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2019年10月

2019年10月31日 (木)

未来の展望

今日の新聞に、国立図書館にブログを保存するという記事。
おお、ひょっとするとと思ったけど、わたしのみたいな泡沫ブログは対象外らしく、保存されるのは市川海老蔵サンやプロ野球選手のものだけらしい。
残念だな、とりたてて財産のないわたしにとって、未来に残せるものとしたらブログぐらいしかないのにと思う。
ヒエラルキーはこういうところにも存在するんだなって、平凡な庶民のわたしはガックリきちゃうけど、でも、これを読んでひとつの展望が開けてきた。

親類縁者からも疎遠で、墓もいらないという偏屈なわたしは、死んだあと二世代か三世代を経れば、もう完璧にこの世から忘れられているだろう。
わたしの親戚の子供が、風変わりなおじさんがいたらしいと、わたしに興味を持ったとしても、どんな人だったのかという証拠すら探しようがない。
しかしブログが残っていればそうではない。

たとえば、宮沢賢治という人はとっくのむかしに亡くなって、もはや生前の彼のことを知ってる人はひとりも残っていない。
しかし彼の詩や童話があるかぎり、彼の人格は永遠に不滅だ。
彼がどんな人であったかということは、彼の文章を読めば、いつでも誰にでもわかるのである。

おまえのアホなブログがと嘲笑の声が聞こえてきそう。
しかし、いまは有名人のブログ限定でも、将来もそうとはかぎらない。
コンピューターがいままさに生まれつつある巨大な生命体であるとすれば、その脳はありとあらゆる知識を欲しているはずで、将来的には森羅万象のことごとくを収集しようとするだろう。
量子コンピューターの出現でもわかるように、その処理能力は飛躍的に高まり、その容量は爆発的に増え続けている。
無限に増殖しようとするこの脳を止めるすべはもうないのだ。

YouTube には膨大な数の映像が集められている。
中にはとるに足りない映像もあるだろうけど、そうしたものもすべて、機械が感情というものを理解するのに必要なものだとしたら。
わたしのブログだって保存の対象にゼッタイならないという保証はないはずだ。

ネットで沖縄について調べたら、つぎからはパソコン画面に沖縄旅行の宣伝ばかりが出てくるようになった。
Googleマップのストリートビューには、すでに消滅したうちの近所の景色のデータも残っているだろう。
些細なことだけど、ネットを使って旅行の手続きをしたわたしの個人データは、米国のお役所のコンピューターにファイルとして綴じられているはず。

こんな具合で、どんなつまらなそうなデータでも、将来はコンピューターの中に効率的に保存される可能性があるのだ。
50年100年後に、わたしの親戚のガキが、コンピューターでわたしのことを検索して、このブログを発見するかもしれない。
おじさんて、引きこもりでイヤらしくて、誇大妄想を持つ人だったんだなと思われても仕方ないけど。

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2019年10月30日 (水)

誤った解釈

今日の新聞に、文化庁が発表した「国語に関する世論調査」という記事があって、最近の若者から、本来の意味と異なる解釈をされている言葉がいくつか紹介されていた。
わたしはアマチュアのもの書きだけど、なにしろこれまで読んだ本は人並み以上だと、そう勝手に信じている男だから、そういう間違いは犯さないと、これも勝手に信じている。

で、テストのつもりで記事を読んでみた。
「憮然とする」
「砂をかむ」
という二つの言葉がひきあいに出ていた。
うん、なーるほどね。
最近の朝日新聞を読んで砂をかむような気分だし、憮然という言葉をまちがって解釈するとはと憮然としてしまう。
ま、どちらも文章のなかの字づらを見ただけでおかしいと気づくはずだし、愛書家なら解釈を間違えるはずのないものだ。

でもよく考えたら、これって、ようするに自分がじいさんなのか若者なのかを判断するためのテストじゃないのか。
わたしは文書のなかに絵文字を使うのもきらいというタチだけど、これは完全に時流に乗り遅れた年寄りのぼやきなのではないか。

記事を最後まで読んでみたら、「情報機器に時間をとられて本を読む時間がない」という調査の結果がいちばん増えていたそうだ。
本を読む時間は減ったものの、わたしはスマホやタブレットからむかしと変わらない量の文章を読んでいるんだけどねえ。

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2019年10月29日 (火)

無謀

わたしは山登りのプロじゃない。
それでもこの季節の富士山が、しろうとの手におえる山でないことぐらい知っている。

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そんな富士山から、スマホで生中継しようとして、滑落した人がいるそうだ。
YouTube に滑落の瞬間の映像が残っているけど、本人の装備がすこしだけ映っていて、それで見ると靴は夏山用の軽登山靴で、アイゼン、ピッケルも持っていなかったようである。
こういう人は死んで当然と、これはわたしが言ったわけではなく、中継を見ていた大勢の人の意見。

わたしの階下に住んでいた金髪クンも、訪日したロシア娘を案内して富士山に登りたいんですと、相談に来たことがある。
8月だから季節としては問題ない時期だったけど、わたしは忠告した。
五合目あたりから見ると、空気が澄んでいるせいで、山頂はすぐ近くに見える。
だからつい舐めてかかる外国人が多いけど、山頂はものすごく寒いから防寒着が必要だぜ。

こう言ってきかせたにもかかわらず、彼は長そでの1枚も持たずに出かけてしまった。
寒い思いをするのは本人の勝手だからかまわんけど、わたしが雨にそなえて貸してやった雨カッパ、寒いものだから山頂でこれを防寒着替わりに身につけたらしい。
彼とわたしではサイズが違うのだ。
ゴアテクスのいい品物だったのに、あとでチェックしたら、無理やり着たらしく、チャックが壊れてしまっていた。

◯◯は死ななけりゃ治らない。
でもそんなアホな行為で、他人の装備を台無しにするのはやめてほしい。
富士山から滑落した男性も、なにしろネットで生中継ができる時代だから、他人と違うことをして人気を得ようとしたんだろうけどねえ。
冷たくなっちゃおしめえよ。

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2019年10月27日 (日)

ロシアの美女

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わたしもファンのひとりであるフィギュア・スケートのエフゲーニア・メドベージェワ選手、カナダの競技で派手に転んだというニュースを見て、つい心配になってその映像を探した。
こういうのを探すのはお手のものだから、たちまち YouTube で見つけたけど、転んだのはショートプログラムで、彼女はぴったりしたパンツ・ルック。
かわいそうに、尻もちをついて観客席のフェンスまで転がっていた。
たぶん痛かったと思うけど、さすがスケートの選手で、すばやく起き上がって演技を続けたものの、このあとは失望感がありあり。
控えに戻ったあと、くちびるをかみしめるところがなんともいえず気のドクというか、カワユイというか。

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それにしても彼女も女になったなと思う。
パンツ・ルックだから、転んだときにお尻のあたりがむっちりしちゃって。
競技は新鋭のトゥルソワの優勝だったけど、こちらはまだ子供みたいな体型だ。
軽業師みたいに重量がモノをいうフィギュアの世界では、やっぱり子供のほうが得である。
わたしとしては女になったメドベージェワちゃんにまだまだ惹かれるけど、つぎからつぎへと美女スケーターの登場するロシアの新陳代謝は早い。
トゥルソワも2、3年後にはまた新鋭に追い抜かれているだろう。
そのとき彼女がどんな女に変貌しているか見てみたい。

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2019年10月26日 (土)

花ふたつ

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あまりその気になれない気分のまま散歩に行く。
自然観察園で咲いていた花ふたつ。
最初はホトトギスだけど、あとのほうはシュウメイギクというのだそうだ。
ほかに楽しいこともおもしろいこともないから、花の和名を調べてみた。
ホトトギスの和名は、これは不如帰であろうと思ったけど、ほんとうは杜鵑草というらしい。
それじゃシュウメイギクは?
秋明菊だそうだ。
なんで秋明なのかということまでは、メンドくさいから踏み込まない。
どうもだらしない日だ。
認知症かしら。

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2019年10月25日 (金)

レイジング・ブル

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ちょっと古い映画ファンならたいてい知っているはずのボクシング映画に「レイジング・ブル」という作品がある。
若いころ、これを観てきた友人が、すげえ映画だよとほめていたけど、あいにくわたしは他人映画評というものを信用しない男なのて、そのときはついつい見逃した。
それが先日テレビ放映されたので、いい機会だと、録画しておいてじっくり観てみた。

あらかじめの予想では、主人公のボクサーが努力してのしあがっていき、その合間に家族のきずなのようなものが描かれ、最後に宿敵との大勝負があって、その決着をつけたあと、はい、ジ・エンドという映画じゃないかと思っていた。
そうじゃなかった。
ボクシング場面もたくさん出てくるけど、それよりもヒーローらしからぬ主人公の生きざまに焦点が当たった、なかなか見応えのある映画だった。

主人公はジェイク・ラモッタという実在したボクサーである。
こういう映画を漫然と観てもつまらないから、ウィキペディアでいろいろ調べながら観た。
彼の経歴はおおむね映画に描かれたとおりで、なぐられてもなぐられても立ち上がってくるしつこいボクサーだから、レイジング・ブル(荒れ狂う雄牛)と呼ばれたそうだ。
ボクサーをやめてからは、コメディアンをしたり、バーの経営をしたこともあるそうだから、ちょっと異色のボクサーである。

チャンピオン戦の資格を得るために、マフィアと取引して八百長をしたことや、バーを経営しているとき、客に未成年の娘を紹介してムショ暮らしをしたことがあり、映画はそういう場面まで忠実に描く。
ホントかよと思うのはわたしのわるい癖で、ひょっとするとウィキペディアの記述が、映画の脚本に影響されてんじゃないかと心配になる。

彼は史上最高のボクサーとされるシュガー・レイ・ロビンソンと6回も試合をしており、特に最後の闘いとなった1951年の試合は、セントバレンタインの虐殺と呼ばれるほど凄惨なものであったそうだ。
映画でもこの場面は、主人公が血まみれになるほどすさまじいものだった。

それを観ていてふと思ったけど、この13回TKOとなったラモッタ、ロビンソン戦て 、後世にのこる名勝負だったらしいから、記録映像が残っているんじゃないか。
そう思って調べてみたら、図星で、最初から最後まで、ほぼ完全な映像が
YouTube に上がっていた。
ただし、じっさいの映像を観るかぎり、映画ほど血なまぐさいものではなかったようである。

主役を演じたロバート・デ・ニーロは、この映画でアカデミー主演男優賞をもらった。
演技もいいけど、たまげたのはデ・ニーロの激変ぶりだ。
ボクサー時代はいかにもボクサーらしいスマートな体型なのに、廃業したあとはお腹の出た中年太りのおっさんになってしまう。
じつはこの映画の最大の見せ場は、このデ・ニーロの肉体改造ぶりにあり、それが彼にアカデミー賞をもたらしたのである(とわたしは思う)。

しかしいくら役者でも、そんなに簡単に太ったり痩せたりできるものなのか。
まだCGのない時代だから、太ったシーンは腹にさらしでも巻いているんじゃないか。
あいかわらず疑い深いわたしはそう思ったけど、太ったおっさんのデ・ニーロが裸になる場面があって、そんな細工はしていないことがわかった。
ボクサーというのは減量に苦労するらしいけど、ホント、この映画はそれをリアルに見せてくれる。

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2019年10月24日 (木)

ネットニュース

韓国の首相が来日して、新大久保駅にある、転落した日本人を救おうとして死亡した韓国人の追悼をしたそうである。
この時期だから、日本人のために亡くなった韓国人をひきあいに出して、なんとか日本と韓国の融和を図りたいという気持ちらしい。
このブログに書いたように、謝りたいけど謝れないんです、わかってわかってという心境がにじみ出ているな。

でも写真でみると、新大久保駅には亡くなった韓国人を顕彰するためのプレートが埋め込んであった。
心配しなくても、日本人はそういうことを忘れていません。
日本で嫌韓というのは、国を挙げての運動にはなってないことも、韓国首相にあわせて提言したい。

ネットニュースには、香港のデモ騒動の発端となった当事者の顔写真も、どうどうとさらされていた。
台湾で妊娠した恋人を殺して、香港に逃げ延びた香港人の写真である。
そんな事件が発端であることを初めて知った。
これじゃ犯人を裁くのに、中国本土に引き渡せという大陸の言い分も納得できないこともないぞ。
いまこの犯人は香港と台湾のあいだで宙ぶらりんになって、処罰を免れているそうだ。
どの国でもいいけど、まず犯人を厳罰にしてほしい。

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2019年10月23日 (水)

秋刀魚

Bo02

中国の知り合いから長文のメールが来た。
来日していたのにさっぱりメールが届かなかった相手である。
ようやく蘭州の自宅にもどったようで、自宅のデスクトップをのぞいたら、そちらにはわたしからのメールが届いていたものだから、おかしいと思っていろいろ調べたらしい。
原因がわかりましただって。
詳しいことは知らないけど、日本に持ち込んでいた iPad のメール設定が更新してなかったとか。
アホなやつ。

终于找到原因
帐户异常登录活动 例如,从新位置、新设备或新应用登录)
邮箱有提醒,是我更换了空间较大的
ipad,没有更新认证,写信可以,但是收不到任何邮件,误认为你不想见我,怕我打扰你,不回信。

それはともかく、いまや中国人でも iPad を持ち運ぶ時代だ。
しかも個人旅行で来て、亀戸のホテルまでグーグルマップを使ってたどりついたという。
負けそう。

わたしに会えないまま東京に4日間いて、その後は奈良に行ったそうである。
奈良といえば、外国人に人気があるのが、さわることのできる野生のシカだ。
もちろん彼女もそれを見に行った。
日本のシカだから「日本鹿」というのかと思ったら、中国ではこのシカのことを
梅花鹿というのだそうだ。
背中の白い斑紋が梅の花に見えるらしい。

Bo01

女性だとどうしても興味の対象が食べ物になるのはやむを得ない。
奈良の食堂でサンマを食べたといって、塩焼きのサンマの写真が添えてあった(食いしん坊だからひとりで2匹食べたようだ)。
中国でもサンマは
秋刀魚と書く。
と書いてから、はてね、中国にサンマなんてあったかなと思った。
わたしが足しげく中国を見てまわっていたころは、中国人は海の魚をほとんど食べなかったはず。
海に棲息するものなら、潜水艦以外はなんでも食べるとされる中国人には不思議なことだけど、わたしが市場を見てまわってようやく発見した海水魚は、マナガツオくらいのものだった。

おそらく秋刀魚という季節的な名前は、日本から輸入した言葉だろう。
いまではネットを通じて、日本人の嗜好も世界中に知れ渡っており、味覚に貪欲な彼女も、日本でためらうことなく海の魚を注文したにちがいない。
わたしは偏見を持ってないから、だから中国人は、なんていうつもりはないけど、こんな調子では、海の資源確保競争がますます激しくなるだろうということだけはいえる。
今年はサンマが不調だそうだ。困ったモン。

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2019年10月22日 (火)

鉄の女

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録画してあった映画「マーガレット・サッチャー/鉄の女の涙」という映画を見てみた。
映画の冒頭にもうおばあさんになったサッチャー首相が出てきた。
見ているうちになんとなくサッチャー首相の面影が浮かび、ついつい、そうだ、こんな人だったよなと思い、とちゅうで、そうか、これは映画なんだと思い当たった。
つまりサッチャー首相を演じたメリル・ストリーブの演技が、まったく抵抗なく、鉄の女といわれた英国首相になりきっていたということ。
あわてて調べたら、この年のアカデミー主演女優賞は当然のように彼女が受賞していた。
スゴイ。

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声なき声

韓国は困っているのかもしれない。
いや、日本の輸出規制のせいではなく、自ら招いた過去の言動や反日教育のしっぺ返しのために。
今日は天皇の即位の礼のために首相が来日して安倍総理と会談するそうだけど、これをもって日本と和解を目指すというのは早とちりだとしても、わたしには韓国の声なき声が聞こえるような気がする。

謝りたいんだけど、そうはいかないんです。
韓国は日本とちがって国内勢力が拮抗しており、弱みを見せたら即失脚、だけじゃなく、そのままブタ箱行き、ヘタすりゃ自殺にまで追いつめられます。
ウチはそういう国なんです。
国民は信念理念よりも扇動にのりやすいタチで、煽ればすぐに行きつくところまで行っちゃうし、そんな国をまとめるには日本を叩くのがいちばん効果的なんです。
どうかこちらの心境を察してください。
けっして相手に頭を下げられないわたしたちの国民性を。

ここんところまた日本になびいているみたいで、ぜんぜんスタンスが定まらないあの国を見ていると、そんなふうに考えているのかも。
のほほんとした顔の李首相も、じっさいには、おネガイ、わかってわかってと泣きたい心境かもしれない。

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2019年10月21日 (月)

家計簿

家計簿をつけ始めた。
これまでずいぶんおおらかに生きてきて、金銭感覚もずいぶん大雑把だったんだけど、仕事を辞めたら急にそういうことが気になってきたのである。

つくづく思うのは、人間なんて羽振りのいいのは仕事をしているあいだだけということ。
わたしもかってはカメラや旅行や山登り、ダイビングなど、それなりお金のかかる趣味に凝ったものだけど、仕事をやめたとたんにそれどころじゃない。

もちろん若いころ、なにをしたのか知らんけど、しこたま稼いで老後も派手な生活を続けている人もいるだろう。
しかしわたしのまわりにはいないねえ。
そりゃわたしのまわりはブルーカラーばかりで、大金を稼ぐような才覚もなし、ひたすら安月給に耐えてきた人間ばかりだ。
そういうことは別にしても、フツーに推察してみると、日本人の半分以上は、わたしとあまり変わらない境遇ではないか。
つまり野放しにお金を使える年寄りって、あまりいないんじゃないか。

だいたいわたしは1カ月にいくらあれば足りるのだろう。
というわけで、月初めにしかるべき金額を貯金から下ろして、それがいつまでもつか、家計簿でしっかり見極めることにしたのである。
結果をみれば、わたしが貯金と年金でいつまで食いつなげられるかという目安にもなるはず。

家計簿をつけ始めて20日ほど経過したけど、あまりかんばしいものじゃないね。
いつ海外旅行のお誘いがあってもいいように、その分ぐらいは残してあるんだけど、現状のままではやっぱりあと
20年も30年も生きるのは無理みたい。

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2019年10月20日 (日)

ズルをする

昨日は月にいちどのパソコン同好会の日。
ひさしぶりに会った知り合いが、あんたのブログを楽しみにしてるからねといっていた。
でも、そういう人と呑んだおかげで、ブログの更新を休んでしまったのだから皮肉。

今日もこれから街へ出ようと思うし、夜になるとラグビーの中継がある。
やっぱりブログの更新なんかやっているヒマはないかもしれないと、あらかじめお断りして、ややこしい文章を考えるのはサボるのだ。
こんなズルばかりしていると認知症になるのも早いかもしれない。

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2019年10月18日 (金)

YouTube考

ひとつ YouTube でもやって儲けようかと思う。
最近の世論調査では、将来は何になりたいですかと訊くと、ユーチューバーという子供が増えているそうだ。
たしかに
YouTube を観ると、テレビの馬鹿馬鹿しいバラエティ番組みたいで、こんならオレにも作れるといいたくなる安直な映像が多い。
それで何十万、何百万も稼げるなら、こんな割りのいい仕事はない。
と考える人がいても不思議じゃない。

もっともあんまり安直な考えは危険だ。
来日して日本をさんざんからかおうとしたローガン・ポールは、良識派から非難されて、けっきょく尻尾をまかざるを得なかった。
ざまみろってなもんだけど、そういうことをきっちり理解したうえで、今日は
YouTube 考。

ネコにキュウリのような、たまに思いもかけない映像がヒットしているのを見ることもあるけど、偶然の産物をアテにしていたのでは長期的な稼ぎは見込めない。
恒久的に稼ごうとしたらべつの方法を考えなければならない。
この場合、若くてきれいな女の子が有利なのはいうまでもないけど、自分の容姿をあてにするのでは、体を切り売りするようなものだ。
ここはもうすこし地道で堅実な方法を考えよう。

ひとつ問題があって、よい映像を作ることが、かならずしもアクセスの向上につながらないということ。
このブログでもほめたことのある
Only in Japan というチャンネル、ひじょうに丁寧に作られた映像ばかりだけど、どうもそのへんの素人が金をかけずに作った番組でも、アクセスが高い(たくさん稼げる)ということがわかって、ジョン・ドーブ君も考えをあらためたみたいだ。
最近は同じチャンネルに、末尾に
go をつけたお手軽な映像も載るようになった。

ドーブ君のように、外国人の中には日本で生活して、その異文化ぶりを世界に発信する者がたくさんいる。
しかし大勢の外国人がみんな、たとえば回転寿司や奈良のシカの映像をアップすれば、異文化も無尽蔵でないからやがて飽きられる。
逆に日本人がパリやローマに住み込んで、そこから発信しようと思っても、これはムズカシイ。
世界を相手にするなら、日本のように極端に清潔な国だとか、自動販売機がどこにでもあるような、外国人から見て風変わりな文化を持った国でないとダメである。

いっそのこと、インドやフィリピンのような、インターネットの普及が遅れている国(のできるだけ田舎)に住み込んで、その現状を報告するなんてのはどうだろう。
ネットがないくらいならまだまだ伸びしろはあるはずだ。
わたしはそういう国に興味があるんだけど、残念なことに若い娘のアクセスは期待できそうにないし、そもそも生半可な根性では自分がそういう国で生きていけるかどうかも疑わしい。

先進国の文化にどっぷりつかった人なら、たとえばめずらしい動物を飼って、その生育記録の映像をアップする手もある。
ネコやイヌでは飼い主の自己満足になってしまう場合が多いようだから、ここはカワウソだとかヘビ、トカゲ、カエルなんかを飼うといいようだ。
世間には動物を飼いたいけど、面倒を見るのはどうもというわたしみたいな人間がたくさんいるのだから、動物モノはあるていどのアクセスが見込まれる。
気をつけないといけないのは、あまりめずらしい動物を飼おうとすると、WWFあたりから横槍が入ることだ。

まだまだアイディアはたくさんあるけど、きりがないからこのへんでやめておこう。
くれぐれもいっておくけど、世間にはマンガ家のように、自分の創造力で食っている人がたくさんいる。
そういうものが皆無の人が、安直に始めても長続きはしない。
と書こうとしたけど、でも
YouTube 上には、あいかわらず馬鹿馬鹿しい映像もたくさんあり、アクセスも決して少ないわけではなさそうだ。
やっぱりわたしのほうがアナクロ(時代おくれ)人間なのか。

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2019年10月17日 (木)

大命題

仕事をリタイヤすると、ヒマで仕様がないだろうという人がいる。
わたしの場合そうでもない。
スポーツはてんでダメだけど、わたしは、よくいえば書斎派、悪くいえばひきこもりのニートなので、部屋にいてやることはいくらでもある。
むしろ部屋にいたほうがやりたいことが多いくらいだ。

そんな話を知り合いにしたら、部屋にこもっているのは精神的にもよくないよという。
ごもっともだけど、どうも話を聞くと、彼はわたしがテレビゲームばっかりにに熱中していると思っているらしい。
そう思われても仕方ないけど、でも、わたしはゲームというものをいっさいやらない人間だ。

ずっと以前、部屋でパソコン・ゲームをしている最中にぽっくり亡くなった知り合いがいた。
彼の遺体は机のまえに座ったままだったそうである。
でもこれをもってして、ゲームをするのが健康によくないとは思わない。
人間死ぬときは水泳やジョギングをしてるときだって死ぬのだから、彼はもともと胸に疾患をかかえていたのだろう。
現にわたしと同年齢で、ま、生きているやつもいるけど、死んでしまった人間もいるのだ。
パソコンに凝っているおかげで、わたしは人生に退屈しないし、すこし長生きしすぎたとつねづね考えている始末なのである。

いまわたしのこれまでの生き方が、正解だったのかどうかじいーっと考えているところ。
結果が出たらブログに書こうと思うけど、これはひょっとすると人間の生き方についての大命題になるかもしれない。
結果が出るのはいつのことになるやら。

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2019年10月16日 (水)

もうひとつ

今日はもうひとつ更新しておこう。
というのは今朝のウチの新聞のオピニオン面に、ときどき出てくる純子サンという人が、また女性の性格のうちの、ある部分を強調したようなことを書いていたからだ。

「そうね、萎縮はしていないかも。しかしそれは抑圧していないことを証明しない。萎縮してないから抑圧してもいいという話にもならない」
「隆々たる言論機関の記者が萎縮せずとも、自由が抑圧されれば社会は窒息する」

なんかずいぶん言いたいことをいっているように思えるんだけど、朝日新聞記者の彼女にいわせると、発言を抑圧されて窒息しかかっているんだそうだ。
毎度のことながら、ものごとを客観的に見ずに、原理主義、確信犯であることが、女性によく見られる性格のある部分なのだ。
と、わたしは純子サンの記事を読むたびに思う。

政治家は芸術家ではない。
芸術の成否を判断するものでもない。
彼には国民の大多数が反目をおぼえるものを、認可しないという義務があるだけなのだ。

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近くて遠き

日本は大統領制の国ではない。
韓国は議院内閣制の国ではない。
おたがいに相手の国のことはよく知らんだから、つい相手もこっちと同じようなもんだろうと勘違いすることはある。
日本は韓国の大統領が持っている絶大な権限を過小評価するし、韓国は日本の首相の権限を過大評価することはある。

だから韓国は安倍首相がたったひとりで韓国をいじめていると思いこみ、安倍ガー、安倍ガーと連呼するけど、日本の首相はあくまで大多数の日本人の声を代表しているに過ぎず、文句をいわれても困るのである。

日本では三権分立がきちんと機能しているから、日本人はつい韓国もそうだろうと思ってしまう。
しかし韓国大統領の権限は、日本人が考えている以上に絶大なのだ。
だれかが大統領になれば、国会も裁判所も軍隊もみんな右へならえだ。
忖度なんて日本の規模をはるかに上まわるし、たまたま本人が清廉な人であっても、まわりが利権を放っておかない。
権力が絶大であればこそ、ときの趨勢にうまく乗れた者の利益は大きいし、乗り遅れた者の反感もすさまじい。
負け組はつねに勝ち組の寝首をかこうと、あの手この手。
いったん政権奪取に成功すれば、相手を完膚なきまでに叩いて、今度こそ自分たちの地位を不動のものにしようとする。

かくして韓国という船は、右に左に船首を振りながら迷走を続けることになるのだ。
わたしたちに必要なのは相手の国をよく理解することで、ゆめ日本と同じ国だと誤解してはいけない。
さわらぬ神に祟りなしという言葉もある。

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2019年10月15日 (火)

狼少年

おお、また制裁だって。
今度はトルコに、あのトランプさん。
自分が原因を作ったようなものなのに、そして同調する協力国もないのに、とにかく制裁を乱発する。
そんなに制裁ばかりしていたら、狼少年のたとえ通りになって、ああ、またかとだれも相手にしなくなりやしないか。
ひっぱりまわされる世界も大変だし、北の正恩クンにも舐められるぞ。
最近こういう指導者が多いけど、トランプさんと文在寅サンが辞めてくれたら、ガラガラポンで、また常識の通じる世界がもどるかも。
その日も近いような気がする昨日今日だ。

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2019年10月14日 (月)

めざすべきもの

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ユーリャ・ブリンチクといえば、いささかクールすぎるのが難点だけど、モデル顔負けのスタイルと美貌をほこる、ロシア・ウラジオストク出身の美人ユーチューバーだ。
イラストレーターという本業を持っているんだけど、最近は自分の YouTube 映像を制作したり、ほかのいろんな映像に出演したり、タレント業のほうが忙しいらしい。
美人は得である。

彼女が里帰りしたときの映像を見ると、ウラジオストクもずいぶん近代化されたなあと思わないわけにはいかない。
海岸にある公園が出てきて、家族連れなどで賑わっており、
きれいなレストランがあり、屋台や観光用の土産もの屋がありで、日本の観光地とあまり変わらない。
ものが不足していて、なんでもかんでも行列というソ連時代のロシアを知っている者には、ホント、隔世の感がある(そのへんの事情を知らない人は、椎名誠の「シベリア追跡」あたりを読めばよい)。

わたしはパソコンでこれを観ながら、同時に、録画してあったグレイトネイチャー・シリーズの「スロベニアの溶ける岩」というテレビ番組を観ていた。
スロベニアというと、長く生きてきたわたしには、どうしてもユーゴ紛争の悪夢がちらついてしまう。
しかしここでも、観ていると観光名所の巨大な洞窟のなかに、ちゃんと照明も備わった遊歩道が作られていて、いまではサービス満点の観光立国になっているなあと感心してしまう。

こういう映像や番組を観てしみじみと考える。
このグローバルな時代、平和でありさえすれば、どんな国でも目指すものはいっしょなのだろう。
世界の人々が仲良くできないことはないと思うんだけど、現実はなかなかそうはいかない。
韓国の若者たちがバカげた国家政策のおかげで、あこがれの日本に行けないとしたら、これは気のドクだ。
日本の若者が韓国へ行くのは、だれも止めやしないのに。

と、こんなことを書いていたら、韓国では問題になっている法相が辞任だって。
文サンもいよいよレームダックか。

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2019年10月13日 (日)

損得勘定

ネットニュースを読んでいたら、韓国の統一外交安保特別補佐官という長ったらしい肩書きの人が、怒り狂って発言している記事が目についた。
彼がいうのには、韓国は日本との貿易において、50年以上も黒字になったことがない。
日本が請求権協定によって韓国に支払ったのは8億ドル、逆に日本が韓国から得た利益は
6800億ドルになる。
わたしたちは日本にそれだけ協力してきたのだから、日本政府の輸出規制という仕打ちに怒っているというんだけど、はてね。

単純に日本と韓国の関係だけをみればそうかもしれないけど、もともと技術レベルの劣る韓国が、日本の技術や材料を使って、たとえばサムスンなんか、日本で売れなくても、いちじは世界一という評判を得て、世界を相手に莫大な利益を上げた。
本来ならこれこそウインウインの関係というべきなのに、身のほどをわきまえず、同盟関係を毀損するようなことばかりする。
損得勘定は日韓だけをみていたのではわからない。
日本と仲良くしていれば、サムスンもまだまだ莫大な利益を上げられたものを。

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2019年10月12日 (土)

台風の2

0880a

専業農家だったとなりのおじさんが亡くなって、家のまわりの樹木が一掃されたから、風当たりが強くなるのではないかと心配していたけど、意外とそうでもないようだ。
目の前がグランドで、その向こうは飛行場というがらんどうみたいな場所にあるから、風の圧力が分散してしまうのかもしれない。

夕方になって、いつも歩いている散歩道のようすを偵察に行ってきた。
かなり増水しているけど、まだ余裕がある。

0880b

下の写真はふだんの同じ場所。

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台風

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いよいよ暴風圏に入ったようだ。
ためらわずに避難しろといわれたって、親戚も遠いし、お世話してもらえそうな知り合いも近所にいません。
となりがグランドだから、その真ん中辺に立ち尽くしていれば、そこまで瓦も飛んでこないか。
傘なんか役に立たないと思うので、海水パンツひとつで濡れるにまかせると。
このくらい開き直りの精神があればコワイものなし。

雨戸しめて、ふだんより暗い部屋でひきこもり。

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さらに1時間後。

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2019年10月11日 (金)

スッキリ

今日の新聞もイライラすることが満載だ。
8面全部を使ってありえない徴用工の特集をしてるし、「日韓を語るシリーズ」の平野啓一郎クンは、作家らしからぬ早とちりの達人みたいだし、盗人たけだけしい発言の韓国国会議長サンはぬけぬけと来日するらしい。

でもこうやって怒り狂っていると、わたしはアルツハイマーにも認知症にもなりそうもない。
ありがたいと感謝しなくちゃ、ウチの新聞には。

ウチの新聞のスタンスは決まっているから、それ以上読む必要はないと思ったけど、それでもいちおう目を通してみた。
すると徴用工の記事では、めずらしく納得できる部分もあることがわかった。
つまり、ウチの新聞でさえ、もうこれ以上擁護が不可能というのが、最近の韓国の事情ではないか。
うん、最後はなんとなくスッキリして終わりだな。

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2019年10月10日 (木)

今朝の新聞

今朝の新聞のオピニオン面に「憲法季評」という記事があって、日本大学のまだ50代の教授サンという人が「あいちトリエンナーレ」について、御高説(もしくはたわごと)を披露している
文章そのものはなかなか格調の高いものだけど、内容はまったくウチの新聞の論調そのものだ。
いちいち朝日新聞の記事に反論しても仕方ないんだけど、仕事をやめたわたしとしては、たまに頭の体操をしないことには認知症がコワイ。
で、読む読まないはあなたの勝手、御用とお急ぎでない方だけ寄っといでと前置きして。

この教授サンの意見は、強制連行された慰安婦がいたという前提で話をすすめているから、まずこれだけでペケ。
そもそも捏造した朝日新聞がデタラメだったと認めているのに、なんでそれを無視して発言するのか。
太洋戦争当時の社会情勢を考慮せずに慰安婦は語れないはずだけど、教授サンは戦後生まれなので、戦前のことには考えが及ばないらしい。

『あいちトリエンナーレは、一部の政治家の反発と、一部とはいえ少なくない人々の抗議を受け・・・・』
『公的助成を受けることに納得できない国民は、少なからずいる』
『国費で展示するのはおかしいという一部の人々の声を・・・・』
この教授サンは、トリエンナーレに抗議する人が少数派であることを徹底的に印象づけようとしているけど、現実には展示物の内容を知って眉をひそめた人のほうが圧倒的に多かっただろうから、これもペケ。

慰安婦像は、女性が味わい続けた苦難と、名乗りでた勇気を表現したものだそうだけど、それなら捏造された慰安婦より、戦乱でもみくちゃにされるイスラムやアフリカ女性のほうが、すべての女性に通じる普遍的な主題にふさわしいではないか。
わざわざでっち上げられた戦争被害者を持ち出すあたりで、あ、これもペケ。

もうひとつ、昭和天皇の写真に火をつけるというパフォーマンス、これは相手が天皇であろうがなかろうが、どう考えたって個人を中傷するものだ。
わたしはおおらかな人間のつもりだけど、おおやけの場で自分の肖像画が燃やされたらいい気分はしない。
芸術は冒されざるものという意見にはなんとか賛成しても、だからといってそれを盾に、なにをしてもいいとは思わない。

だいたいこのあたりの 『この解釈からすれば、焼かれたのは作家の肖像である』 という文章は、ひじょうにまわりくどくて理解しにくい。
この作家は天皇とうりふたつなのかと考えてしまったけど、そうじゃあるまい。
過去に自分の連作が天皇をコラージュしているというので問題視されたので、それにあてつけるために作成した映像だというなら、トリエンナーレというのはそんなケチくさい怨念晴らしの場なのか。
無理して結果ありきの理屈をでっち上げるから、こんなわけのわからない文章になるのだ。
というわけでこれもペケ。

いや、こんな言葉じりを捉えるのはよそう。
大学教授サンの文章は、総意としてなにがいいたいのか。
『補助金を交付するかどうかは文化専門職の関与が不可欠となる』 という文章がある。
つまりトリエンナーレの運営は、政治家の口出しする問題じゃないといいたいのか。
それではその専門職が、国民の大多数が眉をひそめる展示物を、展示する方向に動いた場合はどうなるのか。
アメリカの公共施設が、アメリカ国旗を焼くというパフォーマンスを、それも税金で行うといったらどうなるか。

わたしも政治家が芸術祭にしゃりしゃり出てくるべきではないと思うけど、選ばれた文化専門職という人々が、ある種のイデオロギーに染まった人たちばかりということもあり得る。
全員がそうでなくても、今回のように代表という人が反権力を売り物にする人であって、強引にみんなを引っ張る場合もあるだろう。
だからといって、わたしが火炎瓶を持って会場に押しかけるのもナンだし、こうなると警察に訴えるのか、裁判所に提訴すればいいのか。

結論にある 『自国の戦争責任を問うように見られる作品の展示を保証できない国家が・・・・』 というのは、なかなか立派な文言だ。
しかしもともと存在しない強制連行された慰安婦や、天皇の個人攻撃を持ち出す輩に対してどう対処すればいいのか。
日本が戦争責任を果たしてこなかったかどうかは、意見の分かれるところだろうけど、すくなくても韓国に対して、それを止めるといったら相手が動揺するていどには面倒をみてきたのだ。

わたしの文章は、この教授サンに比べると、きわめて格調が低いことは認めよう。
そのかわり誰にでもわかる言葉で話しているつもりだ。
ひねくれて無理に難解にし、しろうとにわかりにくくした文章は、どこかにごまかしや偽善があると思わないわけにいかない。
政治家が口を出すべきものでないかもしれないけど、芸術が文化専門職という一部のエリート階級のものであるというのも、わたしは賛成できない。
ペケ、ペケ、ペケばかりだ、この記事は。

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ダーウィン賞

日本がまたノーベル賞をもらったというので、さぞかし韓国がくやしがってるんだろうと思いつつ、ネットで関連する記事をひろっていたら、日本が受賞せず韓国だけが受賞したのはダーウィン賞だけであるという記事を見つけた。
イグノーベル賞なら知っているけど、そんな賞があったかい。
でも名前からするとなかなか権威のある賞みたいだ。

で、ググッてみたら、これこそわたし好み、学術的貢献よりも皮肉がてんこ盛りの賞だった。

簡単に説明すると、劣悪な遺伝子を後世に伝えないために、できるだけアホらしい死に方をした人に与えられる賞だそうだ。
ウィキペディアにじっさいの受賞例が列挙してあるけど、たとえば井戸に落ちたニワトリを助けようとして溺死した男女(ニワトリは助かった)、夏時間と通常時間をまちがえて時限爆弾で爆死したテロリスト、ポルノを見ながら車を運転中に事故死した男など、ほんとアホらしい事例ばかり。

そんななかに、閉まってしまったエレベーターのドアに腹を立て、車椅子のまま体当たりして墜落死した男というものがあった。
これはいまでもときおり YouTube で映像を見かけるけど、落ちたのはたしか韓国人だったはず。
残念ながら?ほんとうに、まだ日本人はひとりも受賞してないようだった。

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2019年10月 9日 (水)

カデンツァ

今朝の新聞の記事に、小さく「カデンツァ」という言葉が出ていた。
音楽用語で即興演奏のことだ。
即興演奏ならジャズのほうでおなじみのアドリブってことだけど、わたしはふつうならあまり縁のないこの言葉を、若いころ聞いたことがある。

ずうっとむかし、あれは確かニューポート・ジャズ・フェスティバルだったと思うけど、ブルース畑からB..キングが出演して、大勢の管楽器奏者と演奏したことがある。
レコード・ジャケットの英語解説を読んでいたら、このとき彼がしめくくりのカデンツァを務めたと書いてあった。
カデンツァってどういう意味かと辞書を調べたら、上記のようにアドリブということだった。
アドリブなら最初からそう書けばいいのにと思ったけど、それはわたしの無知のせいで、クラシックでもジャズでも使われるめずらしくない言葉らしい。

このときのキングのカデンツァは演奏のいちばん最後に聴ける。
出演者の中でいちおう彼が最高齢者だったから、トリとして華を持たされたようだった。
ほんの短い演奏だけど、味わい深いブルースの断片のようで、いまでもわたしの耳に残っている。
音楽は空中に消えて二度ともどってこないといったのはエリック・ドルフィー、しかしひとりの人間が死ぬまで、その耳の奥に残る音楽もあるのである。

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2019年10月 8日 (火)

トリエンナーレのその後

「あいちトリエンナーレ」が再開だそうだけど、なんかよくわからんねえ。
慰安婦像もそのままなのか、天皇の写真を焼くっていうパフォーマンスもそのままなのか。
国からの支援があるのかないのか。

全作家が復帰するって書いてあるから、おそらく展示物もそのままなんだろう。
文化庁が補助金の支出をやめたってことは、県がそれを立て替えようというのかしら。
どうも県知事さんと市長さんの意地の張り合いって感じがしないでもないけどな。

再開では、なんでも1日2回の公開で、入場者は1回につき、抽選でえらばれた30人だけだって。
それを1週間ということは全部で420人しか観られないってことになる。
そんな芸術祭があってたまるか。
意見の分かれる展示物を撤去して、正々堂々と公開するほうがよっぽど社会のためになる。
もう国勢を分断しても意地を張り通そうという政治家のパフォーマンスにしか見えんワ。

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この件についてもう少し調べていたら、横尾忠則さんの絵がやり玉に上がっているネット記事を見つけた。
彼の絵には旭日旗をモチーフにしたものが多く、軍国主義調だと抗議されたことがあるそうだ。
ソースは毎日新聞だから、つまり慰安婦像に抗議するなら、横尾さんの絵にも抗議すべきだというつもりかもしれない。
またつまらない屁理屈を持ち出したな。

わたしが初めて横尾忠則さんの絵を知ったのは、まだ平凡パンチが隆盛のころで、わたしもまだまだナィーブな青年のころだった。
当時、芸術に関心のあった若者で、彼の絵に刺激を受けなかった者はいない。
しかし、ことわっておくけど、彼が図柄に旭日旗を使ったころ、それが軍国主義の象徴だなんて問題にされたことは、ただの一度もなかった。
旭日旗が反日プロパガンダとして利用されるようになったのは、2011年ごろからだ。
いまの韓国を見ればわかるけど、世界中からほんのわずかでも旭日旗模様を見つけるのに半狂乱になっている状態だから、それについて抗議した御仁も、ずうっとあとになってから言い出したにちがいない。

いっておくけど、芸術家がどんなものをモチーフにしようが、他人がゴタゴタいうことじゃない。
芸術に障害があってはならないとわたしは信じるけど、横尾さんの絵が「あいちトリエンナーレ」の話題に関連があるとは思わない。
およそ方向性のちがうものまで引っ張り出して、自説のために使うのはやめてくんないか。
わたしたちはいつまで隣国の病的な精神に付き合わなければいけないのか。

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2019年10月 7日 (月)

ジンジャー・ベイカー

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新聞にロック・グループ「クリーム」のドラマーだったジンジャー・ベイカーの訃報。
終活中のわたしが生涯に出会った最高の音楽を選ぶとしたら、かならず3本指に挙げなければいけないバンドのメンバーだった。

はじめて彼らの音楽を聴いたのは、彼らの2枚組アルバム「Wheels of Fire」が発売された直後だったけど、当時から貧乏人だった小生には、内容のわからない2枚組というのは、清水の舞台から飛び降りるような勇気のいる買い物だった。
ビートルズやストーンズの曲なら、テレビやラジオで聴く機会が多かったのに、なぜかクリームに関しては、ほとんどその機会がなかったのだ。

原因は彼らの演奏が、ちょいと聴くには長すぎるライブ演奏に特徴があったせいだ。
2枚組のなかの『スプーンフル』を聴いたときの衝撃は忘れることができないけど、この曲は1曲で17分もあるのである。
曲が長いせいで、ヘッドホンで集中して聴いていると、自分のバイオリズムがしだいに曲と合致して、LSDによる陶酔を体験しているような気分になってしまう。
同じような体験のできるミュージックはないものかと、それからわたしの現在まで続く長い音楽行脚が始まったのである。
ジミ・ヘンドリックスと出会うのもその行脚の途中だから、クリームの影響の大きさは計り知れない。

Cream

ここに載せたのはサイケデリック・アート全盛のころの彼らのアルバムで、右が2枚組の「Wheels of Fire」。

ジンジャー・ベイカーというと、当時から年齢不詳のおじいさん顔だったけど、享年は80だそうだ。
2枚組アルバムのなかでは彼の長いドラム・ソロも聴けるものの、それより他のふたつの楽器(ギターとベース)と共演したときの、リズム・セクションに安住しないドラムがすさまじい。

クリームの3人のメンバーのうち、すでに2人が亡くなって、このグループも再結成が永遠に不可能になった。
わたしはあらためて自分の人生の幸運を思う。
これがわたしの彼に対する追悼の辞だ。

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2019年10月 6日 (日)

訪日客

いま中国の知り合いが日本に来ているらしい。
そんな肝心なときにメールがつながらない。

1カ月ほどまえにひさしぶりにこちらからメールを出したら、返信があって、なぜかわたしの(日本の)電話番号を教えてほしいという。
ああいいよと教えてやったけど、べつに国際電話がかかってくるでもなし、いったいわたしの電話番号をどうしようってのかと不思議に思っていた。

それっきり連絡が途絶えていたものが、昨日いきなりメールが来た。
你还好吗?  我在东京待了四天  一直等你回信  想去看你  你还好吗  身体好吗  后来我去了京都  又去了大阪  一直等回信  还是没有……  最后回到上海  不知道你究竟怎么样

これによると来日して、東京に4日間いて、このあと京都や大阪に行き、その後上海へもどるらしい。

相手が連絡もなしに日本に来ることは考えられないから、おそらくもっとひんぱんにメールを送ったのではないか。
それがなにかの理由でわたしのところへ届かず、しびれを切らした相手は、予定通り来日してしまったのだろう。
日本に来てからメールを送ってみたら、これがたまたまうまくつながった。
というのが昨日のメールにちがいない。

あわてて、いまどこにいるんだとメールを送ってみたけど、ひと晩たって返事がないところをみると、どうもこちらのメールは着いてないようだ。
困ったものだけど、こうなるとわたしにはどうすることもできない。
せめて電話でもかかってくればいいけど、それだとグーグル翻訳が使えないし。

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2019年10月 5日 (土)

ポピュリストの国

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香港が混乱している。
行政長官キャリー・ラムさんの弱腰につけこんで、デモ隊の勢いはとどまるところを知らない。
これはいったいどこまで行くのか、部外者のわたしにも不安になるくらいだ。

拳銃を持った警察官に鉄パイプで襲いかかれば、アメリカなら問答無用でハチの巣にされる。
明確な統率者のいないデモは危険このうえない。
香港市民と中国本土との板挟みになったラム長官は、ついに覆面禁止法なるものを制定するに至った。
この先がどうなるか、相手を追いつめすぎるのもナンだけどなあというわたしの気持ちは、もちろん香港には届かない。

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香港はさておいて、韓国も混乱の極みらしい。
文在寅やめろ!のデモ隊がン百万動員なら、大統領を支持する側もン百万の動員だ。
韓国は完全にふたつに分断された(もともと分断国家だから3つに分断というほうが正しいのか)。
おかげで日本のことなんかどうでもいいみたいで、日本人としてはひと息つけているけど、韓国民のためにはこちらも心配だ。

朴クネちゃんのときは保守が実権をにぎったけど、保守というのは良識的なところがあるから、政敵を完膚なきまでに排除するほどではなかった(おかげで生き延びた革新勢力は大統領を追い落として刑務所に叩っこんだ)。
革新の文サンが大統領になると、手加減というものを知らないから、三権の長をすべて自分の息のかかったものに置き換え、権力を不動のものにしようとした(そうしなければ自分もクネちゃんの二の舞だ)。

さて香港は、韓国はどうなるのか。
いちばんの問題はポピュリズムにおちいって、すぐに扇動される国民にありそうだ。
そんなこんなで香港、韓国の未来は暗い。
ホント、野次馬には目がはなせないことばかり。

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2019年10月 4日 (金)

老衰

先日の新聞に老衰という記事が出ていた。
歳をとれば人間だれでも死ぬのが道理だけど、年老いてもどこにも悪いところがなく、衰弱して自然に死ぬのが老衰死だそうだ。
近年はこうした死に方が死亡原因の3位になっているという。
これが増えた原因は、大きな病気をせずに超高齢まで生存する人が増えたとか、延命治療を望まず、自宅で死にたいと考える人が増えているからとか。

これはなかなかいい死に方のように思える。
足腰のおとろえや老眼・難聴などはやむを得ないとして、どこにも病気らしい病気もなく、痛いところも痒いところもなく死ねたらどんなにいいだろう。
いまのところしぶといくらい健康なわたしも、このまま行くと老衰死のような気がするんだけど、さて、どうなるかねえ。

ええとと考えて、わたしの親戚にそういう人がひとりいたことを思い出した。
母方の親戚のおじいさんである。
最後はほとんど病院で寝たきりだったけど、死の直前にはまわりを囲んだ親族に、歌を歌ってきかせるからと、ひと節うなって大往生したそうだ。
おみごとである。

でもこの場合はまわりを囲む親族がいたから理想的なのだ。
このおじいさんはわりあい大きな農家の家父長だった人で、家族を養うために人生のほとんどを農業ひとすじにかけてきた人だから、幸福な死に方も当然かもしれない。
しかし同じような生き方をしても、同じように死ねない人もいる。
わたしに思い当たる老衰死はこの親戚のおじいさんだけだから、これはきわめてまれな例外だったかもしれない。

わたしの場合は病院に見舞いにくる家族もいそうにない。
部屋で死後2週間、ハエにたかられて発見なんてのも老衰死になるのかどうか。
ま、死んでしまえば本人にはわからないのだから、なんといわれようとかまわないけど、わたしの場合は、たとえ老衰死だったとしてもあんまりカッコよくないようだ。

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2019年10月 3日 (木)

COOL・JAPAN

NHKのBSでやっている「COOL・JAPAN」という番組が好きである。
これは外国人から見た日本のクールな(いかしてる)ものや、不思議なことは何かと、外国人をスタジオに招いて討論する番組で、つねによそからの視線を気にするわたしには、ひじょうに興味津々なものなのだ。

けっこうむかしからやっている番組らしいけど、わたしがこの番組に気がついたのはまだ最近だ。
昨日やっていたのは、日本の“名前”がテーマ。
どうやら名前の画数なんてものを気にするのは日本人だけらしい。
ラテン文字やキリル文字圏の住人が気にしないのは当然として、同じ漢字を使う中国でもあまり聞いたことがないという。

迷信や宗教に興味のないわたしだけど、名前の画数は気にしたことがある。
若いころ、自分の名前は将来大物になる名前ではないかと、電話帳を調べてみたら、同姓同名の人が何人も見つかった。
いずれも平々凡々たる庶民のようだったので、腹が立って、それ以来画数なんてものを信じたことがない。

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2019年10月 2日 (水)

ウエスタン

Wes

録画してあったセルジオ・レオーネ監督の西部劇「ウエスタン」を観た。
これまでにも何度か放映されていて、なにをいまごろという映画だけど、今回もまたとちゅうで放り出した。
そんなに大騒ぎするような映画じゃない。
あのヘンリー・フォンダが悪役なのはいいとして、主役のマンダム男チャールズ・ブロンソンはいくらなんでも小粒すぎる。

ただ冒頭の部分を観て思ったこと。
やたらに脂ぎった顔のアップが出てくるところはマカロニ・ウエスタンだけど、これって米国で撮影された本物の西部劇のようだ。
なにしろウディ・ストロードとジャック・イーラムという、脇役でおもて看板を張れる有名な役者が出ていて、これが二人ともタイトル・クレジットの直後に、あっという間に撃たれておダブツ。
もったいない。
二人とも、たまたま撮影所のまえを通りかかって、ちょうどいいや、ちょっと出てくんないかと頼まれたちゃったんじゃないか。

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2019年10月 1日 (火)

かっての仲間

むかし働いていた会社の同僚から電話がかかってきて、当時の仲間を集めて飲み会をしたいから、幹事をやってくれという。
わたしの同僚というと、もうほとんどがリタイヤして、わたしと同じように他人とのつきあいも疎遠になっているのが多いから、人間ギライではひけをとらないわたしにお鉢がまわってきたらしい。
あまり気がすすまないものの、いちおう引き受けて、かっての同僚たちのいくたりかに電話をしてみた。

このトシで無病息災なのはわたしぐらいだけど、くたびれたおじさんばかりのなかに、ひとり気になる男がいた。
1年ほどまえに奥さんを亡くした男で、完全に打ちのめされて、ずっと家にひきこもっているという。

気晴らしになるかもしれないから、たまには出てきたらどうだいといってみた。
とても出かけようという気にならないよと死人のような声。
なんなら送迎してやってもいいよといってみた。
それでもダメだった。
死ぬ気なら、死ぬのはいつでもできるじゃないかとまでいってみた。
やっぱりダメだった。
家に押しかけてライフルかなんかで脅かしでもしないかぎり、とうてい出てくる可能性はなさそうだ。

うーんと考えてしまう。
それほどまでに奥さんを愛していたのなら、わたしにはほかに打つ手がないし、わたしのようにずっとひとりで生きてきた人間には、及びもつかない事情があるのだろう。
そもそも他人の心配をするまえに、わたしは自分のことを心配しなくちゃいけないのだ。

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