日本の輸出制限について、もちろんウチの新聞も書いているし、ネット上の他のメディアもこぞって取り上げている。
有名な新聞ほどたてまえ論が多くて、本音のところがわかりにくい。
つまらぬ遠慮はやめて、このブログでは本音で行こう。

文在寅サンの頑固さには恐れ入る。
彼は日本が産業資材を輸出しないなら、自国でそれをまかなえるよう企業を応援するなんていってるけど、そうだとしてもこのへんはちょっと柔軟な考えをして、時間を稼ぐこともできたはずだ。
ウソでもいいからいったん謝っておけば、制裁をもっと先まで引き延ばせただろう。
そうすればそのあいだに自国産業を育てて、日本に対抗するだけの力を蓄えることもできたかもしれない。

しかし文サンにはそれができず、みすみす日本のさらなる制裁を引き出してしまった。
まえにも書いたとおり、謝罪は敗北というのが朝鮮の考え方だから、日本にこれっぽっちでも謝るわけにはいかなかったんだろうけどね。

どうも朝鮮人というものは困ったもんと、これは北朝鮮の正恩クンもいっしょ。
世界の趨勢に反してまで文サンが手を差し伸べているときに、ウソでもいいから韓国を味方に引き込めばよかったのに。
それが、なにが気にくわないのか、ふざけんな、このバカと、みすみすその機会を逃した。
とにかくゼッタイに相手に頭を下げたくないのが朝鮮半島の指導者だとみえる。
南北朝鮮の指導者にもうすこし大局的な見方ができれば、日本もアメリカももっと困った状況に追い込まれただろうと、これは韓国人のためにそう思ってしまう。

日本が世界から問題視されるような、危険な手を打ったという人もいる。
わたしはそうは思わない。
戦後70年以上もすぎて、そのあいだに日本は米国、ドイツ、英国などと並ぶ民主主義国家として、先進国の見本となるような実績を積み上げてきた。
それにひきかえ韓国は、これは同じ民族の北朝鮮の悪評によるところも大きいけど、話してわからない国という評判を世界に広めてしまった。
日本が韓国に制裁を加えたから、これからはほかの国もそうした危険にさらされると思う国がどれだけいるだろう。

とにかく冷和という時代は波乱の幕開きだ。
ただ日本が正面きってモノをいうようになっただけで。

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2019年8月 2日 (金)

ひょっとすると

「牧野の戦い」というのは中国の古い、古い古い、なにしろ紀元前11世紀ごろのオハナシである。
そのころ殷(いん)という国があり、紂王(ちゅうおう)という残虐な王さまがいた。
暴虐をいましめる家来がいれば、親族だろうとなんだと、生意気だと処刑し、自分はもっぱら喜び組のきれいどころと淫美な快楽にふけった。
こういう王さまはやがて謀反を起こされて滅びることになっている。

謀反が勃発した。
殷の紂王も大軍を率いて、牧野というところで反乱軍を迎え撃った。
ところが戦争が始まると、殷軍の兵士は隊列をふたつに分けて、あいだに反乱軍を迎え入れた。
つまり長年の暴虐ぶりから、とっくに人心は紂王から離れていたというわけだ。

これじゃ北朝鮮の正恩クンといっしょだ。
わたしは北と韓国が戦争になれば、北の軍隊が反乱を起こして、牧野の戦いの再来になるのではないかと思っていた。
しかし最近はその考えが変わってきた。
反乱を起こして親分の首をすげかえるのは、むしろ韓国のほうではないか。
いまの韓国を見ていると、大統領の政策が、ただ反米、反日思想だけを頼りに、国民を無謀な結果に導いているように思える。
戦争は武器の優劣よりも、兵士のやる気がモノをいう。
親分がバカなまねをして、四方八方から叩かれている状態じゃ、わたしが兵士だったらまともに戦おうなんて気にならんよ。

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2019年8月 1日 (木)

かわいそうな女の子

韓国との関係がこじれにこじれている。
わたしは数ヶ月前にネットで、もうすぐ日本に行くので、いま一生懸命日本語の勉強をしてます、とっても楽しみという韓国の女の子の記事を読んだことがある。
かわいそうに、あの子はどうなっただろう。
べつに日本人は来るなとはいってないけど、いまの状況では彼女が日本に来るのはむずかしかろう。

若い娘のあこがれを残酷に粉砕したのも、すべて韓国の現政権の頑迷さから。
もしも文在寅大統領がもっと柔軟で、わたしも言いすぎた、手をついて謝るといったらどうだろう。
日本も振り上げたこぶしを下さざるを得ず、輸出制限もホワイト国からの除外も撤回し、韓国にとっては貴重な時間稼ぎが出来、このあいだにもしかしたら、半導体製造に必要なフッ化水素などの自家製造もできるようになるかもしれない。

しかし韓国人にとって謝罪はすなわち敗北なのだ。
なにがなんでも声の大きさで相手を圧倒しなければいけないのだ。
水に落ちたイヌは死ぬまで叩かれる。
ましてこれだけ日韓関係をこじらせた大統領だ。
文サンはぜったいに謝るわけにはいかない。
だからして、日本も安心して相手をとことんまで追いつめることができる。
まあ、これから先は日本政府におまかせだけど、訪日を目前にして断念せざるを得なかった女の子の無念さを思うと、ホント、気のドクで、気のドクで。

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