映画「東京裁判」の3
公判中に被告同士の対立もあったそうだから、中には生きのびるために、工作や裏切りをした者もいた。
その甚だしいのが右翼の論客とされた小川周明で、彼は狂人をよそおって裁判を免れた。
映画のなかに、彼が東條英機の頭をうしろからペタンと叩く場面がある。
ホントに狂言だったのか意見の分かれるところらしいけど、ウィキペディアによると、彼はほとぼりの冷めたころ、ぬけぬけと翻訳や農村復興運動に励んだとある。
東京裁判から逃げおおせたのは石原莞爾や大川周明だけじゃない。
辻政信という、本来なら東京裁判で極刑に処されて不思議でない人物がいた。
彼は戦争が終わったあと国内外に潜伏し、戦犯裁判が終了してから姿をあらわして、体験談を書いてベストセラー作家になり、ついには政治家にまでなったという、波乱万丈を絵に描いたような人物である。
最後は東南アジア訪問中に行方不明になったけど、こういう要領のいい人間には、おそらく戦争中の恨みをもつ人間に、ジャングルの奥で殺されたんだろうと考えて、せめてものウサを晴らすしかない。
アメリカの裁判では、よく司法取引ということがある。
たとえば被告のなかから特定の人物を選んで、罪に問わないから他の被告について証言しろというもので、ようするに仲間をチクらせて、裁判を検察側に有利に運ぼうというものだ。
日中戦争の初期に謀略家として名をはせた、陸軍の田中隆吉なんかこのケースだったかもしれない。
彼はかっての仲間たちの罪をあばくのに大きな貢献をして、世間からだいぶ後ろ指さされたようだけど、それが保身のためだったか、あるいはなんらかの使命感にもとづいたものか、わたしにはわからない。
この裁判で被告たちの内輪もめがあったのは、ほかに海軍大将だった嶋田繁太郎と文官の東郷茂徳や、天皇の側近だった木戸幸一と軍人たちのいがみ合いがある。
しかしもちろん戦後生まれのわたしに、どっちが正しいのかシロクロがつけられるわけがない。
もしもこの映画が、東京裁判の直後に作られていれば、連合国側を激怒させていただろう。
じっさいには映画製作は、裁判の40年近くあとで、敵も味方も冷静になったころだ。
わたしはそれからまたさらに、30年以上あとにそれを観ているのだから、戦争当事者とも、映画製作者ともちがった感慨があっておかしくない。
かってそこに戦争があった。
いろんな人の、いろんな人生があった。
いまはみんな死んで、みんな死んで、苔むした墓石が残るだけ。
罪びとなんかいるはずがない。
みんなそれぞれ、自らに科せられた人生を、科せられたとおりに生きただけではないか。
いったいだれが彼らを責められようか。
最後に天皇の責任追及がどうなったのかという点について書いておこう。
映画のなかに、昭和天皇がマッカーサーを訪問し、その真摯な姿勢に米国の最高司令官は感銘を受けたとある。
疑い深いわたしはそればかりじゃないだろうと思う。
映画「ニュールンベルグ裁判」では、東西冷戦の勃発で、被告たちは、ドイツを味方につけたいアメリカから手ごころを加えられることになる。
東京裁判でも同じこと、日本を味方につけたいアメリカは、天皇を利用することの利点に早くから気がついていた。
映画のなかに、天皇の戦争責任を問いたいウエッブ裁判長と、それを回避したい首席検事のキーナンの対立がある。
戦勝国同士で意見が食い違うなんて、話がややこしいけど、天皇の無罪は最初から既定のコースだったのだ。
人間を生かすも殺すも、そのときの政治情勢次第だなんて、やっぱりわたしたちは歴史に翻弄される木っ葉みたいなもんじゃないか。
戦争を知らないわたしの、「東京裁判」を観ての感想はこんなものである。
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