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2019年9月25日 (水)

山椒大夫の2

「山椒大夫」は、森鴎外の創作ではなく、古い民間芸能にあった物語に、彼が手を加えたものだそうだ。
もともとの話は勧善懲悪を絵に描いたような話で、奴隷として安寿と厨子王丸を苦しめた山椒大夫は、厨子王に残酷な復讐をされることになっている(ノコギリで首を引かれたとか)。
しかし鴎外は残酷な部分を徹底的に排除して、たとえば安寿が残忍なお仕置きをされる場面や、入水する場面を簡潔にとどめ、これをもっとおだやかで、子供にも親しめる文学に昇華させた。

いまでいう県知事のような地位に出世をした厨子王は、かって自分を苦しめ、姉を自殺に追いやった山椒大夫のところへもどってきた。
まるでモンテ・クリスト伯爵か、ジャン・ヴァルジャンみたいだけど、彼が中国や韓国のような儒教の国の役人なら、その気になれば山椒大夫の領地没収、追放もできただろう。
しかし彼はおとなの対応をとり、せいぜい人身売買の禁止や、奴隷を解放して賃金を払わせるような政策をとるにとどめた。
考えてみれば、これは日本に古くから法治の精神が根付いていたことの証明かもしれない。
法治の国では権力をにぎった役人といえど、いちおう法令の下でまっとうな商取引をしている経営者を、自分の復讐心だけでむやみに処罰することはできないのだ。

しかも「山椒大夫」を読んで感心するのは、奴隷制度を廃止させられた山椒大夫の周辺では、農工の技術はいよいよ向上し、商取引も以前に増して活発になり、大夫はさらに富み栄えたとある。
森鴎外は明治の人だけど、やがて社会主義のソ連が資本主義に敗北したように、国民の自由を抑圧して国を治めるよりも、自由な生き方を許容するほうが、結果的には国を豊かにするということを知っていたわけだ。
「山椒大夫」は子供向けの説教話ではなく、現代にも通じる立派なおとなのための小説なのである。

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