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2019年8月14日 (水)

トリエンナーレのその後

今日のウチの新聞(朝日)の文化文芸面に、中止になったあいちトリエンナーレの「表現の不自由展」について、そんな社会に誰がしたとご意見が載っている。
これは新聞ならではの意見だ。
もはや新聞を読むのはパソコンと縁のないじいさんばっかりで、SNSを駆使するような若者はあまり読まないだろうから、影響力はほとんどないと思われる。
そういうものにいちいち反論しても仕方ないんだけど、ヒマつぶしとボケ予防のために、わたしはまた頭の体操をしてしまうのだ。
迷惑であろうことは重々承知しておりますが。

この記事によると、現代はSNSの時代なので、情報が急速に広まり、時代の閉塞感、不遇感などにつき動かされたそのへんの一般市民による脅迫や非難が殺到する。
ここまではわかる。
SMSを使って物事を拡散させ、自分のうさ晴らしをしているバカはどこにでもいて、わたしも眉をひそめているほうだ。
でもこれってじつは両刃の剣だよな。

自分たちがネットで攻撃されていると思ったら、同じ方法でやり返せばいいではないか。
SNSはリベラル、保守のどちらにも門戸を開いているのだから、新聞にちまちまと意見なんか載せず、美術館から作品が消える社会に誰がしたとハッシュタグをつけて、広く世間に訴えればよい。

しかし今回はなぜか、不自由展ケシカランの声のほうが大きく、不自由展を中止にするのはケシカランというは声は大勢になり得なかった。
こうなると、けっきょくは、日本人全体の意見をどっちか代表しているかという問題ではないか。

そして残念ながら、朝日新聞の読者はじいさんばかりで、ネットを利用する勝負では勝ち目がない。
だからウチの新聞は自分の土俵の上、つまり新聞紙面でうさを晴らすしかないのではないか。
ま、朝日新聞がこういうことをブウたれているかぎり、日本の表現の自由に問題はないと思われるから安心だ。

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