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2019年10月 4日 (金)

老衰

先日の新聞に老衰という記事が出ていた。
歳をとれば人間だれでも死ぬのが道理だけど、年老いてもどこにも悪いところがなく、衰弱して自然に死ぬのが老衰死だそうだ。
近年はこうした死に方が死亡原因の3位になっているという。
これが増えた原因は、大きな病気をせずに超高齢まで生存する人が増えたとか、延命治療を望まず、自宅で死にたいと考える人が増えているからとか。

これはなかなかいい死に方のように思える。
足腰のおとろえや老眼・難聴などはやむを得ないとして、どこにも病気らしい病気もなく、痛いところも痒いところもなく死ねたらどんなにいいだろう。
いまのところしぶといくらい健康なわたしも、このまま行くと老衰死のような気がするんだけど、さて、どうなるかねえ。

ええとと考えて、わたしの親戚にそういう人がひとりいたことを思い出した。
母方の親戚のおじいさんである。
最後はほとんど病院で寝たきりだったけど、死の直前にはまわりを囲んだ親族に、歌を歌ってきかせるからと、ひと節うなって大往生したそうだ。
おみごとである。

でもこの場合はまわりを囲む親族がいたから理想的なのだ。
このおじいさんはわりあい大きな農家の家父長だった人で、家族を養うために人生のほとんどを農業ひとすじにかけてきた人だから、幸福な死に方も当然かもしれない。
しかし同じような生き方をしても、同じように死ねない人もいる。
わたしに思い当たる老衰死はこの親戚のおじいさんだけだから、これはきわめてまれな例外だったかもしれない。

わたしの場合は病院に見舞いにくる家族もいそうにない。
部屋で死後2週間、ハエにたかられて発見なんてのも老衰死になるのかどうか。
ま、死んでしまえば本人にはわからないのだから、なんといわれようとかまわないけど、わたしの場合は、たとえ老衰死だったとしてもあんまりカッコよくないようだ。

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